1話:遭遇
「……ん、あれ」
頭の奥で、針のような痛みが暴れ回る。
神経を直接叩かれるような激痛――サテライトシステムの後遺症だ。
機体制御の八割を脳で処理するこのシステムは、精密だが代償も大きい。
過剰な負荷がかかった脳細胞が悲鳴を上げ、まるで頭蓋の内側を殴られているような痛みが走る。
「……どうなったんだ……」
重くのしかかる痛みを堪えながら、ユキトは瞼を押し上げた。
コックピットの内部は真っ暗。警告灯の光さえ消えている。
焦げた電子の匂いと、焦燥だけが漂っていた。
彼は息を整え、前方のメインディスプレイに指先を滑らせる。
低い電子音が鳴り、OSがゆっくりと起動。
ディスプレイが明滅を繰り返し、やがてコックピット周囲を包む360度の全天モニターが光を取り戻す。
「……まだ、生きてるな……」
安堵の吐息を漏らしたその瞬間、ユキトは異変に気づいた。
モニターに映るのは、錆び付いた鉄骨と崩れ落ちたコンクリートの柱。
かつて工場だったらしい巨大な建造物の内部は、ツタに覆われ、緑が壁を呑み込んでいた。
あちこちから木漏れ日が差し込み、粉塵の粒が金色に光る。
「……工場跡地? でも、ここ……どこだ……」
さっきまで彼は空を飛んでいた。
アナグラ本体への強襲作戦――戦火の真っただ中だったはずだ。
なのに今、目の前に広がるのは鳥のさえずりと、静寂に包まれた廃墟。
まるで、時間だけが止まってしまったようだった。
「アマテラス、通信」
ユキトはメインディスプレイをタッチし、通信チャンネルを試す。
だが、画面に走るのは冷たい“圏外”の二文字。
部隊チャンネルも同様、全員がオフラインだ。誰一人、応答しない。
「通信も死んでる……ここはいったい……」
彼は再びモニターに視線を戻す。
そのとき、ふと息を呑んだ。
「……空が……青い」
ディスプレイの上、雲ひとつない蒼穹が広がっていた。
鮮やかで、懐かしいほどに青い空。
それを見たのは――八年ぶりだった。
アナグラの放出する毒素が大気を汚染し、空は赤黒く濁って久しい。
人類が「青空」を忘れて久しい時代に、それはあまりに異様な光景だった。
「外気汚染濃度、計測開始」
ユキトは無意識に索敵モードを起動した。
数秒後、ディスプレイに表示される数値は――すべて安全圏内。
「……出られるのか」
彼はためらいながらも、パイロットスーツの上を脱ぎ、動きやすい長袖のトレーナー姿になる。
腰にはホルスターを装着し、拳銃を収める。
コックピットハッチを開くと、鈍い風が頬を撫でた。
「……外に、人の気配は……ない」
着地したユキトは、無人の廃墟を一瞥した。
そのときだった。
――「きゃああああああっ!!」
森の奥から、甲高い悲鳴が響いた。
「人か……?」
ユキトは反射的に走り出した。
草をかき分け、木を蹴り、枝を足場に跳躍する。
視界が開けた先、土埃を上げながら駆けてくる少女の姿があった。
「だれか!! 助けて!!」
黒髪の少女。小柄で、息も絶え絶えに叫んでいる。
彼女の背後からは、軍用トラックが猛スピードで迫っていた。
両側のフェンダーが異様に膨らみ、後部には機関銃が搭載されている。
「……あれか」
ユキトは茂みから身を乗り出し、手招きした。
少女はその合図に気づき、転がるように飛び込んでくる。
彼はその身体を抱きかかえ、木の幹を蹴って一気に上方へ跳躍した。
枝から枝へと渡り、わずか数秒で追手の視界から姿を消す。
「え、な、なに!? 飛んでる!?」
「追われてたみたいだけど、何やったの?」
「や、やってません! 知らない人に声かけられて、車に乗せられそうになって逃げたら、あいつらが――!」
「ふーん、人さらいか」
その時、背後で轟音。木々を薙ぎ倒して、トラックが迫ってくる。
タイヤから突き出したスパイクが地面をえぐり、金属音を撒き散らす。
「……ずいぶんしつこいな」
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃ――きゃああ!」
ユキトは少女を抱えたまま、廃工場跡地へ戻る。
立ち尽くす巨大な鉄の巨体――《ガルガンダ》。
彼はその胸部ハッチを開き、少女を引きずるように中へ押し込んだ。
「な、なにこれ!? ロボット!?」
「じっとしてて」
ユキトは操縦席に滑り込み、起動スイッチを叩いた。
システム起動音と共に、コックピットが青白い光に包まれる。
レーザーが彼の脳天を照射し、サテライトシステムが接続された。
――ガギン、と金属が軋む音。
ガルガンダの瞳に光が灯り、ゆっくりと立ち上がる。
「き、来るっ!」
軍用トラックが突進してくる。
ユキトは無言で操縦桿を倒し、片足を振り上げた。
次の瞬間――。
ドンッ!!
鉄塊の蹴撃が地を震わせる。
トラックは宙を舞い、地面に叩きつけられて爆発。
中の男たちは炎の中を転げ出し、悲鳴を上げて逃げていった。
「……なんだあいつら」
「す、すごい……ほんとに、ロボット……?」
「ロボット? まぁ、そういうもんだ」
「……私、生で見るの初めて……!」
「……は?」
ユキトは、思わず彼女を振り返った。
その言葉の意味を、理解できずに。
――彼の知る世界では、“ロボット”が珍しいはずがないのだ。
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「み、未来から来たの!?」
「だって、今って西暦何年?」
「西暦2026年だけど……令和だよ」
「俺がいた時代は2926年だ」
普段は淡々としているユキトだが、今だけは少しだけ困惑していた。
コックピットから無線通信を飛ばしつつ、外の〈ガルガンダ〉をホログラム型の整備タブレットで診断中だ。
その横で、助けた少女・萌里が目を丸くして見上げている。
「待って待って! 2926年ってことは……えーっと…えーっと、900年後!?」
「そう、900年後だ」
「そっかそっかぁ~……てッ、なんですとーーー!?」
「一回一回リアクションでかいな」
ユキトはタブレットを操作しながら考え込む。
直前の出来事、ここまでに得た情報を頭の中で整理するだけで、自然と口が止まってしまった。
その横で萌里は、膝立ちで置かれた〈ガルガンダ〉をじっと見上げている。
「嘘だッ……って断言したいけど。目の前にあるこれ、素人の私でも分かる。今の時代の技術じゃ作れない」
「見た目の割に物分かりいいな」
「えっ、今の発言、ノンデリじゃない?! 私、うちのお爺ちゃんが重度の発明好きで、小さいころから傍で見てたの。だからこれ見せたら絶対喜ぶと思う!」
「へー……直せるの?」
「え?! うーん……見せてみないと分からないかな」
「じゃあお爺ちゃんのところに連れてって。直してほしいんだ」
「うぇえええ?! 急展開すぎッ! ちょ、ちょっと待って! ここからの帰り道、調べないと! 私もここの土地勘ないんだから」
萌里が慌ててスカートのポケットからスマートフォンを取り出した瞬間、端末がブルブルと震え、着信が入る。
驚いた彼女は、慌てて操作したせいかスマホを地面に落としてしまった。
『おい、萌里! 今どこにいる! なんてことしてくれたんだ!』
スマホから響く、低くドスの効いた怒鳴り声。
ユキトが画面を覗くと、表示は「お父さん」。
『なぜ逃げた! 今からでも戻れ! いいか、いますぐだ!』
怒鳴り声は止むことを知らず、萌里の顔からは余裕が消え、萎縮と強張りが混ざった表情になっていく。
声の向こうの相手は家族であることは分かるが、様子に異常を感じたユキトは、慎重にスマートフォンを拾い上げた。
「……アンタ、何で怒ってるんだ?」
『ん? そこに誰かいるか! なんだ貴様ッ、娘はどうした!』
「……凄い元気だな。何があったか知らないけど」
『誰かは知らないが、これは家族の問題だ! 口出しすんな!』
怒鳴り声はさらにトーンアップし、ユキトは首をかしげる。
萌里は歯を食いしばり、鼻水を垂らしながら大きく目を見開き、涙を零していた。
怒りと悲しみが入り混じる表情が、見る者の胸を締めつける。
『いいか、これは――ッ!』
流石に耳障りになってきたユキトは通話を切る。
スマートフォンを萌里に返すと、彼女は涙を流し嗚咽を漏らし、まともに話せない状態だった。
ぽりぽりと頭をかき、困惑した顔で遠くを見つめるユキト。
どう切り出せばいいのか、思わず息を呑む。
「……ごめん、なさい」
「いいよ」
「……変な会話、聞かせてごめん」
涙を拭う萌里に、ユキトはポケットから手のひらに収まる正方形の携帯食料を取り出し、差し出した。
「た、食べていいの?」
「うん」
「あ、ありがとう……これ、すっごく美味しい」
「アマテラスで配給されてた携帯食だよ」
「アマ、テラス?」
「俺がいた母艦の名前」
萌里は首をかしげ、頭上に大きなハテナマークを浮かべる。
その瞳には、困惑と少しの好奇心が混ざって輝いていた。
その瞬間だった。
ズシンッ――!
地面を揺るがす重い衝撃音とともに、萌里の背後に巨大な影が着地した。
立ち上がったそれは、前後あわせておよそ二十メートルの黒い機体。両肩と頭は鋭く尖り、漆黒の装甲の中央には赤く光るモノアイ、胸部には赤い石が埋め込まれている。
「売り物が勝手に出歩くな、って言ってるだろ」
低く人間味のある声が黒い機体から聞こえた。中に乗っているパイロットの声だろう。
「探すの面倒だったんだよな、木が多すぎて熱源追うのも一苦労だ。動いたら容赦しねぇ……ん、なんだあれは?」
「へぇ……こっちにもロボットがいるじゃん」
廃工場に静かに鎮座していた〈ガルガンダ〉に気づいた黒い機体。ユキトは真下から見上げ、胸の赤い石を視界に捉え、目を見開いた。
「なんだガキ! その女の友達か?」
「さっき会ったばかりだから、友達じゃないよ」
「じゃあ死にたくなかったらどけ! イライラしてんだよ!」
「……その胸の赤い石、何?」
「……オマエ。何者だ?」
黒い機体の問いに、少しだけ余裕が失われているのをユキトは見逃さなかった。
胸に埋まる赤い石――長く戦い続けてきたユキトには、それがアナグラの核と酷似していることが一目でわかった。
「チッ、無視かよ! なら死ね!」
黒い機体が巨体を揺らし、足を振り下ろす。
ガギィンッ――!
金属が軋む重厚な音。黒い機体の足を、白い腕がギリギリで掴んだ。
「……なっ、なにぃ?!」
間に割って入ったのは〈ガルガンダ〉だった。
しかし操縦桿は空のまま。先ほど見た萌里には、無人で動く巨大ロボットなど理解が追いつくはずもない。
ユキトは黒い機体の胸に光る赤い石を、鋭い視線で見つめる。
「頭の中には、超小型無線マイクロデバイスが入ってる。コックピットに乗っていなくても常にガルガンダと通信できる。俺が呼べば、どこにいても来る」
「な、なんだそりゃ! 女さらいに来たら、とんでもねぇ鉢合わせだろうが……!」
黒い機体が怯む隙を突き、ユキトは迷う萌里を抱き上げ、ハッチを開けてコックピットに乗り込む。
「アイドリングモードから操縦モードに切り替える時は、デザリングをもう一回やらないとね」
「しゅ……しゅごい……映画みたい」
完全にガルガンダとリンクしたユキトは、操縦桿に手を、フットペダルに足を添える。
「あのロボット、知り合い?」
「全然……知らない」
「あっちは知ってるみたいだけど」
「その通りよ!」
黒い機体が両手を構えて突進してくる。
ユキトも前に踏み込み、ガルガンダも両腕で押し合いにもつれ込む。
「バカな親たちは、会社を維持しようと闇金に手を出す。業績悪化、借金返せず会社を畳む――足りずに何を差し出したと思う?」
「……ま、まさか」
「ご明察。お前は親に売られたんだよ、親に! 最初は戸惑ってたぜ、手塩にかけた娘を売ることに。でも、自分たちの身を守るために、印鑑を押した……その容姿なら、金持ちオッサンには高く売れるだろうからな!」
「じ、じゃあ……さっき車で追いかけてきた人たちは……」
「すでに買い手がついてる。だから逃げるなって言ったんだよ。女子高生一人連れ戻すのに、秘蔵のロボットまで出すのは大げさだとは思うが、依頼主も用心深いからな」
「う、売られた……私が……」
「体を売り続ければ衣食住の保証はされる。とんだクズ親より、腐るほど金もらって贅沢な暮らしだろうな!」
黒い機体が嗤う。
コックピット後部座席でその事実を聞いた萌里は、言葉を失い、涙が溢れる。
「言っとくが……オレ達を敵に回したらタダじゃ済まねぇぞ! そのロボットも、どこのやつか知らねぇけど、これ以上は手を出すな!」
ガルガンダは足を振り上げ、膝で黒い機体の顎を叩き潰す。
「ゴチャゴチャうるさいよ」
「こ、コイツ……やりやがった! やろうってのか!」
黒い機体が振り向くも、標的を見失う。
黄色いモノアイの残像が背後に走り、ガルガンダは回り込み、背後から顔面を掴みコンボウ刀で叩きつけ、右上半身を粉砕した。
「おいおい、速さもパワーも、なんだコイツ!」
背中のブースターで距離を取る黒い機体。
一歩一歩、ガルガンダの圧力が迫る。
「まさか……こんなに早く使うとはな」
胸の赤い石が光を放つ。装甲が砕け、再構築を繰り返し、形状が次々に変化していく。
「あの光……やっぱり、アナグラの核」
ユキトの確信とともに、黒い機体が距離を詰めて殴りかかる。
拳のラッシュにガルガンダは両腕をクロスして防御し、後方に下がりながら攻撃をいなす。
「どうしたどうした? 本気出されたら手出せねぇってか?!」
腹部ハッチが開き、装填されていた数発のミサイルがガルガンダに命中。
爆炎が森を包み、一瞬で燃え盛る炎の海となる。
「どうして……アナグラの核を、アイツが」
黒い機体が右手を変形させ巨大砲を作り、弾丸を連射。
ガルガンダはスラスターで飛び回避する。
「手放せば身の保証もあるだろ? 面倒ごとに巻き込まれたくねぇだろ、なぁ!」
ユキトは何も答えず、後部座席の萌里を見た。
目は赤く腫れ、嗚咽をこぼす彼女の涙に、ユキトは真顔で応じる。
脳裏には、かすかな幼少期の記憶がよぎった。
「アンタに喧嘩売ったら、どうなる?」
「命がない!」
「わかった」
「え?」
瞬きの間に、ガルガンダの右手が黒い機体の腹部に密着。
機体の動きは格段に速く、背中と足のスラスターも全開。
ドゴンッ――。
乾いた銃声のような重低音が、燃え上がる森林に響き渡る。ガルガンダの掌から射出された高密度金属製の槍、パイルバンカーが黒い機体のコックピットを一撃で貫き、肉片と火花、そして血しぶきが一斉に飛び散った。
黒い機体は後方に倒れ込み、胸に埋め込まれた赤い核も粉々に砕け散る。瞬く間に、装甲が縮小して元の姿へと戻っていく。
「…どうして」
萌里の声はかすれていた。泣き止んでいたはずなのに、震えが残る。ユキトは後頭部をぽりぽりと掻きながら、落ち着いた口調で答える。
「自分の価値は、他人が決めるものじゃない。自分自身で決めるんだ」
萌里はその言葉に、目をぱちぱちと瞬かせる。
「なくなったものは、また作ればいい。居場所も同じだ。自分で作り出すものだから」
ユキトの目は、コックピット越しに映る燃え盛る森に向けられていた。炎の揺らめきに包まれた森は、まるで世界が一瞬止まったかのように静かで、それでいて何かを語りかけるように赤く燃えていた。
萌里は小さく息を吐き、涙を拭いながらも、その言葉の重みを少しずつ受け止め始めている。
ユキトは何も言わず、ただ無言で燃えさかる光景を静かに見つめていた。