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史書  作者: 風華
妖獣
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第三章 妖獣 3 

 冬梅の回復は早かった。先ほどまでうなされていたとは思えないほどしっかりとした足取りで瑠璃の前を歩いている。冬梅の横を歩く清風はそれを嬉しく思っているのだろう。瑠璃の頬を撫でる軽やかな風のように嬉しそうな足取りだ。そんな冬梅と清風の後ろ姿を見た瑠璃は嬉しくなり、思わず微笑んだ。

「一日休んだだけだけど、師匠と打ち合うのがすごく久しぶりに感じますよ」

「久しぶりだろうと容赦はしないからな」

 瑠璃が聞いた冬梅と清風の会話はわずかだったが、それでも二人の言葉の端々から二人の仲の良さがうかがえる。清風は師である冬梅を尊敬しているようだったし、冬梅の方も清風を本当に可愛がっているようだ。やがて、神社の境内の東の道場に着いた。道場に着いた瑠璃は、改めて胸が高鳴る自分の心臓の音を聞いた。


 冬梅が起き上がってしばらくし、清風が言った。

「俺、やっぱり今すぐ師匠に剣の相手をしてもらいたいです」

「じゃあ、今からやろう」

 そう言って、楽しげにガハハと笑う冬梅だったが、、仮にも病み上がりのはずだ。心配になった瑠璃は、ちらりと横にいた白琳を見た。すると、瑠璃の意図を察したのか、白琳は、僅かにほほ笑みながらささやくように言った。

「これだけ元気なら大丈夫でしょう」

 瑠璃がほっと肩を撫でおろしていると、清風が声をかけてきた。

「お姉ちゃんも見に来ないか?」

 清風はそう言ってはにかんだ。瑠璃はもともと剣の打ち合いを見るのが好きだ。それに――瑠璃は、禁軍になりたいと言った時の清風の強い瞳を思い出す。単純に剣を見るのが好きだというのもあったが、あの強いまなざしをもつ子供の剣を見たいと瑠璃は思ったのだ。

 もう少し村人の様子を見ているという白琳に見送られ、瑠璃、冬梅、清風の三人は道場に向かったのだった。



 道場の中央で向かい合う二人を瑠璃は見る。双方笑顔は消えている。冬梅が、まっすぐに清風を見、冬梅の視線を受けた清風は、微かに睨みつけるようにして冬梅の視線を受けていた。清風の木刀、少年の背丈に対して少し大きいそれは、しっかりと正眼に構えられている。瑠璃が喉をごくりと鳴らし――最初に動いたのは清風だった。


――速い


 冬梅が清風の剣をを受けて音を立てていた。あっという間に冬梅との距離を縮めた清風に瑠璃は驚いた。合わさる二人の木刀を見た瑠璃は、思わず自分の服を握る。よく見ると、清風の木刀がぎりぎりと震えている。おそらく、師である冬梅の力の方が勝っているのだろう。しかし、清風はいつまでも木刀を合わせてはいなかった。再び、あっという間に冬梅との距離をとると、今度は次々と鋭い突きを繰り出した。

――やっぱり速いわ

 なんとか目で追っては行けるが、気を抜けば一瞬木刀の動きを見失いそうになるほどに、清風の繰り出す剣は速かった。瑠璃とて、剣術に関してまったくの素人というわけではない。幼いころは、近所に住む同年代の男の子には剣で負けたことはなく、あの翡翠にチャンバラの相手をしてもらっていたのだ。もちろん当時の翡翠が本気で瑠璃の相手をしていたはずはないが、その経験がなけでば、目の前で見せられる清風の激しい突きを目で追うことはできなかっただろう。まったくの素人では目の前で何が起こっているかさえわからなかったかもしれない。

 だが、そんな清風の突きを、冬梅はさほど苦も無さそうに防いでいる。カキンカキンという木刀が合わさる音を聞きながら、ふと冬梅の顔見ると、子を愛しそうに見る父親のような表情だった。やがて、冬梅の口元がわずかに緩むのを瑠璃は見た。その直後だった。清風の木刀が弾かれたのは。清風は一瞬、悔しそうに表情をゆがませたがすぐにニヤリと笑うと、弾かれた木刀を拾いあげて言う。

「今日こそは師匠に勝てそうな気がしたのに。やっぱり師匠は強いですね」

 冬梅は口を大きく開けて笑う。心から嬉しそうだ。そして、清風の癖のある黒髪をぐしゃぐしゃと撫でながら言う。

「俺がもっと強くしてやるから安心しろ」

 そんな師弟を見た瑠璃は思わず口から笑みが零れるのを感じた。


「桃華いいかげんにしろ」

「虫は嫌いなの!」

「虫よりてめぇの叫び声の方がよっぽど迷惑だ」

「何言ってるのよ!虫の方が気持ち悪いじゃない!」

 目の前で繰り広げられる口喧嘩に、紅貴はそっと溜息をついた。桃華が虫を見るたびに叫び声をあげ、それに翡翠が小言を言い、口喧嘩になる。先程からその繰り返しなのだ。最初は二人の口喧嘩を止めようとしていたのだが、いいかげんそれも面倒になった紅貴は二人をほっとくことにした。

(たかが虫でなんでこんな口喧嘩になるんだよ……)

 そんなことを思いながら紅貴は再び溜息をつく。それにしても、と紅貴は腕を組む。目の前にいる二将軍と呼ばれる武官二人は緊張感がなさすぎるのではないだろうか。二人の喧嘩を聞いていると、今、自分たちが妖獣を倒しに行こうとしていることも忘れそうになる。やがて、目の前に木でできた門が現れた。いや、門だったものか。門はその形を崩しかけ、おそらく閉じられていたであろう門の中心には穴があき、屋根は完全に落ちていた。

「ひどいな」

 紅貴がそうつぶやくと、桃華場違いなのんびりとした声が返ってきた。

「あの穴から村の中に入れるかな~」

 紅貴は、さすがに人一人が通るのは無理だろうと、思う。翡翠も同様に思ったらしく、呆れたというように桃華を見ていた。

「よじ登るわけにはいかないよな」

 紅貴がそう言うと、翡翠は鞘と柄に布が巻かれた刀を静かに抜いた。ちょうど視界に翡翠の抜き身の刀が入り、刃を見ると、何やら彫刻が入っていた。しかし、何の彫刻かを見る前に、翡翠は門の目の前に歩いて行ってしまった。翡翠の行動を不思議に思いながら見てみると、シュッっと音が聞こえた。それが、翡翠が扉を斬る音だと気付いたのは。扉がガコンと音をたてて崩れた後だった。翡翠は何事もなかったかのように刀をしまうと、崩れた門の先から村の中へ入っていった。紅貴もあわてて村に入り、後から桃華も付いてきた。

「ひどい」

 紅貴は村の様子をみてそうつぶやく。門の様子からも想像できていたことだが、村の様子はひどい有様だった。畑が無残に荒らされ、土の中で育つべき野菜は掘り起こされていた。家は崩れ、道には馬の死体が転がっている。村の外から聞こえる鳥の鳴き声がどこか虚しく感じられた。

「最悪ね」

 そういう桃華の声色は桃華のものとは思えない程に冷たい。そっと桃華を見ると、わずかに顔が青ざめているようにも見える。それもそうだろう。武官とはいえ、若い少女が普通はこの光景を直視はできないだろう。

「嫌な予想が当たるとはな」

 紅貴は翡翠の言葉に違和感を覚えた。翡翠の性格ならこの状況を予想しているはずではないだろうか。だとしたら、翡翠の言う嫌な予想は別のことではないだろうかと、紅貴は思った。

「翡翠、嫌な予想って?」

「靖郭から神社に向かう途中、俺が、妖獣使いがいなくても村に妖獣が現れる条件が一だけつあると言ったことを覚えているか?」

 紅貴はこくりとうなずく。あの時、翡翠はいつも以上に険しい表情をしていたのだ。

「その条件を誰かが満たしたらしい。……って、紅貴は妖獣使いだったな。現状があるんだ。ここまでいえばわかるだろう」

「まったく最悪よね」

 桃華のその言葉を聞いて、紅貴は桃華の言う最悪の意味を取り違えていたことに気づいた。桃華の言う最悪とは、翡翠が言う妖獣使いがいなくても村に妖獣が現れる条件のことだったのだ。

(考えてみれば、桃華だって仮にも二将軍だ。これぐらいのことで動揺するはずないよな)

 しかし、その二将軍の鳳華が動揺する最悪なこととはいったいなんなのか、紅貴にはわからなかった。翡翠に現状があるといわれても、紅貴にとっての現状とは畑と家屋が荒らされることであった。しかし、それは妖獣が現れた結果であり、原因ではない。

「ところで、さっきから言っている……」

 最悪な状況って何?そう言おうとして紅貴は言い直す。ここで使う最悪の意味が違くとも、村人たちにとって畑と家屋が荒らされることは最悪に違いない。

「さっきから言ってる妖獣使いがいなくても村に妖獣が現れる条件って何?」

「え、紅貴わからないの?」

 桃華が少し驚いた様子でそう言う。そんなに驚かれるようなことを言った自覚がない紅貴は逆に驚く。しかし、翡翠を見ると翡翠も桃華と同じような表情をしていた。

「お前、本当に妖獣使いか?」

「信じられないかもしれないけど本当だよ!」

「でも、現状がわからないんだろう。妖獣使いだったらわかるはず……」

 翡翠はそこで言葉をとめた。桃華がその直前で目くばせをした気がしたが、紅貴にはその意味を深く考えなかった。

「門の内が秩序の世界で、外は違うっていうのは知ってるよね」

 考えるまでもなく常識だ。普通であれば、それは伝説として深く意識しないのかもしれないが、かつての師に、そればかりは疑ってはいけない理だと教えられたのだ。それが事実であるという証拠はなかったが、紅貴にとっては、血が赤いことや、子は母親から生まれるということと同じように、当たり前のことだ。

「夜、秩序の外では野生の妖獣さんが現れることもしってるよね」

 紅貴は野生の妖獣という言葉に、思わず吹き出しそうになった。桃華はおそらく、秩序の外では、夜には、かつての世界を模写するかのようにかすかな妖力が働く。秩序の中には入れないが、その気配を感じ、別世界に行った獣と妖獣は夜だけこの世界に戻る。という『史書』創世の巻きの一節のことを言ってるのだろう。あんなに堅苦しい文なのに、桃華がいうと何か別のもののように聞こえてしまっておかしい。だが、翡翠の低い声が紅貴を現実に引き戻した。

「紅貴、この村には秩序の外と、内との境界がない。つまり、この村は秩序の外だ」

 紅貴は驚いて翡翠を見上げた。そう言った翡翠の表情は真剣であり、嘘をいっているようには見えない。だが、秩序の外と、内との境界がないとは紅貴にとってはありえないことだった。村や街の周りにある壁や門が、境界の名残であると師に教わり、疑ったこともなかった。いまさらそれを覆すことはできなかった。もちろん、ここが秩序の外になってしまっているというなら、桃華がいうところの野生の妖獣が入ることも可能だろう。確かに筋は通ってはいる。通ってはいるのだが、信じられなかった。

「普通、街や村の外と、内、つまり秩序の外と内では空気が変わる。だが、この村は門の外と空気が同じだ。つまり、何者かが境界を破壊した」

「その証拠がどこにあるんだよ。境界を破壊するなんて聞いたことないぞ。だいたい、空気が変わるっていうけど、翡翠はその違いがわかるって言うのかよ」

「あぁ」

「まさか桃華も?」

桃華うん、とうなずくと言う。

「信じられないかもしれないけど、ね。私も紅貴が妖獣使いだってことは信じるから、紅貴も私たちのこと信じてくれる?」

 そう言われれば信じないわけにはいかないと、紅貴は思った。

「秩序の内と外の違いがわかるなんて、そんな人間いるんだな」

「……仮にも二将軍だからな」

 それもそうか、と紅貴はそれで納得することにした。紅貴がこれまでにあった武官で、秩序の内と外の違いがわかる人間はいなかったが、それを言えば翡翠と桃華も妖獣使いに会ったことがあるはずはないのだ。お互いさまだと思うことにして、そのことを深く考えるのはやめた。

「ところで、紅貴、妖獣使いが妖獣を使うにしても、秩序の外の方が、当然、その影響を受けて妖獣の力が大きくなるよね?」

「うん、当然な」

 桃華は考え込むようにして腕をくんだ。表情が一層険しくなり、いつもの桃華の面影はほとんどなくなっている。

「どうした桃華?」

「もしかして、境界を破壊したうえで、紅貴以外の妖獣使いが妖獣を呼んだんじゃないかなって。可能性の話ではああるけど」

「たしかに可能性としてはありえるな」

 三人は一斉に溜息をついた。考えれば考えるほど最悪な状況だと、紅貴は思う。幸い、二将軍がおり、自分自身は妖獣使いである。これ以上にない戦力だとも思うのは確かだが、同時に自分たちで何とかできなけでば誰にもこの問題を解決できないだろうとも思う。

――後には引けない。

 紅貴は、ぐっと拳に力をいれた。

「……夜までに何とかしないと厄介だな」

 翡翠が小声でつぶやいたその言葉の意味を、この時、紅貴は、正確には理解していなかった。その意味を理解するのは先の話である。

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