第5話
「ユニ!すまなかった!!俺が不甲斐ないばかりに、お前を酷い目に合わせてしまった。許してくれっ!」
私の前に来た父は、開口一番そう言って頭を下げた。
「ちょっ、ちょっとお父さん、何してるのよ!?」
「俺が余計な事をしたから・・・・・お前にもし万が一の事があったらと思うと、俺は、俺はっ・・・・・。」
「何言ってるの?お父さんが逃がしてくれたから、こうして生きて帰れたんじゃない。それよりお父さんこそ、その怪我・・・・・。」
父は顔を上げると、肩を竦めて見せた。
「見たとおり、このざまだ。まあ、片方の目は残ってるし、足の方も大したことはない。」
青ざめる私を困ったように見て、父は話をそらせるようにウィルの方に体を向けた。
「この度は娘を助けてくださり、その上盗賊退治に助力頂けるそうで、本当にありがとうございます。先ほどの者は、あの通り行方不明の娘を好いておりまして・・・・このところ、平常心ではいられないのです。どうかこの通り、無礼をお許し下さい。」
左足を庇いながら限界まで頭を下げる父の肩をそっと押して顔を上げさせたウィルは、少しも気にしていないような様子で、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「一途に人を想う気持ちは尊いものだ。若いうちは、激情のまま動くこともいい経験になる。」
本心はどうか分からないけど、少なくとも怒って帰ってしまうようなことにはならなさそうで、心底ほっとした。
命の恩人と喧嘩別れしたのでは、あまりにも辛すぎる。
それにしても、そう言うウィルは何歳なのだろう?イサクを若いというには、彼もまた若すぎるように見える。
十代には見えないけど、二十代前半くらいには見える。イサクは今十九歳だから、そんなに年もはなれていないように思う。
「取りあえず、家まで案内してもらえるかな?」
ウィルはそう言って、また軽々と私を抱き上げた。
「ちょっ、ちょっとウィル!歩けるから降ろしてよっ!」
両親の前で男の人に抱き上げられるなんて、恥ずかしくて仕方ない。
足をバタつかせると、ウィルは珍しく少しだけ怖い顔をして私をたしなめた。
「今少し歩いただけでもふらついていた。暴れると傷口が開くぞ?」
「ユニ、大人しくしなさい!すいません、こちらです。」
母は私に一喝すると、目を丸くする父の腕をひっぱって自宅へと向かった。
その様子を、村の人たちが物珍しそうに眺めている。
私はいたたまれなくなって、後で何か言われたときに言い訳できるようにと必死で重傷者の振りをした。
石と泥で作られた家に入ると、思わずほっと息を吐いた。
「狭い家ですが、どうぞ。」
「ありがとう。でも、先に族長に挨拶しないと・・・。」
父が家の中で一番座り心地のいい座椅子を勧めると、ウィルは自分は座らずに私をそこに降ろして、持っていた袋を前に置いた。
「色々とやることがあるから、今日はもう顔を出せないかも知れない。」
そう言って、ウィルは袋から包帯と薬を取り出した。
「ここにももちろん薬はあるだろうけど、今まで使っていた薬も一応渡しておこう。化膿止めで、中に炎症を抑える薬草が入ってる。多少痛み止めの効果もあるから、薬を変えたら痛みが酷くなるかも知れない。」
説明しながら、私の腕の包帯を解いた。
あらわれた傷跡に、父と母が同時に息をのむのが分かった。真っ青な顔色に、私はちらりと自分の腕を見た。
傷口は背中側だから見られないけど、赤黒く変色した皮膚がかろうじて目の端に映る。
卒倒しそうな両親の表情を見て、かえって自分で見れない位置で良かったと思った。
ウィルは母を私の傷が見えやすい位置に移動させると、見本を見せるように手早く薬をぬって、包帯を巻きなおしてくれた。
「ユニ、俺はもう行くけど、熱が下がったからといって動き回らないようにな。」
ポンポンと頭を叩いて私の顔をのぞきこむウィルは心配そうで、私は大丈夫というように笑顔を返した。
「ちゃんと大人しくしてるし、腕も動かさないようにするから大丈夫!本当に色々ありがとう、ウィル。」
「明日また顔を見に来るよ。」
そう言って父と母にも軽く挨拶をすると、ウィルは慌しく家を出て行った。
「・・・・・お父さん?」
顔を青くしたまま固まっている父に声をかけると、父は突然我に返ったように慌て出した。
「ど、どうしたユニっ!痛むのか!?」
「えっ?そりゃあ痛むけど我慢できないほどじゃないし。それよりお父さん、お父さんの方こそ、傷はどうなの?それ・・・あいつらにやられたんでしょう?」
「ああ・・・目はかすっただけなんだけどな。でも多分、もう見えんだろう。足の方はちょっと深かったけど、すぐに止血したしな。」
どこか上の空で答える父の言葉は、何となくそんな気がしていたもののやっぱり衝撃的で・・・・・。
二人してショックを受けていると、母が突然クスリと笑った。
「親子して、お互いの怪我に真っ青になってどうしようもないわね。お父さんもユニも、心配するのはもうおしまい!ちゃんと治療すれば今以上に悪くなることはないし、こうしてみんな生きているんだもの。」
「・・・うん、そうだよね。」
少しだけ涙声の母に気付かない振りをして、なんとか笑顔をつくろった。
その日久しぶりに家族三人で夕食を食べた後、まだ体力が戻っていない私は早々に布団へと入った。
全くといっていいほど体を動かしていないし、ここ数日寝すぎたせいもあってなかなか眠くなってくれない。
布団に入ってからどれ程経ったのか、開いた窓から見える空をぼんやりと眺めていると、小さな声が聞こえてきて耳をすました。
「・・・ユニ、起きてるか?」
聞きなれたその声に、とっさに起き上がろうとして痛みに顔を歪める。
「イサク?」
声をかけると、少しの間の後再び声が聞こえた。
「今、少しだけ外に出てこられるか?」
夕方話した時とは違う、落ち着いた声。
私は両親に気付かれないようそっと外に出ると、イサクの姿を探した。
イサクは私の家の壁にもたれて、座り込んでいた。私の姿を見つけると、ここに座れというように自分の横の地面を叩いた。
私がそこに座ると、イサクはしばらくの無言の後、言いにくそうに口を開いた。
「今日は・・・・・その、悪かったな。俺も、お前の事は心配してた。無事で良かったって、本当にそう思ってる。」
イサクの言葉に、少しだけ胸が高鳴る。
「でも、トウリの連中が我が物顔で村を歩き回って、あいつが自分の女みたいにマーヤの事を話すから・・・ついカッとなって・・・・・。その上、エストアの連中まで俺からマーヤを取り上げようとするのかって思ったら、我慢できなくて・・・。」
それで、ウィルにあんな事を言ってしまったと言いたいのだろうか。
イサクの言葉に、浮き上がった気持ちが急に萎んでしまった。
「ウィルはただ、純粋に私達を助けてくれようとしているだけだよ。別にマーヤを取り上げようとか、そんな事、考えてるはずないじゃない。・・・・・ねえイサク、今はやめよう?そういうの・・・。マーヤが誰のものとか、今はそんなこと、考えてる場合じゃないよ。」
イサクはくっと息をつめると、長く息を吐き出した。
「どうして、こうなっちまったんだろうな・・・。なあユニ、聞いてもいいか?」
「何?」
聞いてもいいかと言ったくせに、イサクはなかなか声を出さなかった。
何度も言いかけては、口を閉じる。
そんなイサクは珍しくて、私はただじっとイサクが話し出すのを待った。
「・・・・お前、俺の事が好きだって、そう言ってくれたよな?」
突然の言葉に、心臓がドクリと音を立てた。それは引きつれるような胸の痛みを伴う、嫌な音だった。
「・・・・・どうしたの?急に・・・もう、二年も前の話じゃない。」
「あの時、俺はマーヤが好きだと言った。ユニは、分かってたって答えた・・・。どうして、そんなに簡単に諦められる?どうして、引き下がれるんだ。」
頭の中に、つい昨日の事のように蘇る記憶。
私はイサクが好きで、イサクはマーヤが好きで、分かっていたけど、諦められなかった。諦められないことが、辛かった。
可能性が無い事なんて、最初から分かってた。告白しても、傷口が広がるだけだと・・・。
それでも、期待した。
もしかしたら、私を女として意識してくれるきっかけくらいにはなるかもしれない。せめて、気持ちだけでも知ってもらえたら・・・・。
何年間も片思いを続けて、一生に一度と思えるくらい、勇気を振り絞った。
でも、結果は惨敗。
イサクからはしばらく不自然に避けられて、距離も置かれて、結局もう何とも思っていないんだという振りをするしかなかった。
「気持ちがないのに、それ以上どうするっていうの?・・・どうしようも、ないじゃない。」
「・・・気持ちがないなら、振り向かせればいい。俺は・・・俺には無理だ。どうしても、諦めきれない・・・。」
報われない思いは、どう消化すれば消えてくれるのだろう?
イサクの気持ちは、よく分かる。
自分のものにはならないと頭では分かっていても、好きでいることを止めることができない。
「何で、俺じゃないんだよ・・・・・何とも思っていないなら、好きじゃないなら、俺だっていいはずだろう?」
まるで血を吐き出すような、苦しそうな声。
・・・その次に吐き出された言葉に、私は心臓を止められたかと思った。
「・・・・・お前が、マーヤなら良かったのにな。」