第31話:すれ違う温もり
あの日以来、私は怖くてたまらなくなっていた。夜になる度、あの「むずむず」とした熱がやってくるのではないか。
(……怖い。人間になんて、戻りたくないんですもの)
あの過労死寸前の、暗い日々には二度と帰りたくない。今のこの「ユキヒョウ」としての幸せを守るためには、彼に近づかないのが一番だわ。そう結論を出した私は、大好きだったシグルドの膝の上を避け、部屋の隅で丸くなって寝てばかりの毎日を過ごすようになった。
「……雪。こっちへ来い。……飯だぞ」
シグルドが、私の大好きな高級干し肉を持って呼びかけてくれる。けれど私は小さく頭を振って、さらに体を丸めるだけだ。あんなに楽しみだった食事も、今は喉を通らない。ただただ、何も考えずに眠っていたかった。
眠っていれば、人間にならなくて済むような気がしたのだー。
「……食わないのか。どこか、痛むのか」
シグルドの声が、これまでにないほど沈んで聞こえた。彼は私を無理やり抱き上げることもせず、ただ困惑したように私の傍らに膝をついている。かつてはあんなに熱烈な「猫吸い」をしていた彼が、今は触れることさえ躊躇っている。
(ごめんなさい、シグルド。……でも、あなたのお膝の上で、もしあの姿になってしまったら……私、もうここにはいられなくなっちゃうわ……)
数日が過ぎ、私の元気のなさは、シグルドをいよいよ追い詰めたようだった。
ーある日の午後、彼は意を決したように、あの二枚のカードを私の目の前に並べた。
「雪。……答えろ。俺が、嫌いになったか」
悲痛なまでの、無骨な問いかけだった。私は迷わず『いいえ』をトントンと叩きたくなった。けれど、もし『いいえ』と答えれば、彼はきっと喜んで私を抱きしめるだろう。そんなときに、またあの熱が私を襲うかもしれないー。
「……それとも、どこか具合が悪いのか。……軍医を呼ぶか」
(いいえ、そうじゃないの……)
シグルドは震える指先で『はい』と『いいえ』のカードを差し出す。けれど、私はただ、悲しく目を伏せることしかできなかった。
答えてしまえば、彼との距離が縮まってしまう。
「……雪。……頼む。話してくれ」
絞り出すような彼の声が、静かな執務室に響くー。
私はその声に応えることができず、ただ尻尾の先を弱々しく揺らすだけだ。
カードを前にして固まる私を、シグルドは、ずっと悲痛な表情で見つめていた。




