最終話:君へ
—あれから、どれほどの月日が流れただろうか。
生命そのものが途絶えかけた崩壊を、辛うじて乗り越えた世界は、瓦礫の上から少しずつ立ち上がり始めていた。
デスラウガス。ビックギア。
そしてアナグラ。
それらの侵攻により、全世界の都市機能の八割が消失。電力も、物流も、国家も、一度はその形を失い、人類は文明崩壊の淵へと追い込まれた。
多くの者が、復興には二十年以上かかると口にしていた。
――だが、三年後。
その予測を根底から覆す一人の科学者が現れる。
ミス・バーバリアン。
戦艦アルカディアに所属するアルテミスの主任研究者。
彼女は、世界各地に残骸として転がるビックギアの内部に組み込まれていた「アナグラの核」に着目した。
それは――
物質を無から生成する、常識外れの創造器官。
兵器として使われていたその機能を、彼女は「再生」のために転用する研究を開始する。
峰型の技術支援、そしてリナの解析補助。
さらに。
“命の女神”の血を継ぐ少女――萌里。
彼女の力によって、核に蓄積された負の感情は浄化され、
破壊衝動だけを取り除いた純粋な生命生成機構へと変換された。
結果。
枯渇していた資源は半永久的に生産可能となる。
鉄も、コンクリートも、エネルギーも。もはや「不足」という概念そのものが消えた。
そして追い打ちをかけるように――
回収された黒き巨大要塞から、超文明セルガンティスの建造技術が発掘される。
物質を瞬間的に形成・固定する構造生成機構。
その理論を応用し開発されたのが「瞬間立体形成コンバーター」。
重機も、資材搬入も必要ない。
設計データさえあれば建物は“展開される”ように完成する。
都市は、組み上がるのではない。
――出現するのだ。
ブラックエンペラー内に残されていた製造工場が再稼働し、装置は量産。各国政府、米軍、世界連合の全面協力のもと、復興計画は世界規模で加速した。
本来十年は必要とされた再建網は、わずか四年で地球全土へ到達。
そして、二十年規模と予測されていた人類史上最大の復興事業は――七年。
たった七年で。
世界の九割を取り戻すに至る。
人類は再び、空を見上げて未来を語れる場所へと帰ってきたのだった…。
――あれから、七年。
夜のニュース番組。
落ち着いた女性アナウンサーの声が、日本全国に流れていた。
「本日は、あの“世界崩壊危機”から七年を迎えます」
画面が切り替わる。
映し出されるのは、かつて瓦礫の海だった都市の現在の姿。整然と並ぶ高層建築、光を取り戻した夜景、人々の行き交う街路。
だが、次の瞬間。
映像は急転する。
黒く焼け落ちた大地。
空を覆う巨大な影。
都市を踏み潰すように出現した、超人型破壊兵器――デスラウガス。
「七年前、突如出現した未知の生命体と、それに呼応する形で各地に現れた巨大兵器」
爆炎と悲鳴。
逃げ惑う人々と崩壊する街並み。
「そして、最終局面で姿を現したのが、地球の大気圏にまで達する規模を誇った超兵器――《デスラウガス》でした」
宇宙から撮影された映像が映る。
青い地球を貫くように立ち上がる、一本の影。
「当時専門家の試算では、このまま侵攻が続けば、人類文明は数週間で壊滅していたとされています」
映像は、戦闘記録へ。
白い人型兵器が、雲を切り裂き上昇する。
黒い要塞、ブラックエンペラー。無数の光が交錯し、大地が裂ける。
「しかし、各国の防衛部隊と、戦艦アルカディアを中心とする部隊の奮闘により事態は最終局面を迎えます」
画面に、決定的瞬間。
デスラウガスの内部。
閃光。
そして――崩壊。
「デスラウガスは完全に機能停止。アナグラの中枢も消滅し、世界規模の侵攻は終結しました」
しばし、沈黙。
アナウンサーは一拍置き、言葉を続ける。
「この戦いで、世界は都市機能の約八割を失いました。多くの命が失われ、今もなお行方不明者の捜索は続いています」
映像には、慰霊碑の前で手を合わせる人々。
花束。
名前の刻まれた石板。
「一方で――」
再び画面が切り替わる。
復興した都市。
子どもたちの笑顔。
空を行き交う輸送機。
「アナグラの核を応用した新技術により、復興は前例のない速度で進み、現在、世界の九割以上が再建を終えています」
アナウンサーは、静かに締めくくる。
「未曽有の絶望と、そこから立ち上がった人類の七年。あの戦いは、終わったのでしょうか。それとも――私たちは、まだ“その先”を生きているのでしょうか」
画面がフェードアウト。
ニュース番組のロゴが映りスタジオの明かりが落ちる。
その夜空の向こうで――
誰も知らない場所で、まだ戦い続けた者がいたことを、
このニュースは語らなかった。
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「……ねっむい」
かすれた声が、誰もいない部屋に落ちる。
深い眠りの底から引き上げられた萌里は、ゆっくりと上体を起こし、重たい瞼を指でこすった。昨夜は少し遅かった。理由は特にない。ただ、眠れなかっただけだ。
一つ、大きく息を吐いてからベッドを抜け出す。
床に触れた足裏に、ひやりとした感触。
窓辺まで歩き、カーテンを引いてガラスを開けると、潮の香りを含んだ浜風が一気に部屋へ流れ込んできた。
少し湿った空気が、寝起きの頭をゆっくり現実へ引き戻していく。
「……いい天気」
独り言のように呟いて、窓を閉める。
クローゼットを開け、しばらく考えてから手を伸ばす。
選んだのは、淡い色のシャツと動きやすいパンツ。特別じゃない、けれど今の自分にはちょうどいい服。
部屋の隅にかけてあったカーディガンを羽織り、鏡の前へ立つ。
寝癖を手櫛で整えながら、自分の顔をじっと見る。
――変わった、と言えば変わった。
でも、ちゃんとここにいる。
洗面所で顔を洗い、冷たい水に少しだけ目を覚まされる。
歯を磨き、髪をまとめ、最低限の身支度を整える頃には、体の重さもだいぶ抜けていた。
階段の前で、一瞬だけ立ち止まる。
この家にも、もう慣れた。
軋む音のする段差も、朝の光の入り方も。
一段、一段、足音を抑えながら降りていくと、下から生活の気配が漂ってくる。
湯気。
食べ物の匂い。
金属の触れ合う音。
そのときだった。
「朝ごはん出来てるからなー!」
階下から飛んできた、聞き慣れた声。
少し張りがあって、どこか雑で、それでも温かい声の主は飛永だ。
萌里は思わず、ふっと小さく笑った。
「はーい、今行く!」
返事をして、最後の段を降りる。
名もない、けれど確かな一日の始まりだった。
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「そういえば学校よく休み取れたよね?」
「あぁ、有休使った」
「新米教師なのに取れたんだ…」
朝食を終えた萌里と飛永は、食器を片付け、戸締りを確認する。三泊四日の旅になるため、特にガスの元栓は念入りにチェックした。
それから二人は用意していた旅行用のキャリーバッグを手に玄関へ向かい、忘れ物がないかもう一度見渡す。
問題なし。
玄関の鍵を閉め、庭先に停めてある車へ向かった。
トランクを開け、荷物を積み込む。
ふと。
家の周りの景色が目に入り、萌里は少し足を止めた。
山々は朝日を受け、淡く発光しているみたいだった。影と光の境界が溶け、世界がゆっくりと色を取り戻していく。
田園には露が降り、無数の光粒が揺れる。まるで地面に星空が落ちてきたみたいに。
潮を含んだ風がそっと頬に触れた。冷たくも温かい、不思議な感触。
息を吸うたび、胸の奥が澄んでいく。
戦争も、崩壊も、何もなかったかのような、
あまりに穏やかな朝だった。
都会の喧騒とは無縁の、ゆったりとした空気がそこに流れていた。
「どうした?」
「…な、なんでもない!」
不思議そうな顔で尋ねる飛永に、萌里は顔を横にブンブンを振って助手席に乗る。
エンジンがかかり、車がゆっくりと動き出す。
ルームミラーに、小さく切り取られた景色が映る。
朝日に包まれた一軒の家。
白い外壁が光を受け、やわらかく滲んで見えた。
かつては祖父・哲郎の家があった場所。
あの瓦屋根の古い木造家屋はもうない。
あの日々の匂いも、軋む廊下の音も、全部、記憶の中だけになった。
その代わりに建ったのが、この家だ。
世界を救った“協力者”として、世界政府が土地も資金もすべて手配し、用意してくれた家。
感謝と、補償と、そしてきっと――罪悪感みたいなものが混ざった贈り物。
広すぎるリビングに頑丈すぎる防災設備。
最新式のライフライン。
不自由のない、完璧な家。
なのに時々、
借り物の舞台セットみたいに感じることがある。
それでも。
季節が巡り、窓辺に洗濯物を干して、朝ごはんの匂いが染みついて、笑い声が積み重なっていくうちに。
いつの間にか――ここは、ちゃんと「帰る場所」になっていた。
ミラーの中で、家が少しずつ遠ざかっていく。小さくなって、光に溶けて、見えなくなる。
まるで過去そのものが、静かに手を振っているみたいだった。
「この前さ、マリゲルから連絡あったんだ」
「へぇ。今どこにいるの?」
車は田園地帯を抜け、街中へ入り、そのまま国道へ出る。
朝のピークは過ぎているはずなのに、それでも道路はそこそこ混んでいた。
「北極だと。リナも一緒らしい。アリオネル帝国の発掘調査が一段落したら、日本に戻ってくるってさ」
「マリゲルさんとリナかぁ……最後に会ったの、いつだっけ。たぶん二年前くらい?」
「そんなに経つか。早いもんだな」
「最近さ、時間が経つの妙に早く感じるんだよね」
何気ない会話を続けながら、飛永はハンドルを握る。
トラックを追い越し、一定の速度で流れる道路。その横顔は昔と変わらず、どこか気だるげで、それでいて頼もしい。
7年前の大戦後――
萌里の祖父、哲郎はジャッジメントエンドに加担していた容疑で、いったん身柄を拘束された。
世界を裏切った人物として、厳重保管。
当然の処置だった。
けれど調査の結果、すべてが髑髏による精神干渉と洗脳だと判明し、嫌疑は晴れた。
釈放後、彼は慎太郎のもとへ身を寄せ、世界復興の中核となる研究機関で調査と開発のアシスタントとして働き始めた。
今も日本にはいない。
世界のどこかで、今日もきっと誰かの未来を支えている。
その関係で、萌里はしばらく一人になった。
……はずだった。
同じく行く宛のなかった飛永と、帰る場所が少し曖昧だった自分。話し合った末、気づけば「一緒に住むか」という流れになっていた。
最初は、元教師と元生徒。最初は萌里だけが律儀に敬語を使って、どこかぎこちなかった。
「先生、これでいいですか?」
なんて言っていたのが、今では――
「それ取って」
「自分で取れ」
そんなやり取りばかりだ。
いつの間にか敬語は消え、遠慮も消えた。
姉妹みたいに気楽で、家族みたいに自然だが血は繋がっていない、不思議な距離感。
気づけばそれが、当たり前の日常になっていた。
トンネルを抜け、信号のある交差点を右折。
料金所に入ると、ETCゲートを抜けて高速道路へ合流した。
「早いって言えば、霧崎と宇佐美がもう結婚だもんな。いつの間にか、ちゃんと大人になっちまって」
「あの二人、ずっといい雰囲気だったのに、なかなか踏み出さなかったよね。ウブっていうか」
「どっちもガキ大将気質なのに、恋愛になると急に奥手になるからな。そこが似た者同士だったのかもしれねぇ」
「だね……だからさ、結婚式の招待状が来て、こうして向かってるのも、なんだか不思議な気分」
そう言って、萌里は窓に肘をつき、
流れていく景色に目を向けた。
高速道路の向こうに広がる空を眺めながら、
ふと――思い返す。
すでに、思い出になりつつある出来事。
七年前、世界が壊れかけた、あの日々のことを。
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――あれからのことを、少しだけお話します。
戦いが終わってすぐ、私はアルカディアに収容されました。
アナグラの核の中に取り込まれていた影響が未知数だったらしく、半日かけて精密検査。
血液、細胞、神経、脳波。ありとあらゆる項目を調べられて結果は――異常なし。
拍子抜けするくらい、健康体でした。
……ただ一つを除いて。
無理やり引き出された「命の巫女」の力だけは、消えてくれなかった。
私の中に、当たり前みたいに残り続けた。
異能の力。
最初は、正直こわかった。
自分が自分じゃなくなるみたいで。
少し浮くだけでも驚いて、
物に触れずに動かせただけで、泣きそうになって。
「普通」に戻れないんだって、何度も思った。
でも――
年月って、不思議です。
慣れてしまうんですよね。
訓練して、失敗して、また練習して。
そうしているうちに、少しずつ扱えるようになっていった。
まるで、自転車みたいに。
気づけば「できるのが当たり前」になっていました。
そんな頃です。
レイナーさん経由で、世界政府から正式に依頼が来ました。
復興支援の協力要請。
……断る理由、なかったんです。
私だけ助かったみたいで、ずっと落ち着かなかったから。
だから、日本を離れました。三年間。
アルカディアに乗って、
アルテミスの人たちと一緒に世界中を回って。バーバリアンさんと峰型さんと、リナと。
アナグラの核を解析して負の感情を取り除いて、安全に使えるように。
その研究の延長で生まれたのが――瞬間立体形成コンバーター。
あれが完成したとき瓦礫しかなかった土地に、数分で建物が立ち上がるのを見て、
「ああ、本当に世界はやり直せるんだ」
って、初めて思えました。
完成から半年後。
私は日本に戻りました。
できなかった卒業式を受けて、正式に青南水産を卒業して。
少しだけ地元の復興を手伝って。
そして、決めたんです。
――もう一度、自分の人生をやろうって。
東京に出て、
学生の頃に少しだけやっていたモデルの仕事を再開しました。
最初は全然ダメで。ブランクもあるし、体力も落ちてるし、感覚も鈍ってて。
何回も落ち込んで。それでも、諦めずに続けて。
気づけば、スポンサーがついて、
雑誌に載って、街で声をかけられることも増えて。
今では――
「ちょっとだけ有名なモデル」なんて、言ってもらえるようになりました。
……不思議ですよね。
世界の終わりみたいな戦いをしてた私が、今はメイクして、服を選んで、カメラの前に立ってる。
でも。
きっと、これでいい。
守りたかったのは、こういう何でもない日常だったから。
だから今日も私は、笑って仕事に向かいます。
普通に生きるために。
あの日、命がけで守ってくれた――あの人に、胸を張れるように…。
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店を出た瞬間、夜の空気が、そっと肌を撫でた。
火照った頬に触れる冷たさが、心地いい。
背後で扉が閉まる。
同時に、
二次会居残り組の喧騒がガラス一枚向こうへと隔てられた。
笑い声。
グラスの触れ合う音に弾む拍手。
それらは水の底から聞こえてくるみたいに、くぐもって、遠ざかっていく。
光だけが扉の隙間から零れ、夜の歩道に細長く伸びていく。
ネオンが滲むアスファルト。
吐く息は白く、ゆらりと溶ける。
静かだ。
さっきまで、あんなに賑やかだったのに。世界は、何事もなかったみたいな顔をしている。
空には雲ひとつなく、星が淡く瞬いている。
「……ふぅー……」
みるが大きく伸びをする。
「食べた〜飲んだ〜泣いた〜。結婚式って体力削られるね」
「ふふ……ほんとに」
ヒールがアスファルトを軽く叩く。ネオンが滲む夜道を、二人で並んで歩く。
少しだけ酔って、少しだけ寂しくて。
幸せな日の帰り道って、どうしてこうも静かなんだろう。
「みるの旦那、幸せそうだったね」
「うん」
「なんかさ……ああいう“普通の未来”がちゃんと来るんだなって思った」
萌里は小さく頷いた。
守られた未来。取り戻した日常。
あの崩壊のあと、誰も信じられなかった景色。
「……」
歩いていると目の前の歩道が赤になり、二人の足が止まる。時刻は深夜に差し掛かり人通りは少ないが車の通行量は多く、ライトが川のように流れていく。
みるが、ふと呟いた。
「……ユキト君も、こういう結婚式に来てくれたのかな」
萌里の胸が、きゅっと締まる。
「…どうだろう。興味なさそう」
「ねっ」
二人で少し笑うも、長く続かなかった。
空気を沈黙が支配する。
夜風だけが、静かに通り過ぎる。
「……萌里」
みるが、遠慮がちに言う。
「まだ……待ってるの?」
その問いに、萌里はすぐ答えなかった。
少しだけ空を見上げる。
七年前、デスラウガスを倒した後に空に突然現れた亀裂に飛び込んだまま、
ユキトの消息は分からなくなっていた。
今はもう、ただの夜空。
何もない。
何も。
「……うん」
静かな声。
「待ってる」
みるは何も言わない。
急かさない。
ただ、隣に立ってくれている。
「居場所もわからないし」
萌里は続ける。
目から何かが零れそうになるのを堪えながら。
「生きてる保証も、ほんとはないし」
言葉にすると、少しだけ胸が痛む。
「みんな、もう……戦死みたいな扱いしてるよね」
世界を救って消えた白い機体は、今やニュースや教科書の中の存在。
伝説みたいに語られている。
そしてユキトは、英雄として名前が歴史に刻まれている。
「でもね」
萌里は、小さく笑った。
「私だけは、違うの」
「……うん?」
みるが首を傾げる。
「なんか、フラっと帰ってきそうな気がする」
「……あー、なんかわかる」
「だから」
少しだけ視線を落とす。
「待ってる」
胸に手を当てる。
確かな熱と鼓動が伝わってくる。
「いつかきっと、帰ってくる気がする」
みるが、目を丸くする。
「……それ、ポジティブすぎない?」
「かもね」
くすっと笑う。
「でも、それくらいじゃないと待てないよ」
強がりでも、悲壮感もない。
ただ、決めている顔。
「強いね、萌里は」
一拍。
「…そうでもないよ」
みるは、しばらく黙ってから。
「……そっか」
とだけ言った。
それ以上の言葉はいらなかった。
同情も、慰めも、励ましも。
たぶん、全部違う。これは――覚悟だ。
信号が青に変わり、歩き出す。萌里はもう一度、夜空を見る。
星もない、ただの空。
それでも。
もし。
もしどこかで。
あの白い機体が、この空を突き破って帰ってきたら。
「……遅いよ、バカ」
って、笑って言ってやろう。
泣きながら、怒りながら。
思いきり抱きしめて。
…早く帰ってきなよ、ユキト…。
誰にも聞こえない声が夜に溶けた。でもその言葉だけは、確かにそこにあった。
――待っている人の、祈りみたいに。
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そこは世界と繋がっていない場所。
空は割れたガラスのように歪み、幾何学的な紋様が薄く明滅している。
雲は流れず、光は濁り、時間の感覚さえ曖昧だ。
大地はすべて砂。
ひび割れ、朽ち、風に削られた死の大地。
吹き荒れる砂嵐が、何かの骨のような残骸を転がし、
生命の気配は――ない。
ただ。
その荒野の一点だけが、異様な密度でざわめいていた。
黒い影。
人型とも獣ともつかない、アナグラと同質の“何か”たちが、
獲物を囲む肉食獣のように蠢いている。
その中心。
無数の骸の上に、ただ一機――立っていた。
白いはずの装甲は、もはや灰色にくすみ、焼け焦げ、剥げ落ちている。
肩の装甲は半分が欠け、内部フレームが露出。
左脚には応急補修のプレートが無理やり溶接され、各所に走る亀裂は、金属疲労の限界を物語っていた。
背部のヴァントムは片翼が歪み、
推進ノズルはひび割れ、何度も酷使された痕が生々しく残る。
装甲の隙間からは、配線と油が滲み、
関節が動くたび、ギチ、と鈍い悲鳴のような軋みが漏れた。
――満身創痍。
本来なら、とっくに退役しているはずの状態。
それでも、ただ一つ。
モノアイだけは、今も鋭く、赤く、力強く光っている。
機体名――ガルガンダ。
そしてコックピットにいるのは、
「……まだいるんだ」
淡々とした声、ユキトだった。
空の亀裂に飛び込んでから七年。
帰還も、補給も、整備もなく、ただひたすら、この最果ての世界で現れるたびに湧き出るたびに、アナグラと同系統の存在を――潰して、潰して、潰し続けてきた。
数えきれない戦闘に数えきれない撃破。
そして、数えきれない孤独。
それでも。彼の目は、少しも死んでいない。
濁りも、諦めもない。
ただ、静かな光だけが残っている。
「……んじゃ」
操縦桿を握る。
軋む金属音が、コックピットに響いた。
「やるか」
気負いもない。
悲壮もない。
ただ――今日の作業を始めるみたいな、平坦な声音。
次の瞬間。
ガルガンダが姿勢を落とす。
スラスター点火。爆ぜる轟音が木霊する。砂塵が弾け飛び、視界が白く染まる。
右手のコンボウ刀が唸りを上げる。
刃が、鈍く光る。
そして白い残光が一直線に走った。
黒い群れへ。
躊躇なく、迷いなく、一直線に。
――再び、戦場へ。
それが、呼吸をするのと同じくらい当たり前みたいに。
止まらない。止まれない。
帰る場所もない。
終わりもない。
それでもただ、前へ—。
荒廃した世界に、白い光が一閃し――
誰も知らない最果てで、
今日もまた。
たった一機の白い悪魔だけが、戦っている。




