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史書  作者: 風華
守りたかったもの 
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第七章 守りたかったもの 1

「萩様、あの……白琳を見かけませんでしたか?」

「白琳がどうしたのです?」

  聞きなれた名前に、灑碧はうっすらと目を開けた。目をさますと同時に、寒気を感じ、背を冷や汗が流れたが、それよりも、灑碧はよく知った少女のことの方が気になった。灑碧は、休息を訴える自身の身体を無理やり起こし、御簾の向こう側から聞こえる話し声に耳を傾けた。

「白琳がいなくなってしまったのです。……白琳にご両親が亡くなったことを伝えた時は平気そうにしていたのですが……」

「あの歳で、耐えられるわけがないわ。……明日、一度、壮家のお屋敷に戻るのよね」

「……はい」

「探しましょう。白琳を」

 聞いてしまった話の内容に、灑碧は自身の心臓をきゅっと掴まれたような感覚を感じ、右手を胸の前にあて、中庭の方へ視線を向けた。どうやら夜であるらしく、日の光は見えない。おまけに水が地に叩きつける音が聞こえる。雨が降っているのだろう。最後に白琳に会った時、白琳は日の光の中で笑っていた。あの後自分は――灑碧は胸元に当てた手に力を込めた。おそらく、白琳の両親が亡くなったのは、自分が寝ている間だ。自分がどれだけ寝ていたのかは分からない。

 だが、大事な時に白琳の力になれたなかったのは間違いない。早く白琳を見つけなければ。灑碧はできるだ音を立てないよう布団から起き上がり、裸足のまま中庭に降りた。やはり、外は雨が降っており、あっという間に灑碧の寝巻を濡らした。白琳がどこにいるか、灑碧は一つだけ心辺りがあった。履物を履いている時間がおしい。灑碧は裸足のまま駆けだす。

「……けほっ……こほっ」

 しばらくし、咳が止まらなくなった灑碧は脚を止めた。視界が揺らぐ。悪寒が増し、歩を進めようとした脚からは力が抜け、地に倒れそうになった。それはなんとか耐えたが、灑碧は、左手で自身の着物をきつく握った。今は亡き母親と同じ、忌々しい力がこの身には宿っている。妖力を操る、その力は、莫大な力を生みだす。しかし、それは自分の身を滅ぼすことになる力だ。力を使った分だけ、その身に返ってくる。灑碧の母親もそれで死んだ。

 灑碧は左手に込めた力を強める。――自分も、母親のようになってしまうのだろうか。そう思う時がある。自分の力は母親のそれより強く、おまけに今の自分はその力を制御することができない。少しでも怒りを感じれば、自分の意志とは無関係に力が発動されてしまう。そして――肉体に返ってくる。そのせいで、大事な時に白琳の側にいれなかった。

(……そうだ。今は、白琳だ)

 咳が落ち着いてきたところで、灑碧は息を整え、今度は少しゆっくり歩を進めた。

「いた……」

 いつも灑碧と遊んでいる庭園に白琳はいた。灑碧は後ろ姿の白琳にゆっくりと近づき、静かに口を開く。

「白琳」

「灑碧さま……」

 少女がゆっくりと振り返った。どれくらいの時間ここにいたのだろう。元々白い肌がいっそう白くなり、闇夜に溶けてしまうそうな濡れた黒髪が、その白い肌に張り付いていた。紺色の着物はぐっしょりと濡れ、こちらを見つめる瞳は、周囲の夜の闇と同様に暗かった。

「白琳の父上と母上が亡くなったと聞いた」

 白琳の瞳が大きく見開かれたが、それは一瞬のことで、目が伏せられた。

「妖獣に殺されたそうです」

 しばしの間のあとで、白琳が今にも消え入りそうな声で言った。白琳の言葉に、灑碧は奥歯を噛んだ。なぜ、気づかなかったのだ。皇位継承の「証」をもっている人間は自国の異変を感じ取ることができると聞いている。なのに、自分は何も気づかなかった。自分が気づいていれば……

「妖獣がたくさん出た町に行って、町の人を助けようとして、お父様とお母様は……」

 後半は嗚咽に変わってしまった。目元に筋が描かれているのが見える。それは、雨で濡れる白琳の手を濡らすものと見た目は同じに見えるけれど、きっとそれよりも熱いものだ。

 ――時間が経てば大丈夫。喉まで出かかった言葉を灑碧は飲み込んだ。灑碧自身は、時間の経過とともに、母親の死を乗り越えたが、今、白琳に言う言葉ではない気がした。自分自身も、母親が死んだばかりの頃は、そんな言葉は受け入れられなかった。きっと、白琳も同じだ。この世で一人きりになったと、思い込んでいた。寂しくて、苦しくて、起こった出来事が信じられなかった。

 灑碧の周りには、萩も、姉の宵汐も弟の挺明稜ていめいりょうも父親の翡稜ひりょうもいた。だが、それに気づくのに時間がかかった。灑碧が母親を亡くした時、萩に「今は思いっきり泣きなさい」と言われた。さすがに、萩の前で泣くのは嫌だったが、部屋で一人になって、萩の言葉を思い出すと、涙が止まらなくなった。けれど、それが過ぎると、少しだけ気持ちが楽になった。

 「なんでお父様とお母様が……」

雨音よりもはっきりと聞こえる白琳の声に、灑碧は静かに耳を傾けつづけた。どれくらいのどれくらいの時間が経っただろう。嗚咽が小さくなったところで、白琳が顔をあげた。口をきゅっと噤んで、こちらを見る白琳に一人じゃないのだと言いたかった。けれど、言葉がうまく口から出てこない。

「……側にいるから」

 ようやく発することができた言葉に、白琳の翳った瞳に微かに光が宿った気がした。静かに白琳が頷くのを見て、灑碧は右手を差し出した。

「戻ろう」

 白琳がこくりと頷き、白琳の手が灑碧の右手に重なる。そして、その瞬間、白琳の目が大きく見開かれた。

「灑碧さま具合悪いんですか?」

「いや……」

 慌てて否定の言葉を口にしたが、白琳は首を振った。

「だって、こんなに手が熱いです……なのに灑碧さま」

 白琳の手が冷たいだけだ。そう言いたかったのに、言葉にならなかった。目の前にいる白琳の顔がぐにゃりと歪んだ。膝から力が抜け、白琳の冷えた手が、自分の指先から離れていき、地面が近づいていく。ぴしゃりと水がはねる音が遠くに聞こえた気がした。

「灑碧さま! 灑碧さま!」

 少女の泣きそうな声が聞こえる。こんな声を出させたかったわけじゃない。今は無理でも、いつかまた白琳に笑って欲しかったのだ。いつも、助けてもらっている白琳を、今度は自分が助けたいと思ったのだ。なのに、心配をかけるばかりで結局何もできない。

 徐々に薄れていく意識の中で、灑碧は悔しさを感じていた。



「本当に君は無力だね」

 姿を見なくても分かる。男の割に、少し高めの声の主は瑛達だ。翡翠は、起き上がろうと、指を地に付き立てようとする。だが、碌に身体に力が入らず、起き上がることができない。

「っ……」

 薄部背の体制のまま、肩を踏みつけられた。早く、この男を倒さなければ。

「こんなに弱い君が恵の皇位継承者とは……恵の民も可哀そうに」

 そんなことはいちいち言われなくても知っている。さっさと命を断ち、次の皇位継承者が生まれるのを待つべきだということも。だが、今は目の前の男を倒すべきだ。翡翠は剣を掴み立ち上がろうとする。しかし、手は宙をかくばかりで、なにも掴めない。

「せいぜいそこで見ているといいよ。恵が壊れていくのを」

 翡翠は去っていく男の後ろ姿を捕らえようとする。だが、剣を持つ、どころか立ち上がることも敵わない。あの男の好きにさせるわけにはいかないのに。

「瑛達!」




 速まる心臓の鼓動を聞きながら、翡翠は目を開けた。

(どこだ。ここは)

 視界に映る古い天井は翡翠が知らないものだ。ゆっくりと身体を起こすと、額に置かれていた濡れた布が落ちてきた。ぼんやりとした意識のまま、辺りを見回すと、部屋が書籍で埋められている様子が映った。少しでも身体を動かすと、床が軋む。どうやら、自分がいる場所は古い建物の中のようだった。辺りを見回しながら翡翠は夢の中のできごとを回想した。それははっきりとした像はなさない。夢の中で誰と出会ったのかも忘れている。だが、瑛達がいたことだけは覚えている。

「……」

 そんなことを思っているうちに、覚えがある感覚が襲ってくる。正確には、戻ってきたというべきかもしれない。全身に悪寒が走り、夜の雨のような冷たい汗が背を伝う。視界がぐらりと揺れ、胸が痛みを訴える。「力」を使い過ぎた際に、引き起こされる身の崩壊。こうなることは、「力」を使う前から分かっていた。けれど、そうでもしなければ瑛達と戦うことができなかった。いくら、剣の腕を磨いてきたとはいっても、瑛達の前ではまったく歯が立たなかったのだから。そこまで考えて、違う、と思った。

 (なんで生きている) 

 瑛達を前に「力」を使うと決めた時、死を覚悟した。命と引き換えにしてでも瑛達を倒そうと。なのに、自分は生きている。それに、結局瑛達を倒すことはできなかった。――また、恵を守ることが出来なかった。これまで幾度と感じてきた無力さとともに、全身のだるさをやり過ごそうと息を吐いていると、戸が開かれた。

「目が覚めたたいね、灑碧」

「萩……」

 現れた女は、翡翠の記憶にある姿と変わっていなかった。「灑碧」を母親の代わりとなって育てたのだ。字の書き方も、文の読み方も、この世界のきまりも、剣以外のほとんどを萩が教えた。真面目な挺明稜とは違い、どちらかというと悪さばかりする「灑碧」と宵汐を怒ることも多かったが、子供の頃はとても世話になった。

「ここは今の私の家よ」

「碧嶺閣を出ていたのか……」

「ええ。外からの方が都合が良いこともあったし、研究したいこともあったから。ところで灑碧、ここに宵汐が来たわ」

「宵汐に会ったのか?」

 翡翠が問うと、萩は静かに頷いた。翡翠も恵で一度、宵汐に会った。妖獣の気配を感じ、向かうと、そこに宵汐がいたのだ。もうあれから何年も経っていたから、当然姿は変わっていた。だが、一目ですぐ宵汐だと分かった。自分と――正確には父親と同じ茶の髪に、宵汐の母親、明汐から譲り受けた凛とした茶の瞳。その瞳の強さは変わっていなかった。いや、幼い頃よりも、さらに強い瞳になっていたかもしれない。

「宵汐に、この国を助ける方法を知っていたら教えて欲しいと言われて、私は、嘉国の二将軍に会いにいきなさいと言ったわ。嘉の二将軍の一人が、「灑碧」だと知っていたから」

「いったい何を考えて……」

 萩の赤い唇が弧を描いた。その妖艶な笑みに、翡翠は、萩が何か企んでいるのを感じた。

「……あなたの前の皇位継承の「証」を持った皇子は皇位を継承する前に、亡くなってしまっていたと知っていたかしら。けれど、過去の歴史を見る限り、「証」を持った者を失った国は、荒れるか……滅びることもあった。それはあってはいけないことでしょう? ましてや、双龍国でいちばん古い恵でそれが起これば、双龍国にある他の国でも悪い影響が出るかもしれない。だから、亡くなった皇子の弟が、皇位継承の儀の時に使う樹に願ったのよ。兄の代わりに、証を刻むように。そして、弟の望み通り、その身に証は宿ったわ。それがあなたの父よ」

「……そんなことが可能なのか?」

 初めて聞く話に驚きながらも、なんとかそれだけ尋ねると、萩が、再び話を始めた。

「奇跡という言葉で片付けるには安っぽい事実だと思うけれど、そうね、奇跡的に、証はあなたの父親に刻まれたわ。でも、その代償に、本来の皇位継承者の弟であるあなたの父親は元々の名を失い、それまでの記憶は恵の人々からは忘れ去られ、元々の皇位継承者の名で呼ばれるようになったわ。……皇位継承の証を持ったことで、恵の民でなくなったから、民としての存在はこの世界から消え去った、ってところかしら?そう、「翡稜」という名は、元々あなたの父親の兄の名前よ」 

 ぞくりと、力の使いすぎとは別の理由で、背に鳥肌が立った。何もかも、常識では考えられない。けれど、この世界の仕組みを考える限り、筋は通っている。

「……それでも、元々は皇位継承者ではないから、あなたの父親は、歴代の皇よりも、皇位継承者としての力は弱い。そうまでして、証を欲した理由が分かるかしら?」

「いや……」

 本当はなんとなく察していたが、翡翠はそう答え、萩から視線を逸らす。できることなら、この先の話は聞きたくない。聞いてはいけない気がする。

「もちろん「恵」のためよ。次の正式な「証」をもった皇が誕生するまで、恵の人々を導くために、――あなたの父親にとって大切な者を守るために、証を欲したのよ。あらゆる犠牲を払ってね。あなたの父親は、「証」を持った皇の誕生を強く願っていたわ。元々は「恵」の民だった者として、そして、あなたの父親としてもね」

「……その話を俺にしてどうする気だ」

 発した声が微かに震えてしまった。萩が自分に望むことなど知っている。なのに、どうしてそんなことを聞いてしまったのだろう。聞いたところで萩の願いを叶えることはできないのに。

「それが分からないほど、お馬鹿な人間に育てたつもりはないけれど」

 うっすらと笑みを浮かべたままで、萩が言った。確かに、恵は証を持った皇の誕生を望んだのだろう。だが、自分にそれが現れたのはなにかの間違いだ。――灑碧の前の本来の継承者は、皇位を継ぐ前に死んだ。それも間違いの一つだ。その間違えと一緒で、灑碧に証が現れたのも何かの間違えだ。

「恵の民が望む皇位継承者は、俺じゃない。……俺の次の皇位継承者だ。こんな出来そこないじゃなくて次の……」

「灑碧が本調子だったら殴っているところね」

 翡翠の言葉は、萩の声に遮られた。萩の口元からは笑みが消え、こちらを、睨む萩の瞳が一層鋭くなっている。この表情を知っている。本気で怒っているのだ。萩は。

「その言葉をあなたの実の父親の前で言ってみなさい。言えるのかしら?」

 翡翠は布団の上に投げ出した左手に力を込めた。萩の視線に耐えられなくなり、再び、萩から視線を逸らす。少し視線をずらせば、布団の横には、翡翠の剣が置かれていた。剣はある。金は剣さえあればどうとでもなるだろう。

(今、俺がやるべきことはここにいることではない。洸に行って……)

 それは逃げいているだけだ、と声がする。だが、もう、ここにはいられない気がした。萩の顔を正面から見れない。見てしまえば、14年前にした決意が間違っていた、と思い知らされる気がする。いや、それだけならいい。もう、萩の望みは叶えられないのだ。この場から立ち去りたい――

 翡翠は手を伸ばし、剣を取ろうとする。だが、その瞬間、再び視界が揺らいだ。胸が急に痛みを訴える。立ち上がろうにも、咳が動きを阻み、この家から出ていくことが困難に思われた。いったいどうすれば良いのだ。

「そんな身体でどこへ行く気?……白琳がいなければ、命を失っていたかもしれない身で」

「白……琳?」

 咳がおさまったところろで、耳が拾った名を呟いた時だった。

「瑠璃、俺が作った卵焼きうまくいったと思わないか?」

「うん、なかなかだと思う。桃華が作った卵焼きを見た後だと余計に、ね。わたしのみそ汁もおいしそうだと思わない?」

「うん。白琳のみそ汁……酷かったからなぁ……」

 聞き覚えがある声が近づいてくる。呆然としている間に、戸が引かれ、中に、懐かしい顔が現れる。妹の瑠璃と、洸を救ってほしいと願った紅貴。どちらも、身体を起き上がらせている翡翠を前に、目を見開いている。やがて、紅貴が床に、持っていた盆を置いた。

「萩さん、朝ごはんを持ってきました」

 紅貴の言葉に、萩が頷く。

「ありがとう」

 紅貴の後ろに立つ形で、瑠璃がこちらをじっと見つめてくる。驚きの表情は消えていたが、今にも泣きそうな表情をしていた。けれど、その表情はすぐに消え、笑みに変わった。無理やり作ったという風な、ぎこちない笑みだったが。

「目、覚めたみたいね。翡翠」

 優しい声でそう、瑠璃に言われた。

「どうやってここまで……」

 盆を置いた紅貴が立ち上がり、嬉しそうに口元を釣り上げた。

「管狐に案内してもらったんだ。俺、妖獣少しは扱えるようになったんだ」

 すごいだろう、と言わんばかりの紅貴を前に、翡翠はため息をついた。ずっと、妙な妖獣の気配は感じていた。具体的に、どうやってそうなるのか、翡翠自身は分かっていない。だが、翡翠は恵に入ってからは念じることで、その妙な気配を惑わしてきた。だが、どうやらそれも破られたらしい。

(得体のしれないものに頼った俺が間違ってたか)

 全てが思い通りというわけにはいかなかったが、翡翠は子供の頃から、念じたことがその通りになるということを経験していた。人の行動までは制御できなかったが、花が咲いて欲しいだとか、風が吹いて欲しいと願うことで、その通りになることがあったのだ。恵を出てからはそういったことはなくなったが、14年ぶりに恵に戻ると、再びできるようになっていた。誰に対して念じているのか、翡翠自身も良く分からなかったが、翡翠は、自分の後をつけてくる妖獣を惑わせて欲しいと願ったのだ。

「翡翠見つけた時、酷い状態だったんだからな! 血だらけだし、力を使いすぎて意識はないし……もう、目を覚まさないんじゃないかって思って。助けた白琳に感謝しろよ」

 紅貴がそう言いきった直後だった。再び、戸が引かれた。静かに引かれた戸の隙間から、白い着物の女が入ってくる。動揺に、翡翠の心臓が揺れる。手に持った桶に視線を落としていた女がこちらを向き、直後、女の黒い瞳が大きく見開かれる。

「翡翠様」

 静かに呟くように言い、白琳が持っていた桶が転がり落ちた。桶には水が張られていたのか、ぱしゃりと水が零れる音がし、中に入れられていたらしい、白い布も床に落ちた。翡翠の前で艶やかな黒い髪が舞った。身体を起こした胸元に、白琳が飛び込んで来たのだ。白琳に抱きしめられている。自身の背に回されている白琳の腕は、以前よりも細くなっている気がする。翡翠の胸元に顔を埋めた白琳の細い肩が震えている。

 しばらくして、自身の着物が熱いもので濡れていく感覚がした。不自然に揺れた心臓が、ずきりと冷えた。

「……心配、しました」

 翡翠の胸元に埋められたまま白琳から発せられた声が震えている。翡翠は戸惑いを感じながらも、白琳をそっと抱き返した。この細い身体にどれだけのものを背をわわせてきたのだろう。自分は。

「……すまなかった」

 翡翠の腕の中で白琳が顔をあげた。長い睫毛を持つ瞳は純血し、白い頬には筋が描かれ、赤らんでいる。けれど、その顔が柔らかな笑顔に変わった。

「また会えて安心しました」

 それは確かに、翡翠がずっと守りたいと思っていたもののはずだった。けれど、今はその笑顔を前に、翡翠は罪悪感を覚えていた。




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