7話:確信
ガゴン、と重々しい音を立ててゲージ式エレベーターが動き出し、真下へと降下していく。
地下で重機や資材を運搬することを前提に設計されているため、通常のエレベーターよりも広く、車両ごと搭載できる頑丈な作りだ。
その中央で地下への到着を待っているのは、一台のおんぼろトラックだった。
「随分と深いな」
暗い竪坑を下ること数分。助手席に腰掛け、足を組んで腕を組む銀髪碧眼の男――マリゲルは、窓の外を流れる景色を眺めていた。
粗く削られた岩肌の連続は、やがて不意に途切れ、別の光景へと切り替わる。
「ここが採掘洞窟だぜ」
ハンドルを握るミッケロが得意げに紹介する。
洞窟内部は発電機や換気設備に繋がる青白い照明で照らされ、先ほど通ってきた竪坑同様、砂岩や硬い地層の風化を防ぐため鉄骨と支柱で全体が補強されていた。
さらに一分ほどの降下ののち、エレベーターは到着し、ガタガタと振動しながら扉が開く。
「もう見えます、あれですよ」
エンジン音を響かせて走り出したおんぼろトラック。その助手席から緒方が指さす先には、異様な存在が鎮座していた。
最初は岩壁にしか見えなかった。だが、刻まれた線は頬骨を形作り、窪みは眼窩を成している。沈黙に閉ざされた口元までもがそこにあった。
――採掘洞窟の中央を占めるのは、人の顔だった。
しかも、あまりにも巨大だ。
片目の大きさだけで、今通ってきたエレベーターの入り口ほどもある。唇の端から端までの距離は、足場やクレーンをいくら並べても届きそうになかった。
眠っているはずなのに、見下ろされているような錯覚。重苦しい気配が洞窟の空気を押し潰していた。
この光景を見慣れたミッケロ以外の二人――マリゲルと緒方は、言葉を失う。
「驚いたな……こんなモノが埋まっていたとは」
「僕もです。資料を見た時は半信半疑でしたが……大昔、これが動いていたと考えると悍ましいですね」
「ん?顔だけじゃないのか?」
「調査によれば体も地中に埋まっているそうです。掘削はまだ途中ですが」
「これだけの規模、何年かかることか……」
「未来には、こういうのは居なかったのか?」
「……居たさ。ただ、ここまで巨大ではなかった」
マリゲルの脳裏に蘇るのは、アナグラ本体の姿。
「一体、どうやって造った代物だ……」
「“アリオネル帝国”の遺産って説が濃厚らしいぜ」
突然、背後から声が響く。
振り返れば、長い白髪と褐色の肌を持つ勝気な女が腕を組んで立っていた。
「大昔、世界を征服した帝国があったそうだ。大地震で滅んだが、こいつはその置き土産ってところみてぇーだな」
「ボインのねーちゃんだ」
「貴女は……?」
ミッケロの不謹慎な呟きを無視して、緒方が問いかける。
「アタシはコルミ・イゲイナー。民間の超大型貨物チャーター会社を経営してる、三十七歳だ。話は聞いてるぜ。未来から来たイケメン君、アンタだろ?」
「ボインで男勝り、しかもイケメン好きな三十七歳……さては」
「おい!聞こえてんぞデブ!しばくぞ!」
「ぎえええ!何も言ってないのに怖すんぎろ!」
「余計なこと言うからです、ミッケロさん」
緒方がなだめる横で、マリゲルは小さく笑みを漏らすと、怒気を帯びたコルミへ話を振った。
「例の件、手筈は?」
「あぁ。ロボットを日本に運ぶんだろ?今のところはタンカーで行くつもりだ。書類審査がちょいと面倒だが、やれないことはない」
「助かる。いつ頃出発できそうだ?」
「タンカーとトラックの手配、その他準備込みで一週間後だな。ロサンゼルス港まで陸送が必要になる」
「そうか、何から何まで世話になるな」
「いいってことよ!アンタ、日本で戦ってる白いロボットの仲間なんだろ?」
「あぁ、戦友だ」
「なんでこっちの時代に来た?何か起きようとしてるのか?」
「……正直、わたしもわからない。あの日、アナグラの本体に異変が起きた。ヤツの発する光に飲まれた者は、時を飛び越えてこの時代にやってきているのだろう」
「科学的に考えるなら、高エネルギー同士の衝突による時空の乱れですね」
緒方がメガネを中指で押し上げながら口を挟む。
「原子力爆弾級の反応を持つアナグラが衝突し、周囲を巻き込んだタイムスリップを引き起こした……そういう推測になります」
「ってことは、アンタの仲間もこっちに来てる可能性が高いわけだな?」
「あぁ。アルテミスもこの時代に現れているはずだが……ここ数日、通信圏内に反応はない」
「アルテミスって、話で聞く円盤型の巨大戦艦ですよね?そんなモノが現れれば、誰かがネットにアップしててもおかしくないはずですが……」
「うーん……っていうかさ、アンタ、なんでここにいるんだ?チャーター会社の経営者だろ?」
「急に振るなよ!ここの現場監督と知り合いでな。“面白いもんを見せてやる”って誘われたんだよ」
コルミが胸を張ったそのとき、彼女の腹から盛大な音が鳴った。
マリゲルは鼻で笑い、銀色の包みを差し出す。
「よければどうぞ」
「お、ありがてぇ!ちょうど腹減ってたんだ。なんだこれ…チョコ?」
「ウィスキーボンボン。試してみてくれ」
コルミは銀紙を解き、丸いチョコを一口で頬張る。
「……うんっ!美味い!」
「フフフ、そうだろう?」
「美味いな?どこで買ったんだ?」
問うコルミに、マリゲルは口角を上げて白い歯を見せた。
「わたしの自信作さ」
きらきらとオーラを放ちながら答えるマリゲル。
背後で様子を見ていたミッケロと緒方は、ひそひそ声を交わす。
「朝から鼻歌しながら台所で何か作ってると思ったら……アレだったのか。ウサギのエプロン着けてよ」
「きっと彼は、ああいう性格なんですよ」
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暗闇の中に、萌里は一人立っている。
何処を見渡しても果ての無い闇が続く、音や風もない、不気味さすらある無音の空間だ。声を出そうとしても口の周りに黒い靄が塞ぐようにかかっており、叫ぶことすらできない。
ふと、遠くの方で巨大な影の立ち姿が浮かび上がる。
白い装甲に赤い胴体、背中にコンボウトウを背負い悪魔の様な顔立ちの鉄の巨人―――ガルガンダだ。
萌里は走って近づく。
次の瞬間、ガルガンダの装甲に亀裂が走り崩壊を始める。原型は見る見るうちに崩れ落ちていき、胴体が粉砕しコックピットの内部があらわになる。
そこには串刺しになり首が無い、ユキトの姿があった。
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「はっ……!!!」
慌てて起き上がる萌里は髪は乱れ息が切れ、タンクトップにショートパンツは汗でびしょびょに濡れていた。
「…夢………」
重いため息交じりに一安心する萌里は、再度布団にだいぶするように倒れる。
「はぁ……キッツい夢…」
子供のころは幽霊などの夢を見たことはあるが高校になってみた夢の中ではダントツで心臓に悪い内容だった、と萌里はぼーっとする意識の中で天井を眺めながら振り返る。
「……なんで、ユキトが……」
思わず口から漏れた声は、震えていた。
胸の奥でまだドクドクと脈打つ心臓が、夢の中で見た串刺しの光景を無理やり呼び戻す。
息を吸おうとしてもうまく肺に入らず、喉が焼けつくように乾いている。
萌里は乱れた髪をかき上げ、枕元に置いた水を掴んで一気にあおった。冷たいはずの液体が喉を通っていっても、不快なざわめきは消えない。
「……夢、だよね。あんなの、夢に決まってる…」
自分に言い聞かせるように呟きながらも、脳裏に焼き付いたユキトの姿は薄れてくれなかった。
「なにやってるの?」
声が聞こえてくる。振り向くと部屋のドアを開け、ユキトが様子を見に来ていた。
「お、おはよ…」
「おはよう。呼びに来たよ、じいさんが飯食えってさ」
「うん、今行く」
「大丈夫?」
ユキトの言葉に、萌里は思わずビクリと肩を震わせた。
さっき見た夢が脳裏にちらつき、彼の姿を直視するのが怖くなる。
「だ、大丈夫……ただちょっと、寝汗かいただけ」
「そうなんだ」
そういってユキトは部屋を後にし、階段で1階に降りていった。
後に残された萌里は振り切るようにベッドから降りて身支度を始める。深いため息をついて立ち上がると、ハンガーにかかっている制服を取り外す。汗で張り付いたタンクトップとショートパンツ、下着を脱ぎ捨て、冷たい空気に思わず身をすくませる。
白いブラウスのボタンを上から順に留め、スカートを履き込む。鏡の前に立って櫛を握る手が少し震えているのに気づき、苦笑いしながら髪をすく。洗面所で顔を洗い、歯を磨くとようやく夢のざらついた余韻が少し薄れていった。
「…よしっ、おっけー!」
頬をパチンと叩き、自分に言い聞かせるように気合を入れた萌里は、鞄を手に1階へ降りていった。
居間に入ると、三角巾をかぶりエプロン姿の祖父・哲郎と、料理を運んでいるユキトがテーブルに朝食を並べているところだった。
「お、やっと降りてきたか。今日はだし巻き卵と貝の味噌汁じゃぞ」
「え、おじいちゃんだし巻きなんて作れたっけ?」
「ワシじゃない。ユキトくんが作ったんじゃ」
「えぇ?! マジで!?」
ユキトは相変わらずの無表情でコクンと頷く。
「へぇーー!意外すぎる…」
「そういえば、今日は”遠足”ってじゃないの?」
「えんそ……あーーーーーー!! 忘れてたーー!!!」
萌里は頬を押さえ、青ざめた顔で大声を上げた。
「なんじゃ、朝から騒がしいのぅ!」
「ど、どうしよう… 集合時間、いつもより早かったんだ… 今、何時?!」
「七時二十分」
「えっ!? 集合は七時四十分だから……家から学校まで二十分はかかるし……ま、間に合わない!?」
「はぁ〜まったく、高校生にもなって情けないわい!」
「だ、だってぇ〜! どうしよう、どうしよう…! あっ、そうだ! ガルガンダで学校まで送ってって!」
「ばかもん! そんなことしたら大騒ぎになるわ!それに今は修理でここにはないじゃろうに!」
「じょ、冗談よ!」
ペロッと舌を出した萌里は、テーブルの前に座ると素早く合掌し、勢いよくご飯と味噌汁をかき込んだ。だし巻き卵を頬張る姿は、人気読者モデルで多くのファンを持つ女子とは思えないほど慌ただしい。
「ごちそうさま!」
「もう食ったのか? 早いのぅ」
「だって急がないと! ユキトはもう食べた?」
「作ってるときに、つまみ食いしたから大丈夫」
「じゃあ出発できるね! 行こっ!」
「わかった」
立ち上がったユキトは、黒のピッタリした半袖シャツに黒のバギーパンツという、すぐに動ける服装だ。
「転ぶんじゃないぞー!」
「はーい! いってきまーす!」
「体操着ってやつ、持っていかなくていいの?」
「……あっ! そうだった、体操服指定だった!」
「玄関の棚の上に置いといたよ」
「いつのまに?!用意周到すぎる…助かるぅ! ありがとー!」
玄関からバタバタと慌ただしい声が響き、やがて扉の閉まる音とともに遠ざかっていった。
居間でテレビを見ながら朝食を取る哲郎は、飽きれ顔をしつつも、どこか嬉しそうに口元を緩めるのだった。
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午前八時五十分。
県立青南水産高校のグラウンドには、二年生各クラスごとに用意された五台のバスが縦一列に並んでいた。
「…というわけで説明は以上です。質問ある人いますかー?」
拡声器を手に体操着姿の生徒たちへ声をかけるのは、ポニーテールが特徴的な小柄な女性教師・吉田先生。
六月初旬に退職した飛永先生の代わりに、萌里たち二年B組の担任を引き継いだばかりで、同時に学年の生徒指導も任されている。ちなみに私生活では、半年前に彼氏と別れてから登録したマッチングアプリが、今では十五個にまで増えているとかいないとか。
「はい、質問なさそうですね。それではバスに乗り込んでくださーい。これから一時間半ほど移動します。途中でサービスエリアに寄りますが、体調が悪くなったら遠慮なく言ってくださいねー!」
先生の声に従い、生徒たちはわいわいと話しながら次々にバスへ乗り込んでいった。
「…なんとか間に合ってよかった…」
萌里は重いため息をつき、ガクッと肩を落とす。
家から学校までは二十分以上。どう計算しても遅刻確定だったのだが、途中ユキトに背負われ、彼の驚異的な脚力のおかげでギリギリ集合時間に間に合ったのだ。
「すごかったなぁ…」
余韻に浸りながら、萌里は思い返す。
普通なら人を背負って走ると機動力が落ちて当然なのに、ユキトは萌里を背負ったまま、まるでふくらはぎにジェットエンジンでも装着しているかのような速度で街中を駆け抜けた。
途中では道路を大ジャンプで飛び越え、金網を駆け上がり、信号機の上を軽やかに跳び移るなど桁外れの身体能力を見せつける。当然周りで見ていた人たちが驚きの表情だったことは言うのは言うまでもない。
そして驚くべきは、それだけ動いても彼の呼吸が一切乱れていなかったことだった。
「ほーら、萌里! 乗らないの?」
背後から呼びかけられ、萌里が振り向くと、そこには長い髪と褐色の肌が特徴的な少女・宇佐美みるが、小さく手を振って立っていた。同じクラスの友人だ。
「寝坊? ギリギリだったね」
みるの後ろから、引っ込み思案そうにひょっこり顔をのぞかせたのは緒方仁菜。おかっぱ頭で、背中にはウサギの顔がついたリュックを背負っている。日焼けを嫌う彼女は、サンバイザーに加えて口元を紫外線避けの黒布で覆っていた。
「まぁ…ちょっとね」
軽くごまかしながら返事をしつつ、萌里はちらりと別の方向へ視線を向ける。
そこでは、ツンツン頭の活発そうな男子・霧崎と、伊達メガネをかけた坊主頭の精悍な男子・織田と話すユキトの姿があった。
「んで、最近どうなの?」
急に振られて萌里が目を丸くする。
「え!? ど、どうって…なにが?」
「いやいや~、いまの目線を見れば“違います”ってわけじゃないよねぇ?」
みるはニヤニヤしながら身を乗り出してくる。
「事務所の付き添いの人を見る目がね、“乙女の目”だった気がするけど~? そこんとこ、どうなのかなー? も・え・り・さ・ん?」
「白状、したほうがいい」
仁菜が小さな声で追い打ちをかける。
「ちょっ、ちょっと待って! 違うってば! そんなんじゃないから!」
萌里は慌てて手をぶんぶん振り、顔を赤くした。
それから数分後。2年生全クラスを乗せた5台のバスは県立青南水産高校のグラウンドを出発し、高速を使い1時間半かけて遠足場所へと向かうのであった。
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遠足の目的地まで向かう途中、安全運転の中1時間半の移動時間は賑やかなひと時だった。生徒一人の提案で車内に完備された巨大なテレビモニターを使い、女子グループを中心に陽気な男子達も混ざり最近流行のモノから懐かしい曲まで歌うカラオケ大会が始まった。
この2年B組というクラスは、他のところと違い男女の間に壁がなく仲が良く珍しいとされている。いわゆる陰側のクラスメイトも陽側のクラスメイトと普通に話す仲で、学生間で起きる思春期特有の人間関係のこじれのような摩擦は起きていないのだ。
「え、文化祭で?」
他の生徒が歌う中、萌里は隣に座るみるから”とある提案”を受けていた。
「青南祭のプログラムにある”野外ライブ”でバンド組んでやってみたくない?思い出に一発やっときたくない?どう?」
「いいね!やりたい!」
「決まり、だね」
「えっ、仁菜も歌うの?」
「わたし、ドラム」
前の座席から顔だけ半分だして話を聞いていた仁菜が身を乗り出し、手でドラムのジェスチャーをして見せる。
「えぇッ、できるんだ?!すっご…」
「ボーカルはアタシと萌里ね」
「やっぱり私歌なんだ…」
「さっきの効いたら楽器使わせられないよ!」
「そ、そかなぁ…」
萌里は照れ臭そうに頭をぽりぽりとかく。
「いいじゃんいいじゃん!絶対盛り上がるぜ!」
近くの席で聞いていた霧崎が振り向き、ノリ良く親指を立ててくる。
「ちょっと勝手に決めないでよ男子ィ!」
「でも楽器そろったほうがカッコよくない?」
「……まあ、確かに?」
自然と周囲も巻き込んで、バスの中の小さなカラオケ大会は、いつの間にか文化祭バンド結成会議へと変わっていく。
萌里は胸を高鳴らせながら、隣のみると顔を見合わせて笑った。
ふと、皆が話に花を咲かせる中、萌里は通路を挟んだ隣の窓際に座るユキトをチラっと見る。
窓枠に肘をつくユキトは、相変わらずの無表情で盛り上がる車内を眺めていた。
萌里は気づかれないようにユキトを盗み見る。
(……ユキトは、こういうの興味ないのかな)
にぎやかな笑い声や拍手が飛び交う空気の中でも、彼だけはどこか別の世界にいるようだった。
「ね、萌里。聞いてる?」
「え、あ、うん!」
慌てて返事をした萌里に、みるが不思議そうに首をかしげる。
「顔赤いよ?熱でもあるんじゃない?」
「な、なんでもない!」
萌里は照れ隠しに笑ってみせるが、視線はまた窓際の彼に引き寄せられてしまう。
萌里はつい視線を向けてしまう。窓際に座るユキトは、肘をついたままぼんやりと外を眺め、賑やかな車内とは別の空気をまとっていた。
(……やっぱり興味なさそう、かな)
そのとき、仁菜がふいにユキトへ声を投げかける。
「ユキトさん、楽器、できる?」
「え?」
突然の指名に、ユキトはゆっくりと視線を戻す。
「おお、いいじゃんユキト!楽器触ったことあんの?」
霧島まで身を乗り出してくる。
「楽器ってどんなの?」
「えっ、えーっと…まさか楽器を知らないのか?!」
「見せてくれたら分かると思う」
ユキトの言葉に、霧島は携帯を開き検索して出したページ画面をユキトに見せる。
「こういうのだよ!ドラムとかギターとかベースとか!」
「……」
しばらくユキトは黙って霧島の携帯画面を見ていた。
「この肩からかけて抱えてるやつ…ギター、使ったことある」
ユキトの何気ない一言に、車内は一瞬ざわめいた。
「は?ギター?!マジで?!」
「おいおい、そういうのは早く言えよ!」
「ユキトさんがギター……ギャップえぐいんだけど!」
賑やかな声に囲まれ、ユキトは首をかしげる。
そんな彼を見て、萌里は小さく笑った。
(……なんか、いいかも)
「じゃあ決まりじゃん!ボーカルは萌里とみる、ドラムが仁菜、ベースは……誰だ? で、ギターがユキト!」
「えっ、ちょ、まだ勝手に決めないでよ!」
「そうだそうだ!本人にやる気があるかどうか――」
「やる気は…」
ユキトは萌里のほうに視線を向ける。
「わかった」
短いユキトの返事に、車内がまたどっと沸いた。
「おー!ユキト参戦ー!」
「うっわ、本格的になってきたじゃん!鳥肌やばい!」
「ってか生徒じゃないけど参加できるの?!」
更に車内が盛り上がる中、ユキトは周囲の熱気をよそに再び窓の外へと視線を戻した。彼にとって「ギターを弾ける」と答えるのは、ただの事実の開示に過ぎないのかもしれない。
萌里の事務所の付き人として2年B組に毎日出入りしているので、年齢が近いのもあるがクラスメイトも段々とユキトを教室の一員として認知しつつある雰囲気はあった。
(ユキト……本当は、ちょっとだけ楽しんでるのかな)
未来の世界で長い戦争の中、ガルガンダに乗り最前線に身を置いてきた彼が――今、この賑やかな時間をどう感じ取っているのか、萌里にはわからない。
けれど、窓の外に視線を逸らしたままのユキトが指先が、ほんのわずかに動いたのを見てしまった。
それはまるで、弦を弾くような動きだったという。
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青南水産高校のバスが到着したのは、山あいに広がるミニテーマパーク「まいたけの森」だった。
大見町の特産・舞茸を全面に押し出した施設で、遠目にも奇妙な姿が目を引く。敷地中央には、てっぺんが巨大な舞茸の傘を模した高さ四十メートルのタワーがそびえ、その足元には全長五百メートルにもおよぶ滑り台のレールがぐねぐねと伸びていた。夏はプール、冬は人工芝のゲレンデ、さらに博物館やグライダー体験まで――どう見ても、遊び場の玉手箱だ。
「はーい、ではお昼まで自由時間にします! 各自、まいたけの森の敷地内で行動するように!」
拡声器を通した吉田先生の声が響いた瞬間、生徒たちは一斉に沸き立った。
「スライダー行こー!」「売店チェックだ!」と叫びながら走り出す者、さっそくタワーの前で記念撮影を始めるグループ、飲食コーナーを目指して駆ける数人――散り方はまさに蜘蛛の子そのものだった。
その喧騒の後ろで、ユキトは腕を組んだまま立ち止まり、舞茸タワーを見上げていた。皆のように駆け出す気はさらさらない。ただ、群れの熱気を少し離れた場所から眺めるように。
「ユキトはここに居るの?」
背後から萌里の声がした。振り返ると、彼女は少し不安げに立っていた。
「適当に回るよ」
「そっか……」
安堵したように微笑む萌里。
ユキトは生徒ではなく、事務所の“付き添い”という肩書きで学校に出入りしている。だから他の生徒と積極的に交わろうとしない――それを萌里は分かっていた。
「おーいユキト! ドッチボールしようぜ!」
「おいずるいぞ! たまにはC組の輪にも加わってみないか!」
割って入るように霧崎と富沢がやってきた。
富沢はバレー部副主将、涼しい顔立ちにツーブロックの髪を揺らしながら、いつもの調子で場をかき回す。
「ついでにさ、うちの部の助っ人もどう!? 田辺さんも一緒に! 女子バレー、枠あいてるよ!」
「どっちも俺は遠慮しとくよ」ユキトは淡々と首を振る。
「わ、私も! やめときます!」萌里は慌てて追従する。
「マジか~! 残念! でもまた誘うからねっ!」
富沢は大きく手を振り、台風のようにクラスメイトの輪へと戻っていった。
「……あれは積極的っつーか、押し売りだな」霧崎が苦笑する。
「確かにすごかった……私ああいうノリちょっと苦手なんだよね~」
萌里は机に突っ伏すように肩を落とす。
「悪いやつじゃねーんだ。大目に見てやってくれ!」
霧崎が肩をすくめる。
「……でも積極的に関わることはないかな」
そのとき――
「もーえりっ!」
背後から抱きつかれ、萌里が「わっ!?」と声をあげる。
みるが頬をすり寄せながら、にぱっと笑った。
「ねぇねぇ、博物館いかない? 面白そうな展示やってるんだよ!」
「いいよ!そういえば、みるって絵見るの好きだもんね」
「お父さんの影響でね! ユキト君も来る? ……霧崎はおまけね!」
「けっ、だれが行くかよ! 絵なんか見ても腹の足しにもならん! ドッチボールに戻る!」
霧崎はふてくされたように鼻を鳴らし、乱暴に足音を響かせながらいつものメンバーが待つゲレンデへ戻っていった。
「おーおー、相変わらずガキだのぅ~~」
みるは手を口に添えて、わざと大げさに笑ってみせる。
「みると霧崎って、幼馴染なんだっけ?」
萌里が首をかしげる。
「ただ家が近いだけよ。ガキっぽいとこ、昔から一ミリも変わってないね」
「聞こえてんぞーー!」
遠くから霧崎の怒鳴り声。みるは舌を出してひらひら手を振り、萌里は困ったように笑った。
その横でユキトは、何も言わずに二人を眺めていた――まるで小さな劇を見物している観客のように。
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まいたけの森の敷地内には、地方の文化遺産の調査・公開する施設として歴史資料民族博物館という施設がある。地方の豊かな歴史と文化遺産を研究・調査・保管・公開する目的で設立され見て回ることが出来るのだ。
「あ、この絵素敵!」
先頭を歩くみるが立ち止まって展示パネルを見上げる。山里を描いた日本画で、淡い色彩の筆致がやわらかい。
「へぇ、いいね。田舎の風景なのに、なんか気品ある」
萌里が少しだけ足を止める。
「でしょ! 山の緑が生きてるみたいで……落ち着くんだよね」
みるの声は自然と弾んでいた。
「このリンゴ、美味そう」
その隣にあるりんごだけが描かれた絵を見て、ユキトがぼそりと感想を述べる。
「ぶっ! そこ!?」
萌里が吹き出しそうになって口を押さえる。
「はは、さすがユキト君。美術館で一番の感想が“食欲”とか!」
みるは肩を揺らして笑いながら、ユキトの横顔を覗き込む。
「お腹空いた」
ユキトは真顔で返す。
「お前らバカだろ!」
霧崎が呆れた声をあげ、腕を組む。タイミングもあるが結局彼ドッチボールのメンバーが集まらず、萌里たちに再度合流したのだ。
「芸術ってのはそういう単純なもんじゃねーんだよ!」
「ふーん、じゃあ霧崎はどう思った?」
みるがニヤリと意地悪そうに問う。
「え? ……えーと、なんか……リンゴの皮の光沢が、リアル……」
「めっちゃ単純!!」
二人のツッコミが同時に飛んだ。
霧崎は真っ赤になって「ち、違ぇよ!」と声を張り上げ、展示室に小さな笑いが広がった。
「……ん?」
ふと、萌里は何か気配を感じて振り向いた。後ろの壁には、一枚の大きな絵が飾られている。光を浴びながら天を仰ぎ、両手を広げる女性の姿が描かれていた。
「ねぇ、この絵、なに?」
「どれどれ……あ、これは“命の女神”だね」
「命の女神……?」
萌里が小さく首をかしげる。
「神話なんだけどね。地上に降りかかった“大いなる厄災”を浄化したのが、この命の女神さまなんだって」
みるは展示パネルに目を走らせながら説明した。
「厄災……?」
萌里は不思議そうに問い返す。
「突然現れた大いなる厄災のせいで、人々は次々と倒れ、自然は荒れ果て、空は暗く閉ざされて川は濁り、作物もすべて枯れた……ほんと、世界の終わりみたいな状況だったらしいよ」
「完全に詰んでんな?」
霧崎が腕を組み、神妙な面持ちになる。
「そのときに天から舞い降りたのが命の女神。厄災を鎮め、失われていた光を取り戻し、枯れ果てた大地や木々に再び命を吹き込んだ――そう伝えられてるんだって」
「へぇ……みる、やけに詳しいね?」
萌里が感心したように呟く。
「えへへ。絵をきっかけに説明文を読んで気になって調べてたら、いつの間にか頭に入っちゃった感じ!」
みるはちょっと照れくさそうに笑った。
「……」
ユキトは無言で命の女神の絵を眺めている。
「ユキト?」
萌里が呼びかけると、彼はわずかに瞬きをして、視線を絵から外した。
「なに?」
「ジーっと絵を見てどうしたの?」
「いや……なんでもない」
そういってユキトは歩き出すのであった。
「ふーん……」
首をかしげながらその背を見送っていた萌里は、ふと下腹部に妙な重みを覚えた。
(あ……なんかトイレ行きたくなってきたかも……)
さっきまで水分を結構とっていたのを思い出す。館内に入る前、喉が渇いてペットボトルのお茶を一気に飲んだのだ。冷たい液体が体を通っていった感覚を思い返した瞬間、ますます意識してしまい、急に我慢できなくなる。
(うぅ、意識しちゃうと余計ダメだ……!)
展示を楽しんでいるみると霧崎に声をかけようか迷ったが、なんとなく「女子がトイレ行ってくる」なんて言い出しづらい。博物館の静かな雰囲気もあいまって、余計に落ち着かなくなってくる。
萌里は小さく足をもじもじさせながら、展示室の出口に貼られた案内板を探した。
(えっと……お手洗いマーク……あった! よし、ちょっと抜けよう!)
頬を赤らめながら、そっと仲間に手を振って「ちょっと行ってくる」と小声で告げると、彼女は慌ただしく通路の方へ駆けいく。
それから数十分後。
トイレの扉が静かに開き、萌里がほっとしたように姿を現した。
「はぁ……助かった……」
緊張から解放されたせいか、肩が思わずストンと落ちる。
冷たい水で手を洗ったばかりなので、まだ指先にしっとりとした感覚が残っていた。鏡で軽く髪を整えてから出てきたため、少しだけ表情が和らいでいる。
(よし、気分スッキリ。……戻らなきゃ)
そう思いながら通路に足を踏み出した瞬間――。
「わっ、ごめんなさい!」
不意に誰かと肩がぶつかり、萌里は慌てて頭を下げる。顔を上げたその先にいたのは――富沢だった。
「あ……」
「あっ、丁度よかった。田辺さんを探してたんだよ」
穏やかな声に、萌里は一瞬きょとんとする。
「え……あ、あぁ……はい。いま、時間あります」
戸惑いつつも頷く萌里に、富沢は小さく微笑んだ。
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時は遡る。
頭蓋の内側を殴りつけられるような痛みで、意識が浮かび上がった。
視界に広がるのは、蜘蛛の巣のような亀裂が走ったモニター。
まだ霞む意識の中、足元には割れたパネルやガラスの破片が散乱している。
足を動かすたびに、じゃり……と嫌な音が響いた。
「……助かった、のか」
自分の声が、妙にこもって聞こえる。
喉は焼けるように乾き、呼吸のたびに血と油の匂いが鼻を刺した。
シートのハーネスバックルに手を伸ばすが、震えた指先ではうまく力が入らない。
何とか外した瞬間、身体が前のめりに崩れ落ちる。
鈍い痛みが肩を突き上げ、思わず呻いた。
操縦席の外は薄く明るく、破損した装甲の隙間から青白い光が差し込んでいる。
――海の光だ。
コックピットの外では、数羽の鳥が空をゆるやかに旋回していた。
機体はどうやら、海岸に打ち上げられている。
ようやく状況を理解し、足に力を込めてよろめきながら立ち上がる。
右足で何度かハッチを蹴りつける。
鈍い音のあと、変形した金属が外れて転がった。
潮の匂いと、生ぬるい風が流れ込み、頬を撫でていく。
重い身体を引きずるようにして外へ出ると、そこには――
青く輝く海と、砕けた機体の残骸が横たわる、静かな浜辺が広がっていた。
「……はぁ。人生、捨てたもんじゃないね」
機体にもたれかかるようにずり落ち、浜辺に腰を下ろす。飛永は深く息を吐き、潮の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
それは生還の安堵と、どこか遠い諦めの入り混じった溜息だった。
「……どこだ、ここ。場所を調べようにも、機械はたぶんイカれてるだろうし……まいったな」
見渡す限り、見覚えのない景色。
砂浜の先には鬱蒼とした森が広がり、人の気配はない。
スカートのポケットから携帯を取り出すと、画面にはひびが走っていた。
電源ボタンを押しても、黒い液晶は沈黙したままだ。
「チッ……。まぁ、とりあえず――」
ようやく痛みに慣れた身体を動かし、飛永は立ち上がった。
コックピットのシート裏にマウントしていたライフルを外し、付属のストラップで肩に担ぎ足元に転がっていた小口径の銃を腰に装着する。
その視線が波打ち際の向こう――生い茂る森へと向けられる。
「……探索だな」
飛永は森の中に入っていく。
しばらく草木をかき分け進んでいくと、空気は一変した。
さっきまで頬を撫でていた潮風は消え、代わりに湿り気を帯びた生温い風が肌にまとわりつく。
頭上を覆う樹々の枝葉は厚く、陽光は地面まで届かない。代わりに、苔むした岩や木の根が淡く光を反射している。
「……この森。空気の匂いが違う」
木々の種類は、見慣れたスギやマツではない。
葉の形は広く、根は地表を這うように張り巡らされている。湿った腐葉土の上を踏みしめるたび、足音が深く沈んだ。
「少なくとも、日本じゃなさそうか」
飛永は立ち止まり、周囲を見回す。
鳥の声も、虫の鳴き声もない。ただ、自分の呼吸と足音だけがこの静寂を刻んでいた。
(……となると、かなり流されたか。数日は漂流してた可能性もあるな。酸素も保ったし、あの機体の密閉構造は伊達じゃないってか)
その時だった。
かすかに、草を踏む音。
飛永は即座に動きを止め、息を殺す。
足音の重さと間隔――小さい。大人ではない。
反射的に腰を落とし、音の方向に銃口を向けた。
ざわり、と茂みが揺れる。
(……来る)
指が引き金にかかる。
だが、次の瞬間――
飛永の目の前に飛び出してきたのは、泣きはらした目をした少女だった。
年の頃は十にも満たない。泥に汚れた白いワンピースを着て、怯えたようにこちらを見上げている。
「……え?」
飛永は思わず声を漏らした。銃口が、わずかに下がる。
「子供……? なぜこんなところに――」
「たすけて!」
ドゴンッ――。
少女の背後で爆発が起きた。
舞い上がる煙と粉塵を突き破って現れたのは、ドラム缶のような胴体に足はキャタピラ、砲弾のような腕を持つ人型ロボットだった。
大きさは人間とほとんど変わらない。
「チィッ! なんなんだよ、こりゃ!」
飛永はライフルを背に担ぎ直し、少女の手を掴んで走り出した。爆音が背後で連鎖した。
大地が跳ね上がり、熱風が背中を叩く。木々が爆風で弾け飛び、焼けた破片が宙を舞った。
「くそっ、どこまで追ってくるんだ!」
飛永は少女の手を強く引き、森の中を駆け抜ける。息を吸うたび、焦げた土と火薬の匂いが肺に突き刺さる。
背後で、地面を走るキャタピラの音が近づいてくる。
少女の小さな手は冷たく、震えていた。裸足の足がぬかるみに取られ、泥が跳ねる。
それでも彼女は必死に走っていた。
「あ――」
そのとき、少女がふらつきながらも前を指差した。
木々の隙間、岩の根元に、黒い裂け目のようなものが口を開けている。
湿った空気がそこから流れ出ていた。
「あそこか!」
その一言で、飛永は躊躇なく飛び込んだ。岩壁の中に体を押し込み、少女を抱えるように転がり込む。
次の瞬間、外で閃光が弾け、轟音が大地を震わせた。
熱風が洞窟の入口を舐め、砂と灰を吹き込む。
「ふぅ…」
飛永は息を殺し身をひそめる。普段なら一人で戦えるのだが、今は守るべきものを抱えており、状況は間違いなく飛永のほうが不利なのだ。
しばらくののち、キャタピラの移動音が遠ざかり、やがて静寂だけが残った。
「……はぁ、危なかった」
飛永は背中を壁に預け、深く息を吐く。
耳の奥でまだ鼓膜が震えている。
「大丈夫か?」
「……うん」
「さっきのロボットはなんだ?君を襲ってたみたいだけど…」
「わかんない…水を汲みに行ってたら急に襲われて逃げてきたの…」
「水?この近くに住んでるの?」
「うん、近くに村があってそこに住んでるの」
「そっか…怖い目に合ったね」
しゃがんで少女と同じ目線で話していた飛永は頭をなで、やさしく少女を抱きしめる。少女は飛永に言葉にこくりと頷き、目には涙が残っていた。
薄暗い洞窟の奥で、ふたりの呼吸音だけが響く。
「さっきのやつはどっか行ったみたいだ。もう平気だと思うんだけど…一人で」
いいかけて、少女は飛永の手を掴んだ。その目は、涙こそないが不安に満ち溢れているのがわかった。
「……一人は、やだ」
声は掠れていた。今にも壊れてしまいそうなほど弱々しい声。
飛永はその手を見下ろした。小さく、冷たく、泥で汚れた指先。震える手が、必死に自分を掴んで離さない。
「……わかった。しばらくここで休もう」
そう言って、飛永は洞窟を見回す。人が入れるほどの大きさの空間で、先は真っ暗で見えないが奥に続いているような雰囲気がある。
湿った空気の中で、水の滴る音が一定のリズムで響いていた。
「名前、聞いてもいい?」
「……リナ」
「リナ。いい名前だね」
少女―リナはうつむいたまま、小さく「ありがとう」と呟く。
「いいよ別に。さて、これからどうしたもんか…」
飛永は腰のポーチから小型のライトを取り出し、慎重にスイッチを入れる。薄闇の中に細い光の筋が生まれ、洞窟の奥を淡く照らし出した。
その光に導かれるように、彼はリナの手を取って歩き出す。
「どこか別のところに繋がってたらありがたいんだけどねー…」
足音が、しんとした空間に反響する。
水滴の落ちる音が時折混ざり、まるで洞窟そのものが呼吸しているようだった。
岩壁には白く霞んだ鉱石が散らばり、ライトの光を受けて幽かな虹色の光を返す。
その光が二人の影を揺らしながら、暗闇の奥へと導いていった。
数分ほど歩いた先で、道はふいに途切れた。
「やっぱり行き止まりか…」
重いため息をつき、肩を落とす飛永。
だが――ふとライトを動かした瞬間、壁の一部に奇妙なえぐれを見つけた。
岩肌に混じって、何か異質なものが埋め込まれている。
「……なんだ、これ」
近づいて手を伸ばすと、指先に伝わったのは岩のざらつきではなく、冷たく滑らかな感触だった。
よく見ると、岩の線が不自然に直線的で、そこだけが機械で削り取られたように見える。
まるで自然の中に“誰かの意図”が刻まれているかのように。
「……自然のものじゃない」
その瞬間、
カチリ――と、金属が嚙み合うような音が指先から響いた。
同時に、洞窟の奥で微かな振動。
空気がわずかに震え、壁のひび割れから青白い光が漏れ出す。
やがて、光は糸のように走り、岩壁全体を静かに包み込んだ。
「……!」
飛永が反射的に銃を構える。
だが敵影はない。
代わりに、天井と壁を走る光の筋が脈を打つように明滅し、やがて空間そのものが青く呼吸を始めた。
「……おいおい、なんだいこりゃ」
光が導く先には、岩ではなく金属が現れていた。
透き通るような管が壁の中を通り、微かに流体が流れている。
古びているのに、どこか有機的で――まるで洞窟の中に、眠る巨大な機械の臓腑が露出しているかのようだった。
「気味が悪いな……」
それでも飛永の目には、恐怖よりも強い好奇心の光が宿る。
彼はリナを伴い、通路の奥へと踏み入れた。
足を踏み出すたびに、カツン、と硬質な音が響く。
床は金属とも石ともつかぬ感触で、踏みしめるたびに微かに反響する。
「なんで洞窟の中に、こんな場所が…」
光の壁が静かに二人の影を映し出す。
空気が薄く澄み、冷たいのにどこか生ぬるい。
現実感が遠のき、まるで夢の底を歩いているようだった。
どれほど歩いただろう。
やがて通路の先が広がり、二人の前に円形の空間が現れる。
中央には、淡く光を放つ円盤のような物体が、音もなく宙に浮かんでいた。
「……浮いてる?」
飛永がライトを近づけると、円盤の縁がほのかに脈動し、光が波のように広がった。
足先で軽くつつくと、円盤は反発するようにふわりと浮き上がる。
空気の振動が肌をくすぐり、どこからともなく微細な機械音が鳴った。
「……乗れそうだな」
そうつぶやき、飛永はリナを抱き寄せながらそっと上に乗った。
すると、円盤はわずかに震え、ゆっくりと沈み始める。
「ひゃっ……!」
リナが驚き、思わず飛永の腰にしがみつく。
飛永は困惑の表情を浮かべつつも、反射的に彼女を支えた。
青白い光が二人の輪郭を包み、足元の景色が静かに下へと遠ざかっていく。
音はほとんどなく、ただ空気がゆるやかに流れる。
まるで、地の底に眠る神の胎内へと、導かれていくかのようにゆっくりと降下していく。
光に包まれた空間の中、上下の感覚が曖昧になっていくほどの静寂。
風の音もなく、ただ周囲に満ちるのは、深い深い“静けさ”だった。
どれほど降りたのか、時間の感覚が消えかけたころ――
ふいに、視界がひらけた。
「……な、なんだ、ここ……」
そこは、底の見えない巨大空洞だった。
天井も壁も、まるで夜空のように暗く広がり、その間を無数の金属の橋梁とパイプが縦横無尽に走っている。
それらは星座のように点滅し、青や白の微光を絶え間なく瞬かせていた。
そして、その中央――
闇の中に、巨大な影が浮かんでいた。
長さ数百メートルはあろうかという艦影。
鈍い銀色の外殻は無数のワイヤーによって天井から吊るされ、静止したまま、まるで空中に封じ込められた亡霊のようだった。
艦体の表面には亀裂が走り、黒焦げたような痕が点在している。かつての戦闘の爪痕かもしれない。
だが、それでもなお――その造形は美しかった。
有機的で滑らか、まるで“生き物”が金属へと変じたかのような曲線。
リナが息をのむ。
「……船……?」
飛永は答えられなかった。ただ見上げ、圧倒されていた。
――これが、人間の作ったものなのか?
自分たちの文明が築いたどんな艦船よりも、あまりに洗練されすぎていた。
表面に刻まれた無数の光紋は、まるで祈りの文字のように脈を打ち、今なお微かに生きているかのようだった。
円盤はそのまま艦の下層をくぐり抜け、さらにゆっくりと下降を続ける。
光が徐々に変化し、蒼白から深い琥珀色へと移り変わる。空気が重く、わずかに熱を帯びていくのがわかった。
そして――
視界の底に、再び“影”が現れた。
だがそれは船ではない。
動かぬまま沈黙を保つ、巨人だった。
人の形をしている。
だが、その大きさは常識を超えていた。
立ち並ぶそれらの像は、ひとつひとつが百メートルを優に超える。
まるで神殿に並ぶ守護像のように整然と立ち並び、その全身は灰白色の装甲で覆われている。
頭部には無数の管とケーブルが伸び、天井に接続されていた。光が断続的に流れ、まるで機械の血流のように明滅している。
胸の中央には、淡く光る円環のエネルギーコア。
そのひとつひとつが、鼓動のように“生きている”のが分かる。
「……ロボット…?」
リナが震える声でつぶやいた。
飛永は無言のまま見上げた。
百メートル級の巨体が何十体も整列し、永遠の眠りについている光景は、神殿というよりも――墓所という表現がふさわしいだろう。
しかし、その姿はあまりに荘厳で、恐ろしいほどの静謐さを湛えていた。
上方から降り注ぐ光が、巨人たちの装甲を淡く照らす。
その光が、まるで“過去の栄光”を弔う聖火のように揺らめいていた。
「……この場所、なんなんだ……?」
飛永の声は、広い空間に反響して消える。
リナは小さく首を振った。
「そういえば村の人たちから聞いたことある……この地には“神の軍勢”が封じられているって」
その言葉が静寂に吸い込まれ、再び沈黙が訪れる。
二人を乗せた円盤は、ゆるやかにその巨人たちの間を滑るように通り抜けていく。
まるで、忘れ去られた神々の廟を訪れる巡礼者のように――。
どこからともなく、低く長い金属音が鳴り響いた。
それは風か、あるいは機械の呼吸か。
静止しているはずの巨人たちが、まるでその音に呼応するように、わずかに光を強めた気がした。
リナが飛永の腕を強く握る。
「……いま、動いた……?」
飛永は答えられなかった。
しばらくると下降が止まると同時に、低い圧力音が響いた。
扉が開いた先には、放射状に無数の通路が広がる空間――直径百メートルはあろうかという巨大な中枢室が広がっていた。
壁面は白銀の合金で覆われ、ところどころに未知の光素パネルが埋め込まれている。
まるで電脳内部を歩いているような静謐な輝き。音が吸い込まれ、空気そのものが制御されている感覚だった。
「……どこだ、ここ……」
飛永の声は薄く反響して消えた。
「んー…こういう時は勘で」
腕を組み少しだけ考えた結果、自身を信じることにした飛永はリナの手を引いて、奥の通路を進むことにした。
やがて視界が開け、霧のような白光の向こうに“それ”は現れた。
――格納庫。
高さ百メートルを優に超えるドーム状の空間。
壁一面を覆う吊架リグから、鋼鉄のアームが何十本も伸びている。
そして奥には、無数の巨大な人型のロボットがワイヤーで整列する形で宙吊りにされていた。
「これは…」
飛永は宙吊りにされているロボットの姿に、何処か既視感があり脳内で思考がフル回転する。
「似てる、あのロボットと…」
脳内に蘇るのは、恐らく数日前。完璧なまでに敗北を喫した白いロボット、ガルガンダ。宙吊りになっているロボットたちの身に着けている装甲や武装は違えと、むき出しになったフレームの形は酷似している。
「ここは一体、なんなんだ…」
宙吊りにされたロボットの群れを回しながら格納庫の通路を歩く飛永は、ふと一番奥に鎮座する一体の機体が視界に入る。
腰に重みを感じた。視線を落とすと、怯えるリナは飛永に縋るようにくっついていたのだ。まだ10歳もいかない幼い少女が、こんな得体の知らない場所に偶然にも来てしまったのだから、怖いのも当然の反応である。
飛永は優しくリナのことをなでると、手を引いて歩き出す。
宙吊りの群れの奥――まるでこの場所全体の“主”のように、一際大きな影が鎮座していた。
他の機体とは異なり、補助アームもワイヤーも外され、巨大な支柱の上に直立したまま静止している。
全高はおそらく二十メートル近いだろうか。装甲は鈍い灰色の光沢を放っていた。無数のパネルラインが身体を走り、その隙間から淡い青光がゆらめいている。
「ん?」
近くまで来て機体を眺めていた飛永は、開いたハッチの前で立ち止まった。
低く規則的な音――まるで心臓の鼓動のように、機械でありながら生体的なリズムを刻んでいた。
「……動くのか?」
呟きながら、飛永はハッチに手をかけ、そっと足を踏み入れる。
内部は予想以上に広く、透明な強化クリスタルの床が光を反射して淡く輝く。
そして中央には座席が鎮座していた。
人間の体に沿ったフォルムで設計され、柔らかく見える表面は、圧力や重さを自動で調整する素材で構成されている。
座席の前には大型のメインディスプレイが浮かぶように設置され、数種類の光素インジケーターが情報を流していた。
さらに驚くべきはその周囲――360度全天周モニター。
周囲全てを映すこのスクリーンは、格納庫の全体、吊られたロボットの配置、天井の構造、さらには遠くの通路までをまるで目の前にあるかのように映し出している。
光は柔らかく、それでいて明瞭に物体の輪郭を浮かび上がらせ、床に反射して幻想的な空間を演出していた。
飛永が座席に近づくと、内部の光が反応した。
モニター上に微細な青白い線が走り、座席周囲に浮かぶ光粒がゆらゆらと振動する。皮膚の感覚がかすかに刺激され、誰かに視線を感じるかのような錯覚に陥った。
――その瞬間、胸部装甲の内側から、低い電磁波の唸りが響いた。
床下のケーブルや支柱が共鳴し、微細な振動が足元に伝わる。
モニターには、座席を中心として青白い光が螺旋状に集まり、全方向から飛永を映し出す。
「……うっ……!」
反射的に後ずさる飛永。
リナが怯えて彼女にしがみつく。
しかし、座席の光は攻撃的ではなく、むしろ周囲の環境を“読み取る”かのように、静かに脈動を続ける。
光が一点に集中し、メインディスプレイに文字列が浮かび上がる。
【認証開始──対象未登録】
【生体情報スキャン──】
【環境認識──完全】
同時に、全天周モニターに格納庫全体の景色が映し出される。
吊られたロボットの姿も、天井の構造も、床下の支柱も、まるで目の前にあるかのようにくっきりと映る。
「起動した……あっ、乗って!」
咄嗟に飛永は、コックピットの外にいるリナに手を伸ばす。リナは一瞬怯えたが、飛永の真剣な表情を見て手を差し出した。
彼女の手に導かれ、リナはコックピット内へ滑り込み、自然と膝の上に座った。
飛永は操縦桿を握りながら、そっと声をかける。
「せまいね、ごめん」
「お姉ちゃん、おっぱい大きい!」
リナは無邪気に背中で体を前後に弾ませ、遊ぶように飛永の胸にぶつかる。
「こらこらっ!」
はにかみ照れくさそうに注意しながらも、飛永は手を伸ばしてリナを軽く支える。
膝の上の小さな体の感触に、自然と笑みがこぼれた。
その時だった。
ドゴォン――!
横の壁が爆発したかのように吹き飛び、粉塵が舞い上がる。
「なに?」
飛永が声を上げる間もなく、粉塵の中から巨大な影が現れた。
全高はおそらく二十五メートル前後。
装甲は黒鉄のような鈍い光沢を帯び、表面には無数の機械的な刻印が走る。
腕部は人間の比ではない太さで、関節には複雑なギアや油圧アクチュエーターが剥き出しになっており、まるで鋼鉄の巨人が生きているかのように見える。
頭部は角ばった兜のような形状で、中央には一対の赤く光るセンサーがぎらりと瞬く。
その光は、まるで飛永とリナの存在を正確に捕捉しているかのように、コックピット内まで視線が届く。
低く、唸るような電磁波の音が全身を包む。
周囲の空気が振動し、床の強化クリスタルも微かに軋む。
その唸りは単なる音ではなく、意思を持った存在が発する圧力のようで、飛永の胸に重くのしかかる。
「…おいおい、次から次へとなんなんだってんだ!」
片目をすがめる飛永は少し口角を上げる。
*********************************************************
再び時は現在。
トイレ前でばったり富沢に遭遇した萌里は、彼に呼び出され博物館裏に来ている。博物館の裏手は、来館者の足音も届かない静かな場所だった。
萌里は少し足を止め、深呼吸してから富沢の方を見る。
「……あの、話ってなんでしょうか?」
少し声が震え、警戒の色が混ざる。心の中では、いやな予感がくすぶっていた。
男子に呼び出されて二人きり――こういう状況は、アレしかない。
富沢は少し顔を赤らめ、萌里の視線をまっすぐに受け止めた。
「えっと……その、ずっと言いたかったんだけど……田辺さんのことが――」
言葉が途切れ、萌里の心臓が一瞬止まる。
――やっぱり、告白か。
微かに首を振り、萌里は口元にかすかな笑みを浮かべた。
「ごめんなさい、富沢くん……」
萌里の穏やかな声に、一瞬うつむいた富沢。
しかしその表情は、すぐに変わった。
目の奥に鋭い光が走り、頬の筋が緊張する。
口元にはかすかな笑みが浮かぶが、それは以前の柔らかい微笑みとはまったく違う――冷たく、執着と怒りが入り混じった笑みだった。
「…ふざけんなよ」
その言葉と同時に、富沢の腕がぐっと伸び、萌里の肩に迫った。
萌里の背中に冷たい空気が走る。心臓が跳ね、全身の毛穴が引き締まる。
「えっ、なに…や、やめて……!」
咄嗟に後ずさる萌里。
だが富沢の体格と距離感は圧倒的で、逃げ道はすぐに狭まる。
その目の光はまるで、獲物を捕らえた猛獣のように鋭く、萌里の全てを見透かすかのようだった。
「雑誌で見た時からだ、好きになったのは!それから毎日追いかけた!同じ学校だったのを知ったときは興奮した…おかげで君の下駄箱の中靴の匂いを嗅ぐ性癖までついてしまったよ…へへっ」
表情はまさに性欲にかられた獣のごとく。声にこもる熱量が重く、空気まで振動する。
萌里の足は震え、頭の中が真っ白になるが、恐怖が判断力を鈍らせはしなかった。
心の奥で、「今逃げなければ!」――強烈な直感が走る。
「だ、誰か……誰か助けて!」
叫び声と同時に、萌里は腕に力を込めて富沢の手を振り払い、全力で後ろに飛び退く。
砂利の音が耳をつんざく。足元を蹴るたび、石が砕ける感触が脳裏を刺激する。
背後から迫る富沢の影。
「待てぇ!」
叫び声が耳に突き刺さる中、萌里の足は石畳に滑るように叩きつけられる。心臓が爆発しそうに脈打ち、息は荒く、肺が悲鳴を上げる。
――このままじゃ、捕まってしまう……!
恐怖の中で、負の感情が濁流のように脳内をかけめぐる。足がすくみ、今止まれば確実に終わる。
ふと、脳裏に浮かび上がる人物の姿があった。
「あぁ…」
その人物は普段何を考えているかわからない、無表情で読み取りずらい。けれどいつも近くに居てくれて守ってくれる。
「ユキト……!」
小さく、嗚咽交じりに名前を呼ぶ。
声は震え、嗚咽は切なさと恐怖を伴って裂けるように響く。
次の瞬間、富沢の手が萌里に迫る。
腕が絡みつくように肩を捕まえ壁に叩きつけ、体を押し込む力が強まる。
「や、やめ……っ!」
悲鳴が喉を裂ける。強引に胸を触り体操服の裾が引っ張られ、肌に冷たい感触が伝わる――このままでは……!
萌里の目に涙が溢れる。恐怖と絶望が混ざり、全身の力が抜けそうになる。
――もう、どうしたら……。
力では勝てない、体は取り押さえられている。抜け出せる余地もない。この場を脱する方法は、萌里にはなかった。
そのとき、足音が後ろから響いた。
軽快で、しかし確実な踏み込み。
「――っ!」
影が駆けてくる。無表情ながらも、圧倒的な存在感。
萌里の頭に浮かんだその姿が、現実となって眼前に現れる。
「なにやってるの?」
その声は低く、鋭く、振動する空気にまで重みを持たせた。富沢の手が萌里を押さえようとした瞬間、ユキトが割り込む。
肩をがっしりと押さえ、萌里との距離を確保。
「うっ……!」
富沢は驚き、バランスを崩す。助けに入ったユキトの目の光は冷たく、まるで氷のように鋭い。
「なにやってたの?」
ユキトの声は低く、静かに重く響く。周囲の空気が一瞬、張りつめるように振動した。
富沢は手を離し、思わず後ずさる。顔は青ざめ、唇をかみしめながら必死に言葉を探す。
「え、えっと……その、ちょっと……!」
しかしユキトの視線は鋭く、まるで富沢の心の奥まで透視するかのようだ。背筋に冷たい圧力を感じ、言葉が喉に詰まる。
萌里はまだ肩を押さえられた余韻に震えていたが、ユキトの存在を目にし、体が少しずつ緩む。涙で滲んだ視界の中、守られているという感覚が胸に広がった。
「なにしたの?」
ユキトが再度訪ねる。その圧を前に、富沢は既に圧倒されてしまっていた。
「わかった……わかったよ……」
富沢は諦めたように肩を落とし、ゆっくりと後ずさり立ち去っていく。その目に怒りと焦りが交錯するが、ユキトの視線には抗えないことを本能で悟ったのだった。
「あ…りが…う」
萌里は嗚咽を漏らしながらユキトにお礼を述べる。声は震えていたが、安堵と感謝が混ざった切実な響きだった。
そしてユキトは無言で萌里の傍に歩み寄りしゃがみ込むと、ぽんぽんっと頭を優しくなでるのであった。
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再び時は遡る。
「ヂィ、なんだこいつ! 全然思い通りに動かねぇじゃんか!」
格納庫に響き渡る、鋼鉄同士の衝突音。
恐らくこの場所の番人たるロボットの俊敏な蹴撃攻撃を、飛永は灰色の機体で受け止めながら戦っていた。しかし、反応の速さと重量感に圧され、思うように操縦できず苦戦を強いられる。
「どうなってんだ……まさか!」
背中から射出されるミサイル群を、角に身を隠してかわす飛永。メインディスプレイに手を伸ばし、必死にOSコンソールを展開する。
「やっぱりか……OSの設定が完了してない。そりゃ動かしにくいわけだ……」
原因を突き止めた直後、小型ミサイルが灰色の機体を追撃して襲いかかる。
「ぐっ……! 戦闘しながらOS設定?!無理に決まってるだろ! 詰みすぎだって!」
叫び声とともに汗が額を伝い、飛永はコックピットのパネルを叩き操作する。
機体が軋み、轟音が耳を打ち、灰色の装甲の隙間を縫うミサイルの閃光が、まるで死のダンスのように飛び交った。
番人のロボットは両腕に装着した回転刃を射出する。ブーメランのように飛んでくる刃を、灰色の機体は必死に回避する。
しかし、戦闘を続けるうちに、機体の反応は徐々に最適化されていく。足の動きが正確に地面を捉え、腕の旋回が滑らかになり、ミサイルを避ける軌道も直感的に補正されていく。
「よし……少しだけ動きやすくなった……!」
息を荒くしながら、飛永は戦闘の中でOS設定完了を目指し、灰色の巨体を駆使して戦い続ける。しかし、動きにはまだわずかな隙が残る。
その一瞬を見逃さなかった番人のロボットは、鋭い勘で間合いを詰め、灰色の機体の腹部めがけて肩を叩き込む。
「ぐっ!」
衝撃が機体内部に伝わり、膝に座らせているリナを庇う飛永の体が思わず押し込まれる。金属の軋む音とともに、装甲の繋ぎ目が歪む感覚が手に伝わった。
番人のロボットはさらに重心を乗せ、押し込む力を増す。灰色の機体の脚がわずかに浮き、地面を蹴る力が制限される。飛永は咄嗟に腕で反撃しようとするが、回転刃やミサイルの猛攻も絶え間なく襲いかかる。
「くそ……上手く動けないのをいいことに!」
汗と緊張で額が濡れ、視界がわずかに揺れる中、飛永は冷静にOSパネルを操作し続ける。
機体はまだ完全ではないが、反応速度が徐々に回復しつつあった。
「今だ……!」
咄嗟に足の動きを修正し、重心を入れ替える。灰色の機体がきしむ音を立てながら体勢を立て直し、肩タックルを受け止めつつも、次の瞬間には地を蹴って番人ロボットとの間合いを開けた。
格納庫の空気が振動する。鋼鉄の巨体同士がぶつかり合う金属音と、火花の閃光。
灰色の機体のOS光素パネルが脈動し、青白い光がコックピットの内部を断続的に照らす。飛永の瞳にはその光が映り込み、まるで戦場と一体化したように輝いていた。
「このままじゃ拉致があかない……武器、武器があれば!」
焦りを押し殺し、パネルを操作する指先が走る。
武装コンソールが立ち上がり、モニター上に展開されたリストの一つが淡く点滅する。
「……へへっ」
口元がわずかに吊り上がる。
フットペダルを踏み込み、スラスターが咆哮を上げた。
灰色の機体は床の鉄板を焦がしながら滑り込み、背後の武器ラックへ急速に接近する。
その間――背中が、完全に晒された。
番人ロボットの光学センサーが赤く点滅。
「警告」音のような電子ノイズを鳴らしながら、全身の装甲が展開していく。無数のハッチが開き、ミサイルポッドがせり上がった。
次の瞬間、白光と爆音。
――ドゴォォォンッ!!!
数十発のミサイルが一斉に放たれ、格納庫全体が爆炎と衝撃波に包まれる。
炎が吹き上がり、床が抉れ、鉄骨がねじ曲がる。
熱と煙が渦を巻く中、番人ロボットは冷たく戦場を見据えた。
灰色の機体は――完全に飲み込まれたように見えた。
しかし、粉塵が静かに揺らいだその刹那。
――ヒュン、と空気を裂く音。
一閃の閃光が煙幕を貫いた。
次の瞬間、番人ロボットの頭部に風穴が空く。
青白い閃光の尾が一筋、煙の中を走り抜けて消えた。
沈黙。
そして、ゆっくりと崩れ落ちる番人ロボット。
粉塵が晴れたその向こう――
焦げた床を踏みしめる灰色の機体が立っていた。
構えているのは、身の丈ほどもある長銃。銃身の内部には、まだ熱の名残が赤く滾っている。
飛永が小さく息をつき、笑う。
「……人生、捨てたもんじゃないね」
OS光素が低く脈動し、その言葉に呼応するように灰色の機体の輪郭が闇に浮かび上がった。
メインディスプレイの輝度が一段階上がる。中央に浮かび上がる文字、冷たい起動音声。
《OS設定完了――機体ID、認証成功。認識完了》
低く重厚な電子音がコックピットを震わせ、灰色の機体の内部で圧縮空気が解放される。各部の油圧が順次オンライン化していく音が、まるで心臓の鼓動のように連動し始めた。
《機体名――"ARGUS"(アルゴス)》
ディスプレイに浮かび上がったその名に、飛永の瞳がかすかに見開かれる。まるで呼びかけに応じるように、灰色の機体の眼部センサーが青白く閃いた。
一瞬、空気が震える。まるで何か“意志”を持って、機体そのものが呼吸を始めたかのように。
「アルゴス。それがこいつの名前か……あ」
飛永は自身の膝の上に座るリナの様子が気になり、視線を落とす。彼女もまた、キョトンとした表情で見上げていたので飛永は操縦桿から手を放し、小さな頭を優しくなでる。
「どうやってここから脱出するか…」
飛永は深く息をついた。
灰色の巨体――アルゴスのコックピット内には、まだかすかに焦げた金属とオゾンの匂いが漂っている。
先ほどまでの戦闘による動力炉の熱気が、まだ生きていた。
モニターの端に、外部カメラの映像が幾つも切り替わる。
爆風でひしゃげた鉄骨、煙を上げる番人ロボットの残骸、そして――
その奥に、何かがある。
「通路……あの爆発で開いたってわけか」
飛永は苦笑し、モニターを拡大する。
煙の奥、崩れた壁の隙間からは、青白い光が漏れていた。
人工照明とは違う、もっと深く澄んだ、機械と自然の境界を越えるような光。
飛永は操縦桿を握り直す。
「長居は無用ってね」
スラスターを軽く噴かし、アルゴスがゆっくりと動き出す。
機体の足音が格納庫に反響し、崩れた鉄骨を踏みしめるたびに低く軋む。
アルゴスが散らばった大きな瓦礫をどけて続いている通路を進むと、その先には螺旋状に真上と続く昇降路が現れた。
吹き抜けのような縦穴の底から、淡い光がゆらめいている。
空気がひどく冷たい。だが、その奥から感じるのは、確かに“動力の鼓動”だった。
「……行こう」
飛永の声に、アルゴスの脚部が静かに動き出す。
薄闇の中、青白い光を帯びた機体がゆっくりと天に向かって上昇していく。
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時は再び、現在へ――。
昼過ぎの「まいたけの森」には、生徒たちの笑い声が戻っていた。
昼食を終えた二年生たちは、思い思いに園内を散策し、土産屋をのぞいたり、木製の遊具で遊んだりしている。
陽射しは穏やかで、森を吹き抜ける風が、昼下がり特有のまどろみを運んでいた。
その中に、萌里の姿もあった。
一見、他の生徒たちと変わらず笑ってはいたが――その笑顔の奥には、わずかな影が差していた。
先ほど起きた富沢による強姦未遂のことを、彼女は教員たちには話していなかった。
報告しようか、一瞬は迷った。
だが、遠足を台無しにしたくなかったのだ。せっかくの楽しい日を、誰かの暗い話題で終わらせたくない。
それが、萌里の出した答えだった。
ただ、心の中に閉じ込めておくには重すぎた。
だから――萌里は、みると仁菜にだけ打ち明けた。
二人は驚きと怒りを見せたが、それ以上に「大丈夫だったの?」と、心配そうに萌里の手を握った。
その手の温もりが、今もまだ指先に残っている。
萌里は遠くの芝生で走り回るクラスメイトたちを眺めながら、胸の奥で小さく息をついた。
何事もなかったように過ぎていく午後。
けれどその穏やかさの裏に、彼女だけが知る“ひとつの秘密”が静かに横たわっていた。
「はい、これ」
視界の前に突然カンジュースが現れた。よくみると、みるが自販機で買ってきたオレンジジュースを萌里に差し出している。
「ありがと…」
「いいよいいよ。ユキト君は?」
「あそこで霧崎達とドッヂボールしてる。この距離なら、何かあっても大丈夫だろうし…」
「まぁ、あんなことがあったら完全に一人…は、キツイよね」
カシュっと缶のふたを空けるみるは、サイダーのジュースを一口飲む。
「噂には聞いてたけど、富沢やばいね…この前1年にも同じような事してたって噂で聞いたんだよね」
「マジ?勘弁してほしい…ほんときつい」
萌里は重いため息交じりに肩を落とす。その様子は、完全にぐったり疲れ切った様子だった。
「けど、ユキト君がすぐ来てくれてよかったよね…」
「うん。ホントに、助かった」
「ところでさ…」
「うん?」
みるは横目でちらっと見ながら続ける。
「富沢に襲われた時、誰の顔思い浮かべた?」
「顔…?」
顎に手を当て萌里は考える。
「人ってさ、身の危険を感じた時に――本能的に“助けてほしい人、好きな人”の顔が浮かぶらしいよ」
みるは缶を指でくるくる回しながら、軽い調子で言った。けれど、その瞳の奥には冗談めいた色はない。
萌里は一瞬、目を伏せる。
浮かんだのは――あの瞬間、誰よりも早く駆けつけてくれた彼の姿。
血の気が引いた顔で、息を切らしながら、倒れた富沢の前に立ちはだかったユキト。
無意識に、その光景が脳裏に蘇る。
「……ふえ」
ぽつりと呟いた声は、まるで自分の耳にだけ届くような小ささだった。
そして瞬く間に、ぼんっと顔は真っ赤に染まっていく。
「だよね」
みるはにやりと笑い、空き缶を軽く振ってみせる。
「やっぱ、そういうのって出るもんなんだよ。頭で考えるより、体が反応するっていうか」
「ち、ちちちち、違う!違うから!!」
腕をブンブン振る萌里は全力でごまかす姿勢に入る。
「ただ、助けてくれたのがユキトだったってだけで…」
「ふーん、そういうことにしといてあげる」
みるは意味ありげに笑い、視線をユキトの方へ向けた。
芝生では、ユキトが霧崎たちとドッヂボールをしていた。
全力でボールを投げるその姿は、まるで先ほどの出来事など何もなかったかのように――。
「ねぇ、萌里」
「ん?」
「ユキト君ってさ、やっぱちょっと普通じゃないよね」
萌里はその言葉に首をかしげる。
「普通じゃないって?」
「なんていうか……雰囲気。あの人、目がすごい時あるっていうか」
みるは言葉を選ぶようにして言った。
いつの間にか現れた仁菜もその会話に合流し、缶コーヒーを片手に小さくうなずく。
「うん、わかる。時々、雰囲気、怖い。優しいけど…心のどっか、閉じてる感じ」
萌里は缶を見つめたまま、ゆっくり口を開く。
「……昔いろいろあったんだと思う。本人は何も言わないけど」
「いろいろって?」
「わかんない。でも、時々どこか別の場所にいるような……私達とは違う、別の世界を生きているっていうか…」
みると仁菜は顔を見合わせた。
午後の陽光が木々の隙間から差し込み、三人の間に柔らかな影を落とす。
風が吹き抜け、どこか遠くで子どもたちの笑い声が響いた。
一見、穏やかな午後の風景。
だがその裏では――胸の奥で、言葉にできない何かが静かに波打っていた。
萌里はふと、遠くでボールを追うユキトを見つめる。
その瞳に一瞬だけ、あの時の“戦う人の顔”が重なって見えた。
「……違う世界、か」
小さく、萌里はそう呟いた。
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青々しい海の中を、巨大な物体が勢いよく駆け上がる。水流を押しのけ、泡と潮を巻き上げながら、その影は一瞬で水面を突き破った。
目に飛び込んできたのは、雲一つない青空の中で静止する灰色の機体――アルゴスだった。潮に濡れた金属が太陽の光を反射し、鋭く凛々しい輪郭を見せる。
「…そうか、ここに通じてる道だったのか」
コックピットのモニターから下を見ると、先ほど飛永が乗ってきた黒い機体の残骸が岸に転がっている場所に出てきたのだ。
「なるほど、ここはひとつの大きな島だったのか」
「ゲルテイム島っていうんだよ!」
飛永の膝の上に座るリナが元気よく答える。
(聞いたことない島だな…まぁ、世界には地図に載ってない場所なんて腐るほどあるし。別に珍しくもないか…)
飛永はそう思いながら、アルゴスの操縦桿を握り直した。背中のブースターと足のスラスターで空中に浮いている機体をゆっくり降下姿勢に切り替える。真下には、緑豊かな山並みと、海岸線に沿って打ち寄せる白波が広がっていた。
「どこかに降りれる場所は…」
モニター越しに探していると、リナは小さく身を乗り出して周囲を見回す。
「平らなところならあそこ!」
リナが指差した先には、森と岩が混ざった小さな湾が見える。砂浜が広がり、ちょうどアルゴスが降りられそうなスペースだ。
「ありがと。慎重に…慎重に…」
飛永はブースターの出力を調整し、アルゴスをゆっくりと下降させる。海面から離れ、砂浜が徐々に近づく感覚。機体の足が砂を蹴ると、細かい砂埃が舞い上がった。
「ふぅ、着陸完了…」
アルゴスが完全に停止すると、緊張の糸が途切れたのかため息交じりに肩の力を抜く。潮風に濡れた金属が太陽の光を反射し、アルゴスの外装は眩しく輝いている。飛永は操縦桿から手を離して深呼吸を一つ。
「とりあえず、君を村に送り届けなきゃね」
「…お別れ?」
リナはさみしそうに、膝の上から飛永を見上げた。
「ずっと一緒ってわけには、いかないんだよね」
「うん…」
短い時間とはいえ、飛永にとってもリナはまるで妹のような存在だった。
無邪気に笑い、時折ふと寂しげな表情を見せる――そんな姿が心に残っていた。
だが彼女には帰る家があり、自分はただの通りすがりに過ぎない。
現実は、残酷なほど冷静だった。
「……ん?」
その時、飛永の視界に異変が映る。
モニターの片隅、森の奥から灰色の煙が立ち上っていた。
「なんだ…?」
「あっち、村の方……」
リナの声が震える。
飛永は眉を寄せ、即座に操縦桿を握り直した。
フットペダルを踏み込み、アルゴスの脚部スラスターが砂を巻き上げる。
機体は木々をなぎ払いながら森の中へと進んだ。
枝葉が装甲に当たり、パチパチと音を立てる。
上昇する煙は次第に濃くなり、
「……まさか」
視界が開けた瞬間、飛永は息を呑んだ。
そこに広がっていたのは、村の面影を失った光景だった。
家屋は黒く焼け落ち、井戸の周りには倒れた荷車や壊れた道具。
地面は焼け焦げ、まだ赤々と炎がいくつかの家を包んでいる。
人の姿は――どこにもなかった。
「そんな……」
リナの小さな声が、震えるように漏れた。
彼女の瞳に、炎の揺らぎが映る。