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序章 絶望の果てに

「まだその辺にいるぞ! 探せ!!」

「おい、お前はそっちだ!」

「あんな上玉めったにいねえぞ! 探せ探せ! あんな目立つナリしてんだ、すぐ見つかるぞ!」

 胸から飛び出しそうなほどに激しい動悸と切れる息をなんとか抑え込み、鈴宮さくら(すずみやさくら)は物陰から外の様子を伺った。

 日が落ちていてよかった。昼間なら逃げるのは難しかったかもしれない。だが、まだ安心はできない。

 ビルの陰から顔半分を出してあたりを見回す。さくらを追いかけまわしている男たちの姿はとりあえず見えない。

 さくらは息を整え、タイミングを見計らって飛び出した。――が。

「いたぞ! こっちだ!!」

「あっちから回れ!!」

 見つかった――!

 男たちが追いかけてくるのが分かる。逃げなければ。でもどこに――?

 逃げるなら、人ごみの中へ。

 木は森に隠せという。同じように、逃げるのなら普通、人ごみに逃げ込んだほうが逃げおおせる可能性は高い。

 だが、さくらは腰までの淡い金の髪に碧の瞳を持つ、日本人離れした容姿をしていた。

 黒髪や茶髪の多い中では、この金髪はむしろ目立ってしまう。だからなるべく、夕闇にまぎれるように、ひと気のない方へ逃げるしかなかった。

 息が切れる。胸が爆発しそうに苦しい。足がもつれる――

 でも捕まったら何をされるかわからない。それだけは本能のレベルで感じ取っていた。

 逃げなければ。

 でも、どこに……?

「あ……っ?」

 さくらは、5メートルほど前の歩道沿いにある大きな門が、少しだけ開いているのを見つけた。

 門の隙間に体を滑り込ませると、足がもつれたのかふらりとしたが構わずそのまま中へと入り、門柱の陰に身を隠し、しゃがみこんだ。手で口元を押さえて息を整え、なるべく気配を消して様子を伺う。

「いたか?」

「こっちに逃げてきたのは確かなんだが……」

「逃がしたとなったらボスが黙っちゃいねえぞ。ちゃんと探せ!」

 自分を探す男たちの声がそばに聞こえて、さくらは祈るように身を縮こまらせていた。

 やがて足音と声が遠ざかって行き、さくらはようやく安堵の息をついた。

 こわばる足をゆっくりと伸ばしながら立ち上がり、スカートを軽くはたきながら周りを見回すと、うっそうと生い茂る木々の間に石畳が奥へと続いているが見えた。

 さくらは好奇心もあって石畳に沿って歩き始めた。一応、誰かいないか気配を確かめつつ歩みを進める。

 間もなくして眼前が広がり、大きな洋館が人目を忍ぶように建っていた。

「こんなところに洋館が……」

 古そうな建物だが、よく手入れされているのかとても綺麗だった。昼間に見ればもっとよく屋敷の様子などもわかったのにとさくらは少し残念な気持ちになった。

 人の気配がしないので、少しだけ休んでも大丈夫かもしれない。男たちがまだ外をうろついていないとも限らないので出来る限り時間をつぶしたい。木々の生い茂る庭の片隅くらいならいいだろうと思い、さくらは庭があると思われる方へと歩いて行った。

 広々とした庭には、綺麗な池が作られていた。澄んでいるように見えたが、魚がいるかどうかは分からなかった。

 池のほとりに東屋があるのを見つけ、さくらはしばらくそこで休憩することにした。洋館にも庭にも人の気配が全くしない。洋館の窓は全部真っ暗なので、家人は出かけているか、もしくは空き家なのかもしれない。

 東屋の椅子に寝そべると、やっと落ちつけたような気がした。硬い木の椅子だが、それでも疲れた体を休めるには上等だ。

(これからどうしよう……)

 ここにあと1~2時間ほどいれば、さきほどの男たちもさすがにいなくなっているだろう。だが、もう行くあてがない。

(どこにも、戻れない……)

 さくらは途方に暮れたように腕で両目を覆うと、そのまま意識を失ってしまった。



 鈴宮すずみやさくら。18歳。

 本名――不明。



 さくらは3歳のころ、泣きながら歩いているところを警察に保護されたものの、結局身元が分からず、施設へと預けられた。親と離れたショックのためなのか事故なのか理由は分からないが、さくらは自分の名前どころか言葉すら話せない状態だった。

 さくらは淡い金の髪と碧の瞳を持っていた。明らかに日本人ではなく、外国人の血が混じっていることは間違いなかったので、身元も早く解明するだろうと思われていた。だが、該当する子どもの捜索願などは出されておらず、さくらは結局そのまま施設で過ごすことになった。

 さすがに名前がないのは不便なので、一時的に『鈴宮さくら』という名で呼ばれた。施設長の名字に、彼女がさまよっていた満開の桜並木にちなんでつけられた名前だ。

 4歳になってようやく片言で話ができるようになってきたものの、さくらは3歳以前の記憶を失っており、結局身元どころか名前も何も分からずじまいだったので、そのまま『鈴宮さくら』という名で戸籍を作ったと聞いている。

 そんな経緯で、今の今までずっと施設で暮らしてきた。

 白金の髪に碧の瞳という日本人とはほど遠い容姿が災いしてか、彼女を引き取りたいという夫婦はなかなか現れなかった。

 施設の友人たちが次々と引き取られていくのを横目にしながら、表向きはしっかり者のお姉さんとして振る舞いながらも寂しく過ごしてきた。

 勉強だって頑張った。スポーツも頑張った。スピーチや読書感想文などでも賞を取ったこともある。

 さくらの美しい容姿は異性からは賛辞を浴び、同性からは妬みを生んだ。小学生くらいなら悪口くらいで住んでいたが、中学2~3生にもなると、すらりとした手足に豊かな胸、高い位置にある細いウエストにまろみにある腰は羨望の対象となった。同時に嫉妬の対象にも。さらには、異性から性的な目で見られたりすることも多くなった。

 陰湿ないじめや性的なからかいの対象にもなったこともあるが、それでもさくらは心を強く持ち、わずかながらも友だちを作って学校生活を送っていた。

 まるで、”いい子”にしていなければ、自分の居場所がなくなってしまうかのように。

 だが、それでも。

 さくらを引き取りたいという夫婦は現れなかった。彼女を見て「綺麗な子」「勉強もできるし気立てもいい」と褒めてくれるのだが、それでも彼女を家族として受け入れてくれる者はいなかった。


 自分は要らない子なのだ。

 誰にも必要とされていないのだ――


 やがてさくらの心に闇が生まれた。施設の仲間がもらわれていくたび、見えない心の傷はどんどん深くなっていった。明るく振る舞うその裏で、抜けない棘のように自己否定の闇はさくらを蝕んでいった。

 そんな時だった。

 さくらを引き取りたいと申し出てきた夫婦が現れたのだ。

 その夫婦は子どもに恵まれず、不妊治療も何度も試みて失敗し、ようやく養子を引き取ることを決意したのだそうだ。年齢がすでに50に届かんとしていたため、あまり小さな子を育てる体力がなく、さくらくらいの年齢の子がむしろ良かったのだそうだ。さくらと同じ年頃の子は施設にはいなかった。その夫婦は彼女の容姿のことも承知の上で、それでも引き取りたいと言ってくれた。

 これはもう、願ってもないことだった。

 2~3度顔合わせをして一緒に過ごしたが、穏やかで優しい夫婦だった。このまま高校を卒業すれば、さくらは施設を出て就職しなければならなかった。けれどもその夫婦は、さくらが希望するなら大学へ行ってもいいとまで言ってくれた。そこまで自分を望んでくれたことに感動し、さくらは養子となることに同意したのだ。

 施設の仲間や職員はとても喜んでくれた。さくらもようやく自分の居場所が出来ると希望に胸ふくらませていた。

 スムーズに手続きが終わり、養父母の所に行ったその日の夕方、数人の男たちが訪れてきた。

 彼らはさくらを強引に連れて行こうとした。わけのわからずもがきながらさくらは養父母へ助けを求めて振り返った。が、視界に見えたのは男から分厚い封筒を受け取って頭を下げている養父の姿だった。

(まさか、売られた……?)

 茫然としているさくらを見つめ、養父母は「ごめんね」と小さくつぶやいた。「こうでもしないと生活できないのよ」と。

「おい、さっさと歩け!」

 腕を痛いほどにつかまれて引っ張られ、さくらは絶望に打ちひしがれてふらふらになりながら、男たちに連行されていった。

 理由は分からない。だが、自分が売られたのは分かった。きっとこの容姿のせいだろう。

 この男たちに連れていかれたら、いったいどうなるのか見当もつかない。どこか風俗に落とされるか、はたまた誰かの愛玩動物として売られるのか。間違っても幸せな未来はないだろう。

 ――どれもごめんだ。

 さくらは逃げる決意をし、車に乗せられそうになったところで男の股間を膝で蹴りあげ、男がひるんだ隙に腕を振り払ってなんとか逃げ出したのだ。

 そして、今に至るのである。



 頬に当たる冷たいものでさくらは目を覚ました。通り雨なのか、激しい雨が東屋の中にも降り込んできており、さくらの服も濡れ始めていた。

 慌てて東屋から走り出し、屋根のついた玄関へと向かう。

 玄関には大きな屋根がついていたが、雨脚はひどく、屋根の下まで降りこんできていた。足元を濡らしながらさくらはダメ元で大きな扉をノックしてみた。インターホンらしきものがないのでノックしか方法がない。

「あの……! 誰かいませんか……!?」

 かなり強くノックしても、誰も出てくる気配がない。やはり誰もいないのだろうか。

 その時、あたりが一瞬眩しい光に包まれ、すぐに耳をつんざくような轟音が響き渡った。

 激しい雷に驚き、本能的に逃げようとさくらは扉の取っ手を引いてしまった。すると、鍵がかかっていなかったのか、扉は抵抗なくかちゃりと開いたのだ。

「あ、開いた……!?」

 開いた扉を見つめ、さくらはしばらく呆然としていた。中に入ってもいいだろうか。見知らぬ人の家なのは十分承知だ。でも、このまま土砂降りの雨と雷の中にいるのはできるだけ避けたい。服は半分以上濡れているし、髪からは未だにしずくが滴り落ちている。

「えっと、おじゃま……します……」

 家主がいたら事情を話し、雨が止むまで滞在させてもらえるよう頼んでみようと思いながら、さくらはおそるおそる奥へと進んでいった。

 屋敷は広く、部屋は何部屋もあったが、どこも無人だった。キッチンにも行ったが食材はなくどこも磨きあげられて綺麗だったので、おそらく誰もいないのだろう。

 だが、それでも不思議と家具や調度品にほこりが被っている様子はなく、長期間誰もいない雰囲気にもかかわらず、手入れは行き届いているという変な屋敷だった。

 とりあえず無人ではあるようなので、さくらはリビングと思われる大きな部屋で雨がやむのを待つことにした。大きなソファにかかっているキルトはふかふかで、くるまっていると温かかった。

 そしてまた、さくらは眠りの世界へいざなわれていった――


 さくらが目を覚ますと、すっかり日が暮れてしまっていた。雨はやみ、空には大きな月が光っている。暗い部屋に月の光が差し込んできていた。

(これから、どうしたら……)

 あの夫婦の元へは、戻れない。施設に戻って事情を話し、匿ってもらうしかないだろう。でもあれほどの金をポンと出せるような黒幕がいるのだ。施設へも何らかの手が回っているかもしれない。

 お金も何もない。電話くらいできれば違ったのだろうが、着の身着のままで逃げてきたので、本当に何もないのだ。

 いやでも、とさくらは思った。

 疑っていても仕方がない。とりあえず、施設に戻ってみよう。ダメならまた、その時に策を考えればいい。

 さくらはぐっと伸びをした。大きく深呼吸をしてから、両頬をぱちんと叩いて気合を入れる。

 とりあえず、最悪の状況からは逃げられた。これ以上悪くなることはないだろう。

 テラスから庭に出ると、庭中に月の光が差し込み、池が光を反射しで淡く光っていた。

「綺麗……。月の光ってほんとに好き」

 月の光を浴びていると、なんだか気力が充実してくるような気がする。施設にいた時も、晴れた満月前後の夜にはよく外に出て月の光を浴びていた。

「……うん、頑張れそう」

 髪はまだ濡れているし、服も湿っている。でも、とても気分が良かった。状況は最悪に近いけれど。

 今夜一晩だけ、お世話になろう。明日になったら出ていきます。だから、一晩だけ。

 そう思って部屋に戻ったさくらは、部屋の壁にかかっている大きな絵が淡い光を放っていることに気がついた。

「絵が……光ってる……?」

 月の光を反射しているのだろうか? いや、絵の場所まで光は差し込んできていない。

 よくよく見ると、絵そのものが淡く光っている。

「どうなってるの?」

 大きなキャンバスには、白亜の城と緑の草原が描かれていた。どこかの国なのか、ファンタジーのような空想なのかは分からない。ただ、とても美しい場所だな、とさくらは思った。

 ふと伸ばした指先がキャンバスに触れると、そこからゆらりと波紋のように絵が揺らめいた。


 その瞬間、さくらの意識は闇に包まれた――

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