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史書  作者: 風華
守りたかったもの 
74/80

史書 番外編 詰め合わせ

『史書』の番外編のような短編の詰め合わせです

第七章読了後推奨。


『月の誘い』お正月の話

『ある方のお話』ある方の話です

『切り札』本編始まる前の日常の話



『月の誘い』

幼い頃から、母から受け継いだ力の代償を払い続けた身体は、力を制御できるようになった今でも、時折その代償を払っていた。このまま、放っておけば、命を絶つことができるかもしれない。恵を思えば、その方が良いかもしれない。そう思ったが、今は嘉の武官であるという意志と、なにより、そんな時は、必ず、暖かい手が引き留めた。


 ゆっくりと目を開いた翡翠は、身体を起こし、あたりを見回した。外に目を向けると、澄んだ黒が視界に入る。眠る前は夕焼けの赤が見えたが、赤は消え、淡い月明かりの光が、部屋を柔らかく照らし出していた。殺風景な部屋だから、月明かりがまっすぐに入る。額を手の甲で触れると、まだ熱は下がりきってはいなかった。だが、昼間に比べれば気分は悪くはなかった。

月の位置から、時刻を把握した翡翠は、とくんと胸が鳴るのを感じた。もう、新年を迎えている。節目など、どうでも良い。そう、切り捨てようとしても、胸の鼓動はうるさくなるばかりだった。




「父上と一緒に起きていたい!」

「子供は寝る時間よ」

 年明けの日、それに伴い、碧嶺閣の内部は慌ただしい空気が漂っていた。それに感化されたかのように、まだ幼灑碧も寝付けないでいた。窘める萩を睨みつけ、灑碧は、再び口を開く。

「父上は皇の勤めを果たしてるんだろう?俺もいずれ、そうなるんだから良いだろう」

 萩がため息をつく。けれど、すぐに、静かな笑みに変わり、髪を撫でられた。

「15になってからよ。そうなってから、初めて、あなたは皇に付いていくことになる。――次代の立場でね」

「どんなことをするんだ?」

 寝るなら教えてあがるという言葉に、灑碧は大きく頷き、布団に潜った。年が明けたその日の深夜に行われる儀礼のこと。その意味。それらを寝物語として、聞いているうちに、灑碧はいつの間にか静かに寝息をたてていた。




 胸の鼓動を聞いているうちに、気づけば、翡翠は、寝台から降りていた。どうやら、15から続けている行為を、今年もやるらしい。そう、他人事のように思ったのを最後に、何かに憑かれたかのように、意識が張りつめていくのを感じた。髪を結び、衣替える。恵の酒と、白陶磁で出来た杯を抱えた翡翠は、すっと目を細めて、月明かりを見た。

 月の光がより近くに感じられる中庭に降りたのは、本能のようなものだった。

 月と、竹を背景に、龍が天に昇る図。それが、恵の皇に現れる証だが、月明かりが、皇としての力を強くするという。

 中庭に降りた翡翠は、首の後ろ側が熱くなっているのを感じていた。熱を感じたまま、膝をついた翡翠は、一礼をし、白の杯に、恵の酒を注いだ。


――まずは、神龍への挨拶から始まるの。神龍と、人間。その双方がすきなのが、お酒だから、共に飲む。小さな宴会みたいでしょう。皇が神龍に古語で呼びかけたら、次代のあなたも一緒にお酒を飲む。……神龍は存在が孤独だから。一年のはじめに『付き合い』をしたことへのお返しに、その年も、皇に――ひいては、恵に力を与えるの


 軽く目を閉じると、不思議と、懐かしい父親の声が聞こえた気がした。どこか暖かみを感じる古語に耳を傾け、声が途切れたところで、翡翠は、酒を一気に飲み干した。突如、風が大きく吹いた。

 風が収まった後で、杯を置くと、張りつめていた糸が急に緩むような感覚で、自身の意識が元に戻る。気にならなかった寒さも急に戻ってきた。ため息をつくと、吐いた息は白かった。何をしていたのだろうと、思う。こんなことをしても意味はない。酒と杯を抱え、立ち上がった翡翠は、私室に向かって歩き出す。なぜ、こんなことをしているのだろうと考え続けていれば、望んでいない深みにはまりそうだと思った。気持ちを切り替えるつもりで再び吐息をつくと、大きな足音を聞いた。

「翡翠!」

 高い声と共に、桃華が、正面から歩いてきた。

「体調はもう良いの?」

「あぁ。お前は、こんな時間に何をしてるんだ」

「何って、武官みんなで宴会。せっかくだから、お気に入りのお酒も自分の部屋からとってこようと思ったのに、みつからなくて」

「どうしたら、なくなるんだよ」

 呆れて言った翡翠の前で、桃華が頬を膨らませた。

「そんなに、旨い酒がほしいなら、これ、持って行くか?一杯分なくなってるが問題ないだろう」

「良いの?」

「味は保証する」

「恵のお酒…ありがとう!」

 両手で酒瓶を抱えた桃華がにっこりと笑みを浮かべる。桃華が抱えると、大きく感じられるが、武官の集まりならば、あっという間になくなるだろう。

「翡翠も一緒に…う~ん、さすがにそれはだめだよね。来年、来年は一緒にね!瑠璃においしいの作ってもらって」

 鼻歌でも歌い出しそうな桃華と別れ、翡翠は静かに私室に向かって歩いていく。桃華は、来年といったが、果たして、来年も自分は生き続けているのだろうか。そうして考え事をしているうちに、私室にたどり着くと、出て行った時よりも、部屋が明るく感じられた。白琳だ。

「いきなりいなくなっていたので驚きました」

 すまないと静かに謝罪の声を口にすると、白琳はそれ以上は問いかけてこなかった。

「途中、桃華に会った。武官のやつらが、宴会をやっているらしいが、行ってきたらどうだ。白琳なら歓迎されるだろう」

 淡々と言った翡翠に、白琳が静かに首を振る。

「今年は遠慮します。せっかく月が綺麗な晩ですから」

 声と共に白琳が、外に視線を向けた。まぶしい月の光が、白琳を照らし出している。艶やかな黒い髪に光の輪ができ、それとは対照的な白の肌は、柔らかな光を発しているようにすら感じられる。柔らかな口元が、穏やかに弧を描いている。優しい笑みだ。笑みのままで、白琳が、静かに口を開いた。

「来年、一緒に参加しましょう」

「……ああ」

 自然と、言葉を返していた。白琳同様に、翡翠も月明かりに視線を向けた。そんな資格はない。そうわかってはいても、やはり、これからも一緒に過ごしたいと思わずにはいられなかった。



 白琳が、額の布を替える為に翡翠の部屋に行くと、寝台が空になっていた。ひやりとしたモノが背を伝ったが、何か、無視できない気配を感じた。視線を外に向けると、部屋からも見える中庭に翡翠がいた。まっすぐに月にむかって歩いていく翡翠から、目が離せない。

 膝をつき、杯を掲げる。一連の動作が、綺麗だと思った。しばらくすると、大きな風がふき、あたりの木々が揺れた。翡翠の長い髪が揺れ、証が露わになる。胸が締め付けられる心地がした。

 胸の前で両手を堅く握る。翡翠の姿をいつまでも見ていたい。一度は、死んだと聞かされていたから、余計にそう思う。その為ならば、どんなことでもしたいと思った。




『ある方のお話』

大きな月が、ぐっと近づいてきたかのような錯覚をおこさせる、明るい晩だった。一日の仕事を終えた珊瑚は、碧嶺閣の庭園に降りていた。

 碧嶺閣の女官として働く毎日は充実している。けれど、疲れをまったく感じないかと言えば、そんなことはなく、息抜きが欲しいと思う時もあるのだ。

(やだ、私ったら、まだ若いのに)

 まだ十代後半。成人して数年しか経っていないのだ。こんなことを考えたら、また、年配の女官に、可笑しそうに笑われてしまうかもしれない。けれど、息抜きのために庭園にやってきた珊瑚は目の前の光景に口元をほころばせた。珊瑚が想像した通りの光景が広がっていたのだ。

 碧嶺閣で働く女官が生活を営むこの場所はの中庭は、女官たちの憩いの場だった。時間を見つけては、花を植え、その花に水をやり、女官たちが好みに庭を整えてきたのだ。普段は部屋から漏れた光のみが中庭をてらしているが、今は、大きな月の光も加わっている。

夜の闇と、部屋からの灯り、そして月明かりが作り出す陰影に、中庭の花が浮かび上がっているように見える。

(来て良かった……)

 あの方と見たら、もっと綺麗に思えただろうか。そう、考えかけ、珊瑚は首を小さく横に振った。そうして視線を中庭の景色に戻すと、笛の音が聞こえてきた。さほど遠くはない。

 珊瑚は笛の音に誘われ、中庭を歩いていく。どこか不思議な調べにも思えるが、柔らかな響きは綺麗だった。そうして辿りついた場所で、珊瑚は息をのんだ。

 瞬きもできず、珊瑚は目の前の光景に目を奪われた。とても美しい女性が中庭に置かれた石の上に腰かけていたのだ。

 年は、少女というには大人びているが、大人というには少し幼く見えた。ちょうど、珊瑚と同じ年くらいだろう。雪のように白い肌は月明かりに照らされて、輝いて見えた。肌とは対照的な、漆黒の長い髪は、孤を描き、ふわりと揺れていた。

 人形のように整った顔立ちは、作り物のようだった。

 瞳は伏せられ、長い睫毛が影を落としている。横笛を操る指はほっそりとしていた。

 月の使いのようだ――それは、おとぎ話の世界の話だとわかっていたが、目の前の女性は、珊瑚がこれまでに出会った誰よりも綺麗に思えた。

 身につけているのは、白の着物だった。花を模した刺繍がわずかになされるのみの着物だったが、女性の神秘的な美しさの前では、身につけているものなど、関係ないように思えた。

 目の前の女性が確かに存在しているのだと、実感がわかないのは、神秘的な美しさに魅せられたからだろうか。

 そうして、目の前の女性と、女性が奏でる笛の音に心を奪われていった。

 余韻を残したまま調べが終わり、女性が、伏せていた目を開けた。その瞬間、珊瑚の胸が、どきりと揺れた。

――翠……

 宝石のように澄んだその瞳は、深い翠色に輝いていた。

 どこまでも神秘的だと思った。すっと通った鼻筋も、どこか遠くを見つめるように開かれた翠の瞳も、やはり、どこか現実感をおいてきぼりにしたかのようだった。

 その綺麗な瞳が急に細まった。それが笑みだと気づくのに、一瞬間があったが、気づいてしまえば、早まる鼓動を落ち着かせることはできなかった。

「上手でしょう?」

 澄んだ明るい声で言われ、茫然としたまま頷くと、女性の笑みが、ぱぁ、と明るくなった。不思議と、女性との距離がぐっと近づいたように思える。

「私が大好きな曲だからそう言ってもらえて嬉しい」

 嬉しそうに言った女性は、たしかに綺麗だ。だが、こうして話している姿をみると、最初見たときとは違う印象を受ける。神秘的な美しさを持ってはいるが、近づきがたいと思っていたのだ。だが、どうだろう。口を開くと、大きく印象が変わる。

「とても綺麗な曲だけど、不思議な音……」

 珊瑚がぽつりとつぶやくと、女性が座っていた石の上から降りた。経った女性は華奢な印象だ。

「不思議なのは嘉の音楽だからだと思うわ。恵の音楽も好きだけど、嘉の音楽も明るくて、好きなの」

 嘉、という単語に、珊瑚の心臓が不自然に揺れ動いた。――嘉はあの方がいる国だ。

 嘉の商人である彼は、時折、恵に仕事にやってきていた。隣の国とは言え、ここからは遠く離れているのだ。そう、頻繁に会えるわけではなかったが、嘉から来た彼と過ごす時間は、自然体でいられ、心地が良かった。

「もしかして嘉に興味があるの?」

「えぇ」

「前に、嘉に行ったことがあるんだけど、とても良いところよ。う~ん……変な表現だけど、一年中春みたいというのかしら……おだやかな雰囲気ね」

「そう」

 それはまるで、あの方そのもののようだと、珊瑚は思った。あの方がいる嘉はいったいどんな国なのだろうか。あの方の話を聞く度に、嘉を見てみい――叶うならば、ずっとあの方と一緒にすごいしたいと思うが、いざとなると、なかなか勇気がでないのだ。

 恵と嘉は近いと言われるが、やはり違う国だ。うまくなじめるだろうか。

 そうして、嘉のことを考えていると、女性はまるで悪だくみをするかのように、口元を釣り上げた。

「もしかして、嘉に大事な人でもいるの?」

 楽しそうに女性が言い、珊瑚は頬が熱くなるのを感じた。それを、図星と受け取ったのだろう。宝石のような翠色の瞳が、一層きらきらと輝いたように見えた。

「えっと、それは……」

「それなら、嘉に行ってみたらどうかしら。何事もやってみないと分からないわ」

 楽しそうに言った女性の姿に、どきどきと鳴っていた心臓の鼓動が徐々におさまっていく気がした。やってみなければわからない。それは、分かり切っていたことであるはずなのに、女性に言われると、妙に説得力があるように思えた。

 初対面の女性だ。けれど、彼女はきっと、どんなことも楽しみに変えようとする性質があるのではないか。そんな気がした。

(そうよね……やってみなければわからない。それにしても……)

 にこにこと笑みを浮かべている女性を、珊瑚は見つめた。最初見たときは、ただ綺麗だと思った。――人形のような美しさだと。

 だが、こうして話してみれば、どちらかといえば愛らしいと思った。きっとそれは、彼女の見た目ではなく、性質がそう思わせるのだろう。

「ありがとう。嘉に行っている決心がついたわ……えっと」

 名前を呼ぼうとして、ようやく珊瑚は、彼女の名前を聞いていないことに気付いた。自己紹介をしよう、そう思い、口を開こうとした時だった。

 大きな足音と共に、別の女性が近づいてきた。珊瑚が話し異なり、凛とした美しさを持つ女性だった。年は、珊瑚よりも少し上くらいだろう。そうして近づいきた女性は、翠色の瞳をもつ女性の頬を軽くつねった。

「祥玲!」

「い、痛い……!明汐!」

「まったく……何時だと思ってるの?こんな時間に笛なんて吹いたら、周りの迷惑でしょう」

「それはそうだけど……でも、そこの女の子も気に入ってくれたみたいだし…ねぇ?」

 祥玲と呼ばれた女性はそう言い、上目遣いに珊瑚を見上げた。一連のやりとりに茫然としているうちに、明汐と呼ばれた女性は、珊瑚に軽く頭を下げた。

「ごめんなさいね。この子が迷惑をかけたみたいで。ほら、祥玲、部屋に戻るわよ」

「待ってって、これから私の夢を聞いてもらうんだから」

「夢って、早くお嫁さんになりたいって話? それなら何度も聞いているじゃない。私が」

「そう、それ。素敵な人のお嫁さんになったら、私可愛い女の子の子供が欲しいの。男の子が産まれたら、とびきり可愛いお嫁さんが来てくれるように、かっこいい男の子に育てて……」

「また子供みたいなこと言って……」

 明汐はため息と共に祥玲の腕を引っ張っていく。そうして珊瑚の横を通りすぎる時だった。祥玲は小さく「楽しかったわ」と口にした。


 再び静かになった中庭で、珊瑚はぼんやりと月を眺めていた。つい先ほどまでの時間が夢だったかのように思える。だが、嘉に行ってみようという決意ははっきりと心に残っており、夢でないことはたしかだ。

(それにしてもどこかで聞いたことがあるのよね「祥玲」に「明汐」)

 そうして、しばらく考えて、珊瑚はようやくその正体に気付いた。珊瑚は口元にそっと手をあて、大きく目を見開いた。だが、珊瑚はすぐに息を吐き出した。

(まぁ良いわ、楽しかったから……)

 そうして珊瑚はまだ見ぬ嘉に思いを馳せた。




『切り札』

久し振りに戻ってきた李京はやっぱり落ち着く。自然と口元が綻ぶのを感じながら、桃華は天馬から降りた。


「やっぱりご褒美は必要ね」

数日間、李京を離れて仕事をしていたのだ。一区切りしたのだから少し気を抜いても許されるだろう。周囲には、常に気が抜けていると言われるが、それはそれ、これはこれだ。

(煌李宮に戻るのはそれからね)

お気に入りのお店はいくつか思い浮かぶ。とびきり愛らしい内装のお店でのんびり過ごしても良いけれど、美味しいと評判のお店の菓子を並んで手に入れるのも魅力的だ。

(う~ん…あ、そういえば今日瑠璃お休み?)

瑠璃のお店が休みであることを思い出し、口元がますます緩んで行くのを桃華は感じた。そうなれば、行き先は決まりだ。

桃華はうきうきとした気持ちを隠すことなく、軽い足取りで瑠璃の家に向かった。

「あら桃華ちゃん久し振り」

桃華が瑠璃の家に向かうと、瑠璃の母親の珊瑚がいた。横には父親もいる。

「また、遊びに来てくれたのね。私たちはこれから出かけるけど、良かったらゆっくりしていってね。ちょうど白琳ちゃんも来ているのよ」

「それじゃあお言葉に甘えてお邪魔します」

桃華がそう答えると桃華は家に案内された。呉服屋の部分と生活する部分に分かれている瑠璃の家だが、その、居間に案内されると、食欲をそそる良い香りが漂って来た。

「桃華久し振り。今日仕事はお休みなの?」

奥の部屋から瑠璃がやってきた。

「ちょうど明陽から帰ってきたところ。ずっと天馬に乗りっぱなしで疲れたし、今日くらいはのんびりしても良いかなって」

「そう。でも、そんな風にのんびりしていたら他の武官に怒られない?」

 瑠璃の言葉に、桃華はにこりと笑みを浮かべる。

「私の周り、一人……ううん、二人除いてみんな優しいから」

「そう……なの?まぁ良いわ。ちょうど白琳も来てるの」

 瑠璃に案内されて辿り着いたのは中庭に面した縁側だった。小さな中庭だが、橙や黄に染まった葉が、はらはらと落ちる様子が綺麗だった。だが、その美しい景色以上に、白琳の姿に目を奪われた。

 静かに揺れる髪も、色とりどりの葉に映える、うっすらと紫がかる、色味の薄い着物も、まるで、一枚の絵のようだった。白琳の姿は見慣れているはずなのに、同性の桃華でも、どきりとする時がある。

「桃華、戻ってきたのね」

「うん。久しぶりに戻ってきたら、甘いもの食べられるんじゃないかと思って」

「気が合うわ。私も同じ」

 そう言い、白琳はにこりと笑った。

「もう二人とも、いつでも出ると思ったら大間違いなんだから。でも、まぁ良いわ。こうして3人で会うのは久しぶりだしね」

 瑠璃が呆れたよう笑い、やってきた。盆にはできたての饅頭が乗っている。瑠璃はいつも、これくらいなんでもないと言うが、桃華にとってはそれは、なにか特別な力で作られたように感じられる。

 桃華も白琳も口元が綻ぶのを感じながら、ことりと饅頭が乗った盆が置かれる音を聞いた。

「ねぇ瑠璃食べて良い?」

 我慢できずに桃華が言うと、仕方ない、瑠璃はため息と共に頷いた。

 ぱくりと一口で饅頭を口にいれると、たっぷりと詰まった餡子が口いっぱいに広がった。やっぱり、どのお店よりも美味しい。

「桃華、餡が口元に付いているわ」

 白琳が綺麗な刺繍がなされた布を取りだしたかと思えば、いつのまにか口元に付いていた餡をぬぐった。

「白琳、せっかく綺麗な布なのに……」

 瑠璃はそう言ったが、白琳はくすりと笑った。

「布が汚れるよりも女の子の顔の方が大事でしょう?」

 白琳のその言葉に、瑠璃がつられたように笑い、その後は三人で他愛もない話をした。あっという間に時間は過ぎて行き、気づけば空は茜色に変わっていた。

「せっかくだから夕飯食べていく?」

「そうしたいのは山々なんだけど、そろそろ戻らないと怒られるかなって。今日中に煌李宮に戻るっていっちゃったの。また今度、食べに来て良い?」

「うん。まぁ、私としても桃華がおいしそうに食べるのを見て、悪い気はしないし、また今度ね」

 お土産にと、瑠璃が作った焼き菓子をもらい、桃華は軽い足取りで煌李宮に戻っていった。次瑠璃に会うと時は何を作ってもらおうか。それを考えるだけで、心が弾んだ。


 煌李宮に戻り、立場上は一応桃華の部下である遥玄に小言を言われる前に、机に向かおうとした。だが、そうするまえに、後ろから肩を叩かれた。

「おかえり、桃華ちゃん」

 そう静かに言った人物の笑みに、桃華は薄ら寒いものを感じた。駿が、にこやかに笑みを浮かべる時は碌なことがない。だが、こういう時にぎこちなく答えれば、駿の思う壺だ。

「ただいま」

 そうにこりと笑うと、駿は笑みのまま言う。

「桃華ちゃん、麒軍はいつからなんでも屋になったのかな?君のところの武官は躾がなっていないって思わない?」

「あ~……えっと、何の話?」

 どきりと、心臓が不自然に揺れるのを感じたが、なんでもない振りで駿に問う。こうなれば、どう言ったところで、逃れられない。それなら、話を早く聞いた方が、気が楽だ。もっとも、何が原因でこうなったかはだいたい想像がついたが。

「桃華ちゃんのところも武官は、剣の腕は立つけれど、頭を使うのは苦手なのかな? おかげで、その手の仕事が全部こっちに回ってくるんだよね」

 確かに、駿が言うとおり、桃華が属する鳳軍の武官は剣の腕はたつが、その手の仕事――所謂書類仕事が中心になる仕事からは逃れようとする傾向があった。桃華もそれは例外ではないが、何も全員がそうというわけではないのだ。そういう時のための切り札が、鳳軍にはいるのだ。

「えっと……遥玄は?」

「遥玄様なら、しばらく李京を留守にているよ。まさかとは思うけど、部下の予定も把握していないのかな?桃華ちゃんは」

 そういえば、そんなことを言っていたと、桃華は冷や汗をかいた。そもそも、元々、もう少し長く李京を離れる日程だったが、その期間を短くしたのは、鳳軍において、桃華も遥玄もいない期間を短くするためだ。

 遥玄がいないとなれば、本来は鳳軍がやるはずだったその手の仕事が麒軍に回る可能性はある。

「えっと翡翠は?いざとなったら翡翠に押しつければなんとか……」

「翡翠も李京を留守にしているよ」

 桃華は恐る恐る駿を上目づかいで見つめた。よく見れば、目の下には隈が見える。鳳軍の切り札とも言える遥玄がおらず、翡翠はいない。そうなれば、その手の仕事が押し付けられる先は、駿だ。

 何日徹夜だったのかは、なんとなく聞けず、瑠璃からもらった饅頭が詰まった箱を抱きしめると、駿が口を開いた。

「うん、それが懸命かもね」

 まるで、こちらの心が読まれているかのような声に、桃華はため息をついた。

「まぁでも、こうして戻ってきたんだし、ね?」

「うん、そうだね。一応目処はついたから安心して良いよ。ところで、桃華ちゃん、俺が好きな蔵元が、限定の酒を販売するらしいんだけど、もちろん奢ってくれるよね?」

「駿のことだから、高いお酒頼もうとしているんでしょう?駄目!だいたい、年下の女の子にそういうこと言って恥ずかしくないの?」

「年下の可愛い女の子って見てほしいのならそうしてあげても良いけど、そんなこと桃華ちゃんも望んでいないだろうし、困った同僚としか見れないよ」

「その、困った同僚に高い酒をねだるのは何とも思わないわけ?」

 桃華が小首を小首を傾げて言うと、駿はくすりと笑みを零して、言った。

「それだけのことを、したと思ってるからね。なんなら、この数日間で処理した書類を見せてあげても良いけど」

 駿の言葉に、桃華はぷくりと頬を膨らませた後でため息をついた。

「分かった!奢れば良いんでしょう……あ、でもちょっと待って」

 桃華はにこりと笑みを浮かべ、瑠璃が作った菓子が入った箱を駿に差し出した。

「これね、瑠璃が作ってくれたお菓子なんだけど、少し分けてあげる。これで良いでしょう?」

 にこりと再び笑みを浮かべ桃華が言うと、今度は駿が息を吐き出した。

「それとこれとは別……って言いたいけど、瑠璃ちゃんがつくったんじゃあな。仕方ない。お酒は翡翠に奢ってもらうよ。そもそもあいつがいれば、俺一人に仕事押し付けられることもなかったからね」

 実際のところ、瑠璃には最初から、駿にも渡して欲しいと言われていたのだ。だが、今は黙っているべきだろう。これで全てがうまくいくのだ。

(ありがとうね、瑠璃)

 桃華は心の中で礼を言い、菓子が入った包みを開けた。

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