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底辺男爵家の三男、前世の有機農業知識と浄化魔法で領地を大改革し美少女商人と成り上がる  作者: 黒崎隼人


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第8話「豊穣の波紋と忍び寄る強欲の影」

 エリスとの契約が結ばれてから、街の景色は目に見えて変化し始めていた。

 レオンの試験農場で収穫された巨大で瑞々しい野菜たちは、エリスの商会の手によって素早く市場へと運ばれた。

 最初こそ、見慣れないほど大きく色鮮やかな野菜に対して領民たちは警戒心を抱いていた。

 しかし、エリスが市場のど真ん中で自ら野菜をかじり、その果汁の多さと甘さを笑顔で実演してみせると、人々は恐る恐る手を伸ばし始めた。

 一口食べた者の反応は、皆一様に同じだった。

 驚愕に見開かれた目、咀嚼を止めることのできない顎の動き、そして喜びに満ちた深いため息。

 極度の栄養失調にあえいでいた領民の身体が、本能的にその野菜に含まれる圧倒的な生命力と栄養素を求めていたのだ。

 瞬く間に市場は熱狂に包まれた。

 レオンの条件通り、傷物や不揃いなものは安価で提供されたため、スラムの住人たちでさえ、その甘美な味にたどり着くことができた。

 野菜の流通と並行して、街の衛生環境も劇的な改善を見せていた。

 エリスの商会から提供された資金を元手に、レオンは街の各所に木材で囲った簡素な公衆トイレを数十カ所設置した。

 トムたち孤児のグループも増員され、専用の清掃服と運搬用の手押し車が支給された。

 彼らは毎日決まった時間に各所のトイレを巡回し、集まった排泄物を空き地の集積所へと運び込む。

 レオンはその集積所で毎日欠かさず魔力を練り上げ、「浄化」と「乾燥」の魔法を施し続けた。

 道端から悪臭を放つ汚物が完全に姿を消し、石畳が本来の灰色を取り戻すにつれて、街を覆っていた重苦しい空気は少しずつ晴れていった。

 それと同時に、原因不明の熱病で倒れる者の数も激減していった。

 ハエやネズミといった病原菌の媒介者が減少したことで、公衆衛生の概念が存在しないこの世界において、奇跡とも呼べる疫病の封じ込めが達成されつつあったのだ。

 領民たちの間で、男爵家の三男に対する評価は完全に反転していた。

 狂人と呼ばれ、遠巻きに蔑まれていた少年は、今や豊かな食糧をもたらし、疫病を退けた救世主として、畏敬の念を持って語られるようになっていた。

 しかし、光が強くなれば、その背後に落ちる影もまた濃くなるのが世の常だ。

 レオンの領地から馬車で三日ほどの距離にある、肥沃な平野を治めるゴードン男爵の執務室。

 厚い絨毯が敷き詰められた豪華な部屋の奥で、ゴードン男爵は不機嫌そうに分厚い唇を歪めていた。

 たっぷりと脂肪のついた顎肉が、彼が苛立つたびに不愉快に揺れる。

 彼の目の前には、黒い外套に身を包んだ痩せぎすの男が平伏していた。

 男はゴードンが近隣の領地に放っている密偵の一人だった。


「……それで? あの貧乏たれが治める枯れた土地で、突如として極上の野菜が育ち始めたと申すか」


 ゴードンは手にしたワイングラスを揺らしながら、底冷えのする低い声で尋ねた。


「はっ。エリス商会が流通を取り仕切っており、すでに王都の貴族たちの一部にも噂が届き始めているようです。その味は、当領地で採れる最高級品すら遠く及ばないとの評価で……」


 密偵が言葉を濁すと、ゴードンは怒りのままにワイングラスを大理石の机に叩きつけた。

 グラスが砕け散り、真紅の液体が地図の上に広がっていく。


「ふざけるな。あの石ころしか採れない土地で、農業が成り立つはずがない。何か裏があるはずだ。怪しい魔法薬でも使っているのではないか」


「それが……」


 密偵はわずかに顔を上げ、声をひそめた。


「あのレオンという三男坊、街中から集めた『汚物』を畑に撒いているという情報を得ました。スラムの孤児たちを使って排泄物を集めさせ、それを何らかの方法で土に混ぜ込んでいると」


 ゴードンの小さな目が、驚きと嫌悪で限界まで見開かれた。


「汚物だと? あの誇り高き貴族が、自ら泥にまみれて糞尿を集めているというのか。しかも、それを食い物の畑に……」


 ゴードンの顔に、底意地の悪い邪悪な笑みがゆっくりと広がっていった。

 肥満した体が小刻みに震え、喉の奥から粘り気のある笑い声が漏れ出す。


「くくく……はははは。なんという下品で愚かな真似だ。自ら弱点を晒すとはな」


 彼は砕けたグラスの破片を革靴のつま先で弾き飛ばし、立ち上がった。


「その事実を、王都の貴族たちや、エリス商会の取引先に丁寧に教えてやれ。奴らが口にしている甘い野菜が、下民どもの糞尿から育ったものだと知れば、奴らは胃袋を吐き出すだろうよ」


「御意に」


 密偵が音もなく部屋から退室すると、ゴードンは窓辺に歩み寄り、自分の豊かな領地を見下ろした。


「あの奇跡の野菜の栽培法、この私が奪い取ってやる。あの小僧には、汚物にまみれた冷たい土の底がお似合いだ」


 強欲に歪んだ男爵の目は、他者の利益を根こそぎ奪い尽くすことだけを考えていた。

 一方その頃、レオンは試験農場の隅で、新たな施設作りの中核となる設計図を地面の土に棒で描いていた。

 彼の頭の中には、隣領の悪意など入り込む隙間はない。

 彼が次に見据えているのは、コンポスト化の過程で生じる莫大な熱エネルギーとバイオガスを回収し、それを領民の生活を豊かにするためのインフラへと変換する壮大な計画だった。

 悪意の刃が静かに研ぎ澄まされていることも知らず、レオンはただひたすらに、土と微生物が織りなす無限の可能性に没頭していた。

 冷たい風が吹く中、彼の手のひらから放たれる微弱な魔力の光だけが、暮れゆく畑を優しく照らし出していた。

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