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三羽は唐沢に手を振って別れ、線路の向こうにある自分のアパートに向かって歩き出す。相変わらず千鳥足だが、春先の夜風の冷たさでいくらか酔いを醒ました。
途中、小便をしたくなり雑居ビルの間の小路に入る。幅1mほどの灯りのない小路で用を足していると、バンド復活に対するいろんな思いがアタマを過った。
(・・・クソくだらねえストレスばっかの毎日だけど、ヤツらとツラ合わすことが出来るだけでも楽しみだよな。)三羽は溜まりきった小便を延々と垂らし続ける。
・・・不意に路地の奥に目をやった、明らかに自分を見つめる視線の存在に気付きギョッとなる。小便は一瞬止まった。
5mほど先の暗がりからこっちを見つめていたのは、背の小さな若い娘のようだった。
三羽は「はーっ」と息をつき、「びっくりするじゃねえか、この野郎」と言い、残りの小便を出し切ると、明るい通りに出て再び歩き出す。
オレンジ色の照明灯の眩しいアンダーパスの歩道まで来た時、今日の一件を思い出した。(・・・そういや浮かれてる場合じゃなかった。あの馬鹿代理人の野郎、きっと会社に電話入れてるはずだ・・・。)三羽のご機嫌は一瞬にして不機嫌に変わる。
「ああ、うまく行かねえもんだ。・・・まあどうでもいいや、明日は明日だ!」アンダーパスに響く大声で騒ぐと、いくらか気が晴れた。
アパート近くの住宅地まで来るとクルマも灯りも減り、静寂の中に自分の足音だけが聞こえる。・・・ところが、足音は自分だけじゃないことに気付く。
三羽は後ろを振り返る。・・・路地にいた娘が10mぐらい後ろにいる。今度こそ本当にギョッとなる。
(・・・もしかして幽霊か?)馬鹿馬鹿しいが酔ったアタマでは、そのぐらいのことしか考えられない。
三羽は少し急ぎ足でアパートを目指す。走りたくなったが、気分が悪くなってゲロを吐くのも嫌だから出来る限りの早足で歩く。
ようやく自分のアパートに辿り着いた、部屋は外付け階段を登って一番奥の「204号」だ。・・・廊下を進みながら階下の暗がりを掠め見る。(・・・やっぱり着いてきた。)
三羽はポケットから部屋の鍵を取り出すと、郵便受けのダイレクトメールやチラシを取りもせずに部屋に駆け込んで鍵を掛けた。
(・・・呼び鈴を鳴らされたらどうしよう。)三羽は自分の小心さを痛感した。普段、虚勢を張って強がっている自分がやたら惨めに思えてくる。
ベッドに座り、ショートホープの煙を溜息まじりに吐き出す。薄い壁の向こうに神経を尖らせながら。
・・・だが、そうもしていられない、明日は今日と同じく6時起きだ。三羽は仕事着を脱いで寝巻きに着替え、目覚ましをセットして布団に包まる。
だがやっぱり寝付けない、早く眠ろうと焦ると変な想像がアタマをグルグル回ってくる。(・・・金縛りに遭うかもしれねえ。幽霊が来たらどうしよう。)まるでガキのようにビクビクしている。
・・・壁の向こうで「こんこん」と咳払いの声が聞こえた。少し間をおいて、また聞こえた。(あの幽霊女、まだいやがる。)と思ったが、咳払いの声が辛そうなのと、朝まで咳き込まれたらそれこそ寝られないと思い、三羽は意を決してドアを開けた。
幽霊女はドアのすぐ横の壁付けボイラーの下に、膝を抱えて座っていた。三羽は玄関ドア上の照明をつけて様子を見る。
「駅前にいたヤツだよな、どうして着いて来たんだよ?」三羽が聞くと女はよろよろと立ちあがったが、上目遣いで無表情に黙っている。
・・・女というか、やっぱり小娘だ。地味な赤系のガーゼシャツにジーンズにスニーカー。背丈は150cmぐらいで顔が小さいから、見上げてくる目玉がやたらデカく見えた。
年齢は判らないが、少なくとも自分よりは下だろうと思えた。
変わらず黙ったままなので、「俺に用があるなら早く言えよ」と言う。小娘は黙ったまま突っ立ってる。