26話:追撃
—時は、少しだけ進む。
日本列島のほぼ中央に位置する内陸県は、沿岸部や大都市圏と比べ、アナグラやビッグギアによる直接的被害がまだ少ない地域だった。
その地理的条件と、広大な湖岸道路、商業施設の集中という特性を活かし、政府は早期の段階で滋賀を広域避難・集約拠点として指定していた。
全国各地では、すでに都市機能の崩壊が相次いでいる。
関東圏ではアナグラの進行とビックギアの攻撃で交通網が寸断され、関西の湾岸部では海上からの侵攻により港湾施設が壊滅。
世界に目を向ければ、欧州では稼働し破壊行為を繰り返す50機のビックギアにより複数の国家が非常事態宣言を発令。
――人類は今、同時多発的な崩壊の只中にある。
その中で、内陸県は「まだ機能している場所」だった。
国道沿いの大型スーパー、ショッピングモール、物流倉庫、道の駅。
人を多く収容でき、かつ構造的に頑丈な建物は次々と臨時避難所へと転用されている。
現地では、警察と自衛隊が合同で動いていた。
警察官は交通整理と避難民の誘導に追われ、赤色灯を回したパトカーが断続的に国道を封鎖・開放している。
自衛隊は迷彩服に身を包み、89式小銃を携行した警備班が周囲を警戒。
別動隊は給水車や炊き出し用トラックを展開し、衛生班は簡易ベッドや医療テントの設営を急いでいた。
怒号と呼びかけが飛び交う中、それでも現場は必死に秩序を保とうとしている。
誰もが疲弊し、極限状態にありながらも、暴動や混乱は最小限に抑えられていた。
避難民たちは、皆一様に疲れ切った顔をしていた。
着の身着のまま逃げてきた者、泥と血で汚れた服のまま呆然と座り込む者。
毛布にくるまり、膝を抱えて震える子どもを必死に抱き寄せる母親。
スマートフォンを握りしめ、何度も圏外表示を確認する若者。
誰もが、言葉少なに、しかし確かな恐怖を胸に抱えている。
その上空――
低い轟音と共に、巨大な影が差し込んだ。
戦艦アルカディア。
重厚な装甲と発光する推進器を持つ白き空中戦艦が、雲を押し分けるように姿を現す。
避難所周辺の人々が、一斉に空を見上げた。
アルカディアは静かに高度を下げ、琵琶湖の水面に沿う様に飛行しホバリング状態に入る。
岸に到着すると船体を固定。艦腹部のハッチが開き、内部からタラップが展開されると、先行して保護されていた一般人たちが次々と降ろされていく。
「……こっからじゃな」
ブリッジで、艦外映像モニターを見つめるミス・バーバリアンの表情は硬い。
モニターには、無事に陸上し、避難所へ誘導されていく人々の姿が映し出されていた。
「えぇ……先ほど、ユキト君が関東圏でビッグ・ギアを三機撃破。続いてマリゲル大佐が二機、飛永さんも二機を撃破したとの報告が入っています」
淡々とした報告の裏に、戦場の過酷さが滲む。
「これで日本への直接的な脅威は一旦引いた。だが……」
艦長ロイナードは、腕を胸の下で組み、低く唸る。
「連中の勢いは衰えとらん。デスラウガスを倒さない限り、世界中のビッグ・ギアは動き続け、破壊を繰り返すじゃろう」
「ゼウスフレーム三機を、世界中のビッグ・ギア対処に回すことはできません。そうしている間に、デスラウガスが本格的に動き出す……」
ミス・バーバリアンの声にも、焦りが滲む。
「何か……少しでも、勢いを削ぐ手は……」
ロイナードは眉を顰めたまま、思考を巡らせる。
これまでに集まった情報という名の“パーツ”を、頭の中で何度も組み替えるが、答えは見えない。
相手は、概念エネルギー――
人の負の感情を糧に、際限なく増幅する存在。
従来の軍事理論では、まるで煙を斬るようなものだ。
通用しないことは、すでに証明されつつあった。
「……負の感情」
ミス・バーバリアンが、ぽつりと呟く。
二人の間に、短い沈黙が落ちた。
その時だった。
「……」
艦外映像モニターを見ていたロイナードが、ふと目を見開く。
画面に映っているのは、避難民に駆け寄る二つの人影。
一人は肩にカメラを担ぎ、もう一人はマイクを手にしている。
「あれは……」
この極限状況でも、通信が部分的に復活した今、
“伝える”ことを諦めない者たちがいた。
その瞬間――
ロイナードの表情が、わずかに変わった。
「……そうだわ」
唇に指を当て、目を細める。
「どうしたんじゃ?」
ミス・バーバリアンが問いかける。
「……方法、あるかもしれません」
「ほう?」
ロイナードは、すぐに視線をブリッジ内へ向けた。
「ロッケン」
「艦長、なんでしょう」
通信管制席に座るロッケンが、即座に応じる。
「今すぐ、呼んでほしい人たちがいるの。お願いできるかしら?」
「了解です。その人たちとは――?」
数十分後。
ブリッジの扉が、低い駆動音とともに開いた。
作業員に先導され、中へと入ってきたのは――
先ほどまで避難民の一団に紛れていた学生たちだった。
B組の霧崎、織田、みる、仁菜。
そして、その後ろに続く担任の吉田先生。
「……」
B組の生徒たちの後ろで、警戒するような眼差しを向けていたのは、担任の吉田先生だった。
ポニーテールが特徴的な彼女は、少し前まで婚活アプリを登録しすぎて携帯料金が跳ね上がり、請求明細を見て阿鼻叫喚した過去を持つが、今では三つにまで厳選し、サクラを見抜きながら地道に奮闘している――ごく普通の、しかし責任感の強い女教師である。
その彼女が、今は生徒たちを庇うように一歩前に立っていた。
「この子たちとは、先ほど格納庫でお会いしましたね」
ロイナードが一歩前に出て、穏やかに頭を下げる。
「改めまして。この船の艦長を務めています、ロイナードです」
「わしゃミス・バーバリアン。ユキトとは、まぁ……古い付き合いじゃな」
「ユキト君の……お知り合い、ですか?」
吉田先生は慎重に言葉を選びながら、二人を見る。
「ええ。そう思っていただいて構いません」
ロイナードは一度息を整え、表情を引き締めた。
「突然お呼び立てして、状況が飲み込めないと思いますが……順を追って説明します。今、世界は――崩壊の危機に瀕しています」
その言葉に、生徒たちの肩がわずかに強張る。
「日本だけではありません。世界各地で、同様の災害と戦闘が同時多発的に起きています」
「そして、その脅威に――今まさに、ユキトたちが立ち向かっておる」
「……」
吉田先生は唇を噛みしめ、生徒たちを振り返った。
「それで……今回、皆さんにお力をお借りしたい理由なんですが」
ロイナードは一瞬、言葉を選ぶように間を置いてから、はっきりと言った。
「実はワタシたちは――この時代の人間ではありません」
「……え?」
吉田先生の目が見開かれ、言葉を失う。
「私たちは、約九百年後の未来から来ました。そのため、この時代の社会構造や、情報の流れについて、十分に把握できていないのです」
ミス・バーバリアンが腕を組み、重々しく続ける。
「そして、最大の問題が――敵の存在じゃ」
「デスラウガスは、人々の“負の感情”を糧に力を増す。恐怖、不安、絶望……それらが増えるほど、奴は強くなる」
ブリッジのモニターに、各地での被害映像が断片的に映し出される。
「だからこそ、ワタシたちは逆をやりたいのです」
ロイナードは、真っ直ぐに吉田先生と生徒たちを見る。
「私たちが戦っている姿を、世界に届けたい。人類が、まだ抗えていることを。希望になり得る“映像”を、今この瞬間にも世界へ流したいのです」
「……報道、ですか?」
吉田先生が、はっとしたように呟く。
「はい。この時代の報道機関、テレビ局、配信メディア……何でも構いません」
ロイナードは、わずかに視線を落とす。
「皆さんが普段使っている通信手段で報道機関にアクセスできないかと考えています」
ブリッジが静まり返る。
生徒たちは顔を見合わせ、そして――自然と、担任である吉田先生を見る。
彼女は一度、大きく息を吸った。
「……正直、教師としては」
ゆっくりと、しかしはっきりと言葉を紡ぐ。
「こんな危険なことに、生徒を巻き込むべきじゃないって思います。でも……」
吉田先生は少し言葉を止め、再度話す。
「この子たちは、もう“何も知らない子ども”じゃない。現実を見て、それでも何かしたいって思ってる――そういう年齢です」
吉田先生は、生徒たちの背中をそっと押すように一歩下がる。
「……先生としてじゃなく、一人の大人として聞きます」
吉田先生は、ゆっくりと生徒たちを見渡した。
「あなたたち、どうする?」
世界を変えるかもしれない問いが、
静かに、しかし確かに投げかけられる。
ブリッジに、短い沈黙が落ちた。
誰もが動けずにいる中で、
一人の少女が――ゆっくりと、自分のポケットに手を伸ばす。
みるだった。
指先がスマートフォンに触れた瞬間、彼女の肩が、ほんのわずかに跳ねる。
(……こわい)
画面はまだ暗い。
ただそれだけなのに、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
世界が、壊れかけている。
テレビの向こうの出来事だと思っていた“戦争”が、
今は現実として、すぐそばにある。
指が、震える。
カメラロールを開けば、
友達と――萌里と撮った、どうでもいい写真。
放課後、教室に屯して笑っていた日々。何も考えず、ただ当たり前だと思っていた日常。
玄関を出ればいつもの景色があり、
教室に行けば、いつものクラスメイトたちがいる。
(……あたし、こんなのしか知らないのに)
みるは、ぎゅっとスマホを握りしめた。
力を入れすぎて、手が少し痛む。
それでも――手は止まらなかった。
「……私」
小さな声だったが、ブリッジでははっきりと響いた。
「やります」
全員の視線が、みるに集まる。
「萌里のことも……飛永先生から聞きました。正直……怖いです。でも……」
みるは一度だけ、目を閉じる。
そして、意を決したように顔を上げた。
「萌里を、救いたい……。戦ってる人たちがいるのに、何もしないで……あとで“見てただけ”って言うの、嫌だからッ!」
スマホを胸の前に掲げる。
その手は、まだ震えていた。
だが――握りしめる力だけは、確かだった。
その背中を見て、
今度は霧崎が、一歩前に出る。
「……みる一人に、背負わせねぇ」
低く、しかしはっきりとした声。
「拡散なら、俺もやる!ネットに情報通な知り合いがいる。任せてくれ!」
霧崎もまた、スマホを取り出す。
「どうせ世界が壊れかけてるなら……せめて――俺たちが見た“本当の戦い”くらい、残してやる」
その言葉に、仁菜が唇を噛みしめ、
織田が深く息を吸う。
「……私も」
「僕もだ」
一人、また一人と、スマホが掲げられていく。
「みんなで……田辺を、救おう!」
織田の言葉に、みる、仁菜、霧崎は強く頷いた。
吉田先生は、その光景をじっと見つめていた。
止めるべきか、導くべきか――
教師としての理性が、胸の奥で軋む。
だが同時に、はっきりと理解してしまった。
(……この子たちは、もう“守られるだけ”じゃない)
ロイナードは、その様子を静かに見届け、深く頷く。
「ありがとうございます。それだけで、世界は――変わり始めます」
その時だった。
「通信確認! ガルガンダです! モニターに出します!」
ロッケンの報告と同時に、
ブリッジ正面の大型モニターに映像が映し出される。
一瞬、通信ノイズが走り――
次の瞬間、画面に映ったのはガルガンダのコックピット内部だった。
無機質な操縦席。
計器類のいくつかは警告色に染まり、表示バーは限界近くまで削れている。
背後では、まだ完全には収まりきっていない熱の残響が、低く唸るように響いていた。
中央に映るのは、ヘルメットを被ったユキト。
額から顎にかけて、汗が一筋、シールドの内側を伝っている。
呼吸は荒くはないが、一定のリズムで深い――
それが、直前まで激戦の只中にいたことを雄弁に物語っていた。
それでも彼の視線は揺れず、モニター越しにまっすぐブリッジを捉えていた。
『こっちは一通り片付いた』
淡々とした声。
だが、その裏にある消耗と集中力の高さは、誰の目にも明らかだった。
『これからデスラウガスのところに向かう。ちょっと羽とスラスター使いすぎたから、推力剤補給したいんだけど――』
ユキトは一瞬だけ、計器類に視線を落とす。
『合流まで、どれくらい?』
「こちらは民間人を安全区域に下ろしているところよ。作業が終わり次第向かうわ。この船なら、一時間後には合流できる」
『わかった……ん?』
ユキトは、ふとモニター越しにブリッジを見渡す。
そこに並ぶ見慣れた顔――みる、仁菜、織田、霧崎、そして担任の吉田先生に気く。
『……なんでブリッジにいるの?』
「彼らにも少し協力してもらっているところです。危険には晒さないので、安心して」
『……そっか』
通信を切ろうとした、その時。
「ユキト君!」
呼び止めたのは、みるだった。
「……こんな、何も知らなかった蚊帳の外の人間が言うのは、場違いかもしれないけど……一つだけ、言わせて!」
それは、心の底から絞り出した声だった。
「萌里を……必ず連れて帰ってきて!わたしの、大事な親友だから……そして、またみんなで……どこか行こう!今度は、ユキト君も一緒に!」
『……』
ユキトは、しばらく無言だった。
だが、ほんの少し何処か遠くを見ながら間を置いてから。
『……気が向いたら』
それだけを残し、通信は切れた。
やり取りを見ていたロイナードは、わずかに口角を緩める。
彼女は知っている。それが――ユキトなりの、確かな承諾であることを。
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時は進み。
太平洋上空――蒼と白しか存在しないはずの空を、一機の白い影が切り裂いていた。
八枚の翼を背に負い、音速近くで疾走するのはガルガンダ。
そして、そのコックピットに座するのはユキトだった。
海面が、不自然に盛り上がる。
次の瞬間、爆ぜるように飛び上がる複数の敵影。
胸部に赤く脈打つ石――アナグラの核を埋め込んだ、黒い機体の群れ。
迎撃ではない。
減速の兆しすらなく、ユキトはフットペダルを踏み込む。
ガルガンダの主翼が展開。
同時に、背部からパージされた八枚の翼が、意志を持つかのように宙へ解き放たれる。
――加速。
空間が歪むほどの速度で突入したガルガンダに、敵機の照準が追いつかない。
四方八方から放たれるビームの嵐。
だが、ユキトの操作に焦りはない。
ほんの数センチ。
ほんの一拍。
その「隙間」を縫うように、ガルガンダは身を捩り、旋回し、滑る。
人型兵器とは思えぬ柔軟な挙動。
まるで、生身の肉体が空を泳いでいるかのようだった。
単体の敵影が、真正面から突っ込んでくる。
ユキトは躊躇しない。
回避動作の最中、両腕を構え――
ネイルブレード、炸裂。
閃光と共に伸びた爪が、敵機の肩口を捉え、次の瞬間には首元まで切り裂く。核が露出するより早く、機体は空中で分解し、火花と破片となって散った。
ネイルブレード、炸裂。
間髪入れず、二機目。
三機目。
旋回しながらの一撃。
ひねりを加えた体勢からの斬撃。
腕、脚、関節――可動部だけを正確に削ぎ落とし、敵を「殺す」のではなく「機能停止」に追い込む。
だが、本命は群れだ。
八の翼が甲高い駆動音を引き裂くように響か、一斉に展開。
それぞれは主機から切り離されながらも、ガルガンダと同調し、独立した意思を持つかのように宙へ散開した。
円を描くように広がり、
敵編隊の速度、間隔、照準の癖――
そのすべてを瞬時に読み取り、先の先を取る射撃軌道を構築する。
逃げ道は、最初から存在しない。
鋭角に拡散する金属の雨が、まず一機の膝関節を撃ち抜く散弾。
次いで放たれた高出力光条が、別の機体の肩口を焼き切るビーム。
交差する光条は、ただの面制圧ではない。
四方から包囲し、
「どこを壊せば落ちるか」を知り尽くした、解体のための光だった。
両腕。両脚。
背部の飛行ユニット。
次々と機能を奪われた黒い機体は、悲鳴を上げる暇すらなく、姿勢を失う。推進力を喪い、空中で無様に回転し、やがて重力に引かれて落下していく。
撃墜でも破壊でもない。
それは戦う資格そのものを、剥ぎ取る制圧。
それでも――
本能的な恐怖に駆られた一機が、背を向け、逃走を選ぶ。
その瞬間。
ガルガンダの背部で、ヴァントムが低く、獣のように唸った。
ユキトが指示を出すより早く、
それは既に「狩る」対象を定めている。
射出。
細い軌跡が空を裂き、
次の刹那、逃走中の機体の胸部を貫通する。
牙が、空を噛んだ。
遅れて、内部から赤い閃光が漏れ、
アナグラの核が砕け散る音が、振動となって伝わる。
赤い光は、爆発ではなく、霧のように拡散し――
やがて、何事もなかったかのように消えた。
ガルガンダの背部に備えられたヴァントムは、単なる補助兵装ではない。
敵を追い、
逃げる意志を否定し、
「終わらせる」ために存在する――ユキト自身の意思を具現化した牙。
彼は止まらない。
速度も、
高度も、闘志も――一切、落とさぬまま。
破壊された敵影の残骸を背に、ガルガンダは再び加速する。
その進路の先。
太平洋の向こう側で待ち受けるのは、ただ一つの存在。
すべての元凶。
負の感情の集積点――デスラウガスの元へ。
「……ん?」
モニター越しに、視界が一段階、暗転する。
太陽光が遮られコックピット内に落ちる影が、はっきりと濃さを増した。
ユキトが顔を上げる。
雲を押し潰すように、
空そのものを覆い尽くす巨大な黒い物体が、重厚なエンジン音を響かせながら降下してきていた。
黒い要塞――
ブラックエンペラー。
ただ浮かんでいるのではない。
確かな推進力と、明確な意志をもって、ガルガンダの進路上へと滑り込む。
「……道を、塞ぐ気か」
船体は都市一つ分にも匹敵する巨躯。
装甲板は幾重にも重なり、鈍い光を吸い込むように黒く、その腹部には無数の砲門とハッチが、静かに並んでいる。
次の瞬間。
船体下部の装甲が、連鎖するように展開。
――無数のハッチ。
一斉に解放されると同時に、
眩い光が腹の底から噴き上がる。
雨ではない。
そのビームは、もはや“降り注ぐ光の壁”だった。
数も、密度も、回避を許さぬ前提で放たれた弾幕が、空間ごと押し潰す勢いでガルガンダへ襲いかかる。
だが――
ユキトはフットペダルを踏み込み、機体をひねる。
八の翼が即座に反応し、進路を再構築。
ガルガンダは減速しない。
一条のビームが掠め、
その直後に別の光が背後を焼く。
紙一重。
いや――
常に“当たらない距離”だけを保つ、異常な精度の回避。
ガルガンダは、弾幕の“隙間”を縫うのではない。
弾幕が形成される前の、まだ存在しない空間を先に通過している。
次々に回避されたビームは、行き場を失い――海面へ。
轟音と共に水柱が何本も立ち上がり、海が爆発したかのように盛り上がる。
高温のビームに焼かれ、
海水は一瞬で蒸発し、白い蒸気が巨大な噴煙となって空へ吹き上がる。
遅れて、衝撃波が水面を走る。
波がうねり、海が引き裂かれ、一瞬だけ、黒い海底が露わになる。
それでも、なお。
ガルガンダは、その破壊の上空を――
傷一つ負うことなく、駆け抜けていく。
ブラックエンペラーの影の中で、
白い機体だけが、異様な速度で光を切り裂いていた。
「……」
ユキトの眼に力がこもる。
「ここで足止めってわけか」
視線の先。
黒い要塞は、なおも砲門を閉じることなく、次の攻撃に備えていた。
――この空域そのものが戦場と化す。
船体から、六つの四角い物体が射出。
それらは回転しながら空中へ展開し、表面を覆うガラス状の装甲が、青い空と雲を歪んで映し返す。
次の瞬間。
ブラックエンペラーから放たれた複数のビームが、その四角い物体へと直撃。
――反射。
甲高い金属音と共に光は装甲に吸われることなく弾かれ、
角度を変え、軌道を折り、速度を殺すこともなく跳ね返る。
さらに――反射。
一条だった光は、二条へ。
二条は四条へと分裂し、空間を切り裂く線となって増殖する。
そして、反射。
回転する装甲面が次々と角度を変え、
跳ね返されたビームは再び別の反射体に叩き込まれる。
直線だったはずの光が、
折れ、歪み、絡み合い、空中に“面”を形成していく。
弾幕ではない。
空そのものが、光で封じられていく感覚だ。
瞬きする間もない。
視界の前後左右、上下――
逃げ道という概念そのものが、削り取られていく。
蜘蛛の巣のように張り巡らされた光条が、
わずかな隙間さえ許さず、ガルガンダを包囲する。
「面倒だな」
敵が直接撃ってくるのなら、銃口の向きや機体の挙動を読めば回避はできる。
だが、反射されたビームは違う。
発射元が見えず、
次にどの角度から来るのか、予測が立たない。
ガルガンダは即座に回避飛行へ移行。
八の翼が軌道を修正し、機体は紙一重で光を躱していく。
――だが。
一条の反射ビームが、予測の外から跳ね返り。
ガルガンダの肩装甲を掠めた。
火花が散り、警告音は短く鳴る。
致命傷ではない。
だが、確実に――“通じた”。
ブラックエンペラーの迎撃は、ただの物量ではない。
「……ん?」
ビームの弾幕を縫う飛行の最中、
ユキトはモニターの端で、異質な“動き”を捉えた。
ブラックエンペラーの船体下部から射出されたそれは、
瞬く間に加速を重ね、黒い閃光となって空を切り裂く。
――速い。
コックピット内に、接近する高熱源反応を知らせる警告アラームが鳴り響く。
メインディスプレイに表示された対象の速度メーターは、
明らかに常軌を逸した数値を示していた。
(……来る)
悟った瞬間、
ユキトはビームの網目をすり抜けながら、背部に担いだコンボウ刀を引き抜く。
次の刹那。
ガギィン――!
金属同士が激突する、耳を打つ快音。
拮抗していたのは、ガルガンダのコンボウ刀と、
刃元に小ぶりな補助刃を備えたチェンソー型の剣――
チェングブレード。
衝突の反動で火花が散り、互いの機体が空中で弾かれる。
そして、ガルガンダのコックピットモニターに映し出されたのは――
漆黒の顔。
黒い重装甲に覆われた異形の機体。
頭部には巨大な一本角、細く絞られたモノアイが捕食者のような光を放つ。
頭部と腹部、二つのアナグラの赤い核が不気味な同期を刻みながら明滅し、
背中には悪魔を思わせる翼。
その根元には、機体の全高を超える二本の大鎌が懸架されている。
肥大化した四肢は、機械獣のように歪で、鋭利だった。
『久しぶりだな。……あの時以来か』
黒い機体――バグザンド。
外部スピーカー越しに響く声に、ユキトは眉一つ動かさず応じる。
「誰、アンタ?」
『忘れたのか? つれないねぇ。あんなにも激しいひと時を味わったというのに――白い悪魔』
「覚えてない」
『なら、意地でも思い出させてやるよ!』
叫びと同時に、
バグザンドの右腕が背後へ回り、獲物を掴む。
引き抜かれたのは、背部に装備された二本の大鎌のうちの一本。
振り下ろされる刃。
ガルガンダは瞬時に右マニュピレーターを伸ばし、その大鎌の刃を受け止める。
同時に――
左右を回り込んでいた長方形型の翼、ヴァントムの子機二機が銃口を展開。
炸裂音。
だが、バグザンドはチェングブレードと大鎌を引き戻し、
ほぼゼロ距離の中で機首を左右に振り二発の射撃は、紙一重で空を切った。
後退するガルガンダを、
バグザンドは黒い翼を大きく広げ、追撃に移る。
『いい反応速度だ……あの時より、格段に成長しているな』
「そりゃどうも」
次の瞬間。
バグザンドの黒い翼が、異様なうねりと共に形を変える。
一本一本が高密度エネルギーを圧縮し、実体化した刃――
ブラックスナイパー。
翼であり、弾丸であり、刃でもある兵装。
空間を覆う十五の黒翼が、一斉に解き放たれる。
警告音。
さらに、真上からの高熱源反応。
黒い要塞――ブラックエンペラーから降り注ぐ光の雨。枝垂れ桜と見紛うほどに、無数のビームが空を裂く。
ガルガンダは、その隙間を縫うように急旋回。
ユキトはフットペダルを小刻みに踏み込み、操縦桿と指先でヴァントムの子機を同時制御する。
そこへ――
バグザンドが、投擲。
大鎌が唸りを上げて迫る。
「ッ!」
ガルガンダは咄嗟に右脚を振り上げ、蹴り上げるようにして刃を弾き返す。
――その瞬間。
四方八方、そして背後。
ブラックスナイパーが迫る“気配”が、脳裏を貫いた。
視界には映らない。
だが、見えないはずの方向から、敵影の軌道、角度、殺意までもが――
一枚の情景となって浮かび上がる。
それは予測ではない。
直感でもない。
ユキトは、迷わない。
操縦桿を引き、
ヴァントムの子機すべての銃口を海面へ向け――発射。
轟音。
立ち上がる水柱は、数十メートルに達する。
その水壁に、コンマ遅れてブラックスナイパーが突入。
刃の軌道が、わずかに――だが致命的に狂う。
その一瞬を逃さず、
ガルガンダは真横へ急加速し、戦域を離脱。
空間を切り裂く黒翼の群れを置き去りにし、バグザンドとの距離を強引に引き剥がす。
『“サードステージ”で、真っ向からやり合うとはな。哀れでもあり…だが、流石でもある。白い悪魔、恐れ入ったぜ』
「…………」
バクザンドのパイロット――嵐着の声は、どこか愉しげだった。
称賛を含みながらも、その奥には確かな圧がある。
まるで、獲物の成長を喜ぶ捕食者のそれだ。
だがユキトは、応じない。
会話の最中ですら、視線をバクザンドから外すことはなかった。
鋭い眼差しで、機体の挙動を観察する。
背部――
瞬間的に、黒い羽が生成されている。
通常ならあり得ない芸当だ。
体内循環する動力エルトライムを即座に構造化し、外部兵装として具現化する。
それ自体はゼウスフレーム由来の機構だが――
(……生成が、早すぎる)
ユキトは眉をひそめる。
あの速度は、単なるフレーム性能では説明がつかない。
搭載されたアナグラの核による出力底上げ。
それに加え、シンクロシステムの完成度――双方が噛み合って初めて成立する異常挙動だ。
(あの羽……数に限りがあるようには見えない)
思考が走る。
(同じゼウスフレームでも、アナグラの核があちらにある以上、性能が同等なわけがない。……単純な機体性能差だけじゃない)
脳裏に、整備士――峰型の言葉が蘇る。
——シンクロシステムのサードステージとフォースステージの間には、
越えられない“壁”がある——
(……これが、その差)
ユキトは、操縦桿を握り直した。
指先に伝わる微細な振動が、機体と完全に繋がっていることを告げる。
その視線の先で、
バクザンドに異変が生じる。
振り下ろされた両腕のマニュピレーター先端に、
エネルギーが凝縮され――
刃となる。
爪。
それも、単なる刃ではない。
獣の捕食本能を思わせる、歪で鋭いエネルギー爪だ。
同時に、両脚部にも変化が走る。
足首から脛にかけて、かぎ爪のようなブレードが生成され、
空間そのものを引き裂くように展開していく。
そして黒い羽が大きく広がりバクザンドは――
一気に、距離を詰める。
****************************************************
一方その頃。
戦艦アルカディア――格納庫区画、整備管制室。
再度進水してからまだ間もないため、
壁には雑多なメモ一枚すら貼られていない。
整備施設とは思えないほど、整然とした清潔な部屋だ。
その中央で、
峰型はモニターを睨みつけるように見つめ、難しい顔をしていた。
「おや、めずらしいね」
背後から声を掛けられ、峰型は振り向く。
管制室に入ってきたのは、ミス・バーバリアンだった。
「そうか? 整備士なんだから、こういう場所にいてもおかしくねぇだろ」
「細かい作業は好きなくせに、パソコン仕事は嫌いなアンタが? 珍しいって話さ」
「一言余計だっつの」
「で、なにやってたんだい?」
ミス・バーバリアンが尋ねると、
峰型は短く息を吐き、再びモニターへ視線を戻した。
「あぁ……ガルガンダの件だ」
「ん?」
その言い方が、いつもと違う。
ミス・バーバリアンの細めた目が、わずかに開く。
「時間がなかった。最低限の整備と稼働チェックは済ませたし、
OS内のデータを洗って、シンクロシステムの最適化もやった」
「十分じゃないか」
「……ちげぇんだ。見落としがあった」
「それは、悪い話かい?」
「状況次第じゃ、良くも悪くもなる」
「ずいぶん曖昧だね。プログラムの書き換えをミスったとかかい?」
ミス・バーバリアンの問いに、
峰型は慣れない手つきでキーボードとマウスを操作し、
モニターの表示を切り替えた。
「これだ」
「……第三世代直列三機構エルトライムは、初期開発段階において出力制御の点で難航を強いられた。だが当時の設計思想は、アリオネル帝国に対抗する兵器の開発を主眼とし、“抑える”のではなく、“引き上げる”方向で調整が行われた――」
老眼鏡をかけ、表示された文面を読み上げるミス・バーバリアンに、峰型が言葉を重ねる。
「その“一号機”が型式番号01。ゼウスフレーム、ガルガンダ。最初に完成した機体らしい」
「ほぅ……」
ミス・バーバリアンが続きを追う中、峰型は低く続ける。
「当時の記録を見るとゼウスフレームにはエルトライム出力を一時的に開放する機構が存在する。ファイナルモード、だがそれは――」
峰型は一瞬言葉を区切り、モニターの端を指で叩いた。
「……“完成形”じゃねぇ」
「どういう意味だい?」
ミス・バーバリアンは、ページをスクロールする手を止めた。
「ヴァルギリアやアルゴスに搭載されているファイナルモードはな」
峰型は、低い声で続ける。
「ゼウスフレームに搭載されたエルトライム出力解放機構を、意図的に抑え込んだ――後期仕様だ」
「抑え込む?」
「そうだ。理由は単純よ」
峰型は椅子にもたれ、視線だけをモニターに残す。
「初期の出力解放は……扱えたもんじゃなかった」
ミス・バーバリアンの細い目が、わずかに見開かれる。
「エルトライムの制御を、機体じゃなく――パイロットそのものに委ねてた」
「……つまり」
「機体は耐える。だが、人間が耐えられるかどうかは、考えちゃいなかった」
一拍。
「神経系への逆流。脳への過剰負荷。循環器への致命的な負荷。短時間なら動けるが、戦闘が長引けば――」
「……死ぬ」
「そうだ」
峰型は、淡々と断じた。
「だから後期のファイナルモードでは、出力は段階的に制限された。戦闘中にパイロットが死なないようにな」
「性能より、生存性を取ったわけだね」
「兵器としては……正しい判断だな」
だが、と峰型は続ける。
「ガルガンダは、違ったらしい」
峰型は、画面に表示された
《型式番号01:ガルガンダ》の文字を指差す。
「当時のゼウスフレーム初期設計段階での思想は――“勝つための機体”だ。抑えるより、上げる。耐えられる限界まで、引き出す」
「それが…ガルガンダの心臓部に、残ってるってわけかい」
ミス・バーバリアンは、ゆっくりと息を吐いた。
「戦闘中、今のファイナルモードとは別の――“初期の出力解放機構”が起動する可能性がある」
「当然、ユキトはそれを」
「知らねぇさ」
峰型は、視線を落とさずに言い切った。
「だがアイツは、これを知っても……使うって言うだろうぜ」
静まり返る整備管制室。
峰型は、低く呟く。
「自分のことなんざ考えていねぇ。どんだけボロボロになろうと、自分が自分である限り前に進む……そういう男だ」
重い溜息を吐き、峰型は最後にこう願う。
「無事に戻ることを……祈るしかねぇ」
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