第4話:世界で一番贅沢な命名会議
副団長のエルウィンに存在がバレてから、団長執務室の空気はさらに妙なことになっていた。
エルウィンはシグルドの暴走を止める苦労人だが、実は彼自身、隠しきれないほどの動物好きだったのだ。彼は、扉を勢いよく開けた非礼を詫びるように、改めて私の前に跪いた。
「驚かせてしまい申し訳ありません、麗しき御方。私はこの第3騎士団で副団長を務めております、エルウィンと申します」
エルウィンは、まるで高貴な貴婦人に挨拶するかのように、右手を胸に当てて深く頭を下げた。動物相手とは思えないほど丁寧で、紳士的な所作だ。顔を上げた彼の瞳はキラキラと輝いていて、私を慈しむような熱がこもっている。
「……あな、恐ろしい。これほど気高く、可愛らしい生き物がこの世に存在したとは。団長が独り占めして秘密にしたくなる気持ちも、理解できてしまいます」
彼はそっと手を差し出し、私の前足を握るのではなく、その近くのクッションを優しく叩いて挨拶を求めた。
(まあ、なんて丁寧な人。シグルドは力強いけれど、このエルウィンさんはとっても穏やかなのね)
私はおっとりと、差し出された彼の手の甲に自分の前足を「ぽすっ」と乗せてあげた。その瞬間、エルウィンは息を呑み、感激のあまり震えだした。
「団長……今、この御方は私に応えてくださいました。ああ、なんという光栄。一生この手は洗えません……」
「エルウィン、貴様。……挨拶は済んだだろう。早く離れろ」
シグルドが不機嫌そうに割り込み、私をひょいと抱き上げた。 本来なら軍の重要戦略が語られるはずの大きな机の上には、今、大量の図鑑や古文書、そしてなぜか宝石の目録が広げられている。
「……団長。いい加減に決めてください。いつまでも『尊い御方』や『白き宝玉』では、指示を出す時にも不便でしょう?」
エルウィンが、眉間を押さえながらも、どこか楽しげにシグルドを促す。当のシグルドは、腕の中に私を抱きかかえ、まるで人生の重大局面であるかのように険しい顔で本を睨んでいた。
「……妥協はできん。この御方の美しさ、気高さ、そしてこの……指を吸い込まんばかりのフカフカ度。これらをすべて体現する名でなくてはならんのだ」
(シグルド、私、お名前ならなんでもいいのよ。……あ、エルウィンさん、こっそり私の尻尾を触ろうとしてるわね。いいわよ、見逃してあげる)
私が尻尾をパタパタと振ってエルウィンの指に絡ませてあげると、彼は情けない声を漏らして悶絶した。
「団長、見ましたか!? 今、私に尻尾を! ……コホン。失礼。……そうですね、シグルド団長の故郷である北の言葉で『雪』を意味する名はどうでしょう。シンプルですが、この真っ白な毛並みにふさわしい」
その言葉が出た瞬間、私の胸がトクンと跳ねた。
(雪……。私の名前……!)
偶然だとしても、なんだか運命を感じてしまう。私はおっとりとシグルドの腕の中から身を乗り出し、彼の顔をじっと見つめて、今までで一番はっきりとした声で鳴いた。
「みゃう! みゃうっ!」
シグルドとエルウィンが、同時に息を呑んで私を凝視した。
「……団長、今、明らかに反応されましたよ。『雪』という言葉に」
「ああ……。今までどんな高価な宝石の名を呼んでも、これほど力強く応えてはくれなかった」
シグルドの手が、期待に震えながら私の背を撫でる。彼は確信を得るように、もう一度その名を口にした。
「……雪。君の名は、雪がいいのか?」
「みゃう!」
私は大きく一度頷いて、彼の手に自分の頭をこすりつけた。それを見たシグルドの顔が、北国の春が来たかのようにパァッと明るくなった。
「……決まりだ。君自身が選んだのだな。今日から、君の名は『雪』だ」
「とてもいい名前ですね、団長。ご自身で選ばれるとは、なんと賢い御方だ……! では、雪様。お名前が決まったお祝いに、私からも特製のジャーキーを献上させてください」
「エルウィン、貴様……どさくさに触るなよ」
名前が決まった喜びも束の間、またしても私を巡る男たちの静かなる戦いが始まった。私は新しくも懐かしい名に満足しながら、シグルドの腕の中で、エルウィンが差し出すジャーキーが口元に運ばれるのを待つのだった。




