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第九話 二周り目の攻略 優奈編 ー後編ー

優奈編の後篇です 今回はスポコン風味


脳筋村田君がその本領を発揮する! かもしれない!

挿絵(By みてみん)



ズバン!


 綺麗なスピンのかかった直球がキャッチャーのミットをたたく音が心地よく響く。


 夕焼けを背に投球後の残身をゆっくりと戻すと、キャッチャーから戻ってきたボールを左手を振るようにしてバシンと受け取る。ネット裏に陣取るやじ馬からそれだけでほう………と感嘆のため息が漏れた。


「ラスト一球!!」


 キャッチャーが声を上げやじ馬の視線を一身に受けるマウンド上の少女がうなずく。


「さあ来い!!」


 バッターボックスに立ったベリーショートの女子が気合を入れ、ぐるぐるとバットの先端を回しながらタイミングを計る。


 マウンド上の少女は一つ息をつくとダイナミックなワインドアップモーションからしなるような腕の振りでボールをリリース。


 放たれたボールはうなりを上げ刹那のうちにキャチャーが構えたミットに収まった。


 ズバン!


「っくしょ~~~~~!!」


 盛大に空振りしたバッターが悔しそうに地団太を踏み、キャッチャーが「ナイスボール!!」とマウンド上の少女をねぎらう。


 少女は帽子を脱ぎ汗をぬぐいながら「ちょっと内に入ったわね」と苦笑する。


 夕焼けにキラキラと汗が輝き、ふわふわと風に揺れる髪が少女の端正な顔を彩っていた。


 彼女こそ我が王蓮寺高校野球部エース 佐戸原 優奈。


 女子としてはすでにプロ並みの、最速120キロを誇る県内でも有数の速球派ピッチャーにして、そのモデル顔負けの容姿とスタイルから校内ばかりか他校にも多数のファンを抱えるスター選手。


 今日俺は彼女にスポーツ勝負を挑むつもりだった。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「たのお―――も―――!!」


 練習終わりの軽いランニングとストレッチを終え、スポーツドリンクのストローを口に咥えながら、さあ着替えて帰んべと更衣室に向かいかけた女子野球部の前で俺は声を張り上げた。


 何事かと振り返る体操着姿の女子たち。女子野球部はだいたい学校指定のジャージか、同じく学校指定の半袖にショートパンツという姿で練習をしている。今はまだ暑いので半袖ショートパンツの季節だ。


「あーーーーーー!!!」


 俺の声にすぐにポニーテールが反応し、郵便配達員に吠え掛かる小型犬のような勢いで犬歯をむき出しにしようとしたが、それより早く俺は二の矢を放つ。




「俺、村田嵐蔵わあー、女子野球部エース佐戸原優奈にいー、勝負を申し込おーむ!!」




 小型犬の動きが一瞬止まる。その隙を突いて俺はその脇をすり抜け優奈の前に立った。


「もちろん受けるよな優奈?」


 手を伸ばせば触れられる距離。できるだけ偉そうに上から目線で尋ねてやった。


「………なんであたしがそんな勝負を受けないといけないのよ?」


 身長差を利用して物理的にも上から見下ろす俺の視線を真っ向受け止め、睨み上げてくる優奈。


 その瞳に込められた嫌悪と侮蔑が胸に堪えるが、これでまずは吉川セキュリティーを突破だ。


 吉川は意外と優奈以外の野球部先輩の前では萎縮するタイプだからな。


 さらに他の部員も優奈と俺の距離が詰まっているので口を挟みにくいはずだ。女子の真ん中に突っ込むというのはあまりにもアウェー感が強いので今まで敬遠していたが、やってみたらなんとかなったな。


 だがここからが問題だぞ。俺は一度舌で唇を湿らせてから再度口を開く。


「ああん? 受けねえのか? 俺如きの持ちかけた勝負を? 女子野球部ええ―――すの佐戸原優奈があ―――?!」


 エース部分を強調してやる。この奇妙なやり取りを女子野球部全員が注目して見ている。


 先輩、同級生、そして―――下級生も。


 よーしもっと注目しろ。その視線こそがこの交渉における俺の唯一の武器だ。運動部ってのは下級生に対する面子を過剰に意識する傾向があるからな。


 案の定優奈は少し焦った様子を見せた。


「そっ、そんな勝負を受ける理由が無いって言ってんのよ!! だいたいどんな勝負をするつもりなのよ?!」


 ………聞いたな優奈? 思うつぼだぜ。


「いいだろう。教えてやるよ!! 俺が提示する勝負の内容はどっちかが疲れて止まるまで走り続ける―――」




「時間無制限持久走だああああああ!!!」




 ぐわっと両手を広げ叫ぶ俺。アホみたいだがここはテンションを上げて勢いだけで押し切るところだ。


「じっ時間無制限って………。あんた正気なの?」


「正気も正気。これなら分かりやすいしお前にもハンデがあるだろ?」


 俺はひたすらに偉そうににやりと微笑んでやる。もちろんそれは優奈の感情を煽るため。案の定優奈は眉尻を吊り上げた。


「ハンデ、ですって?」


「そうだぜ。だってお前は女の子だからな。変な勝負を仕掛けたら男女の身体能力差で俺が勝っちまうだろ」


 ………ああ。嫌だなこんな事言うの。でもここは悪役になり切らねえとな。俺は欧米人のように小馬鹿にした感じで両肩をすくめて見せる。


「とはいえ野球じゃさすがにこっちの分が悪すぎるしな」


「………だから時間無制限持久走ってわけ?」


 すさまじい目で俺を睨んでくる優奈に内心肝を冷やしながら、俺はあくまで余裕たっぷりに首肯する。


「そうだ。ちなみに俺は帰宅部だぜ。これだけハンデがあればお前にも勝ち目があるだろ?」


「………」


 優奈は俺を食い殺したいみたいな目で唇を噛んでいた。


 帰宅部のもやし野朗が毎日陽が暮れるまで練習している運動部に大口を叩いているのだ。そりゃあ怒り心頭だろうな。


 加えて優奈には負けず嫌いなところがある。それは男子を向こうに回しても変わらない。俺はそこを利用して優奈を罠に掛けようとしているのだ。


 さあどうでる? 優奈。


「………あたしが勝ったらあんた何をしてくれるわけ?」


 掛かった!! 俺は喜色が顔に出ないように感情を押し込める。


「お前が勝ったら俺は二度とお前に近づかない。なんだったら学校をやめてもいいぜ」

「!」


 優奈が驚いた顔をする。周囲の女子もザワザワしているな。俺にとってもリスキーな発言だが、これは必要なことなんだ。そのわけは後で話すよ。


「………あんたが勝ったら?」

「俺のいうことをきいてもらう」

「っ!!」


 ザワザワザワっ!!


 周囲のざわめきが大きくなった。あれ? なんか俺変なこと言ったか? なんか女子の視線が厳しくなったような。顔を赤らめている子もいるぞ。


 はて? 話を聞いてもらうだけなのになんでだ? 優奈にとってはローリスク・ハイリターンだろうに。


「ちょっ?! そんな勝負受けられるわけ無いでしょっ!!」


 今まで黙っていた吉川まで口を挟んできた。うーむ、おかしいな。


 俺は首を傾げるが、「………っ、………っ」優奈は耳まで赤く染めながら何か葛藤しているようだった。その瞳が吉川や下級生、先輩たちをきょろきょろと見回しているのが分かる。受けるかどうか迷っているのか?


 俺の計画ではもうとっくに了承の返事が得られているはずなんだが。


 しばらく考え込んでいた優奈だが、やがて答えは出たようだった。もう俺にもどう転ぶか分からんな。


 顔を上げ、こっちをまだ赤い顔で見据える優奈を俺は固唾を呑んで見守る。周囲の女子も同じ心境のようだ。くしゃみの音一つ聞こえない。


 静寂の中優奈が口を開く。


「あんた最低」


 おい!! いきなりそれかよっ?!


「でもその勝負受けたわ」


 受けるのっ?! だったら最低発言はいらなかったんじゃねえのっ?! 地味に傷ついたんだけど?!


 ええー!! という声は周囲の女子だ。とくに吉川の反応は激しかった。


「せっ、先輩待ってください!! こんな勝負受けること無いですって!! 考え直してください!!」


  縋るように言い募る吉川に向ける優奈の視線は意外とクール。


「余。あんたあたしが負けると思ってるの?」


「そっそんなことはないですけど!! もしもってことが―――」


「―――あったら、あたしがあんなストーカー野朗なんかに負けるって?」


 ………あのー、すいません。そのストーカーっていうの止めてもらえませんかね? ぽっきり逝きそうなんですけど。心が。


 しかしその言葉は吉川にも効いたようだった。叱られた小型犬のようにしゅんと俯いてしまう。ポニーテイルもしおれて見えるな。ちょっと可哀想かも。


「大丈夫よ余。心配しないで」


 まるでお姉さんのように優しい口調で吉川の頭をポンポンと叩き、優奈はきりっとした顔で部員達に宣言する。


「あたし絶対勝つから!!」


 おおー!! 部員達は大盛り上がりだ。そして俺は完全アウェーだ。体中に女子どもの敵意がビシビシ突き刺さるぜ。………まあいいさ、最終的に勝つのは俺だ。


 そう。勝たなきゃいけないんだ、俺は。絶対にな。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 

 その後優奈は部員達を帰らせた。部活終了後で疲れてるだろうし、いつまで掛かるか分からないからと。もちろん吉川はじめ部員達は残ると騒いだのだが、優奈は認めなかった。


「あたしのことが信じられないの?」


 最後はそうまでいって帰らせた。もちろん吉川もだ。


 ふーん? これはちょっとおかしなことだよな。部員の声援があったほうが心強いだろうに。俺にとってもちょっと予想外だぞ。ともあれ、


「さてはじめるか」


 準備運動と水分補給を終えた俺は、軽く伸びをしながらスタートポイントと定めたグラウンドのラインに足をかける。


 グラウンドには陸上部によって長距離走用の白線が引かれていた。まさにお誂え向きという感じだ。


「あたしはいつでもいいわよ」


 先に準備運動を終えていた優奈が険しい表情で俺を睨んでいる。おうおう。こええこええ。ったく、俺はいつになったらもう一度こいつの笑顔が見れるんだろうな。


「始める前にルールを確認するぜ」

 優奈がコクリと頷く。


「俺たちはどちらか一方の足が止まるまで走り続ける。歩くのは基本駄目な。一定以下まで速度が落ちたらそれも止まったものとみなす。ここまではいいか?」


「いいわ」


 いいのか。うーん。この時点で俺としては他の部員を返しちまったせいで計算違いが出てるんだがな。


 だって一定以上速度が落ちたらって誰が判定するんだよ。他に誰もいねえっつうのによ。


 事前の計画では野球部部長の押山先輩に頼むつもりだったんだけどな。人格者のあの人なら身内贔屓せずに公正に判定してくれそうだから。


 ………まあそこらにいる奴らに頼んでもいいが優奈は学校中に人気があるからな、普通に俺が不利だし。そうなると判定人無しでいくしかねえか。こりゃ思ったよりさらに長引くかもな。


「どちらか一方の足が止まったり速度が落ちたりしたらその時点でそいつの負けだ。負けた者はペナルティーを負う」

「………」


 今度はオレンジ色のリップが動かない。可憐な面がまた赤く染まり始めている。なんでだろう? 怪訝に思いながらも俺は説明を続ける。


「俺は負けたら退学し二度とお前に近づかない。お前が負けたら俺のいうことをきいてもらう。ルールは以上だ。質問はあるか?」


「………ないわ」


 優奈は俺の視線を避けるように赤くなった顔を左右に振っている。どうも反応が変だよな。まあいいか。今の俺にはこいつを気遣っている余裕はねえしな。


「じゃあマイナス・スリーカウントから始めるぞ」


 俺は前方を見据える。まだ陸上部が後片付けをしてるな。まあ短距離走じゃねえから影響ないだろ。


「3、2、1、スタート!!」


 合図と同時に俺と優奈は走り出した。





 さて、こうして持久走が始まったわけだが、あんたはもしかして俺がかなり不利だと思ってるんじゃねえか?


 まあそうだよな。相手は現役の運動部、こっちは現役の帰宅部だ。普通なら始まる前から勝敗は決している。だが俺には勝算があった。


 実は俺の体は現在長距離走仕様なのだ。


 なに? 言ってることが分からない? じゃあ説明しようか。


 文科系になるため筋トレをやめた俺であったが、それでもちょくちょく家族サービスのため、そして運動好きの両親との親睦を図るため、体育会系的イベントに参加している。


 そして今年の夏休みのイベントがずばりハーフマラソンだった。ハーフマラソンといえば、42・195キロの半分を走る競技である。


 それだけの距離をほいっといきなり参加して完走するのは難しい。そのため俺はこの夏休みじっくりと走り込みをし、マラソン仕様の体を作っていたのだ。


 まあそれも修学旅行の頃にはすっかり緩んでいたのだが、二周り目の今はまだ九月中旬。作り込んだ筋肉およびスタミナがまだかなり残っていた。


 そう、このマラソン仕様の肉体こそが俺の勝算だった。男女差もあるし、優奈は部活こそしているが持久走の練習をしていたわけではないからな。これでなんとか勝てるだろうと思っていた。


 のだが、


「ハアハアハア………。けっ結構付いてくるじゃねえか………」


「ハアハア、ふっ、ふざけないでくれる? ハアハア………まだまだこれからよ」


 もう7,8キロは走っただろうか。まだ勝負は着いていなかった。


「ハアハア………、息が、荒いぞ? 明日も部活、あんだろ? ハアハア、この―――んぐ、この、ぐらいに、しといたほうが、ハア、ハア………、いいんじゃ、ねえか?」


 あー、しゃべるとしんどいっ!! などと内心思いながら隣を走る優奈に揺さぶりを掛けてみるが、


「ふざけないでって………、ハア、ハア、いってるでしょ。誰が、あんたなんかに………」


 優奈は顎から汗を滴らせつつも諦める気配がない。キッと前を向いた横顔はとても綺麗だが、見蕩れてる場合でもない。


 あれー? おっかしいな。なんでこんなに粘りやがる。明日も練習があるのは確かだろうに。


 もしかしてこの勝負のために休むつもりか? こいつにとっては負けても俺の話を聞くだけのはずだろ。そんなに俺に負けたくないのか? どんだけ負けず嫌いだよ。部活のためにそこそこで切り上げるのも俺の計算の内に入っていたんだけどな。


 ………にしても我ながらなんでこんなスポコン展開に。俺はラブコメが好きなのによ。

 まあ仕方ねえ。とことんやってやろうじゃねえか。後で吠え面かくなよ!!


 ………


「ハア、ハア………、ちょっとペース落ちてきたんじゃねえの? ハアハア、足が上がってねえぞ………、ハア、ハア」


「別に………、ハア、ハア、落ちてないし、ていうか、話しかけないで、くれる? ハア、ハア………うざいから」


 ………………


「ぜえぜえぜえ、おう、おう!! ぜえぜえ、はあはあ、どっ、どうした優奈!! ふらふらしてんぞ!! ぜえぜえ、はあはあ、大丈夫か?」


「ぜっぜっ、………あっ、あんたなんかに、はあはあ、心配される、んぐっ!! 謂れは、無いわ………、あんたこそ、ぜえぜえ、もう足ガクガクなんじゃ、ハアハア………ないの? はあはあ、ぜえぜえ、………生まれたての、ハア、バンビ、状態、じゃないの? げほっ! げほげほ!」


「わっ、げほ!! ………笑わせんなよ!! こっちは、ハアハア、鋼の足を持つ、ぜえぜえ、オタクだっつうの!!」


 ………………………



 ―――もう何キロ走っただろう。


 陽はとうに西の空に沈んでいた。


 それでも俺たちは走り続けていた。


 いやもはや傍から見れば走るとは言い難い状態だったかもしれない。俺たちはよたよたとほとんど歩くような速度でトラックを進んでいた。


 最初に言っていた一定速度までスピードが落ちたら、………なんていうルールも頭から消えていた。だってどっちが先にスピードが落ちたとか分からねえんだもんよ。


 うちのグラウンドには照明がついているのだが、今日はナイターで練習を行う部活も無いらしく、辺りは真っ暗だった。トラックに描かれた白線も見え難いぐらいに。


 空の雲もなんだか厚く星明りも微かだ。


「………」

「………」


 俺たちの間に言葉はない。そんな余裕はとっくに無くなっていた。


 少しでも気を抜けばすぐにでも座り込んでそのまま大の字に横たわり速やかに寝入る自信がある。それほどに俺も、おそらくは優奈も限界に近い状態だった。


 ぜえぜえ

 はあはあ


 互いの息遣いが聞こえる。まだ優奈は足を止めない。どうしてこんなに粘るんだろう。俺とはモチベーションが違うはずなのに。


 俺にはこいつを救うという目的に加えて、退学というペナルティーまである。俺がリスクを自ら背負ったのはまさにモチベーションを高めるためだったのだ。


 こういうどちらの心が先に折れるかみたいな勝負では、モチベーションが勝敗を分けるからな。


 むしろダメ押しのつもりだったんだが、そんな俺に優奈は付いてきている。どんな理由があるのかは知らないが、実際たいしたもんだぜ。


 だが負けるわけにはいかない。絶対に絶対に負けるわけにはいかない。俺はコイツを死なせたくない。あんな無残な死を迎えさせてたまるものか。


「負け………、ねえぞ………」


 我知らず呟いた言葉に優奈が反応した。


「………なんで、そんなに、ハア、ハア、必死なのよ。………そんなに、あたしにいうことを、ハア、きっ、きかせたいわけ? ぜえぜえ」


 睨むような視線に、俺は滴る汗を拭いもせず答える。口を開くのも一苦労だ。


「俺は、お前を、ハア、ハア、失いたく、ないんだ。ぐっ、ゲホゲホっ、ううっ………」


 途中で咳き込み、よろけながらも俺の足は辛うじてグラウンドを捉えた。ぼんやりとした頭でただひたすらに目の前にある闇を見つめながら、俺はほとんど独り言のように呟く。


「おまえを、ハア、ハア、救いたい。………それだけだ」

「………」


 優奈はしばらく黙って俺の顔を見ているようだった。汗にまみれ、疲労困憊し、苦しく歪んだ横顔を。


 そして呟いた。


「意味、分かんない」


「だろうな。ぜえぜえ、うう………」


「ハアハア、とにかく、あたしは、負けない」


「俺もだ」


 俺たちは足を止めない。体が前のめりに倒れる寸前に辛うじて足を出す。その反動で進んでいく。二人ともそんな感じで闇夜を走り続ける。


 それからどのくらい走っただろうか。俺は意識が朦朧としてくるのを感じた。頭の中が真っ白になっていく。これがランナーズ・ハイってやつか。それとも単純に気を失おうとしているのか。


 重かった体が妙に軽い。足はフワフワと雲の上を歩いているようだった。


 ………つうか、これやばいんじゃなかろうか? という思考が頭の片隅を掠める。そういえばスタート以来水分補給をしていない。日が暮れたとはいえ、まだ季節は九月中旬。熱中症の危険は十分にある。


「っ!!」


 はっと我に返る。まずい。優奈は大丈夫か? 俺が彼女を振り返ったその瞬間だった。


「あっ!!」


 優奈が何かに躓いた。一瞬その体が宙を泳ぐ。そして、


 ずざっ


 倒れた。優奈が倒れた!


「優奈っ!!」


 俺は慌てて駆け寄る。重い体がまどろっこしい。


「大丈夫か優奈!!」


 地面に伏せたままの優奈に声を掛けると、


「………優奈って、呼ぶなあ………」


 くぐもったような声が答えた。一応意識は明瞭らしい。しかし起き上がらない。地面にべたっと伏せたまま。明るい茶色の前髪を地面に広げたまま。優奈は、


「………うっ、うっ、ふううっ、ぐっ、グスッ………」


 泣いているのだった。


 優奈が倒れた。優奈の足が先に止まった。俺が勝った。優奈は負けた。負けたのが悔しくて情けなくて優奈は顔を伏せたままで泣いているのだ。


「優奈………」


 そんな優奈の姿を見て俺の胸に沸々とある気持ちが込み上げてきた。どうしようもなく溢れて俺の口から零れ出した。それは、



「立て優奈」



 それは怒りだった。自分でもなんでこんなに腹立たしいのか分からない。


「泣いてんじゃねえ。立て優奈」


 こんな風に泣いている優奈を見たかったわけじゃねえんだ。


俺の厳しい言葉に地べたに惨めっぽく這い蹲っていた彼女がビクッと震え、そろそろと顔を上げる。


挿絵(By みてみん)


 涙に濡れて艶を帯びたその瞳。上目遣いで俺を恐る恐る見遣る姿は男の庇護欲を激しく搔き立てるものだったが、俺は容赦しなかった。


「おまえはこんなもんか。こんなことで負けを認めちまうのか」


 ………ああそうか。言い募りながら俺は悟った。


 俺は優奈に負けて欲しくねえんだ。


 優奈に勝って話を聞いてもらわなければいけないのに、優奈に負けて欲しくない。矛盾した想いが俺の中に同居している。


 だって短い間だったが俺はこいつを応援していたんだから。マウンドで躍動する優奈は俺にとっていつのまにか憧れになっていたんだ。要は優奈のファンなんだよ。だから誰にだって負けて欲しくなんかねえんだ。例えそれが俺自身でも。


「優奈」


 少しずつ周りが明るくなっていく、グラウンドがほんのりと光を帯びたように照らし出されていく。俺の影が長く、優奈を包み込むように長く延びていく。


 月だ。いままで雲に隠れていた月が顔を出したのだ。


「お前はまだ止まってねえ。躓いただけだ。そうだろ?」


 俺を見上げる優奈の目が大きく見開かれた。月の明かりを受けて火が灯ったみたいに輝きだした。


「だから立て優奈。俺たちのゴールはここじゃねえ」


 手を差し出す。


 優奈は俺の手と顔を交互に見比べ、そして、


 パン!


 俺の手を払った。うん、結構痛い。


「当たり前でしょ? あたしはまだ負けてない!」


 体操着の肩口でグイッと涙を拭い、ふらつきつつも自らの力で立ち上がる。その顔には不敵な笑み。


 ああ、2周り目で初めてお前の笑顔を見たな。でもお前のそんな表情見たこと無いよ。きっとこれは勝負師の顔だ。


「行くぞ。最後の勝負だ。ゴールは分かるな」


「ええ、分かるわ」


 本来俺たちの勝負にゴールなどない。だがお互いにもう限界だと分かっていた。


 そんな俺たちの五十メートルほど前方。暗闇で今まで見えなかったラインが姿を現していた。この勝負を始めたスタートラインが、まるで俺たちを誘う様に白く。


 優奈も俺も最初から決まっていたかのように自然にそこをゴールと定めていた。


 そして俺たちは走り出す。合図も無く声も無く。だけど全く同時に。


 よたよたと走る。お互いにがんがんぶつかりながら。その度にガンを飛ばしあいながら、肩がくっつくほどに隣り合って、まるで支えあうように。


 息が切れる。胸の鼓動はもはや爆発寸前だ。早く終われ、そう願う自分と、もう少し優奈と走っていたい、そう感じている自分が居る。優奈もそうであればいい。祈っている自分が居る。


 風が心地いい。全身で受ける風が。でももうすぐ終わる。もうゴールラインは目の前だった。


 俺たちはまるで仲の良い友達みたいに並んでゴールラインを目指す。そのまま同時にゴールする。



「―――とみせかけてえ!!」



 俺はスパートをかけた。「え?」と突如スピードアップした俺に優奈が呆気に取られる。


「おらああ―――!!」


 俺は口をポカーンと開けている優奈を置いてけぼりにして残り十メートルを全力疾走!


「え? え? え? ええええ――――――!!」


 もはや絶叫している優奈を尻目に見事二馬身差ぐらいでゴールした。


「よっしゃ!! I WIN!!」


 拳を突き上げて叫んだとたんクラッと来た。吐き気までこみ上げてきて両膝に手を突き必死に堪える。


 あー、もう無理。おおお?! 立ちくらみすげえ。地面が揺れやがる。やべえ。酸素と水が足りてねえ。


「うう~」


 続いて優奈がゴールした。不満げな表情で膝カックンされたみたいにへたり込む。しかし倒れたりはせず、膝立ちの奇妙な体勢で、


「ずるい!!」


 開口一番俺を指弾してきた。はん! 俺は鼻で笑い飛ばす。


「一緒に、ゴールするとでも、思ったか? ぜえぜえぜえ、これは勝負だぜ。俺が勝ったんだから、ハアハアハア、いうことを聞いてもらうからな!!」


 指弾返し!! 汗に塗れ土で汚れ、いつもはフワフワ柔らかイイ感じの髪をべったりと顔に張り付かせた酷い姿の優奈に、俺は傲然と言い渡す。「あう~」と優奈の顔が歪んだ。そして、


 バタン!!


 膝立ちの体勢からいきなり仰向けに倒れる。何事っ?! と一瞬慌てる俺の前で優奈は、


「やあだあ――――――!!!」


 空に向かって叫んだ。さらにバタバタとひっくり返された亀みたいに手足を暴れさせて喚く。


「やだやだやだやだやだ!! 絶対やだもん!! あたし初めてなんだよっ?!! まだキスだってしたこと無いのにあんたなんかに奪われるなんて絶対やだああ―――!!」


「はあっ?!」


 驚いたのは俺だ。


「おっ、お前何言ってんだ?! 初めてとか奪われるとか!!」


 俺の言葉にぴたりと亀さんが停止した。ヒョコッと顔だけこっちに向けて涙目で訴える。


「だっ、だって。勝負で負けたらいうこときけって」


 それから上体を持ち上げて人魚座りになった優奈は顔を赤らめ体を守るように片手で隠す。


「だっ、だからあたしに、えっ、エッチなことするつもりなんでしょ? 分かってるんだから。余があんたのことエロ魔人だって言ってたもん!!」


 ―――OH、神よ!!


 俺は思わず天を仰いだ。なんてこった。やっと分かったぜ。


 そりゃあ粘るよ必死にもなるさ、


 優奈は自分の貞操をかけて勝負してるつもりだったんだからな!!


 どうも俺が言い方をまずったらしい。


 いうことをきくというのを俺は『話を聞く』という意味で使ってたんだが、どうやら優奈は『強制的にナニかやらせる』と曲解したらしい。


 というか他の野球部の連中もだな。あの敵対的な視線はそのせいだったのか。合点がいったぜ。


 でも普通勝負に勝ったからって、てっ、貞操を所望する奴なんかいねえだろっ?! 俺は何処のエロゲーからやってきた魔人様だよっ?! 鬼畜かっ!! 


 これは間違いなく吉川のせいだな。あいつ俺のことをきっと性犯罪者みたいに吹き込んでやがったんだ。だから優奈や野球部の連中がこんなアホみたいな誤解をしたんだ。


 あんのやろー!! 今度会ったら馬の尻尾を引っこ抜いてやる!!


 それに優奈も優奈だぜ。お前って奴はなんちゅう勝負を受けてんだよっ?!


 あかんだろそれは年頃の女の子として!! 俺が本当にナニかするつもりだったらどうするつもりだったんだよ!! やだあ、じゃ通らねえぞ馬鹿野朗!! 


 こいつが部員を遠ざけた理由も分かったぜ。たぶんもしもの時、俺に負けていろいろ要求されるところを見せたくなかったんだろう。


 言っておくがむしろ危ねえぞそれは。人目があったほうが良いに決まってんだろ。………アー、なんかもう頭痛がしてきた。


 もっとしっかりした奴だと思ってたのによ。なんたるあやうさ。危なっかしくてほっとけねえよ。お父さん心配で夜も眠れねえよ。


―――ったく。梨璃花に続いて優奈の新たな一面も発見だな。ネガティブサイドの。


 ともあれ強気にこっちを睨んでいるものの、実のところ完全に怯えている優奈の誤解は解いてやらねばなるまい。


「あのな優奈」


「なっ、なによっ!! 胸なんか絶対触らせないからねっ!!」


「触らねえっつの!! 話を聞け!!」


 俺は優奈に彼女の誤解について説明した。説明を聞くにしたがい、彼女のほっぺたの赤みが顔面全体、さらには全身に広がっていくのが分かった。


 ついにはプルプルと震えだす優奈。そして飛び出た言葉は、


「バカああ―――!!」


 だった。優奈はさらに頭から湯気が出そうな勢いで喚き散らす。


「紛らわしいのよ!! あたしがどんなに怖かったか分かってんの馬鹿!! 話がしたいなら始めからそう言いなさいよ!!」


「言っただろうが!! 話も聞かずに逃げ回ってたのはお前だ!! 今日はちょっと()(そこ)間違(まちが)えただけだろっ!! うわっ?! なにしやがるっ!! 砂を投げるな!!」


「知るかああ―――!! ばかばかばかばかばかああ―――!!」


 妖怪砂かけ(ばば)あと化した優奈の攻撃は熾烈だった。


 俺は顔面を狙ってくる砂つぶてから身を守るため彼女に背を向けて頭を抱え、いじめられっこのポーズで体を丸める。


 それが3分ほど続いた後パタリとおばばの攻撃が止んだ。


「? 優奈?」


 恐る恐る目を遣ると優奈がまた仰向けに倒れている。そのまま動かない。俺が口の中に入った砂に顔をしかめながら、そうっと近づいて様子を窺ってみると、


「すーすー………」


 実に安らかな顔で佐戸原さんはお休みになっていた。どうやら電池が切れたらしい。


 俺の要求が大した事では無いと知って安心したのもあるかもな。子供みたいな無防備な寝顔だ。これはこれで危ねえな。


 はあー………。


 俺は深々とため息を吐いた。その場に大の字にひっくり返る。


 疲れた。つくづく疲れた。お月様を見上げながら思う。


 今回の教訓。言葉はよく吟味して使いましょう………、ってことで。


 もう、無理っす。嵐蔵オチまーす。


 ぐう………………………………………




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 

 ―――その後俺たちは見廻りに来た警備員に叩き起こされるまで爆睡していた。


 おっさんに早く出ろ出ろと急かされつつ、水を飲み、優奈が持っていた熱中飴を舐め、何とか動けるまでに回復した俺たちは、もう夜も遅いという事でメルアドを交換し俺の話を聞くのは後日ということになった。


 にしてもなんか優奈は妙に素直にメール交換に応じたな。たぶん疲れすぎて抵抗する気力も無かったんだろう。


 もう遅いから家まで送るという俺の申し出にも嫌な顔こそしていたものの拒絶はしなかったしな。


 これで優奈がもし俺のメールをブッチしても、家まで押しかけて話を聞かせるという選択肢が出来たわけだ。


 そこまでしたらさすがにストーカー以外の何者でもないので出来れば避けたいところだがな。


 とにかくこれで優奈とのコミュニケーション手段は確保した。


 後は梨璃花同様彼女の都合のいいときに話を聞いてもらえばいい。………話を信じてもらえるかどうかは分からんがな。なんか嫌われたような気もするし。でも一歩前進したことは間違いない。


 うおうし! 次は御白の攻略だ。今度は妙にこじれたりしなきゃ良いがな。


優奈編後編はいかがだったでしょうか? 優奈のことをちょっとでも好きなっていただけたら嬉しいです


次は銀髪ツインテールのチビっ子 御白がついに登場です いままでほぼ名前(と表紙イラスト)のみの登場だった御白はどんな女の子なんでしょうか お楽しみにです!

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