19話:神骨
山の稜線にはまだ薄く雪が残り、街中の雪はほとんど溶けたものの、刺すような寒さだけは居座り続けていた。
日中でも3度を超えない、肌に痛い冬の朝。
「さっむぅ……風、冷たっ……」
ピンクのマフラーに顔を埋め、白い上着のポケットに手を突っ込んだ萌里は、鼻先を真っ赤に染めながら歩く。
時刻は午前7時56分。
登校中である。
「ねぇ、ホントに寒くないの?」
萌里の隣で歩くユキトは、まるで別世界の住人のようだった。
上着は着ているが、寒さに眉ひとつ動かさない。吐く息は白いのに、鼻水すら出ていない。
「全然」
「まじで? こっちはもう限界なんだけど……っ」
「動けば暑くなるよ」
「寒いと動けないの! もー……!」
くだらないやり取りを交わしながら校門をくぐる。
玄関で靴を履き替え、校内に入り階段を上り教室の扉を開けると――そこは、まるで暖房天国だった。
ストーブの熱がゆらゆらと教室中に広がり、外との温度差に思わず脱力する。
「はぁ〜……極楽……」
「萌里、おはよう」
最初に声をかけてきたのは仁菜だ。
「おはよー! やば、あったかすぎ!」
「今日、異常気象。あ、ユキト君、おはよう」
「おはよう」
「寒く、ない?」
「まったく」
即答するユキトに仁菜の目がまん丸になる。
「 今日、すごく寒いのに……気温低いのに……」
信じられない、とスマホを取り出す仁菜。だが――すぐ眉をひそめた。
「……ほえ?」
「どうしたの?」
「天気、出てこない」
「通信制限とか?」
「まだ…そんなに使ってない」
仁菜はスマホを頭より高く掲げ、クルクル回し始める。
が、萌里はクラスのざわつきに気づき、首を傾げる。
「ん? みんな何してんの?」
「動画見てたのに、急に止まった!」
「ページ読み込みエラーばっか!」
「SNS更新されなーい!」
見渡すと、教室中の生徒がスマホをいじりながら同じ不満を口にしていた。
「 みんなキャリア違うのに、同時に落ちるとかある?」
「ネット全部、死んだ?」
仁菜の声に萌里は小さく肩をすくめる。
「ま、復旧待ちじゃない?」
と、軽いノリで返す。
だが一方で。
教室の片隅で痴話喧嘩が勃発していた。
「おいおい、まだ終わってねーのかよ? たっはー!」
霧崎がみるをからかい、教室はいつもの騒々しさに包まれていた。
みるは振り返って怒鳴る。
「うっさいわねッ! アンタの読書感想文こそ何よ!“面白かった!すごくよかった!”だけで一ページ埋まってんじゃん!小学生か!」
「宿題やってない奴に言われたくないね!へーんだ!」
二人の口喧嘩は冬の名物。
周りも笑って、茶々を入れて――学校はいつも通りの日常を取り戻す……はずだった。
──だが、その“日常”は、たった一つの音により崩壊する。
ウウウウウウウウ……!!
空気を震わせるような、防災サイレンが突然鳴り響く。
教室の賑やかな声も鎮火し、痴話喧嘩していたみると霧崎も会話が止まる。
スピーカーがノイズを噛んだあと、
自治体の合成音声が必死に搾り出される。
《こちらは青南市役所です。現在、市内沿岸部に“未確認巨大物体”が接近しています。住民の皆様は直ちに建物の中、または丈夫な場所へ避難してください……繰り返します──》
しかし音声は途中で途切れ、
ががっ、とスピーカーが破壊されるようなノイズに変わる。
「え……なに、今の?」
クラスメイトの一人がぼそりと呟く。日常の穏やかな時間をかき乱すように鳴り響いた音は教室にいる全員を思考を停止させるには、凄まじい破壊力だった。
その時だった。
「……お、おい。なんだよ、あれ……!」
窓際の席の生徒が立ち上がったまま、声を震わせた。
その声に、教室の空気が一瞬で凍りつく。
全員の視線が、ゆっくりと、恐る恐る窓の外へ向けられる。
青南水産高等学校は海に面している。
普段なら、どこまでも続く穏やかな日本海が広がっているはずだった。
しかし、その海の“色”が違っていた。
青ではなく──“黒”が、海面を押し割っていた。
海を割って姿を現したのは、巨大な“影”。
それは浪をまるで布のように押しのけ、ずぶり──ずぶり──と、この世界に立ち上がってくる。
黒い装甲は海水を滴らせ、異様に艶めいている。
顔らしき部分は、のっぺらぼう。だが胸部には、赤い石──アナグラの核が脈打つように光っていた。
「……っ!」
萌里の喉から、勝手に声が漏れた。
知っている。
今目の前にいる“それ”を。
しかし同時に、体の奥底からぞっとする寒気が這い上がってくる。
黒い巨影は、海から上がると、まるで地面の存在など無視するように走り出した。
砂浜を破砕し、岸壁を蹴り砕き、次の瞬間──
ズドォッ!!
教室全体が殴り飛ばされたかのような衝撃が走った。
黒い巨影が振り上げた拳は、そのまま校舎へ叩きつけられ、
一階上──三階の壁を、ガラスごと抉り砕き貫通した。
ガラス片が吹き荒れ、金属の軋む悲鳴が校舎中に響き渡る。
「きゃあああああああッ!!」
「うわッ……!!」
B組の生徒たちは頭を覆い、悲鳴をあげながら机の下に潜り込む。床に散らばったガラスが転がり、光を反射して不気味に瞬く。
「な、何が……起きてる……?」
織田は怯えと混乱が入り混じった顔で、かろうじて声を搾り出した。
「ヒ……ッ……!」
霧崎は、喉の奥でひきつった悲鳴を噛み殺す。
彼の目の前──
壊された三階の穴から伸びてきた“黒い巨影”の顔が、
のっぺらぼうのまま、まるで何かを探すようにゆっくりとこちらへ向けられていた。
眼孔も口もない顔なのに、
“見られている”
そんな錯覚が背中を冷たく叩く。
上の階からは物体が倒れる音、泣き叫ぶ声、金属が千切れる音が混じり合い、この学校の“日常”という概念そのものが押し潰されていくのが分かった。
「あっ…」
萌里の眼に、黒い機体が身を引き2撃目の姿勢に入ったのが映る。
恐らく次は、ここ2年B組の教室だろう。
気配で分かる。確実にやられる。
どうするか、どうすれば—恐怖で身が固まり足すら動かない萌里は思考だけフル回転させる。
――その時だった。
空の高みから、空気を裂き千切るような甲高い唸りが落ちてくる。ブーメランめいて回転する影が、鋭い三日月の軌跡を残しながら――
ガギィンッ!!
黒い機体の右腕が、まるで薄紙のように弾け飛んだ。
「っ!?」
吹き飛んだ機械肢が浜辺を転がり、砂と火花を撒き散らす。
回転を止めた“それ”は地面に深々と突き刺さり、震えながら静止した。
――コンボウ刀。
萌里の息が止まった。
知っている。この刃を持つ存在を。何度も、何度も目にした。
それは、ある者の“象徴”。
そして――
ドゴォォォォン!!
天地ごと叩き割られるような衝撃が海岸を揺らす。
黒い巨体の真上から、“何か”が隕石のような質量で降りてきた。
粉塵の爆ぜる白煙の中、黒い巨影が顔を鷲掴みにされ、
海へ――豪快に投げ捨てられる。
海面が破裂し、天まで届く水柱が噴き上がった。
B組教室を揺らす轟音。
生徒たちは悲鳴を上げ、中には抱き合いながら後退する者も。砕けたコンクリートと土煙が校舎に雪崩れ込み、視界は白く濁った。
――粉塵の渦の奥で。
光が、ふたつ。
暗闇を裂くように鋭く灯る。
それは「目」そのものだった。
舞う粉塵が、ゆっくりと払われていく。
そして、現れる“輪郭”。
白い装甲。
血のように深紅の胸。両腕に巻かれた、闘争の痕を象徴する赤い補強布。
悪魔の影を思わせる頭部造形。
まるで――戦うためだけに造られた鬼神。
誰もがテレビ越しにしか見たことがない、戦場の象徴。
幾度も人々を救い、脅威を打ち砕き、それでも畏れられた存在。
その“本物”が今――
平和しか知らない学生たちの目の前に降臨した。
息が冷える。
視線が凍る。
誰もが声を失い、ただ立ち尽くす。
「これ……」
霧崎の喉が震える。
震えているのは声ではなく、恐怖のほうだった。
そんな中――
ユキトだけは、静かに、その横をすれ違って歩み出る。
まるで、この場に流れる時間だけが違うように。
「お、おい! 危ないぞ!!」
織田が叫ぶが、その声も空気に溶けるだけ。
白き巨体――ガルガンダが応えるように教室の窓際へ歩み寄る。
腹部装甲に赤いラインが奔り、
“カシャン――ガコン”
金属音とともにコックピットが展開した。
内部の淡い光が教室を照らし、赤い計器が心臓の鼓動みたいに点滅する。白い装甲は流線形の美しさを保ちながらも、幾つもの戦場の傷を刻んでいた。
関節部で脈動する黒いケーブル。赤い補強布に覆われた両腕は、まるで戦場で祈る僧兵の装束のよう。
そしてセンサーライトの“目”は――
一度向けられた者を逃がさない、冷たい狩人の輝きを放っていた。
マニュピレーターがそっと伸びる。
指先が、静かに――手招きをするように開かれる。
「……」
ユキトは足を止め、静かにこちらを見守っているB組のクラスメイトたちへと振り返った。
「――出来るだけ離れて」
その声には相変わらず感情の色がない。
だが、言葉の奥には揺るぎない“覚悟”だけが、鋭く刺さるように込められていた。
ざわり、と空気が揺れる。
B組の生徒たちが一斉にざわついた。
「離れろって……ど、どういうことだよ! ユキト!?」
混乱した霧崎が、ユキトへと叫ぶ。
「アイツを倒さなきゃいけない」
静かに告げられたその一言で、B組のざわめきは一瞬で凍りついた。
最初は意味がわからない表情だったみると仁菜だが、徐々に顔色が変わっていく。
“何か”を察したのだ。
ユキトの言葉が、冗談では済まない種類のものであると。
「倒すって……な、何を……?」
「ど、どういう状況だよ!こんな時に冗談は――」
織田と霧崎の言葉が途中で途切れる。
――わかったのだ。
たとえ一年に満たない付き合いでも“理解”できる。
ユキトは嘘をつける顔をしていない。
チラ、とユキトは窓の外を見る。
黒い機体――アナグラが、校舎前の浅瀬で、まだ立ち上がれずにもがいている。
そして視界の端に、萌里の姿が映る。
胸に手を当て、眉を寄せ、静かにうなずいた。
――潮時。
もう隠しようのない“現実”が来てしまった。そしてユキトは、B組全員へと向き直り短く告げる。
「……俺が、ガルガンダのパイロットなんだ」
その言葉は、教室に雷を落としたかのような衝撃を生んだ。
テレビで見るだけの、どこか遠い世界の話。
戦争や巨大兵器なんて、普通の高校生には縁のない、別世界の出来事。
――だと思っていた。
だがその“遠い世界の戦場”で命を張っていたのが、いつも授業に顔を出し、遠足も文化祭もクリスマス会も一緒に過ごした――
“ユキト”だったという事実に、誰もが言葉を失う。
「の……そ、そしたらキミは……」
織田が震える声で問う。
「今までのロボットも!大阪の時も!全部お前が……?!」
霧崎が絞り出すように叫ぶ。
「……そうだよ」
迷いも飾りもない返答に、教室がさらに揺れる。
笑わない、不器用で、だけど皆と普通に接していたユキト。行事も手伝って、仲間として過ごしてきたユキト。
そのすべての裏に――
命懸けの戦いがあったという事実。
「萌里にも協力してもらってた。誰にも話せないことだった。……責めないでやってほしい」
萌里の目が丸くなる。
ユキトなりの“守り方”だった。
萌里が裏切り者だと思われないように。
そしてユキトは言う。
「――出来るだけ安全なところに逃げて」
あくまで淡々と。
だが確かに、皆を守ろうとしている声で。
そして、ほんの少しだけ柔らかく視線を向け、ひとこと。
「ここで、見てて」
それは萌里に向けられた言葉だった。
いつもは敵に狙われる危険から、コックピットで共に行動していた彼女へ。
今回は違うという意思表示。
「……気をつけてね、ユキト」
「わかった」
その短い応答を最後に、ユキトは背を向け歩き出す。
マニュピレーターが動き、ユキトをコックピットへと吸い込んだ。
生徒たちは呆然と立ち尽くすしかない。
「……アイツ、本当に……」
「これを……?!」
「嘘だろ……?」
信じられない。
でも、目の前で起きている現実は覆せない。
その瞬間――
――ゴォォォン!
ガルガンダの脚部フレームが沈み込み、内部から熱と蒸気を噴き上げた。
白い靄が足元に満ちていく中、赤いセンサーが、鋭く“敵”を射抜くように光を放つ。
立ち上がる巨体は、もはやただの兵器ではない。
白の装甲に刻まれた無数の傷痕が、戦場の歴史を語る。関節のわずかな噛み合い音が、教室の床を震わせる。
そして――黒い機体、アナグラへ向き直った。途端、周囲の空気が凍り付くように冷たくなる。
ガルガンダは、ただの機械ではなかった。
――殺意を纏った“白の守護者”。
その名に恥じない威容で、静かに、確かにそこへ立った。
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「……なんか、合点がいった気がする」
教室の窓から、静かに背を向けて立つガルガンダを見つめながら、みるがぽつりと呟いた。
「なにがだよ!?」
まだ整理の追いつかない霧崎が、半ば叫ぶように返す。
「大阪の時……USJにユキト君が突然現れたじゃん。ずっと変だと思ってたんだよ。だって、あのすぐ前に私たちの目の前で戦ってたってことじゃんか……」
「確かに、タイミングおかしかったよな」
「去年の四月に私たちを助けてくれたのも。この前の東京の戦いもテレビで見てたけど……声が似てるなーって」
みるの中で、今までバラバラだった“謎”という名のピースが、音を立てて組み上がっていく。
頭は混乱しているはずなのに、胸の奥でだけ妙な納得感が静かに広がっていた。
その時、歩み寄ってくる萌里が目に映る。
「萌里……全部知ってたの?」
「……ごめん。実は私、ずっと前から…………ジャッジメントエンドに狙われてて……」
その一言だけで、B組全体がざわつく。
「それでユキトが……私をずっと守ってくれてたの。マリゲルさんも……そして――飛永先生も」
隠していられる状況ではない。
校舎の外では巨大ロボットが倒れ、今まさに戦場になろうとしているのだ。
萌里は、胸の奥に押し込めていた事実を静かに吐き出した。
「ま、待って!飛永先生って…………っ」
「東京で戦ってた三機、見たでしょ? 灰色の機体……あったよね」
「うん……………え? まさか……」
「そう。あれに飛永先生乗ってるの」
「えぇ………う、嘘、でしょ……」
みるは絶句した。
理解が追いつかない。
さっきからずっと、現実の情報量が多すぎる。
周囲の織田も霧崎も仁菜も、B組の誰もが同じ表情をしていた。“日常”だと思っていた教室が、急速に別世界へと変わっていく。
萌里は深呼吸し、皆を見渡して叫ぶ。
「く、詳しい話はあとで! ここから逃げよう! もうすぐ戦いが始まる!」
声は震えていない。
恐怖よりも、仲間を守ろうとする意志が勝っていた。
そして萌里は、ガルガンダの背を見つめ心の中で密かに思う。
(——頑張れ、ユキト!)
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ユキトはコックピットシートへ身体を預ける。
次の瞬間――天井の円形コンソールから光が降り注ぎ、脳へ直接触れられるような“侵入感”が走った。
思考と機体が繋がる。
真下、動力炉のタービンが唸りを上げ、回転数が上昇。
全身を震わせる重低音が骨まで響く。
「OS起動。リアクマイト正常稼働。オートバランサーオー、ルグリーン。管制制御システム―サテライト接続、完了」
ユキトはメインディスプレイへ指先を滑らせる。全天周モニターが展開し、学校前の浜辺――瓦礫――世界が一瞬にして“機体の視界”として再構築された。
「……ん?」
ユキトの目が細まる。
モニターに映る黒い巨影――アナグラ。その起き上がり方は、もはや“生物”のそれだった。関節の許容量を無視して痙攣し、四つん這いのまま海面を蹴る。
バキッ! と水面が割れ、黒影が跳ぶ。
ガルガンダが構えた瞬間、その質量が真正面からぶつかった。
ドガァン!
反動でアスファルトが沈み、白い巨体の両脚が地面にめり込む。
押し込んでくる力は尋常ではない。
肘と肩の関節が悲鳴を上げ、装甲の継ぎ目から金属音が軋むように漏れた。
ユキトは歯を食いしばり、操縦桿を傾ける。
「……ッ!」
フットペダルを踏み抜いた。
ガルガンダの駆動音が一段階跳ね上がり、踏ん張りながら黒い機体の軌道を強引にそらす。
バランスを崩した黒機を逃さず、ガルガンダの膝が跳ねあがった。
ゴシャァッ!!
腹部装甲がめくれ、破片が雨のように散る。
間髪入れず、ガルガンダは両腕で黒機の顔面をつかみ上げる。
「――ッ!」
零距離・ツインパイルバンカー。
発射音が爆炸の連続となって空気を裂く。
ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ!
衝撃波が校舎を揺らし、割れた窓ガラスが震え、崩れた鉄骨が悲鳴を上げた。黒い顔面はもはや“形”を失い、砕かれた装甲片が血と油にまみれて飛び散る。
ガルガンダは残骸となった本体を地面に叩きつけた。
ズガァッ!!
白い巨体が静かに手を伸ばす。
黒機の腹部から覗く“アナグラの赤い核”――石のような臓器を、躊躇なく掴む。
引き抜いた瞬間、コードが血管のように千切れ、黒い血液が噴き上がり、ガルガンダの白い装甲を不気味に染めた。
ユキトの表情は変わらない。
だが、その動きは――明確な殺意そのものだった。
「……妙だな」
マニュピレーターの中で赤い核を握り潰したまま、ユキトは静かに眉を寄せた。
倒れた敵はあまりにも脆い。動きも、強さも、まるで“戦いに来た”存在とは思えないほど軽い。
――軽すぎる。
違和感が、逆に警戒心を鋭く尖らせていく。
その刹那だった。
――ドンッ!!!
遠方から、地鳴りを裂くような轟音。
空気そのものがひしゃげるように押し寄せ、ガルガンダの警報が一斉に赤く染まる。
「ッ――!?」
ユキトは反射でスラスターを噴かし、機体を横へ跳躍させた。
直後。
見えない衝撃の壁が通過し、背後のフェンスを紙のように引き裂き、校庭の地面を彫刻のように抉り取る。
さらに奥の校舎までもが、破片となって空に散った。
異様な圧力の軌跡を辿り、ユキトは顔を上げる。
――空から、黒い影が降りてきた。
モニターに映るのは、
『会いたかったぜぇ、白いのォ!』
天から叩きつけるように響いた咆哮。空を裂いて降下してくる黒い巨影に、ユキトは反射的に視線を向けた。
筋肉のような曲線を纏う黒い装甲。胸で脈動する、血管のように光る赤い石―アナグラの核。両腕には、異様な重厚感を放つ拳の武装。
そして頭部には四本の角――闘牛と悪魔を掛け合わせたような凶悪なシルエット。
だが、それより目を引いたのは。
黒い装甲の隙間から覗くフレームの色。“白い”――明らかに、従来個体とは構造が違う。
「……誰アンタ」
『つれねぇじゃねぇか。忘れたのか? てめぇを殺す男の顔をよ』
舌打ち混じりの野太い声が、外部スピーカー越しに空気を震わせる。
その“黒い機体”──装甲の隙間から見えるフレームが、以前と違って白く光っているのユキトは気づいていた。
『まだまだ遊びたかったが……潮時だ。本気でぶっ殺しに行くぜ!このオニューの機体、ウロタロスでな!』
次の瞬間、黒い巨体が砂浜を砕き、残像を引き裂いて迫った。
モニターに映るのは疾走の尾だけ。
一歩、二歩──いや、認識する前にもう目の前だ。
ユキトは反射的にフットペダルを踏み込む。
ガギィンッ!!
金属がねじ切れるような衝撃。
振り下ろされるウロタロスの拳を、ガルガンダは頭上で腕を交差させ受け止めた。
フレームが悲鳴を上げ、内部のパーツがどこかで弾け飛ぶ。
その余波だけで地面がクレーター状に陥没し、舞い上がった砂が校舎のガラスを一列まとめて吹き飛ばす。
『耐えやがったか……そうでなくちゃなァ!』
ウロタロスが再び拳を振り上げる。
ユキトはスラスターを即点火、機体を横へ弾くように脱出。
直後、黒い拳が砂浜を“割り”、海面を“砕き”、校庭のフェンスを衝撃波でひしゃげさせた。
地形が変わるほどの力──
それだけで、この黒い怪物が何を秘めているか嫌でも理解できる。
『逃げてばっかじゃ面白くねぇだろ!!』
咆哮。
ウロタロスの背から粒子が噴き出し、一瞬で“翼”へ形を変える。
──その一瞬で、黒い影がガルガンダへ食い込んでくる。
しかしユキトは、砂浜に突き刺さっていたコンボウ刀を引きぬく。
金属音が炸裂する。
トンファー──ウロタロスの肘部に仕込まれた武装が、ガルガンダと刀を激突させる。
火花。破片。装甲片。
視界の端から端まで殴撃の尾が走る。
右、左、上、背後──全方向から襲う速度は既にモニターの処理限界を超えている。
(……単純に速いだけじゃない。機体性能も……あっちが上だ。けど──)
ユキトの目は、まだ死んでいなかった。
ウロタロスが折り返し、次の一撃へ移ろうとした瞬間──
ガンッ!
ガルガンダのマニュピレーターが、黒い機体の頭部を鷲掴みにする。
そこで初めて、ウロタロスの眼光が揺れた。
バゴシュンッ! バゴシュンッ!!
至近距離から叩き込まれるパイルバンカー。衝撃で水面が振動し、校舎の割れ残ったガラスが震えた。
だが──
ウロタロスの頭部には、傷一つ入っていない。
『そんなカスみてぇな攻撃で、コイツどうにかできると思ったかよ!』
鉄を切り裂く悲鳴。
トンファーがガルガンダの右腕を“斬り飛ばした”。
もぎ取られた右腕は回転しながら体育館に突っ込み、屋根も壁もまとめて落とす。
『必殺武装が効かねぇってのに、どう戦うつもりだ? なぁ──白い悪魔さんよォ!』
その挑発に対し、ユキトは──
「だから?」
まるで死を目前にしても微塵も揺れない、低い声で言い放った。
その声音に、ウロタロスがわずかに身じろぎした。圧倒的力を見せても立ち向かってくる意識と姿勢ほど、怖い物はない。
「……ガルガンダ」
声は低く、冷たく、どこか別の何かを呼び覚ます響きを帯びていた。
ユキトは操縦桿を握り直し、静かに、だが確実に告げる。
「――鍵を外せ」
ゴゴンッ……ッ!!
背中の深部から、巨大な“錠”が外れる鈍い衝撃音。
機体全体がビリッと震え、低くうなる動力音が跳ね上がった。
回転数が爆発的に増す。
鉄の獣が目を覚ましたかのように、コックピットが赤い照明へと染まる。
ガシュンッ――!
シートが沈み込み、背もたれが自動で折りたたまれる。
天井のコンソールがスライドし、内部の接続装置が姿を現した。
次の瞬間、白い巨体に八つの光条が走る。
両腕、両脚、背部――
レーザーのような細い光のリニアケーブルが次々と装着され、接続されていく。
【Warning:Unidentified unit connected.Immediate disconnection required】
メインディスプレイに無機質な警告が踊る。だが内部ではそれを押し潰すように、獣の咆哮めいた唸りが響いた。
圧縮空気が破裂し、継ぎ目から赤い蒸気が噴き出す。
警告音がけたたましく鳴り続ける。
しかしその上で――別の文字が、ゆっくりと浮かび上がった。
【To the one who crossed the boundary――may the blessing be upon thee.】
ガルガンダの全身が震え、うねり、黄色いモノアイが、まるで太陽の閃光のように輝きを放つ。
眠っていた“何か”が――
呼び戻された。
『ハッハ! そうでなくちゃなァ!!』
追い詰めてもなお食い下がる宿敵。その生への執念に、デカメロンは狂喜の叫びを上げた。
ウロタロスのトンファーが風を裂き、空間が悲鳴を上げる。だが見上げた瞬間、空を飛ぶガルガンダはすでに姿勢を変えていた。
重い金属音とともに放たれた後ろ回し蹴りが、ウロタロスの顔面を盛大にひしゃげさせる。
さっきまでとは別物──速度も勘も、すべてが跳ね上がっている。
吹き飛ばされた衝撃を受けながらも、デカメロンは笑いながら機体を起こす。
起動するウロタロスの全装甲がせり上がり、内部の白いフレームが淡く光を帯びた。
『こっちも本気出さねーと失礼ってもんだろ!』
その瞬間、黒い機体のモノアイに“瞳”が灯る。
装甲の隙間を赤い光が奔り、圧倒的な威圧感だけが空気を支配した。
『冥途の土産に教えてやるよ。自分がなんで負けたか知らねぇまま死ぬなんざ、イヤだろ?』
「……は?」
勝者のように語り出すデカメロンに、ユキトは露骨に苛立った声で返す。
『テメーが乗ってるアーマーフレームは所詮コピー品。偽物だ。本物に勝てるわけねぇんだよ!!』
「ごちゃごちゃうるさいよ」
ウロタロスが迫り蹴りを繰り出す。
回避しながら、ユキトは戦慄した。──速い。さっきの動きとは次元が違う。
瞬きの刹那、ウロタロスはもう次の姿勢へ跳んでいる。
予測を越え、こちらの“時間”すら無視してくるような異常な加速。
だが、その右腕を突き出す瞬間──そこにだけ、必ず生まれる“隙”がある。
ユキトは左マニュピレーターのコンボウ刀を横一文字に振り抜いた。
次の瞬間。
バキィンッ──。
耳を刺す金属破砕音。
折れたのは、コンボウ刀の方だった。
『ハッ! オメーの動きなんざ、とっくに学習済みなんだよ!理屈に基づく合理的な戦い方──だがそれは!』
ウロタロスの肘鉄が閃く。
折られた反動でわずかに姿勢が崩れたガルガンダの腹部にめり込み、同時にハッチが歪む。
パキィンっと割れる音。コックピットに凄まじい衝撃が叩きつけられ、計器が爆ぜ、照明が落ち、モニターが一斉にブラックアウトした。
それでも──。
ユキトは歯を食いしばり、操縦桿を離すことはなく姿勢を維持。ガルガンダは、崩れ落ちることなく、なおも前に立っていた。
『圧倒的な性能差の前じゃ、抵抗なんざ無意味だ。コピー品の武装で、このゼウスフレームを砕けると思うなよ!』
勝利を確信したデカメロンの咆哮が、ユキトの朦朧とした意識の奥で響く。
コックピットは半壊し、照明は砕け、モニターのほとんどが黒く沈んでいた。ただひとつ残ったメインディスプレイの光だけが、血まみれのユキトの顔を照らしている。
『そろそろ──幕引きと行くか。テメェを殺して、あの女を連れ帰る。それが今回のオレの仕事だ』
「あの……女……」
ガルガンダのモノアイに、ゴゥン、と鈍い光が宿る。
激痛に全身が軋み、意識は今にも途切れそうだ。それでもユキトは、かすれた声で呟いた。
きっと、萌里のことだ。
次の瞬間、ガルガンダの動力タービンが悲鳴のような高回転を始め、装甲の隙間から吹き出す赤い蒸気が一気に濃くなる。
モノアイに宿る光が、"瞳" を得たように不気味な輝きを帯びた。
『おいおい……まだ上があんの──』
言い終えるより早く。
ガルガンダが砂を巻き上げ、一瞬で間合いを詰めた。
ウロタロスの頭部を鷲掴み、その零距離でパイルバンカーを連射。
爆ぜる空気。
轟音が地鳴りのように周囲を揺らす。
完全に理性の外──獣の動き。
だが、その代償は大きい。
衝撃に耐えられず、左腕に巻かれた赤い補強布がほどけ、関節部に亀裂が広がっていく。
それでもユキトは、一切動きを止めなかった。
ウロタロスが右腕を掲げ、振り下ろす。
瞬時にガルガンダの腰部ユニットが展開し、捕縛用ロッドワイヤーを背後の砂地へ射出。
ワイヤーが食い込み、巻き戻しがかかった瞬間、ガルガンダの巨体が横へ跳ぶ。
『なんだその動きッ!?』
距離を取ったガルガンダは、獣のように姿勢を低く落とし、再び突進。
風圧が呼吸すら奪う速度。
ウロタロスが反撃に動いた一瞬、ガルガンダは右方向へロッドワイヤーを打ち込み、機体の向きを強引に変える。
砂を裂いて横から飛び出す白い巨体。
ウロタロスが膝蹴りでガルガンダの頭部を半分持っていく──が。
それでもガルガンダは止まらない。
砕けた頭のまま、左マニュピレーターをウロタロスのコックピットハッチに叩きつけ、零距離でパイルバンカーをぶち込んだ。
『コイツ……急に……!』
デカメロンの声に初めて焦りが滲む。
ウロタロスは咄嗟に蹴り飛ばし、ガルガンダを引き剥がして距離を取った。
『聞いてた通りやべーぜ、長期戦になったら厄介か…なら!』
デカメロンが吠えた瞬間、ウロタロスの背面から黒い霧のような粒子が噴き上がり、翼の形を成して展開した。
そのまま地をえぐるほどの低空で滑り込み、ガルガンダの顔面を鷲掴みにする。
悲鳴を上げる金属。視界が反転し、ガルガンダは砂浜から一気に空へと引きずり上げられる。
海が縮む。
大地が遠ざかる。
校舎の群れが玩具のように小さくなる。
警告アラームがコックピットで喚き散らすが、ユキトの意識はもう闇の縁で揺れていた。
残った左腕だけで、無意識にウロタロスを殴りつける。生存本能だけが機体を動かしている。
『楽しかったぜ、白いのォ!』
気づけば頭上の空は黒い。
大気圏の青が消えていた。
宇宙。
地球は、ただの球だ。
『世界が終わるのを——あの世で見物してなァ!』
ウロタロスは笑いながら、ガルガンダを真下へと放り投げた。
重力が牙を剥く。
ガルガンダの背部ブースターが悲鳴じみた音を立てて点火を試みるが——
割れたモニターには ENERGY EMPTY の赤文字が点滅していた。
「……」
スラスターは火花すら散らさない。
落下。
大気圏へ突入する衝撃で外装が焦げ、破片が炎を引いて剥がれ落ちる。
その遥か上空で、ウロタロスの右マニュピレーターが展開した。
前腕部のパネルが咲くように開き、凝縮した光粒子が一点へと収束する。
まるで星を絞り出すかのような輝き。
『じゃあな、白い悪魔ッ!』
——発射。
空気を焼き切る光の矢が直線で落下するガルガンダに直撃。フレームが砕け装甲が吹き飛び頭部が解け落ち、ユキトの僅かに残る意識が光の中へと溶け込むように消えていく。
制御を失った白い巨体の残骸が、燃えた流星のように海へ叩きつけられた。
着弾の瞬間——
視界が白く塗り潰されるほどの閃光。
遅れて、鼓膜を破壊する規模の爆圧が世界を押し流した。
海面が巨大な手で抉られたように盛り上がり、
水柱は校舎よりも高く天へ昇り、衝撃波は海岸の砂を削り、木々を千切り、街の窓ガラスを一斉に粉砕する。
炎と蒸気が渦巻くクレーターの中心で、
ガルガンダは跡形もなく砕け散る。
それは人々を謎の脅威から守り続けてきた平和の象徴が、
消えた瞬間でもあった—。




