第十二話 二周り目の現実
今回はシリアス目のお話です
翌朝、俺はスマホのアラームで眠りから引きずり起こされた。
最近はずっと朝食を食べにきた愛音がお袋に頼まれて寝室まで起こしに来てくれていたので、機械の音で目が覚めるのは久しぶりだ。
確か昨日からあいつの両親が帰ってきてるんだったな。両親が在宅しているときは当然あいつも自分家で朝飯を食べるのでしばらくは愛音コールで起こされることは無いだろう。………べっ、別に残念だなんて思ってないんだからねっ?!
ふああ………、とあくびをしつつ、制服に着替え、当番の親父が作った飯を食べ、歯を磨いて、身なりを整えてから家を出る。
「ん?」
自宅の門の前にいつもなら居るはずの栗色のセミロングの姿が見えない。まだ家を出てねえのか? アイツは早起きだから俺より遅いなんてことはめったにねえんだが。
首を傾げつつ菟田野家のインターフォンを押すと、すでに愛音は家を出た後だという。
ふむ? あいつ今日は日直か何かだったのか。
それともあいつが所属している美化委員の校内清掃が今日だったか。そ
れならそれで律儀な愛音は俺に一声掛けるなりメールをくれるなりするはずなんだが。それに一周り目のときはそんな用事であいつが先に行くなんてことはなかったはず。
………。
なんか嫌な予感がするな。他の三人については目星が付いたし、今日はあいつに俺たちに待ち受ける未来についての話をしようと思ってたんだが。登校中に前フリをする予定が狂っちまった。まさかこれも『修正力』の………?
………いや考えすぎだな。これまでも何とかムリクリ筋道はつけてきたんだ。ましてや相手は愛音、お隣さんで幼馴染だ。まさかてこずる事はあるまい。
それより先にあの三人に俺達の身に降りかかる災厄を信じさせる方法を考えねえとな。どう考えてもこっちのほうが難題だろう。
さあてどうしようかな………。
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「というわけで集まってもらったわけだが………」
放課後。視聴覚室。ほとんど奇跡的なタイミングでスケージュールがかみ合った梨璃花、優奈、御白を前にして俺は一筋の汗をこめかみに垂らす。というのも、
「………」「………」「………」
空気が悪い。
なんか三人が三人とも不機嫌そうだ。
弁当を一緒に食べるときみたいに机を何個かくっつけて、俺が上座に一人座っている感じなのでよく分かるのだが、お互い胡乱げに視線を交し合って、さっきから一言も会話が無い。
スケジューリングがうまくいったときは「流れが来た!」なんて思っていたんだが、これは一体どうしたことだ?
「………質問があるのですが」
代表するように梨璃花が挙手した。俺が促すと、他の少女たちの様子を窺いながら言った。
「この方達はどなたでしょう?」
「ん? いやどなたって………」
言いかけて気付く。
そうか。そうかそうかそうか!!! しまったあああああああああ!!!
こいつら初対面じゃねえか!! 2周り目のこいつらはまだ互いに面識がねえんだ!!
くそ! 真面目な話だって分かるようにわざわざブレザーまで着て来たってのに、こんな初歩的なことを見落としていたなんて!
「ちょっと黙ってないで説明しなさいよ」
優奈が整った眉を顰め憮然とした表情で俺を睨んでくる。
「あんたが話があるって言うから部活を休んでまで来てあげたのに。ていうかあたしてっきりあんたが………」
「ん? 俺が何だ?」
なにやら後半ポショポショと口ごもるような感じになったので尋ね返してみると、
「べ、別になんでもないわよっ!!」
いきなりキレた。なんだそりゃ。なんで怒ったのかさっぱり分からん。
そして御白は、
「あっ。セーブするの忘れた」
………すいません。先ほどの記述を訂正させていただきます。
俯いて肩を震わせているから不機嫌なのかと思っていたが、机の下でPSPをやっていただけでした。
ときおりちらちらと視線を上げていたのも、机の上に出したスマートフォンで攻略サイトを見ていたかららしいな。何処までマイペースなんだコイツは。
微妙な空気なのは確かだがともかく事情を説明する。今日はお日柄が悪いから解散というわけにはいかん。卒業旅行までもうそんなに日にちも無いしな。
俺は話した。全部洗いざらい。
俺たちが一周り目に知り合っていたこと。
優奈と梨璃花にいたっては俺に告白したこと。
しかし卒業旅行で爆発事故に巻き込まれ、愛音、梨璃花、優奈の三人は死亡し、御白は行方不明、俺もおそらくは致命傷を負ったこと。
そのとき生首状態の神娘が現れ、俺たちを厨二病的力で九月一日の時点まで戻したこと。
俺が今まで梨璃花たちに接触しようと躍起になっていたのは、彼女たちを最悪のデッドエンドから遠ざけるためであること。
「………と、いうわけなんだ」
全てを話し終えた俺は息を吐いた。長い話になった。長くて、―――本当に荒唐無稽な話だ。
案の定、
『………………………………』
視聴覚室は異様な沈黙に包まれていた。お世辞にも居心地がいいとは言い難い空気だ。
最初に口を開いたのは梨璃花だった。
「私たちが修学旅行で事故にあって死ぬ………」
無機質な口調だった。
「そんなお話をあなたは信じろとおっしゃるのですか?」
その視線もまるでたった今冷凍庫で急速に冷やしたかのように熱を失っていた。
今すぐにでも俺と話すことに興味を無くし、その後二度とは視界に入れないんじゃないか、そんな恐怖を覚えるほどに。
「っていうか!」
次に声を上げたのは優奈だった。こちらは梨璃花と対照的にテンション高めで、
「あたしがあんたに告白したって何なのよ!! 妄想も大概にしなさいよね!!」
怒りのためか顔を真っ赤にして怒鳴る。さらにちらりと梨璃花に目を遣って、
「そっ、それに浮島さんまであんたを好きだったなんて………。あんた自分がモテメンだとでも思ってんの?! 馬鹿じゃないのっ?!」
………………。
………まあ御説ごもっともなんだが、梨璃花と優奈に告白されたのは事実だからなあ。
もっとも告白のことを話したらややこしいことになるだろうとは思ってたけどな。
でも二人に好きだと告げられたことは俺にとって無かったことにはできない大切な記憶。
話さないわけにはいかなかったんだ。例えそれが合理的な判断でなかったとしても。
それに俺は決めてるからな。『難しいことを考えず思うままに行動する』って。それが世界の『修正力』に対する俺の唯一の方針だ。だから自分が話したいと思うことは話すぜ。
「………信じられないのは分かる」
俺は冷・熱二つの視線に耐えながら口を開く。相変わらずPSPに熱中している御白の様子も窺いつつ、
「でも本当のことなんだ。信じてくれ」
今までの人生の中でもっとも真摯な願いを込めて二人を見つめる。しかし、
『………………………………』
帰ってきたのは困惑よりは呆れの成分が多分に混じった沈黙だった。
二人の視線は完全に、頭の中のお花畑に蝶々を舞わせている奴を見るそれだ。
俺は親しかった少女たちの冷たい態度に唇を噛み締めながら、何とか彼女たちを説得する方法が無いかと考える。
―――だが駄目だ、というか自分が二人の立場でも信じるとは思えねえもんよ。
でもこのままじゃあデッドエンドまっしぐらだ。くそっ! 俺がもっと頭の回る奴だったら! 自分の愚かしさに頭を抱えたくなる。自分自身に腹が立ってくる。
なんでもっとうまく出来ないんだ!! アニメやゲームの主人公みたいに少女たちを納得させる言葉を俺はどうして考え出すことが出来ない?! あいつらの言葉はどうしてヒロインたちの心に届くんだ?!
………分かっている。あれはフィクションだ。現実とは違う。現実はあんなふうに上手くはいかない。
自分で考えるしかない。梨璃花たちを納得させる言葉を考え出す事が出来ないなら、言葉ではなく行動で、彼女たちの心に直接訴えかけるしかない!
「………」
少しだけ躊躇した。そしてそのことで自分が未だに彼女たちに対して体面を保ちたいと思っていることに気づいて、俺は自分自身を叱咤した。
馬鹿野朗! あいつらの命より大切なもんが何処にある?! 覚悟を決めろ!
俺は、
「梨璃花、優奈、御白」
俺は腰掛けていた椅子から立ち上がり、教室の後ろまで歩く。彼女たちから良く見えるように。三人が注目しているのを確認し、一つ息を吸い、そして、
「頼む!!」
俺は土下座した。
「俺を信じなくてもいい!! だけど博覧会の会場には近づかないでくれ!!」
「ちょっ、ちょっと………!」
伏した俺の耳に焦った感じの優奈らしき声が聞こえるが 俺は床に額を擦り付けるようにして土下座を続ける。
「頼む!! お願いだから行かないでくれ!」
脳裏に蘇るのは愛音の優奈の梨璃花の、無残な姿。
「俺は! もう俺はお前らを失いたくないんだ!!」
知らず握り締める両拳。
「もう二度とあんな思いはしたくないんだ!! 俺にとってお前らはかけがえのない人間なんだよっ!!」
それはまるで血を吐くように。想いは俺の心臓近くから溢れ出す。
「お前らが大事なんだよ!! 十万人、いや百万人の命を引き換えにしたってお前らのほうが俺には大事なんだよ!! だから頼む!! 頼む!!」
何度も何度も床に額を打ち付ける。届いてくれ。届いてくれよ!!
「お願いだから、………死なないでくれ………!!!!」
最後は搾り出すように哀願した。
答えはない。呆れているのだろうか。軽蔑しているのだろうか。それとも気持ち悪いと思われているのだろうか。なんでもいい。この願いさえ聞き届けてくれるのなら。
「顔を上げてください」
梨璃花の声だった。俺は促されておずおずと顔を上げる。
梨璃花は席を立っていた。少し離れたところから俺を見下ろしていた。その黒目がちな瞳に宿っているのはいったいどんな感情だっただろう。
俺にはそれは『怒り』に見えた。しかし、
「分かりました」
梨璃花は艶やかな黒髪を揺らして首肯して見せた。
「あなたのおっしゃる通り博覧会場には近づかないことにいたします」
俺は驚く。え? 本当に? 信じてくれたのか?!
「ちょっ、ちょっと浮島さん!!」
慌てて声を上げたのは優奈だ。
「こいつの話を信じるっていうの?! あんなのコイツの妄想でしょ?!」
さすがは快活な優奈、はっきりと思ったことを口にしてくれる。
「信じたわけではありません」
興奮する優奈に対して梨璃花は感情を抑えた冷静な口調。
「ですが例えそれが妄想であれ、男がこれほど頭を下げて頼んでいるのです。それがいかなる戯言であろうと聞き入れてあげるのが大和撫子の度量というものでしょう。あなたはそうは思わないのですか?」
独特な理論を展開し出した梨璃花に、優奈は困惑した様子で、
「いや、大和撫子の度量とか言われても………」
困ったように黒髪のお嬢様を見遣る。
「ではこう言えばよろしいですか? 確かに博覧会場見学は今回の修学旅行の目玉ではありますが、レポートの提出などが課せられているわけでも無く、決して必須ではありません。ならば少なからず知り合ってしまった彼がこうまでして頼むのです。聞き入れてあげるぐらいはよろしいのではないですか? あなたも彼の話を聞こうと思われたからここにいらしたのでしょうし」
つらつらと訴える梨璃花に「ぐっ」と優奈は詰まっている。痛いところを突かれたらしい。
それにしても梨璃花は弁が立つな。あまり敵に回したくないタイプだ。彼女が援護してくれて助かった。その割には俺に対して何か怒っているような雰囲気なのが気になるが。
「分かったわよ………」
優奈は僅かに口を尖らせながら折れた。
「博覧会場に近づかなければいいんでしょ。―――まったくこんな妄想に付き合うなんて浮島さんは人が良いよね。あーあ、会場で売ってる特製未来クレープ楽しみにしてたのになあ」
そこかい。放っといたらクレープのために死ぬるぞお前。そいつがどんだけリスキーなスイーツか分かっとらんだろう。腹に肉がつくぐらいじゃすまねえんだぞ。
「左さんもそれでよろしいですか?」
梨璃花がPSPを手に持ったまま黙然とこちらに顔を向けていた御白に尋ねると、銀色の小さな頭はコクリと頷いた。
「………いい。博覧会にはもとからそんなに興味ない」
そしてまたPSPの画面に戻っていく。
俺はホッと息を吐いた。これでここにいる三人はデッドエンドから逃れることが出来るだろう。例の『修正力』は気になるが、そもそも会場に近づかなければさすがに危険はあるまい。
だけど、
「ではこれでお話はお仕舞いですね。あなたの話を聞いて差し上げたのですから、くれぐれも約束は違えないでください」
「………部活休んで損しちゃったわ。こーんな馬鹿馬鹿しい話を聞かされるなんてね。まあこれであんたとの縁も切れたわけだしいいか。もうメールとかしてこないでよね!」
未だ床に手を突いている俺に二人が冷たい言葉と視線を残して部屋を出て行く。
その背にはもはや俺に対する未練など微塵もないように見えた。
いや初めからそんなものは無かったんだろう。未練を持っているのは俺だ。
「………御白は帰らないのか?」
よろよろと立ち上がりながらピコピコやっているミニサイズに声を掛ける。
「………フラグが見つからない。見つけてから帰る。鍵は置いていって」
俺に視線も向けず御白は画面に集中している。やはり俺には興味がなさそうだった。
俺はため息とともに職員室から借りた鍵を机に置き視聴覚室を後にした。
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視聴覚室を出た利梨花は考え込んでいた。胸の中には村田嵐蔵が語った妄想としか思えない話がぐるぐると巡っていた。そして必死に土下座までして会場に近づくなと頼み込む彼の姿も。
彼女の前を歩く佐渡原優奈もどこか納得いかない様子で「ったくなんなのよあいつ! あーもやもやする!!」とかぶつぶつ言いながら頭をわしゃわしゃやっている。
このままでいいのだろうか? 利梨花は自答する。
このまま彼を放っておいていいのだろうか? もちろんいいはずだ。何も起こるわけがない。ましてや爆発事故なんてなおさらだ。
だが何か気になる。 そう胸の中がもやもやする。 どうしても必死な彼の姿が頭から離れない。
ならばどうするか?
「優奈さん少しいいですか?」
行動するしかないだろう。このもやもやを晴らすために。
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ボスッ
家に帰って風呂に入った俺はベッドに身を投げた。疲労感が全身を包んでいる。
「疲れた………」
我知らずおっさんみたいなボヤキが口から漏れた。
三人をデッドエンドから遠ざけたというのに達成感はあまり無かった。それよりもどんよりした感覚が胸に広がっている。
ごろりと寝返りを打つ。目に壁に貼ったアニメのスティックポスターが映る。屈託の無い笑顔でポーズを決めているのはツインテールの美少女。俺の脳裏に同じ髪型をしたあいつの顔が浮かんでくる。
「ラン………か」
写真を渡した時、俺を御白はそう呼んだ。
それは一周り目と同じ呼び方だった。嬉しかった。まるであの時に戻ったみたいで。
2周り目でもまた一周り目と同じように親しくなれるんじゃないかと思えて。
でも今日分かった。いやずっと前から分かっていたのかもしれない。
俺たちはもう一周り目と同じようにはなれないということに。
あいつらを下の名前で呼んでみても、俺に告白したんだぞと語ってみても、もう二度と元には戻れない。達成感なんてあろうはずが無かった。
失ってしまったんだ、俺は。永遠に。
梨璃花を。優奈を。御白を。
俺を好きだといってくれたその気持ちも。一緒に過ごした時間も。あいつらと築いた絆も、俺は失って―――
「う………」
不意に込み上げてきた涙の気配に俺はうめく。必死の思いでそれを飲み下す。
ばしっ!
両手で頬を打った。
泣いてる場合か! まだ終わってねえ。愛音が残ってるんだぞ。
それに何を泣く必要がある? 確かにあの三人とは今後疎遠になっちまうかも知れねえ。変人扱いされて無視されるかも知れねえ。
でもあいつらがこの世から居なくなっちまったわけじゃねえだろ? あいつらが生きててくれる、何処かで笑っててくれる、それだけで十分だろ?
俺は自分に言い聞かせ笑おうとする。良かったと笑おうとする。でもそれはとても難しいことだった。
俺は何度も頬を打った。この程度の痛みであいつらを失った喪失感を紛らわすことが出来るなら易いものだと思った。
夜中トイレに立って洗面台で鏡を見ると俺の両頬は真っ赤に腫れていた。その怒った河豚顔負けの己の不細工極まる面相に俺はやっと笑うことが出来た。
外で新聞配達の原付バイクの音がする。夜明けはもう近かった。
初の挿絵が土下座という村田君
ごめんよ まだ君の顔出しをしていいか迷ってるんだ
次回からは村田君の幼馴染 愛音のお話になります