第五章 それぞれの思い 8
「ねぇ駿、あなた、嘉国ではそれなりの地位にいるんでしょう?だったら、この子を嘉国に連れて行ってあげて」
麗羅が、修から逃げ出そうとした子供の横に座って言う。
「私が、この子を引き取ってあげても良いんだけど、多分この子は修を出たいと思うの」
麗羅の白く細い手が、子供の黒い髪を撫でる。その手つきがあまりにも優しくて、駿は、思わず笑みを笑みをこぼす。そうしていると、麗羅がまるで本当の母親のようだ。
やがて、子供は目をあける。だが、目をあけるのと同時に、子供は、短刀をを取り出し、暴れようとした。けれども、駿は、動じない。
反射的に、短刀を持つ子供の手首を片手で握る。握った手に、冷たい鉄の手枷の感触が伝わった。あいている手で、子供が持つ短刀を奪うが、子供はそれでも暴れる。暴れるたび、手枷から伸びた短い鉄の鎖がぶつかりあって音を立てた。駿は、子供を落ち着かせようと、子供の目を見て、できるだけ優しい声で話す。
「大丈夫、君はもう自由だよ」
子供の動きが一瞬止まる。少年は、少し怯えた様子で、こちらを見てくる。駿は、そんな少年に、笑顔――好意的に見えるように優しい笑顔を作った。すると、少年は、あからさまにあった警戒心を解いて、腕に込められていた力を抜いた。それを感じて、駿は、少年の手首を離した。
少年の腕が、だらりと下がり、今度は俯く。
「手を見せてもらえるかな」
駿がそういうと、少年は、睨みつけてくる。まるで警戒する猫のようだと思いながらも、駿は笑顔を崩さずに言う。
「何もしないよ。ただ、その手枷をはずしたいと思ってね」
駿は小袋から、細長い鉄の棒のようなものを取り出し、少年の手首を取る。手を取った瞬間、怯えたように、ぴくりと、手が震えた。駿は、手枷の鍵穴に、鉄の棒を嵌め、何度か、かちゃかちゃと回す。そうしてしばらくすると、音を立てて、少年の手首から手枷が外れた。
「ほらね」
驚く少年に、駿は、笑んで見せた。
「駿君にそんな特技があったなんて驚いたわ」
いつも通りの艶のある声、けれども、どこか弾んだ声で麗羅が言う。
「ねぇ、あなた、なんという名前なの?」
麗羅が少し首を傾けながら、たずねると、少年は麗羅の顔を見ずに、俯いたままで言う。
「……劉英」
つぶやくような小さな声だった。
「ねぇ、劉英君は、修を出たい?」
麗羅の言葉に、劉英ははじかれたようにして顔をあげた。麗羅が言った言葉をうまく飲み込めていないという様子だった。そんな劉英に、やわらかい言葉で麗羅が言葉を続ける。
「そこのお兄ちゃんが修の外へ連れ出してくれるわ。行き先は嘉国かしら?」
「嘉国ってあの?優しい王様と、強くて綺麗な二人の二将軍様がいる?」
劉英のその言葉に、駿は、作り物ではない笑い声をわずかばかり零してしまう。強くて綺麗な二将軍など、嘉国にいただろうか。駿がよく知っている二人が、劉英の言う二将軍像とどうしても結びつかなくて、こらえきれずに漏れるわずかな笑い声を止めることができなかった。
おそらくは、嘉国には、女の二将軍がいて、その女が振う剣が綺麗だという話が、人伝えに広まるうちに変わっていったのだろう。桃華が綺麗ではないとは言わないが、どちらかというと彼女は愛らしい。それに、二将軍の片方は男の将だ。
考えれば考えるほど、劉英がいう二将軍像と、自分の知人でもある二将軍との間に共通点を見いだせずに、笑いをこらえることができない。けれども、噂というものはこういうものだとも思う。人から人に伝わるうちにその内容が元の形を無くして、時には別のものになってしまう。
ふいに、やはり恵国の、灑碧の噂はどこかおかしいと、駿は思った。
そんなことを考えていた駿を不思議そうな様子で劉英が見上げてくる。劉英の頭をぐしゃぐしゃと撫でながら駿は言う。
「うん、嘉国に連れて行ってあげるよ。けれど、俺は今から他の国に用があるから、今すぐに連れていくことはできないんだ。だから麗羅さん」
駿は、麗羅の方へ目線を変えて言う。
「それまで、劉英君をお願いします。用が済んだら、俺か……いや、俺の代わりの誰かを必ず、ここへ迎えに来させるから」
駿は、そう言うと、席を立った。
「もう出るの?」
訪ねてくる麗羅にうなずき、もう一度、劉英に笑顔を見せて、駿は店を後にした。
駿は、修の路地を、天馬を引きながら、喧騒に紛れるようにして歩いていた。嘉国のにぎわいとは違う音が修からは聞こえる。時折、剣と剣のぶつかり合う音が聞こえたり、風に乗せられて、僅かばかりの血の臭いを感じるのは、ここが修だからだろう。
劉英のように、ここに無理やり連れてこられて、生活するものも少なくもない。こんなところ、無い方が良いのかもしれないとも思うが、同時に、理性がそれを否定する。
修がなければ、小さな国で行き場を失ってた民が、嘉や恵に押し寄せるだろう。そんなことになったら、いくら他国に比べて豊かだといわれている嘉や恵でも、今のように持ちこたえていられるとは思えない。今でも、そうして嘉に逃げてくる人が増えつつあるのだ。修が無かったら、どうなるかは、容易に想像できる。
結局、嘉や恵だって、間接的とはいえ、修があるおかげで、豊かな国なのだと思うと、苦々しく、もやもやしたものが心の中に広がっていくような気がした。
駿は、そばにあった木に天馬をつなげる。そうして、灯りすら灯っていない、木でできた建物に入った。灯りが入っていないために、中は暗かったが、人の気配は感じる。駿は、小袋から、光石をとりだし、それを割った。光石が発する仄かな明りに照らされ、人の姿が浮かび上がる。浮かび上がった人は、卓の上に顔を伏せて眠っている。駿は、寝ている男の肩をゆすり、無理矢理起こそうとする。
「じいさん、じいさん、起きてください」
なんどかそう声をかけ、やがて、駿の手を振りはらって起きた男は、眠そうに目を擦った。そうして、卓の上に置かれた、徳利を手を取り、猪口に継がずに、そのまま酒を飲んだ。口を袖で拭った後で、ようやく駿の存在に気付いたようだった。
「なんだ、お前か。今日は、どんな用だ?」
「はい、紙を見せてもらいたくて」
ちょっと待ってな、そう言って男は、部屋の奥へと入っていく。しばらくして、男は紙束を持って戻ってきた。卓に、置かれた紙を取り、駿は、目で字を追う。紙には、人の名前と特徴、その人物がどこにいるかなどが書かれていた。
修には、殺し屋がいる。殺し屋は、今駿が手に持っているような紙を見て、報酬や、依頼者が殺したい人物がいったいどういう人物なのかを確認し、仕事を選ぶのだ。
駿が、先程起こした人物は、殺しの依頼を引き受けて、殺し屋に仲介している男だった。仲介者は、依頼者が提示した報酬を調整する役割も持っていた。依頼者が提示した額が、依頼者が殺したい人物の能力や、地位に比べて低い場合、それを依頼者に伝える。そうして、額決め、決まった額を紙に記す。紙は、仲介者が見せても良いと判断した殺し屋のみに見せられるのだ。
駿は、殺し屋では無いのだが、目の前の仲介者の信を得ることに成功していた。文字をたどり、探していた一文を見つける。生きたまま連れてくるよう書かれたのは、赤い髪の、嘉国にいる15歳の少年紅貴。そして、その下に書かれていた、依頼料が一際高い男――殺してほしい男の特徴に、目が引かれた。
翠色の目を持ち、長い茶髪の男。
「じいさん、この人殺すとこんなにお金入るんですか?」
「そりゃ、入るが……その依頼を引き受けるのか!?そう、簡単に殺れるとは思えねぇ。まさか、翠色の目がどういう意味を持つかを知らないわけではなはいだろう?」
駿は、軽く笑って答える。
「いいえ、遠慮しますよ。……彼に勝てるとは思いませんから」
「勝てるとか勝てないとかそういう問題でもないだろうに。面白い言い方するんだな」
駿は、何も言わずに、軽く笑う。駿は、剣を含め、武道では翡翠には勝ったことがないのだ。もっとも、普段の生活で優位に立っているのはこっちだと思うが。
「今のところ生活にも困ってないし、また今度来るよ」
「そうかい」
そういうと、男は、大きな欠伸をして、再び眠ってしまった。駿はそんな男に背を向けて、建物を出た。
外に繋いでいた天馬の手綱を手に取る。そして、今夜の宿に向かいながら、ため息を落とした。
修の殺し屋に頼んでまで、翡翠を亡き者にしようとしている人物がいる。その理由が想像ができ、気分が沈む。
――とりあえず、弄に向かわないで、恵に戻ろうかな。
できれば、駿にとって最悪な事態だけは避けたい。それが翡翠にとって、良いと思えないし、なによりそうなれば、瑠璃が悲しむだろうから。
けれども、と駿は思う。そんなことは起こりはしないとも思った。だが、駿がそう思ったのは、翡翠を信じてというわけではなかった。
――自分が、翡翠に一度も剣で勝ったことが無いからだ。
嘉国曙鵬。月の明かり以外は一切の明かりが無い夜中、曙鵬にある宿を見ている青年がいた。青年は顔を黒い布で隠して、着ている着物も、黒だった。
青年は、修国の殺し屋だった。幼い頃に、修国に売られ、剣の腕を見込まれ、殺し屋に買われた。青年を殺し屋として育てた男は、青年よりも強く、とてもそこから抜け出すことはできなかった。男には、殺しで、青年を買った額の倍稼いだら、自由の身にしてもらえると約束されていた。皮肉にも、青年は、自由の身になるために、人を殺術を磨いてきたのだ。
青年は、自分の手首を睨みつける。手首にある手枷。これがある限り、修を出ることはできない。そして、手枷の鍵は、青年を買った男が持っている。
今回の仕事は、殺しではない。赤い髪の子供を生きたまま依頼主の元へ連れて行けばいいだけだ。そう思うと、いくらか気が楽だ。そんなことを思いながら、目的地の宿に忍び込もうとしたその時だった。
「目的は紅貴?」
辺りに人の気配はないはずだった。だが、若い娘の高い声がそう言った。
青年は、気配には鋭いはずだった。そうでなければ、修に売られてから、今まで生きて来られなかったはずなのだ。青年は、反射的に振り返った。
そこにいたのは、少女だった。暗くて、表情はよく見えないが、華奢な体格の若い娘だ。
「紅貴を連れていくのはやめてもらえる?紅貴は洸国にとって、それから私たちにとっても、大事な希望なの」
内容に反して、まるで世間話でもするような口調でそう言われる。青年は、それに剣で答える。腰に差していた剣を引き抜き、少女との距離を一気に詰めた。どこかで、少女が剣を受けるところを想像していたが、予想に反して、剣と剣がぶつかり合う音は響かなかった。
蝶のように、あるいはふわふわと舞う桜の花びらのように。少女は、青年の剣をひらりひらりとかわした。青年が繰り出す剣はそうしてつぎつぎとかわされていった。
春にゆるやかに舞う桜の花びらは、ゆらりゆらりと舞って、捉えにくい。今はもう春は終わっているはずなのだが――。
少し開けた場所に行き着き、月の光が、少女の顔を映し出した。茶色い髪が、風に、ふわふわと揺れされている。こちらを見る大きな茶色い瞳は、なぜか、少し悲しそうだった。
ふと、青年は、自身が少女に惑わされているのではないかと思った。そう思った矢先、少女の小さな口が、少しだけ笑みを作った。
春風のようだと思った。思考が追いついたのは、いつのまにか青年の剣が少女の刀に弾かれ、心臓の位置に刃を当てられてからだった。
あぁ、ここで死ぬんだな。唐突に青年はそう思った。急に力が抜けて、地面に座るような形になる。思えば、自分は人をたくさん殺めてきた。そんな自分を終わらせるのが、目の前の少女なら、恵まれている方かもしれないと思った。
少女は、抜いていた脇差をしまい、少女の腰にあったもう一つの武器、刀をゆっくりと抜いた。刀は、不気味な紫色の光を放っていた。
そっと目を閉じ、終わるのを待っていると、耳に、ガチャン、という固い音が響いた。
「それが無ければ、こういうこと、もうする必要無いでしょう?」
終わりは来なかった。少女の声が聞こえ、青年はゆっくりと目を開いた。目を開いてから気付いた。修に連れて来られてからずっと手首に感じていた冷たい感覚を感じない。
恐る恐る自分の手首を見ると、手枷が消えていた。下ろされた自身の手の先に、手枷が落ちていた。紫色の光を放つ刀が、手枷を割るようにして、地面に刺さっていた。
地に刺さっていた刀を鞘に戻し、少女はもう一度、今度は、先程より柔らかい笑みで笑った。そして、背を向けて、少女は消えた。
紅貴は、その光景を、青年が剣を抜いてからずっと見ていた。
「桃華」
宿に戻ろうとする桃華に声をかける。
「気配がすると思ってたけど、やっぱり紅貴だったんだね。ずっと見てたの?」
「うん、相手の人が剣を抜いてから。桃華、本気だったのか?」
「少しだけ」
桃華が、人差しゆびと親指で、形を作りながら言った。
「なんか、見とれちゃったよ。桃華ってすごいんだな。」
桃華は首を振る。
「なぁ、あの人って修の人かな?」
「うん、そうだけど。どうして?」
「手枷があったから。昔、紅……俺の天敵が、教えてくれたんだ。鉄の手枷は、修国に売られた人の印だって」
紅貴は、紅翔から、修国の話を聞いたことがあった。洸国は貧しい国だ。他国に比べて、修に売られる子供が多いのだという。だが、修国に売る者が他国に比べて多い理由は、それだけではなかった。たとえ、修でも、洸に比べたらましな生活ができるのではないか、と考える者もいるという。
紅貴は、修には言ったことが無かった。だから、実際、洸と修、どちらがましな生活なのかは分からない。だが、と紅貴は思う。嘉国に来てわかったことがある。
双龍国には、嘉国のような豊かな国がある。それは、話に聞いてわかっていたことだったが、実際に目で見て、嘉に住む人々は幸せそうだった。洸では、人々があんな風に笑っているのをめったに見ることができない。
生活が豊かかどうかは生まれた国や、家に左右されるが、それで幸せかどうかが決まるわけではないと言っていた人がいた。だが、紅貴はその言葉の意味がよく理解できなかった。
こうして実際に嘉を見てみたら、やっぱり嘉国の人々の方が幸せそうではないかと思うのだ。そう思うと、やはり、なんとしてでも洸国を救わなきゃいけない気がした。
それから、これから向かう恵では、妖獣が暴れているという。嘉と同じく、恵も豊な国だと聞いていた。だが、妖獣が暴れていて、しかも皇位継承者がいないのなら、恵に住む人々も、幸せで無くなってしまうような気がする。
それは、紅貴にとっては許せないことだった。ましてや、妖獣が関わっているのだ。他人事とは思えない。
「……俺、恵国も絶対に救いたいんだ」
「そうだね。わたしも、恵を助けたい。だから……許せない」
桃華の瞳が少しだけ哀しそうに伏せられていく。
「桃華?」
「ごめん、紅貴。帰ろう?こんな夜中に出歩いてるなんて白琳と瑠璃に知られたら、心配しちゃう」
そういう桃華の表情からは、先程の哀しそうな顔は嘘だと思えるくらいに、哀しげな色が消えていた。




