第33話:朝焼けの秘密
スープを食べて少し元気を取り戻した数日後。
シグルドにどうしても避けられない仕事が入ってしまった。
「……雪。二日ほど、北の砦まで出向かねばならなくなった。体調の悪いお前は、連れていけない」
シグルドは後ろ髪を引かれるような、今にも泣き出しそうな顔で私を見つめていたけれど、私は精一杯「大丈夫よ」と伝えるために、彼の手に鼻先を寄せた。
(いってらっしゃい、シグルド。お仕事、頑張ってね)
彼を見送った後、私は久しぶりに一人きりの夜を迎えた。
ところが、彼がいなくて寂しいはずなのに、その夜は以前よりもずっと激しい「むずむず」が襲ってきたのだ。
(あら、あらら……? なんだか、体がとっても熱いわ……)
意識が遠のき、視界がぐにゃりと歪む。パキパキと小気味よい音が体の中から響き、私は床に倒れ込んだ。 ……どれくらいの時間が経っただろうか。重い瞼を開けると、視界の高さがいつもと全く違っていた。
(……あ、れ? また、あの時の……)
恐る恐る体を起こすと、そこには毛皮ではなく、白くて柔らかな「人間の子供」の腕があった。私はおぼつかない足取りで立ち上がり、シグルドの部屋にある大きな姿見の前まで、ふらふらと歩いていった。
(……これが、私……?)
鏡の中にいたのは、銀色の髪をふわふわと波立たせた、雪のように白い肌の幼い女の子だった。
瞳の色はユキヒョウの時と同じ、透き通った青色。
けれど、頭の上には三角形の丸い耳がぴょこんと生え、お尻からは太くて長いしっぽが、所在なげにゆらゆらと揺れている。
(まあ……なんだか、ぬいぐるみと人形の間みたいね。……お洋服も着ていないから、ちょっと恥ずかしいけれど)
私は鏡に映る自分を、じっくりと観察してみた。ぷにぷにとした頬っぺたを指でつつくと、指先からは温かな弾力が返ってくる。
社畜だったあの頃の、目の下にクマを作った疲れ切った顔とは似ても似つかない。どこまでも無垢で、守ってあげたくなるような、愛らしい子供の姿。
(こんなに可愛い姿になっちゃうなんて……。でも、やっぱり人間なんですものね。いつか、あの厳しい日常に戻らなきゃいけないのかしら。耳としっぽがあれば、お猫様かしら?)
そんな不安を抱えながらも、私はいつの間にか鏡の前で考え込んでいた。 ……窓の外が白み始めた頃。ふと気付くと、視界は再び低くなっていき、目の前には使い慣れた自分のもふもふの手とぷにぷにの肉球があった。
(あぁ、よかった……。元に戻れたわ……)
朝日に照らされた自分の前足を見て、私は心の底から安堵した。
それからしばらくして、馬の嘶きと共に、予定よりも早くシグルドが帰還した。
扉を勢いよく開けて入ってきた彼は、私の姿を見るなり、崩れ落ちるように私を抱きしめた。
「雪……! 無事だったか。……寂しくはなかったか」
(おかえりなさい、シグルド。……うふふ、実はちょっと、不思議な冒険をしていたのよ)
私は彼の腕の中で、甘えるように喉を鳴らした。鏡の中の少女のことは、私だけの秘密。
朝焼けに染まる部屋で、私は彼との穏やかな日常が戻ってきたことを、静かに喜んでいた。




