第17話:箱の魔力
シグルドの執務室で、彼が難しい顔をしてエルウィンと打ち合わせをしていた時のことだ。
私は少し退屈して、部屋の隅に置かれていた、届いたばかりの備品が入っていたであろう空の木箱に目を留めた。大きさ、深さ、そして角の角度。なぜか分からないが、それを見た瞬間、私の本能が「あそこは私のためにある」と激しく主張し始めたのだ。
(……。いけないわ、私は元人間よ? あんな狭い箱に入るなんて……。でも、あの角のフィット感、絶対に気持ちいいわよね……)
一度気になると、もう止まらなかった。私は吸い寄せられるように箱へ歩み寄ると、前足から慎重に中へ入り、体を丸めて収まってみた。
(……っ! 何これ、最高……! 包まれている安心感がすごすぎるわ!)
驚くほどジャストフィットだった。あまりの心地よさに、私は箱の縁にあごを乗せ、うっとりと目を細める。すると、部屋の空気が一瞬で静まり返った。打ち合わせを中断したシグルドが、見たこともないほど衝撃を受けた顔で私を凝視している。
「……雪。何だ、その……それは。……至高の可愛さではないか」
(……。見られたわね。でも、もう出たくないの。ここが私の城よ)
シグルドは、もはや書類のことなど頭から消え去った様子で、箱に収まる私を全方位から観察し始めた。翌日、屋敷に戻ると、私は自分の目を疑った。廊下、リビング、寝室。あらゆる場所に、様々な形や大きさの「箱」が設置されていたのだ。
(ちょっと……シグルド? これ、やりすぎじゃない?)
戸惑う私を余所に、シグルドは期待に満ちた眼差しで私を見つめている。
「雪。城で使っていたものは、ただの運搬用だ。……ここにあるのは、王宮御用達の職人に作らせた最高級の桐箱、そして異国の絹を張った特注品だ。好きなだけ、試すがいい」
(……。職人に何を作らせてるのよ。……でも、あの円形の箱、ちょっと気になるわね)
悔しいけれど、私の体は勝手に動いてしまう。私は次々と箱をハシゴして、そのフィット感を確かめて回った。そんな中で、ふと部屋の隅に置かれた、明らかに私の体格より一回り小さな小箱が目に留まった。普通に考えれば入るはずがないのだが、なぜか今の私には「いける」という確信があった。私は無理やり体をねじ込み、強引に中へと収まってみた。
(……う、動けない。でも、この『みちみち感』がたまらないわ……!)
毛並みが箱の壁に押し付けられ、まさに隙間ゼロ。はみ出した尻尾が箱の外で力なく揺れているが、当の本人は究極の密着感に包まれて満足の極致である。シグルドはその「みちみち」になった私の姿を見て、しばらく絶句したあと、震える手で何度も肖像画師を呼びにやりそうになっていた。しかし、数日が経つと、シグルドの様子に変化が現れた。彼は屋敷の至る所に設置された箱の中で、一日中幸せそうに丸まっている私を見て、次第に眉をハの字に下げ始めたのだ。
「……雪。そこは、そんなに居心地が良いのか」
(ええ、最高よ。もう一歩も出たくないくらいだわ)
私が箱の中から顔だけ出して答えると、シグルドはあからさまに肩を落とした。どうやら、私が箱に夢中になりすぎて、彼の膝の上に来なくなってしまったことが、寂しくてたまらないらしい。最強の騎士団長が、自分が用意した箱に嫉妬するという、なんとも情けない事態になっていた。その日の夜。私が眠りから覚めると、屋敷を埋め尽くしていた箱が、少しずつ、しかし確実に減っていることに気づいた。シグルドが「整理だ……」と虚しい嘘を吐きながら、こっそりと箱を片付けていたのだ。そして彼は、自分の膝の上に最高級の羽毛が詰まった特製のクッションを置くと、私をじっと見つめて手招きした。
「雪。……このクッションは、どの箱よりも柔らかい。……ここに来ないか」
(……。シグルド、あなた、分かりやすすぎるわよ)
必死に平然を装っているが、その青い瞳には「お願いだから膝に乗ってくれ」という悲痛な叫びが滲み出ている。私はあきれながらも、箱を片付けてしまった彼への「お支払い」として、箱から這い出した。そして彼の膝の上、ふかふかのクッションへと飛び乗ってあげる。
「……っ。雪……。やはり、ここが一番だ」
(はいはい。満足かしら? ……でも、シグルド)
私は彼の腕の中で丸くなりながら、執務室の片隅に残された「あの一番最初に見つけた木箱」だけをじっと見つめた。
(あのお気に入り中のお気に入りの箱だけは、絶対にしまわないでほしいわね)
もしあの箱まで撤去されたら、今度こそハンストを起こしてやろう。私はそんな決意を秘めながら、シグルドの体温を感じつつ、再び心地よい眠りに落ちていくのだった。




