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史書  作者: 風華
守りたかったもの 
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第七章 守りたかったもの 7

 少し視線を逸らせば、恵の都、榛柳が見渡せたが、瑠璃はそちらは見ずに、橙に色を変え始めた空を眺めていた。子供を家まで送ろうとする桃華に、翡翠が3日ぶりに目を覚ましたと聞いたが、瑠璃はまだ、兄である翡翠に顔を見せていなかった。

 翡翠が、もし、また自ら命を落とすといったら、それだけは許すつもりはない。そう、決めていたが、嘉で別れて以来、碌に話をしていなかった翡翠と、どう接して良いか分からなくなってしまったのだ。

 白琳のように特別の力を持っているわけでも、桃華のような武官でも、紅貴のような妖獣使いでもない。

「私には何ができるんだろう」

 きっと、今一番翡翠の力になれるのは白琳だ。だけど、白琳にばかり任せて良いのだろうか。本当に、自分にできることはないのだろうか。血は繋がってなくとも、自分は翡翠の妹だ。皇としての重圧など、想像できないが、兄の翡翠が死ぬのは嫌だ。

「瑠璃はそのままで良いと思うぞ」

 突然、脳裏で響いた声に瑠璃は、大きく瞬きをした。そうしているうちに、黒髪の女が、瑠璃の前に現れた。見た目こそ人間だが、その顔も着物も半透明に透けている。

「香蘭! ずっと名前呼んでも出てこなかったのに、どこにいたの?」

「すまぬな。恵に入ってからは、今の恵の皇に力を貸していた」

「そうだったんだ……」

 香蘭も恵のために何かをしようとしている。自分以外の誰もが、できることをやっているようだ。今、自分にできることは何だろう。

「妙なことを気にしているようだが、瑠璃は、いつものように翡翠に接するのが一番だと思うぞ」

 自分の考えが香蘭には丸わかりなのに気づき、頬が微かに熱くなるのを感じた。困惑する瑠璃を前に、香蘭は可笑しそうに笑い、ふわりと身体を優に浮かせた。

「あの馬鹿が妙なこと言ったら、いつも通り叱ってやれ。位など持っていなくても、瑠璃はあいつの妹だからな」

「それで良いのかな……死ぬのは嫌って言いたいけど、何も物を知らない私が、翡翠に恵の皇になれっていうのは無責任な気がするし」

「でも、それが瑠璃の素直な気持ちだろう?」

「うん。ねぇ、香蘭、その……翡翠が皇にはならずに、命を落とさずに済む方法ってないの? 証を持った皇族が、皇位から逃げる方法ってないの? 翡翠が皇にならなければ良いと思っているわけではないけど」

「双龍国の仕組みの説明は省くが……証を持つ皇を失った国は、例外なく滅んでいる。皇位を放棄するということは、それを受け入れるということだ。……子供の頃に恵を出たあいつは修で奴隷になっている。そんなあいつが、恵を見捨てられるとは思えない」

「そっか……」

 自然と声が漏れた。白琳のような貴族の生まれでも、翡翠のような皇族の出でもないが、ずっと嘉で育った瑠璃は、貧困も餓えも経験したことがない。そういう国もあるとは知っていたが、瑠璃にとっては、正直なところ、遠い世界の話だ。

 辛いのだということは想像できても、その辛さに実感は伴わない。だが、翡翠は知っているのだろう。

 瑠璃はこくりと息を呑んだ。

「例えば、嘉で家業を継がずに、自分の好きな職に就こうとする。子供は、家業以外の者を選ぶ時、親を悲しませることを覚悟するだろう。……まぁ、嘉では家業を継がないからと言って、子を嫌うような親はほとんどいないだろうし、子の幸せを願っているものだとは思うが。だが、皇位に関しては、それだけでは済まないな。恵の民全員の悲しみと命を背負って、皇位を捨てる何てこと、できないだろう。遥か遠い地には、皇が証を捨てた後も、滅びずに残っている国がある。皇と、民自ら、発生した妖獣を狩ってな」

「え……」

「皇位を捨てるということは、妖獣に土地を受け渡すということだが、それをしながら、妖獣と対等に戦って生き続ける国もある。だが、恵でそれは現実的じゃないな。まぁ、とにかくそういう細かいことは気にしなくて良い。その類のことは、あいつも頭では分かっているだろうしな。いつも通り、思ったことをそのまま言ってやれ」

 うん、と頷こうとした時だった。駆け足が聞こえ、そしてすぐに聞きなれた声が瑠璃の耳に飛び込んできた。

「瑠璃、夕飯できたよ……て、香蘭さん?」

 香蘭を前にした紅貴が、目を丸くして香蘭を見ている。一瞬、身体が透けている香蘭の姿に驚いているのだろうかと思ったが、紅貴は香蘭の名を呼んだ。

「紅貴って香蘭のこと知ってるの?」

「うん、前に会ったことがあるんだ。瑠璃、香蘭さんっていったい何者なんだ?」

「瑠璃に取りついている幽霊と言ったところか」

「香蘭、それ、少し違う」

 少し笑いを含んだ声で香蘭が言うと、瑠璃が透かさず言葉を続けた。紅貴はそんな瑠璃と香蘭を茫然とした様子で見ていたが、やがて、少し呆れた様子で肩を落とし、腰に手を当てた。

「ま、いいや。香蘭さん、なんだか良い人そうだし。あ、そうだ瑠璃、あとで、翡翠の夕飯作ってくれるか? 桃華が、どうしても餃子が良いって煩いから、夕飯餃子にしたんだけど、さすがに、今の翡翠に餃子はなぁ……白琳が用意するって言いだしたんだけど、白琳……」

 紅貴がげんなりとした様子で言い、ため息をついた。疲れた様子なのを見ると、説得がそれなりに大変だったのだろう。美人で賢い白琳の唯一の欠点である料理の腕。いくら、相手が馬鹿兄の翡翠とはいえ、そこだけはなんとかしよう

「分かった、作るね。そういうことだから香蘭」

 香蘭がこくりと頷くと、瑠璃の身体に吸い込まれるようにして入っていく。それを見た紅貴が口を開け、呆然とした様子でこちらを見ている。

「行こう、紅貴」

 瑠璃が紅貴に声をかけ、ようやく紅貴の瞳に光が戻り、こくこくと、ぎこちなく頷いた。

「香蘭さんって、本当に瑠璃にとりついていたんだね」

「う~ん……正確には少し違うんだけど、まぁ間違ってはないかな?」

 瑠璃は、首を小さく傾げて、頷いた。




「その巻物、二段目の棚に入れてくれる? 紺色のはその下に」

「あの……漣様、いったいどういうおつもりですか」

 月宮可憐つきみやかれんは、漣の指示通りに巻物を仕舞いながら、恐る恐る尋ねた。

「何って……君の処遇は、恵の皇位継承者が定まり次第、恵に決めてもらうことになったから。それまで自由にしておくわけにはいかないし、一度この件に足つこっ込んじゃったから、恵に戻るまでは面倒を看ようと思って」

 そう言って漣は、書に筆を走らせた。黒い髪を後ろでお団子に纏め、裾が長い茶の着物を身に付けた漣は、典型的な嘉の武官の姿をしている。詳しい位までは分からないが、それなりの地位のはずだ。その漣が、どうして自分を傍に置いているのだろう。自分は、やってはならないことをしたのだ。恵の第三皇子、檜悠かいゆうに言われたからとはいえ、嘉の大事な客を攫おうとしたのだ。

 洸国の赤い髪の子供が、嘉国と手を組むために嘉に行くと檜悠から聞いたのだ。嘉と手を組み、恵を襲おうとすると。だから、そうなる前に、赤い髪の子供を捕まえて欲しいと。だが、それが間違いだったのだと、嘉の兵に捕まってから聞かされた。あの赤い髪の子供が、洸出身の子供であることは事実だが、嘉には恵を襲う意思など、ないという。

 あの、檜悠が可憐に嘘を付いていたなど信じたくはない。だが、牢から出されて数日、漣の仕事を手伝っていると、嘘をついていたのは檜悠の方だと気づいてしまう。

 漣に、檜悠の狙いを尋ねると、少し気まずそうにしながらも、推測を教えてくれた。可憐は恵の華族、月宮家の娘であり、檜悠は光宮家の母親と現在の皇の間に生まれた皇子だ。そして、可憐が失敗すれば、月宮家の地位は落ち、月宮家出身の母親を持つ挺明稜が皇位の座に着く可能性は低くなると。

 嘉と、洸の子供、紅貴にどう謝罪したら良いのか分からない。どう、罪を償えば良いのだろう。挺明稜ていめいりょうに申し訳ないと思う。そして、檜悠かいゆうを止められなかった自分の無力さが悔しい。挺明稜も檜悠も兄のように慕っていたのに、その両方に迷惑をかけることになった。

「あの……今、恵に戻るわけには行きませんか? 恵が私の処遇を決めると言うのなら、できるだけ早く罪を償いたいんです」

「早く罪を償って楽になりたい?」

「そういうわけでは……」

 慌てて否定の言葉を口にしたものの、胸がちくりと痛んだ。

「ごめん。言いすぎた。どちらにしても、今可憐を恵に連れていくことはできないよ。妖獣が恵を襲っているって話しただろう?今、恵に行ったら、都に辿り着く前に、妖獣に襲われるかもしれないし、今、恵には君の処遇を決める余裕はないよ。可憐が恵に行くのは問題が全て解決してからだ。妖獣の問題と、皇位継承の件。その両方がね」

 それなら、余計に恵に行きたいと、可憐は思った。自分の国が妖獣に襲われているのだ。何か出来ることはないのだろうか。思わず、手に力が籠り、握っていた巻物が、くしゃりと音をたてた。

「可憐……」

「す、すみません!」

 ぺこりと頭を下げると、漣は気にしている様子もなく、再び筆を動かしていく。

「あの、漣様、恵の次の皇は誰になるんでしょうか。やはり挺兄……挺明稜様でしょうか」

 それはそうであって欲しいという自分の願いだ。挺明稜が次の恵の皇位継承者に決まったからと言って自分がやったことが許されるわけではないが、檜悠が皇になってはいけないと思った。

――本当に、どうしてこうなる前に檜悠を止められなかったのだろう。

「……家の為に尽くして、家の発展の為に、自分より高い身分の者の言うことは素直に聞いて、家の駒になる。貴族の女の子ならよくあることだよな」

 問いかけた質問とは一見関係ない答えに、可憐は小さく首を傾げた。

「まぁ、可憐の場合は、貴族の娘故の行動と言うよりは、純粋に挺明稜様と檜悠のためにやった行動みたいだけど。貴族の娘に必要なのは愛想の良さだとか、教養であって、政に関することは、男に任せておけば良いって言われていたのかもしれないけど、最低限のことは知っておくべきできだと思うんだよな」

「ずいぶんと貴族の事情に詳しいんですね」

 可憐の言葉に、漣は、苦笑いをした。

「ところで、次の皇位継承者は檜悠でも挺明稜様でもないと思うよ」

「どちらでもないって、まさか宵汐様?」

 驚きから、声が裏返ってしまう。今度は手から力が抜けて、手に持っていた巻物が床に落ちてしまった。皇女が皇位を継承するなど、聞いたことがない。『証』は必ず男に表れたからだ。

「灑碧が生きてたんだ。俺も少し前に聞いたんだけど」

「灑碧様が……?」

 声が震えそうになる。あの、呪われていると噂されている灑碧が生きていたと聞いて、背筋が寒くなった。挺明稜は灑碧は優しい人物だったと言っていた。だが、挺明稜以外の口から聞かされるのは、恐ろしい人物だったという話ばかりだ。可憐も、挺明稜の言葉を信じようとしたが、どうしても灑碧への恐怖を消し去ることはできないでいた。

「そんな怖がらなくても良いと思うけど……可憐も良く知ってる奴だよ。翡翠。知ってるだろう?」

「翡翠……様……!?」

 嘉の二将軍の翡翠と、あの、恐ろしい噂ばかりを聞く灑碧とが結びつかない。漣が冗談を言っているのではないかとさえ思える。だが、漣は筆を硯の上に置いたかと思えば、腕を組んで言葉を続けた。

「馬鹿みたいに剣の腕は絶つけど、翡翠が恵を滅ぼすなんて面倒な真似するとは思えないんだよな。あいつが皇っていうのは妙な話だけど」

 想像の上を行く、漣の言葉に可憐は落とした巻物を拾うのも忘れ、呆然と宙を眺める。翡翠のことをそう、よく知るわけではないが、確かに、恵を滅ぼそうと考える人物には見えなかった。桃華がやり残した書類仕事を、桃華の部下にせがまれ、代わりにこなしていたこともあった気がする。各国との使者との会談もこなしていた。面倒なことが嫌いという割には、仕事に対しては真面目な人物という印象だ。

「本当に灑碧様なんですか?」

「そうみたいだ。さて、さっきの話だけど……」

 漣は一度言葉を止めると、引き出しから、厚い書を机に置いた。ところどころ擦り切れたずっしりとした本の表紙に、辛うじて残っている金の字を見て、可憐は驚いて漣を見る。

「これ、恵の法律書……漣様、恵の法にも詳しいんですか?」

「武官のくせに、嘉の法ばかりか、恵の法にも詳しい奴がいてな。悔しくて勉強したんだよ。まぁ、嘉の法も恵の法もそんなに変わらなかったんだけどな。恵に戻るまでの間、隙を見て、出来る限り可憐に教えようと思うんだけど、どうかな?」

 何か出来ることはないのだろうか。ずっと秘めていた想いが強く溢れだしそうになるのを感じる。自分の罪を償わなくてはならない。まずやるべきことはそれだ。だが、もう何も知らずに、何もできずに間違えたくはない。

 可憐は、漣の前に立ち頭を下げる。

「ありがとうございます」

 感謝の気持ちで胸がいっぱいにななり、先ほどとは別の意味で声が震えた。

「そんなおおげさにしなくても良いんだけどな。……他人の気がしなかっただけだから」

「えっとそれは」

 思わず顔を上げると、一般的な貴族の事情を離した時と同様、苦笑いを浮かべていた。

「俺は、家の駒になることから逃げたんだ」

 そう言った漣の声はいつもより力強く感じられた。漣の過去にどんなことがあったかは分からない。

 駿と同じ世代であり、駿が武管の為の国家試験である武科挙で主席の中、漣は科挙での主席を取ったと聞く。だが、それだけの経歴を持つ漣は、もしかしたら、強い意思を持っているのかもしれないと思った。


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