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世界の終わり


 どうにかこうにか生きて帰った私と盗賊さんですが、盗賊さんは早々に戦うことを諦めてしまいました。

「勇者も戦士もあんたも天才だ。でも僕は違う。僕はおなさけであんたらに拾われただけの子供だ。勇者も戦士もいなくなったんじゃあ勝ち目なんてないんだ。僕は降りるよ」

 と、言って、どこかに行ってしまいました。

 私はこの人は何を言っているんだろうと思いました。盗賊さんこそが天才の名にふさわしい人でしたのに。戦士さんが十年以上かけて体得した剣の技をするすると覚えてしまって、戦士さんは秘かに落ち込んでいらしたのに。そして憂いを帯びたその美貌で湖の国の王女様を恋に落としてしまいましたのに。

 ……。

 湖の国で思い出しましたが、私たちが魔王に敗北したことを支援してくださったあちらこちらの王様たちに伝えなければなりません。それは気が重い作業ですが、盗賊さんがあの様子では私しかその役目ができる人間はいないでしょう。なにせ勇者様も戦士さんも死んでしまったのですから。

 唐突に悲しくなって泣きたくなってしまいます。というか一回泣いておきましょう。

 うぐ、うう、うえええん。

 よし。泣くの終わり。文章にして約一行ですが、この間に四十八時間ほど経過したことだけ明記しておきます。

 では手始めに湖の国に行くことにしましょう。

「瞬間移動呪文」

私の体はその場からふっと掻き消えて、次の瞬間にはお城の前にいました。衛兵さんがぎょっとして身を固めますが、私が勇者一行の女魔法使い、公式ファンクラブの愛称ではヒフミンだと気づくと安堵したように息を吐きました。

「こんにちは。王様にお会いしたいのですが、取り次いでいただけますか」

「わ、わかりました」

 兵士さんは泣き腫らした私の顔を見てただ事ではないことを察したのでしょう。

 慌ててお城の中へ駆けていきました。

 兵士さんが戻ってきて、私は謁見の間に通されました。

 王様を拝謁して、あれれー、おっかしいなぁと私は思いました。というのも私、人の感情が少しだけ読めるのです。魔法は魂の力を根源としているので、魔法使いは魂の状態を把握する術に長けているんです。魂の状態には感情が色のように浮かびます。

 そして王様が私に対して持っている感情は、殺意と迷いでした。なので、ええ、王様に殺意をもたれるようなことをした覚えのない私としては、小首を傾げざるを得ないわけです。ともかく私は敗戦の報告をしました。王様はとても苦しそうにそれを聞いていました。

「そうか……。勇者殿のお力をもってしても、魔王に勝つことは叶わなかったか」

 重く、辛い声でした。

「いや、仕方あるまい。勇者殿の双肩に人類の未来などという重荷を乗せてしまったことそのものが我々の罪なのだ。我々の未来は我々で作らねばなるまい。時にヒフミ殿、そなたはこれからどうするのだ?」

 私? 私ですか? どうしましょうか。何も思いつきません。

 ちなみに王様が勇者さんのことを勇者殿と呼んで、私のことをヒフミと呼ぶのは、勇者さんの本名がアウグステインラル=エルゴラゴルディ=アスターロトだとかいうくっそ面倒くさい名前だからです。結婚したら私の姓に入って貰おうと思っていました。思っていました。

「いまはまだなにも思いつきません」

 私は言いました。身の振り方なんて急に言われても困ってしまいます。だって私、勇者さんの金魚の糞だったんですもの。あっちこっちで魔物と戦ってぶち殺して勇者さんのついでに感謝されてたらそれで幸せだったんですもの。あ、泣きそう。

「我が国の宮廷魔術師としてこの地に留まるつもりはないか?」

 宮廷魔術師さん?

 ええ、それは魔法使いとしては最高格の地位でいろんな人を顎で使えていろんな研究もし放題。研究費用は国から出るわ研究施設の許可はあっさり下りるわでやりたい放題の素敵な職業です。ですけどいまの私にはそんなものにまったく興味が持てないのです。研究しても勇者は生き返らないのです。人を顎で使っても勇者は生き返らないのです。

「いまはまだ他にやることがたくさんありますから」

 なのでお断りさせていただきました。

 やることが終わったらなってもいいですよー、なんてちらつかせたのはやっぱり宮廷魔術師の地位が魅力的だったからですね。この恋する乙女期間が終了したらなってみたいなーと思っているんです。打算的な女ですね。私ったら。

 それはさておき、王様の殺意が少し強くなりました。

 これはもう直球で訊いてみましょう。

「ところで王様、もしかしてなにかお悩みのことがありますのでしょうか?」

 王様は雷に打たれたような表情をなさいました。

「……隠し事はできないようだ。おい、あれを」

 王様は兵士さんに何かを命じました。兵士さんは大きな鏡を持ってきました。

 そこには血文字で「勇者と旅をした二人の人間の首級を我が前に捧げよ」と書かれていました。魔族の使う、鏡を使った通信呪文というやつです。

 なるほど納得です。三人ではないことに私は落ち込みました。逃げ切れた私と盗賊さんと違い、戦士さんは逃げ切れなかったようです。

「それで王様は私の首を魔王に差し出すべきか迷っていらしたのですね」

「それは誤解だ。私はヒフミ殿を護ろうと思い、この地に留まることを薦めたのだ」

 嘘でした。だって王様は現在進行形で殺意を強めていらっしゃいます。

「明かした上でもう一度尋ねるが、宮廷魔術師として我が国に留まる気はないか?」

「ええ、いまはまだ」

「そうか、残念だ」

 兵士さんが私の後ろで剣を抜きました。見えていないと思っているようです。

「私も残念です、王様」

 私は瞬間移動呪文を唱えました。兵士さんの剣が私の体を貫きましたが、もうそこに私はいませんでした。王様は私が消えたのをどこか遠くにいったんだと思ったようです。安堵したように息を吐きました。違います。私は王様の真後ろに瞬間移動したのです。

私、瞬間移動呪文がとても得意なのです。普通の魔法使いは瞬間移動呪文を使うのに、長い時間魔力を練る作業が必要だったり、次元演算を綿密に行ったりでものすごく時間がかかってしまうのですが、私、そういうのいらないんです。感覚でばーっと位置を決めて瞬間移動してしまえるんです。ついた渾名は誰が呼んだか『瞬獄殺』。ださいですね。

「ねえ王様。火葬と氷葬はどちらがお好みですか?」

 私は訊ねました。

 王様が引きつった表情で振り返りました。

「どちらも好きではないみたいなので、爆葬にしておきますね」

 極大爆裂呪文の輝きが謁見の間を満たします。

 ええ、私、勇者のパーティですから。人間にしては最強なんです。

 最強なんですけど、魔王には勝てませんでした。足元にも及びませんでした。

 闇刻結界という伝説級の呪いによって魔法が全部無効化されてしまいました。

 チートだと思いました。あんなのずるいです。炎も氷も爆裂も旋風も、それが「魔法である」というだけで問答無用で分解して無効にしてしまうんですもの。魔法使い殺しです。私、足手まといでした。びっくりするくらい足手まといでした。

 極大爆裂呪文の輝きが謁見の間で炸裂しました。兵士さんたちが逃げ惑いましたが、光が大きくて逃げ場はありません。

 そして光がはじけて終わった時、そこにはたくさんの白い鳩が舞っていました。爆発なんて起こりませんでした。鳩は間抜けな声をあげてシャンデリアの上でくつろぎ始めました。

「……これ、とっておきの宴会芸なんです。焦ったように見せかけて呪文を暴走させる感じを出すのがポイントなんです。去年の忘年会では大受けだったんですよ。ほんとですよ」

「ヒフミ、殿」

「大受けだったんだけどなぁ」

 どうしてこうなってしまったんでしょうか。

 どうして守ってきた人間さんに私は剣を向けられているんでしょうか。

 どうして勇者さんは死んでしまったんでしょうか。

 決まっています。私が弱かったからです。脳みそピンク色の乙女 (おつおんなと読むそうです。)で、勇者さんと一緒ならどうにでもなると思っていたからです。きっと知らないうちに修練でも手を抜いていたのでしょう。

 王様から殺意は消えていました。代わりに王様の心を塗り潰していたのは恐怖です。幸いにしてその恐怖は私に対するものではありませんでした。魔王に対してのものです。この人の心はいま、目の前で勇者さんが死んだときの私と同じようなものなのです。おしっこちびりそうなのです。私はほんとにちびりましたけど。というかぶちまけましたけど。

 そりゃあ私と盗賊さんの首を差し出さないとどうなるかわかりませんものね。でも私と盗賊さんの首を差し出して、その次はどうするんですか? 例えば国王の首級を差し出せって言われたら、あなたは自分の首でも差し出すんですか? うーん、王様って大変ですね。

「じゃあ私はこれで失礼しますね。どうにもならなさそうだけど何かしてみます」

「ヒフミ殿、お待ちくださ」

 引き止める王様を無視して、私は瞬間移動呪文を唱えました。

 



 さてさて、勢いで飛び出してきてしまいましたがどうしましょう。他の国の王様方にも敗戦しましたごめんなさいーって挨拶して回ろうかと思っていたのですが、あの鏡を使った通信呪文はきっと他の国々にも同じメッセージを届けているでしょう。どこに行っても同じような反応なんじゃないでしょうか。

 あ、泣きそう。ちょっと泣いていいですかね。泣きますね。しばらくお待ちください。

 ……。

 はい、泣き止みました。この間十二時間ほどかかったことはお知らせしておきます。なんと、前回の四分の一の時間です! 褒めてください。ダメですか。

 とりあえず、そうですね。鉄の国に行きましょう。鉄の国は魔王に対して最も強く反発していた国ですので、きっと魔王の要求なんて跳ね除けて私を匿ってくれるはずです。はずなんです。フラグではありません。きっと匿ってくれます。

 私は瞬間移動呪文を唱えました。

 

 鉄の国に瞬間移動したのは夜になってからでした。ええ、十二時間も泣いていたせいです。衛兵さんは「今夜は遅いので明日に出なおして、おや? ヒフミ殿ですか?」といいました。はい、そうですと私が答えると、兵士さんは直ぐに王様に取り次ぐといってくれました。王様は暖かい笑みで私を迎えてくれました。湖の国の王様のように殺意や迷いはありません。純粋な好意と心配です。私はすっかり安心しきってまた泣きそうになってしまいました。王様は「お疲れでしょう。今夜はわが国でおやすみなさい。詳しい話は明日にしましょう」と言ってくださいました。

 私はふと王様の魂が欠けていることに気づきました。何かあったのでしょうか? しかしそんなことよりも私は暖かい寝床にありつけたことのほうが嬉しくて深くは考えませんでした。

 私は王様の用意してくださった城の一室で、部屋の灯りを消し、目を閉じました。

 眠れなかったけれどずーっと目を閉じていました。何も見たくなかったのです。


朝になって目を開けてぞっとしました。悲鳴を挙げました。半狂乱になってしばらく泣き喚きました。私が眠っていたのはぼろぼろのベッドでした。周りは廃墟でした。私、ほとんど瓦礫の中に埋まって眠っていました。周りには骨がたくさんあります。人骨です。なぜこんなにきれいに人骨になっているかというと、魔物が綺麗にお肉を食べて骨から筋を剥がしたからです。食べられたあとなのです。昨夜のきれいなお城はどこにもありませんでした。

ええ、この城、滅んでいました。夜のなんでもないような様子、あれは呪いなのです。肉体が滅んでも魂は残ります。残るんです。それを魔物が齧るんです。昼間に。

 夜になって自分がまだ生きていると思い込んでいるあの城の人たちは、齧られた魂をどうにかこうにか修復しようとするんです。で、治ったところを昼間にまた魔物が齧るんです。

 つまりここは人間の養殖場なんです。呪われてるんです。そんなところで普通に寝てたんです、私。

 ぞっとしました。

 とりあえずいま周囲に魔物はいません。どうやらここに魂を食べに来るのは、数日に一回のようです。魂がほどよく修復されてからということでしょう。「もしもし」私は人骨に訊ねました。「このまま夜になって呪いのままに生活することはできるでしょう。あなたはそれを望みますか?」答えは即座に帰ってきました。「嫌だ。魔物に齧られるのは嫌だ。あれはとても痛いんだ。それに恐いんだ。とても恐ろしいんだ」私は頷いて昇天呪文を唱えました。呪われた魂は空に還っていきました。

 私は人骨一つ一つに問いかけ、一つ一つに昇天呪文を唱えていきました。

「あんたいい人だな。お礼にとっておきの宝物をやるよ。牢に書かれた壁の文字の下を掘ってみてくれ。魔物達に盗まれてなけりゃ、いいものがあるはずだ」

 そう言ったあと空に還った魂があったので、私は牢屋に書かれた壁の文字の下を掘ってみました。だけど何も出てきませんでした。きっと魔物に盗まれたのでしょう。

 壁にはkill meと書かれていました。

 殺して欲しかったのでしょう。夜になってきっと何も覚えていない彼の魂は、自分で書いた文字に首を傾げていたでしょう。この養殖場は悲しすぎました。

 やがて魔物がたくさんやってきました。魔物はおやつの魂が全て消え去ってることに驚き、怒りました。でもね、魔物さん、私、もっと怒ってるんですよ?


 ……。


 ところで、ちょっとやりすぎました。

 瓦礫が吹っ飛んで亡くなった人たちの骨まで粉みじんです。

 お墓も作ってあげられません。

でもまあ彼らの魂はもうお空の上なので、許してもらえますよね。……よね?





さて、また行き場所がなくなってしまいました。私は「不思議な地図」を広げます。これは人間の世界と魔物に乗っ取られた土地を自動的に区別してくれるけったいな地図です。魔物に乗っ取られた土地が黒く染まって描かれるので、私たちはその地のことを「黒の大地」と呼んでいました。黒の大地を普通の土地に戻していくのが勇者パーティのお仕事だったのです。

 ところで勇者パーティとか言うと勇者さんと戦士さんのことを思い出してまた泣きたくなってきました。しばらくお待ちください。

 ……。

 はい、戻ってきました。今回はなんと四時間です! 最初の十二分の一、私も成長したものです。

 不思議な地図によると、黒の大地はそれほど広がっていません。魔王城の周囲と異大陸を覆いつくしている以外はほとんど色づいた大地が描かれています。ただし点のような黒い染みがあちこちに出来ていました。侵食されかけている地域ということでしょう。私のいる鉄の国もきっと黒い点として表現されていたはずです。いまは魔物を倒したので色がついていますが。

 ふうむ。

 勇者さんの真似事をするならこれを一つ一つ取り戻していくのがよいのでしょう。ですが私はいま魔物をどうこうするよりも寝床が欲しいのです。朝起きたら瓦礫の中で人骨に囲まれていたー、なんて嫌なのです。安心して寝たいのです。それができなければ、私はそのうち壊れてしまうでしょう。睡眠は精神の健康のために大事なのです。ですが、どこかの国を頼るというのは難しいと思われます。王様達は私より国民と自分の身のほうが大事ですから、寝てる間に首を切り取られていたー、では話になりません。

 ではどうしましょうか。困ってしまいました。泣きたいです。盗賊さんは無事でしょうか。困っているかもしれません。でもわりとどうしようもありません。そもそも行方が知れません。

 いえ、あの子の心配は不要でしょう。要領のいい子でしたから。きっと無事で寝床も確保しているはずです。

 そんなよしなしごとを考えながら、倒した魔物の亡骸を探っていました。壁に落書きした人がもっていたものを盗んだのがこの魔物たちだったら、もしかしたらそれらしきものを持っているのではないかと思ったからです。

 結論から言うとありました。胃の中に。緑色の鮮やかな宝玉が。胃液まみれになって。

「オーブ、かな?」

 私は呟きました。オーブとは大魔術を行うための儀礼的なアイテムです。キメイラの翼に代表される呪文を代替するアイテムなどにもごく小さなモノが取り付けられています。しかし私はこれほど大きなオーブは久しぶりに見ました。初めてではありません。

 というのも以前にみんなで倒した五つ首の竜が紫色の同じようなオーブを落としたのです。

 魔法アイテムは一括して私の管理だったので、私はそのオーブを袋にいれて持っています。私は以前それらに込められた魔法式を解読しようと試みました。けれどできませんでした。難解である以前に明らかに式が足りないのです。どうやら複数のオーブが必要なようでした。すべてのオーブに込められた魔法式を解読する労力には、正直心が折れそうです。投げ出したいです。たぶん六つか七つくらいあります。吐きそうです。

 でもなんだかオーブを全部集めることができればものすごい大魔術ができそうな予感があります。内海を隔てた誰も侵入できなかった魔王城へ、瞬間移動呪文で飛び込んでいけちゃうような私にさえできない大魔術です。きっとすごいことが起きるんでしょう。それはもうすごいことができるんでしょうきっと。

 ふと私はもう一回魔王に挑もうかなと考えました。どこかの国に行っても人間が私を殺そうとしてます。だったら魔王を倒したほうが手っ取りはやい気がしました。魔王のことを思い出しました。勇者さんの死に様を思い出しました。戦士さんが決死の覚悟で挑んでいったことを思い出しました。おしっこちびりそうになりました。無理です。挑めません。恐いです。そもそも闇刻結界の前に魔法使いの私は無力なんです。魔法は全部分解されちゃうんです。勇者さんの勇者の証たる電撃魔法でも駄目でした。魔法は全部駄目なんです。もっとも魔王さんの鋼のような肉体の前に、戦士さんや盗賊さんも無力でしたけど。

 私たち、なーんであれのことを倒せると思い込んでたんですかね。

 バカだったんですかね。魔王さんの掌の上で踊ってたんですかね。あ、泣きそう。いえ、大丈夫です。今回は無理やり引っ込めました。

 オーブ、集めましょうか。

 ぶっちゃけ集めたところでどうにかなるとは思えないんですけど。いま持ってるオーブは三つ。魔王城へ向かう直前の大迷宮を抜けた先にいたおじさんがくれた銀色のオーブと、五つ首の竜が守っていた紫のオーブ、そしていま手に入れた緑のオーブ。似たような魔法式を持っているオーブならば、三つもあれば他の在り処も辿れるでしょう。なにせ私、勇者のパーティに入れるくらいの最強の魔法使いですから。役立たずでしたけど。なんの役にも立ちませんでしたけど。

 というわけで新しく手に入れた緑のオーブを解析してみましょう。紫と銀と緑のオーブと結続させて、類似式を検索して、共通項を抜粋して大雑把な魔法分類をつけて、補助式はとりあえず除外して、共通項を持つ式を全世界規模でさらに検索して、と。ううむ。

 あほみたいに大量の魔法式が絡まりあっていて三秒で投げ出したくなりました。でもなんか生き物に関連した式だと思います。こんなにたくさんの魔法式を必要とするなんて、随分でっかい生き物なんでしょう。魔王にけしかけて勝てたりしないかなー。なんて考えます。三秒でひき肉になってるでっかい生き物が想像できました。忘れることにしましょう。

 解析に七十二時間くらい掛かりそうなので、とりあえず泣いておきます。泣き溜めです。これから泣かないんです。ええ、きっと。……いや、まあ泣くと思いますけど。



 はい、解析が終わりました。結果、同じような魔法式を持っているオーブが西にあることがわかりました。以前いったことがありそうな街の近くのようなので、ちょっくら行って来ます。

 瞬間移動呪文。

 ……それっぽさを出すためにちょっとジャンプしてみました。

 シュタっと移動と同時に着地しました。うん、なんかこれかっこいいですね。どうでもいいですけど。さて、オーブがあるのはもう少し先、地図によると洞窟の中のようです。神父さんが通せんぼするように立っています。

「魔法使い殿、止まってください」

「はい?」

「お一人か?」

「はい」

「なにゆえここに?」

「これと同じようなものがあると思うので、探しにきました」

 私は緑色のオーブを見せました。

 神父さんは少し考える様子を見せます。

「魔法使い殿、たしかにこの先にはそれと同じような宝玉が封印されているとの伝承があります。ですが、いまとなってはこの先の洞窟は魔物の巣窟なのです」

「あ、大丈夫です。私、強いので。それに死んでも困る人いませんし。むしろみなさん喜ばれると思います」

「若い身空でそんなことを言ってはいけない。引き返しなさい。誰か仲間を連れくればこの先へ行くことを許しましょう」

 面倒くさかったので私は幻惑呪文と透過呪文を唱えました。

 神父さんは私の形をした幻に対して説教をしています。本物の私は視覚的に透明になりました。神父さんの脇を抜けて、洞窟を目指します。

はい、洞窟がありました。地下に向けて続いているようです。これまた正攻法で攻略するのは面倒くさいので、音波反響呪文を使いましょう。

私は「わー」っと叫びました。魔法力を乗せた声はダンジョンの壁にあたって反射を繰り返していきます。反響の情報がすべて私の元に跳ね返ってきて、私はこのダンジョンのすべての構造を知ることができました。あとは瞬間移動呪文でひとっ飛び。

「むぅ」

 と、思っていたのですが、反射して帰ってきた情報の中にオーブらしきものが見当たりません。そして呪文を打ち消している扉を見つけました。たぶんこれの奥にあるのでしょうが、扉自体が強力な魔法力を帯びているので扉の奥に直接瞬間移動するのは無理そうです。

 仕方ないので、扉の目の前まで瞬間移動呪文で向かいましょう。

 じゃーんぷ。

 はい。行きました。そこには魔物がいました。大きな石像の魔物です。いるのはわかってましたが私は平和主義者なので話しかけてみることにしました。

「こんにち」殴りかかってきました。私はため息をつきました。私が魔物の腕に触れると腕が切断されて壁に埋まりました。腕だけを瞬間移動させたのです。私ってば最強なのです。雑魚なんかには負けないのです。負けじと魔物さんは私を踏み潰そうとしてきたので、今度は足だけを移動させました。バランスを崩して魔物さんが倒れます。ずーんと大きな音が響きました。立ち上がろうとじたばたしていますが、無理そうなので放っておきましょう。

 扉があります。鍵穴がちゃんとついているタイプの扉なので、組成呪文を唱えて鍵と同じ形の石を作ります。はい、開きました。確かにオーブが安置されています。あざやかな青色です。これで四つ目。さくさく行きますね。

 私は急に虚しくなりました。

 仮にこのオーブをすべて集めて、それによって魔王を倒せたとしましょう。

 でもそこに勇者さんはいないのです。私の救いたかった世界はここではないのです。私は勇者さんのいる世界を救いたかったのです。魔王を倒して、よくやったなって頭を撫でて欲しかったのです。欲をいえばそのあといちゃいちゃの、もっと言えばそのあと更にぐちゃぐちゃ絡みあいたかったのです。

 勇者さんは上半身と下半身が真っ二つになって死にました。

 誰の目にも明らかなくらい即死でした。

 残念なことに生き返りエンドとかなさそうでした。

 私が救いたかった世界は死にました。

 あーあ。なにやってるんだろ。


 あ、ちょっと長いこと泣きますからしばらくお待ちください。

 


 

 



 最近一話につき一回泣いてる気がします。これではいけません。泣かないようにしないと。よーし。がんばるぞ! ……なんのために? あ、すいませんちょっと泣きます。

 自分で言ってて自分で心が折れてたら話になりませんね。天涯孤独系女子なので、絶望には強いんですよ、私。ほんとですよ。

 私は洞窟から出ました。すると兵隊さんがたくさんいました。

「ヒフミ殿ですね」

 私は逃げる準備をしました。脱兎のごとくです。

「お待ちください!」

 兵士さんたちは槍を捨てていました。槍を捨てて、膝をつきました。おまけに泣いてました。逃げられませんでした。私、そこまでひどい女じゃなかったみたいです。逃げたらよかったのに。

「花の村が魔物に滅ぼされました。勇者殿の仲間を差し出さねば魔王は毎日一つずつ村を潰して行くと魔王が……。私の妻は花の村で死にました。どうかヒフミ殿、我々と共に王の下へきてください。お願いします。お願いします」

 逃げれば、よかったのになぁ。

 だって花の村が滅ぼされたのは私の責任じゃないんです。経済的な価値が低い村だからと防備を怠って、魔物の進行を防げなかった王様のせいなのです。だから私がその責任を問われるのなんておかしいと思うんです。

 おかしいと思うんですけど……。


 私は兵士さんたちについていくことにしました。

 だって私が生きていることをもう誰も喜んでくれないんですから。

 みんな私が死んでたほうが嬉しいんです。

 そんな世界だったら生きている意味ないじゃないですか。

 楽しくないじゃないですか。勇者さんもいませんし。






「……なにやってるんだよヒフミのやつ。ばっかじゃねーの?」

 少年はくすんだ銀色の髪を乱暴に掻き毟り、荷物を手繰り寄せると民家の屋根裏から音も立てずに抜け出した。貯蔵庫を漁り、日持ちしそうな食べ物を少々頂戴すると夜の闇に紛れて姿を消す。






 私は湊の国のお城に連れてこられました。

 魔王討伐の旅をしていた頃は歓迎してくれて、一緒に宴を楽しんだ兵士さん達の、腫れ物に触るような目が突き刺さります。

「ヒフミ殿」

 両手を縛られた私を、兵士長さんが悲痛な目で見ます。金髪碧眼の整った顔立ちをしているイケメソさんです。指先まで綺麗な、剣を握る方とは信じられない美男です。顔立ちと腕の肉の引き締まり方のギャップに乙女(おつおんな)として心惹かれるものがあります。すごくどーでもいいですが。戦士さんのほうがイケメソですし。勇者さんと違って好きじゃないですし。

「お久しぶりです」

 と、私はなにげなく返事をしました。「ええ、本当に。あなたがお一人でいらっしゃるということは、やはり勇者さまは……」「はい、死んじゃいました」自分で言葉にしておいて泣きそうになりました。

「そうですか」

 兵士長さんは額を押さえます。そういえばこの方、以前親善試合で勇者さんに挑んだことがありました。たしか大人気ないくらい勇者さんがフルボッコにしてましたが、普通の人間にしてはかなり強かったはずです。その勇者さんが魔王にあっさり殺されてしまったんです。色々思うところはあるのでしょう。

 ……。

 まあ兵士長さんのことはどうでもいいのですが。

「私はどうなりますか?」

 兵士長さんはなにかを言いかけて、飲み込みました。沈痛な面持ちで視線を下げます。

 きっと私は魔王に贄として捧げられるのでしょう。悲しいですね。勇者さんが死んじゃったときのほうが一万倍くらい悲しかったですけど。あ、一回泣いておきましょう。

「ヒフミ殿」

 兵士長さんは私を慰めようとして、どのつら下げて慰めればいいのかよくわからなくなったみたいです。だって彼は私をぶち殺そうとしている人たちの一味なわけですから。

 例え王様からの命令でも実行しているのは彼らなわけですから。

「彼女を個室、……いや、牢へ」

「はっ」

 兵士長さんは私を捕らえていた兵士さんに命令を下しました。私は石造りの冷たい独房へ放り込まれました。でもよかったと思います。だってここにいるあいだは処刑されないんですもの。



どうして逃げないのか。

兵士長さんが私に尋ねました。

私が逃げたらみなさん困るでしょ?

と答えました。嘘です。そんな殊勝な理由じゃありません。単に投げやりになってるんです。勇者さんが死んで。みんなが私が死ぬことを望んでいて。生きてることが嫌になってるんです。

兵士長さんは私が処刑されることを告げました。

何の罪で?

私は尋ねました。

兵士長さんは答えませんでした。

いじわるなことを言いました。この人はお人形なんです。王様の言いなりで命じられたことをやるだけの操り人形。だから王様に教えられていないことは答えられません。……とまで言ってしまうのは少し言い過ぎかもしれませんがだいたいそんな感じでしょう。

私は処刑場に連れ出されました。地下の、赤黒い染みが残っている、薄暗い部屋です。ランプの灯りが無ければ辺りも伺えないほどの。嫌な場所でした。

 迷いながら兵士長さんは、私を跪かせ、他の兵士さんに命じて剣を振り上げさせました。

「ねえ、兵士長さん」

「ローレンです」

「ねえ、ローレンさん」

「はい、なんでしょう」

「どうしてこんなことになっちゃったんですかね?」

「……」

「勇者さんがいて、戦士さんがいて、盗賊さんがいて、魔物と戦ったらみんなが感謝してくれて、私ついこないだまですごく幸せだったんです。どうしてこうなっちゃったんですかね?」

「…………」

「魔物に殺されるならまだわかるんですよ。力が及ばなかったから。敵対しているから。一生懸命戦って、でも負けて死んじゃうなら仕方ないなぁと思うんですよ。でも私、なんで人間に殺されかけてるんですかね?」

「………………」

「私、がんばったんですよ? たくさん魔物倒したんですよ。いろんな人が褒めてくれたんですよ。キミはすごい。私たちを守ってくれた。ありがとう。ってみんな笑ってくれたんですよ。私はまあ半分くらいは勇者さんの傍に居たかったから戦ってたようなものだったけど。でも残り半分はみんなが笑ってくれて嬉しかったんです。でもなんで私が生きてるだけでみんな辛い顔しちゃうようになったんでしょうか」

「……………………」

「なんだか私、これは夢で、目が覚めたら勇者さんが隣にいて旅の続きが始まるんじゃないかなぁって心のどこかで思ってるんです。だってこんな世界ってないじゃないですか。あははははは」

「…………………………」

「あーあ、死にたくなかったなぁ」

 私は目を閉じました。涙の粒が頬に垂れていきます。

 殺れ。

 ローランさんが短く言いました。兵士さんが剣を振り下ろしました。


 パン。


 ぱん? 変な音がしました。続いてずてんと誰かが床に転がる音。その音が連続していくつか続きます。目を開けると私の近くにいた兵隊さんがみんな倒れていました。ローレンさんだけが立っています。少し遠くで、随分小柄な兵士さんが兜を脱いで放り捨てました。兜が床を転がっていきます。光の粒になって消えていきます。変身呪文で作ったもののようでした。

「なにやってるんだよ、姉ちゃん」

 ぼさぼさの銀髪の男の子が私を見下ろしました。細い目の奥には不機嫌そうな光があります。

「ルー、くん?」

 勇者ご一行の盗賊、ルイ=ライズが鎧を脱ぎ捨てました。袖の長い服の下から、何かを握りこみます。

「取り押さえろ」

 ローレンの声が残った兵士さんたちを動かしました。対してルーくんは両手を素早く動かします。「テンとセン」と呟き、それだけで、距離があるにも関わらず兵士さんたちが次々と倒れていきました。

鎧に穴が開いています。中には手足のどこかが切断されて千切れ飛んでいく人もいます。まるで手品のようです。

『天屠閃』

一介の盗賊に過ぎなかったルーくんが勇者さんのパーティに招かれた理由となった妙技です。ルーくんはローレンさんに向けても手が動かしました。しかしローレンさんはそれでは倒れませんでした。手を前に出し何かを握るように閉じました。

「これがあなたの技の正体ですか」

 ロイさんが手を開くと、椎型の透明な分銅が地面に落ちました。見えづらいですがルーくんの手元に糸で繋がれています。

「椎型の分銅を高速で投擲する。硬化呪文と加速呪文を付与された分銅は直接当たれば鎧さえ貫いて、当たらなければ手元に繋がった鋭利な糸が巻きついて分銅の重さで引き擦り、肉を切断する。手品の類ですね」

「正面から止めたのはあんたが二人目だよ」

 ルーくんは関心した様子で、皮肉気な笑みを浮かべます。

「だけどさ、テンとセンを一回止めたくらいで俺に勝った気でいるのかい?」

 ルーくんが腕を振ると、袖の下から伸びた刃がカチンと音を立てて固定されました。両手を自由にしたまま戦えるようにした工夫です。ルーくんの主武器はこちらのほう。というか、それよりもですね。

「あの、ルーくん、どうしてここにいるんですか?」

「ルーくんはやめろ」

「嫌です。ルーくんはルーくんです」

 ルーくんは舌打ちを一つしました。

「お前に音波反響呪文を教えたのは僕だぞ? わからないか」

「え、もしかしてずっと聞いてたんですか? 泣いてるときも? トイレのときも?」

「ありていに言えばそう。盗聴してた。変なことしでかしそうだなーと思って」

「へ、ヘンタイだー!!!」

「うるせえ」

 呆れ顔になるルーくんですが、これはあとでお説教が必要です。いえ、お説教では済みません。あの子はいったいプライバシーをなんだと思っているのですか! 一回ぶち殺さねばなりません。

「……」

 それはそれとしてローレンさんが静かに剣を抜きました。

「緊張してるね。実力差はよくわかってるんだ?」

 ルーくんは楽しそうに指摘しました。

 私は魂を見ることで感情の状態を把握しますが、ルーくんは心臓の音を聴くことで対象の状態を把握します。音に関連した呪文に関してルーくんは特に天才です。敵の心臓の鼓動、筋肉の収縮、血流、関節の駆動まで音で把握できるルーくんに近接格闘で勝てる人間を私は知りません。戦士さん以外に。

 そもそもローレンさんは勇者さんのパーティに招かれなかったのです。なぜならルーくんや私よりも弱いからです。戦えば必ずルーくんが勝つでしょう。

「さて、ついでに尋ねてみようか。あんたはどうしてどうしてヒフミを拉致ったんだい? それで潰される村が救えると本気で思ってるのかい? バカなの? あんた」

「わからないんです」

 ローレンさんは悲痛な表情で言いました。

「どうして勇者様は死んでしまったんだ。私はあの方と手合わせしたことがあるが、同じ人間だとはまるで思えなかった。人外の怪物だとさえ思った。同時にあの方ならば必ずや魔王を倒してくださると確信していた。なのになぜ勇者様は死んでいるんだ? あの方でさえ魔王を倒せないならば我々はいったい何をどうすればいいんだ」

 不意に私は、ああこの人は私と同じだったんだなぁと思いました。

 私とは別の意味でこの人は勇者さんに恋をしていたんですね。

 だから勇者さんが死んでしまってひどく戸惑っているんですね。

「私の方が教えて欲しいくらいだ。どうして私は王に命じられるがままに君達と戦っているんだ? 民を守るために命を賭けると誓った過去の私はいったいどこへ行ってしまったんだ。いつから私はこんなに弱くなったんだ」

 そんなこと私たちに言われても困ります。困るんです。どうすればいいかなんて私にもわからないんです。ルーくんが露骨にため息をつきました。

 不意に兵士長さんの後ろの階段から、誰かが降りてきました。金色のごてごてした刺繍の入った姿格好から察するに、王様でした。

「なにをしている? 勇者の仲間は殺せたのか」

 王様と私の目が合いました。

 え。魂の色が、変です。なんか変なのが混じってます。

呆気に取られている私と違って、王様はとても素早く動きました。「ま、まて。わしはお前の言うとおりに」ぶちゅり。王様の心臓から剣が突き出てきました。

ああ、正しくは王様に取り憑いた魔物は素早く動きました。ですね。

ぬるりと王様の影から魔物が立ち上がります。人に近い姿をした二足歩行の魔族です。多分男性。黒髪に茶色の瞳。頭部には山羊のそれに似た角が生えています。上半身は裸で浅黒い肌を晒しています。よく引き締まった体つきです。下はジーンズ。なんだか色っぽい格好でした。

「油断していた。魂視の能力者か。まさか一目で見抜かれるとは」

王様の胸から引き抜いた剣を静かに下ろしました。

「え、あ、わ、我が王……?」

 ローレンさんが呆然と、死んだ王様を見ていました。

意に介さず魔族は私に視線を向けました。

「我は魔王下七武衆が一人、サビロ。次元跳躍士ヒフミ殿とお見受けした。いざ、尋常に勝負願いたい」

「ぶっ」

 私は吹きました。

この方はいったい何を言ってるんでしょうか? 尋常に勝負? 尋常に勝負ですか。人間を使って私たちを殺そうとして、正面から自分で挑まずにここまで絡め手を色々使ってきたのに?

あれですよね? この人きっとぶち殺されたいんですよねきっと。あはは、あはははははっ!

「ルーくん。お話したいことは色々あるんですがちょっとお時間くださいね。あんまり長引かせないようにしますから」

「ほどほどにしろよ」

 ルーくんがあきれながら剣を収めます。私は袋から降魔の杖を引っこ抜きました。杖から伸びた触手腕が私の腕に取り付き、魔法力を吸い上げ始めます。杖の先端が二股に開き、その間から光刃が噴出します。サビロさんの眉がぴくりと動きます。伝説のアイテムとかに見えたみたいです。

「あ、これ戦士さんの運命の剣とか勇者さんの星の腕輪に比べたら全然大したことないアイテムですよ。なのでどうぞ安心して殺されにきてください!」

 なんだかテンションが変ですね、私。

「……いざ」

 サビロさんが踏み出しました。同時にものすごい量の魔法力が放出されて処刑場を埋め尽くしました。私の瞬間移動呪文を封じるためですね。瞬間移動呪文は障害物のある場所には移動できません。なので自分の魔法力を障害物の代用にして場を埋めたんです。しかし場を埋め尽くすほど魔法力を放出しながら戦うことは、一般に人間よりも多い魔法力を持っていると言われる魔族でも困難です。長期戦になれば勝手に自滅しますね。回避に専念しようかなと思い、私は加速呪文を唱えました。まっすぐ突っ込んでくる相手を大きくサイドステップして避けようとしました。

「!」

 しかし空間に放たれた魔法力が粘りを持って私を包みます。水の中にいるようで、ひどく動き辛いです。なるほど単に魔法力を放出するのではなく減速呪文を帯びさせて動きを制限させているのですね。いい戦術は勉強になりますね。サビロさんが私に接近します。私は杖を振り上げました。加撃呪文、それから爆裂呪文を唱えて杖の先端を爆発させて加速させました。ばきん。サビロさんの剣が折れて吹っ飛んでいきました。彼自身の手首もおかしな方向に捻じ曲がっています。「え……」たかが魔法使いの膂力と侮ったのでしょう。

降魔の杖は使い手の魔法力を物理的な衝撃に変換するアイテムなのです。これを使えば私でもそこそこ相手を殴れます。下がろうとしたサビロさんにあっさり追いつきます。減速呪文を帯びた魔法力が爆裂呪文によって壊れたからです。あの手の粘性を持たせる呪文は熱系統の呪文に弱いのです。グミとかチョコとかが、熱したら溶ける原理と大して変わりません。

 私はにこりと微笑みました。サビロさんの顔が青ざめました。降魔の杖を振り下ろしサビロさんの頭を床に叩きつけます。両腕を交差させて光刃を受けましたが、サビロさんの頭は床に埋まりました。脳震盪を起こして意識朦朧としているサビロさんのお腹のあたりに手を触れます。

「ねえねえサビロさん! これなんだかわかりますか?」

 私は赤黒くて長いぶよぶよしたものをサビロさんに見せました。彼の腸です。瞬間移動呪文を使って彼のお腹から抜き出したのです。サビロさんはへこんだお腹を押さえます。それから噴水みたいに嘔吐しました。「次は何いきましょう? これとかどうです?」白いものがたくさん床に落ちました。サビロさん、もう顔面蒼白です。落ちたのはサビロさんの全身の骨です。ぐにゃぐにゃになった体でなんとか立とうとしますが、できるわけありません。あははははっ。蛸みたい!

「ひゃめ、ひゅるひて」

 喉の骨がないからうまく発音できないみたいです。

 仕方ないので返してあげましょう! 「ごふぅ」あ、間違えて腕の骨を肺の中に返しちゃいました。血を吐いてます。かっわいそー。

あれれー? 魔王下七武衆さんなんで泣いちゃってるんですかー? あのかっこいい台詞もう一回いってくださいよー。尋常に勝負しましょうよー?


「……ルイ殿、もしや一歩間違えば私がああなっていたのでしょうか」

 頬を引きつらせたローレンさんが尋ねました。

 ルーくんが呆れながら頷いています。






「おい、ヒフミ。もう死んでるよ」

 ルーくんの声で私は我に返りました。ちょっとやりすぎてしまったみたいです。見回すとローレンさんがどん引きしていました。遠巻きに見ていた兵士さんと目が合うと「ひっ……」と怯えた悲鳴を上げました。

「あ、えっと、処刑でしたっけ。勝手なことしてごめんなさい」

 私は杖を仕舞って神妙にお縄につこうとしました。けど誰も私を取り押さえに来ません。なんか、みなさんビビッてるみたいです。

察するに、これまで私ってば超舐められてたんでしょうか? 次元跳躍士ヒフミ、『瞬獄殺』、瞬間移動呪文の使い手、なるほどそれほど恐ろしい響きではないかもしれません。捕まえる分には厄介だけど戦闘ならどうとでもなる! みたいなことを思っていらした?

「お前らさ、王様死んじゃったけどこれからどうするの? まだヒフミと僕を追いかけるつもりなら相手になるけど」

 ルーくんは天屠閃を構えます。誰も応じはしませんでした。

「じゃあとりあえず勇者代行の権限で命じるけど、えーとローレンさん?」

「……はっ」

「あんた、とりあえずこの国の指揮をとって。無理に言うのもなんだから、魔王と戦うか従属するかは任せるよ。ただ忘れないでね。別に魔王じゃなくて、僕と姉ちゃんでもあんたらを皆殺しにするくらいは簡単なんだよ」

 それからルーくんは、「ほら、帰るよ。姉ちゃん」と私の手を掴みました。「何? 腰抜けたの? 仕方ないなぁ」肩を担ぎ上げます。へたれこんだまま立とうとしない私を強引に背負いました。小さな背中。そういえばこの子、まだ十一だか十二歳だかそのへんなんですよね。「うわ、重っ。もしかして太った?」なんて軽口も叩きました。頭の上に肘を落としました。むしろ痩せたはずです。

「お待ちください。ルイ殿」

 ローレンさんが呼び止めました。

「何さ。まだ首出せって?」

「あなたが、あなたが新たな勇者として魔王討伐の陣頭に立って頂ければ我々は……」

「命令がなけりゃ動けないの?」

 嘲るように言います。

 それから自嘲気味な笑みを作りました。

「悪いけどごめんだよ。お前らと一緒で、僕も勇者が死んで心が折れたんだ。魔王に勝てると思ってたなんて、どうかしてた。悪いけどもう僕らには頼らないでくれ」

 ルーくんはいわゆる天才です。剣術だって、攻撃呪文だって、加速呪文を初めとする現代の戦闘で必須とされるいろんな補助呪文だって、あっという間に身につけてしまいました。天屠閃だって修行した期間はすごく短かったそうです。ほんとは私と戦士さんを足して二で割らないくらいの天才なのです。しかもまだ発展途上。人類最強だった勇者さんに匹敵する可能性は一番高いと思います。

新しい勇者……。

「ルーくん」

「じゃあね」

 ルーくんは私を背負ったまま走り出しました。ものすごい速さで城から抜けて、街を出て、見晴らしのいい平原で立ち止まります。それから急に私を支えていた手を離しました。私はやわらかい草の上に落ちました。それから、怒られました。

「なあ、姉ちゃんはバカなの? なんであんなノロマ共に捕まってるの? バカなの?」

「え、あ……ぅぅ」

「一人で逃げれたよね? そもそも“次元跳躍士”ヒフミがあんなのに捕まるわけないよね? ばっかじゃねーの?」

「だ、だって」

「だってもクソもねーよ。心配させるなボケが。死ね!」

「あ、あの」

 苛立ちついでにルーくんは何かを私に投げつけました。硬い石のようなものが私の頭にぶつかって、たんこぶを作りました。ころころと転がったそれは。

「え」

 黄色い、オーブでした。

「なんか知らないけどそれ、いるんだろ。持って行けよ」

「あ、あり、がと」

 ルーくんは舌打ちを一つしました。

「姉ちゃんは、諦めてないの?」

「魔王を倒すこと、ですか?」

「うん」

「ぶっちゃけ諦めてます。でも、何かしてしないと辛いんです。他にやること、知らないから」

「そっか。言っとくけど、僕は手伝わないぞ。一人でやれよ」

「そう、ですよね。はい、わ、わかって、ます」

 あ、ちょっと泣きそうです。

「ちょ、え、な、泣くなよ?」

「だ、だい、ずうぶ」

「な、泣いたってダメだぞ!」

「そうですか。ちぇっ」

 私は泣き止みました。

そもそも嘘泣きですから。

「お前なぁ」

「ルーくんはこれからどうするんですか?」

「別にどうもしないさ。またどこかで呑んだくれてるよ」

「むう、才能の無駄遣い」

 というか、お酒ダメですよ? 成長止まっちゃいますよ?

「犬死にがごめんなだけだよ」

「勇者さんや戦士さんみたいに、ですか」

「ひょっとしたら戦士のやつはまだ戦ってるかもしれないけどな」

「そうですね……、え?」

 いまさらっとすごいこと言いませんでした?

「ああ、期待はするなよ。万が一の話だから」

「どういうことです?」

「姉ちゃん、あのとき見てなかったのか?」

 コクコクと私は頷きました。

魔王と戦ったとき、すぐに勇者さんが殺されてそのあとずっと動転しきっていたので、戦いの趨勢に関してはまったく把握していなかったのです。

「勇者や姉ちゃんの使う攻撃呪文や瞬間移動呪文は魔王の使う結界で無効化されたけど、加速呪文や加撃呪文のような体内作用系の呪文は無効化されなかったんだ。それを踏まえて、戦士の得意呪文はなんだよ?」

「硬化呪文……え、でも、えぇ……?」

 戦士、フリュー=アルドリアンさんの得意呪文は硬化呪文です。鎧や肉体の強度を引き上げて物理攻撃のダメージを軽減する呪文。フリューさんはその達人で、大型の魔物の踏みつけや棍棒の一撃はおろか、誤射されたお城の大砲でも傷一つ付きませんでした。純粋物理攻撃でフリューさんを傷つけられるものはこの世に存在しないと思います。ですが。

「戦士さんの硬化呪文は攻撃呪文に対してまったく意味がないじゃないですか」

「あの結界だよ」

「結界?」

 闇刻結界のことですか? 呪文無効化の?

「結界呪文のことに関しては僕よりお前のほうが詳しいと思うが、“敵の呪文だけ”を一方的に無効化できるような都合のいい結界はありえるのか?」

「あ」

「あの結界は多分魔王自身の攻撃呪文も無力化する。ここまで言えばもうわかるだろ?」

 フリューさんの鎧は光が結晶化した概念武装『ディバインメイル』、使用者の体力をわずかなら回復する効果を持ちます。剣は『運命の剣』、この剣で切りつけた魔物の傷口から魔法力を吸い取り、剣の持ち主の傷を癒す力へと換える。

 フリューさんは元々継戦能力において頭抜けた性能を持っていました。

 生きているかも、しれない……?

 ルーくんは首を横に振りました。

「いや、悪い。やっぱり死んでると思う。億に一つくらいの可能性を語って希望を持たせるべきじゃなかった。忘れてくれ」

「そう、ですね」

 だったら。

「だったら早く助けにいかないと」

「行ってどうなる? 相変わらず魔王には呪文が効かない。姉ちゃんはもちろん、僕だって決定力の大部分を呪文に頼ってるんだ。足手まといだよ」

「それは、そうかもですけど」

「行くなら一人で行けよ。じゃあな」

 ルーくんは懐からキマイラの翼を取り出しました。瞬間移動呪文を代用することのできる魔法のアイテムです。

「待って、ルーくん」

「なんだよ?」

「助けてくれてありがとう。お世話になりました」

「……どういたしまして」

 ルーくんは少し照れた顔をしてキマイラの翼を使い、どこかへ飛んでいきました。

 私はまた一人になり、少しさみしくなったのでちょっと泣いておくことにしました。





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