第15話
こんなに、この村は静かだっただろうか?
家の中に響くのは、母が乾燥させた薬草をすりつぶすかすかな音、それに時折家の外から聞こえる小さな話し声と足音、気の抜けたような羊の鳴き声、あとは自分の口からこぼれる溜息だけだった。
マーヤの誘拐事件から数ヶ月がたち、季節は秋を通り越して冬へと変わろうとしている。
マーヤとグエンはつい先日村の中でささやかな結婚式を行い、夫婦となった。
グエンは村を去ったイサクの代わりにヤタクの後を継ぐことになり、今はヤタクについて仕事を覚えている最中だ。
強面で大男、しかも顔に大きな傷があるグエンは、予想通り最初はなかなか村人達に受け入れてはもらえなかった。
それでも次第にどんな仕事も嫌がらずに行う姿勢が認められて、今ではすれ違えば誰でも挨拶を交わす程度には村に馴染んだようだった。
もちろん、そんなグエンと一緒にいるマーヤは本当に幸せそうに見える。
イサクがあれほど望んだ場所は、いまや完全にグエンのものだった。
そう思うと、イサクが村を追い出されたのは結局のところ本人のためにも良かったのだろう。
全てを犠牲にしてでも手に入れたいと切望したマーヤが、他の男、それも自分の企みで引き合わせてしまった男を愛する姿なんて、とても見ていられなかっただろうから。
村は日常を取り戻し、あの時怪我を負った村人もほとんどが完治し、傷跡を残しながらも己の仕事へと復帰していた。
中には私や父のように後遺症を残し完全には元の生活に戻れない者もいたけど、元盗賊から送られてくるお金を村長が優先的に分けてくれるおかげで、ひもじい思いをすることにはならなかった。
「はぁ・・・・・。」
何度目かの溜息をつくと、母が手を休めないままチラリと視線をよこした。
「ヒマだったら、コモ爺のところにでも遊びに行ってきたら?」
「最近毎日行ってるから、あんまりいい顔されないんだよね。マーヤは新婚で邪魔したくないし、気晴らしに馬で走り回ってこようかと思っても、怒られるし。」
「当たり前よ!」
「だから、言うこと聞いて大人しくしてるじゃない!」
つい語調が強くなってしまった。苛々している顔を見られたくなくて、俯いて髪で顔を隠す。
「・・・・・ごめんなさい。」
大抵のことは左手でできる様になったものの、片手でできることは限られている。
右手も動かないわけではないけど、動かすのにかなり意識を集中する必要があるし、時間もがかかる。
今までなら当たり前にできたことが、できない。
マーヤは結婚して、幸せで、きっとそのうち子供もできるだろう。でも、私は?
醜い傷があって、片手が不自由な私は、この先どうなるのだろう。
一生一人でいるのなら、一人で生きていけるような仕事を見つけなければならない。でも、何をするにも片手では不十分なのだ。
村の人達は、私を見捨てたりはしないだろう。でも、この先ずっと誰かの手を借りなければならないのかと思うと、漠然とした不安がわきあがって夜も眠れなくなる日もある。
二年後に戻ってくると言ったウィルの言葉も、数ヶ月たった今では明け方に見た夢のように曖昧になっていた。
それに、売れ残った自分の面倒を見させるためにウィルを待っているのかと、自分で自分を責める気持ちもあった。
「ユニ・・・・・。」
何か言いたそうに口を開いた母は、その先を続けてはくれなかった。
母がこんな風に、まるで遠慮するような様子を見せるようになったのは、いつからだっただろうか。母だけでなく父も、時々腫れ物に触るように私に接するときがある。
・・・・・そんな風に、二人に屈託を持たせてしまったのは、間違いなく私だった。
沈黙に耐え切れず、何か言わなければ、何か話題を変えなければと、考えれば考えるほど、何も気の利いた言葉が思いつかない。
結局その沈黙を破ったのは、私でもなく母でもなく、慌しいノックの音だった。
救われたような気持ちで急いでドアを開けると、走ってきたのか頬を赤くしたマーヤが立っていた。
「ユニっ!ちょっと来てっ!おばさんっ、ユニを借りていきます!」
マーヤは私の左手を引っ張ると、返事も聞かずに走り出した。
「マーヤっ、どうしたの?」
「ほら、あのエストアの人っ!えっと、ほら、あの人、副隊長って人!あの人が来てるの、ユニに用事があるって!」
「もしかして、デリックのこと?」
どうしてウィルではなく、デリックが村に来たのだろう?
どこかに用事があって、ついでに村に寄ってくれたのだろうか?
マーヤが私を連れて行ったのは、族長の家だった。中に入って客人用の部屋に入ると、すぐに先客が立ち上がって私達を振り返った。
「お譲ちゃん!!よかった!無事に会えたな!」
取り乱したように叫んだデリックは、転がるような勢いで私の前にくると、嬉しそうに肩を叩いてきた。
「あ、あの、お久しぶりです、デリックさん。よかったって、何かあったんですか?」
訊ねると、今度は蒼白な顔色になって身をのりだした。
その迫力に押されるように一歩下がると、わざとらしい咳払いをして族長が声をかけた。
「もしよろしければ、このままこの部屋をお使い下さい。我々は席を外しております。」
「ありがとうございます。でも、もしよろしければ一緒に話を聞いていただきたい。」
「はあ、それは構いませんが・・・。」
族長が手で着座を勧めると、デリックは最初に座っていた場所に腰を下ろした。
「・・・じゃあユニ、私は外に出てるね。」
いかにも気になりますといった様子のマーヤに、私は笑って座るように勧めた。
「マーヤに聞かれて困る話なんて、何もないわ。いいですよね?」
族長が聞いていい話しなら、マーヤが聞いても構わないだろう。私個人への用事のようだから、特に困ることもないはずだ。
「ああ、どうせ後で話すんだろうしな。」
私とマーヤが座ると、デリックはおもむろに話し出した。
「お譲ちゃんに、折り入って頼みがある。」
切羽詰った表情に、思わず息を飲み込んだ。
「実は、ウィルのことなんだ。夏にエストアに帰ってから、突然退職すると言い出してね。彼はあの時たまたま小隊の隊長なんてやっていたけど、普段は政治に深く関わる、とても重要な役職についているんだ。といっても、俺も帰ってから初めて知ったんだけどな。それで、突然辞めるなんて言ったから宰相様がカンカンになって怒って、今大騒ぎになってる。」
驚きに目を丸くしている私に、デリックは言葉を切ってじっと私を見た。
話を飲み込むまで待っているのだろう。
「・・・・・重要な役職って?エストアの宰相様と直接関わるほどのお仕事ってこと?」
「内容までは俺も詳しくは知らない。ただ少なくとも、宰相様はウィルに大分期待を寄せているようだ。後任を探すといっても、彼の代わりが務まる者など簡単に見つかるわけがないと、とにかく激怒してる。それで、だ。ウィルがそんなことを言い出す直前まで一緒に行動していた俺が呼び出されて、事情を洗いざらい吐かされたわけだ。」
「・・・・・ごめんなさい、何だか迷惑をかけたみたいで・・・・・。」
知らなかったとはいえ、あちこちに非常に迷惑をかけてしまっているようだ。
謝罪の言葉をかけると、デリックは慌てて頭を振った。
「いや、お譲ちゃんが悪いわけじゃない。これはウィル自身の問題だ。・・・それで、心当たりはないかと聞かれてつい口を滑らせてしまったんだ。旅の間に好きな子ができたみたいだから、結婚して移住でもするつもりなんじゃないかとね。」
もしかして、ウィルを誑かした悪い女みたいに思われたのだろうか?
「つまり・・・・私にウィルを振って欲しいってことですか?」
話の流れからしてそうだろうと検討をつけた私の言葉に、デリックは怯えたように顔面を蒼白にした。
「ま、まさかっ!とんでもないっ!そんなおそれお・・・い、いや、そんな不躾なことは宰相様もお考えにならないよ。そうじゃなくて、何とか仕事を辞めないように説得して欲しいんだ。これは勘違いしないで欲しいんだが、お譲ちゃんにエストアに住むよう、強制するわけじゃない。とにかく、一度ウィルと会って話し合って欲しい。いい解決方法がないか、二人で考えてみて欲しいんだ。それが、宰相様の望みだ。」
「あなたがここに来たこと、彼は知っているんですか?」
神妙に話を聞いていたマーヤが、疑問を口に出した。
「いや、ここに来たのは、あくまでも宰相様からの依頼だ。ウィルは何も知らされてない。」
気まずそうにそう言ったデリックを見て、私とマーヤは顔を見合わせた。
「私が勝手に会いに行って、ウィルは迷惑じゃないかしら?」
ウィルは優しいから表立っては邪険にしないだろうけど、身辺がごたついているときに会いに行っては余計な気を使わせてしまうだろう。
「もちろん、迷惑なんかじゃないさ!旅の間は俺が保護者代わりになるし、本当に身一つで来てくれればいいんだ。・・・・・どうだろう、ここは俺を助けると思って、エストアに来てくれないだろうか?」
「・・・・・えっと、両親にも相談しないといけないし、明日まで待ってもらえますか?」
ウィルに会いたい気持ちはある。エストアの宰相様からも目をかけられているような人なら、私のためだけに退職するなんて、そんなことは辞めて欲しいとも思う。
でも、エストアは遠い。それに、帝都はエストアの中心にある。
狭い世界で生きてきた私には、とても遠く感じられた。
「それはそうだ。もちろん、明日でも明後日でも構わない。俺からもご両親には事情を説明させてもらうよ。大切な娘さんを預かるわけだからな。夕方、お譲ちゃんの家にお邪魔してもいいかな?」
そう言ったデリックは、断られるとは全く考えていないようだった。
「しかし、頭の切れといい実行力といい、ひとかどの人物とは思っておりましたが・・・そうですか・・・・・。ユニ、お前もとんでもない男に惚れられたものだな。」
考え深げに言って楽しげに笑った族長の言葉に、デリックは何故か引きつったような笑みを浮かべていた。




