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史書  作者: 風華
それぞれの思い
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第五章 それぞれの思い 6

 香南と別れ、詠笙を出た紅貴らは、恵国に向かっていた。詠笙を出てから二日ほど経ち着いた街は、曙鵬といった。着いた頃には、夕暮れになっており、街を提灯の明かりが照らしていた。

 街の人に尋ね、教えてもらった宿に荷を置き、部屋で一息ついていると、戸の外から声がかかった。

「紅貴、中入って良い?」

「うん、いいぞ」

 紅貴は、窓から視線を外し、戸の方へ目を向けた。腕にたくさんの菓子を抱えた瑠璃が部屋の中に入って来たところだった。

「香南からもらったお菓子がまだたくさん残ってるから、一緒に食べない?」

「うん、食べる。けど、白琳と桃華は?」

「あの二人なら買い物に行ったわ」

「買い物?瑠璃は行かないのか?」

 様々な街をまわって来た。街にはいつも閉門する少し前に着き、宿を取った後は、荷物を置いて各々自由に過ごしていた。そんな中で、瑠璃、白琳、桃華は、時折三人で買い物をする。やはり三人共、年頃の女の子なのか、店を巡り、着物や髪飾りを見ているという。   

 買い物には、最初は紅貴も誘われていたが、最近は断っている。というのも、一度付き合って、疲れてしまったのだ。

 桃華が、綺麗なものや可愛いものを見つけ、瑠璃がそれに便乗する。白琳はそんな二人を嬉しそうに眺めていた。そんな三人、とくに、瑠璃と白琳は、翡翠がいなくなった今、無理やり旅に楽しみを見出そうとしているようにも思えたのだが、ともかく紅貴は、簪や帯、着物をみてはしゃぐような女の子独特の空気が苦手だった。

 そういった買い物に行くときはいつも三人一緒のはずなのだが、今回は白琳と桃華だけで買い物にいったという。仲が良い三人だ。喧嘩をしたとも思えない。実際、先ほどまで、瑠璃、白琳、桃華の三人は楽しそうに話していた。いったいどうしたのだろう。

 紅貴が不思議に思っていると、瑠璃がくすくすと笑いながら言う。

「私は、この街の物には興味ないから」

「そうなのか?」

「ほら紅貴、覚えてない?この街には、書店がいっぱいあったでしょう?」

 紅貴は、先ほど通ってきた、曙鵬の入り組んだ細い路を思い浮かべる。そう言えば瑠璃の言う通りかもしれない。提灯に照らされた店先には、書物が並べてあった。

「この街にはめずらしい本が多いの。古語の文を現代語に訳さずに、古語のまま写している書物もあるとかで、白琳も桃華もこの街に来るのを楽しみにしていたみたい」

「瑠璃は興味無いのか?」

 紅貴が尋ねると、瑠璃は、かすかに声をたてて笑う。

「私は、興味無いし、そもそも古語なんて読めないわ。紅貴は?」

「俺も読めないよ」

 そう言いながら紅貴は苦笑する。読めないと言うより、読もうとしなかったのだ。紅翔は、使えれば何かと便利だからと、紅貴に古語の読み方を教えようとしていてくれたのだが、あの複雑な字の形と、難解な文法にどうしても慣れることは無かった。

 まだ幼かった紅貴は古語辞書をひっくり返し、椅子に座らせようとする紅翔から逃げ回っていたのをよく覚えている。曉貴は、呆れながらも逃げ回る紅貴を助けてくれたものだ。

 今になって時々、あの頃古語を学んでいれば、と思うこともあるが、あの字の形にどうしても馴染めない。やっぱり古語は苦手だ。

「じゃあ、私と同じだね」

「同じというか、普通読めないだろう。あんなもの」

 特定の文官ならともかく、古語は一般には浸透していないはずだ。それとも、嘉国では読めるのが普通なのだろうか。だとしたら、現代語も読めない者も珍しくない洸とは大違いだ。

「紅貴の言う通り、普通は読めないわ。寺子屋でも、さわり程度しか習わないから、嘉国でも読めないのが普通。でも、白琳も読めるし、桃華も読める。翡翠なんか、現代語を使うのと同じように読めるし、話せるから、なんだかね」

「みんなすごいんだな。でも、現代語と同じようにって……」

「私も不思議に思って翡翠に聞いたの。そしたら、ほら、赤ちゃんって大人の言葉を聞いて言葉を覚えるでしょ。言葉を覚える時に、一緒に古語も刷り込まれたらしいって言ってた」

「瑠璃は、そんな風にされなかったのか」

「だって、翡翠と私、血は繋がってないから、当然育てられ方も違うわ」

 そう言ったあとで瑠璃は慌てて口に手を当てた。

「えーと、なんかごめん」

 瑠璃と翡翠が血は繋がっていない。聞いてはいけないことを聞いてしまい、紅貴は思わず謝る。瑠璃が漏らしてしまったことなのだから、紅貴が謝る必要はないのだろうが、謝ってしまうのは、紅貴の癖のようなものだった。

 瑠璃は当てていた手をおろすと、首を軽く振った。

「違うの、変なこと言ってごめん。私も、多分翡翠も、血が繋がっていないことは気にしてないから」

 そう言った瑠璃の口調は、暗い口調ではなく、いつものはつらつとした、はっきりとした口調だった。どうやら本当に気にしていないようだ。

「時々……今もだけど、翡翠が何を考えているか分からない時があるけど、それって、私たちが血が繋がっていないからじゃなくて、立場が違うからだと思うし」

 紅貴は、慶での瑠璃との会話を思い出す。瑠璃の好きな人の気持ちが分からないと言われたあの時と、なんとなく空気が似ている気がする。

「翡翠は、こっちの気持ちを考えてもいないんじゃないかって、俺も思う。もしかしたら、翡翠が一人でいなくなったのって、なんかわけがあるのかもしれないし、俺達に迷惑をかけないようにするためかもしれないけど、それも腹が立つ。うまく、言えないけど、こっちが心配しちゃ悪いのかよってな」

「……本当に、紅貴の言う通りだわ。こっちの気持ちも考えない翡翠にも、それから、翡翠と似たような立場だからって、無関心を装っていつも通りの桃華にも、そして、翡翠に甘い白琳にも腹が立つ!」

 瑠璃の言葉を聞きながら、自分の中で感じていたもやもやとした気持ちはこれか、と紅貴は思った。はっきりと分からなかった桃華や、白琳、そして翡翠に対する気持ち。それが瑠璃の言葉で具体化されていくようだった。

「俺、やっぱり翡翠に対して腹が立つよ!翡翠に会ったら、一発殴って、大切に思ってる人を悲しませるなって言うんだ!多分、翡翠が一人でどっか居なくなったのって、こっちに迷惑かけないようにとか、傷つかないようにって思ってのことかもしれないけど、結局それだって、こっちのことなんか考えてないんだ!」

 言った後で、自分の気持ちをここまで人に言うのは久しぶりだと、紅貴は思った。そして、思っていることを言えたのは、瑠璃とどこか似ているところがあるからかもしれないと感じた。

 桃華も、きっと、翡翠と同じでいつだって守られるのではなく、守る立場だから、守られるこちら側の気持ちを想像しにくいだろう。白琳は、瑠璃に言われて気づいたが、翡翠に甘い。守られる側の立場の白琳だが、こちら側の気持ちを考えていない翡翠をそのまま受け入れようとしているようだ。だが、紅貴も、そして、瑠璃も、白琳のように甘くはなれない。

 結局、我慢したって、誰かが傷つくだけだ。



 紅貴と話したあとで、部屋に戻った瑠璃は、窓から外を見ていた。もう、夜になりかけ、提灯の灯りがいっそう明るく見える時刻になっていたが、白琳と桃華はまだ帰ってこなかった。

 夜になりかけている時刻だが、細い路を、たくさんの人が、互いになんとかよけあいながら、歩いているのが見える。これだけ人が多く、灯りは提灯だけとあっては歩きにくいだろうな、と瑠璃は思う。ふと、人ごみに紛れて、幼い兄妹がいることに気づいた。

 はぐれないようにだろう。兄の方が妹の手を握っている。そんな兄妹を見て、瑠璃は、まだ幼かったころのことを思いだす。あれは、翡翠と出会って最初の桜祭りの時だ。


 父と、母、そして翡翠と、李京で毎年行われている桜祭りに行くことになった。今、瑠璃の目に映っている提灯よりも、もっと鮮やかな、色とりどりの提灯が、夜桜を照らしていた。

 まだ幼かった自分。母親の珊瑚に、髪を綺麗に結ってもらって、瑠璃の蒼い瞳に合わせた、真新しい蒼い浴衣を着せてもらった。それが嬉しくて、瑠璃は、はやる心を抑えられずに駆けだした。赤や黄、青い提灯の灯りの間を、時折、桜の花弁が散るのが本当に綺麗だった。

 翡翠は、月明かりに照らされた桜の方が綺麗な気がする、と言っていたのだが、幼い瑠璃には、いつでも見られる月よりも、色とりどりの提灯の方が、魅力的だった。

 いつも歩いている街が、まるで別世界になったようで、嬉しい。だが、はしゃいでいるうちに、父親とも母親とも、そして、兄とも離れてしまった。両親と、翡翠を探し、気づけば、辺りはひっそりと静まっていて、あんなに綺麗だと思っていた提灯の明かりが無い場所に来ていた。

 はぐれて、最初こそ強がっていたが、やがて、喉元を込みあげるものを感じた。

 しばらく路の端で俯いて立っていると、瑠璃の手を誰かが握った。空いている腕で、目をこすり、顔を上げると、そこにいたのは、兄、翡翠だった。

「銀と珊瑚が心配している」

 そう、ぶっきらぼうに翡翠が言い、瑠璃の手を引く。煌々と月が照らす中を、翡翠について行くように歩いていた。翡翠の手をぎゅっと握ったその時、ふわふわと桜の花弁が舞い降りてきた。

 その花びらを見た時、確かに、月に照らされた桜の花弁は綺麗だと、初めて瑠璃は思った。

 色とりどりの提灯が灯る場所に戻り、両親に抱きかかえられた。本当に心配したんだからと言いながらも、両親は嬉しそうに笑っていた。

「翡翠、ありがとうね」

 母親、珊瑚がにこりと笑っていた。翡翠は一見表情が変わっておらず、何も言わなかったのだが、そんな兄を見て、確かに笑ったと瑠璃は思った。

 その後、歩き出そうとした兄の手を、瑠璃は自分から握った。振りほどかれるかとも思ったが、その後、ずっと兄は手を握っていてくれた。


 思えば、その桜祭りの時から、本当の兄妹になれたのかもしれないと、瑠璃は思った。

 初めて会うとき、母親には、「あなたにお兄ちゃんができるわよ」と言われた。それまで一人っ子で、姉や兄、妹や弟が欲しくてたまらなかった瑠璃は、急に兄ができると言われたことに違和感は感じず、嬉しくてたまらなかった。

 兄だと紹介された翡翠を見た瑠璃は、何よりも目に釘付けになった。翠色の目の人など見たことがなく、綺麗だと思ったのだ。だが、第一印象こそ良かったものの、翡翠は笑わず、あまり話さないため、翡翠のことを怖いと思ってしまったのだ。

 けれども、桜祭りの一件で、実は翡翠は優しいのだと知った。あまり顔に表情に出ないだけで、本当は優しい兄なのだと、理解した。だから、幼いころは、翡翠は瑠璃にとって、自慢の兄だった。なぜだか、「お兄ちゃん」とは呼ばせてくれなかったけれど。

 年齢が上がるに連れて、というよりは、年齢と共に、瑠璃の考えが変わって、翡翠の駄目な部分も見えてきた。本当は、困った兄なのでは無いかと思った。今では、瑠璃の中では翡翠は馬鹿兄だ。

 そして、馬鹿兄と言えど――たとえ、血は繋がっていなくても、翡翠は兄だ。

 だから、翡翠が何を考えているのか分からなくなる時があるのは、決して翡翠と血が繋がっていないからでは無い。

 翡翠と瑠璃では立場が違う。だから翡翠が考えていることが分からない。けれども、瑠璃は、これでも、翡翠の立場で、考えようとしているつもりだ。

 だが、翡翠はこちらの気持ちを本当に考えているのだろうか。

 瑠璃は深く息を吐いた。

――本当に、困った馬鹿兄だ。



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