覇竜
さて、泣き止みました。
オーブの解析も済みました。描かれた魔法式から察するにオーブはどうやらもう一つありそうです。
ついでにこの五つのオーブに描かれた魔法式の内容は、魔王撃破のために何の役にも立たないこともわかりました。このオーブに描かれた式は、ある魔法生物の誕生式です。世界のどこかに卵の状態で存在しているその魔法生物の前でオーブを捧げると、卵が孵化するわけです。
魔法生物の名は不死鳥ラ・ルミア。
精霊ルミアの持つ肉体の九番目。
「うーん」
頼みの綱はこれしかなかったのですが、本当に役に立ちそうにありません。伝承にあるラ・ルミアの力はあらゆる場所へと駆ける翼です。かつては内海に閉ざされた魔王の居城へ至る唯一の手段とされていました。しかし現代では魔法技術が発達し、瞬間移動呪文が劇的に進化を成し遂げたり、飛翔呪文、境界面歩行呪文が開発されたりで、魔王の居城へ至る手段は一つではなくなりました。
私たちのパーティはそれらの呪文を駆使し、世界中を巡っていろんな国を訪ね、王様から伝説のアイテムを与えられたり、魔物を倒したりしました。
この世界にラ・ルミアでないと行けない場所は残っていないのです。
無駄足だったかなぁ。
私は膝を抱えます。手詰まりです。やることなくなっちゃいました。暗い絶望の手が心の底のほうから這いずり出してきます。勇者さんが死んでしまい、泣きながら動転していた私、色あせた世界、みんなが私の死を望んでいる。何もしないでいると次々と後悔ばかりが浮かんできます。
実を言うと世界にとってまだ希望はあるのです。
勇者が死んで、精霊ルミアはきっと次の勇者を生み出そうとするでしょう。
勇者とは精霊の持つ肉体の一、ア・ルミアを宿した者ですから。
ただその希望は私にとっての希望ではないのです。私は私と一緒に旅をしたあの勇者さんが好きだったのであって、「勇者」が好きだったわけではありません。
そもそも次の勇者が生まれたとしても、あの魔王に勝てるのでしょうか。勇者の力は稲妻の力。人間としては絶大な戦力を誇りますが、あくまで呪文なので呪文無効化を破ることはできません。勇者が生まれては死ぬ。人間にとっては悪夢の光景ですね。私にとってはわりとどうでもいいですけど。
ふむ。どうでもいいことを少し思いつきました。三代前に魔王を倒した勇者というのがア・ルミアを宿した確か稲妻の勇者ではなかったんですよね、たしか。当時のア・ルミアを宿した勇者は魔王下七武衆の中でも最強と恐れられた三眼二刀の魔族と相打ちになって倒れたそうです。なので実際に魔王を倒して勇者と呼ばれたのはフリューさんと同じような戦い方をする人でした。そしてその勇者さんが使う呪文こそが闇刻結界です。呪文無効化と硬化呪文の組み合わせによってほとんどの攻撃を無力化した末に一月近く戦い続けて仕留めたのだそうです。
闇刻結界自体、そうそう使い手のいない特異な魔術ですから心に留めておくことにしましょう。
「そういえば」
あの闇刻結界が呪文無効化の能力を持っているとはいえ、無限大に呪文を無効化できるわけではないでしょう。だったら無限大に近い魔法力をぶつけたらあの結界は崩壊するのではないでしょうか。例えばラ・ルミアの孵化に必要なほどの膨大な魔法力を。
結界を剥がしたあとの、呪文が通じる相手であれば倒せる。……かもしれません。
勝てたらいいなぁ。
どうでもいいですがかつての勇者はルミアの肉体の三、サ・ルミアと呼ばれる光玉を使って魔王の持つ結界を剥がしたそうです。多分闇刻結界とは別種の結界ですが、そのクッソ便利なアイテムは砕けてしまったとか、奈落の奥深くに沈んでしまったんだとか言われています。新しい勇者は生み出せるのに、新しいアイテムは作ってくれないんですよね。ルミアさんって。
けっ。意地悪な精霊です。死んでるので仕方ないですが。
私はオーブに描かれた魔法式を連結させてみました。内部に秘められた魔法力が呼応して膨れていきます。その量は莫大なモノで、六つのオーブすべてを結合させれば人間が個人で生み出せる魔法力の数千倍から数万倍に至ります。とりあえず魔法式の連結を解除して、オーブを収めました。
やってみる価値は、あるかもしれません。
どうせ失敗したって私が死ぬだけです。
さあ、最後のオーブを探しにいきましょう。
不思議な地図によると、最後のオーブは黒の大地の真っ只中にあるのがわかりました。大変厄介ですが、仕方ありません。私は大抵の魔物には負けない自信があるので、突撃してみようと思います。
よーし、いっくぞー!
……無理矢理テンションを上げようと思ったのですが、急にむなしくなったので少し泣いておきます。
では、ワープ。
はい、黒の大地にやってきました。硫黄の匂いがひどいです。あちこちから蒸気が上がっています。少し先には絶え間なく灰が降り注いでいて視界は悪いです。まるで濃い霧の中にいるよう。火山の近くです。空気の温度も高いので境界呪文を張りながら進みましょう。
灰の中に魔物の気配を感じます。もしかしたらあの連中もいるのでしょうか。魔王下七武衆とかいうやつ。
前回のサビロという魔族はあっさり倒すことができましたが、魔王下七武衆の実力はかなりピンキリだそうです。伝承に残っている七武衆の一体である「三眼二刀の魔族」については、明らかに当時の魔王よりも強力だったとの記述があります。私たち勇者ご一行がかつて倒した七武衆、「五つ首の竜」もなかなかの実力者でした。あれは三人でなければ(当時はまだルーくんが参加しておらず、勇者さん、戦士さん、私の三人パーティでした)倒せなかったと思います。まああのときに比べれば私も大分レベルが上がりましたけど。
この霧の中では瞬間移動呪文が使えないので注意が必要です。瞬間移動呪文は私の戦闘力の六割くらいを構成する呪文ですから、これを封じられては苦しいことになります。
それはさておき雲魔物と巨人がいます。
あまり強力な呪文を使って後半で魔法力を枯渇させるわけにはいきません。やり過ごすか加速呪文を使って逃げましょう。そーっと、そーっと、抜き足、差し足。なんだか鼻がむずむずします。何日か寒い牢屋に閉じ込められていたので風邪を引いてしまったのかもしれません。……。はっくしょん。
あ。
醜悪な姿をした巨人が棍棒を振り上げました。雲魔物が炎を吹きました。私は加速呪文を使いました。「ぐおおおおおお」巨人が叫び声をあげます。まずいです。仲間を呼んでます。灰の中にたくさんの影が現れます。えーっと。影が多いです。ものすごく多いです。ちょっと驚くほど多いです。そりゃあそうですよね。ここは黒の大地。人間の支配が及ばない魔物たちの楽園。立ちふさがる巨人が棍棒を振り下ろしました。加速状態の私にかわすことは難しくありません。腕を駆け上がり背中を蹴って跳躍。ひたすら遁走します。後ろを振り返ると百体近いような魔物の行進が私に追随していました。さすがの私もちょっとたじたじです。また正面に魔物。右に避けます。避けた先にもまた魔物。
魔物祭りですね。
そろそろ極大爆裂呪文を何発かぶちかませばある程度は倒せそうですが。うーん。焼け石に水ですかね。とはいえこのままではオーブを探せそうにもないですし。少ない消費で、多数の魔物を倒す魔法。ああ、ありますね。消費は少なくはありませんが、極大爆裂呪文を連発するよりは効率のいい呪文が。私にとってはちょっとトラウマ級の呪文ですが、他に方法が思いつかないのでやってしまいましょう。
私は立ち止まりました。
「竜体変化呪文」
竜。
ドラゴン。
地上最大最強の生物です。硬い鱗を持ち、炎や冷気のブレスを放ち、強靭な筋肉と圧倒的なサイズで敵を粉砕する。自然界に生きるものでおおよそ竜に勝てる生物はいません。
竜体変化呪文はその名の通り竜に変身する呪文です。私の身体は四足歩行の蜥蜴に似た竜へと変身しました。
全長にして8,6メートル、高さ4,4メートルにも及ぶ巨体は当然のように莫大な戦闘能力を齎します。
「にゃー」
私は前足を振り下ろし、巨人を引き裂きました。尾を振るい、魔物をなぎ払いました。冷気のブレスを吐いて凍りつかせました。先述の通り、この呪文は強大な戦力を生みますが同時に使いすぎると理性を失った魔竜へと変わってしまいます。余談ですが私の父は故郷の街を守るためにこの呪文を使いすぎたせいで魔物になってしまいました。魔物になって正気を失った父がたくさん人を殺したせいで、私は長いこと地下牢に放り込まれて過ごしました。そこから連れ出してくれたのが勇者さんだったりして、その後二年ほど学校で勉強してからパーティに合流したりするのですが、まあそれはまたの機会のお話しするとして。
ともかく正気を失ったとしても黒の大地で延々と暴れるのであれば別に構わないので現在は実質ノーリスクですね。
向かってくる魔物のすべてに冷気を吐きつけて凍らせると、それを尾で打ち砕きました。
「あー、ほんと私ってば最強ですねー」
「……どちらかといえばデタラメが正しいだろう」
魔族の老人が歩いてきました。すっかり色の抜けた白髪に長いおひげが素敵なおじいさまです。杖をついていて、正面から戦闘するタイプではなさそうな印象を受けました。少なくともこのおじいさまでは竜体に傷をつけることは難しそうです。さておき。
「乙女の独り言を盗み聞きするなんて」
「独り言ならばもう少し小さな声で話すのだな。次元跳躍士」
「私のことをご存知なのですか?」
「おおよそ呪文使いの中に貴様の名を知らぬものなどおらぬだろうよ」
えへへへへ。
褒められました!
「して、ここに何用だ?」
「ちょっと儀式用にアイテムを取りにですね」
「剣か」
「え、剣があるんですか」
「……いまのは忘れろ」
「ついでにいただいていってもよろしいですか」
「忘れろといっている」
むう。よくわからんじいさんです。
「おじいさん、お名前を伺っても?」
「魔王下七武衆、オウルウ」
「オウルウ、ですか」
あ、このおじいさん知ってます。
覇竜オウルウ。精霊ルミアの肉体を九つに裂いたもの。元・魔王です。魔族と人間の殺し合いを「勇者と私で世界を半分に分ける」という取引をして治めた賢君。しかし長い時間が経ち、彼が取引をした勇者は死に、人間は魔族を攻撃しはじめ、オウルウもまた魔王の座を失い、魔族も人間を攻撃し始めました。
「敵意はない。その剣呑な爪を向けるのはやめてくれ」
「え、でも七武衆なんですよね」
「我は現在君臨している魔王の配下ではない。というよりも我々はあれを魔王だとは認めていない。現在魔王は空位なのだ」
「魔王は空位」
「そうだ」
「え、じゃああれはなんなのですか?」
私の勇者さんを殺した魔王は。
あれが魔王ですらないのならば勇者さんはまったくの無駄足を踏んで殺されたということになります。あるいは本物の魔王はもっと強いのですか。
「わからん」
「話になりません。さっさとオーブを寄越してください」
「オーブ? 貴様は《ラ・ルミアの六つの卵》を探しにきたのか」
「そうです。それです。さあ早く。さっさと出さなかったらぶち殺しますよー」
オウルウさんはとても困った顔をしました。
「壊した」
「え」
「ルミアに縁の品。捨て置いておけば我ら魔族の禍根となる。だから壊した」
このジジイ、よほどぶち殺されたいようです。ジジイさんの言っていることが事実ならば、探知魔法に引っかかっていたのは砕けたオーブの欠片に反応していたのでしょうか。
「殺気立つな。老体に堪える」
「というかあなた本当にオウルウなのですか。覇気がなさすぎます。それに精霊ルミアを引き裂いて、勇者を屈服させ、世界の半分を手にしたあの覇竜オウルウがどうして七武衆に甘んじているのですか」
「伝説には多少の誤謬があるということだよ。精霊ルミアは自らの意思で肉体を九つに分けた。我と勇者は互いに手傷を負い、互いに命が惜しくなって戦いをやめた。傷が回復しないうちに魔族の権力闘争に敗れ、我は魔王の座を失った。名誉職として七武衆とやらに据えられた。ただそれだけのことだ」
「そんなものですか」
「そんなものだ」
私は前足を振り上げました。振り下ろした大質量の足を老人が腕を掲げて受けます。あまりの重量と衝撃で足元が割れましたが、老人は一撃を平然と受けきりました。
「嘘つき」
老人は前足を掴んで小手返しの要領で捻ります。私は竜化を解き、元の美少女(!)の姿に戻りました。竜体変化呪文は強敵を相手にするとかえって動き辛く、的が大きくて回避が難しくなり戦いにくいからです。魔法力で作られた竜の足が消失し、老人の手が空を切ります。
「敵意はないのだが」
「嘘つき」
この御仁は会話の途中から大規模な呪文を準備していて、地盤ごと私を消し飛ばすつもりでした。だから先手をとって仕掛けざるを得なかったのです。魔王級の魔族を相手にするのはまだ二度目です。がんばりましょう。
「やれやれ。容易くはいかぬか」
容易くいくと思われていたなら心外です。私、当代最強の魔法使いですよ、おじいさん。
ついでにいいことを思いつきました。オーブが消滅してしまっていたら、この方の死体を材料にして新しいオーブを作ってしまいましょう。魔王級の魔族ですから魔法力が十分に染み込んだその骨格は魔法具の材料として非常に有用なはずです。式を刻んで細かい部分を補足すれば十分使えるでしょう。
「一つ聞いておくが、勇者すら退けた我を前に魔法使い無勢が一人で勝てるとでも思っているのか?」
「本来なら難しいと思いますが、あなた弱ってるじゃないですか」
むしろこちらのほうが訊きたいくらいです。
そんななりで私に勝てるつもりなのですか?
「はったりも効かぬか」
私は極大火炎呪文を唱えました。可燃性の魔法力を元に周囲の温度を吸収し、生成された火球を投擲します。「っ……」おじいさんが加速呪文を唱え、必死の形相で火炎から逃げます。が、地面に火球が着弾すると同時に圧倒的に燃え広がりおじいさんを飲み込みました。火柱を上げる炎が周辺の灰を吹き飛ばしていきます。追撃にさらに呪文を唱えようとして、私は咄嗟に幻惑呪文を唱えました。魔法力の霧が生じます。
閃熱呪文の光が霧にぶちあたりました。魔法力同士が干渉し、光が霧の中で乱反射し拡散しながらも、逃げた私の左腕に着弾。肘から先が炭化して消し飛びます。たんぱく質の焦げる嫌な匂いがしました。私は回復呪文を唱えました。未分化細胞を刺激して腕が再生していきますが、完全に元通りになるのは十日後といったところでしょうか。
しかし火柱で灰が吹き飛んだことを利用して閃熱呪文で攻撃するとは、食えないおじいさんです。降り注ぐ灰の雨が閃熱呪文を拡散してしますので、わりと無警戒なところにぶっ刺さりました。おじいさんが跳躍して火柱から抜け出してきます。あちこちが焼け焦げてしますが致命的な損傷ではなさそうです。おじいさんが腕を掲げると、肩から先だけが鱗に覆われた巨大な竜のそれへと変化しました。腕だけで4~5メルトルはありそうです。
ずどおん。
大質量の竜の腕が地面を叩きました。軽く大地を揺るがしますが、既に私はそこにいません。瞬間移動呪文によって、おじいさんの背後にいました。氷刃呪文で背中を狙います。その背中がもこもこと膨れ上がりました。
唐突に生えた翼が私を薙ぎ払いました。凄まじい質量の翼が空を払います。お城でも壊せそうな一撃でした。
「竜体変化呪文、ではないですね。魔族特有の“真の姿”を部分解放しているのですか?」
「……貴様は逃げることにかけては歴代最強だろうな。本気で貴様が逃げに徹すれば追える生き物はいまい」
おじいさんは片翼だけの翼を収めながら、彼の頭上数メルトルほどの空中に立つ私を見上げました。瞬間移動呪文で翼を回避したのですが、結構危なかったです。直撃したら多分死んでました。
竜化を解いたおじいさんの両腕には、極大閃熱呪文の圧倒的な光があります。灰が吹き飛んだ範囲は地形全体から見ればごく小さいものなので、その小さなスペースをすべて閃熱で埋めてしまおうと考えたようです。実際あれが発動されれば私は焼け死ぬしかないでしょう。
「氷刃呪文」
私は無数の氷の刃を生み出す呪文を唱えました。おじいさんはこちらが呪文を唱えながらも氷刃が現れないことに疑問を抱きながら、血を吐きました。
「なっ……」
おじいさんの体内を突き破って無数の氷刃が生まれます。瞬間移動呪文によって体内に転移させた小さな氷刃が、体内の水分を使って成長。宿主の体を突き破ったのです。
わー、私ってば、最強!
「が、がぶっ」
しかし腐っても覇竜オウルウ、これだけで倒せるようなぬるい相手ではないでしょう。
私は爆裂呪文を構えます。
「ま、待て! 降参だ! 降参する!」
おじいさんは魔法力の励起を完全に納めました。両の掌を上に向けて地面に膝をつき、頭を垂れます。いわゆる土下座です。これでは次に何かしようとしても私が先に殺せます。おじいさんがいかに竜としての肉体を持っていても、変身の起点となるのは魔法力です。人型の姿ならば殺すのはそう難しくないです。ちなみに多くの魔族が強力な“真の姿”を避けて脆弱な人型の形態をとっているのは、“真の姿”でいると魔法力を大量に消費してしまうからだそうです。人間風に言えば「ものすごくお腹が空く」のです。
無視して殺そうかなと思いましたが、なんだかかわいそうになってきたので、私は手元の爆裂呪文を消し去ります。
「仮にも元・魔王がそんなプライドの欠片もない格好をしてもいいんですか
「若いな魔法使いよ。命あっての物種だよ」
そんなものなんでしょうか? 堂々と言い切ってしまう姿は少し悲しくさえあります。
なんだかとても毒気を抜かれた気分でした。
「あなた本当にオウルウなんですか?」
「無論だ。偉大なる魔族の頭領。精霊ルミアを引き裂いた魔王の中の魔王、オウルウとは我のことだ。最早遠い過去の話だがな」
魔族の寿命は長いです。老化による力の衰えだって人間よりもずっと遅い。いくら魔王だったのが遠い過去の話だからといってここまでプライドが廃る原因とはならないでしょう。というかこの方、なんでここまで弱ってるのでしょうか? ええと、考えられるのは。
「あなたの弱体化の理由は呪いかなにかですか?」
「話が早いな。ルミアの力だ。あやつはよりによって我の肉体の中に自分の肉を埋めたのだ」
「それじゃあ」
「精霊ルミアの肉体の二、カ・ルミアは我だということになるのだろうな」
わお。魔法史に残る大事件です。
ルミアが魔族に取り憑いているなんて。
「しかし降参されると困ってしまいました。私、あなたの体を使ってオーブの代用品を仕立てようと思っていたのに」
おじいさんは青ざめながら「次元跳躍を行う貴様に行けぬ場所などなかろう? なにゆえラ・ルミアの翼を望むのだ?」と尋ねてきました。私はかくかくしかじかの事情を説明しました。
「ふむ。なるほど」
「というわけでちょっと死体になってもらっていいですか」
「ま、待つがいい。代案を示そう」
「……聴きましょう」
「要するにその結界とやらを破壊できるだけの莫大な魔法力があればいいのだろう?」
「そうですね」
「強大な魔族の遺体であれば別に我でなくとも構わんわけだ」
「そうですね」
「ついて来い。遺体に心当たりがある」
「え、あなたを殺したほうが手っ取り早いから嫌です」
それに人に物を頼むならばそれなりの態度というものがあるのではないでしょうか。
「お願いします。ついてきてください」
「まあ頼まれたら仕方ありません」
「あら、オウルウさん。素敵なお嬢さんを連れていますね。その方は人間ですか」
「オウルウさんオウルウさん。今晩ご飯をご一緒しませんか」
「オウルウさん、明日はお暇ですか。で、でででデェトいたしませんか」
「おーるー。遊べ。まおーごっこ。する」
行き先々で話しかけられます。オウルウはそのたびに立ち止まり懇切丁寧にお話して、別れていきます。魔物たちの表情は私にはわかりませんが、魂の色はとても穏やかでした。
「人気者なのですね」
「元魔王だからな」
そうですか。この人はきっと人間で言うところの勇者みたいなものなのでしょうね。魔族にとっての勇者、ですか。人間に追い掛け回されている私とはえらい違いですね。
……羨ましくなんてありませんよ。
オウルウさんは洞窟の中に入っていきました。緩く傾斜していて地の底へと続いています。中にいた魔物たちは私を少し奇異な目で見ながらも、オウルウさんにお辞儀をして道を開けてくれます。私はもしかしたら魔族って悪い方ばかりではないのかなぁ、なんてバカな勘違いを起こします。それでも魔族は人間を殺すのです。
風膜呪文で硫黄の霧を避けて、一面がマグマになっているフロアーを境界面歩行呪文で越えて、私たちはダンジョンの奥深くに進んでいきます。
「一応尋ねておくが、我が貴様を騙そうとしているとは考えないのか」
「あなたの魂は嘘をついている色ではありませんから」
「魂視の能力か。難儀だな」
「便利ですよ」
「他人の心など見えてもおもしろくあるまい」
たしかにおもしろくはないですけど。
嫌われますし。
恐がられますし。
嫌なことを思い出しかけて泣きそうになったので頭を振って忘れておきます。
それはさておき、ダンジョンの最奥までやってきました。
そこには赤い甲冑を来た魔族が、氷の塊の中に眠っていました。額には第三の目。両の手にそれぞれ握られているのは自分の身体ほどもある大きな剣。大きさは私の二倍ほど。これは。
「三眼二刀の魔族……」
いまから三代前の勇者を殺した伝説の魔族です。
「人間ではそう言われているらしいな。これの名はクルヴェスターというのだが」
「生きてるんですか?」
「ああ、仮死状態で眠りについている。あまりにも強力な魔体であったがために勇者はこれを殺せなんだらしい。相打ちとなった勇者と彼の仲間達が最後の力を振り絞ってこの封印を作り上げた」
「それをあなたが回収した。もしやこれの他にもたくさんの魔族の実力者が保存されていたりするんですか?」
オウルウさんはそれには答えませんでした。何か目的がありそうです。多分それはかつての覇権を取り戻すことに繋がるのでしょう。
私は氷に手を触れました。
「いただいても?」
「ああ。もって行くがいい」
私はその大きな魔体を見上げます。遺体(と呼ぶのは微妙に変ですが)の中でも生前に最も魔法力が馴染んでいた部分が素材として適しています。この魔体では、そうですね。
第三の目に瞬間移動呪文を使いました。掌より少し小さいくらいの眼球が私の手の中に納まります。それはともかくとして封印式をすり抜けるために魔法力をほとんど使い果たしてしまいました。ついでにこの魔体を殺しておけないかなぁとか企んだのですが、無理そうです。
「魔法力を帯びた呪氷なのだが、あっさりと呪文を通したな」
しかしその努力はオウルウさんには伝わらなかったようなので、私は涼しい顔をしておきました。
「だって私、天才ですもの。ではお世話になりました」
ぺこりと頭を下げて、私は瞬間移動呪文を使いました。