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史書  作者: 風華
止まぬ雨 
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第八章 止まぬ雨 1 

  紅貴と桃華が聖焔と翡翠に追いつく頃には、日が出始めていた。恵全土を覆っていた分厚い雲は紅貴がたどり着いた場所では切れ、早朝の靄を淡い光が照らしている。雲とぎれてるその場所が、ちょうど恵の国境を越えた場所なのだろう。

(恵だけ切り取られたみたいだ)

 桃華と共に、恵の西の孤島にたどり着いた紅貴は紅貴は視線を恵に向けながら、そう思った。それほどまでに、恵の領土を覆い雲は異様に見えた。どんよりとした重い雲は、ずっしりと、恵の空にのしかかっているように見える。つい先ほどまで、恵の国内の中にいたからわかることだが、大粒の雨は滝のような音をたてて降り続いていた。雷の音は、妖獣の声に思えた。 

 数刻前まで天気が崩れる気配などなかった。にもかかわらず、この気候だ。それが、いっそう不気味だった。


(……いったい何が起こったんだろう)

 そう、桃華に問いかけようとした紅貴だったが、隣の桃華の視線は恵の方角ではなく島の中央の山に向けられている。連なる高い山は、つい先ほどまで天馬に乗っていた紅貴にも、その頂が見えない。

 恵とは違い、薄い雲が高い山の上の方を覆っていたが、あまりにも高いものだから、山の全貌すらもわからない。


「あの山すごいよな」

 こんな時でなければ、その高い山々に素直に感動していたと思う。雄大な山はそこにあるだけで、確かに綺麗だ。登るなんて、無理だよな、と続けようとすると、桃華は静かに首を振った。


「聖焔と翡翠がいるのは、あの山の向こう側なんでしょう?」

「うん」

 紅貴は頷きながら、じっと山を眺める。桃華が言うとおり、聖焔はあの山の向こう側だ。桃華の天馬を以てしても、あの山を越えることができない。

 ということはやはり、一度海に出て島の周りを回りこむしかないのだろうか。


(ったく、聖焔のやつ、なんでそんな変な場所にいっちゃうんだよ)

「この島の周りの海は、流れが速くて、船じゃまわりこめないし、空から行こうとしても、風に阻まれるように出来てるの」

「そうなんだ。桃華詳しいな。あれ? でも、それって変じゃないか?海流が早いっていうのはわかるけど、風に阻まれるってどういうことだ?」

「そういう風に出来てるの。この島の一帯は。あの山の手前……こっち側、すごく綺麗でしょう? だからこちら側は観光地にもなっているんだけど、あの山の向こう側は限られてる人しか入れない。そう、なってるの」

「観光地……?もしかして、ここって朧月島?」

「うん。朧月島。……あの、向こう側は私の……煌桜家の地。本来は、煌桜家と、煌桜家が許した限られた人間にしか入れないの」

「なぁ、もしかして、俺たちが洸に行くために通るはずだった場所に辿りついたってことか?」

「そう」


 嘉から洸に行くためには、朧月島に行く必要があると桃華が言っていた。朧月島の南に。そこから洸につながっていると。まさかこんな形で目的地にたどり着くとは驚いている内に、紅貴は桃華に手招きされた。

「紅貴、こっち」


 桃華の左側には白い天馬がいたため、紅貴は桃華の右側を歩いた。夜が明けたばかりの朝であるため、人影はない。だが、観光地だという朧月島は綺麗な島だった。整えられた石畳の見の両端に、宿や店が並ぶ。独特の不思議な香りは、この地に湧き出る温泉によるものだろうか。

 恵の都のような壮麗さはなかっったが、それがかえって、島の中央にある八重山脈を引き立てているように思えた。


(ほんと、こんな時でなかったら楽しかっただろうな)

 いつか、全て終わった時――洸にいる人々も恵にいる人々も助けることができたら、みんなでここに来れるだろうか。こんな形ではなく、楽しむために。

(……何考えてるんだ、俺は)

 そんなことを考えている場合ではないし、そうなった時、きっと自分は――

「紅貴、着いたよ」


  ぐるぐると考えながら歩き続け、辿り着いたのは八重山脈の麓だった。木々が生い茂る中でも一際大きな木に桃華は手を付いた。

(木、じゃないのか……?)

 桃華が大きな木のようなものに手をついた瞬間だった。紅貴の心臓が大きく跳ねた気がした。木だと思ったものは、木にしてはいびつに曲がっているように見えた。周囲の木々の陰が落ちていたため、周囲の木々と同様茶に見えていたが、桃華が手を付くと、その木は眩しく光り出した。


「桃華、これ……」

「これ、神龍の身体の一部」

 桃華がそう言い、言葉を着ると、紅貴と桃華の前には光の道が出来たように見えた。

「聞いたことない? 色々な場所に神龍の身体の一部があって、それぞれ力が宿ってるの。ここにあるのは、煌桜家の地を、封じてるの。行こう、紅貴」

 こくりと頷き、紅貴が光の道に一歩踏み入れると、ぐにゃりと景色が歪んだように見えた。驚きながら瞬きをしていると、徐々に新たな景色が形成されていく。とても不思議な光景だった。だが、同時に紅貴は思った。

(あれ? 前にもこんなことあったな。あれはたしか嘉に初めて来た時……)


 そんな風に思っている内に、目の前の景色は先程までとは異なるものになっていた。八重山脈の麓の森は消え去り、大きな池が目の前に現れた。朝の柔らかな光を反射した水面には睡蓮の花が浮かび、その周りに桃や黄の花が咲いている。よく見れば、その花々の中にはこの時期に咲くはずのないものも混ざっていた。少し前に散ったはずの桜や、寒い洸で見た椿。紅貴が始めて見る、蔓の先に青や紫の花弁が開いた花もある。


「この場所では、季節は関係ないから」

「そうなのか?」

「うん。煌桜家に伝わる話なんだけどね、力を持っていた煌桜家は、ずっと昔、妖獣と戦う話を強いられてきたの。煌桜家の人間がどう思っていようと、妖獣と戦う力をもった人間なんんて限られていたから、自然とそうなって。でも、そんな煌桜家に、安らぎの地を与えてくれた人物がいた。それが、恵家の初代皇。その後は、あの史書にある通り」

「煌桜家は恵家に仕えるっことになった……」

「うん。何者の侵入をも許さない穏やかな地と、季節を問わず咲く花。綺麗な水が浮かぶ池と、家を与えられて」


 紅貴は驚きながらあたりを見回す。池と、池の周りの花を取り囲むように、して木で出来た建物が並んでいた。だが、瓦が敷かれていたであろう屋根はむき出しになり、いびつな形になっている。

 池の先の山々に階段があったが、それも崩れ落ちていた。

(桃華が言ってた煌桜家が滅んだって話……)

「前は階段を登って、あの山に簡単に上れたんだけど今は天馬がなきゃ上れなくなっちゃってる。あの山の頂上に私の家があったんだけどね」

「嫌なこと思い出させちゃってごめん」

「もう、済んだことだから気にしないで。それより、聖焔のところ行こう。あの山の上……多分私の生家のところでしょう?」

「うん」


 紅貴は桃華と共に、白馬にまたがった。空を飛ぶと言うよりは、跳ねるようにして空に舞い上がると、すぐに山の頂にたどり着いた。

 朱を基調とした建物は、崩れているところがなければ綺麗だったのだろうと思った。巨大な門の向こう側の小さな池と、屋根が落ち掛けている屋敷が丸出しになっていた。よく見れば、崩れ落ちた門には、細やかな桜の彫刻がなされていた。もしこんな状態でなければ、彫刻が透かし彫りのような役割を果たし、彫刻の隙間から、池の様子が微かに見えたのかもしれない。

 何年も手入れがされていないためだろう。池は濁って見えた。

(そう言えば、下の池も、睡蓮は浮いてたけど、色は濁ってたしなぁ)

 煌桜家が滅ぶ前にここに来ていたら、どんな綺麗な景色が見れたのだろう。 池のすぐそば――おそらく、かつては庭園であった場所に、聖焔が寝そべっていた。

 恵に現れた時よりも、小さくなっているのは気のせいではないだろう。


「小さくなったんだな」

《この場所であの大きさでいたら邪魔だからな》

 聖焔の横に翡翠で仰向けで横たわっていた。枕代わりとなっている黒天馬がじっとしていた。

「助けてくれてありがとう。聖焔」

《ここまで長かった。主たるお前が我を呼ばぬ限り、姿を見せることはできぬといいうのに》

「え、でも一度姿見せてくれたことあったでしょう?ほら、嘉の村で。私の刀を守ってくれた」

「そうなのか?」

 桃華の言葉に、紅貴はぱちぱちと瞬きをした。梓穏を仲間にした時のことだろう。あの時、梓穏を仲間に加えることで精一杯で気づけば意識を失っていた。ようやく目を覚ましたかと思えば、桃華と翡翠が眠っていた。

 あの時は、何が起こったのかわからなかったが、今なら分かる。桃華は煌桜家のの力を。翡翠は巓家の力を使いすぎていたのだ。


《あの時は、主が世話になったからな。それで仕方なく現れただけだ。本来は、主が呼ばぬ限り姿を現すことはできぬ》

「ふ~ん。あの神龍の魂の一部って言っても、やっぱり制約はあるのね」

《……我の力は全て主次第だ》

「じゃあ、ここから一気に恵に行けるようにするのも紅貴次第ってこと?」

「ここから一気に恵って?」

「さっき、八重山脈の向こう側から一気に、ここまで来たでしょう。あれと似たようなことが、聖焔にできると思うんだけど……ここから恵に繋がる道を作るの。ほら、また天馬にのって瑠璃と白琳を迎えに行くんじゃ時間かかるし」

《主が命じれば、できる。ただし、行き先は首都の外側までだ。詳しい説明は省くが、あそこは恵の皇の力が強いからな》

「うん。それで十分。紅貴、恵までの道を作るように、聖焔に頼んでくれる?」

「頼めば良いのか?」

「分かった。聖焔、恵までの道、作ってくれるか?」


 紅貴がそう言うと、聖焔はゆっくりと身体を起こし、口から炎のようなものを吐き出した。見た目は赤い焔のように見えるが、不思議と熱さは感じない。呆然とその光景を見ている内に、聖焔の前に「道」ができた。

 それは八重山脈の麓で見た、光の道によく似ていた。行き先は見えないが、光で出来た道は、やはり幻想的だった。


「じゃあ私、瑠璃と白琳を迎えに行ってくるから。天テン、行こう」

 桃華が口笛を吹き、白い天馬を呼ぶ。桃華と天馬が並んで道に一歩足を踏み入れると、道は風に攫われたかのように消えてしまった。

「桃華も、天テンも、道も消えちゃったけど、大丈夫なのか?」

《見えぬだけで、道は確かにそこにある。最も、煌桜家と、煌桜家の血を引く桃華が許した者しか、この地に足を踏み入れることはできぬがな》

「ふ~ん。でもさ、聖焔は、普通にここに来たよな? 桃華の許可を得ていたのか」

《我はこれでも神龍の魂の一部と力を継いでいるからな。これくらい簡単にできる。お前が助けて欲しいと望んだ人間は、恵の皇族の血を引いているから、そのような決まりは関係ないしな》

「あぁ、さっき桃華が言ってた話……この地を煌桜家に与えたのは、恵の初代皇なんだっけ。だから、その血を引く翡翠には、煌桜家の許可とか、そういうのは関係ないってことか?」

《お前にしては理解力があるではないか》

「なぁ聖焔、お前俺のこと実は主だと思ってないだろう……ところどころ馬鹿にされてる気がするし」


 紅貴の言葉に、聖焔は小さく笑い声をあげた。やっぱり、馬鹿にしてる。そう思い、ため息をついたその時だった。黒天馬を枕にし、聖焔のすぐ側で横になっていた翡翠が身体を起こした。ゆっくりと立ち上がった翡翠が腕を組み、無表情のまま聖焔と紅貴を見つめた。


「ここは?」

「朧月島。煌桜家の地だって」

 翡翠が、視線を桃華の生家だという屋敷に向けた。

「ここが……? 煌桜家に与えられた地は確か……」

 翡翠の眉が怪訝そうに顰められている。

(そういえば翡翠、煌桜家が滅んだことを知らないんだっけ)

《煌桜家は6年前に滅んだ。桃華は煌桜家の生き残りだ》

(6年前?)

 紅貴は、6年前という年月に引っかかりを覚えたが、それを無視し、聖焔と翡翠の会話に耳を傾け続けた。

「……冗談ではなさそうだな」

 翡翠があたりを見回した。きっと、翡翠の目にも、崩れ落ちた屋根や、朽ちた柱の様子が目に入っているはずだ。

「あいつは、なんでそんな大事なことを……」

《言う必要はあるまい。恵の皇族であることを捨てたお主になぜ言う必要がある。皇の力を持たぬ……捨てていたお前に何ができた》

 手を堅く握った翡翠が、小さく舌打ちをした。

「あの、煌桜家がな……ただの人間の仕業ではないのだろう?」

《もちろんだ。無数の妖獣が、この地を襲った。煌桜家であれば、妖獣を倒すことはできる。だが、襲った妖獣の中に、妖龍の末裔がいた。当時の当主が、命をとして妖獣をこの地に封じたが、煌桜家はそのまま……》


 聞いていく内に、紅貴は自身の心臓の鼓動が速まっていくのを感じた。この話を、自分は知っている。その事実に気づき、手が震えそうになった。紅貴は無理やり手に力を込め、震えを止めようとした。

 だが、指の先からどんどん体温が失われていくような心地がした。


「……瑛達の仕業か?」

《あぁ。あの日、瑛達が……》

「…違う」

 聖焔の言葉を、紅貴は静かに遮った。鳴り響く心臓の音がうるさい。だが、これを認めなければいけない。

「桃華の一族を滅ぼしたのは、俺の妖獣だろう? 6年前、俺に従っていた妖獣を瑛達に取られた。その妖獣が、煌桜家を滅ぼしたんだろう?俺の元を離れた後だったけど、離れたばかりだったから、妖獣が見た景色が俺にも見えた。家々が赤い炎に包まれてた。花も木も倒れていた。あれ以来俺は妖獣使いの力を使うのをやめて、そのことを考えるのもやめたけど、あれはこの地で起きたことなんだろう?」

《……煌桜家の人間にとっては普通の妖獣ごとき、敵ではない。煌桜家を滅ぼしたのは、妖獣の末裔……昨晩、恵の町にも現れたあいつだ》

「けど……!」


 桃華の力は知っている。その桃華と同じ力を持った他の煌桜家も強いだろうということも。だが、辛い思いをしなかったはずがないのだ。自分の妖獣のせいで、どれだけの人間が苦しんだのだろう。どれだけ辛い思いをさせたのだろう。――どれだけの命が奪われたのだろう。

 そんなことはわかりきっていたはずだ。だが、その中に身近な者がいたと知り、一度は乗り越えかけた恐怖の感情が蘇ってくる。

《……妖獣使いの力を使うのやめるか?》

「それは……」


 紅貴は、首を振った。かつて、妖獣使いの力で人々を苦しめた。だが、それを捨て去り、何もしないのは違うと思った。妖獣使いの力は、紅貴の意志一つで強くなる力だ。

 ただ辞めるのは、逃げに思えた。聖焔の声に、徐々に恐怖の感情が静まっていく。


(……桃華には謝ったところで、過去の出来事は許されない。けど、せめて桃華のためになにかをしたい)

「……勝手かもしれないけど、辞めないよ。俺。俺は、洸も恵も救いたい。妖獣使いの力はそのために使えるだろう? 俺は、翡翠や桃華みたいに剣が強いわけじゃないし、瑠璃みたいに気が利くわけでも、白琳みたいな能力を持ってるわけじゃない。そんな俺が何か出来るのって妖獣使いの力を使うことだけなんだ。だから……」

「……お前は迷わないんだな、紅貴」

 翡翠の言葉に紅貴は苦笑する。

「迷いようがないよ。俺にできることは少ないから」

 淡々と話していた翡翠の瞳が微かに伏せられた気がしたが、やはり、その顔からは感情が見えない。

 翡翠は、何か迷っているのだろうか。やはり、皇になることに迷いがあるのだろうか。

「……翡翠は、皇になることを迷っているのか?」

「皇になるもなにも、俺はただ……」

 そう、言葉を切った翡翠の視線が、八重山脈の方角へと向けられた。山で姿が隠されているが、ちょうど恵がある方角だ。

(守りたかったんだよな)


 翡翠が命を落とそうとしたことは、やはり許せない。だが、大切な者を守りたいという気持ちは分かる。翡翠が言いたいのはそういうことなのではないかと紅貴は思った。

《翡稜が死んだ今、恵の皇位継承者はお前だけだ。これまでのような安寧を求めるのならお前が皇になり、神龍と契約を結ぶのだな》

「ちょっと待てよ、聖焔、翡稜様が死んだってどういうことだよ」

 聖焔への問いに、翡翠が口を開いた。

「そのままの意味だ。父上……恵の皇は死んだ。妖龍の末裔が、姿を消しただろう? あれは、皇が死んだからだ。皇が死に、恵の地がそれに反応した。そうして引き起こされた力で妖龍の末裔の姿が消された。最も、完全に消滅したという保証はないが……」


 淡々と話されたその内容に、一度は静まっていた心臓の鼓動がまた早くなった気がした。紅貴にとって実の父親などあってないようなものだが、きっと紅翔が死んだ時と同じ時の気持ちなのではないだろうか。

 言葉が見つからない。


「……本来は俺がそうするべきだった。恵を守り続けた皇ではなく、何年も恵を離れていた俺が」

「そんなことないよ! 俺は、翡翠のお父さんも翡翠が死ぬのも嫌だった!どっちが死ぬとかそういうことじゃないだろう!」


 言いながら、なんて都合の良い言葉だろうと、紅貴は思った。だが、いわずにはいられなかった。誰かが犠牲になる前提だなんて間違っている。

「だが、俺か皇があぁしなきゃ、あの妖獣は消せなかっただろ?……どちらかがそうするしかないというのなら、やっぱりそうするべきは俺だった。俺は先代皇と違って、ずっと恵を守ってきたわけじゃない。餓鬼の頃に恵を出て、それきりだ。そんな奴の代わりに、ずっと恵を守ってきた皇が死ぬ……?なんの冗談だ」

「翡翠……」


 どっちも助かれば良い。言うのは簡単だった。けど、そんな風に翡翠に言われれば、返す言葉が見つからなかった。誰かが命を落とす。それだけは間違っているというのははっきりと分かっているのに、翡翠になんて声をかけて良いか分からない。

(結局俺が言ってることって綺麗ごとなのかな)


《……主と翡翠は賭けをしたのだったな。なんでも、主が我を呼ぶことが出来たら、お前は恵の皇になると。賭は我が主の勝ちだから、お前は恵の皇になるのだな》

「聞いてたんだな、話……」

《先代の皇の気持ちにむくいる気があるのなら、お前が、誰も犠牲にならずに済むようにすれば良いだろう。知っているだろう?恵の初代皇は、恵の全土を守る力を持っていた。お前もそれだけの力を持てば、妖獣など……たとえ、妖龍が相手でも敵ではないだろう》

「……出来ると思うのか。俺に」


 翡翠が静かに問うと、聖焔はおかしそうに笑った。

《今のお前では無理だろうな。だが、証を持って生まれたということは、それだけの素質を持っているということだ。今のお前からはその素質は感じられないがな》 

「素質がないなんて俺は思わない」

「それこそ、何の冗談だ」

 思わず、口から言葉が出ていた。翡翠がすぐに紅貴の声を遮ったが、紅貴はそれを無視して言葉を続ける。

「確かに、翡翠が自分の命を犠牲にしようとするのは絶対に許せない。けど、翡翠はずっと恵のことを考えていたはずだ。ずっと恵のことを救おうと考え続けてきた奴が、素質ないわけないだろう。それに、ほら、翡翠って、俺と違って、剣は扱えるし、古語も扱えるんだろう? 瑠璃に聞いたけど、法にも詳しいって」

「剣は扱えるのは、恵を出た後、そうしなきゃ修では生きていけなかったからだ。……知識を得たのは、何の才もなった俺が、皇として認められるためには、それしかないと餓鬼の頃は思ってたからだ。素質があるわけじゃ……」

 紅貴はにこりと笑った。やっぱり思った通りだ。翡翠に素質がないとは、紅貴には思えなかった。


「そう簡単にできることじゃないだろう、それ。子供の頃の翡翠を見てきたわけじゃないけど、恵を守るためには何でもやろうとしたんだろうなって思うし、皇になるための努力を惜しまなかったっていう風に俺には見える。それだけのことができる翡翠に素質がないなんて思わない」

「俺は……」

 ぽつりと翡翠が呟き、再び視線が恵に向けられた時だった。紅貴らがいる、煌桜家の屋敷の前に、再び光の道が現れた。光の道のなかから、桃華と瑠璃、萩の三人が現れる。そして、もう一人見知らぬ女性がいた。

 歳は、翡翠や白琳と同じくらいに見える。元々の肌の白さというよりは、恐怖で青ざめたとうように、顔色が悪い。髪も服もぐっしょりと濡れている。


「桃華、この人……」

「灑碧にどうしても伝えたいことがあるって言うから……」

 桃華がこくりと頷く横で女が突如ひざまずいた。額を地面に押し当て、すがりつくように指が突き立てられる。

「灑碧様、どうか、どうか私の話を聞いてください。灑碧様を信じた女性がいたんです……この簪に見覚えがあるはずです……!」


 赤と白の花があしらわれた簪はどこかで見たことがあると、紅貴も思った。どこで見たのだろうか。思い出そうとしながら、翡翠をみやると、翡翠の口元が小さく動いていた。

――白琳

 翡翠が口を閉じ、女の前まで歩いた。近づく翡翠の気配を感じているのだろう。女の指にさらに力がこもったよに見えた。地に突き立てられている手が微かに震えている。 


「顔を上げてくれ」

 翡翠はそう言ったが、女は口を開けない。そして、震える声があたりに響きわたる。

「灑碧様を信じ、命を落とした女性がいます」

 その瞬間、空気が冷たく震えた。出たばかりの日に雲がかり、ぽつりと雨の滴が落ちた。




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