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三羽は唐沢の自宅から、少し離れた所にセリカを停める。
「じゃあ・・・」唐沢は腹をさすりながら、角を曲がる。またお袋に見つからないよう、足音を忍ばせて玄関を開ける。
(・・・また同じ野郎にぶちのめされて、朝帰りかよ。ろくでもねえ)
部屋に入りベッドに腰かけ、壁に頭をもたれかけて、昨夜のことを考える。
「まだ胃のあたりがズキズキしやがる、あんな棒みてえな細え腕のくせして、ハンマーみてえなのを出しやがる」
唐沢はいつもの起床時間までボンヤリしてから、顔を洗い着替えて出掛ける。お袋はヌカミソをかき回すのが忙しいらしくて、顔も見ずに「いってらっしゃい」と言った。
会社に到着して2階の事務所に入ると、青木が「おはよう。唐沢が来たら顔を出すようにって、塚本部長が言ってたぞ」
土木部長の塚本は、ハゲでデブで態度がでかい。下の者には横柄だが、馬鹿社長には腰巾着のように、いつもへつらってる嫌な野郎だ。
唐沢は生理的に合わないと、いつも思っている。
胃のあたりをさすりながら、別室の第一事務所へ向かい、塚本のデスクの前に立つ。
「お呼びっすか?」塚本は唐沢が目の前に来るまで、気付かないふりをしていた。
(・・・ふん、もったいぶりやがって。どこまでもしらじらしい野郎だぜ)
唐沢はすでに居心地の悪さを感じている。
塚本は老眼鏡を掛けたまま、上目遣いで唐沢を見上げる。
「おう唐沢、例の橋本砂防ダムのことだがな・・・」A4の書類の束を、机上でトントンと揃える。
「社長が、お前が書いた予算書の計画でいいから、すぐにでも工事に着手しろとおっしゃった。大原重機の専務にもすぐに連絡して段取りしろと。・・・ただし一切の赤字は認めんと」
唐沢は塚本の話を聞きながら、沸々と腹わたが煮えくり返ってくる。
「ふざけたことぬかしてんじゃねえよ!」唐沢の声で事務所内の人間の視線が、一斉に集まる。
「なに!お前、なんて口きいてるのかわかってるんか!」塚本は一瞬固まっていた直後、真っ赤になって怒鳴った。
「筋が通らねえじゃねえか!社長の野郎、俺をさんざん怒鳴りつけたあげくこのザマかよ!そんで自分じゃ言えねえから、あんたにことづてかよ!」
唐沢はさっきに増して大声を出した。大声は自分の腹の痛みに響く。塚本はなにも言えなくなって黙る。・・・そこに青木がすっ飛んでくる。
「唐沢、まあそれぐらいにしとけよ」後ろから両肩を叩いてくる。
「俺はやらねえよ!冗談じゃねえ、なめんじゃねえよ」大声を出したら、また腹が痛くなった。
冷静さを取り戻した塚本が、「とにかくこれは業務命令だ、拒否は認めん」そう言ってソッポを向いた。
「なにが命令だ!こんなクソ会社やめ・・・」青木が唐沢の腕をつかんで、事務所の外へ引っぱって行く。
「青木さん、はなしてくれよ!青木さん!」青木の腕をつかむ力と引っぱる力は強い。この人らしくない強引さだ。デスクまで来るとようやく手をはなす。
「唐沢の気持ちは判る、誰だって唐沢が言うことが正しいと判ってる。キレる気持ちも判るさ。・・・でもな、世の中筋が通らないことの方が多いんだ。判るよな?・・・お前がその都度キレてやめちまったら、お前は一生成長できずに虚しい人生を送ることになるんだぞ」
青木はトツトツと諭すように言う。目が赤くなっていた。
唐沢はやっと冷静さを取り戻して、タバコに火を点ける。
(・・・俺の親父が生きてたら、こんな風に怒ったんかや)死別して顔も憶えていない父親のことを漠然と考えた。
「わかったよ青木さん、あんたの言い分は筋が通ってる。・・・やるよ、仕事」
唐沢は昼休みになるのを待って、大原重機の大原専務に電話をかける。・・・作業中の電話は、相手の仕事を止めることになりかねない。
「あ、宮岡建設の唐沢です」
「よう、唐ちゃん、久しぶりじゃん。元気?」背後で機械の稼動する音がした。
「あれ?専務、仕事中?」電話の向こうで、オーライオーライと誘導している声がする。
「今、生コン打ってる最中なんだよ、住宅の基礎工事だけどね」
「え、専務んとこ、そんな小っちぇえ仕事もやるんすか?」
「いやいや、住宅の基礎って言っても地下室があるんだわ、それも40坪の地下!すげえだろ?」
「・・・40坪の地下!どこの大金持ちの家っすか?」
「良くは知らないが、井川貿易って会社の内田さんてお宅だよ」
「え?井川貿易の内田!」
「唐ちゃん、知ってるの?」
「・・・いや、ちょっと知り合いがその名前言ってたような気がして」
「ふうん。その人、今も〇〇町のでかい家に住んでるんだぜ、ヤクザ者みたいな高い塀に囲まれた家にな。儲かってる人は儲かってんだなー」
最後の方は羨望の響きが混じっていた。
唐沢は大原に怪しまれないよう世間話を装って、内田の現住所を聞き出すのに成功した。
17:00になるのを待って、三羽の携帯に電話を入れる。