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エピローグ



 ジドゥはゾルアの残骸を抱えたまま夢中で走り続けた。光の街を遠く離れ、平原を越えて人気のない森の中でようやく足を止める。

「ゾルア様……」

 いとし子のように抱き締めた黒い炭の塊の、表面が剥がれ落ちた。ぼろぼろと崩れ去った炭の奥の奥から、赤子が現れる。

「よくぞ俺を連れ出した。褒めて遣わすぞ。ジドゥ」

「ゾルア様!」

「ぬかったわ。やはりあの女、もっと早くに殺しておくべきだった」

 並みの魔法使いでは百人かがりでも<聖域>と<台座>抜きではラ・ルミアの召喚そのものが困難だというのに、独力で、しかも「卵」を任意に設定するなど裏技にもほどがある。いまさら悔やんだところで遅いが、ルイを使い潰してでもあれを殺しておくべきだった。首枷呪文を受けているルイを使った強硬策をゾルアが取らなかったのは、人間側の最も深いところに隠した手札を万が一にも不発に終わらせたくなかったからだ。結果としてこうしてゾルア自身の復活に一役買ったのだから、目論見は成功したと言えるのだが最善の結果を齎したとは言い難い。

 ゾルアはルイの肉体を乗っ取った暁には、内側から響くルイの悲鳴を楽しみたかった。例えば愛した女を自らの手で殺したとき、ルイがどんな声で泣き叫ぶのかがゾルアには楽しみで仕方なかったのだ。だがルイの魂はラ・ルミアに触れて浄化され、この肉体から離れている。実につまらない結末だった。肉の大半と魔法力のほとんどを失ったいまのゾルアは、魂だけで活動していた頃とほとんど変わらない。歯噛みする。

「ジドゥ、貴様を食わせろ」

「食わせろ、とは」

「そのままの意味だ。貴様の肉を寄越せ」

 ゾルアにとって配下とはそういうものだった。オウルウと同じ時代から存在する古の覇者であるゾルアにとって、他者は使い捨ての道具に過ぎなかった。だからジドゥの次の反応が予想できていなかった。

「そうか。そうですか、そういう愛の形もあるのですね」

 ジドゥは唇を舐めた。そして大きく口を開いた。

「ゾルア様、愛していますわ」

「――何を」

 がり、べきべき、みぢっ、ぐちゅぐちゅぐちゅ。ごくん。

「……美味しい」

 ジドゥはゾルアを愛していた。

 だから目の前の赤子に頭から齧りついた。骨まで残さず、血の一滴も零さずに、全身余さず綺麗に食べた。ゾルアと一つになることを望んだ。

「あなたの野望は私の野望。さあ、ゾルア様、共に人間を根絶やしにしましょう」

 いまにも踊りだしそうな歩調で彼女は歩き出す。

 胃袋の中のゾルアの存在を文字通り噛み締めて、彼女はとても幸福な気分だった。





 教会に所属する異端審問官、ウルゼン=エグラクーンはレクシエンス邸の扉を開けた。ジドゥが完全に魔族化しているのは教会にとっても想定外だった。ジドゥの配偶者であるアルエス=レクシエンスが何か知っていてもおかしくないと見て拘束のために踏み込んだ。ジドゥがこの場所に戻ってきている可能性もあるため、異端審問官の中でも最も強力なウルゼンが選ばれた。

 幾つかの部屋や広間を覗き、ウルゼンはこの場所に生きている人間が住んではいないことを確信する。埃の積もったテーブル、使われた形跡のない台所、どの部屋のゴミ箱にもなにも捨てられていない。

 そうしてアルエスの書斎を開けて、ウルゼンはため息を吐いた。

「遅かったか」

 そこには粘性のある白い糸に体をぐるぐる巻きにされて、すでに乾いているアルエスの姿があった。死後一週間ほどだろうか。腐敗臭が部屋に立ち込めている。


 



 誰かが自分の手を握っている感触で、フリューは目を覚ました。おぼろげな視界の中で女の姿が映る。

「ああ、ヒフミ。無事だったのか……」

 握られていた手に鈍い痛みが走った。

「ヒフミって誰よ」

「いっ……」

 ベッドに腰掛けて手を握っていたのは般若の表情をしたラミネで、フリューは知らない部屋に運び込まれていた。

「ここは?」

「万魔殿って場所。殿なんて名前がついてるのに、えらくこじんまりしてるのね」

 手を離してナイフを取り、誰かが見舞いに置いていった林檎の皮を剥き始める。

「へえ、血まみれの林檎だしてきた昔とは大違いだな」

「昔のことは言うな、バカ」

「泣き虫だったよな」

「あんたもね」

「そうだな」

 互いに苦笑する。ラミネが体調を崩す度にフリューがおろおろとして半べそをかいていて、あわてるフリューを見てラミネも釣られて泣き出したり、訓練のために生傷こさえて帰ってくるフリューを見てラミネが泣き出して、それに釣られてフリューも泣き出したり。

 二人ともお互いを失うことを極端に恐れていた。

 それはきっといまでも変わっていない。

「こっちの治療はどうだ?」

「ばっちり。教会にいたころより調子いいくらい」

「そっか」

 八等分された林檎を皿に載せて、フリューに突き出す。フリューが一切れとって齧る。

「あたしのことより、他に聞きたいことがあるんじゃないの?」

「いや、お前が最優先」

 臆面もなく言い放つ。「きも。鳥肌立ったわ……」なんて言いながらもラミネは内心の喜色を隠せていなかった。くすりと笑ったフリューの脳天に、なんだか腹が立ったのでチョップした。

「……あのあとどうなった? というか何が起こったんだ」

「あたしも万魔殿の人に聞いて、あんたに伝えてやってくれっていわれただけで詳しいわけじゃないんだけど」

 ラミネは先ずこれまでの経緯についてを話した。

 魔法使いと盗賊が死んだこと。万魔殿のリーダーと湊の国の騎士さんが重傷を負ったこと。レティアがあの場にいた全員を回収して万魔殿に運んだことを話した。

「レティアが?」

「ええ。んでみんなこっちで治療を受けて、元気になったわ」

「ヒフミとルイ以外は、か」

 目頭を押さえて沈み込む。

 フリューは元が軍人だ。生まれた国が魔物との戦いの最前線だったために、仲間や部下の死を何度も経験している。だから平気なはずだと自分に言い聞かせようとする。

(平気じゃないなぁ……)

 単純なことに気づく。フリューは軍人時代にだって仲間や部下の死が平気なわけではなかった。仕方ないと割り切れたわけでもなかった。無性に切なくなって、悲しくなって、フリューはラミネを抱き寄せる。「痛いよ」背中に手を回しながらラミネが言う。

 そこは世界で一番居心地がいい場所だった。ラミネは仲間を守りきれなかったフリューを責めない。魔族を倒しに行けとも言わない。ただ受け入れてくれる。このまま安寧の沼に沈んでいたかった。今回のように人間同士で殺しあうのも、魔族を倒すために命を懸けるのもうんざりしていた。かつて世界の救済を背負い、使命感に満ちて旅立ったフリュー=アルドリアンは、勇者が死に、ヒフミが死に、ルイが死んだことで根元からへし折れてしまった。

「……えっと、お邪魔でしたか」

 レティア=フォルスが開いていたドアの向こうからひょっこりと顔を覗かせた。ラミネと目が合って、彼女の顔がおかしな形で固まる。「ふ、フリュー、おひゃく、お客さん」フリューを引き剥がそうとするが、前衛系で膂力に優れたフリューはラミネを離さなかった。

「なんだよ?」

 首だけでレティアを見る。

「ライルさんが呼んでるので来てください」

「お前、万魔殿の使い走りになったのか」

「そんなところです。教会を追い出されました。ザイエスさんは処刑で、俺はなんかよくわからないけど、命令を受けた側だから処刑はできないらしくて代わりに追放って。まあ処刑ってなったら暴れてましたけど」

 命令者だけが責任を負い、実行者は責任を取らないという軍法的な解釈だ。

 教会法でも同じような適用がされることがあったのだなぁと思う。大司教の権限がアホほど大きいせいでそうしなければならなかったのか。あるいは先ほどいっていたようにちょっとした勇者クラスの戦闘力を持っているこいつを下手に処刑しようとすれば、暴れられて大変なことになると思ったのか。

「ふうん」

「どうしますか? またあとでっていうなら伝えておきますけど」

「いや、行く。悪いな。ラミネ、ちょっと行ってく」

べちん。

頬をひっぱたかられた。

「ひ、ひとの耳の横で、ぼそぼそ喋るな」

 顔を真っ赤にしたラミネが叫んだ。




 包帯をぐるぐる巻きにしたライルが、フリューとレティアを出迎えた。

「調子はいかがですか?」

「悪くないよ。治療してくれたんだってな。費用あとで請求してくれ」

「お構いなく。それよりも今後のことについてお話しましょう」

 フリューが頷く。ライルはレティアが擬似勇者であること、その魂が魔王を元に作られたこと、それからフリューが眠っていた間に調べ上げられた様々なことを語った。フリューはため息をつく。

「勇者のパーティはもう俺一人しか生存していない。ジドゥって女はおそらく今後魔物を率いてくる。ゾルアの遺体も持って行ったそうだが、それも気になるな。あと黒の大地の動向か。厄介事ばかりだな」

「そのあたりですね。魔王を初めとして有力な魔族の多くはあなたがたが討ちましたが、未だ残る魔族達に不穏な動きがあります。勇者亡きいま、まともに激突すると非常にまずい」

「どうするつもりだ」

「彼を勇者にでっちあげます」

 レティアを指す。当の勇者様は苦笑いしながら頬を掻く。

「稲妻の勇者じゃない勇者なんて、誰も勇者とは……、ああ、そういうことか」

「ええ、ヒフミ達が倒した魔王を彼が倒したということにします。六十一代勇者のように、稲妻の勇者でない勇者自体には前例がありますから。しかし彼は陣頭に立たせるには戦闘能力以外の部分で不安なわけです。なのであなたに同行して欲しい」

「正直遠慮したいな」

 間接的ではあるが、ヒフミの死因を作ったのはレティアだ。

フリューとしてはあまり仲良くしたくない。

「ちなみにお前はそれでいいのか」

 レティアに向けて訊ねる。

「うん、そっちのほうが俺の目的にも早くたどり着きそうだし」

「目的?」

「ア・ルミアを探してるんだ」

「なんで?」

「俺の体はゆっくり魔族に変化していってる。いずれ完全に魔物になって俺の自由意志はなくなるだろう。ジドゥみたいに根元から乗っ取られる。ア・ルミアの力ならそれを食い止められる、はずなんだよ」

「それでヒフミを狙ったわけか」

 あいつがア・ルミアを持ってると勘違いして。

 教会に唆されて。身勝手なことに。

「そう。身勝手にね」

 レティア自身も苦笑している。

「まあ、俺も同じ立場なら似たようなことをやるだろうよ」

 あっさりとヒフミ達を裏切ってラミネのために行動した自分を思い出す。

 ヒフミ達の死因を作ったのは他でもないフリューでもあった。溜め息しか出ない。こんなことになるなんて思いもしなかった。ヒフミと自分ならば絶対に自分のほうが先に死ぬと思っていたのだ。それだけヒフミの力量を信頼していた。彼女に甘えていたのだ。

「ゆっくり考えさせてくれ。俺はいま何もしたくない気分なんだ」

 ライルが頷く。彼だってほとんど同じ気分だった。彼はヒフミを熱烈に愛していた。ちょっと周りが見えなくなるくらいに。それにどちらかといえばストーカーチックというか病的というか悪い方向の愛し方だったけれど。

「ヒフミに会いたいんだが、遺体は?」

「保存してあります。レティア、案内してくれ」

「わかった」

 フリューとレティアは部屋を出て、階段を下り地下へと向かう。

「お前、随分殊勝だな?」

「借金……」

「は?」

「借金を被せられたんだ。首が回らないくらいの。神殿壊したり、色々してたのが全部賠償金になってて、その債権を万魔殿が買い取った。向こう三十年くらいは万魔殿の奴隷だよ……」

 どんよりした表情で言う。踏み倒せばいいのに、と思ったが優秀な魔法使いが多く集まっている万魔殿が相手ではそうもいかないのか。そもそも踏み倒そうとしたら、フリューにひっ捕まえてくるように依頼が回ってくるかもしれない。ラミネを与ってもらっている恩があるから、そうなれば多分フリューは引き受けるだろう。

「ここだよ」

レティアが扉を開けた。上よりも随分寒い地下室に、ヒフミの遺体は安置されていた。ヒフミの遺体には目立った外傷はなかった。左腕と首に無理矢理肉を埋めたような痕が残されているだけ。わずかに発光しているその傷痕は、ルミア化の影響によって繋がれたのだろう。ヒフミの遺体はいまにも動きだしてもおかしくないくらいに美しかった。なんとなく呼吸を確かめたがやはり止まっている。ひどく満足げな表情で死んでいるのが、フリューには気に入らなかった。

「死因は?」

「魂を失ったことだね。あんまり強い魔法力を自分の体に招きいれたせいで、体より先に魂が燃え尽きたんだ」

 魂の焼失。

 純正の魔法使いではないフリューにはその意味はよくわからない。

 遺体はこんなにきれいなのに死んでいるのが不思議だった。

「さっきの話だけどさ」

「……」

「“冥王”に会いに行かないかい?」

「冥王?」

「冥界って場所に住んでいる魂の管理者だ。俺もそんなに詳しいわけじゃないんだけど、ダークドリームがそういうやつがいるって言ってる」

「ダークドリームっていうとお前の中に入ってる魔王だよな? 対話ができるのか」

 レティアは頷いてみせる。

「こいつは人間に対して友好的じゃないけど、敵対的でもないんだ。強いやつと戦えたらどうでもいいんだそうだ。んでダークドリーム自身は冥府の番人に興味があるらしい」

「それで?」

「ヒフミさんに肉体的な損傷はない。ここに保存されている分にはこれ以上生命力を失うこともない。だから冥王とあって彼女の魂を呼び戻すことができたらあるいは」

「目を覚ますかもしれない、か」

「ぶっちゃけ冥界がどこにあるのかも知らないんだけどね。それに冥王と会ってもヒフミさんの魂を呼び戻せるのかもわからない。めちゃくちゃ不誠実な誘い方なのはわかってるけどこれくらいしか飴玉がないんだよ。俺はあなたが来てくれると心強い」

「……少し考えさせてくれ」

 フリューは満足げなヒフミの顔を見つめる。出来れば生き返って欲しかった。だけどふと思う。ヒフミはわざわざこの世界に戻ってくることを望むのだろうか。勇者が死んでからずっとずっと泣き続けていたヒフミは、再びこの世界に戻ってくることよりも死の世界の安息のほうを喜ぶのではないだろうか。それはひどく寂しい考えだったけれど的を射ているような気がした。




 翌朝まで考えた末に、結局フリューは行かないことに決めた。疲れてしまった。戦う意味も見失っていた。魔王を倒したし、ラミネのための環境も確保できた。その環境を維持していくこともできる。

 現状で何も不足はなく、フリューの望みは完全に叶えられていた。それなりに気に入っていた勇者もヒフミもルイも死に、守りたいものは一つしか残っていない。だからその傍にいることだけを望んだ。

「そういうわけだから俺はついていかないよ」

「そっか、仕方ないな」

「行き先は決まってるのか」

「松の国だ。このところ魔物が頻出してて、落ちそうになってるらしい。一暴れしてくる」

「おう、せいぜい頑張れ。借金返せるようにな」

「思い出させるなよ……」

「一人で行くのか?」

「いや、万魔殿から監視の魔法使いが一人ついてくることになってる。たしかクロノって言ったかな」

「そうか」

 ライルからすれば剣も魔法も使える万能手のレティアに、魔法使いのクロノ、戦士のフリューでバランスを取るつもりだったのかもしれない。ライルには悪いことをしたなぁと思う。どうでもよかったが。

 フリューはペンダントを外した。フリューが身に纏っていた薄い光が消える。

「餞別だ。やるよ」

 受け取ってから怪訝な顔をする。

「なにこれ?」

「ディバインメイル。伝説の防具だ。身に纏っているだけで防御力が上がるし、回復効果がある。多少なら魔法のダメージも軽減してくれる」

「い、いいの……?」

「俺が持ってても無用の長物だからな」

 レティアがペンダントを身に着けると、彼の体が薄い光を纏った。

「ありがとう。使わせてもらうよ」

「いや、悪いな。一緒にいけなくて」

「自分の命を賭けるのに他人に強制されたから、なんてのは変だろ。それでいいんだよ」

「……」

 フリューは勇者を思い出す。勇者は普通の青年だった。恐がりで本当は戦いなんて出来ないような、どこにでもいる、笑顔の似合う普通の青年。臆病だから少しでも早く敵を倒して不安を消そうと突出して、ヒフミとフリューは随分な迷惑を被ったものだ。好戦的な言動もそうした不安感から来たものだとフリューは思っている。

 命を賭けることを強制されたから。

「どうしたんだよ。急に黙って」

「なんでもないよ」

 レティアと勇者を少しだけ重ねて。

 魔王の魂を持つ呪われた青年を、フリューは哀れに思った。

「なぁレティア、死ぬなよ」

レティアは不敵に笑って応える。

 不安を掻き消すように。




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