第8話:騎士団長の初休暇
ー翌朝。
カーテンの隙間から差し込む朝日が部屋を明るく照らしていた。隣に眠るシグルドは、鎧を脱いでいるせいか、騎士団長という物騒な肩書きのわりには、どこか無防備で穏やかに見える。
(……ん、まだ眠いわ。シグルド、もう起きるの?)
シグルドが身動きをした気配で目が覚めた私は、寝ぼけ眼で小さく鳴き、彼の腕の中にぐいぐいと顔をうずめた。
「みゃぅ……」
すると、起き上がろうとしていた彼の体が、まるで魔法にでもかけられたようにピタリと止まった。
「……雪、まだ眠いのか。そうか。……ちょうどいい。今日は予定をすべて空けてある。休暇だ」
彼はそう囁くと、横たわったまま私を優しく抱き込み、胸元へと引き寄せた。厚い胸板からは心地よい鼓動が伝わってくるし、その腕はほどよく暖かくて、驚くほどフィットする。
(休暇? まあ、それは丁度よかったわね。シグルドが普段どんなお仕事をしているのかはよく知らないけれど、今日はお休みなら、心ゆくまで私に付き合ってもらいましょうか)
居候の身としては、家主が一緒にいたいと言うなら断る理由もない。それに、この腕の中は元の世界のどんな高級寝具よりも「抱き枕」として優秀なのだ。シグルドは私の耳の後ろや首筋を、大きな手でゆっくりと、リズムを刻むように撫でている。その手つきがあまりに絶妙で、私は思わず喉を鳴らしてしまった。
「……いい子だ。今日一日は、誰にも邪魔させん。俺と君だけの時間だ」
彼の声は少し掠れていたけれど、そこには深い安らぎが滲んでいた。私は彼の手腕を最高の枕にして、抗いようのない睡魔に身を任せ、再び深い眠りへと落ちていった。……お猫様の二度寝の誘惑に抗える人間なんて、この世界にはいないはずだもの。
それから数時間。太陽がすっかり高く昇り、部屋が十分に暖まってから、私たちはようやくベッドから這い出した。お腹を空かせた私たちが食堂へ向かうと、シグルドは執事たちを下がらせ、自ら私の朝食を用意し始めた。
「雪、待たせたな. 今日の献立だ。……口に合うといいのだが」
テーブルに並べられたのは、彩り豊かなフルーツ、甘みを引き出した茹で野菜、そして丁寧に細かくカットされた最高級の赤身肉。シグルドは椅子に座った私の隣で膝をつき、フォークで一切れずつ、まるでお伺いを立てるように私の口元へ運んでくれる。
「熱くないか? 食べやすいか?」
(あら、至れり尽くせりね。……うん、このお肉、とってもジューシー。お野菜も甘くて美味しいわ。シグルド、あなた意外と器用なのね)
私が美味しそうに咀嚼するたびに、シグルドの強面が信じられないほど緩んでいく。彼がどれほどの重責を担う人物なのか、私はまだ本当には知らないけれど、自分に一生懸命尽くしてくれるこの男との時間は、なんだかとても心地よかった。
しかし、幸せなもぐもぐタイムに突如として「試練」が訪れる。
(……あら? お皿、もう空っぽになっちゃった。シグルド、おかわりもちょうだい)
私が空になった皿を前足でトントンと叩き、期待を込めて彼を見上げると、シグルドは途端に苦悶の表情を浮かべた。彼は手元の分厚い本――どうやら昨日急いで取り寄せたらしい『猛獣の飼育と栄養学』を開き、必死にページをめくっている。
「……くっ、雪、済まない。この本によれば、幼体のユキヒョウに与える一食の適正量は、今の量で限界のはずなんだ。これ以上は消化不良を起こす恐れがある……」
(ええっ、そんなの個体差があるじゃない! 私はまだ食べられるわよ。シグルド、ほら、もう一切れだけ!)
「だめだ……。君の健康を守るのが俺の使命だ。……だが、そんなに潤んだ瞳で見つめられると……っ。いや、しかし……!」
シグルドは、もっと食べたい私のおねだりと、本の教えの間で激しく葛藤している。その顔は魔物と対峙している時よりも必死で、お肉を握る指先がプルプルと震えていた。
(シグルド、そんなに悩まなくていいのに。お猫様のお願い、聞いてくれないのかしら?)
結局、シグルドは世界を救う決断でもするかのような悲壮な覚悟で、小さく切ったお肉を差し出してくれた。
「あと、あと一片だけだぞ……!」
お世話に全力な家主さんと、もっと食べたい居候の私。私たちの初めての休暇は、栄養学を巡る静かな攻防戦とともに幕を開けたのだった。




