第10話「王都からの使者と土の真実」
重々しい木製の車輪が、凍てつく石畳を削りながら低い摩擦音を響かせた。
灰色の厚い雲が空を覆い尽くし、冷たい北風が荒れ果てた街の隙間を縫うように吹き抜けていった。
王家直属の紋章である双頭の鷲を金色の塗料で側面に描き出した巨大な馬車が、男爵家の古びた鉄柵の前にゆっくりと停止した。
四頭の純白の馬が荒い息を吐き出し、その鼻先から濃密な白い霧が空中に溶けていく。
金属製の蹄鉄が石畳を叩く甲高い音が鳴り止むと、周囲の空気が一気に張り詰めた。
遠巻きに様子をうかがっていた領民たちは、豪華な馬車の威容に恐れをなし、息を殺して建物の陰へと身を潜めた。
馬車の御者台から、濃紺の制服に身を包んだ従者が素早い動作で飛び降りた。
彼は真鍮の取っ手を握り、重い扉を外側へと開け放った。
分厚いビロードの絨毯が敷かれた車内から、磨き上げられた黒革の靴が姿を現した。
続いて降り立ったのは、上質な銀糸で刺繍が施された絹の外套を羽織る、中年の男だった。
王家の監査官を務めるヴァレリウス伯爵である。
彼の髪は油で隙間なく撫で付けられ、その顔には深い不快感と明白な侮蔑の色が張り付いていた。
彼は馬車から降りるなり、香水がたっぷりと染み込んだ純白の絹のハンカチを鼻と口に強く押し当てた。
「なんと忌まわしい空気だ」
ハンカチ越しにこもった声が、冷たい風に乗って響いた。
ヴァレリウスの後ろからは、ゴードン男爵が差し向けた密偵の男が、下品な笑いを噛み殺しながら付き従っていた。
錆びついた鉄柵の向こう側で、レオンは静かに立っていた。
彼の衣服は使い古された麻布であり、膝や袖口には乾いた土がこびりついている。
しかし、その姿勢は一本の巨木のように真っ直ぐで、冷気をはらんだ風を受けても微動だにしなかった。
レオンの背後には、顔から血の気を失ったバルトと、不安そうにお互いの手を握りしめるトムたち孤児の姿があった。
鉄柵の扉が重い音を立てて開かれ、ヴァレリウスが敷地内へと足を踏み入れた。
彼は足元の土をひどく汚らわしいもののように見下ろし、革靴の裏が汚れるのを嫌うように爪先立って歩みを進めた。
「貴殿が、この寂れた土地を治める男爵家の三男、レオン殿だな」
ヴァレリウスはハンカチを口から離さず、虫けらを見るような冷ややかな視線をレオンに突き刺した。
「いかにも。王都からの長旅、ご苦労だった」
レオンの声には、監査官の威圧に対する恐れも、卑屈な響きも一切なかった。
ただ事実を確認するだけの、凪いだ水面のような静けさがあった。
ヴァレリウスはその堂々とした態度に一瞬だけ眉を動かしたが、すぐに鼻で短く笑った。
「挨拶は不要だ。我々は王命により、貴殿の領地で出回っているという不気味な作物の調査に参った。領民の排泄物を集め、それを不浄な魔術で畑に撒き散らしているという悪質な報告が王城に届いている」
ヴァレリウスの言葉を聞き、バルトが絶望に顔を歪めてその場に崩れ落ちそうになった。
しかし、レオンは表情一つ変えることなく、静かに頷いた。
「報告の半分は事実だ。僕は街の排泄物を回収し、それを畑の土に入れている」
その言葉が発せられた瞬間、ヴァレリウスの目が大きく見開かれ、密偵の男が勝利を確信したように口角を吊り上げた。
「自ら罪を認めるとはな。貴族の誇りを捨て、不浄な汚物にまみれるなど、言語道断。即刻、その汚らわしい畑を焼き払い、貴殿を王都へ連行する」
ヴァレリウスが背後の護衛の騎士たちに合図を送ろうと右手を上げた。
「その前に、僕の畑を一度も自らの目で確認しないまま、処分を下すつもりか」
レオンの鋭い声が、冷たい空気を切り裂いた。
その眼差しには、無知な者に対する静かな怒りと、真実を知る者だけの揺るぎない自信が宿っていた。
ヴァレリウスは上げかけた手を空中で止め、忌々しそうにレオンを睨みつけた。
「汚物で作られた畑など、見る価値もない」
「王家の監査官が、己の目で事実を確認せず、噂だけを根拠に裁きを下す。それが王国の法廷のやり方だと、王都の貴族たちに触れ回っても良いのだな」
レオンの挑発的な言葉に、ヴァレリウスの顔が怒りで赤く染まった。
彼は鼻息を荒くしてハンカチを握りしめ、革靴のかかとを強く地面に打ち付けた。
「よかろう。貴殿の愚かな所業、この目でしっかりと見届けてやる。案内しろ」
レオンは背を向け、屋敷の裏手にある試験農場へと歩き出した。
ヴァレリウスと護衛たち、そして密偵がその後を追う。
建物の角を曲がり、裏庭の全貌が視界に飛び込んできた瞬間、監査官たちの足がピタリと止まった。
灰色の空と枯れ果てた石壁に囲まれた空間に、そこだけが別世界のように鮮烈な緑の絨毯が広がっていたのだ。
幾重にも重なる巨大な葉が、冷たい風に揺れてサラサラと心地よい音を立てている。
葉の表面は内側から水分が弾けそうなほどの艶を持ち、生命の力強さを無言で主張していた。
「これが、その……畑だと?」
ヴァレリウスがあっけにとられてつぶやいた。
彼が想像していたのは、悪臭が立ち込め、黒い泥とハエにまみれた不浄の地だった。
しかし、目の前に広がる光景は、王城の庭園すら凌駕するほどに美しく、清浄な空気に満ちていた。
レオンは畑の隅に積み上げられた、黒褐色のコンポストの山へと歩み寄った。
彼は素手でその土を深くすくい上げ、両手にこんもりと乗せたまま、ヴァレリウスの目の前へと差し出した。
「これが、君たちが『不浄な汚物』と呼ぶものの正体だ。触ってみるといい」
ヴァレリウスは顔を引きつらせ、大きく後ずさりをした。
「狂人め。そのような汚らわしいものに、私室の絨毯を歩くこの手で触れられるわけがなかろう」
「触れられないなら、せめて匂いだけでも嗅いでみろ。君が押し当てているその香水まみれの布をどけてな」
レオンは一歩前に詰め寄り、黒褐色の土をヴァレリウスの顔の高さまで持ち上げた。
ヴァレリウスは逃げ場を失い、恐る恐る口元のハンカチをわずかにずらした。
彼の鼻腔は、強烈な腐敗臭を予想して無意識に収縮していた。
しかし、彼を包み込んだのは、深い森の奥で雨上がりの大地を踏みしめた時のような、甘く芳醇な香りだった。
胸の奥まで深く吸い込みたくなるような、命の根源を感じさせる豊かな匂い。
ヴァレリウスの目が驚愕に見開かれ、香水の染み込んだハンカチが彼の手から力なく滑り落ち、石畳の上へと落下した。




