19話:沈黙
1街は――すでに“人間の住む場所”ではなくなっていた。
青南水産高校方面にロボット出現の報せが流れた瞬間、人々の不安は飽和し、もはや恐怖を越えて“嫌な予感”だけが空気を支配していた。
だが異常はそこで尽きるはずもなく、同時に起きた地の底から「何か」が蠕動するような重く湿った揺れが、間断なく地表を叩き上げた。
アスファルトが鳴き、家屋が悲鳴を上げ、電柱がまるで逃げ場所を探すようにしなる。しかし、逃げ惑う人々の目には、それよりももっと冷たい現実が突き刺さる。
――緊急アラートが鳴らない。
――どのスマホも沈黙したまま光すら灯さない。
――通信も、ネットも、通話も、何ひとつ届かない。
揺れているのに、知らせがない。
危険が迫っているのに、声が届かない。
“知らされないまま死ね”と言われているような静寂。
震度も不明。被害状況も不明。
この街だけなのか、日本に何か起きているのか――確かめる術はもうどこにもない。
ただ揺れだけがしつこく続き、ただ人間だけが無力に取り残される。
人々の顔色は、血の気が引くというより“魂が剥がれ落ちていく”ように変わっていく。
ざわめきは喉を裂く悲鳴に変わり、悲鳴は理性を焼き尽くした混乱へと転じ、街はひとつの巨大なパニックの坩堝となった。
誰も状況を知らない、助けを呼べない。
そして――誰も、この揺れの“正体”を口にできない。
「家に連絡がつかねぇ…くそ、どうなってんだ!」
街から外れた田園地帯を走りながら、霧崎はスマホを握りしめ苛立ちと不安を吐き捨てた。今、彼らは家族の安否確認をするため、散り散りになった生徒たちの中からなんとか合流した五人──萌里、みる、仁菜、織田、霧崎──で行動している。
避難所に向かっていたはずの生徒たちは、一般市民の避難の波に飲まれ列は崩壊。信号停止で交通事故が連鎖し、死傷者が出ても救急車は来ず、街は地獄のような混乱に変わっていた。
避難所の位置すらわからない今、ネットも通話もすべて沈黙している。
みる、仁菜、織田の家族はすでに避難した形跡こそあったが、連絡が取れない。霧崎の家は電車で三十分だが、地震で線路が死んでいる。
だから最後に、萌里の家族の安否を確かめるため、五人は田辺家へ向かっていた。
「こんな状況だから、どこが避難所かもわかんないし…無事でいてほしいんだけどさ」
「心配すんなよ! お前んちのとーちゃんとかーちゃん、馬鹿みたいに元気だろ! きっと大丈夫だって!」
「ちょ、なんで急にそんなこと言うの?!」
「なんだよ!」
みるの顔が真っ赤になるが、今は誰もそのやり取りにツッコむ余裕がなかった。
「にしても田辺の家、遠いなっ」
先頭の織田が息を吐く。体力はあるが、今日は運動靴ではない。雪解けでぬかるんだ田園道は走りにくく、泥が制服に跳ねても気にしていられない。
「いつも電車通学だから! あ、でももうすぐ!」
小さな坂を登ると、見慣れた田辺家が見えた。萌里がここへ来た理由は、もう一つ。
──マリゲルと飛永へ状況を伝え、ユキトへの加勢を頼むため。
「やっと着いた…」
息を切らした萌里が引き戸を開ける。
「おじいちゃーん! いるー?!」
呼びかけるが、返事はない。
家の電気も珍しく、すべて消えている。
「あれ…居ないのかな」
「どっかに避難したんじゃねーの?」
「行きそうな場所の心当たりは?」
その時だった。
ギシ…ギシ…
奥から階段を下りてくる足音。
萌里が目を凝らすと、祖父・哲郎の姿が2階から現れた。
「あっ、良かった! おじいちゃん、大丈夫だった?!」
萌里が廊下に上がろうとした瞬間──
哲郎の背後から黒い影が二つ、常人の反応速度を超える動きで飛び出した。
手には光る刃。
一人は壁を蹴り、もう一人は天井を蹴って、猛スピードで萌里に襲いかかる。
次の瞬間。
台所の引き戸が爆ぜ飛び、中から飛び出した拳が一人を壁に叩きつけた。
続いて天井から跳ぶもう一人にはナイフを投げ、肩に命中。姿勢を崩した瞬間、後ろ回し蹴りが叩き込まれ、玄関の引き戸ごと庭へ吹き飛ばす。
「…間一髪だったな」
黒い二つの影を撃退したのは、姿勢を立て直す飛永だった。萌里は安堵し、後ろの四人は驚愕に言葉を失う。
飛永も動揺を隠せないが、すぐに哲郎へ向き直った。
「あ、あの、これ…どういうことなんですか?!」
萌里の声は震えていた。
「どうもこうもねぇ!お前のじいさん、連中とグルだったらしいぞ!」
「え…」
その言葉に萌里の顔が固まる。
「少し前に、アイツとマリゲルから言われててな。監視してたんだよ。去年の京都でアナグラが突然出た時も、大阪の時も──全部情報が漏れてた」
「……え……えっ…」
「このじいさん全部で全部流してたんだよ!」
「うそ…そんな……」
萌里の背筋に冷たいものが走る。
「京都の時は、お前の服に盗聴器とGPSを仕込んだ。大阪の時も同じじゃ」
哲郎がゆっくり顔を上げる。
声はどこか異様に落ち着いていて、淡々と続ける。
「しかし彼は…ユキトは勘が良かった」
その言葉に萌里の頭に、ユキトにポケットの有無を聞かれた日の記憶が蘇る。
「じゃあ、あれって…」
「時が来たんじゃよ、萌里」
哲郎は萌里を指差した。
「お前は“カギ”とやらになるんじゃ」
「お、おじいちゃん…!」
その瞬間、萌里の中で何かが音を立てて崩れた。
幼い頃から遊んでくれた優しい祖父。両親がいなくなった時も支えてくれた。
その祖父が──自分を狙う連中と繋がっていた。
「うそでしょ……ありえないよ……」
萌里の声は震え、もう言葉として形を保てていなかった。
「あえりえなくなんかねぇ!キツイと思うが、これがどうやら現実らしい!」
飛永が叫ぶ。
しかしその声は、今の萌里の胸に届かなかった。
胸の中心が、冷たい刃でぐさりと刺されたように痛い。
信じたくない。信じられない。
その思いが頭の中でぐるぐると渦巻き、呼吸の仕方さえ分からなくなっていく。
萌里は自分の腕を掴み、必死に体を抱きしめた。
身体の震えが止まらない。
涙は視界を曇らせ、世界がゆっくりと色を失っていくようだった。
その時、飛永の視界の端で“蠢く影”が動いた。
さっき殴り倒した黒い人影が、虫のように体を痙攣させながら起き上がろうとしている。
みる達が小さく悲鳴を漏らし、互いにしがみつく。
影の皮膚がべりべりと裂け、中から現れたのは――
黄色い双眼をギラリと光らせた、人型の怪物。
「コイツは…オチビト?! ってことは、まさかっ」
玄関外の一体も同じように皮膚を脱ぎ捨て、異形へと変貌していた。
「チィ、これで繋がりは濃厚ってわけだな!」
「飛永さん、悪いことは言わん、その子から手を引きなさい。アンタの身のためだ」
哲郎の声はまるで別人のようだった。
優しさも温度もない。氷のように冷たい声。
「悪いねぇ、この子と後ろにいる子たちはアタシの教え子なんでね。引くなんて選択肢は端っからないのさ!」
「愚かな……誰を敵に回しているのか、全然わかっちゃおらんのぅ。年寄りの意見は素直に聞くのが長生きの秘訣じゃ。さもなくば――彼のようになるぞ」
「彼…誰の事だ!」
飛永が怒鳴ると、哲郎はゆっくりと口角を上げた。
その表情は、孫を愛する祖父のものではなかった。
「ユキトじゃよ」
「なにぃ?!」
「えっ……」
空気が止まった。
誰もが次の瞬間、呼吸を忘れた。
「君らなら知っているだろう、さっき学校に攻めてきたアナグラ。あの後にジャッジメントエンドの幹部、デカメロンが行ったはずじゃ。そして先ほど……ガルガンダの破壊に成功したと伝達があった」
「んなホラ話、誰が信じるかっっ!!」
飛永は怒鳴り返した。
しかしその胸の奥で、冷たい何かがゆっくりと広がる。
“もし、本当だったら?”
そんな最悪の想像が、理性のすき間に入り込んでくる。
「はっはっは、信じられないか…若さよぅ。デカイの乳袋だけで、お頭のほうは小さいようじゃのぅ」
「たわけたことぬかしてんじゃねーぞ、じじぃ!これが終わったらセクハラで訴えて豚箱にぶちこんでやるからな!」
「そんな平和な世界、来るわけがっ、なかろうて!」
哲郎の声と同時に、オチビトが動いた。
飛永、萌里、みる達へと一斉に飛びかかる。
恐怖が爆発し、萌里の全身が硬直する。
“死ぬ――”
初めて、自分が命の端っこにぶら下がっているのを感じた。
そのときだった。
『全員頭を伏せろ!』
外から響いた機械音声。
聞き慣れた声の主を、飛永は瞬時に理解した。
「伏せろっ!!」
飛永は萌里を抱きかかえ、後ろの生徒たちの頭を押さえる。
全員が身を縮めた直後――
ゴゥンッ!!
世界が一瞬で壊れた。
屋根、壁、柱……木造の家が上からえぐられ、破片が雨のように降り注ぐ。
破片の隙間から空が見えた。
そして――
半分倒壊した家の向こうに、巨大な影が立っていた。
青い装甲。槍のような巨大ランス。鎧武者のごとく立つ“救い”の象徴。
ギルギガントだった。
「は……えっ? って、おいおい!! あぶねーだろが!!」
飛永は反射的に身を起こし、噴き上がる砂埃と木片の中からギルギガントを睨みつける。胸の奥がドクンと跳ねていた。ほんの数秒前まで、死が背筋に触れていたのを理解したからだ。
視界の端では、木造の梁や壁の破片に混じって、オチビト二体が肉片と化して転がっている。骨も内臓もぐしゃぐしゃに飛び散り、鉄臭い血が地面に濃い黒を広げていた。
それを見た瞬間、みる・仁菜・霧崎・織田は思わず息を呑み、萌里は震えた指で自分の胸元を掴んでいた。
「当たったらどーすんだよ、バカ!! あと数センチでアタシら串刺しだぞ!!」
怒鳴り声には恐怖が混じる。
だが、恐怖を怒りで押し込んでいるのが明らかだった。
『案ずるな。小手先の操作は慣れている』
マリゲルの声音は、機械越しでも分かるほど落ち着き払っていた。
…いや、冷静すぎたというべきか。ギルギガントの青い装甲の奥にいる彼は”誰か”と同じで戦場において常に“結果”だけを見ていたのかもしれない。
ギルギガントの巨体はゆっくりと角度を変え、木材の山の中で立ち尽くす哲郎を見下ろす。
『彼から聞いていたが――やはり、そういうことだったか』
声音には、怒りでも軽蔑でもない。
ただ、深い“確認”の気配だけがあった。
哲郎は顔を上げ、マリゲルを、ギルギガントを真っ直ぐに見返す。
目には恐れがないどころか、むしろ「読めぬ未来を楽しむ老人」のような、不気味な光が宿っていた。
「わしごとやらんかったのは、なにゆえじゃ?」
『老人には優しく―我が家の家訓だ』
マリゲルの声は静かだったが、その“静けさ”が逆に場を張りつめさせた。
萌里は涙を拭いながら、彼の言葉に小さく息を呑む。
どれだけ冷酷な戦いの中にいても、彼には絶対に壊さない“線”があると知っていたからだ。
哲郎の皺だらけの口元が、にやりと裂ける。
「それが命取りになるぞ……マリゲルさんよ」
その笑みには、萌里の心をえぐるような悪意が滲んでいた。
「孫を騙していた男」ではなく、「計画のために孫すら駒にできる男」の顔だった。
『……時と場合による』
その瞬間、マリゲルの声に――ほんの刹那だけ、金属の膜が剥がれ落ちるように“温度”が宿った。
怒りか、哀しみか、それとも諦念か。
どれにも似て、どれでもない。
ただ、鋼鉄の奥底で微かに揺れた“人間”の気配だった。
ギルギガントのランスの先端が、哲郎へ向けてわずかに傾ぐ。その動きは無機質でありながら、どこか容赦の影を孕んでいた。
『先を急いでいる。そこでジッとしていてもらおうか』
静かに告げる声とは裏腹に、その機械はいつでも哲郎を串刺しにできる距離にあった。
ギルギガントの背後、崩れた瓦礫の陰には灰色の巨躯――アルゴスが片膝をつき、まるで身構えた獣のように鎮座している。
『アーマーフレーム同様、パイロットの認証を確認しないと動かないのでな。ここまで担いで持ってきた』
「陸送費はッ、いくらだ!」
『考えておこう』
「いけすかねーな、ったく…!」
緊張の中にも、飛永はいつもの悪態を返す。
だがその口元の歪んだ笑みには、張りつめた恐怖をごまかす色が滲んでいた。
すぐそばでは――萌里が、まるで魂を抜かれたように立ち尽くしていた。
飛永はその肩に腕を回し、軽く叩く。
「立て。おまえも、みるも仁菜もだ。女子はアルゴス! 灰色のに!織田と霧崎!男子はギルギガントに乗れ! コックピットが狭すぎてこっちじゃ全員は無理だ!」
叱咤の声に、みる達が必死に足を動かす。
ギルギガントは哲郎から目を離さないようランスを向けたまま片膝をつき、コックピットハッチを開いた。
降下式ワイヤーが、救助の蜘蛛糸のように地面へ伸びる。
アルゴスの方へ走っていくみるや仁菜の背中を追いながら、飛永も駆けだす。
だが――萌里だけは違った。
身体は動いている。
けれど、その顔はまるで“色”を失っていた。
(――ユキトが……やられた? ガルガンダが……?)
その言葉が耳から離れない。
道すがら聞いた哲郎の告げた残酷な報せが、何度も何度も胸の奥でこだまし、そのたびに萌里の心のどこかで“音”が、ひび割れのように走っていく。
息をするだけで胸が痛い。
歩くだけで体が冷える。
世界が、さっきより暗く、重く見える。
「……ユキト……」
その小さな声は、自分の耳にさえ届かないほど弱かった。萌里の中で、希望という名の光がゆっくりと色を失っていく。
まるで心臓そのものが、空洞になっていくかのように―。
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(ここは——)
暗闇が、海のように揺れていた。
重力の感覚はなく、ただ全身が静かに沈んでいく。息ができているのかすら曖昧で、“生きている”という実感がどこにもない。
ユキトの瞼は半分だけ開き、ぼんやりと虚ろな光を宿していた。
(どこだ……ここ……)
その闇の奥から、声が滲み出るように響いた。
——さぁ、今日からアンタはうちで暮らすんだよ——
(……誰、だ?)
——辛いことがあった後には、きっと良いことがある。自分を信じて前に進もう——
(ちがう……もっと……遠い声)
——最初はだれでも他人さ。それが、時間をかけて絆が生まれて……いつしか知り合いになり、友人になり……家族にもなる——
(……家族……?)
——アンタはいつのまにか手に入れてたのさ、“家族”ってやつを。ここにいるみんながアンタの家族で……アンタのいる場所が“家”なんだよ——
(家……居場所……)
記憶の声が交錯し、遠ざかり、そして急に断ち切れる。
——早く逃げな! 出来るだけ遠くに!——
別の声が重なった。
叫び、軋み、泣き叫ぶような声。
——やめろおおおおおおお!!——
(……今の、俺の声?)
闇が震えた。
怒りだけが濁流のようにあふれてくる。
——絶対に許さない……許さない……
ぐちゃぐちゃにしてやる……憎い憎い憎い!!
殺す殺す殺す!!
全部ぶっ壊してやる!!
お前ら全員……一匹残らず……
ぶっころしてやる!!!!——
(……………これは……俺の……中から……?)
自分のものとも思えない“黒い声”が、胸の奥底からせり上がってくる。
怒りでも悲しみでもない。
もっと原始的で、もっと凶暴な——。
—本当に良いんだな?—
(なんの、話だ…)
視界の暗闇が音もなく閉じていき、ユキトの意識は、より深い底へ、ゆっくりと沈んでいった。
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地下から突き上げる揺れは、もはや“地震”という言葉では説明できないほど異質なものへと変わっていた。
日を追うごとに強まる振動は、まるで“世界そのものが苦悶している”かのように大地を歪ませ、すべての大陸を等しく揺さぶった。
人類は、世界がどうなっているのかすら、まだ知らない。
衛星は沈黙し、ネットも通信も死んだまま。知らされない恐怖は、やがて想像を暴走させ、日常という概念を完全に破壊した。
ただ怯え、ただ震え、ただ空を見上げるしかできない。何が起きているのかも分からず、ただ“終わりの気配”だけが濃くなる。
そして――それは、突然だった。
世界中で、地面の下から“あり得ない温度”の熱源が一斉に立ち上がった。
地下水は瞬時に蒸発し、大地は悲鳴をあげて裂け、都市の中心も、郊外も、砂漠も、海岸線ですら赤く染まっていく。
あふれ出した“赤い海”、それはマグマだった。
だが地獄のように煮えたぎるその海より恐ろしいものが、
次に姿を現した――白い“人型”、――巨大な兵器。
全身が雪のように白く、無機質で、目も顔も“意志すら感じさせない”異形の兵器。身の丈は100メートルを優に超え、ビルを玩具のように見下ろしていた。
そして最悪なのは、それが“ひとつ”ではなかったことだ。
世界中の地中から、同じ姿が数えきれないほど立ち上がってくる。まるで眠り続けた巨神たちが、決められた時刻に一斉に起動したかのように。
何千年も前から、そこに潜み、地殻の下で息を殺していたかのように。
だが、人類はまだその存在の意味を知らない。
これが何なのかも、誰が造ったのかも、どれだけの数がいるのかも。
ただひとつ確かなことは――
滅びの音が、世界の底から響き始めたという事実だけだった。
それは避けられない、止められない。
理解すら許されない。
その“音”はもう完全に牙をむき、世界へ向けて大きく口を開いた。
「実に……爽快だね。世界が壊れていく音が、こんなにも美しいとは」
仮面の奥で歪んだ笑みを刻む髑髏は、玉座に深く身を預けていた。
周囲を包囲する巨大モニター群には、世界中の惨状が途切れることなく映し出されている。崩れ落ちる都市、沈む大地、逃げ惑う生者たちと、静かに浮上する白亜の巨影たち――。
「セルガンティス文明が残した遺産……いや、“呪い”と呼ぶべきだろうね。巨大移動型兵器。操縦者すら不要の、ただ“破壊だけ”を欲する無魂の兵士達。アリオネル帝国との戦争に備え造られた化け物……その起動条件にはずいぶん時間を食ったが、ようやく分かったよ」
髑髏が軽く手を掲げると、床面の蓋が軋むような音を立てて開いた。暗闇から持ち上がってきた台座には、脳髄が収められている。
脈動している。
まるでまだ“生きている”かのように。
「最初は、このヤムデル族の脳がカギだと思った。だが違った。この船の封印を解くには使えたが……ビック・ギアには足りなかったようだ。連中は《主を守る》ためだけに動くようインプットされた魂なき防衛兵器。ならば、彼らが守るべき“主”とは誰か……」
《お前がカギだって言ってる、あの女……田辺萌里だな?》
低く濁った声が空間に響いた。
スピーカー越しではない。生身の喉ではもう出せない、どこか電子ノイズを引きずった声。
「やぁ、嵐着。調子はどうだい?」
《すこぶる、いい。これが“進化”ってやつか。身体が軽い……いや、軽すぎて笑える》
「最初は皆、拒絶する。だが一度飲み込めば、それは力となる。あと少しで君たちは――完全に“動ける”。」
《あぁ…オレの歪んだ理想に、お前が答えてくれたおかげでな。この世界を壊す理由が、はっきりした。礼は言うぜ》
「礼なら、すべてが終わってからにしてくれ。まだ【鍵】が手元にない。あれを連れてこない限り、《アレ》を蘇らせることはできない。……もっとも、器としては充分に成熟しているようだがね」
《あとの二人はカスだろ。すぐに片付けるさ。この“新しい体”でな》
通信の向こう。
巨大な格納庫の中で、黒く禍々しい機体が最後の接続作業を受けていた。
背中に垂れ下がる無数のパイプが脈動し、装甲の隙間で白いフレームが獣の呼吸のように光ったり消えたりを繰り返す。
開いた腹部ハッチの奥――。
そこに固定されたパイロットシートには、
機械に半ば喰われ、顔と胸部だけ人間の原型を留めた嵐着がいた。
皮膚の境界から覗く金属。
筋肉をなぞるように走る黒いケーブル。
目はすでに、生者特有の光を失っていた。
それでも、口元だけは笑っていた。
人間だった頃より、ずっと残酷に、冷徹に。
嵐着の変貌は、もはや「人間」というカテゴリに当てはめること自体が侮辱になるほど異様だった。
黒い機体の腹部ハッチは、まるで獲物を呑み込む獣の口のように大きく開いており、その“口腔”に押し込まれるように嵐着の上半身が固定されていた。
だが、固定されている――という表現は正確ではない。
“取り込まれている”のだ。
彼の背中に突き刺さった複数のパイプは、ただの補助装置ではない。
脈動している。まるで血管のように。
その一本一本が、嵐着の皮膚の下で鼓動を伝わせ、肉を押し広げ、その奥にある神経を探るように微かに蠢いていた。
装甲の隙間から覗く白いフレームは光を放っているのではなく、嵐着の“内部”から滴るように滲み出した光を吸い上げているかのようでもあった。
彼の胸から下は完全に機体と融合し、境界の皮膚は金属と有機物の区別がつかないほど滑らかに繋がっている。
ただ一つ、生身の部分だけが“浮いている”。
顔。
表情筋は緊張と苦痛で屈曲し、汗とも涙ともつかない液体が頬を伝い、だがその瞳だけは、常人では耐えられないほどの陶酔で満たされていた。
「……ッ、あぁ……たまらねぇ……」
かすれる声に、かつての人間らしさはほとんど残っていなかった。
彼の首元では、金属の器官と肉のそれが互いを侵食し合い、呼吸のたびに“人間の肺が鳴らすはずのない音”が漏れる。
ギュル……ギチ、ギチチッ……
その異音が響くたびに、黒い機体のフレームが呼応して僅かに震え、嵐着の背を走るパイプは、赤黒い液体を送り込むように膨張と収縮を繰り返す。
まるで巨大兵器そのものが、嵐着を“食べながら育てている”かのように。
そんな異様な光景の中心で、嵐着はうっすらと笑った。
人間には決して許されない種類の、
“生まれ直した者”だけが浮かべられる歪んだ笑みを。
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「チィ…!マジでキリがねぇ!!」
喉の奥が焼けるような叫びが、アルゴスの密閉されたコックピットに反響する。
世界全域で狂ったような地震が始まって一週間。
空はいつも薄く濁り、大地は壊れ続け、ネットも通信も途絶えたまま—
どこで何が起きているのか誰にもわからない。
その“盲目の世界”をさらに地獄へと蹴落とすように、黒い機体――アナグラが、今日も飽きもせず湧いてくる。
「くそ…息継ぐ暇すらねえ…!」
飛永は震える手で操縦桿を握り直す。もう何時間戦い続けているのか、時間の感覚がとっくに壊れていた。
視界の端、倒壊したビルの陰からぬるりと動く黒い影。
アナグラの外装は前より滑らかで、どこか“脈打つ”ように波打っている。
機械のくせに、生き物の皮膚を思わせる粘り気を帯びて。
「ふざけんじゃ…ねぇよ…!気持ちわりぃ!」
飛び出してきたアナグラの頭部を、アルゴスのライフルが撃ち抜く。だが黒い金属片が飛び散った瞬間、その破片が蠢いて“元の形”へ戻ろうとする。
進化などという生易しいものではない。
まるで 死なないことを前提に、生物的に組み直されているような恐怖。
「無限に湧くだけじゃねぇ…お前ら、どんどん人間の“嫌がる形”に進化してきやがるな…!」
頭上を、黒い影が飛び越えた。
ギザギザに裂けた足裏から、骨のような刃が覗く。
「ッ——!」
反射的にアルゴスを屈ませると、頭上を足刃が掠め、天井の鉄骨を紙みたいに切り裂いた。
すぐさま飛永はライフルを構え、影に体当たりするように押し込む。
「死んどけやあああああッ!!」
倒れた黒い巨体の腹部、赤黒く光る核へ零距離で引き金を引く。
轟音と衝撃で視界が白く染まり、外の空気が爆ぜる。
アナグラの胴体が裂ける。
しかしその裂け目の奥には、以前にはなかったものが蠢いていた。
――黒い“肉片”のような塊が、おぞましい動きで形を変えながら、まるで息を吸うように震えている。
(なんだよ…何が、どうなってんだよ、これ…)
飛永の背筋を冷たい汗が伝う。
恐怖で胃が握りつぶされそうだ。疲労で手足は痺れ、視界の端は時々ブラックアウトする。
それでも戦うのをやめれば、間違いなく“こいつら”は自分も、萌里も、リナも、その場にいるすべてを踏み潰す。
「…はぁ…っ、はぁ…っ……クソッ……まだ来るのかよ……!」
壊れた街の奥で、アナグラの輪郭がいくつもゆっくりと立ち上がる。以前よりも細く、長く、そして不自然に“しなる”シルエット。
喉の奥から機械音とは思えない低い呻き声を漏らしながら、こちらへと歩き出した。
進化ではない。
――悪夢そのものが、自律して姿を変えている。
飛永の手は震えている。
“限界”とは、本当はもっと手前で迎えているものなのだと、今さら気づく。
その時だった。
真横から、乾いた空気ごと世界を裂くような鋭い一閃。
アナグラたちの黒い外殻は反応する暇もなく、赤い核ごと一直線に貫通され、爆ぜ、砕け散り、瞬く間に霧のように消え失せる。
残骸が地面に触れるより早く、そこに“それ”は立っていた。
蒼き鎧を思わせる重装甲に身を包み、片腕には巨塔のような突貫ランス。
ギルギガントだった。
振り返ったその巨影の全身には、数え切れない斬撃と衝撃の痕跡が刻まれている。
返り血は乾き、青い装甲に黒い痣のようにこびりつき、まるで戦場そのものを纏っているかのようだった。
しかし、その姿勢は揺るぎない。ただ静かに、王者が戦場に降り立ったとでも言うように。
爆煙の中、ギルギガントはランスを軽く構え直した。
その所作だけで、周囲の瓦礫すら緊張し震えているかのようだった。
『今回も間に合ったようだな』
「へっ、そっちは終わったのかよ?」
『少々手こずったが、片は付いた。こちらも……今ので最後と見ていいだろう』
「なら助かるぜ。……しかしさ、連中。日に日に“形”がキモくなってきてねぇか?」
『進化の過程にあるのだろう。ここへきて、急激に“変質”している』
「マジかよ…こっちは長期戦なんて慣れてねぇのによ」
飛永は、ひとつ息を吐きながら手首で額をぬぐった。
外の気温は6度。けれどコックピット内は、下部動力炉の熱がじわじわとこもりはじめ、息を吸うたびに湿った熱が肺にまとわりつく。
二日間、まともに眠れていない。
風呂にも入っていない。
ノースリーブのニットとショートパンツという、もはや“戦闘仕様”とも言える軽装にも関わらず、背中には汗が張りつき、指先は震えていた。
――もう限界が近い。
身体が、そう叫んでいた。
だが、言葉にするわけにはいかない。
後ろに乗っている守るべき子ども達がいるのだから。
『萌里君とリナ君は?』
「後ろにいるよ……大丈夫だ」
声に出した瞬間、胸の奥でずっと沈んでいた“責任”が一気に重さを増し、肺を圧迫するようにのしかかった。
後部座席へ視線を向けると、ハーネスで固定された萌里が蒼白な顔で息を詰め、その膝の上でリナがしがみ付くように震えている。
二人とも、子供とは思えないほど真剣な目でこちらを見つめ――ただ、必死に“信じよう”としていた。
その視線が胸を刺し、飛永は短く息を吐いた。
操縦桿を握る手が、無意識に強張る。
――その時だった。
空から、“押し潰されるような重圧”が降り注いだ。
耳ではなく、心臓で聞く音。低く、重く、世界そのものを叩き潰すような衝撃。
同時に、両機の警報が悲鳴のように鳴り響いた。
警告アラームの赤が、コックピットを血の色に染める。
映し出される外の景色が、ゆっくりと――闇に塗り潰されていく。
「……は?」
飛永は声すら出なくなった。
天を見上げると、“空”が消えていた。
雲でも煙でもない。そこには、巨大すぎる“何か”が、空一面を覆い隠すように広がっていた。
果てがない。
質量の気配だけが圧し掛かり、地面が軋むほどの重圧を放っている。だが遠くには――その巨大な影の“縁”から、わずかに本来の空が覗いている。
つまりそれは、空を埋め尽くすほど巨大な物体。
「なんだよ……これ……」
声が震える。
『飛行船か?……いや、この形状……円盤……?』
マリゲルの声にも、焦りが滲んでいる。
「UFO……とか、まさか……」
『どうやら――来客らしいぞ』
ギルギガントが影を仰いだ瞬間、
その“円盤”の底面がゆっくりと開いた。
闇のようなハッチが割れ、中から光を吸い込むような“何か”が二つ、落ちるでも飛ぶでもなく、滑り出した。
それらは一直線に――ギルギガントとアルゴスに向かってくる。
「ッ――!」
反射で操縦桿を引く。
マリゲルも同時に回避。
飛永たちのいた位置へ、着弾。
地面がめくれ上がり、爆発的な粉塵が炎のように拡散した。
骨の軋むような金属音が耳を裂く。
その粉塵の中から――
『みィ……つぅけ……たァ……』
低く、濁った、不気味な声。
次の瞬間、黒い影が刃を回転させながら飛び出した。
高速すぎて、視認が遅れる。
掠めただけで、アルゴスの頭部を切り裂き、
赤外線スキャナーのアンテナが、音もなく空へ舞った。
(……反応できなかった……?)
飛永の背筋に、冷たい汗がだらりと伝う。戦い慣れた今でも、身体が震えて止まらない。
“今のは避けられなかった”。
――本能が告げていた。
これは、今までのアナグラとは“次元が違う”。
『さぁて――次の獲物は、どいつだァ?』
粉塵がゆっくり晴れていく。その向こうに、悪夢のような二つのシルエットが立っていた。
一機は黒い装甲が筋繊維のように脈打ち、剥き出しの白いフレームの隙間から赤黒い液体が滲んでいる。胸では、血管のようなラインを伸ばした赤い核が“ドクン…ドクン…”と脈打ち、異様な光を放っていた。
両腕には、生物の骨を模したような重厚な拳武装。
そして頭部には獣と悪魔を掛け合わせたような四本角――
デカメロンが操るウロタロス。
もう一機は黒の重装甲に、巨大な一本角。
モノアイは細く、ぎらついた捕食者の光。
頭部と腹部の二つの核は不気味な同期をしながら明滅し、背中の悪魔的な翼の根本には身の丈を超える二本の大鎌。
手足は異様に肥大化し、機械獣のように地面を抉った。
「あ、あいつは…」
アルゴス後部座席、萌里の顔が見る見る青ざめる。
ユキトが敗れたと聞いた日の記憶が頭を締め付け、眠れない夜を過ごしたその痩せた頬と深いクマが、精神の限界を物語っていた。
「あれです…学校に来たやつ…あの、ひと……」
「なに? ……じゃあアレが――」
飛永の目が怒りに震える。
その直後、萌里の視界にウロタロスが“握っているもの”が映り込み、息が止まる。
その形、その重さ、その垂れ下がる黒いケーブル――
理解した瞬間、彼女は震える手で口を覆った。
『おっとォ、忘れるとこだった。ほらよ――見せモンだ』
ウロタロスは指をわざと一本ずつ開き、ぶら下げていたそれを放り捨てるように投げた。
ゴロン、と鈍い音を立て、アルゴスとギルギガントの間に転がってくる。
――ガルガンダの頭部だった。
半分に裂け、内部のユニットは押し潰され、フレームはバキバキに歪み、断面からはオイルと冷却剤が“血溜まり”のように滲み出していた。
焦げた跡。
爪でえぐられたような痕。
そして何より――切断面にこびり付く肉片のような樹脂屑が、ウロタロスがどれだけ“楽しみながら”破壊したかを物語っていた。
ウロタロスは甲高い声で笑いだした。
『ガハハハッ! 見ろよこのツラ、まだ痛ェって顔してんだろ?いやぁ~おもしれぇおもちゃだったわ、こいつ!もっとゆっくり壊してやりたかったんだがよォ、時間なくてなァ!』
その嘲笑は、まるで人間を物とすら思わない捕食者の声。
萌里は耐えきれず、肩を震わせ、嗚咽を漏らした。
『次はどっちをバラしてやろうか……なぁ?』
悪魔のような笑みを浮かべ、ウロタロスはゆっくりと二機へ歩み寄る。
だが—
直後。
ウロタロスの頭部に、閃光の刃先が迫っていた。ゴゥっと音を鳴らしウロタロスの機体は遥か先まで吹き飛ばされ、半壊している街並みの一角に突っ込んだ。
一部始終を見ていたもう一機は、閃光の発生源に振り向く。
「いいたいことは、それだけか?」
構えた突貫型ランスを余韻の稲妻を纏い、冷却用に蒸気があふれ出ている。青い機体、ギルギガントは鎧のような大きな装甲を揺らしながら起き上がり姿勢に入るウロタロスに、ゆっくりと歩み寄る。
「貴様の相手は、わたしだ」
『良い一撃だったぜ?相手には申し分ねぇ!ぶっころしてやるよ青いのォ!!』
完全に立ち上がったウロタロスは右拳を引き、前腕部のコネクターが装填され、放つ。見えない衝撃波の壁がアルファルトを削り、僅かに原型をとどめていた商業施設などの建物を吹き飛ばしながらギルギガントに命中。
しかし、ギルギガントは両腕を前で交差させ耐え凌ぐ。バギィっと装甲の砕ける音と、フレームの一部がパキっと折れる音がコックピット内に響く。ギルギガントに採用されているフレームは、マーグという量産機に使われているものをプレス機で何百回と加工した強化品ではあるが、アーマーフレームより強度は低いため、今の攻撃でコックピット内には各部損傷の警告アラームが流れる。
『おいおい!今ので死にそうになってんじゃねぇか!さっきまでの威勢はどうしたんだよ!』
ウロタロスは接近し、両前腕部からトンファーを装着。対するギルギガントも突貫型ランスを使い応戦。視界の外から、トンファーが襲い掛かる。ランスで受け流し、飛び散る火花。左下から突き上げるトンファーを右のマニュピレーターで弾く、バギィっと手甲に亀裂が走り装甲が飛ぶ。
弾き促し、金属同士の音が鳴り響き、擦れで火花が宙を踊る。ブースターとスラスターを使い動きを転換させ急所を裂けるマリゲルだが、操作に対して機体の反応に段々と遅延がみられるようになってきた。
(これは、システムダウンの前兆…?無理をさせ過ぎたか)
操縦桿を伝って分かる、機体の限界。
刹那。
ギルギガントのセンサーが、視界の端で黒い残像を捉えた。
だが、認識が追いつくより先に衝撃が襲う。
ガンッ!!!
右肩装甲が“消し飛んだ”。
視認すらできない速度でウロタロスの巨腕が叩き込まれ、
青い外装が肉片のように裂け、内部のフレームがむき出しになる。
『遅ぇよ、もっと踊れって言ってんだろォ!?』
ウロタロスの嘲笑と共に、次の一撃が横合いから飛ぶ。
ギルギガントの巨体が、砂地を引きずられる獣の死骸のように滑り、
地面に抉った“血痕”のようなオイル跡が長く伸びた。
「くっ……これは!!」
マリゲルが必死に操舵桿を引くが、ウロタロスの速度はギルギガントの“倍”でも足りない。
黒い人型が一度フレームアウトしたと思った瞬間には、背後から回り込み、肘打ちで脇腹装甲を粉砕する。
バギャッ!!
剥き出しになった内部のケーブルが、断たれた血管のように千切れ飛び、青い巨体が痙攣しながら脇腹を押さえる。
内部の油圧液が“吐血”のように噴き出して砂に黒い染みを広げた。
『どうしたどうしたァ?まだ息してんだろ?立てよ? 立ってみせろよ? 死ぬのはそのあとでいいからよぉ!!』
ウロタロスが、まるで虫けらを楽しむ子供のように、ギルギガントの頭部カメラをヒールで“踏み潰す”。
ミシャァッ!!
光学レンズが砕け、内部ユニットが脳味噌のように散らばる。映像が砂嵐に染まり、コックピットの中のマリゲルにノイズが走る。
衝撃でシートに叩きつけられながらも、彼の耳にはコクピット外から聞こえるウロタロスの声が鮮明だった。
『ほら、悲鳴上げろよ! 喉ちぎれるまよおァ!!』
ギルギガントはよろめきながら立ち上がろうとする。
しかし、その動きをあざ笑うように、ウロタロスが背後へと一瞬で滑り込み、
両拳の重武装を“槌”のように振り下ろす。
ドゴォン!!
装甲が凹み、フレームが歪み、ギルギガントの胸部がまるで人の胸郭のように陥没する。
内部で何本ものケーブルが悲鳴のように弾け、油圧液と冷却剤が混ざり合い、コックピットの床に“内臓のような”液体が滴り落ちる。
マリゲルの額から血が流れ、視界が揺れた。
ただ一つわかる。
——このままでは殺される。
『いいなァ……壊れる寸前の音ってよォ……!もっとだ! もっと聞かせろよッ、青いのッ!!』
デカメロンのその声は、
完全な“捕食者の声”だった。
「くっ、まだ…!」
マリゲルは奥歯を噛みしめる。
胸部が陥没したまま、ギルギガントの動きが明らかに鈍る。
腕を上げようとしても、内部フレームが悲鳴のように軋むだけで、応答が半拍遅れる。
それを見てウロタロスが嗤った。
『おいおい……もうガタきちまったのかよ?』
その言葉と共に、黒い巨人の影が視界の端で“跳ねた”。
次の瞬間――
ギルギガントの左腕が視認不能な速度の打撃に叩き折られた。
グシャァアッ!!
関節ユニットが内側から弾け、油圧シリンダーが潰れた缶詰のように破裂し、冷却剤が血反吐のように散る。
制御系統がショートし、ギルギガントの左腕は力を失ったまま“垂れた肉”のようにぶら下がる。
『一本!!次はどこいくー?足か?首かぁ?』
ウロタロスは跳ね回る。
小刻みな残像をいくつも引きながら、完全に“遊び”のテンポでギルギガントを嬲り続ける。
右から左へ、上から下へ――
黒い悪魔の影が掠めた瞬間、右脚の装甲が粉末のように砕け飛んだ。
バキィッ!!
膝関節が不自然に折れ、巨体が片膝をつく。
砂上に立つことすら許されない。
内部からは漏れ続けるエラーハザードの警告音。
血のように赤い警告ランプがコックピットを“焼くような赤”に染めた。
『ほらほらァ!折れてんぞ!? 立てよ、青いの!まだ四本そろってんだろうがッ!』
追い打ちが来る。
ウロタロスの拳が、
“杭”のように一直線で右腕の付け根へ突き刺さる。
フレームが粉砕。
ギルギガントの右腕が根元から“もげる”。
破断面から零れ落ちるケーブル群は、内臓のように地面へ垂れた。
巨体は支えを失い、前のめりに沈む。
完全に機動力を奪われてなお、ギルギガントは僅かに姿勢制御を試みる。
しかし動きは“死にかけの動物の痙攣”ほどもない。
そして。
ギルギガントのコックピット内のメインディスプレイに表示されている動力エネルギー残量を閉めるゲージが0になり、甲高いアラームが流れる。
『なぁ……まだ、折り足りねぇんだよ』
ウロタロスが静かに、ゆっくりと近づく。
黒い足が振り上げられた。
次の一撃はためらいすらなく、ギルギガントの残った左脚の付け根に落とされた。
メリッ……バギャッッ!!
足が逆方向へ“折れ曲がる”。
金属なのに、生き物の骨よりも悲惨な音を立てて。
ギルギガントは――
完全に四肢を奪われた。
砂の上に横たわるその姿は、
もう“機械”ではなく、
捕食者に四肢をもがれ、心臓だけが動いている死にかけの獣のようだった。
ウロタロスがゆっくりと、胸部ハッチの真上に立つ。
『いい音だ……でも、足りねぇ。最後にゃあ――“頭”だろ?』
黒い角の影が、頭部センサーに覆いかぶさる。
ギルギガントはほんの僅かに首を動かしたように見えた。
しかしそれは直前の痙攣にすぎない。
“死の宣告”は、ウロタロスの足によって下された。
ドシャアアッ!!!
頭部装甲が完全に砕け散った。
光学センサーが粉々に砕け、
内部ユニットが“脳漿”のように飛び散り、青い巨体の意識は、完全に途絶える。
ウロタロスが、名残惜しむようにその残骸を見下ろす。
『……あぁ、やっぱ壊れる瞬間が一番いい音すんだよな。また遊ぼうぜ?青いの』
砂嵐の中に、黒い悪魔の笑い声が消えていった。
四肢を失い、胸は抉れ、頭部すら消えた青い巨体――
それでなお、ギルギガントの残骸は
“戦いの最期まで必死に足掻いた”ことを雄弁に語っていた。
だが、どれほどの抵抗も、
あの黒い悪魔の前では意味を成さなかった。
破壊されたギルギガントは、
戦場の真ん中で巨大な死骸として静かに横たわり、
その青い装甲は、
マリゲルは、
動くことはなかった—。
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