第3話:団長室の秘密と、誤解
馬の心地よい揺れと、鎧越しに伝わる規則正しい心臓の音。深い眠りから覚めたとき、私はすでに「王都」と呼ばれる場所に到着していた。
団長――シグルド・ノルディンの胸元から、そっと広い室内へと移される。そこは、前世の私のワンルームマンションがいくつも入りそうなほど天井が高くて立派な、団長執務室だった。
「……ここで待っていてくれ。今、最高級のクッションを用意させる」
シグルドは、私をそっと机の上の柔らかな布に置くと、すぐに部下を呼んだ。
「この世で最も柔らかいクッションと、極細の馬毛ブラシを持ってこい」
それを受け取った部下が、震える声で尋ねる。
「だ、団長……それは一体何に使うので……?」
けれど、彼は一言で切り捨てた。
「……機密事項だ」
(機密事項って……。私、国家機密になっちゃったのかしら。あ、そういえば騎士様の名前はシグルドというのね)
私はおっとりと首を傾げながら、用意されたシルクのクッションに身を沈めた。シグルドは山積みの書類を脇に追いやり、真剣な眼差しで私に向き合う。そして、おそるおそる、けれど流れるような手つきでブラッシングを始めた。
「……ああ、なんと素晴らしい手触りだ。君は、雪国の宝玉のようだな」
あまりの気持ちよさに、ユキヒョウの私は思わず喉を鳴らした。
「みゃう……。みゃう、うぅん……」
ユキヒョウ特有の、少し高くて甘い声が静かな室内を流れる。一方、扉の外では不穏な空気が漂っていた。
「……おい、聞いたか? 今、団長室から悲鳴のようなものが聞こえなかったか」
「ああ……。何というか、高く細い、動物が絞り出されるような声だ。シグルド団長、もしや敵国のスパイを拷問しているのでは……」
「馬鹿を言うな! 団長はそんな冷酷な……いや、あの殺気ならやりかねん」
騎士たちが戦々恐々と廊下で囁き合っていることなど、私とシグルドは知る由もない。シグルドは、私の顎の下を絶妙な力加減でカリカリと掻きながら、その強面をこれ以上ないほどとろけさせていた。
(ふふ、優しく撫でられるのがこんなに気持ちがいいだなんて。……最高だわ。私、もうこのまま溶けてクッションの一部になっちゃいそう)
私が幸せの絶頂で甘い声を上げた、その時だった。
「団長! いくらなんでも行き過ぎです! 拷問はやめてくださいッ!」
バァァァン! と、爆音を立てて扉が開かれた。飛び込んできたのは、正義感に燃える顔をした青年騎士と、数人の若手騎士たちだ。騎士達は、シグルドの暴走を止めようと必死な形相をしている。けれど、そこには彼らが想像したような惨劇など、一ミリも存在しなかった。
「……あ?」
シグルドはブラシを持ったまま、氷のような無表情で彼らを射抜いた。だが、その膝の上には、高級クッションに埋もれ、足を天に向け、舌を少しだけ出して完全に「とろけて」いる白いもふもふの塊がある。
「……みゃ?」
私はおっとりと顔を上げ、侵入者たちを見つめた。青年騎士の手から、持っていた書類がパラパラと床に落ちる。
「……えっ。……ええっ!? し、白い子猫……? いや、豹……?」
「……馬鹿者、エルウィン。これはユキヒョウだ。……俺が拾った、尊い御方だ」
シグルドは、見つかった瞬間の気まずさを一瞬で「独占欲」に塗り替え、私を守るように抱き寄せた。
「貴様ら、見学料は高いぞ。……それと、この御方が驚く。静かにしろ」
雪国の冬より冷たい声で命じられた騎士たちは、恐怖ではなく、あまりの「もふもふの可愛さ」と「団長のギャップ」に、雷に打たれたようにその場で立ち尽くすしかなかった。




