第28話:飼い主馬鹿の賭け
最近、シグルドの視線が、熱を帯びた鋭いものに変わったのを私は感じていた。朝の散歩中、広大な庭園を並んで歩いている時のこと、彼がボソリと独り言のように呟いた。
「雪、右の噴水へ」
私は無意識に「はいはい」と右へ進路を変えた。さらに、彼が「少し足元が濡れている。あちらの乾いた芝生を歩け」と言えば、私は汚れるのを嫌って、しなやかな跳躍で指示された場所へ移動する。
(……あら? 今、私、普通に指示に従っちゃったわね)
ふと足を止めて振り返ると、シグルドが拳を口元に当て、何やら深刻な顔で私を見つめていた。その瞳には、驚きと、確信に近い喜びが混ざり合っている。
屋敷に戻っての朝食時もそうだ。彼が仕事の予定を語りかけると、私は絶妙なタイミングで「みゃん」と相槌を打ってしまった。
(いけない。シグルドの前だと、つい元人間の『相槌癖』が出ちゃうわ……)
シグルドは食事の手を止め、震えるような溜息をついた。そして午後、執務室で二人きりになった時、彼は意を決したように、一枚の真っさらな紙とペンを机に置いた。
その表情は、魔王との決戦を控えた勇者のように悲壮で、まさに断腸の思いといった風情だ。
「……雪。一つだけ、頼みがある。……独り言だ。嫌なら無視してくれ」
彼は苦渋に満ちた表情で、私を真っ直ぐに見つめた。
「もし、俺の言葉がわかるなら……。明日着る軍服の色を、ここから選んでくれ」
彼が震える手で書いたのは、『紺色』『深緑』『純白』の三つだった。シグルドは、そのまま逃げるように目を伏せた。
「……すまん。忘れてくれ。馬鹿なことをした」
彼は私に知性を求める自分を恥じ、否定しようとしていた。もし私がただの動物なら、この沈黙は彼を深く傷つけるだろう。
(……もう、そんなに悲しそうな顔しないでよ、シグルド)
私は迷わなかった。椅子から机に飛び乗ると、迷わず『純白』の文字の上に、ふかふかの肉球を置いた。お風呂上がりの私と並ぶなら、彼も白で揃えた方が絶対に「映える」からだ。
「……っ!」
シグルドが顔を上げ、弾かれたように立ち上がった。彼は私が肉球を置いた箇所を、穴が開くほど見つめている。
「……白か。俺と……お揃いを選んでくれたのか」
(偶然よ、偶然! ……って、言い訳するには、あまりに狙い通りすぎるわね)
私は知らんぷりをして窓の外を眺めた。けれど、背後から近づいてきたシグルドに、そのまま強く、壊れ物を抱くように抱きしめられた。
「……ありがとう、雪。お前は……天才だ」
彼の低い声が、私の背中で震えていた。正体がバレる恐怖よりも、彼がこれほどまでに喜んでくれたことが、私には少しだけ誇らしかった。
こうしてシグルドの「俺のユキヒョウは天才だ」という飼い主馬鹿な確信は、もはや揺るぎない真実へと変わっていったのだった。




