優しい眠り
ライルの魔術師分類は魔詠口封士と呼ばれるものです。口封士は他の魔法使いとは一線を画する性質を持っています。それは他者の魔法に対して直接干渉することができることです。例えば私が相手の火炎呪文に対抗するには、同じ火炎呪文をより強力な規模でぶつけて相手の炎を飲み込んでしまう、爆裂呪文によって酸素の供給を断つ、氷刃呪文によって熱を打ち消す、などの手段があります。しかし口封士の呪文は、魔法が発生する前、魔法式の段階で介入し、妨害することによって相手の呪文を不発や暴発させることができるのです。
ジドゥと呼ばれていた女が、三度目の極大氷刃呪文を試みました。ライルの手から伸びた青白い光の鎖が、呪文として発生する前の魔法力に介入。「暴発」ライルの呟きと同時に歪な氷刃がジドゥ自身に襲い掛かりました。六本ある腕の半分と右足が巻き込まれて凍結。すぐに振り払らいましたが、ローレンさんが懐に飛び込んでいます。
半分の腕が凍り付いてもまだ三本も残っているジドゥの腕がローレンさんを迎撃。ローレンさんの剣とジドゥの槍の一つが重なりました。その瞬間、ローレンさんの姿が掻き消えました。背中側から跳躍して切りかかった別のローレンさんが、剣に胸を貫かれますがやはりこれも消失。伸びきったジドゥの腕に向かって別のローレンさんが剣を振るい、手首から先がぼとりと落ちます。どうやらあのローレンさんが本体のようです。そしてまた幻のローレンさんが複数現われ、本体は幻の中に紛れていきます。
幻剣士と呼ばれる、幻惑呪文を主体に複数の補助呪文を組み合わせて戦うタイプの戦士です。直線の強さではフリューさんの足元にも及ばないでしょうが、これはこれでとても厄介な戦士です。弱点は幻と本体を両方とも巻き込んで攻撃することのできる広域系の呪文ですが、「不発」口封士のライルが大規模な呪文を封じているためこの場においては非常に有用な戦術のようです。
前衛のローレンさんをまともに相手にするべきではないと断じたジドゥは、後衛のライルに狙いをつけます。フリューさんのように敵を受け止めることが得意ではないローレンさんは前衛のくせにジドゥのことをライルの元まで通してしまいます。
「舐められたものです」
呟いたライルの足元から、無数の影の刃が伸びました。ジドゥさんの武器を押し返し、肩を掠めます。シェイドの“影の剣”ですね。正式の呪文名は『地閃呪文』だったはずです。ライルの影の中に潜んでいるのでしょう。ライルの手から火炎呪文が放たれ、ジドゥはそれを回避せざるを得ません。逃げ際を狙ってローレンさんが投げた短剣が足を掠めました。
……勝てそうです。レティアさんよりあのジドゥという人が弱いのかなぁと思っていたのですが、そういうわけでもなさそうです。単に口封士ライルの呪文を中心に戦術がうまく回転しています。あの三人が強いのです。どうやら私は相当傲慢になっていたようです。私やルーくん、フリューや勇者さんでなくとも、強い魔族に勝つことができるんですね。
それはさておき。
ルーくんが一向に回復する兆しが見えません。むしろ悪化しています。なにが原因なのかもまるでわからなくて、不安が胸を侵しつつあります。ルーくんはいったいなんの呪文を受けたのでしょうか。
「……げて」
「え?」
「……て」
「ルーくん? 大丈夫ですか。ルーくん」
「逃、げて」
ルーくんは瞼を閉じました。体から力が抜けます。死、ん、じゃった……?
ルーくんの指先がぴくりと動きました。安堵したのも束の間、ルーくんから溢れた魔法力に私はゾッとしました。咄嗟に手を伸ばし、ノエルに触れて瞬間移動呪文を使います。ノエルの姿がこの場から消えます。一人分は間に合いましたが、二人分は間に合いませんでした。ルーくんの手から伸びた黒い刃が私を切り裂きました。
肩口から切断された私の腕が地面に落ちました。首を狙った軌道でしたがルーくんが警告してくれたおかげで咄嗟に身を引くことができました。真っ黒な血が教会の白い床を染めていきます。私は即座に回復呪文を唱えて出血を止めようとしましたが、どうやら刃になにかの呪いがかけられていたご様子。細胞分裂はうまく行われず、出血が止まる気配はありません。仕方ないので閃熱呪文を傷口に投射しました。
「い、あぶうううううううう」
痛すぎて変な声が出ましたし、蛋白質の焦げる匂いで吐きそうになりましたがとりあえず血だけは止まりました。
「ほう、見上げた根性だ」
ルーくんの顔に似合わない嘲笑を貼り付けた誰かが、痛みで悶絶して蹲る私を見下ろします。薄く纏った黒い魔法力は結界呪文の一種でしょう。おそらく魔法の効果を減衰させるもの。
「なんですかお前は」
「見ればわかるだろう? ルイ=ライズだよ」
「ルーくんはそんなアホみたいな顔してません」
「勇ましい女だな。やはりお前は最優先で殺すべきだった。ルイめ。ほだされおって」
「! おまえは……」
ルーくんの上役の魔族、ゾルア、ですか?
しかしこいつはルーくんに魂を食われて砕かれたんじゃあ?
「おいおい、あの小僧ごときに俺の魂を食い尽くせると本当に思っていたのか貴様は。分断された魂を再構築して乗っ取ってやっただけの話だ。ああ、貴様の注いでくれた回復呪文の魔法力、美味であったぞ?」
「っ……」
ではこいつをこうして復活させてしまったのは、私のせいですか。
黒い刃を両手に発生させたゾルアがゆるりと間合いを詰めてきます。体からは莫大な魔法力が放射され、瞬間移動呪文を封じています。
「こないで」
私は極大爆裂呪文を二重に構えました。やはり嘲笑する表情のままルーくんの顔をしたゾルアが迫ってきます。
「聞こえんな」
「こないで!」
二重発動した極大爆裂呪文がゾルアのいた空間を粉々に破砕しましたが、肉片の代わりに飛び散ったのは氷の欠片でした。魔法力で作り出した巨大な氷で私の呪文を防いだようです。熱と衝撃の両方を与える爆裂呪文ですから、それを防いだこの氷の強度も並大抵のものではありません。透明な氷の奥には余裕の表情を崩さないゾルア。
しかし氷であればまだやりようがあります。爆裂呪文によって瞬間移動を妨害していた魔法力は吹き飛びんでいました。私は瞬間移動呪文を発動して、二十七個の魔法陣を召喚します。
さすがに少しゾルアの表情が変わりました。それらの魔法陣が一斉に閃熱呪文を吐き出しました。元々はレティアさんの対策に考えていた呪文です。閃熱呪文は光による攻撃であるため、妨害の手段が非常に難しいのです。私によってコントロールされた光の嵐は、氷の壁をプリズムのように屈折しながら透過してゾルアの肉体に届きました。瞬間、氷が砕けてバラバラになった鏡面が光を拡散します。再び魔法力で空間を埋めてゾルアが疾走。さすがに魔法陣の召喚に魔法力を注いでいた私は咄嗟に動けません。爆裂呪文を放って目晦ましと足止めを狙いましたが、片腕で爆発を払われてしましました。肉体を覆った魔法力が強すぎて下級の攻撃呪文ではダメージが与えられないのです。くそが。
極大呪文を詠唱しますが、一瞬相手が速いです。
魔法力で出来た黒い刃が迫ります。せめて相打ちにと構えた極大火炎呪文はきっと届かないでしょう。
青白い光がゾルアに絡みつきました。ライルから放たれた妨害呪文の光。魔法力で作られた黒い刃が消え去り、ゾルアの腕が空振ります。一瞬の空白の後、私の放った極大火炎呪文が直撃しました。
「ぐ、が」
肉の深部まで炭化させる威力を持つ火炎の地獄の中でゾルアが喘ぎます。が、その歩みは止まりませんでした。焼かれるがままに前進して私の胸元を掴んだゾルアがそのまま私の体を壁に叩きつけました。「か、はっ」肺から空気が漏れ出し、呪文の詠唱が途切れてしまいます。
ゾルアの背後では、こちらに気を回したせいでジドゥに押し込まれているローレンさんとライルの姿が映ります。ライルに向けて襲い掛かったジドゥさんをローレンさんが庇いますが、その瞬間に火炎呪文がローレンさんを捉え、火炎に怯んだローレンさんを槍の一撃が貫き、壁に縫いとめました。ローレンさんという前衛を失ったライルにジドゥが集中します。六本もの腕から繰り出される多彩な攻撃をライルとシェイドはどうにかしのいでいきますが、それでもそのうち限界が来ました。妨害呪文が片方の手の作る呪文を阻害しましたが、裏に隠していたもう一つの手から閃熱呪文が放たれました。光に焼かれるライルを剣が追撃。シェイドがいなしますがローレンさんの補助がなければ一人で六本腕は捌けません。ライルの腹から血しぶきが上がりました。影を貫いた槍が引き抜かれ、地面から血だまりが溢れます。そこへ満面の笑みを浮かべたジドゥがすべての武器を手放し、六本の腕から魔法力を密集させて極大閃熱呪文をぶちかましました。ライルは妨害呪文を唱えていましたが、魔法力に差がありすぎたためかまったく効果がありませんでした。全身が焼け焦げたライルとシェイドが気を失って地面に転がります。
ジドゥが恍惚とした表情で、ゾルアの元に跪きます。
「お会いしとうございました。我が主、ゾルアさま」
「ああ、大儀だった」
ゾルアは思い出したように私を捻り上げると、黒い剣を振るって私の首を切り落としました。
負けました。私達は圧倒的に敗北しました。ゾルアが私の体を放り捨てます。首だけの私はルーくんの姿をしたゾルアを見上げます。
私は即死してはいませんでした。多分咄嗟にショック死を避けるため、斬られる前に回復呪文を使って首から上と下の組織を収縮させて失血を防いだためです。ですが血液が循環していないのでもう数秒もしたら意識はなくなりますし、一分もすれば死んでしまいます。
「ねえねえルーくん。このまま私を殺して魔王として生きるのと、私と一緒に死ぬのではどちらがいいですか?」
私はなるべく大きな声で言ったつもりでしたが、その声は蚊のはばたきよりも小さかっ
たんだと思います。それでも音響呪文に優れたルーくんは私の声を聞き取って、どうにかこうにか唇のほんのわずかだけ体の支配権を奪い返して、私の首を見てはっきり口を動かしました。
「シニタイ」
そうですか、そうなんですか。もちろん私は魔王として生きたいとルーくんが望めば、そのままなにもせずに死ぬつもりでした。勇者さんのいないこの世界なんてまるでどうでもよかったですから。だけど、ルーくんは死にたいんですね。恐怖と絶望を撒き散らす魔王として生きることを望まないんですね。わかりました。私はきっともうどうやっても助からないですから、だからせめて一緒に行きましょう。
ルーくんの顔をしたゾルアが、私の持っていた道具袋が光っていることに気づきます。黒い剣を振り上げましたが、もう遅いです。
魔法具に書かれた無数の式が連結して、私の魔法力を数千倍に膨らませました。あのとき試してみて多分できるんだろうなぁと思っていたんですが、やっぱり出来ちゃいましたね。私の体と首はそのものすごい魔法力が放つ光に包まれて、刃が光を引き裂いたときにはもう変化は終わっていました。
光が止んで、私が立っています。首と左腕はきちんと胴体に繋がっていてどこからにも傷はありません。背中には虹色の光を放つ翼。ベースこそ人間の肉体ですけれども、うっすら発光しているその肌はもう人間のものではありえませんでした。
「……なにをした?」
「ルミア化、とでも名づけましょうか」
いまの私はラ・ルミアと同一の存在です。私は《ラ・ルミアの六つの卵》の力を使って私自身を六つ目のオーブと卵にしてラ・ルミアを誕生させたのです。ソウルイーターの時に似たようなことをやったので、多分できると思っていました。もちろんこんな力技が長く持つはずがありません。五分もすれば私は強すぎる魔法力に分解されて消えてなくなるでしょう。一部だけを取り込んだソウルイーターのときと違って、丸ごとラ・ルミアを取り込んだいまの私にはこれを解除することも出来ません。つまり一時の力の代償に、あとは死ぬだけです。
ゾルアは刃を振り上げて私を切り裂きましたが、聖なる稲妻の化身たるルミアを刃で切り裂くことはできません。割かれた部分から雷と化した私は、光速の三分の一の速さの稲妻の筋と化しました。
「極大氷刃呪文」
ゾルアが唱えた魔法によって、稲妻の進行路に巨大な氷壁が出現します。莫大な魔法力によって絶対零度付近まで温度を下げられた氷が、超伝導現象によって稲妻の進路を固定します。が、関係ありません。数千倍まで膨れあがった魔法力を用いて氷の塊に電熱を与えて融解させ、強硬突破。ゾルアの目の前に現われた私はにっこり微笑んでみました。ゾルアは自身の黒い魔法力で稲妻を防ごうと試みます。私はその魔法力を、まるっと瞬間移動呪文で彼方へとふっ飛ばしました。
「なっ……」
私は私を構成するすべてを雷に変えてルーくんを抱き締めました。
「一緒にいきましょ。ルーくん」
脳髄が沸騰して全身の筋肉が焼ききれてルーくんが絶叫します。「大丈夫、一人なら恐いですけど二人ならきっと恐くないですよ」私の中でルーくんが焼かれていきました。私を好きだといってくれたルーくんが私に焼かれて黒く炭化していきます。肉を持った人間から灰と炭の塊へと変わっていきます。私はそれを喜びました。
なんだ好きな人と一つになるのはこんな簡単なことだったんだなぁと思いました。勿論私の好きな人はもう死んでしまった勇者さんで、ルーくんはただの年下のかわいい男の子でしかありません。そもそも私は大好きな勇者さんが相手なら魔法力で守られた肉体をゆっくりとじっくりと焼き殺すような、こんなひどいことはできなかったでしょう。ルーくんは私にとって勇者さんの代用品でしかありません。それでもなんだか嬉しかったんです。
そうしてすべての魔法力を使い尽くして、黒焦げになったルーくんとルミアの抜け殻と化した私がいました。私は私が崩れていくのを感じます。床板を踏み外してしまったような浮遊感の中で私は意識を閉じました。あとは優しい眠りが疲れた私を終わらせてくれるでしょう。
「ぞ、ゾルア、さま……?」
黒焦げの塊は答えない。復活を遂げた彼女の主は、再び肉を失って炭の塊と化した。
沸騰するような怒りがジドゥを突き動かした。主を焼き尽くしたあの女の遺体を粉々に打ち砕かなければ気が済まなかった。その瞬間、ジドゥのすべてはそのためにあって、他の全てのことは意識の外だった。だからフリューが振るった、伸張呪文を帯びた剣にまるで反応できなかった。フリューの剣がジドゥの腕を二本まとめて刎ね飛ばした。
「汚い手で、俺の仲間に触れるな」
胸に穴の開いたフリューが荒い息を吐きながら立塞がる。ジドゥは一瞬だけ逡巡したが、黒焦げになったゾルアの死体を抱えて跳躍し、逃げていった。
「ヒフ、ミっ」
膝をつく。補助心臓で無理矢理動かしていた体が戦闘に耐え切れずに悲鳴を上げていた。ひどく寒かった。失血と痛みに耐え切れず、フリューの意識もまた途切れる。




