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史書  作者: 風華
それぞれの思い
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第五章 それぞれの思い 9

 白琳は宿を出て夜風にあたっていた。夜中だというのに眠れず、気分転換に夜風に当たることにしたのだった。

「眠れないのか」

 白琳の横に、透けた身体を持つ女が立っていていた。

「香蘭さん」

 香蘭は身体をふわりと宙に浮かせる。そんな香蘭に、白琳は静かに言う。

「あと数日で恵国に着くと思うと、なんだか眠れなくて。恵国に行くのはずいぶんと久しぶりのことですから。……『灑碧様』が碧嶺閣からいなくなってからは、初めてですし」

「白琳にとっては、恵国はあまり良い思い出が無い、か」

 白琳は首を軽く振る。

「いいえ、恵国には素敵な思い出がたくさんあります。恵国にいて良かったと思っていますし、今、嘉国にいることも後悔してません……恵国に行くのは、灑碧様を助けて以来ですから懐かしいです。ですけど、恵国がどうなっているのかと思うと……」

 龍清の話を聞く限り、今、恵国は、大変なことになっている。龍清から聞いた話を、まだどこかで信じられていないが、実際に恵に行き、何が起こっているかを見れば、恵国が妖獣に襲われている現実を受け入れざる得ないだろう。それをどこかで恐れていた。

 もちろん、恵国で実際に起きることから目をそらすつもりはないけれど。

「今頃、翡翠様は恵国を見て何を思ってるんでしょうね」

「白琳、本当は翡翠に言いたいことがあるんじゃないか?」

「いえ、私は翡翠様を見守るだけです」

「あの生意気な餓鬼でも、白琳の言葉には耳を貸すかもしれないぞ」

「そうですね、翡翠様はもしかしたら私の話を聞いてくれるかもしれません。けれども、私は、龍清様のような王族でも、漣のような文官でも、桃華のような武官でもないですから何も言えません。もし、私の話を聞いてくれたとして、それが正しいか分からないんです」

「……なるほどな、気持は分からなくもない。だが、白琳がそう言う立場じゃないからこそ言えることもあると思うぞ」

「そうでしょうか?」

「例えば、桃華のような立場のような人間はいざとなったら、翡翠の気持ちや意思を無視してでも、優先しなきゃならないことがある。例え、翡翠の気持ちを理解していたとしてもな。翡翠の気持ちどころか、自分の気持ちを押し殺してでもやらなきゃいけないのが桃華の立場だ。だが、白琳はそんなことする必要はない。白琳自身の気持ちを優先しても、翡翠の気持ちを大切にするのも自由だ。

そんな白琳の言うこと、それも、翡翠にとって大切な白琳が言う言葉だったら、誰よりも力があるとわたしは思う。そういう意味で、白琳にしかできないこともあると思うが。しがらみにとらわれずに思いのままに行動なんて、駿や桃華、それから翡翠にもできないだろう。だが、紅貴や瑠璃、そして白琳はそれができる」

「……はい」

「わたしは、もう少し街をめぐって戻る。白琳も、よく休むんだな」

 そう言い残し、香蘭は姿を消した。白琳は風に揺れる自身の長い髪を軽く押えながら、考える。香蘭の言うように、思いのままに行動するとしたら、きっと何よりも翡翠の身を優先するだろう。

――わたしの我儘ですが、今のわたしにとっては翡翠様が本当に大切……

 胸の前に当てていた両手をきゅっと握る。

 そう、白琳にとっては翡翠はかけがえのない存在だ。だが、その翡翠は、おそらく、翡翠以外に危険が及ばないようにするために、一人で慶を発った。あの、根は優しい翡翠のことだ。きっと紅貴と瑠璃、そして白琳を守るために。何もできないことが歯がゆく悔しい。

「白琳? こんな場所でどうしたの?」

「桃華様に紅貴さん……少し、夜風に当りたくなりまして。お二人こそどうして?」

「不審人物の気配を感じたから、たたきのめしてきたの。ね、紅貴」」

 桃華が、紅貴に同意をうながすと、にかっと笑った。

「それより、なんか元気ないみたいだけど、大丈夫か?白琳」

「大丈夫です」

 紅貴にたずねられ、白琳はあわてて笑顔を作った。

「夜も遅いからみんなで宿に戻ろうよ~」

 桃華の、駄々をこねる子供のような声に促され、白琳と紅貴は宿への帰り道を歩いて行った。


 夜中、瑠璃が目を覚ますと、部屋には白琳も桃華もいなかった。

(あの二人どこに行ったのかしら)

 翡翠のように馬鹿なことはしないとは思うが、不安な思いに駆られ、部屋を見回す。何度見回しても白琳も桃華の姿も無い。外に出たのだろうか。

「君は翡翠の妹なんだろう?」

「誰!?」

 急にかけられた聞いたことのない声に、瑠璃は、反射的に振り返る。黒い着物を纏い、顔も黒い布で隠されている人物。はっきりと性別は分からないが、かけられた声、中性的な声だが、おそらくは男が言う。

「翡翠が嘉に来る前何をやったかを知りたいと思うだろう?」

 そんなことは興味ないと言おうとした。しかし、布から覗く黄金の瞳に見詰められた瑠璃は、その場から動くことも、声を出すこともできなくなった。

「君たちがこれから向かおうとしている恵国の皇位継承者、灑碧」

 そこで男は言葉を切り、黒い布の間から見える赤い口が、笑みを作った。その笑みに瑠璃は悪寒を感じた。これ以上、聞いたらだめだ、本能的にそう感じるが、男の言葉をかき消すための声が出ない。

「灑碧を碧嶺閣から消したのは、翡翠だよ」

 碧嶺閣といえば、恵国の皇族が住む宮殿だ。その碧嶺閣から消したということはつまり――。翡翠が灑碧を殺したはずはないでしょう、と声に出したかったが、身体は、床に縫いとめられたように動かず、乾いた喉は声を発しなかった。

「灑碧を消し、最終的に嘉国に逃げてきた。それが、君の兄翡翠がやったことだ。面白い話だと思わないか?信じるも信じないも自由だけど、君の兄は、嘉国に来る前のことは話していなかったはずだ。それは、知られてはまずいことをしていたからじゃないかな」

 翡翠がそんなことをするはがない。そう思うのだが、不安を感じる。本当にそうだったらどうしようかという思いと、そんなはずはないという気持ちが交錯し、混乱する。確かに翡翠から嘉国にくる以前の話は聞いたことはない。けれども、それは実の親に捨てられたとか、亡くなって嫌な思いをしたとかそういうことだと思っていた。それなら翡翠があえて話したがるはずはないし、瑠璃も無理に聞こうとも思っていなかった。

 そうではなく、翡翠が話さないのは、皇族、それも皇位継承の証をもった者を殺すという、絶対に許されないことをやったからなのだろうか。思えば、翡翠は、瑠璃にずっと何かを隠しているような気がしていた。

 いや、でも、翡翠がそんなことをするはずはない。瑠璃は、心の中で否定する。

「君の兄、翡翠が何をやったかをよく考えるといいよ。これから恵国にいくならね」

 男は、そう言いうと、開いていた窓からふわりと飛んで消えた。瑠璃は、男が消えた外を見たまま座り込む。

 あの、黄金の瞳が忘れられない。震える身体を止めることができない。今聞いた話を忘れようと、無理矢理他のことを考えようとする。だが、あの男の中性的な声が脳内に響く。

 『灑碧を碧嶺閣から消したのは、翡翠だよ』

 そんなはずはない。翡翠は素直ではなく、冷たい印象も持たれるが、根は優しい。そんな人物が皇族を殺すわけがない。そう思うのだが、恵国に入る前に、翡翠は誰にも何も言わずに姿を消した。これはどういうことだろう。

 戸が開く音が聞こえ、見上げると、白琳と桃華が立っていた。

「瑠璃、そんなところで座り込んで何をしてるんですか」

 白琳が慌てた様子で駆けよってきた。それを見て唐突に思う。そうだ、白琳には、今聞いた話を知られてはだめだ。そもそも、翡翠が男が言ったことをやっているはずがない。

「なんでもないわ。白琳も桃華もいないから、探しに行こうとしたんだけど、帰ってきたし、わたし、寝るわ」

 瑠璃は、立ち上がり、寝台に潜り込み、薄い布団を頭までかぶった。目を閉じ、男から聞いた話を考えないようにしようとするが、結局一睡もできなかった。





 村の家が壊され、人々を妖獣が襲う。人々が妖獣から逃げ惑い、逃げ切れずに、血が村を染める。悲鳴と子の鳴き声と、獣の声が混ざって、村を絶望へと突き落とす。

「嘘……」

 宵汐は、妖獣に襲われている真っ只中の村に行き着いていた。恵国の各地が妖獣が襲われているとは聞いていた。だが、こうして実際にその現場を目撃しても、実感が追いつかなかった。

 宵汐の横に、小さな子供が、妖獣に飛ばされた。妖獣の爪に抉られたのか、大きな傷から、血が流れる。宵汐はそれで我に返る。腰に差していた刀に手を置いて、柄を握る。握った手から汗が噴き出たが、宵汐は普段よりも力を込めて、刀を抜いた。

 宵汐はがむしゃらに刀を振るい、狼よりもいくらか大きく、鋭い爪を持つ妖獣を何頭か斬った。自分がどういう風に動いていたのかわからなかった。ただ、ひたすら村を駆け、妖獣を斬っていく。

 荒い息をついて、刀を支えに立っている時だった。鳥の鳴き声の様でいて、それよりも不気味な鳴き声が、そう遠くない所から聞こえた。宵汐は声がした空を睨みつける。

 青い空に、赤い鳥のような妖獣が現れた。巨大な牙と、どんなものも抉ってしまいそうな爪をもつ妖獣。それまで斬ってきた妖獣よりもはるかに強そうだった。そして、同時に、虎のような声が聞こえた。

 鳥と同時に現れたのは、虎よりも大きく、赤い目と、その身を喰らってきた人間の血で染めた妖獣だった。口から除く、牙の間から、血が滴りおちる。

 鳥が空を旋回し、虎のようでいて、それよりも恐ろしい姿の妖獣がこちらに駆けてくる。虎とは比べ物にならないくらいに速く、宵汐が、逃げようと思った時には、すぐ目の前に迫っていた。

――いや!!

 声に出すこともできずに、目を瞑ったその時だった。風が起こったと、宵汐は思った。

 虎のような妖獣の悲鳴のような鳴き声を聞き、宵汐は恐る恐る目を開く。目の前で長い黒髪が風に揺れていた。その人――後ろ姿ではっきりとは分からないが、格好からして、男が、駆けてきた黒い天馬に飛び乗った。男と天馬が、空に上がり、視界に映ったのは、すでに息を無くした虎のような妖獣だった。

 おそるおそる死んでいる妖獣の毛にさわる。鋼のように固い毛だった。しかし、そんな固い毛におおわれているにも関わらず、妖獣は腹を一直線に斬り裂かれていた。

――あの人、強いわ!

 そんなことを思っていると、鳥のような妖獣の断末魔の叫びが聞こえた。苦しげな声が静まったと思うと、鳥のような妖獣の首が斬り落とされていた。男は、天馬から降り、妖獣が濡らした血で染まった赤い地の上で、刀の血を払った。

 やはり、風のような動きだと宵汐は思う。そよ風のようなやわらかい風ではない。鋭い突風のような素早い動き。男が剣を振るうたび、刀の銀色の光が閃き、妖獣の鮮血が飛び散る。いとも簡単に、残りの妖獣全てを斬り伏せていった。

 再び、刀の血を払い、刀を鞘にしまうと、妖獣を倒していた男がこちらにやってきた。

「怪我は?」

 静かな低い声で聞かれ、宵汐は、俯き気味だった顔を上げる。そこで初めて男の顔を見た。長い黒髪は、無造作におろされているだけだったが、とても整った顔立ちをしていると思った。年は、宵汐と同じか、少し下くらいだろうか。その顔が、誰かと重なる。

 宵汐は、大丈夫、と言おうとして、男が、宵汐を見て、驚いている様子なのに気付いた。

「あの……?」

 宵汐に声をかけられ、我に返ったのだろう。男から、驚きの表情は消えていた。

「いや、なんでもない」

 顔をそむけ、そう言われる。

「助けてくれてありがとうございました」

「たまたま通りかかっただけだ」

 どうやら、素直とは言い難い性格のようだ。宵汐は、立ち上がろうとしたのだが、足を挫いているのか、立ち上がることができなかった。

 男は、ため息をついた。

「……そこで、しばらく待ってろ」



 男は、布を水で濡らして持ってきてくれた。挫いた足首に布が当てられる。

「あの、本当にありがとうございます」

 黒い天馬の背に寄り掛かるようにして座る男は、宵汐の礼には何も言わない。

「……なんでこんなところにいるんだ」

「いたら可笑しいかしら」

「碌にに剣も使えないような女が、護衛も無しに妖獣が出るような国で、動き回るのはどうかと思うが」

「私、これでもそれなりに剣を使えるのよ」

 宵汐は腰から鞘ごと刀をはずして、抱きしめるようにして握る。実際、宵汐は妖獣にはやられそうにはなっていたが、恵の下級武官と同等程度には戦うことができた。自分の身を守るくらいの力はあるのだ。

「あなた、お名前はなんて言うんですか」

 男は、答える気は無いというように、そっぽを向いた。何もそんな態度をとらなくても、とも思ったが、自分から名乗っていないのだから、仕方無い。

「私、宵汐って言うんです」

「皇女が、その辺の男に本名を名乗るのはどうかと思うが」

 男に言われてから気づく。皇女の自分が本名を名乗るのはどうかしている。偽名もちゃんと決めてあり、これまで恵で出会った人々には、その名を名乗ってきたのだ。自分でも、なぜ本名をだしたのか分からなかった。

「その、冗談です。忘れてください!私の名前は白琳です」

「それは無い」

 宵汐が言い終えるのとほぼ同時に、言葉を遮るようにして男が言った。男はため息をついて、言葉を続ける。

「恵国の皇女、宵汐だろう」

 嘘はつけない気がし、宵汐はこくりと頷く。しばらく、沈黙が続いた。血の臭いを乗せた風の音だけが聞こえる。

「……白琳のこと、知ってるのか?」

 しばらくして、少しためらうような、小さな声で聞かれる。表情は変わっていないはずなのだが、遠くを見る、切れ長の瞳が、少しだけ寂しそうに見えた。寂しいという言葉が似合わないような気がするのに。

「あなた、白琳のこと知ってるのね?」

 男は、何も答えない。僅かに顔を俯かせ、目が微かに伏せられた。

「やっぱり知ってるのね。ということは、あなた、他の国からきたのね?」

 男に、怪訝そうな表情で見られる。宵汐は、少しだけ目線を下げてそれに答える。

「恵国で、白琳のことを知っている人はほとんどいないわ。だけど、彼女は、私にとってとても大切だった人を一度、助けてくれたの。だから私は、彼女にとても感謝してるし、私は、彼女の優しい笑顔が大好きだったわ。偽名に白琳の名前を使ったのは、その名前を使えば、勇気が湧く気がしたからよ」

「……そうか。で、皇女が碧嶺閣を出て何をやっているんだ」

「わたしが碧嶺閣にいても、できることは限られているわ。碧嶺閣の外で、やることがあるの」

「皇位継承争いで、碧嶺閣には信頼できる人間はほとんどいないということか」

「え、えぇ、そうね」

 男の言うとおりだった。今、碧嶺閣では皇位継承争いが起きている。皇位継承の証を持った皇子、灑碧がいない今、碧嶺閣内では挺明稜派と檜悠派二つに分かれている。宵汐は、恵国が妖獣に襲われている時に、そんなことをしている場合ではないと思っていたが、宵汐が挺明稜と同じ母を持つ姉である以上、自分の意志とは無関係に宵汐の行動の一つ一つが、皇位継承争いの材料にされる可能性があった。

 碧嶺閣では自由に動けないのだ。

「帝は何をしているんだ?証を持った皇子灑碧は死んだ。なら、恵国では絶対的な力を持っている帝が、皇位継承者を指名すれば良いだろう」

「確かにそうすれば、皇位継承者は決まる。でも、詳しくは言えないけれど、それは無理。だからわたしは、碧嶺閣を出たの。恵国の現状を知らせるべき人に知らせるのと、恵国の皇位継承争いを解決する知恵を貸してくれるかもしれない人物に会うために」

 それは皇女である自分にしかできないことだと、宵汐は思う。そういえば、自分が皇女であることを意識したのはいつからだろう。思えば、自分が皇女であることを強く意識したのは灑碧が死んだ時からだった気がする。

 それまで宵汐は、自分が皇女であるというよりは、皇位継承者、灑碧を支えるつもりで灑碧の姉だという意識を持っていた。けれども、その灑碧が死んだ。

 突然の不可解な死。碧嶺閣では、灑碧は誰かに殺されたのではないかという話もでていた。弟の挺明稜はそれがもし本当ならば、灑碧を殺した者を許さないと言っていた。そして、宵汐は、灑碧が死んだという事実を受け入れられないでいた。

 なんで灑碧が死んだのか

 なぜ灑碧なのか

 そんな思いが渦巻き、何もできずにいたのだ。

 だが、そんな宵汐を叱った人がいた。皇位継承の証を持った皇子がいないこの国は間違いなく揺れる。宵汐が皇女である以上、そんな恵国を支える責任があるはずだと。

 まだ幼かった宵汐は皇女としての責任がよくわかっていなかった。正直なところ、今もはっきりと分かっているといえる自信は無い。けれども、それ以来、まず何よりも皇女として何ができるかを考えてきた。色々考えて、灑碧がずっと守ろうとしていたものを、自分が守ろうと思った。

 こうして碧嶺閣を出たのもそのためだ。

「灑碧が生きてたら……」

「灑碧が生きていたとして、良い帝になったとは思えない」

 宵汐が無意識に呟いた言葉を、遮るようにして否定される。それは、碧嶺閣を出てから、恵国の人々がさんざん言っていたことと同じだったことだった。目の前の男が、恵で住む人々と同じ事を思っていても不思議ではないのだが、目の前の男――白琳のことを知っているらしい男まで、灑碧のことを否定するのは意外な気がした。

 一瞬、灑碧がそれだけ恵のことを思っていたかを聞かせようかと思った。だが、それを言ったところで、目の前の男にまた皇位継承者としての灑碧を否定されたら、耐えられない。なぜだかそんな気がし、宵汐は出そうになった言葉をかき消した。代わりに男にたずねる。

「一つ聞いて良いですか?」

「何だ?」

「妖獣が現れて危険なこの国に何をしに来たんですか?」

 再び、沈黙が続く。男はぼんやりとしたまま、妖獣に襲われた村を見ていた。男の目に映っているであろう光景と同じものが、宵汐の瞳にも映る。生きている人はこの村から逃げたはずだ。けれども、妖獣にやられた者は、息を絶えたまま、横たわっていた。

 しばらくして、男が口を開く。

「……妖獣がこの国に現れた原因を調べる」

「あなた、妖獣が現れた原因は、灑碧の呪いだと思ってないの?」

 男は、ため息をつく。出会ってから何度めのため息だろう。

「……さあな。だが……」

 男は急に立ち上がった。黒い天馬の手綱を引き、宵汐を見下ろして言う。

「俺はもう行く。妖獣の気配はしないから大丈夫だろう。もう少し休んだら、大きな街にいって護衛を探せ……皇女が死ぬなよ」

 そう言い、男が見せた背を見て、なぜだか不安を感じる。あれだけ強い妖獣を倒していたのだから、十分強いはずなのに、なぜだかほうっておきたくない心境になるのだ。

 それに、これは勘だが、きっとあの白琳と深い関わりがあるような気がしたのだ。白琳には恩がある。きっと、あの男に何かがあれば、また白琳を悲しませることになる。根拠があったわけではないが、宵汐はそう思った。

 勘でしかないが、あのまま行かせたら、何か良くないことが起こる気がしたのだ。けれど、男は天馬にのって、虚空に飛翔してしまった。

 もう、宵汐の手の届かないところへ行ってしまっていた。



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