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史書  作者: 風華
北の青い空
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第一章 北の青い空 9

 まだ夜明け前だった。春とはいえ、夜明け前の風は、さすがにまだ肌寒い。しかも、港のそばに腰かけているとあっては尚更だ。

 駿は、冷たくなった手を口の前にそっと当てると、温かい息を吐いた。ほんの少ししか温かくはならなかったが、こういう時間を、駿は嫌ってはいなかった。愛しい女性を待つ時間は、彼にしては珍しく、『素』の自分でいられる時なのだから。


「こんな時間にごめんね。待たせちゃった?」

 瑠璃の温かい手が、駿の肩にふれた。

「大丈夫だよ。俺がこんな時間しかあいてないのがいけないんだから。……瑠璃ちゃん、夜が明けたら洸に発っちゃうのに」

 駿はそう言って柔らかい笑顔を作った。瑠璃の蒼い瞳が駿を見つめる。駿には、その瞳に一切濁りはないように感じられた。

「あの、……私、どうしてもやりたいことがあって洸に行ってくるから……でも、どうしても駿にはお別れを言いたくて……」


 瑠璃はそういうと目を下げた。濁りのない瞳は、しかし、どこか悲しげだった。

「そんな悲しそうな顔しないで。戻ってくるんだろう?ここに」

 駿がにこりと笑うと、瑠璃はこくりと頷く。――そう頷いたものの、瑠璃はどこか不安そうなように駿には感じられた。駿は、右手で瑠璃の肩を抱き寄せた。その、細い肩が、愛おしい。


「大丈夫。瑠璃ちゃんは絶対ここに帰ってくるから。やらなきゃいけないことをやって、ここに帰ってくるのを俺待ってるし」

「うん、ありがとう。でもね、私、それもそうなんだけど、単純に、駿とはなれちゃうのが寂しいなぁって思って……。自分で行くってきめたのに、駄目ね」


 瑠璃はそう言って笑った。駿にとっては意外な言葉だった。しかし、しばらくして気づく。自分にとって、その言葉……その瑠璃の純粋さが、たまらなく愛おしいということに。

 駿が知っている限り、瑠璃は一番純粋な女性だった。世間でそう思われているかは分らないが、瑠璃は心が綺麗な女性だと、駿は思う。そして、それは自分にはないものだ。


 ――もしかしたら、そこに惹かれたのかもしれない。昔からの癖なのか、職業柄なのか、いつも物事を計算していた。

 目的のためには手段を選ばず、時と場所によって、性格を変え、人を利用する。それが駿の日常だ。幸か不幸か、それが容易にできてしまうのだ。

 そんな駿にとって、真っ直ぐな心を持つ瑠璃はかけがえのない存在だ。


「そんな風にいってくれてありがとう」

 駿は思わず小声でぽつりとつぶやいた。その声が瑠璃耳に届いたかは駿には分らなかった。

「私、絶対戻ってくるから、だから……駿、ここで待っててくれる?」

 駿は、いつもどおりの笑顔を作って言う。

「もちろん待ってるよ。だから、瑠璃ちゃんは、……いざとなったら翡翠を盾にしてでも無事戻ってきてね。大丈夫、翡翠なら盾にしても死なないから」

 それを聞いた瑠璃は声をあげて笑った。

「わかった。いざ、敵がおそってきたら翡翠を盾に逃げるわ」

「……夜が明けるね。もうそろそろ時間かな?」

「そうね。そろそろ行かなきゃいけないわ。李外門でみんなと待ち合わせしてるの。……駿、最後に私と会ってくれてありがとう」

「お礼を言うのは俺のほうだよ。俺のほうこそ会ってくれてありがとう」

 駿はそう言って綺麗な笑顔を作って笑った。





 瑠璃が去った後も、駿はしばらくその場で座っていた。月が隠れ、地平線の彼方から朝日がのぞいている。

「翡翠の奴…瑠璃ちゃんを死なせたら殺してやるからな……」

 それから駿は軽く眼を閉じて心の中でつぶやく。

(ごめんね……瑠璃ちゃん)

 このとき、謝罪の意図を知るのは駿自身だけだった。




 クシュン

「翡翠、風邪?」

 くしゃみの音を聞いた紅貴は翡翠を見上げた。

「いや」

「誰か翡翠の噂でもしてるのかな」

「さぁな」

 翡翠はそう言って肩をすくめた。紅貴は李外門の内方を見た。李外門を出たすぐ横の検問所で、旅の仲間と合流することになっているのだが、まだ紅貴と翡翠しかきていない。人が来る気配もなかった。

「ほかの人たちまだかなぁ。俺、眠いよ」

 紅貴は目をこする。寝坊しそうになったところを、女官の少女に無理やりたたき起こされた紅貴は、まだ完全には目が覚めていなかったのだ。


「そうだ、その黒天馬触っていいか?」

「やめておけ。こいつは初対面のやつに触られると噛む癖がある」

「噛むって……犬や猫じゃないのに!?」

「飼い主ににてるんじゃないかな~」

 気配はなかった。しかし、そこにはいつの間にか白い天馬を引き連れた桃華がいた。

「桃華いつの間に!?気配なかったぞ」

桃華はにっこり笑う。

「今来たの~。それより、さわるならこの子触ってあげて。天テンって言うんだよ。かわいいでしょう?」

 

 紅貴は、天テンと呼ばれた白い天馬をみる。普通の天馬より小さく、仔馬と同じくらいの大きさだ。羽は、やわらかそうで、風が吹くと、毛がフワフワとなびいていた。紅貴をみつめるまん丸の瞳は、水色をしており、とても愛くるしい表情をしている。

 紅貴は天テンを触った。普通の馬より柔らかい毛並みをしている。触られるのが嬉しいのか、天テンは、気持ち良さそうにしていた。


「わぁ~!すっげ~!こいつ、かわいいな!俺の……もこれぐらいかわいければ良いのに」

「あれ、紅貴も何か飼ってるの?もしかして、翡翠の天馬の横にいる茶色いお馬さんは、借りものじゃなくて紅貴のやつ?」

「あ、いや、あれは、龍孫様から借りたやつなんだ。なんでも、この国の皇太子様の馬らしいんだけど、皇太子様は天馬を持ってるから、馬を貸しても問題ないだろうって。よく躾けてあるから、しっかり乗せてくれるんだってさ」

「そっか~それなら安心だね~」

 

 紅貴が桃華と会話していると、李外門の内側から、馬の足音が聞こえてきた。足音の方向をみると、茶色い馬と、白い馬が近づいてきている。

「瑠璃~白琳~おはよう!」

 桃華が嬉しそうに挨拶をすると、馬に乗っていた、瑠璃、白琳と呼ばれた女が降りてきた。

「おはよう桃華」

 綺麗な蒼い瞳をもつ女が、眠気を一切感じさせないはっきりとした声で言った。

「おはようございます。桃華様。昨日はよく眠れました?」

 絶世、といっても差支えがないほどの綺麗な女性が、自分の白馬をなでながら、やさしい声で言った。桃華はにっこりと笑う。

「うん、たくさん寝たよ~。あのね、横にいるのは紅貴。たぶん白琳瑠璃も会ったことないでしょう?」

「はい。はじめて会います」


 白琳はそういうと、目線を紅貴に合わせる。背が高い白琳は、腰を少し折ると、ちょうど紅貴と同じくらいの目の高さになった。

「私は、壮 白琳です。よろしくお願いします」

 そう言って上品に笑う白琳を直視してしまった紅貴は、自分の顔が火照るのを感じる。

「あら、紅貴っていったけ?もしかして白琳に惚れた?」

 紅貴のほうを見た、透き通った海のような綺麗な蒼い瞳をもつ女は笑いながら言った。どうやら、見た目通りの明るい性格らしかった。

「そんなんじゃないよ……ただ、あまりにも綺麗だったからつい。それに、白琳さんみたいな綺麗な人には当然彼氏がいるんだろうし。俺なんかじゃ全然……って、俺何言ってるんだろう」

「あら、私、彼氏なんかいませんわ。特に気になっている方もいませんし」

 白琳は先ほどまでの柔らかい口調とは一変、きっぱりと言った。

「どちらにしても、ただの迷子の紅貴じゃあ、役不足だろう」

 翡翠が、腕をくんだまま淡々とした口調で言う。

「だから、そんなんじゃなくて、ただ、白琳は綺麗だな、って思っただけだって」

「まぁ、白琳は綺麗だからしかたないよね。私も初めて会ったとき、びっくりしたし。あ、私の名前は芳 瑠璃。一応、馬鹿兄芳 翡翠の妹。白琳と桃華とは友達だよ」


 駿という青年に瑠璃が翡翠の妹だとは聞いていたが、改めて二人を見比べると、似ていない兄妹だと紅貴は思った。どちらも美形なのにはかわらないが、切れ長な瞳を持つ、どこか近づきがたい印象の翡翠に対し、大きな瞳を持つ瑠璃は、明るく、親しみやすい印象だった。

 性格の方も、無口で無愛想な翡翠とは違い、瑠璃はよく笑う明るい性格のようだった。


「全員そろったところで、これからの目的地について話したい。洸にむかう道筋だが、まず李仙道を通って、嘉国と恵国の国境の街、明陽に向かって、恵国に向かう。そのあとのことは桃華が知っているらしいから、桃華についていけば洸に着くはずだ」

「うん、その後は私についてきて~。ちょっと大変な道だけど、私と翡翠がいるから仕方ないよね~。ごめんね」

「それから、その途中、嘉の北の都市、慶で、ちょっと時間が欲しい。王に命令されてな、『星の皇子様』に会わなきゃならないらしいんだ」

「……星の皇子様って誰?」

 紅貴が感じた疑問を、紅貴に代わり、瑠璃が翡翠に質問した。

「星の皇子様は星の皇子様だ。王が考えた別名みたいだな……。ふざけた別名の割に、知ってればその別名だけで、すぐそれが何者かわかる。今本名を明かすわけにはいかないが、会えばわかるから安心しろ」

「うん、わりとそのままだよね。星の皇子様」

「桃華も知ってるの?」

 紅貴がたずねると、桃華はこくりと頷く。

「星の皇子様とは仲が良いお友達だよ~」

「じゃあ、簡単に説明したところで、さっそく出発だ」

 翡翠はそういうと、天馬にまたがろうとしたが、紅貴は翡翠の服の裾をひぱった。

「ちょっと待って!出発する前にみんなに言わなきゃいけないことがあるんだ」

 

 他の4人からの視線を、紅貴は感じる。冷めた感じの目で、紅貴を見る翡翠。少し不思議そうな目で見る瑠璃と白琳。 興味津津、といった感じで見る桃華。四人の視線が集まり、心臓がすこしどきりとしたが、これだけは言わなければ気が済まなかった。

「こんな大変なことに巻き込んでごめん!……でも、俺どうしても、洸を救わなきゃいけないんだ!だから……よろしくお願いします!」

 紅貴は頭を下げる。

 穏やかだった風が、急に強くなった。


 何か、ただならぬものがそこで生まれたことを紅貴はきづいていただろうか


 一瞬、沈黙が包んだが、それを破ったのは桃華のいつも通りの明るい声だった。

「紅貴~顔あげてよ~」

 紅貴が顔をあげると、桃華がにっこりと笑っていた。

「自分が生まれ育った所助けたいなんて当たり前だよ~」

 確かに、そうなのかもしれない。しかし、現実的にそれをやろうとするのは大変なことだと、紅貴は知っていた。それを当たり前だという桃華の言葉が心強かった。

「ありがとう」

「私にできることなんて少ないかもしれませんが、お手伝いしますから、大丈夫ですよ」

 白琳は優しい笑顔で言う。

「国が大変なことになって、それを救おうとして実際に動くなんて、かっこいいじゃない!私は手伝いしかできないけど、やれることはなんでもやるわ」

「白琳…瑠璃…今日会ったばかりなのにありがとう」

「……礼を言うのは少しはやいんじゃないか?俺たちはまだ何もやっていない。お前がやろうとしていることは無謀なことだ」

 翡翠は腕を組んだまま抑揚のない口調で言った。紅貴はこくりと頷く。

「じゃあ、今度こそ洸に出発しよう~」

 五人はそれぞれ馬にまたがった。馬の背の上で、紅貴は心の中でもう一度、他の四人に礼を言った。





「庚莉、清幟せいし私はずるいのではないだろうか」

 王の私室には、三人の人影。龍孫と、康莉、そして龍孫の、唯一にして最愛の王妃清幟だ。

「私は、結局王として、国のためではなく、ただの私情……今は亡き親友の為にあの四人を紅貴と共に行かせただけなのではないだろうか」

 龍孫は自分の拳をぎゅっと握った。

「…… 龍孫様は王として適切な判断をされていると思いますが。あの任に適任なのは、どう考えても麒翠と鳳華です。そして、白琳。瑠璃殿には瑠璃殿の役割がある。洸を救うことは私情だと思いませんし、王として適切な判断だと思いますよ。そして、それに適しているのはやはりあの四人です。翡翠と桃華を二将軍にしたのもあの二人の力を見込んでのこと」

康莉はきっぱりとした口調で言った。

 龍孫は静かに頷く。


「龍孫様、あなたは王として適切な判断をしたと思います。自信を持ってください」

 龍孫が黙っていると、王妃、清幟が、部屋中に聞こえる音でため息をついた。

「まったく。何くだらないことで悩んでるのよ。たまたま下した、『王としての』判断が自分のこうなってほしいっていう『私情』と重なってなやむなんて、馬鹿みたい。重なって運が良かったってぐらいに思わなきゃ」

「清幟様の言うとおりですよ。清幟様はいつも的確なことをおっしゃいますね」

 康莉は、微かに笑いながらそう言った。

「当たり前でしょ。何年この人の妻やってると思ってるのよ。まったく、こんなことで悩むなんて大した王よね」

 清幟は、座っていた椅子から立ち上がると、龍孫の横に立った。

「悩むなとは言わないけど、もっと自信もったら?……嘉国は良い国よ。あ、そうそう、あの四人をもっと信頼してあげたら、もっと最高よ」

 清幟は龍孫のほうを向くと、鮮やかな笑みを浮かべた。その笑顔を見た龍孫は思わず吹き出してしまう。


「清幟と話していると悩みなんて吹っ飛んでしまうね」

「だって龍孫が暗い顔しているところなんて見たくないもの」

まるでなんでもないことのように、そう言う清幟を見た龍孫は温かいまなざしを向けた。

「ありがとう。……さて、私は外の空気でも吸ってこようかな」




「清幟様さすがですね」

 本当に感心したようにいう康莉に、清幟は笑った。

「さすがも何も、私はあの人をちょっと励ましただけよ。……龍孫は、王だし、国を背負うっていうの、並大抵の覚悟じゃできないと思うわ。それが出来て、しかも世間では賢君なんていわれてる龍孫は、やっぱりタダ者じゃないんでしょう。でも、それでも龍孫は、人なんだし、悩んだりもするわ。人である以上、その悩みを聞いて、激励したりするのは当然でしょう」

「そうですね」


「龍孫は王だし、しかも賢君なんであれば誰もがそういう目でみるのは当たり前だと思うわ。でも、一番近くにいる私たちは王の龍孫ってだけじゃなくて、かけがえのない人の龍孫として、支えなゃいけないと思うの。実際、好きな人がつらい思いするのは見ていてつらいしね」


 龍孫は、煌李宮の中庭にいた。日は昇っている。――あの四人、それから今は亡き親友にとってのかけがいのない人物は、もう李京を発っているはずだ。龍孫は北の空を見た。

 かの五人が向う方角の空は、綺麗な青空だった。五人が向かう道は、想像を絶するほど険しいものかもしれない。この澄み切った青い空のような綺麗な道では、決してないだろう。

 でも、最終的には、この空のように、綺麗な場所にたどり着けるように、五人が無事であるようにと、雲ひとつない澄んだ天空に、嘉国王、龍孫は祈った。


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