第4話
早朝、天幕をたたんだウィルは、残った部下達と私を連れてウルの村へと向かった。
残っていたのは5人くらいで、昨日村へ向かった兵を含めても10人程の部隊ということになる。
毛布をしきつめた荷台の上に私を乗せたウィルは、まだ真夜中と言える時間から荷車を引いてきてくれた部下を労うと、やや強引に彼から荷車に繋がれた馬の手綱を奪った。
それがまるで自分の仕事であるかのように当然の顔をして荷車を引くウィルに、部下達は戸惑いを隠せず、落ち着かないように何度も私達を見やった。
「隊長、やっぱり代わりませんか?」
何度目かの部下からの申し出に、ウィルは小さく溜息をついた。
「お前達が何を気にしてるのか、俺には分からないな。」
「何をって・・・そういう事は、やっぱり目下の俺達がやった方が・・・。」
そんな事、あえて口に出して言わなくても分かってるでしょう?
そう言いたげな部下に、ウィルはからかうような声音で答えた。
「この国の状態を観察し、より正確な情報を持ち帰ること。可能な限り、困窮している者を助けること。上から指示された任務はこの二つだ。つまり、負傷した彼女を無事に家族のもとに送り届けることも大事な任務の一つだ。大事だからこそ、隊長の俺がやる。何か文句はあるか?」
「・・・いえ、そこまでおっしゃるなら、お任せしますよ。」
諦めたように肩を落とす姿に、私の方が申し訳なくなってくる。
「すいません、色々とご迷惑をお掛けしてしまって・・・。」
私の言葉に、彼は両手と頭を同時に大きく振った。
「とんでもない!あなたはただの被害者なんですから。うちの隊長は本当に頼りになる人なんですけどね、ちょっと変わった人なんですよ。」
「そうそう。偉ぶった所がないから、俺達は付いていきやすいんだけどな。変わってるといえばなあ、お嬢さん。この前通った村での話なんだが、野犬が家畜を食い荒らして困ってるってことで、俺達が駆除してやろうってことになったんだ。罠を作って何匹か捕まえたんだが、それから隊長はどうしたと思う?」
罠を使って捕まえた野犬をどうするか。私の知る限りでは、大体は斧や弓で殺してしまう。
でも、変わっているというというのだから、そういうやり方ではなかったのだろう。
「例えば・・・・・安楽死用の毒を混ぜた餌で殺した、とか?」
安楽死用の毒はそれなりに高価で、主に足の骨を折った馬や、感染病にかかった家畜等に使われる。
間違っても、大事な家畜を食い荒らす有害な動物になんて使うことはない。
「それが驚くことに、隊長は捕まえた野犬を殺さずに、手懐けて猟犬にしてしまったんだ。それも、どうやったんだかたった二日ほどでな。」
すぐ近くを歩いていた兵士が、興奮した面持ちで話してくれた内容に、私は驚いて思わずウィルの方を見てしまった。
家畜を襲う野犬は、凶暴で手に負えない。火で追い払うか、殺すかしかない。
それを手懐けようとしたことにも驚くけど、下手をすれば人間にも平気で噛み付いてくる野性の犬を猟犬にできたというのも、にわかには信じ難い話だった。
仮にそれが可能なのだとしても、人と動物が信頼関係を結ぶには長い時がかかる。
たった二日では、とても時間が足りないだろう。
疑惑が顔に出ていたのか、彼は同意を求めて仲間に声をかけた。
「本当だって!信じられないかも知れないけど、本当なんだよ。なあ?」
「ああ。村の連中も俺達も、何かに化かされてるような気がしたよ。」
「嘘のような本当の話ってやつだな。」
盛り上がる兵士達を横目にウィルの名前を呼ぶと、ウィルは今にも笑い出しそうな笑みを浮かべて私の方を振り返った。
「ねえ、どうやったの?」
「簡単だよ。家畜を漁るより、言うこと聞いた方が得だぞって教えてやっただけさ。」
「・・・犬って、人間の言葉が分かるの?」
あまりにもあっさり言うものだから、そんなはずないのについ下らない事を聞いてしまった。
「俺の言葉は、特別なんだ。」
まともに教えてくれる気がないような感じがして、私はそれ以上聞こうとは思わなかった。
でも、ウィルがこの時、はぐらかしたわけではなかったのだと知るのは、今からずっとずっと後のことだった・・・。
村に着いたのは、陽が少し赤みを帯び始めた頃だった。村が近くなって体を起こした私は、あまりに物々しい雰囲気に息を呑んだ。
村を囲む柵の外周にいくつもの天幕が設置され、炊き出しをしているのか炊事の煙がいくつも空にたなびいている。
天幕のいくつかはエストアのもので、その他多くの天幕はトウリのものだった。
エストアの天幕は形と大きさが統一されていて、整然と並べられている。それに対し、トウリの天幕は大きさも形もバラバラで、設置場所にも規則性はない。
なんとなく、エストアとカルカッタの差をまざまざと見せ付けられたような気がした。
村に入ると、私達に気がついた村の人達がわらわらと駆け寄ってきてくれた。
「ユニっ!よく帰ってきたわね!!みんな心配していたのよ?」
「怪我はどうじゃね?女だてらに馬を乗りまわしとるからこんなことになるんじゃ!もう家にこもっとれ!」
普段口うるさくて敬遠していた近所のおじいちゃんまで、顔を真っ赤にして怒りながら目に涙を溜めている。
「コモ爺、馬は関係ないから。」
嬉しくて、それでも小さい頃から自分を知っているコモ爺に、素直に心配させてごめんなさいとも言えなくて、つい憎まれ口を返してしまう。
減らず口を叩くなと怒り出すコモ爺を押しのけて、女連中が荷車を囲んだ。
「無事で良かった。誰か、アトリ達に教えてきてあげて!」
「もう男の子の真似ばかりするのは止めなさいね?外がどれほど危険か、これでよく分かったでしょう?」
別に真似をしていたわけじゃないし、今回の護衛だって、遠くにお嫁に行くマーヤのために、ギリギリまで一緒にいてあげたいと思って志願したことだ。
母やここにいる女性達だって、必要であれば馬を乗りまわすし、狩りに行くことだってある。
そうは思うものの、散々心配をかけたという後ろめたさがあって、何も言い返せない。
「ごめんウィル、ちょっと降ろしてもらっていい?」
荷台の上で見世物になっているのがだんだん落ち着かなくなってきて、私は穏やかな笑みを浮かべて様子を見守っていたウィルに声をかけた。
ウィルは何も言わずに私に近づくと、脇と両膝の裏に手を差し入れて、私を荷台から持ち上げた。
持ち上げる瞬間も少しも力んでいる様子を見せず、まるで藁でも持ち上げたのかと思う程、動作が軽い。
黄色い悲鳴が上がったけど、少しも嬉しくない。
ロマンチックな状況ならともかく、私はただの怪我人なのだ。
そっと地面に降ろされると同時に、今度は怒鳴り声が聞こえた。
「何の騒ぎだ、これは!」
聞き覚えのある声に反射的に顔を向けると、イサクが馬上から不機嫌な顔で私達を睨んでいた。
「何でエストアの兵士がこんなにいるんだ!?昨日からまた増えてるじゃないか!お祭りでもやろうっていうのか?」
いきなりのけんか腰に、誰よりも私が一番に切れた。
「イサクっ!あんた大怪我して帰って来た幼馴染みを前にして、大丈夫の一言くらい言ったらどうなのよ!それに、彼らはマーヤ達を探すためにわざわざ来てくれたの!私だって命を助けられたっていうのに、なんて礼儀知らずなの!?」
久しぶりに大声を出したせいか、ふらりと眩暈を感じる。
すると、後ろにいたウィルが私の左肩に手を載せて、自分の体にもたれさせてくれた。
「ユニが無事なのはおばさんから聞いて知ってた。良かったな。それより、お前がこいつらに頼んだのか?」
「そんな棒読みで言われたって、砂粒ほども嬉しくないけどね。・・・・・ねえ、何でそんな態度なのよ?大勢で探したほうが、早く見つかるじゃない。」
私はイサクの言葉に怒りを通りこして、情けない気持ちと不安な気持ちが同時に湧き上がってきた。
どうしてイサクがこんなに不機嫌なのか、意味が分からない。
マーヤが心配で、平常心でいられない気持ちは分かる。何かに八つ当たりしたい気持ちにもなるだろう。
それでも初対面の、それも異国人の前で、こんな醜態を晒すなんて・・・・・。
「マーヤは俺が見つける。ドルガ様やエストア人に頼らなくても、俺が必ず助けてみせる。マーヤを助けられるのは、俺だけだ。」
「イサク、一体・・・・。」
どこか狂気を孕んだようなイサクに、どんな言葉をかけようとしていたのか。自分でも分からなくなって、口ごもる。
マーヤとドルガ様の結婚が決まってから、イサクはずっと陰鬱な顔で・・・あれからイサクの笑顔を見たことが、はたして一度でもあっただろうか?
愛する人が他の男性と結婚する事が決まって、あげくのはてに盗賊に攫われて、イサクの精神は、私達が考えるよりも深く追い込まれているのかも知れない。
強張ったイサクの顔をそれ以上見ていられなくて、視線を逸らせる。
少しも再会を喜んでくれなかったことが、想像以上に胸にこたえた。
イサクが子供の頃からマーヤしか見ていないことくらい、よく分かっていた。
マーヤを眩しそうに見つめるイサクを、私もずっとずっと見ていたから・・・・・。
それでも、友人程度には気持ちを向けられていると思っていたのに・・・・・。
「君の、その自信の根拠は何だろうな?よければ聞かせてくれないか?」
それまで黙って話を聞いていたウィルが、特に怒りもせず、不思議そうにイサクに声をかけた。
「・・・マーヤの事は、俺が一番よく知ってる。マーヤだって、俺に助けて欲しいと思ってるはずだ。」
「その子は確か、ほかの集落に嫁ぐところだったと聞いたが・・・どうせなら婚約者に助けて欲しいんじゃないかな?女心としては。それに、どれほど彼女の事を知っていたところで、攫っていったのは盗賊なんだろう?あまり意味はないと思うがな。」
冷静なウィルの言葉に、イサクは怒りで顔を真っ赤にした。
イサクの話は、まるで夢に侵された夢遊病者のように聞こえる。ここまで愚かな事を言う人ではなかったのに・・・。
「うるさい!そもそも関係のない人間がごちゃごちゃとでしゃばって、大きなお世話なんだよっ!」
怒鳴りつけるイサクに、私を含めた村の人達はいっせいに血の気が引いていった。
いくらウィルが温和な人だとはいえ、流石にこれは怒るだろう。
わざわざ助けに来て、こんな侮辱を受けたのだから。
「イサクっ!!今すぐ馬から下りて謝れ!私の娘の恩人にそれ以上侮辱を加えるなら、お前の思い上がりをその鼻ごと叩きつぶしてやる!!マーヤどころか一生女にモテない顔にしてやるぞ!」
シンとした空気を破ったのは、少しはなれた場所から杖らしきものを振り回して叫ぶ父の声だった。
「お父さんっ!」
父の姿を見て、愕然とした。
右の目は包帯でグルグルと覆われ、左足のふくらはぎにも幾重にも包帯が巻かれている。
イサクは父の言葉に舌打ちをすると、ウィルを睨みつけてから自宅の方へと馬を走らせて行った。
「お父さん!その目・・・酷いの?ねえっ、大丈夫なの!?」
私が父の方に歩き出すと、同じように父も杖を使ってぎこちなく私の方へ歩いてきた。
その隣で、母が心配そうに私と父を見ていた。