婚約者によると、私は「婚約破棄されたら一生独り身」だそうです
婚約者が、美しい少女と一緒にいる所を見かけるようになった時から、予感はしていたのだ。
そして今日、その予感が現実になることをステラは悟った。
楽団が奏でる優雅な音楽に合わせて、一組の男女が踊っている。
赤い髪の端正な顔立ちの男性が、共に踊る少女の腰に手を回しながら、熱い視線を送っていた。そっと目を伏せて微笑む少女の艶やかな黒髪が、ふわりと揺れている。
ステラはその様子を呆然と見つめながら、囁く声を聞いていた。
「見て、ほら、婚約者以外の女性と先に踊って……」
「お可哀想に、ステラ様」
ステラをちらりと見ながら、女性達がひそひそと声をひそめて話す。それをどこか遠くに聞きながら、ステラは二人から目を離せずにいた。
女性達が話し合っている通り、踊っている男性は、ステラの婚約者であるオーガストだ。その燃えるような赤い髪は、彼が火の魔法に長けていることを表している。
魔力が強いとその鮮やかな色が髪に表れるので、赤や水色、緑といった珍しい髪色の男性は持て囃される。しかし、女性の場合はそうではない。女性の役目は魔法で戦うことではなかったからだ。よって、派手な髪色の女性は下品だと眉をひそめられる。
ステラは、自身の髪を見下ろした。
見事なまでに水色の髪が、艶やかに肩の下まで流れている。おまけに、瞳も明るい紫色だ。
そして、オーガストと踊っている少女に視線を移す。美しい黒髪に、控えめな茶色の瞳。どう考えても、ステラでは勝ち目がない。
やがて、楽団の音楽が一区切りつき、二人のダンスが終わる。楽しげに笑い合う二人の姿を見て、せめて私から終わらせよう、とステラは思った。
そして、大理石の床の上、二人に向かって一歩踏み出した。
こつ、こつと歩みに合わせて音が鳴る。楽しげに何かを話していた二人の視線が、ふと気がついたようにこちらを向く。
「……オーガスト様」
声が震えないように、惨めだと思われないように、ステラは凛と背筋を伸ばして、真っ直ぐにオーガストを見つめた。
オーガストの青い目が、きっと鋭く、冷たくなる。
「……何だ、文句でも言いに来たのか?」
「いいえ、まさか」
オーガストの隣にいた黒髪の少女は、不安そうにぎゅっと彼の袖を掴む。大丈夫だよ、と優しい声でオーガストが言って、そして、ステラにひどく冷たく言い放った。
「話があるならさっさと終わらせろ」
心が冷えていくのを感じる。ステラは目を伏せて、一瞬のうちに過去のことを思い返した。
気持ち悪いと髪を引っ張られた茶会のこと、舞踏会でエスコートされず一人でいた夜のこと、父に「お前が辛いなら無理に婚約を続けなくていい」と優しく言われた時のこと。
そこで、静かに息を吸った。漸く、終わらせる時がきたのだ。しっかりと前を向いて、気を張って、ステラは冷静に告げる。
「婚約を破棄しませんか」
オーガストが、わずかに目を見開いて息を呑んだ。
その驚いた様子に、彼を前にして初めて気持ちがすっきりとした。人々のざわめくのが分かる。
「……は?」
オーガストはぽかんと口を開けていた。そして、状況を飲み込んだのか、みるみる顔が赤くなっていく。
下品な髪色だと見下していた相手から婚約破棄を告げられたのがよっぽど悔しいらしい。オーガストはわなわなと震えながら、怒りを含んだ声で言った。
「……自分の容姿を理解して言っているのか?」
「ええ、散々あなたに言われていましたから」
「…………」
オーガストは、唇を引き結んで手を握りしめてる。
「俺は構わないし、むしろ喜ばしいくらいだが、お前は本当にそれでいいんだな?」
「ええ、勿論」
涼しい顔でそう頷くと、オーガストはぐっと唇を噛んで、ステラを怒りのこもった目で睨み付けた。
握りしめた拳を震わせていた彼は、ふと、はっとステラを嘲笑った。
「……お前は、本当に馬鹿な女だ!」
ステラは眉を寄せる。オーガストは嘲るような笑みを浮かべながら叫ぶ。
「婚約破棄したら、お前のように下品な髪色の女は一生独り身だ!一人で惨めに、寂しく暮らすことになるんだぞ!」
ステラは、何も言わずに冷めた目でオーガストを見た。それが余計に彼の神経を逆撫でしたらしく、青筋を立てる。
「渋々お前のような女との婚約を続けてやってたのに、自ら終わらせるとは。忍耐力もない、髪色も派手。お前の長所は一体どこにあるんだ」
この人は、最後まで私を傷つけるのか。そう思いながら、ステラは俯く。はらりと流れた水色の髪が目に入って、唇を噛んだ。
こんな髪色じゃなければ、魔法の才能なんてなければ。
そう考えたその時、こちらに近づく足音が耳に飛び込んできた。
目を大きくして、ステラは顔を上げる。そして、歩いてくる長身の男性の姿が目に入った。
切れ長の赤色の目、整った目鼻立ち。そして、目を引く真っ白な髪。
その冷たい雰囲気も相まって、氷の魔力の影響だと一目で分かった。
「……お話し中、申し訳ないが」
スターリング公爵だ、と誰かが呟くのが聞こえた。
呆然としているステラをちらりと一瞥して、公爵が尋ねる。
「君達は婚約破棄をするということで間違いないか」
「あ、あぁ。ですが、貴方と何の関係が……」
オーガストを無視して、公爵がステラの方へ歩み寄る。ステラはたじろいで、ただ呆然とその様子を見つめていた。
そして急に、目の前で公爵が跪いた。
ぎょっとして、ステラは目を丸くする。どうすればいいか分からず戸惑っていると、公爵がステラを見上げた。
美しい赤い瞳に、ぽかんとしているステラの姿が映っている。
「……ステラ嬢」
ステラは、夢の中にいるように、ただぼんやりと彼を見つめていた。
静まり返った世界で、その声ははっきりと響いた。
「俺と結婚していただけませんか」
しばらく、その意味を理解できず呆然とする。ステラがようやく何を言われたのか飲み込んだその時、口をあんぐりと開けたオーガストが叫んだ。
「しょ、正気ですか?!そんな髪色の女と!」
公爵はオーガストの方を一瞥すらせずに、ただ真っ直ぐにステラを見つめていた。
返事を待っているのだ、と気がついて、ステラは顔を赤くした。
ぎゃあぎゃあと騒ぐオーガストの声が、どこか遠くに聞こえる。夢の中にいるような気持ちで、ステラは頷いた。
「……はい」
公爵がわずかに微笑んで、立ち上がる。ステラの胸がどきりと高鳴った。その瞬間、オーガストが間を割って入ってきた。
「お待ちください!どうしてステラなんですか?!」
顔を真っ赤にしながら、オーガストが公爵に次々とステラの駄目な所を説明する。下品な髪、常に暗い顔をしている、違う女性と少し仲良くするのですら許せない。
その話に、ステラはむっとした。暗い顔をしているのはオーガストがひどい態度をとるからで、女性と仲良くするのを許していない訳じゃない。許せないのは、その女性と懇意にしてステラを蔑ろにすることだ。
公爵は黙ってその話を聞いて、呆れたような目をした。
「彼女がそんな態度をとったのは、君のその性格のせいだと思うが」
「え……」
「そもそも、髪色にこだわるなんて君の世界はちっぽけだ。外国ではそういう価値観の方が珍しいと知らないのか」
その言葉を聞いて、ステラの心がふっと軽くなる。そして、あの夜と同じだ、と思った。
オーガストが現れず、一人で舞踏会に出席した時のこと。ぼんやりとバルコニーから外を眺めていたステラに、公爵が声をかけてくれた。
一人でいる理由を尋ねられたので、婚約者に約束をすっぽかされたのだと話した。そして、ステラは自身の髪を触って、自嘲気味に言った。
『仕方がないんです。私は、こんな髪色ですから』
こんなことを言ったって、困らせてしまうだけなのに。悲しくなって俯くと、信じられない言葉が耳を打った。
『綺麗な髪だ、君の婚約者は見る目がない』
『……えっ?』
驚いて、弾かれたように顔を上げた。いやいや、と手を振って否定する。
『そんな、綺麗だなんて!きっと、ここは暗いからよく見えなかったんですね、私の髪は水色なんですよ』
『よく見えている』
困惑するステラに、彼は何でもないことのように言った。
『世界では、髪色にこだわらない国の方が多い。むしろ魔法の扱いが上手いと人々から羨まれる』
『え……』
そんな国があるなんて、知らなかった。目を見開いたステラに、公爵は続けた。
『つまり、この国の人々はいつまでも時代遅れな価値観を引きずっているということだ』
はっきりと言い切った彼にぽかんとして、くすくすと笑った。少しの間だけだったけれど、髪色を気にしていたことが馬鹿らしく思えた。
あの夜から、ステラは違う国に思いを馳せるようになった。オーガストに罵られても、あの夜のことが心を温かくしてくれた。
過去のことを振り返っていたステラは、オーガストの情けない声ではっとした。
「えっ、あの、でも……」
オーガストは、自分の考えを分かってもらおうと必死になっているようだった。何とか言葉を探している彼に、公爵が冷たく言い放つ。
「分かったら、捨てられた男は大人しく失せてくれ」
その瞬間、オーガストがぴしりと凍りついた。
どこかから、押し殺そうとした笑い声が聞こえてくる。
公爵が目配せをするのを見て、ステラははっとして彼の後をついて、大広間を去っていった。
◇
それから少し後。少し話をしたい、と公爵に言われて、二人は客間の長椅子に腰掛けていた。
突然求婚してしまって申し訳ない、などの会話をしてから、公爵はゆっくりと口を開いた。
「……その、一つ言っておきたいことがあるんだが……」
「はい」
何だろう、と思いつつ、ステラは姿勢を正す。公爵は真剣な表情だった。
「俺は決して……前々から君のことを好いていたが婚約者がいるからと諦めていて、そしたら偶然婚約破棄を告げている場面に遭遇して、その上君の婚約者がひどいことを言うから、助けるような形で間に入れば頷いてもらえるのではという最低な打算を持って求婚した訳ではない」
早口でそう説明されて、ステラは困惑した。否定する内容がやけに具体的だ。
「な、なるほど……?」
「つまり、君の素晴らしい水魔法に価値を感じたから求婚しただけで、これはめちゃくちゃ愛のない結婚ということだ」
「めちゃくちゃ愛のない結婚」
元々好かれているだなんて勘違いはしていないので、そこまで否定されると何だか逆に勘違いしてしまいそうになる。
そんなことを考えながら、ステラは微笑んで胸に手を当てた。
「構いません。むしろ、私の魔法に価値があるといっていただけて嬉しいです」
「…………」
公爵は目を大きくしてステラを見つめて、そしてふいと顔を背けた。
「……そうか」
彼の耳が赤くなっていて、ステラは首をひねった。不思議に思いながらも、話を続ける。
「覚えていらっしゃいますか?一度公爵様に髪を綺麗だと褒めていただいて、髪の色など全く気にしない国があると教えてもらえて、私、あの時もすごく嬉しかったんです」
「あぁ、覚えている」
彼も覚えていてくれたことが嬉しくて、ステラはにこにこと笑みを浮かべた。すると、また公爵は顔を背けてしまった。やはり耳が赤くなっている。
きょとんとして公爵の後頭部を見つめていると、彼は口を開いた。
「……俺のことはルーファスと呼んでくれ」
「はい、ルーファス様」
「………………」
そっぽを向いたまま、またもやルーファスは黙り込んでしまった。することがないので、またじっとルーファスの後頭部を見つめる。
「……ところで、好きな宝石はあるか」
「えっ?」
思ってもみない話題にステラは一瞬ぽかんとして、顎に指を添えて考えてみた。
「うーん……強いて言うなら、アメジストです。髪と目の色の関係で、色味を合わせないとごちゃごちゃしちゃうので……」
「なるほど」
「ちなみに、どうして私の好きな宝石を?」
首を傾げながらルーファスの後頭部に尋ねると、彼はやっとこちらを向いてくれた。
「指輪を作る時の参考に」
「……なるほど……??」
愛がない結婚の場合、妻の好きな宝石で指輪は作るのだろうか、という疑問は心の中にしまっておくことにした。
「……では、そろそろ帰るか」
立ち上がった彼から自然に手を差し出されて、ステラは目を見開いた。
そして、微笑みながらその手に自身の手を重ねる。
なんだか、ルーファスとの結婚生活をうまくやっていける気がした。
それから、あり得ないくらい高い金額の指輪を贈られたり、彼の為に魔法を少し使っただけで魔力切れを起こすかもしれないと止められたり、結婚後毎日花やらドレスやら刺繍糸やらを贈られて、彼の「めちゃくちゃ愛のない結婚」発言が怪しくなってくるのだが、それはまた別のお話。
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