12
三羽の部屋に桜が転がり込んでから、5日が経った。
桜は相変わらず何も言葉を発しないし、時々思いつめたように俯く顔も変わらずだった。
三羽が何か聞いても、頷くか首を横に振るだけ。答えたくない質問の時は、聞こえてないかのように無表情になってしまうから、なるべく何も聞かないようにしている。
昨日は須川からメールが来て、「桜、失語症なんじゃねえの?なんかすげえツラいことがあるとそうなることがあるって紗希が言ってた」と書いてあった。
(・・・失語症か。確かにこいつは時々ふさぎこむし、灯りを消した暗闇で泣いてるような声を上げてたこともあるな。)・・・桜が押しかけてきた時の、無表情の涙を思い出した。
三羽は自分の部屋にいるのに息が詰まりそうになることもしばしばだったが、嫌な気分ばかりではなかった。
現場から帰ってきて、自分の部屋の窓の灯りを見上げると妙に温かい気持ちになり、少しウキウキして階段を登る時もあるし、玄関を開けると部屋の中はいつもキレイに片付いていて、なんとなくいい匂いがしてる気がする。
カゴに放り込んだ服は洗濯されてキレイに畳まれて、タンスに仕舞われている。桜が来た翌日から使っている布団も、昼間干されているようでフカフカしていた。
いつものように三羽はビールを飲み、桜はコンビニ弁当を食っている時、唐沢から電話が来た。
「・・・これからタケルんち行っていいか?リョウタがオリジナルをセルフでレコしたCD-Rを持ってきたからさ」唐沢は普段、電話などせず勝手に玄関を開けて入って来る。今日は桜の存在を気に掛けてそうしたのだろう。
「ああ、いいよ。何時頃になるや?」チラリと桜を見ながら答えた。桜の表情がいくらか変わった。
「歩いてくから20分ぐれえかやー?なんか買ってくもんある?」唐沢の後ろでクラクションが聞こえた。もう外に出ているのだろう。
「自分の飲むもんだけ買ってこいよ、酒あんましねえから」桜は急にオドオドして、目をキョロキョロさせている。
「了解ー、じゃああとで」「気をつけてな」三羽は携帯をテーブルに置く。
「俺の大事なダチだから大丈夫だよ、心配ねえよ」
それでも落ち着かない表情をしている桜を見ていると、不意に肩を抱いてやりたい気分になる。(・・・やべえ、こういう気持ちはマジやべえ。俺こそ落ち着かねえと。)
時間通りに唐沢はやってきた、両手にでかいビニールをぶら下げて。
中にはバーボンから焼酎、ビールに缶詰、菓子から惣菜からインスタントラーメンまで入っていた。・・・外に出られない桜のために買ってきてくれたものも結構入ってるようだ。
「やあやあ桜ちゃん、唐沢ってもんだがよろしくー」桜は少し警戒したような眼差しで会釈した。
唐沢は最初こそ桜に気を使っていたが、酒が進むとそんなことは忘れて、今後のバンドの展望について熱く語り出す。三羽も然りで、須川の作ったCD-Rの楽曲のアレンジに夢中になっていた。
桜は無表情のままなので、俺等の話を聞いているのかいないのか判らないが、不機嫌ではないのは判った。(・・・なんか微妙なとこまで判るようになっちまったな、俺。)三羽は変な気分だった。
午前1時過ぎ、唐沢は帰って行った。
「・・・俺と同じで飲んだくれだけど、いいヤツなんだよ。判る?」三羽はいくらか呂律が回らなかった。
桜は小さく頷いたが、唇の隅が少し微笑んでるように見えた。(・・・あれ?)と思いながら、「それでは明日も仕事なんで、俺は寝ますね、桜さん」三羽はそう言うと、寝袋にくるまってイビキをかきはじめた。
唐沢は少し寒い夜風に吹かれて歩いているのが気持ち良かった。くわえタバコに鼻歌が交じる。(・・・タケルのヤツ、桜に惚れはじめちまいやがったな。)
「ヤツら、お似合いかもしんねえな」呂律の回らない呟きが口を突いて出た。
(・・・ん?)・・・外灯が途切れた場所に差し掛かった時、唐沢は背後に気配を感じた。それは殺気に近い気配で、思わず足を止める。
振り向こうとした瞬間、後頭部に激しい衝撃が飛んできた。唐沢の身体は一瞬にして吹っ飛び、アスファルトの路上に叩きつけられる。
「うぅっ!」うつ伏せの姿勢から両手を突いて身体を起こそうとした瞬間、今度は蹴りが飛んできた。横っ腹を執拗に高速で蹴りつけてくる、呼吸が出来ず身体を丸めようとするが、カバーする腕にも背中にも靴が飛んでくる。全身に脂汗が吹き出てくる。
暗闇から繰り出される蹴りは、あくまで冷静でしつこい。(・・・殺すつもりでやってんのか、この野郎・・・。)唐沢は相手の顔を見ようと思い、苦し紛れに顔を上げた瞬間に顎を蹴り上げられた。
・・・意識が遠のいていくのが判ったが、どうにもならない。焦点の定まらない視界に走っていく男の後ろ姿が見える。・・・香水のような芳香が鼻をついた。
(・・・ちきしょうが。)