第16話
「ユニ、どうするの?」
族長の家を出ると、すぐにマーヤが小声で話しかけてきた。
「・・・・・どうするって言っても・・・。」
迷う気持はある。招かれてもいないのに突然会いに行くのは気が引けるし、高い地位にいる人だと分かった後で、どういう風に接すればいいのかも分からなくなってしまった。
いくらデリックが一緒に行ってくれるとはいえ、家族とはなれて遠くまで旅をすることに漠然とした不安もある。
正直に言えば積極的に行きたいとは思わない。かといって、行かないという選択肢はない。
「私も、ウィルとは一度ちゃんと話をした方がいいと思う。それに、デリックは宰相様の依頼で私を呼びに来たって言ってたでしょう?私が行かないと、デリックが困るよね?」
「そうね。きっとすごく怒られるよね?」
「多分ね。あんなに必死だったんだもの。宰相様のことが怖いのよ。」
マーヤは少しの間黙り込んだあと、不安そうに問いかけた。
「ねえユニ、会いに行って・・・話してくるだけ、だよね?問題が解決したら、ちゃんと村に帰ってくるよね?」
「・・・もちろん!他にどこに行くっていうの?デリックだって、ちゃんと帰りも面倒見てくれるわよ。」
私の答えに、マーヤはほっと息をついた。
「そうだよね。ごめん、変なこと聞いて。もしユニが帰ってこなかったら、どうしようって思って。」
マーヤの笑顔に、私は上手く笑みを返せなかった。
どこにも行くつもりなんてないのに、一瞬答えるのを迷ってしまったのはどうしてなのだろう?
父が仕事を終えて帰宅する時間を見計い自宅へとやってきたデリックは、族長の家で話した話を同じように両親にも話した。
話を聞き終えた父は、難しい顔をして腕を組んだ。
私が家に帰ってすぐに事情を説明しておいたから、母の態度は終始落ち着いたものだった。
「・・・・・お話はよく分かりました。しかし、娘を一人でそんな遠くにやるのは心配です。いや、もちろんあなた方のことは信頼しているが・・・。」
「お気持ちはごもっともです。ですが、私の配下の者も何名か護衛のために連れて来ておりますし、移動には馬車を使います。決して危険なことはありません。身の安全は保障しますし、定期的に手紙で連絡もさせていただくつもりです。なんとか、お願いできないでしょうか?」
考え込む父の様子に、デリックは突然明るい声を出した。
「そうだ!なんなら家族全員で来てもらってもいい!観光旅行だと思って、遊びに来ませんか?」
「えっ、全員で?」
「そうです。もし家畜の面倒を見る必要があるのなら、部下を一人ここに残していきます。費用のこともご心配なさらず、宰相様が全部出してくれますから。」
大した負担ではないと笑うデリックに、父が意見を求めるように母に目を向けた。
「お気持ちはとても有り難いと思いますが・・・私たちはここに残ります。この子はもう子供ではありません。ユニ、一人でも大丈夫ね?」
私が返事をするよりも早く、父が声を荒げた。
「アトリっ!」
「ユニはもう16なのよ?ヘイル、あなたもそろそろ子離れしないと。」
「俺はそういうこと心配しているんじゃない!」
父の言葉に、母は表情を厳しくして言い返した。
「じゃあ、何を心配しているの?」
「ユニは片手が不自由なんだぞ?誰かがそばにいてやらないと・・・。」
「・・・・・そういうところが駄目なのよ、ヘイル。私も気持ちは一緒。いつだってそばにいて、困ったことはなんだって助けてあげたい。そう思って小さな子供のように世話をして、その結果どう?ユニには私達の気持ちが、重荷なのよ。」
・・・母がそんな風に考えていたなんて、思ってもいなかった。
「お母さん、私は別にそんな風に思ってないよ?感謝してるし、私の方こそお母さん達の重荷になってるんじゃないかって・・・。」
私の言葉に、母が溜息をついた。
「そういうことよ、ユニ。私達も村のみんなも、あなたが今まで通りじゃないと思ってる。あなたもそう思ってる。だから私たちはあなたを助けたいと思うし、あなたはできるだけ助けられたくないと思ってる。」
そう言って、母は私の手をやさしく握った。
「あなたの話を聞いて、これはいい機会だと思ったの。村にいると、どうしても誰かがあれこれ手を貸して、ユニを甘やかすでしょう?少し遠出して、気分転換してきたらどうかしら?」
「お母さん・・・・・。」
母の言葉に、ずっと胸の中でくすぶっていたわだかまりが少しだけ小さくなったような気がした。
「知らない人に声をかけられても、絶対についていくんじゃないぞ?酒も飲むな。母さんの薬は一通り持ったか?帝都に行ったら、一人でふらふら歩き回ったり、好奇心で怪しげな店に入ったりしないように。それから」
「分かったってば!朝からもう何回も聞きました!」
雪が降る前にエストアに着いた方がいいということで、翌日には村を出発することになった。
ちょっと急すぎる気もしたけど、変に時間が空くよりも、決めたら早いうちに行動した方がいい。
村をまわってしばらく旅に出ると挨拶を済ませて、それから家に戻り、慌しく着替えや普段使ってる日用品を袋に詰めていく。
父は昨日の母の言葉がこたえたのか、反対しないかわりに山のような小言を言ってきた。
心配してくれてるんだからと大人しく聞いていたそれらも、同じことを何度も言われればいい加減うんざりしてくる。
「ヘイルっ、往生際が悪いわよ?もっと娘を信用しなさい!」
「そんなこと言っても心配なんだよ。アトリ、毛布も一応持たせた方がいいかな?」
「何でも持てるだけ持って行かせたらいいでしょう!」
二人のやり取りに、準備を手伝うといって家まで来てくれたマーヤがおかしそうに笑った。
「おじさん、ほんと面白いね。ユニが行ったらおじさん寂しくて倒れちゃうんじゃない?」
「お母さんがいるから大丈夫よ。・・・・・でも、もしよかったらたまに様子を見てあげてくれる?一応、遅くても春には帰ってくるつもりだけど。」
「もちろん!」
「ありがとう、マーヤ。何かお土産買ってくるから、楽しみにしててね!」
「わしは酒でいい。珍しい酒があったら買ってきてくれ。」
突然、窓から顔の上半分をのぞかせたコモ爺に、私とマーヤは同時に体をビクつかせた。
「びっくりするじゃない!どこから話しかけるのよっ!」
「忙しそうだからあんまり邪魔したら悪いと思ってな。それと、これ持ってけ。」
そう言って窓から投げられたのは、手のひらに収まる大きさの小さなぬいぐるみだった。
目には小さなボタンが二つ。口と鼻は太めの糸でかたどられている。
人型のぬいぐるみは、身代わりになることで不幸な事故から人間を守ってくれるといわれている。
「それくらいしか家になかった。ちょっと不恰好だが、ないよりはいいかと思ってな。」
「あ、ありがと。」
「保護者がいないからって、ハメを外しすぎるんじゃないぞ?多分誘惑も多いだろうが、ちゃんと己を律してだな、両親に恥じない行いをするように。一歩外に出たら、お前は村の顔だ。陰口など叩かれないようにしっかりと自覚して」
「お土産はお酒でよかったわね?はい、ちゃんと覚えました!お守りもしっかり持って行きます。じゃあねコモ爺、また帰ったら遊びに行くからね!」
この村の男たちは、どうしてこう小言が長いのだろう。
まだまだ続きそうな予感に、私は一方的に話を止めて手を振ると、コモ爺の目の前で窓を閉じた。
「付き合ってたら、いつまでたっても準備が終わらないわ。私、そんなに信用ない?」
肩を竦めて見せた私に、マーヤはクスクスと笑った。
「それだけ愛されてるのよ。」
「・・・知ってる。」
それなのにそれが息苦しく感じるというのだから、本当に罪深い。苦い罪悪感に、マーヤに気付かれないようにこっそりと溜息をついた。
デリックは、部下数人と共に二頭立ての馬車を村の外に待機させていた。
最後までブツブツと小言を言い続けていた父は、言い疲れたのか心配のあまりか、どこかぐったりとしてヤタクに慰めの言葉を受けていた。
「しっかりしろよ、ヘイル。今からそんなことで、ユニがそのままエストアで嫁に行ったらどうするつもりだ?」
「まさかっ!ユニはほんのちょっとだけウィルさんに会いに行くだけだ。すぐに帰ってくる!」
ムキになる父を冷たい視線で一瞥してから、母はデリックに笑みを向けた。
「それじゃあ、娘をよろしくお願いします。ユニを帰すのは、できれば雪が溶けてからにして下さい。雪道は危険ですから。」
「分かりました。お嬢さんは、我々が責任を持ってお預かりします。」
それを横目で見ながら、私は見送りに来てくれた人たちと挨拶をかわした。
「マーヤ、私の事は心配しないでね。書けそうだったら、手紙も書くから。」
「うん。気をつけて、行ってらっしゃい。」
「帝都へ行くのなら、黒き翼持つ夜明けの太陽のお姿を見ることもあるやも知れん。うらやましいことだ。土産話を楽しみにしている。」
族長の言葉に頷くと、励ますように肩を叩かれた。
「これからもっと寒くなる。風邪を引かんようにな。」
「コモ爺も、体に気をつけてね。・・・お父さん、お母さん、行ってきます。」
「行ってらっしゃい、ユニ。」
「無理はするなよ。帰りたくなったら、すぐ迎えに行くからな。」
冬の間はなれているだけだというのに、ほんとに大げさだ。
私は苦笑して手を振ると、馬車に乗り込んだ。
窓から手を振りながら小さくなっていく人影や村を見ていると、なんとなく寂しいような気持ちと、何ともいえない開放感を感じた。
考えなければならないことは、たくさんある。ウィルのこと、そして、自分のことも・・・。