4話:学校
色々あって、4月も終わりに差し掛かった頃。
北陸地方に位置する水産系高校、県立青南水産高校は、今年で100年を迎える歴史ある学校だ。水産系列の学校でありながら部活動にも力を入れ、多くの有名スポーツ選手を輩出。学業面でも東京の大学進学率は平均以上で、通常学科の授業にも力を注いでいる。
そんな地方で名の知られた高校に、今日、奇妙な人物が一人やってきていた。
「…えーっと、田辺さんの付き人で、名前はユキトさん、ですね」
確認したのは、萌里のクラス担任、飛永だ。ウェストが細くスタイル抜群で、人当たりもよいため男子生徒や男性教員からの人気も高い先生である。
「はいっ、事務所から来てもらったんです!見た目は若いですけど、元軍人さんなんですよー!」
「へー凄い!見た目お若そうですけど、おいくつなんですか?」
「17」
「お、お、同い年?!」
「えっと…まぁ!腕は確かなので安心してください!授業の邪魔にならないよう、教室の隅にいてもらえれば…いいですか?」
「もちろん。校長先生からの許可も下りてるし、全然大丈夫ですよ。あ、校内では必ず首から入校許可書を下げてくださいね」
「わかりました」
そう言って飛永からストラップ付きの札を受け取り、ユキトは首から下げる。彼の服装は重厚なブーツにミリタリー系ワイドパンツ、ピチっとした黒のアンダーシャツという出で立ちで、付き人としては少々異様な雰囲気を醸し出していた。職員室にいる教員たちも、ちらちらと様子を窺う。
「じゃあ、2限からだけど、授業行ってらっしゃい!確か体育だったかな?みんなグラウンドにいると思うから」
「はーい!」
「あ、それと!何かあったら気軽に相談してね?」
「はいっ、いつもありがとうございます!」
「体育?なにそれ?」
「みんなで体を動かす授業だよ」
「戦闘訓練?」
「か、かなり違うかなー?」
そんな会話を交わしながら、二人の姿は教室の奥に消えていった。見送りを終えた飛永は、ふぅっとため息交じりに肩の力を抜く。
「…同じ17歳でも、あそこまで雰囲気が違う子は初めて見たわ」
「ちょっと異様でしたよね」
隣の席の吉田が話しかけてきた。飛永と吉田は受け持つクラスが隣同士で、就任以来相談やアドバイスを交わすうちに、今ではプライベートでも親しくしている。なお、吉田は現在絶賛婚活中である。
「17歳って言えば幼いイメージなのに…あの付き人の彼の場合、こっちまで緊張しちゃうくらい、同じ年齢とは思えなかった」
「服の上からだけでも、10代の体つきじゃなかったですよね。17歳で元軍人が付き人って…田辺さんの事務所って、一体どんなところなんですかね」
「ちゃんとした所なのは違いないだろうけど…まぁ、悪い人じゃなさそうだし、生徒にも危害を加えそうな感じではなかったから安心だとは思う」
「ですよね。でも17歳か…17、うーん…17歳、年齢差10歳上、ありか?ありなのか?ありだったりする?」
「吉田先生?」
顎に手を当て、ぶつぶつ思考するポニーテールの吉田先生(29歳)。半年前に彼氏と別れ、現在絶賛彼氏募集中。マッチングアプリは既に12個登録済みである。
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場所は変わって西南水産高校、グラウンド。
数年前まではサッカー部が使う程度の広さしかなかったが、昨年、市からの急な援助で野球部、サッカー部、テニス部、陸上部が共同で使える規模に拡張された。大きなフェンスに囲まれたグラウンドでは、2年B組の生徒たちが体育の授業で種目ごとに分かれ、体力測定に励んでいた。
「えっ、萌里じゃん!2週間ぶりー!」
グラウンドに入ってすぐ声をかけてきたのは、長い髪に褐色肌が特徴の少女、宇佐美みる。体操服に身を包み、体力測定中だ。
「ちょっと撮影とかあって、全然出られなくてさー」
「人気者は忙しいね」
萌里の後ろから姿を見せたのは、おかっぱ頭で引っ込み思案の緒方仁菜。体力に自信がなく、体力測定をうまくサボっていたところだった。
「あれ、体操服は?」
「忘れた?」
「あーうん、家に置き忘れちゃったみたい」
「おいゴラ!くっちゃべってないで、さっさと測定してこい!」
遠くから聞こえた怒号に、みると仁菜は逃げるように各自の測定場所へ走って向かう。
「おう、田辺か。二年の体育も俺が持つことになった。仕事が忙しいのも仕方ないが、出られるときはちゃんと出ろよ。アイドルが留年じゃ話にならんからな!」
「アイドルじゃないってば先生!」
「似たようなもんだろう…こちらの方は?」
二人と入れ替わりでやってきたのは、指導部兼体育教員で大柄な西本。萌里の少し後ろで腕を組むユキトに気づく。
「あっ、えっと…事務所の人です。最近色々物騒なので、特別に許可をもらって付き人として来てもらってます!」
「なるほどな!最近、森林火災やロボットの暴走騒ぎもあったもんな。初めまして!」
元気よく挨拶する西本に、ユキトはコクリと頭を下げ返す。ふと足元に、どこからかソフトボールが転がってきた。
「すんませーん!うちのですー!」
遠くから声が聞こえる。振り向くと、グラウンド反対側から手を振りながら走ってくる男子生徒の姿があった。
「合同でやってるC組か。ボールはしっかり取れよー!」
大声で注意する西本の声を聞き、ユキトはソフトボールを拾い上げ、観察するようにクルっと回す。
「あっちに投げ返せばいいの?」
「え?そ、そうですが…お客さんにそんなことー…」
「わかった」
ユキトは肩をぐるぐる回し、半歩前に出ると、ボールを持った手を後ろに引き、腰の加点を最大限に使って投げる。放たれたボールは、誰も見たことのない速度と風切り音を伴い、ほぼ一直線に弾丸のような軌道を描いてグラウンドを横断、隅のボール籠に収まった。その距離、約120m以上。
「…へぇ…」
長年体育を教えてきた西本も、開いた口が塞がらない。B組生徒たちとC組生徒たちも、ユキトのとんでもない肩の強さに言葉を失っていた。
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体育の後は3時間目、家庭科実習。
水産系列の高校だけあり、家庭科でも水産物を使った調理実習が多い。萌里のクラスでは、今日の実習内容はサバの味噌煮。エプロンと三角巾を着け、制服の裾を整えた生徒たちは、慣れた手つきで準備に取り掛かる。
ユキトは教室の隅で後ろに腕を組み、静かに観察していた。
「いってぇ、やっちまった!」
目の前のテーブルで実習をしていたツンツン頭の男子生徒が、包丁で軽く指を切ったのだ。
「大丈夫か?!切ったのか?」
「平気平気、大丈夫だって!…あ、でも結構血出てるな…」
駆け寄ったのは伊達メガネをかけた坊主頭の男子生徒。周りを見渡すと、女子生徒は手際よく作業しているが、男子生徒たちはぎこちない動きだ。
目を細め、ユキトは遠い日の何かを思い出すように沈黙し、やがて動き出した。
「魚は力入れなくても切れるよ」
ユキトは包丁を手に取り、鯖を捌き始める。
「骨が当たるところを探すんだ。ポイントは骨に刃を当てながら身を切ること。切るときは力を抜き、刃を引くんだ」
滑らかな手さばきで、鯖は徐々に切り身へと変わっていく。その様子を見て男子生徒たちも集まり、女子生徒たちも野次馬となり、家庭科担当の先生までもが関心を寄せた。
「こうやって表面にバッテンを入れると火が通りやすい。あとは指示表通りにやれば完成…え?」
切り終え、ユキトは包丁をまな板に置く。気づけばテーブルの周りには萌里を含むB組生徒と担任の視線が集中し、小さな拍手が起こっていた。
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3時間目を終え、4時間目。
青南水産高校伝統行事の一つ、カッター大会がある。毎年行われるこの行事では、6人で船を漕ぎ左右3:3に分かれ、オールを一人一本持って競う。6月の授業でクラス対抗戦も行われるため、4時間目はカッター実習だ。
「ぐぉおおぉ、全然動かねぇ…!」
B組1の力自慢、柔道部所属の西園寺が、カッターの滑車を一人で動かそうと奮闘する。しかし、砂に車輪が埋まり、一人では全く動かせない。後から男子生徒たちも手伝うが、10人がかりでも微動だにしない。
「どこまで持っていけばいいの?」
そこへユキトがやってくる。
「あっ、あそこまで、海まで!」
「わかった」
ユキトは片手でカッターの滑車を押す。重すぎて動かなかった滑車は徐々に動き出し、そのまま砂浜の傾斜に沿って海に着水する。
「よし!滑車引っ張るぞ!」
西園寺が合図を出し、B組男子全員でロープを引いて滑車を浜に戻す。
滑車を移動させた後、ユキトは次に女子生徒たちの元へ向かう。重すぎて動かないカッターを押す彼の背中を、男子生徒たちは不思議そうに眺めていた。
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昼休み、青南水産高等学校の屋上にて。
「…おにぎり何個目ッ?」
普段はみると仁菜と食べている萌里だが、今日は断りを入れてユキトと一緒に昼食を取っている。ゆっくり噛んで食べる派の萌里に対し、先ほど購買で買ってきた色々な具材入りのおにぎり10個を、ユキトは10分足らずで平らげてしまった。
「10個目」
「えぇぇ?!食べるの早すぎぃ!ちゃんと噛まないと牛になっちゃうよ?!」
「動物になるの?」
「な、ならないけど!太るって意味!」
「太ったことないや」
「ぐっ。嫌味だッ、嫌味!!」
最近体重増加を気にしている萌里は、プンスカ怒りを見せる。食べ終えた二人は、屋上から景色を眺めながらデザートのゼリーを口にし、ユキトはペットボトルの水を飲んでいた。
「…意外だったな」
「なにが?」
「うーん…手助け?」
「昔のこと思い出しただけだよ」
「どんなことしてたの?やっぱり訓練とか?」
「そうだよ。死海ジャングルに半年放り込まれたり、谷底の岩を全部撤去したり、携帯食料がなくなったら動物狩って料理したり」
「どれもパワーワードすぎて頭ついていかないんだけど…!それだけ経験してよく生きていられるね?!」
「生きるために大事なことだから」
淡々と語るユキトは、残っていた焼きそばパンを大口で平らげる。今までの危険な場面や行動を思えば、その技能や身体能力が相当な努力の結果であることは誰の目にも明らかだった。萌里も、職員室を出たときに感じた、ユキトからあふれ出る只ならぬ雰囲気を思い返す。このあどけない横顔の裏には、一体どれほどの修羅場が詰まっているのだろうかと、萌里は密かに考えた。
「10月まで待ってほしいのには、何か理由があるの?」
「…えっ?!う、うん。その…実は文化祭があって。それをみんなでやりたいんだ」
「文化祭?なにそれ?」
「学校のお祭り!年に一度、全クラスが出し物をしたりステージをしたり、屋台も出て盛り上がる日なの!今年はどうしても文化祭を、クラスみんなでやりたいの…ッ!」
「それって楽しいの?」
ユキトは淡々と尋ねる。
「楽しいはずだよ!文化祭やったことないの?!」
「ないよ、学校行ったことないから」
「えッ…そ、そうなの…?」
踏み込んではいけない領域に触れたのか、萌里は内心焦り言葉を失う。思い返せば、ユキトは学校に入ってからも無表情なまま校内を珍しそうに眺めていた。その行動は、学校という文化に触れたことのなさ、生い立ちを物語っていた。
沈黙の間の気まずさを何とか埋めようとした矢先、チャイムが鳴る。
「鳴ってるよ?」
「やばっ、次の授業国語の峯田だッ。遅れるとうるさいんだよねぇ…!!」
萌里は慌ててパンの袋のゴミをまとめ、弁当の風呂敷を包む。ユキトも片づけを終え、屋上を後にしようとした時、先に前を歩いていた萌里が、屋上から校内へ通じる扉から出てきた誰かとぶつかり、弁当箱やゴミの袋をぶちまけてしまう。
「あっ、ごめんなさい!大丈夫でしたか?」
ぶつかった相手は萌里の担任、飛永。白シャツにタイトスカート、ハイヒール、ウェーブのかかったショートヘアーで、抜群のスタイルを持つ女性教員。男子教員からも人気のマドンナ的存在だ。
「あああ!すいません!」
「こっちも不注意だったから!あぁっ、こんなに散らばってしまって!」
ユキトと萌里が弁当箱やゴミ袋を拾い集めると、飛永も参戦。すぐに片付けは終わった。
「ありがとうございます!それじゃ!」
「気をつけてねー!」
飛永の声を背に、萌里とユキトは階段を駆け下り、目的の2階まで到達すると小走りで教室へ向かう。
「今のは?」
「担任の飛永先生だよ、朝会ったじゃん」
「そっか」
「ん?どうしたの?」
訪ねる萌里に、ユキトは何かを考えるように顔をしかめるも、答えることはなかった。
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放課後、青南水産高等学校。
まだ4月で日没は早く、17時40分を過ぎると校舎の周囲は徐々に薄暗くなり始めた。6時間目が16時15分に終了した萌里は、4月前半に授業を欠席していたため単位不足で補習授業を受けることになっていた。もちろんユキトも教室の後ろで見守っている。
無事補習も終わり、解放された萌里。
「きっつ…これ後3回もあるのかぁ。ちゃんと授業出たいけど、4月は色々あって無理だったんだよね。5月からは仕事以外でも登校するぞー!」
「張り切ってるね」
「当然!私だけ進級できないなんて洒落になんないもん!」
「文化祭のため?」
「それもあるけど…B組のみんな、好きだから」
「そうなんだ」
ユキトの目が何かを捉え、咄嗟に萌里を抱き伏せる。廊下に身を隠した直後、パリィンとガラスの割れる音が響く。ユキトが顔を上げると、廊下の壁に何かがめり込んでいる。
「弾…狙撃」
「えっ、ちょ、なになに?」
「狙われてる」
「え…?!」
「声はナスで」
ユキトは服の中からホルスターを取り出し、銃にマガジンを装填する。萌里はただ手で口を押さえ、首を縦に振るしかなかった。
しゃがみ込み、廊下の壁に身を寄せ低姿勢で進むユキトの後ろを、萌里は四つん這いで音を立てずに追う。十字路に差し掛かると、ユキトはポケットから丸い鏡を取り出し、暗くて見えない左奥の廊下を確認する。
鏡に映ったのは、赤い何かが移動する影。ユキトは萌里の肩を軽く叩き、指先でその場に待機するよう指示。一人で左廊下に侵入し、走り出す。
廊下の奥で赤い光が走り、同時に発砲音が響く。ユキトは姿勢を低く保ちつつ飛んできた弾丸を頭上ギリギリでかわし、スライディングで暗がりに隠れる人物の股下まで滑り込む。銃口を突きつけながら淡々と分析する。
「サイレンサー付き狙撃型ライフルか。装填には時間がかかる。そのスカートとヒールじゃ咄嗟の動きは無理だろう」
「驚いた…あの距離で弾丸を避けたやつは初めてだ」
廊下に差し込む月光が、狙撃してきた人物をゆっくりと照らす。
「うそでしょ……どうして…なんで…先生なの?!」
そこにいたのは、萌里の担任、飛永。昼間見せた優しい姿とは別人のような緊張感をまとっていた。
「距離を詰められちゃ、スナイパーとしては失格だね。生徒指導部で会ったときから只者じゃないと思ったけど…本当に雑誌事務所の人なの?血なまぐさい世界を生きてきた動きだ」
「昼間、あなたの手を見たとき、人差し指の第二関節と左手の平にタコがあった。銃を使う人間の手だ」
「あの一瞬で見抜いたの…ただの付き人じゃないね、貴方」
「なんで狙った?」
「自分が質問できるくらい、有利に立てると思った?」
ユキトが廊下の窓の外を見ると、巨大な銃口が校舎を狙って鎮座していた。次の瞬間、爆音に近い銃声が鳴り、弾丸は窓ガラスを突き破り、廊下の壁・天井・床を抉りながら夜空へと飛んでいく。
咄嗟に距離を取った飛永は、抉れた廊下を走り、銃口の上に飛び乗ると機体のコックピットに飛び込む。
数秒前。ユキトは飛永の攻撃直前、萌里を抱き寄せ教室のドアを蹴破り滑り込ませ回避。その後、通路の突き当りの壁に開いた風穴から萌里を抱え、校舎2階から外へ飛び降りた。
「今のは…」
窓の外に目を向けると、ズシンと重い足音。校舎の陰から現れたのは、黒い装甲に赤い核を持つ大型のライフルを携えた黒い影。
「アナグラの核…あれもそうか」
「先生、マジで?嘘でしょ、そんな…」
『1年前、とある少女を監視せよとの命を受け、この学校に教員として赴任した。最近、命令は監視から捕縛へと切り替わった…潮時が来たのさ』
「雰囲気が違う…別人」
『敵を欺くにはまず味方から。いい人のふりも大変だ、これでようやく素に戻れる』
「なんで…なんで…だましてたんだ…!」
萌里の目に涙が浮かぶ。1年の頃から、雑誌の仕事で授業に出られず、クラスメイトとの距離に悩んでいた。飛永に相談し、支えられて得た居場所。それが今、裏切りの相手だったとは。
『さて、まずは邪魔な君からだね』
黒いロボットがユキトに銃口を向ける。
『さすがのスーパー付き人君も、こんなの相手じゃ手も足も出ないか』
その瞬間、飛永の乗る黒いロボットを後方から首と胴体で掴む影。闇夜に浮かぶ黄色いモノアイ、白い装甲に赤い胴体、背中にはコンボウ刀を持つフレームアーマー――ガルガンダが現れ、ユキトと萌里を守るようにマニュピレーターを展開する。
片膝をつき、乗ることを促すように手を差し伸べるガルガンダ。
夜の校舎に、静かな嵐の幕が上がった。
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コックピットに乗り込んだユキトは、背中に担いでいた萌里を後部座席に座らせる。自身もシートに着席すると、天井に備えられた円形型コンソールから光が照射され、脳に直接アクセスされる感覚が走った。真下では動力炉のタービンが唸りを上げ回転している。
メインディスプレイに触れ、全天型モニターを起動。周囲の映像が一瞬にして展開される。
「飛永先生…」
萌里が困惑した声を漏らす。視線を海の方へ向けると、黒いロボットが立ち上がるところだった。
『白いロボット…なるほど、話に聞いている。破壊せよとの命も受けている』
「それで?」
『任務、遂行!』
黒いロボットは背中から丸い物体を地面に投げ捨てる。中央が割れ、勢いよく白い煙が噴出。瞬く間に周囲を覆い尽くす。
「なにこれ、全然見えない…!」
「煙幕か…ん?」
背後から空気を切り裂く音。顔を横にずらすと、コンマ数秒後にフェイスパーツすれすれを弾丸が通過。
「狙撃」
反対方向からの風切り音に合わせ、身を横にずらして回避。コックピットハッチ前ギリギリを弾丸が通り抜ける。
「この煙の中から撃ってきてる…」
「50トン近くある物体なのに足音がしない。多分、向こうはホバー移動してる」
「でもさ、条件は同じはずなのに…なんで分かるの?」
「あっちは音を消してるけど、こっちは足音とガルガンダのエンジン音で位置を把握してる。狙撃主体の機体だから演算で弾道も予測してると思う」
「不利じゃん…!」
煙幕で遮られた周囲を全周囲モニターで確認しながら、ユキトはあることに気づく。
「狙撃が来ない」
警戒しつつフットペダルをわずかに踏み、数歩進む。すると頭上を閃光が切り抜ける。弾丸だ。
ユキトはひらめき、ガルガンダを少し下がらせ、素立ちの姿勢を取る。
「え、どうしたの?」
「…」
萌里の問いを無視してモニターを観察するユキトは、背中にマウントしていたコンボウ刀を右へ放る。次の瞬間、煙幕の中から一閃、飛び出してきた弾丸をコンボウ刀で弾き飛ばす。
「そこか」
ユキトはフットペダルを全力で踏み込み、操縦桿を前に倒す。ガルガンダは背中と両足のスラスターを全噴射し前進、海へ飛び込む。メインディスプレイを操作し、ガルガンダのエンジンを停止させる。
「あれ、音が聞こえなくなった」
「大丈夫」
スラスターは噴射したまま海中を進み、旋回しながら回り込み、再び海面から飛び出す。目の前には振り返った黒いロボットが、驚きの表情で構えていた。
『ありえねぇ…!』
ライフルを構えようとする黒いロボットに、ガルガンダは左手で重心を掴み、手のひらから高速射出されるパイルバンカーで粉砕。さらに上から押さえつけ、海岸に拘束する。
『一体何をしたッ』
黒いロボットはもがくが、ガルガンダは右手をコックピットハッチに押し当て制圧する。
「最初は音で位置を把握していると思った。でも弾道はほとんどエンジンに沿ってきた。エンジン熱を利用して位置を判断していると読んだ。デコイで大まかな位置を確かめ、海に飛び込み、エンジンを停止、スラスターで背後に回り込んだ。海なら音も拾えない」
『海に入ったのはスラスター音も消すためか…。それに投げた武器で位置を判断したんだな』
「ロボットの足の長さ、機動力、クセ、弾道から次の動きを予測した。スナイパーは近距離になると動きが単調になることが多いから」
『なるほど…若いのに経験豊富だ。瞬時にできる事じゃない』
「隙があるからだ」
『何の話?』
「煙幕の中でも撃ってきたのに、とある建物の前に立つと銃撃が止まった」
『…』
「撃てなかったんでしょ、あの建物が」
ユキトの視線に従い、萌里は言葉を失う。
「教室がある校舎…」
『だからって?』
「俺達は命を賭けていた。アンタも慣れているとはいえ、一瞬の隙を突かれ、今こうなっている。負けだ」
ユキトはメインディスプレイを操作し、空気圧音と共にコックピットが展開。
「え?」
「苦手なことは話して片付ける。何か言いたいだろ?」
「え、えぇ!急にそんな…!」
戸惑う萌里。黒いロボットは両手を上げ降参ポーズ。ガルガンダが手を引き、黒いロボットのコックピットが開き、飛永が姿を見せる。
『アタシは命令で1年前ここに来た。心はスナイパー…だった。でも教師として芽生えた感情に負けた』
瞼を閉じ、飛永はこみあげる思いを噛みしめる。
『たった1年で、標的より大事なものができてしまった…』
「だったら今からでも!先生がいて心強かったです!2年B組は先生ありきなんです!」
『まてまてッ…』
飛永は我に返り、重く溜息をつく。
『……いや。校舎がある場所は撃てなかった。思い出が指に重りをかけ、撃てなかった…』
「それが答えじゃん」
ユキトは警戒しつつ言葉を続ける。
「思い出に負けたんだよ、もうアンタは人を殺せない」
『アタシは!』
「情に流されない奴が人を殺せる。情に流されるアンタは無理。中途半端な心意気で戦場に出れば命を落とす」
操縦桿を離した飛永は、自分の手を見つめる。
『手は血で汚れている…人の命を奪い、酷いこともした。今さら真っ白にはなれない』
「私達が拭います!」
萌里は後部座席から身を乗り出し、叫ぶように言った。
「一人じゃ足りないから、みんなで!だからこれからも!」
純粋な萌里の言葉に、飛永は表情を緩め、口元が微かにほころぶ。
『いいね…』
優しい声が、ガルガンダのコックピットに静かに響いた。
次の瞬間、全方位型モニターにエマージェンシーコール。ユキトは操作し、黒いロボットの中心部で急激な熱源反応を確認。飛永はコックピットを閉め、ガルガンダで突き飛ばすように海へ飛び込み姿を消す。
「な…なんでッ?!」
数十秒後、海の沖合で大きな水柱が立ち、ガルガンダのモニターに黒いロボットのロストコール。萌里は徐々に状況を理解し、やがて泣き崩れる。
煙幕は晴れ、ユキトはシートから立ち上がり、コックピットハッチに足をかけ、夜空の月を静かに見上げた。