1話
森で迷子になっている私。
……日は沈み、獣の鳴き声が遠くから聞こえる。怖くて涙が溢れて、お腹も空いて動けない。そんな時、お空から彼がやってくるの。
――アンパンマン。
私に優しさをくれて、二人で一緒にお空を飛ぶの。高く、早く、どこまでもどこまでもどこ「……!」
――……えっ。
「……に……れたでしょ!」
――……私は現実へと引き戻される。
「お医者様に安静にしなさいって言われたでしょ! 外なんて覗いていないで早くベッドで横になっていなさい!」
ここは、森でもない冷たい病室。この人は私のお母さん。
「まったく、また妄想でもしてたの!? ちゃんと安静にしておかないと退院できないわよ!」
私は知っている。この体は、もうダメって事。お母さんは気付いていないけれど、前にお父さんと病室の外で喧嘩していた。そして、それが聞こえてしまった。私の病気は重く、今にでも命が消えてもおかしくないって事。私が消えたら、お父さんとお母さんは別れるって事。
……聞いてしまった。
「ほら、食べたいって言ってたアンパン買ってきたわよ。お母さんこれから仕事だから、ちゃんと横になっているのよ!?」
お母さんは、そう言い残すとアンパンを置いて気早に病室を去って行った。
――寂しい。
「……が君の幸せ…何をして喜ぶ、解らないまま終わる、そんなのは……」
涙を零し歌いながら、私はアンパンにマジックで顔を書いた。
「そんなのは……嫌だ。忘れないで……夢を。忘れないで……うぅぅ」
――私は声を堪えて泣き続けた。
アンパンマンは実際に居る訳じゃない。涙でふやけ気味のアンパンを掴み、壁へ投げつけた。
「……泣くなよ。ボクが居るよ。君は飛ぶんだ、どもまでも。どこまでも」
「……消えたく、ないよ」
「痛ェなゴラァァァ!!」
――えっ。
「俺の体は繊細なんだから、壁なんかに投げつけんなやハゲ!!」
――は?
「何を泣いてんだハゲ。アレか、幸せになる壺とか買っちゃったか。それとも怪しいサイト見ようと詐欺URL踏んだか。取り敢えず3秒で泣き止みな! グズは嫌いだよ!」
さっき投げたアンパンに、まるで落書きの様な黒い不細工な線で手足が生えている。
何て事なの……私は、アンパンマンを作ってしまったの? しかも、カッコ悪くてガラも悪い。意味が分からない妄想の世界の様だけど、現実なのかと考えたら夢の様に覚めてしまいそうだから、私は現実を振り払った。
願望なのか妄想なのか、答えが出る事から目を背けつつも、私の知るアンパンマンのお話を、この変な彼に話した。
「あぁ、んじゃあアレだな。お前はジャムおじさんって野郎だな。辛気臭いし」
「わ、私がおじさん!? おじさんじゃないし!」
「んで、俺がしょくぱんまん様な」
「いや、アンパンだよ! アンパン以外の何物でもないよ!」
「いやいやいや、俺は美形だろ! ジュノンとかジャニさんとか引く手数多な雰囲気だぜ!? だぜ!? アンパンとかダサいし! おすし! やすし!」
「ダサくない! あと、やすしって誰!?」
アンパンマンは私の現実逃避の王子様。そんな私の目の前には、その、王子……様?
少し戸惑う私に彼は言った。
「よし! 一緒に飛ぶぞコノヤロ! 元気ですかコノヤロ! アイキャンフライ!」
外はいつの間にか夜の闇が支配していた。夜空と街の輝き。何方からも輝く光りが、不細工な彼の顔を少しだけ綺麗に照らす。
私はアンパンマンと手を繋ぎ、空を飛ぶ。引っ張られるでも押されるでもなく、ふわりふわりと体が浮かぶ。
「ねぇ! ねぇっ! 凄いよ! 私、飛んでる!」
――次の日も、その次の日も、私達は空を飛んだ。上へ下へ……普段過ごす、あの自由な森とは程遠い病院と云う柵から解放される。