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第一章 見知らぬ世界と紫の瞳

「ん……」

 さくらはゆっくりと瞳を開けた。ゆるゆると意識が覚醒していく。

 まず、白く薄いオーガンジーのような布が視界に入った。訝りながら体を上向けると、天蓋が見えた。見知らぬばしょだ。こんなベッドに寝たことがないどころか、実際に見るのも初めてだ。

 一体これはどういうことだと身を起こすと、自分が柔らかでふかふかの天蓋付きベッドに寝かされていたことを知った。

「ここは……?」

 記憶の糸を手繰っていくと、養子に引き取られた先で得体のしれない男たちに連れ去られそうになって逃げ出し、大きな洋館に逃げ込んだ事を思い出した。

 そして、洋館の中にあった絵が光っていたのだ。それに触れた瞬間からの記憶がない。

「じゃあ、ここはあの洋館の中……?」

 あそこにもし人がいたのなら事情を説明して勝手に入ったことを謝らなければ。

 ベッドから出ると、自分が真っ白な部屋着のようなドレスを着させられていることに気付いた。倒れているところを見つけた洋館の家人が着替えさせてくれたのだろうか……?

 さらりとしたドレスの布が足にまとわりつくのが気持ちいい。まるでお姫様か何かになったみたい。

 くるりと体を回転させると、ドレスの裾がふわりと広がった。

「お目覚めになられましたか!?」

 驚きの声が聞こえてきたので、さくらはそちらを見やった。

 視線の先には淡い栗色の髪をまとめた、シンプルなピンクのドレスをまとった少女が口に手を当ててこちらを凝視していた。

「あの、この家の人ですか?」

「ああ、良かった……! すぐに人を呼んでまいります!」

 そう言うと少女は慌てて踵を返し、扉を開けて部屋の外へと駆けて行ってしまった。

「あの……!」

 呼び止めたが、少女のほうが早かった。さくらの声は聞こえたかもしれないが、それどころではない様子であった。

 間もなくして、数名の女性が部屋にやってきた。予想外の人数にさくらは逆に戸惑ってしまった。だがそれ以上に、部屋に入ってきた女性たちの振る舞いに戸惑いを通り越して驚愕してしまった。

 彼女たちは部屋に入ってさくらが立っているのを見つけるや否や、一斉にひざまずいて頭を垂れたのだ。

「ファーナ姫、お目覚めになられまして安心いたしました。無事のご生還、心よりお喜び申し上げます」

「へ、姫って……?」

「姫がお目覚めになられたことは、王宮へも早馬を走らせました。陛下もさぞお喜びになるかと思います」

「あの、ちょっと……人違いされてるんじゃ……」

 さくらはどうやらファーナ姫、とやらに間違えられているようだ。どれほど似ているのかはわからないが、人違いであることを黙っている必要はない。なるべく早く勘違いを訂正せねばならない。

「お目覚めになった姫との謁見を陛下もお待ちかねでありましょう。すぐに湯あみと身支度のご用意をさせていただきます」

「あの……私、その、ファーナ姫とかじゃないんですけど」

「さあ、姫、陛下の御前にそのお召し物では失礼にあたります。浴場へご案内させていただきます」

 使用人なのだろうか、数名の少女たちがさくらを促して連れて行こうとする。何度も自分はファーナ姫とやらではない、人違いだと言っても、聞く耳を持ってもらえない。

 脱衣所と思われる部屋に連れてこられ、いきなりドレスを脱がされそうになった時にはさすがに抵抗した。

「ひ、一人で脱げますから……!」

「姫にそんなお手を煩わせるような真似をさせるわけにはまいりません」

「いえ、いりませんって」

「湯あみのお手伝いはわたくしどもの仕事です。どうぞ楽になさっていてくださいませ」

 あれよあれよといううちにドレスを脱がされ、一人で全裸にされたさくらは胸などを隠していたのだが、やがて腹をくくって手を下ろした。ここにいるのはみんな女性だ。恥ずかしさはあるが、体を隠すほどでもない。見せつける価値があるわけではないが、逆に恥ずかしがっている方が不自然に思える。

「姫、失礼いたします」

「はい?」

 少女二人が、さくらの胸元をじっと見つめていた。さすがに凝視されるのは恥ずかしいので手で胸元を隠すと、二人は顔を見合わせて微笑みながらうなずいた。

「間違いありませんね」

「たしかに確認しました。巫女長様にご報告を」

「あの……何のことですか?」

 少女の一人が「ああ」と声をあげてさくらへ視線を移した。

「姫の左胸に、痣がございますね?」

「え? ああ、生まれつき……なのかな、物心ついた時にはあったけど」

 左の乳房の上部あたりに、生まれついての痣がある。見れば何かの文様のような形をしているので、意地悪な同級生にはタトゥーを入れているだのそれで男を誘惑しているんじゃないかなど、良いことを言われた記憶がない。さくらにとってこの痣は忌まわしい存在であった。

「それが、月の巫女姫、ファーナ様であるというまぎれもない証です」

「……この痣が……?」

 少女たちは首肯する。

「さようでございます。詳しいことは巫女長様か陛下にお尋ねくださいませ。わたくしたちはそれ以上のことは知らないのです」

「そう、ですか……」

「さあ、湯船にお浸かりください。すぐにお身体と髪を洗う用意をしてから参りますゆえ」

「え、あの……」

 有無を言わさずに浴場への扉が開けられ、さくらは中へと促されて入って行った。

 目の前に広がる浴場は、スーパー銭湯か、と思うほど広いものだった。施設にいたころ、年に1~2度連れて行ってもらったことがある。施設の風呂よりも全然広くて綺麗で、はしゃぎまわって叱られたことを思い出し、さくらはくすりと笑みを漏らした。

 浴槽は広く、湯が溢れるほどたっぷりと張られていた。大理石のような浴槽や壁、柱などには豪奢な彫刻が施されており、いかにも豪華な雰囲気を漂わせている。そして湯に無数の美しい花びらが浮いていた。浴場には花の香りなのだろう、甘く華やかな香りが漂っていた。

 湯船に足を入れると、ちょうどよい温度で少しとろりとした湯が体にまとわりついて気持ちが良かった。余裕で足を伸ばせる。いっそ泳いでも大丈夫なほどだ。

「気持ちがいい……」

 頭を反らし、髪の毛を湯に漬ける。腰までもある長い髪が湯に広がった。

 周りから浮いてはいたが、さくらはこの淡い金髪が気に入っていた。自分自身をしっかりと確立する意味でも、髪を伸ばして自身の存在を気丈に保ってきた。これが私なのだ、と。染めたり隠したりしたこともある。だがどうやっても隠しきれなかった。ある意味開き直りでもあったが、自分の容姿を受け入れた頃から精神的に安定してきた気がする。

 真実かどうかは分からないが、自分がファーナ姫だとやらだったのであれば、この姿も納得がいく。陛下……というと王様、なのだろうか。ちゃんと納得のいく話が聞ければいいのだが。

「失礼いたします」

 そんな声がしたかと思うと、浴場へ使用人に少女たちがわらわらと入ってきた。先ほど言い残したように、さくらの髪や身体を洗いに来たのだろう。

「いえ、自分で出来ますから……」

 そんなさくらの抵抗も空しく、少女たちはさくらの髪や身体を香りのよい石鹸で洗っていく。ついに抵抗するのはあきらめたが、さすがに身体の前面だけは自分で洗わせてもらった。

 そのあとゆっくりと体が温まるまで湯につかり、風呂から上がったあとは、肌に良いと言う香油を体と髪に塗りこまれた。たしかに華やかな花の香りのする香油は肌や髪を見たことがないほど艶やかに仕上げてくれた。

「さあ、これにお召し替えくださいませ」

 少女が持ってきたのは淡いグリーンのドレスだった。二人がかりでドレスを着せられ、これまた二人がかりで髪を整えられる。まさに『姫』のような扱われようである。くすぐったいようないたたまれないような気持ちだったが、こんな風にかいがいしく世話をしてもらった経験がないので、嬉しい気持ちも感じていた。

「巫女長様、陛下がお見えになりました」

「すぐに謁見の間へお通しを。さあ、姫、参りましょう」

 一人の少女が王の来訪を告げ、身支度を整えられたさくらは、少し年配の女性――彼女が巫女長らしい――に促されて部屋を後にした。

 大理石のような石で造られた長い廊下を歩き、緻密な彫刻をほどこした大きな木の扉の前で巫女長は立ち止まった。彫刻は月と女神がモチーフになっているようだ。

「陛下、ファーナ姫をお連れ致しました」

 扉が開かれ、さくらよりも先に部屋に足を踏み入れた巫女長は、奥のテラスでこちらに背を向けて立っている人物に声をかけ、ひざまずいて頭を垂れた。

 ずいぶんと背の高い人だ、とさくらは思った。テラスからの光で逆光となり、見えるのは輪郭くらいであとはシルエットになっている。

 彼がこちらを向くと、ふわりとマントが翻った。それだけの動きですら優美に見える。

 そしてさくらを認めたのか、こちらへと近づいてきた。

 彼が近づくにつれ、その容姿が明らかになっていった。

 黒くかっちりとした衣服に、肩に房飾りのついた濃紺のマント。腰には剣を帯びている。服には美しく手の込んだ装飾が施されており、それをまとっているのは見るからに高貴な人物であるとわかる。

 足元は黒いブーツを履いていた。黒い衣服は腰を隠すほどの長さだったが、そこから伸びるスラックスに包まれた脚はすらりと長い。

 王様というよりも……王子様みたい?

 男性が、さくらから2メートルほどの距離までやってきた。見上げたさくらはいきなり心臓をわしづかみにされたような衝撃を覚えた。それまで衣服のほうに気を取られていて、彼の顔に意識が向いていなかった。

 黒髪は短く整えられ、左から分けられた前髪が額を半分ほど隠している。

 きりっとした眉、すらりとした鼻梁、わずかに微笑みをたたえた薄めの唇。

 どれもが完璧で、これほど精悍で美しい男性をさくらは見たことがなかった。

 何よりも目を惹いたのは、彼の瞳である。

 切れ長の怜悧な瞳は紫水晶のようなすみれ色で、知性と意志の強さを秘めていた。その視線の強さに、さくらは戸惑いすら覚えた。視線に射すくめられたように体が固まり、心臓だけが激しく鼓動していた。

 数瞬の間をあけ、目の前の男性が王だということに改めて気づき、周りの少女らがしているようにさくらも床に膝をついた。

「いや、君がひざまづく必要はない。頭を上げるんだ」

 聞こえてきた声は朗々と部屋に響き渡った。なんという自信に満ちた声なのだろう。低く穏やかだが、威厳のある声だった。

「あの……」

「君がファーナ姫か。……姫であるという証は?」

 後の言葉は後ろに控えていた巫女長へと向けられた。巫女長は頭を下げたまま、「巫女見習いどもが確認したそうです」と答えた。

「えと、痣の確認はされましたけど、だからって私がその、ファーナ姫だっていう証拠には……」

 視線を向けられるたびに息が止まりそうになる。さくらはしどろもどろになりながらそう言った。

「ふ、む」

 王は一瞬思案し、おもむろに左手の手袋を取り払った。

「この痣に見覚えは?」

 差し出された左手の甲には、さくらの左胸にある痣と全く同じ形の痣がある。思わずさくらは自分の胸を押さえてしまった。

「君の胸にある痣と同じもののはずだが」

「えと……あの………………はい」

「ならば、間違いない」

 にっこりと、王は破顔した。一気に人懐っこい少年のような笑顔を向けられ、さくらの胸がきゅうっと引き絞られるように締めつけられた。

「自己紹介がまだだったな。私はレティウス・ヴィル・レ・ダスマニア。このダスマニアの王だ」

「あの……鈴宮、さくら……です」

「ふむ、君が<スウィラ>で名乗っていた名前だな」

 スウィラ、という言葉がさくらの耳に入ると、それは<絵の向こうの世界>という意味を成した。

「君の本当の名前は、ファーナ・エルスーラ。月の女神ファルナの巫女姫だ」

「えっと、その……よく、事情が分からないのですが」

 レティウスはじっとさくらを見つめ、ゆるりとうなずいた。そんな些細な動きですら優美である。

「そうだな。話せば長くなる。……巫女長、茶の用意を頼む」

「かしこまりました。すぐにご用意いたします」

「私と姫は月光の花庭に行っている。準備が出来たら呼びに来てくれ。それほど急がなくてもよいからな」

「かしこまりました」

 巫女長を始め、巫女見習いである少女たちが部屋を出て行くと、レティウスはさくらへと向き直った。どきりと胸が跳ね上がる。

「さあ、私についておいで。ゆっくり話しながら歩くとしよう」

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