表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
底辺男爵家の三男、前世の有機農業知識と浄化魔法で領地を大改革し美少女商人と成り上がる  作者: 黒崎隼人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/14

第9話「悪意の流布と揺るぎなき信念」

 ゴードン男爵の放った毒は、静かに、そして確実に街の血管へと浸透していった。

 市場の賑わいが突然、冷水を浴びせられたように静まり返ったのは、ある冷え込んだ朝のことだった。

 エリス商会の屋台に山積みされた瑞々しい野菜たちの前に、客が一人も寄り付かなくなっていたのだ。

 遠巻きに屋台を見る領民たちの目には、以前のような飢えと期待の光はなく、代わりに明らかな嫌悪と疑心暗鬼が宿っていた。

 彼らは口元を布で覆い、隣の者とひそひそと耳打ちを交わしている。


「聞いたか……あの野菜、スラムの連中が集めた汚物を食って育ったんだとよ」


「ああ。領主様の三男坊が、狂気の魔法で糞尿を野菜に変えてるって話だぜ」


「吐き気がする。あんなものを食わされてたなんて……腹の中が腐っちまう」


 根も葉もない噂、いや、事実の一部を極端に捻じ曲げた悪意の塊が、風に乗って街中を駆け巡っていた。

 エリスは屋台の裏で、血の気を失った青白い顔で立ち尽くしていた。

 彼女の足元には、取引先の高級レストランや王都の商人たちから叩き返された契約解除の通知書が、無残に散らばっている。

 彼女が築き上げようとしていた流通網は、わずか数日にして壊滅的な打撃を受けていた。

 貴族社会において「不浄」という烙印は、味の良し悪しを完全に無に帰すほどの破壊力を持っていたのだ。


「レオン様……」


 エリスは震える手で通知書を拾い集め、歯を強く食いしばった。

 彼女自身は、あのふかふかの土と無臭のコンポストを直接見て知っている。

 あれがどれほど清潔で、生命の理にかなったものであるかを。

 しかし、過程を知らない大衆にそれを説明したところで、一度植え付けられた嫌悪感を拭い去ることは不可能に近い。

 同じ頃、男爵家の裏庭にある試験農場では、トムたち孤児のグループが重い空気に包まれていた。

 彼らもまた、街中で投げつけられた冷たい視線と心ない言葉に深く傷ついていた。

 自分たちが毎日誇りを持って行っていた仕事が、汚らわしい罪悪として非難されている。

 その事実は、彼らの小さな胸を容赦なくえぐっていた。


「レオン様……俺たち、もう街を歩けないよ。石を投げられた奴もいる」


 トムがうつむき加減で、声を震わせながら言った。

 彼の手の甲には、街の男に投げつけられた石で切った小さな擦り傷から血がにじんでいた。

 レオンは静かに近づき、トムの傷ついた手をそっと取った。

 彼の指先から微かな光が漏れ、傷口を優しく覆う。

 「浄化」の魔法を応用した微弱な治癒だった。

 痛みが引き、傷口がゆっくりと塞がっていくのを見届けた後、レオンは孤児たち全員の顔をゆっくりと見渡した。


「すまない、僕の配慮が足りなかった。君たちにつらい思いをさせてしまったな」


 レオンの声はどこまでも穏やかで、焦りや怒りの色は微塵もなかった。


「でもな、レオン様。俺たちのやってることは、本当に間違ってるのか? あの土はあんなにいい匂いがするのに、なんでみんなわかってくれないんだ」


 トムが顔を上げ、涙ぐんだ目で訴えかけた。

 レオンは小さく首を横に振った。


「間違っていない。君たちの仕事は、この街の命を救っている。疫病が減ったのがその証拠だ。ただ、人は自分の理解できないものを恐れ、忌み嫌う性質を持っているにすぎない」


 レオンは立ち上がり、畑の隅に積み上げられた黒褐色のコンポストの山を見つめた。

 彼の前世の記憶でも、有機農業の価値が一般に広く理解されるまでには、長い時間と多大な労力が必要だった。

 視覚的な不快感や先入観という壁は、理論だけでは決して崩せない。


「言葉で説明しても無駄だ。ならば、誰もがぐうの音も出ないほどの圧倒的な事実を突きつけるしかない」


 レオンの瞳の奥に、かつてないほどの鋭い光が宿った。

 そこへ、屋敷の方からバルトが慌てた様子で駆け寄ってきた。

 彼の顔には、隠しきれない焦燥が浮かんでいる。


「坊ちゃん。王都から……王都から視察団を乗せた馬車が、こちらに向かっているとの急報が入りました。明日の昼には到着するとのことです」


「視察団? 王家からか」


「はい。どうやら、例の悪意ある噂が王城にまで届き、事の真偽を確かめるための調査のようです。もし、汚物を使って作物を育てていると判定されれば、当家は爵位を取り上げられ、坊ちゃんは重罪に問われるかもしれません」


 バルトは絶望的な声で言い、その場に崩れ落ちそうになった。

 ゴードン男爵の息のかかった者たちが、噂を王都にまで流し込み、法的かつ政治的にレオンを完全に抹殺しようと動いたのだ。

 絶体絶命の危機。

 しかし、レオンの口元には、かすかな笑みすら浮かんでいた。


「素晴らしい。わざわざ王都から、僕の成果を宣伝しに来てくれるというわけか」


「坊ちゃん……? 正気ですか。彼らは坊ちゃんを罪人にしに来るのですよ」


 バルトが信じられないという顔で主を見上げた。

 レオンはバルトの肩に力強く手を置いた。


「バルト、エリスを屋敷に呼んでくれ。落ち込んでいる暇はないと伝えてくれ。トム、君たちには明日、最大の仕事を任せる。誰もが驚くような舞台を用意するぞ」


 レオンは振り返り、畑の奥で建設を進めていた巨大な石造りのタンクへと視線を向けた。

 それは、コンポストの発酵熱とバイオガスを利用した、この世界初の温水発生装置の基礎だった。

 悪意の刃が喉元に迫る中、レオンの思考は驚くべき冴えを見せていた。

 彼はこのピンチを、自らの理論と魔法の正当性を世界に証明し、一気に領地の価値を跳ね上げる最大の好機へと反転させるつもりだった。

 冷たい風が吹き荒れる中、少年の背中は揺るぎない信念の柱のように、真っ直ぐに立ち尽くしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ