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16話:予兆(後編)

「あ、ありがとうございます!」


深々と頭を下げたのは、萌里より少し年上と思われる女性だった。

淡い氷色の銀髪――肩より少し長い髪を右側でひとまとめにし、ゆるく結んだサイドテールが印象的だ。歩くたび、細い毛先が光を受けてきらりと揺れ、まるで冷たい風そのものが姿を取ってなびいているようだった。


水色のコートにチェック柄のロングスカート。裾から見えるのは、深いチョコレートブラウン色のブーツ。どこか上品で柔らかな雰囲気をまとう女性である。


「取られた時は“終わった…”と思ったんですが……まさか捕まえてくださるなんて、びっくりしました…」


先ほど黒ずくめの男が奪ったバッグは、どうやら彼女の物だったらしい。ちなみにあの後、駆け付けた警備員に犯人はしっかり取り押さえられた。


「さっき、一人だけ壁を走っていらっしゃいましたけど……忍者か何かされているんです?」


女性は首を傾げて問いかける。にこっと笑うと同時に口元がアヒル口になるのは、どうやら自然な癖のようだ。


「おい、聞かれてんぞ」

「……」


飛永が肘でつつき、いつものように無表情なユキトに答えを促すが、返事はない。


「はは、無視してるわけじゃないんだ」

「そ、そうそう!なんていうか……こういう性格なんです!」


必死に弁解する飛永と萌里に、女性は「そうなんですか…?」と不思議そうに首を傾げるだけだった。


その時だった。


キン――。


萌里の脳裏に、金属を弾いたような甲高い音が一瞬だけ駆け抜けた。

咄嗟に頭を押さえ、今の感覚を探るように意識を集中するが──二度目の音は訪れない。


(今の……何?)


「もえり?」


見上げてくるリナの不安そうな表情に気づき、萌里は慌てて笑ってみせた。


「ううん、なんでもないよ」


そう言いながら、リナの頭をそっとなでる。


「あ、あの! よろしければ……何かお礼をさせてください!」


突然の提案に、一同は一瞬きょとんとする。

物静かそうな見た目に反して、意外なほどグイグイ来る女性で、萌里と飛永は圧に負けそうだ。


「お礼って言われても……なぁ?」

「わ、私に振らないでくださいよ?! 私何もしてませんし!」

「皆さん、お昼ご飯まだですよね? まだですよね?! まだであってください!」

「ま、まだ食ってないけど……」

「じゃあ、おごらせてください! いいお店知ってるんです!」

「美味い飯ある?」

「もちろんあります! では決まりですね!」

「ちょ、ユキト!」

「腹減った」


迷っていた一同だったが、ユキトの“食欲による最速の即答”によって、女性のお礼を受ける流れが確定してしまった。


「では、ご案内します!」

銀髪の女性は嬉しそうに軽くスカートの裾を押さえ、くるりと踵を返した。

そのまま先導するように歩き出す。四人も顔を見合わせ、後ろからついていくことにした。


展望台の賑やかな喧噪を離れ、エレベーターへと戻る通路を歩く。

時折、観光客のざわめきとフラッシュの光が入り混じり、浮かれた空気が揺れている。


「…というか、白い男とオチビトの探索中なんですけど、これいいんですか?」

萌里が、隣だけに聞こえるくらいの小声で囁く。


「まぁ…飯くらいなら。サボってるわけじゃないしな」

飛永は肩をすくめ、苦笑いを返すしかなかった。

せっかくの恩義を無視するほど冷たい大人ではいられない――そんな雰囲気が言葉以上に滲んでいた。


エレベーターはちょうど4階に到着し、4人は来たときと同じルートを辿って外のスカイタワー広場へ戻っていった。


「あそこにあるのです!」

銀髪の女性が指さした先――

道路を挟んだ向こうに、ガラス張りの大きな建物がそびえ立っていた。


1階はスーパー、2階はブティック、そして3・4階は飲食店が入っているようだが…

明らかに最上階だけ、別世界のように高級な雰囲気を放っている。


「えっ…あそこって」

飛永が目を細める。


「先生、知ってるんですか?」

萌里が見上げて尋ねる。


「……ああ。めちゃくちゃ高い店だ。諭吉が何人も散っていく、桁違いの高級店だったはずだぞ」

「えぇぇ?!」

萌里は思わず声を裏返らせた。


それでも一行は女性の後を追い、横断歩道を渡って建物へ入る。

エレベーターで4階まで上がり、扉が開いた瞬間――

目の前に広がったのは、床に敷かれた深紅のカーペット。

壁も天井も白い大理石で統一された、静謐で高貴な空気を纏う廊下だった。


「高級ホテルのロビーかよ…」

飛永が思わず息を呑むほど、飾られた絵画やオブジェは明らかに高価。萌里や、それとなく視線をそらしながら値段を想像して青ざめていく。

一方リナは、何もわかっていないのでポカンとした顔で飛永と手を繋ぎながら歩き、ユキトはまるで興味ないのか目もくれていなかった。


「あ、失礼」

気づけば女性は、大きな両開きの扉の前に立っていた。

扉の横で控えていたスーツ姿のドアマンが、女性の前に一歩出て制するように手を挙げる。


が、その手は1秒も経たないうちにすっと下ろされた。

まるで“確認が済んだ”と言わんばかりの自然な動作で、ドアマンは恭しく扉を開ける。


「ど、どうぞ」

「……顔パス……? なにもんだよオイ」


飛永の口から、完全に心の声が漏れてしまうのだった。普段からここの常連なのか、もしそうならとんでもないお金持ちということにもなる。


そして中へ足を踏み入れた瞬間、そこだけ別世界の静けさが広がっていた。


外の喧騒を一切遮断したような空気で、まず感じるのは“音の少なさ”だった。

話し声は囁きのように控えめで、グラスが触れ合うかすかな音が、かえって上質な空間を際立たせている。


店内は天井が高く、柔らかな金色のシャンデリアが、落ち着いた光をテーブルの上に落としていた。

壁はクリーム色の漆喰に、淡い金の装飾を控えめに散らしたデザイン。

余計な派手さはなく、それでいて一つひとつの意匠が「高い」とすぐに分かる品の良さだった。


床は深い木目のフローリングで、歩くと吸い込まれるように足音が響かない。

テーブルクロスは雪のように真っ白で、指先で触れればわかる上質な布の密度。

食器はどれも薄く繊細な磁器で、ワイングラスは光に触れるたび虹色の反射を返してくる。


スタッフの動きは洗練され、歩幅さえ音を立てないよう計算されているかのようだ。

黒のベストに白シャツ、シルバーのタイを締めた男性スタッフの立ち振る舞いはホテルマンよりも格段に優雅で、客一人ひとりに対する視線すら絵画のように整っていた。


そして中央には、大きく円を描くように配置されたテーブル席。

さらにその奥――

緩やかな曲線を描く階段が2階のバーカウンターへと続き、そこには琥珀色のボトルが宝石のように照明に輝いて並んでいる。


「……なんだここ、えぐすぎるだろ……」


飛永が思わず小声で呟くほど、全体に漂う“場の格”が桁違いだった。


「こちらへどうぞ」


先導するスタッフの声は驚くほど柔らかく、まるで空気ごと撫でるような滑らかさだった。

4人が歩くと、店内の他の客たちがちらりと視線を向ける。敵意や好奇心ではなく、ただ上品な“認識”としての視線――それがむしろ緊張を誘う。


スタッフは店の奥、窓際の一角で足を止めた。

そこ景色を一望できる最も眺めの良い席で、まるで“重要人物用テーブル”のような特別感が漂っている。


「こちらのお席をご用意しております」


奥の丸テーブルにはすでに水の入ったグラスが並び、白いナプキンが花のように折られ、静かに客を待っていた。

席へと誘導される途中、別のスタッフがスッと現れて椅子を引き、まるでタイミングを見透かしたように完璧な動作で4人を迎え入れる。


「はい、失礼します……!」


萌里は椅子を引かれる経験に慣れていないため、妙にぎこちなく腰を下ろす。

飛永も同様で、引かれた椅子に座る瞬間に一度確認するように後ろを振り返り、小さく礼を言った。リナは座りづらそうにしていたが、スタッフの手助けにより着席。

ユキトというと――いつもと変わらぬ無表情で最短距離に座った。こういうときでも、いざというの時のために配置を考える、軍人の本能だろう。


女性も着席し、4人も椅子に座った瞬間、スタッフが一礼し、すぐ横にスタンバイした。

まるで「言っていただければ何でも叶えます」と言わんばかりの完璧な構えだ。


その“VIP扱い”に、ユキトとリナ以外は緊張を飲み込むしかなかった。


「え、えっと……ここって、おいくら万円……なんだ……?」

飛永は、もはや聞くのも怖いという顔で女性にそっと尋ねた。


「そうですねぇ……高いものだと、十数万円ですね!」

「じ、十数万っ?!?」


声にならない悲鳴が飛永の喉から漏れた。

数字を聞いた瞬間、思考が一瞬ホワイトアウトする。


(給料……四十三万、ボーナス七十万……そこから税金でガッツリ持ってかれて、家賃と生活費で……いや、無理だろこんな店……!)


脳内で元・教員時代の給与明細がフラッシュバックしながら、飛永は涙目になるしかなかった。

こんな場所、1年に1回ですら来ようと思わない――いや、来られない。

だが目の前の女性は、“ランチ1000円”くらいのテンションで十数万円を口にしている。


(なに者なんだよ、本当に……)

「さ、どうぞ!好きなものをお頼みくださいませ!」


明るく言い切る女性に、萌里は「あっ、あの!」と勢いよく手を挙げた。

高級レストランの空気にのまれ、やや声が裏返っている。


「こ、こここ……ここまでしていただいて、わたしたち……な、名前をうかがってませんでしたよねっ?!」


「あっ、そうでしたね。失礼しました」

女性はふわりと微笑むと、丁寧に頭を下げた。


「わたくし、須藤・リ・バリミエールと申します」

「す、須藤さんですねっ!田辺萌里です! それで――」


次の紹介を飛永に回すため、萌里は隣へチラッと視線を送る。


「あああっ! 飛永真子です!!」

突然振られた飛永は、必要以上に声が大きくなる。


「こっちの小さい女の子はリナちゃんで……それで、この男子がユキトです」


ユキトは軽く会釈しただけで、いつもの通り無表情。

リナは「よろしくおねがいしますっ」と元気よく頭を下げていた。


須藤はそんな4人を優しく見渡しながら、どこか嬉しそうに目を細めるのだった。


それから4人はメニュー表を広げたが――


「……ゼロが……多くない……?」

「ケタ、ケタが……違う……!」


萌里と飛永は、ページをめくるたびに顔が青ざめていく。

“本日のランチコース・18,800円”

“黒毛和牛フィレ 特選トリュフソース・32,000円”

“季節のポタージュ・8,500円”


普段「ランチは1000円まで!」で生きてきた彼女達にとって、桁違いの数字はもはや未知の生命体だ。


その横でリナは、


「わぁ〜〜!おいしそうなのいっぱい!こっち、きれい!!」


値段を理解していない分、純粋に写真の豪華さに目を輝かせていた。

ユキトはというと——


「……肉、これ」


迷いなく一番ボリュームのある肉料理を指差した。

値段など興味がない。ただ、“腹が減っている”という事実だけが彼を支配している。


須藤に促され、全員が注文を伝える。

緊張しながらも一通り伝え終え、ほっと息をつくと――


ほどなくして、驚くほど短い時間で料理が運ばれてきた。


磨かれた銀皿、まるで宝石のように配置された食材、ふわりと漂う香り。どれも、ふつうの店では絶対に見かけない“別世界”の皿だった。


「な、なんか……料理っていうより……アート?」

萌里はフォークを持ちながら震える。


「なんだ……ご飯食べるだけなのに、手が震えるぞ……?」

「先生落ち着いて?!」


鋭い萌里のツッコミに飛永は皿を前にしながら背筋を伸ばし、妙に姿勢が良くなる。

対照的にリナは、目をキラキラ輝かせながら身を乗り出す。


「すっごい!おほしさまみたい!!これ食べていいの?たべていいのっ?」


「お、落とさないでね……?」

飛永が涙目で念押しする。


一方ユキトは――

「……食べていいの?」

「ど、どうぞ!」


返事を待つやいなや、迷いなくフォークを入れた。

その動きは静かだが、飢えた獣のような迷いのなさがある。

一口食べて、かすかにまぶたが動く。


「……うまい」


たったそれだけ。しかし、普段表情を変えない彼にしては驚くほど感情のこもった言葉だった。


「ほ、本当に!?そんなに……?」

萌里も恐る恐る小さく切り分けて口に運ぶ。


――瞬間、目をぱちくりと見開いた。

「……なにこれ……!?」


飛永も続く。

「う……うまぁ〜〜……っ!!なにこれ、肉が…肉汁が、肉厚が歯に溶けるみたいに柔らかい………!!」


高級店の味は、4人の反応を容赦なく変えていく。

リナはリナで、


「おいしい〜〜っ!ふわふわしてる!」

無邪気に笑いながら頬をいっぱいにし、まるで世界そのものを味わっているようだ。


4人の賑やかな声に、須藤は口元を手で軽く覆いながら微笑む。


「気に入っていただけたようで、何よりですわ」

その表情は、どこか母親のように優しく、満足げだった。




*********************************************




「はぁ~…すっごい美味しかったぁ…」

美味しい食事の時間はあっという間に過ぎ、皿の上はどれもきれいに空になっていた。

4人は椅子の背にもたれ、胃の底からふわっと湧き上がる幸福感に浸っていた。


「本当に、こんなおいしいごはんをごちそうしていただき、ありがとうございます…!」

萌里が深々と頭を下げる。


「いいのですよ。鞄を取り返してくださった恩人と、そのお友達の方々ですもの。お礼をしないほうがバチが当たりますわ」

須藤は控えめに微笑む。その表情には、礼だけではなくどこか温かい親しみも感じられた。


そんな会話の隣で、ユキトはワイングラスの水を飲み干し、静かに須藤へ視線を向ける。


「アンタ、あそこでなにしてたんだ?」


珍しく自分から問いかけるユキト。

その瞬間、萌里の胸に“ほんの小さな違和感”が走った。

(……今の。聞き方……なんか、ちょっと引っかかる…?)


須藤は一拍置き、軽く息を吐く。


「……旅行、と言いますと少し違いますの。先日、お付き合いしていた彼が亡くなりまして」


「えっ……」

「それは……」


萌里と飛永が、ほぼ同時に眉を寄せる。


「それで……彼との思い出に浸りたくて、スカイタワーの展望台におりましたの。でも、だめですわね……浸るどころか、色々と思い出してしまって……」


須藤は視線を落とし、苦笑ともため息ともつかない息を漏らした。

「そのタイミングでバッグを取られたものですから、もう踏んだり蹴ったりでして」


「そうだったんですか……大変ですね」

萌里は胸の前で手をぎゅっと握りしめ、心から心配そうに声を落とす。


飛永も続けた。

「まぁ……そりゃ、参りますよね。災難だ」

「…でも、皆さんが捕まえてくださったおかげで、少し救われましたのよ。こうして誰かと笑って食事をするのも、久しぶりですもの」


リナが心配そうに須藤の手をそっと触る。

「かなしいの……?」


須藤は小さく微笑み、リナの頭を優しく撫でた。

「大丈夫ですわ。ありがとう、リナちゃん。あなた優しい子ですわね」


「えへへ……」

その穏やかな空気の中で、ユキトがぽつりと。


「……そうなんだ」


その声には、ほんのわずかだが“刺すような圧”が混じっていた。

萌里も飛永も、その違和感に一瞬だけ肩を強張らせる。

しかし――気のせいかもしれない、と二人は無理やりスルーすることにした。


須藤は困惑したように眉を寄せ、そっと問いかける。


「あの……なにか、ございましたか?」


恐らく、ユキトの視線の向け方が気になったのだろう。

普段無表情な青年がたまに見せる“何かを測るような目”は、時に鋭利に感じられる。


「……別に」


短く返すユキト。

その声音は平坦だが、内側に小さな波が立っているような気配があった。


須藤は一瞬だけ戸惑いを見せたが、すぐに穏やかで余裕のある微笑みに戻る。

両手を胸元で重ね、軽く場の空気を整えるように言った。


「さて、そろそろいい時間ですし……食事も終わりましたもの。今日はここでお開きにしましょう!」


「えっ……ほんとだ。こんなに経ってたんだ」

萌里が慌ててポケットからスマホを取り出し、画面を確認する。


4人それぞれが席を立ち、深くお礼を述べる。


「あ、はい!わかりました!何から何までありがとうございます!」

「ごちそうさまでした! めっちゃ美味かったです!」

「ごちそうさま!」とリナ。

ユキトも無言の礼を示すように軽く頭を下げた。


須藤は柔らかく微笑み、軽く頭を下げ返す。


「お会計はわたくしのほうで済ませてまいりますので、皆さまはそのまま下まで降りてくださいませ。今日はこのまま解散、ということで」


そう言い残し、須藤は店の奥――レジの方へと歩いていった。


4人はレストランを後にし、エレベーターへと向かう。


……だが。


3人がエレベーターに乗り込む直前、ユキトはふと足を止め、ほんのわずかに振り返った。


視界に入ったのは――

扉前に控えるドアマン2人。


二人とも、先ほどまでの“接客の笑み”ではなく、何かを話し込むように険しい表情をしている。


眉間に皺を寄せ、声こそ聞こえないが――

その雰囲気は、明らかにただ事ではない。


ユキトの瞳が、静かに細められる。


「…………」

視線はほんの一瞬だったが、確かに何かを感じ取った。


「ユキト? 早く、閉まっちゃうよ?」

萌里の声に促され、ユキトはエレベーターへ足を向ける。


扉が閉まる寸前――

彼はもう一度だけ、脳裏でドアマンたちの表情を思い返していた。




**********************************************




その後も一同は、オチビトが現れた場所を手がかりに東京各地を回ってみたものの、成果はゼロ。気づけば日が暮れ、空は夜の色に染まりつつあった。


「結局、何もなかったですね……」


時刻は夜の6時18分。

萌里たちは秋葉原の牛丼専門店2階で、ネオンライトに照らされ始めた街並みを眺めながら、それぞれ注文した牛丼を食べていた。


「やっぱ、この味だよな〜」


先ほどの超高級レストランとは違い、飛永はすっかり肩の力が抜けた様子で、豪快に牛丼をかき込んでいる。


「美味しかったけど……ああいう雰囲気って緊張しますよね。肩に力が入っちゃうっていうか」

「それな。ご飯は気楽に食べられるのが一番だよな。な、アンタもそう思うだろ?」


隣を見る──ユキトの前にはすでに7皿の空どんぶりが積み上がっており、本人は8皿目に箸をつけようとしていた。


「……え?」

「聞いた相手が間違いだった」

「はは……ユキトはいつもこうなんですよ……」


その時だった。


グイッ、グイッ。


飛永は上着の裾を引っ張られていることに気づく。

視線を落とすと、リナが今にも泣き出しそうな顔で見上げていた。


「な、どうしたんだよ?なんかあったか?」

「……ないっ」

「ないって、何が?」

「うさぎぴょん子が、ないのーーー!!」


ついに堪えきれなかったのか、リナは声をあげて泣き出してしまった。

周りには学生やサラリーマンが食事をしており、当然ながらちらちらと視線が集まってくる。


「ならまた買ってやるから……な?ほら、泣くなって」

「ヤダーーーーー!!!」


さらに泣き声は大きくなり、飛永はすっかりお手上げ。


「どうするよ……どこで落としたか覚えてないのか?」

「おっきいところに、のぼるまではあったの……」

「……おっきいところって。昼飯のとこか?」

「ちがう……さいしょに行ったところ……」

「スカイタワーか……あそこって今からでも入れたっけ?」

「ちょっと待ってくださいねっ!」


萌里はすぐスマホを取り出し、慣れた指つきでスカイタワーの情報を検索する。


「あー…22時までやってますね。最終入場は21時って書いてあります!」

「またあそこまで行くのかよ……リナ、明日じゃ──」


と言いかけて、飛永の口が止まる。


リナは唇をぎゅっと噛みしめ、涙いっぱいの目で飛永を見上げていた。

あからさまに「今すぐ行きたい」と訴える顔だ。


「……しゃーねぇな。行くか」

「ちょ、待ってください! そろそろマリゲルさんと交代の時間じゃないです?」

「うげっ、もう10時間経つのかよ。どーすっかな……」


飛永は顎に手を当て思考する。居間からスカイタワーに行けば確実に交代の時間には間に合わない。かといって、もう一度ユキトに行かせるのも流石に悪い。

何かいい方法はないか脳を振り回転させている時だった。


「俺、代わりにいってくるよ」

「なに?連続になるぞ?」

「問題ないよ。俺より、アンタがいったほうが良い」

「そ、そうか…」

ユキトからの意外な救済に飛永は驚きつつ、内心ほっとする。


「っていうか、電車乗り方わかるの?」

「……」

飛永の問いにユキトは無言だった。いつもは萌里に切符を買ってもらって、ついていくだけだったので彼一人では、この時代の交通機関は使えないのだ。


「山手線、わかるか?」

「……」

ユキトは更なる問いに答えることはなかった。最初電車に乗る時、切符売り場の上にある山手線の全体図を見て、なにこのもじゃもじゃ、といっていたのを飛永は何気なく思い出し、口角が引きつる。


「悪い、送り届けてから合流するわ」

どう考えても彼がひとりで有明までたどり着くビジョンが見えなかっので諦める飛永は、同行することを決めたのだった。




**********************************************




完全に日は沈み、ビル群の窓に灯る光が街を縁取る頃。

田園の夜とはまるで違う、人工の輝きに満ちた世界。左右も前後も、視界いっぱいに立ち並ぶ建物たちが境界をつくり、その隙間を埋めるように、絶え間ない都会のざわめきが響いている。


どこを見ても人、人、人。

夜だというのに歩道の流れは途切れず、ネオンの反射がアスファルトに揺れていた。


沿道には、メイド服やナース服を身にまとった女性達が街の光に照らされながら通行人へビラを配っている。

知らない誰かの日常と商売が交差するその風景は、田舎育ちの目には少し異様で、しかしどこか眩しくもあった。

そんな東京の夜を見渡しながら、

萌里はリナの小さな手をしっかりと握り、雑踏の中を歩いていく。


時刻は午後18時56分。

夜はまだ浅く、街はこれからいっそう輝きを増していく時間帯だった。


「あらっ!」


押上駅の出口から地上へ上がった瞬間だった。

夜気に混じって聞こえてきた、どこか耳に残る声。

青い看板の下に立っていたのは――昼間、高級レストランで出会い、食事を奢ってくれた須藤だった。


「こんばんはですわ。まあ、なんて偶然かしら」

「えっ?!こ、こんばんはです!」


思いがけない人物に再会し、萌里は思わず姿勢を正す。

隣のリナも、ぺこりと深くお辞儀をした。


「こんな時間にどうされましたの?」

「えっと、この子のぬいぐるみを…ここで落としちゃったみたいで探しに来たんです」

「あらまあ!では落とし物として届いているかどうか、確認はしましたの?」

「……あっ。そういえば、してないです。

 本人がここで落としたって言ってるので、とりあえず来てみたんですが…」

「でしたら、わたくしにお任せくださいまし。ここには多少、顔が利きますの。正式な手続きなんてしなくても通して差し上げられますわ」

「えっ!? そ、そうなんですか……?」


相変わらず自信たっぷりな須藤に、萌里は戸惑いながらも頷く。

レストランの件といい、昼間の“顔パス入場”といい、

どれだけの立場の人間なのか想像がつかない。

彼女の纏う“何か”に、萌里の胸に小さなざわめきが生まれる。


「さ、こちらへ」


須藤に促され、萌里とリナは自然と後をついていく。

朝と同じルートを辿り、エレベーターで4階へ。

夜の入場列を横目に、そのまま展望台行きのエレベーターへ案内された。


(……あれ?)


エレベーターに乗った瞬間、萌里は違和感を覚える。

乗務員の女性が、壁のスイッチパネルを見つめたまま、まったく動かないのだ。


昼間はあんなに丁寧に説明してくれていたのに――

夜はアナウンスがないだけ? そう思い込んでみても、どこか引っかかる。


そんな不気味な静けさのまま、エレベーターは展望台に到着した。


「……え?」


扉が開いた瞬間、萌里は息を呑む。

広い展望フロアに、誰ひとりいない。夜だから客が少ない……なんて次元ではない。

無音の空間が、異様な寒気を放っていた。


「も、萌里……なにか、ヘン」


リナが萌里の袖をぎゅっと掴む。

その直後だった。


――ガゴン。


背後で重い金属音が鳴った。

萌里が振り向くと、展望台の入口が厚いシャッターで閉ざされていく。


「えっ――」


息を飲む暇もなく、須藤が前に立つ。

その手には、ありえないほど巨大で重そうな金属の棒が握られていた。

細い体躯のどこにそんな力が――と思う間もなく、彼女は軽々とそれを肩に担いでいる。


「ふふ……やっぱり、気づいていましたのね」

「す、須藤さん……? な、なんでそんなもの……?」

「どうもこうも、こういうことですわ」


須藤が片手をひらりと振る。


――ゴッ。


風が唸ったかと思うと、萌里とリナの身体が見えない力で後方へ弾き飛ばされる。

床に落ちる瞬間、萌里は反射的にリナを抱き寄せ身を丸めた。同時に自身の上着のポケットに手を入れ、スマホの横のボタンを長押しする。


「おや……反応は悪くありませんわね。落ちながらその子を庇うなんて、実に“優しい”」

「い、今の……なに……?」

「念動力ですわよ。”数ある能力”の中から“あの方”が擬態能力と一緒にくださった素晴らしい贈り物ですの」


その声は、昼間の上品な口調とはまるで別人。

濁った男の声が混じり、目の前の須藤の皮膚が――ゆっくりと垂れ落ちていく。


白い肌が崩れ、溶け、剥がれ、中から“本当の姿”が這い出るように現れた。


白い髪。白い肌。性別すら曖昧な細身の体躯。

そして――氷のように澄み切った、感情の欠片もない眼。


「君たちは“探していた”んだろう……この“僕”を」


現れたのは、白い髪、白いシャツ、白いズボン、そして――素足。

警視総監・近藤が見せてくれた防犯映像に映っていた“白い男”そのものだった。


「姿が……変わった? どういう……」

「擬態していたのさ」


その声は若く、透明で、どこか人間の温度を欠いていた。

対面するだけで胸の奥を締め付け、精神を削り落としていくような圧力がある。

日常に生きる人間が放てる気配ではない。

“外側”から来た存在――まさに、そうとしか言いようがなかった。


「こうもチャンスが巡ってくるなんて、ついてるよ。君が”カギ”なんだろう」

「貴方、判決者ジャッジメントエンドと関係が…?」

「そうだね。髑髏の指示の元、こうして騒ぎを起こせば君達は東京にやってくる。基礎の命は奪還だけど、”本作戦の目的”は別にある」

「目的…?それはなに!」


萌里はリナを抱き寄せる腕に思わず力をこめ、喉が震えるのを抑えながら問い返す。

全身が告げる危険信号に反して、言葉だけは前へ出てしまう。


「――箱舟だよ」

「はこぶね……?」

「セルガンティス文明が残した遺産。ジャッジメントエンドが目指す“世界の再構築”には欠かせない古代兵器を蘇らせる」


古代兵器。あまりにも突拍子もなく、しかし彼の口調には揺らぎひとつない。


「じゃあ……東京で騒ぎを起こしたのは、私たちの注意を、その古代兵器ってのから引き離すため……?」

「まんまと引っかかってくれたおかげで、助かったよ」

「っていうか、“世界の再構築”って何!?どういうことなわけ……!」


白い男の瞳が、ほんのわずかに弧を描いた。

それは笑みではなく、感情が“揺れた”ことを示すだけの微細な変化。


「……これは“制裁”だ」


男は手にしていた金棒を床へ落とした。

鈍い金属音が展望室中に響き渡り、静寂を切り裂く。


そして、両腕をゆっくりと広げる。

まるで“この世界”そのものを抱え込むかのように。


「この腐りきった世界を一度壊し、作り直す。それがジャッジメントエンドの選んだ結論。今、彼らは――世界を壊す準備をしている」

「世界を……壊す……?!」

「君たちの価値基準で言うなら“破壊”。僕たちから見れば“浄化”だ」

「そんな……そんな勝手な理屈で……!」

「勝手? はは……人間はいつだってそう言うけれど、君たちの社会こそ―ずっと前から壊れているじゃないか。争い、差別、暴力、搾取……」


萌里は息をのむ。

白い男の声には怒りも悲しみもない。ただ“事実を語っているだけ”のような、氷の冷たさだけがあった。


「今でも、目に焼き付いてるんだ。腸が煮えくり返るほどにね」

「……何の話?」


萌里は警戒の視線を向けながら問い返す。

この状況で突然の昔話――それ自体がすでに不気味だった。


「僕はね、車が好きだったんだよ」

「え……?」


突拍子のない話題に思わず眉を曇らせながらも、萌里は気を緩めない。

むしろ、もっと警戒を強める。


「初めて買った自分の車で出かけるのが楽しくてね。毎日が充実していた。……それがある日の事故で、僕は両腕を失った」


白い男の声音に、かすかに怒気――いや、濁った何かが混じり始める。


「運転どころか、日常生活もできない。下半身から下は動かなくなった。なのに……ぶつかってきた相手は無傷だった」


(……両腕も、下半身も? じゃあ、どうして今は……)


疑問が頭をよぎるが、それを問う余裕などない。

ただ耳だけが逃げずに続きを聞いていた。


「交通状況から見て相手が悪いことになり、謝罪も受けた。高額の保険金も降りた……けどね、その代わりに僕は自由を失った」


言葉が荒れていく。

リナが怯えを隠せず、ぎゅっと萌里の服を掴んだ。


「周りの態度も変わった。仕事もやめざるを得なくなり、友人も離れた。……彼女だって、僕の介護が嫌になって逃げた。元から仲の悪かった両親は、僕を巡って罵り合い、挙げ句の果てに……殺し合って死んだ」


そして白い男は、とうとう叫んだ。


「そんなある日だ! 介護士の人に押されて車椅子で街を移動していたとき……見てしまったんだよ!!“あの男”が! 僕から自由を奪ったあの男が、女を隣に乗せてスポーツカーを飛ばしてるのを!幸せそうな顔で!!」

「……まさか。秋葉で、法定速度を超えて走っていた車を止めたのって……」

「そうだよ!! 憎くて仕方なかったから殺した!僕が不幸で、アイツが幸せそうなのが……どうしても許せなかった!!そんな時に――髑髏と出会った」


白い男はニヤリと口角を吊り上げた。

背筋の奥が冷たくなる、不気味な笑みだった。


「赤い石……“アナグラの核”。それを体内に埋め込むことで、長年動かなかった僕の体は、自分のものじゃないみたいに動いた。髑髏は言ったよ。“擬態”と“念動力”――僕に向いているってね」

「アナグラの核……人体にも……?」

「ところで君――雑誌のモデルをしているそうだね」


ギロリ、と白い男の眼が向けられる。あまりにも露骨な殺意を宿した視線。


「成功者か……」


(まずい……! こっちにヘイトが……)


悪寒が背中を一気に駆け上がる。

萌里は一瞬、リナへ視線を落とす。


(ここは展望室……窓のすぐそば。さっきみたいな“念動力”を受けたら確実に――落とされる……!せめてリナちゃんだけでも……!)


「まあいい。君は“落として”殺してから回収することにしよう」


白い男が右手を突き出した。


ゴゥッ――。


空気が悲鳴を上げる。

見えない壁のような圧が、一気に押し寄せてくるのが分かる。


(だめ……避けきれない……!)

覚悟し、萌里は瞼を閉じ――


――ギィンッ!!


金属がきしむような、しかしどこか神聖な響きを持つ音が展望台に大きく反射した。


「……え?」


目を開いた萌里は、状況を理解できなかった。

確かに念動力は放たれた。

だがその直後――


自分の前に、いつの間にか小さな背中が立っていた。


リナだ。


両腕を広げ、まるで盾となるように萌里を庇うようにして立っていた。


「リ、ナ……ちゃん……?」


周囲には、幾何学的な紋様で描かれた光の障壁が展開していた。

リナの額には見たこともない紋章が浮かび、顔や腕には光の線が脈打つように走っている。

幼いはずの姿が、今だけは別人のように見えた。


「……汝、守りしは………」

リナが、振り返らずに言った。

声は震えているのに―光だけは、あまりにも強い。


「危機的状況に陥る時、秘めたる力に目覚める。系列種族の特徴…話には聞いていたけど、君もヤムデル族の出身だそうだね。小さなお嬢さん」

白い男の言い方は、まるで見透かしていたようだった。両手を広げていたリナは糸が切れたように、膝をつき、その場で倒れてしまった。障壁のようなものもガラス破片のごとく砕け散り消え去り、額の紋章や顔や腕に走っていた光の線も、いつのまにか消滅してる。


「初期開眼で力を使い果たしたか…まぁいい、これで」

倒れて意識を失っているリナを抱きかかえる萌里に、白い男は右手を突き出す。


(まずい…!)

今後こそ確実にやられる。

リナは動かない、先ほどの頂上的な力も期待できず、避けるにはリナを抱えて動くことは咄嗟にはできない。戦闘慣れしていない、なんなら一般人で女子高生の萌里は頭をフル回転させ今の窮地を脱する方法を考える。


「死ね!」

ゴゥっと、風が鳴き喚く。

白い男の手から放たれた見えない衝撃波、念動力が床を削り萌里に迫ってくる。


「助けて……ト…助けて!!」


——次の瞬間。


ドゴォン…!!

白い男の真上──天井が爆ぜるような轟音とともに砕け散った。


崩落、などという生易しいものではない。

まるで巨大な質量が真上から叩きつけられたかのように、鉄骨は捻じ切れ、コンクリートは粉砕され、窓ガラスは次々に破裂音を立てて吹き飛ぶ。


その奔流に巻き込まれ、白い男の足場は一気に抜け落ちた。

そして直後、萌里とリナの立っていた床までもが外側へ弾け飛び──二人は東京の夜空へ投げ出された。


「……っは…!」


声にならない。

息も、叫びも、思考もなにもかもが吹き飛んだ。


背中が空を向き、次の瞬間には視界が反転し、眼下には無数のネオンで彩られた大都会・東京が広がる。星空と街明かりの狭間に自分が浮いているという事実だけが理解でき、それ以外の認識が追いつかない。


ただひとつ──落ちれば死ぬ。

それだけが脳に焼きついていた。


だが萌里は見た。


空の上から落ちてくる、巨大な影。

背部ブースターを噴かし、両脚のスラスターで細かい位置調整をし落下しながら、一直線にこちらへ迫ってくる。


腹部ハッチが展開し──

落下する萌里とリナを「抱きとめる」ようにコックピットへ吸い込んだ。


バタン、とハッチが閉まり、次の瞬間。


ゴスンッ!!


凄まじい衝撃が機体の底から突き上げ、全身が跳ね上がるような振動が走った。


「……っ!?」


混乱しながら視界を上げると、そこは全天周モニターの光に包まれたコクピット。仰向けにリナを抱えたまま倒れ込んでいる自分の姿勢のせいで、天井の円形コンソールが大きく見えていた。


「大丈夫?」


覗き込んできた顔。

無表情で、見慣れた──それが視界に入った瞬間、萌里は全身のこわばりを失った。


「ゆ、ゆ……ユキト!?」

「うん」

「えっ……ここ、ガルガンダのコックピット!?」

「そう」

「でも、さっきまで私たち落ちて──」

「俺もよくわかんないんだけど」


ユキトは頬をぽりぽりとかきながら、いつも通りの緊張感ゼロの声で言う。


「ガルガンダに乗って待機してたんだけど、気づいたら空の上にいて。下を見たら二人と白い男がいたから……とりあえず、上から叩いた」

「……じゃあ、あの天井ぶち抜いたのって」

「うん」

「ちょっ……マジで!? 本気で死ぬかと思ったんだけど!!」

「こういうやり方、慣れてるから」

「慣れでどうにかなる問題じゃないってば!!」


泣きそうな声で抗議する萌里。

彼の言葉と先ほどの光景をつなぎ合わせれば、

恐らくこうだろう。


──天井を砕いた一瞬に見えたのは、ガルガンダのコンボウ刀。


ユキトは白い男ごと天井を粉砕し、展望台の床を切り離す形で二人を落下させ、そのまま空中でガルガンダが回収した。

あれが一瞬で起きた“事実”なのだ。

そのとき、無線がバチッと割れる音と共に入った。


『オイ!聞こえるか! 今どこにいるんだ?!』

飛永の声だ。


「萌里とリナが白い男と遭遇してた」

『なにぃ?! 場所は!』

「スカイタワー」

『マジかよ……で、今はどうなってんだ!?』


飛永の声が飛び込む中、ユキトはふと左側のモニターに視線を移した。

何かの“気配”に反応したように。


スカイタワーの足元――

商業施設が並ぶ大通りに、白い“塊”のような物体が、ぬるりとうごめいていた。

それは肉の繊維が裂け、水を絞るような音を立てながら膨張し、伸び、形を変えていく。


そして。


“人型”になった。


ガルガンダと同じ、約18メートルの巨体。

前進は平面のパネル装甲で覆われ、胸には赤い石―アナグラの核がある。顔という構造はなく、頭部にはむき出しの“脳”があり、そこから4本の太いパイプがうなじ側へ伸びている。

異様で、人外で、無機と有機が混ざったような姿。


ユキトはその変貌をただ静かに見つめ――短く告げた。


「戦闘が始まる」

その落ち着ききった声が、飛永の無線へと届くのだった。




**************************************************




『髑髏から聞いているよ―“白い獣”…いや、“悪魔”か』


白い巨体は、嘲るように身をよじった。

背部の装甲パネルが波打ち、蠢き、肉が変形するような湿った音を立てながら左右に再配置される。

次の瞬間、六門のミサイルポッドを備えた角張ったユニットが、背骨に沿うように展開した。


そして白い巨体はわざとガルガンダへ背を向け、深く屈む。


――全砲門解放。


夜空が一瞬だけ白く光り、

数十発のミサイルが花弁のように散り、放物線を描いて襲いかかる。


ユキトは迷わなかった。

ガルガンダは両腕を交差させ、赤い補強布を巻いた前腕で“盾”を作る。


爆鳴、衝撃、圧。

熱が媒体を焼き切り、白煙が全周を飲み込む。

展望台のガラス片が爆風で降り注ぎ、街の看板が悲鳴をあげた。


「……コイツ」


火花の雨を浴びながら、ユキトの脳裏に記憶が蘇る。

あの日、元居た時代から飛ばされる前の戦闘で目の当たりにした、自らの体を変化させ武装に返るアナグラ。

白い機体が今やったそれは、元居た時代で戦ったアナグラとまったく同じ変化パターンだった。


『なるほど。後ろの一般人を庇ったか。――愚かな行為だよ?あんな下等生物のために、自分を削るなんてね!』


白い巨体の腕が分解し、溶け、再構築され、一本の剣へと変わる。

次の瞬間、白い残光を引き裂くように一気に距離を詰めてきた。


ガルガンダは背のコンボウ刀を抜く。


――ガギィィンッ!!


金属が噛み合う甲高い衝撃音が夜に弾けた。


『今さら守る意味なんてどこにある?!腐った世界、汚れきった人間ども!壊れるべきだろう、こんな不合理な世界は!』


「――だから?」


ユキトは息一つ乱さず返す。

剣圧を押し合うわずかな隙、ガルガンダが膝をたたむ。


跳ね上がるように左脚を突き出し、白い巨体の腹を蹴り飛ばした。


白い機体がわずかに体勢を崩した瞬間――

ガルガンダが踏み込み、右腕のコンボウ刀を大上段に構え振り下ろす。


『甘いッ! 読めてるよ――丸見えっ!?』


白い巨体が剣を掲げる、その刹那。


真下から迫る異様な“圧”。


ガルガンダの左手――

開いたマニュピレーターの先には、煌めく獣の爪のような鋭利な金属ブレード。


掌底が白い機体の腹部に接触。


――バゴシュンッ!!


至近距離のパイルバンカーが炸裂。空気の圧が炸裂し周囲の建物の窓ガラスを叩く。

白い巨体の装甲に蜘蛛の巣状の亀裂が奔り、内側の生体構造らしき何かが露出する。


『振り上げた獲物はおとりか?! クッ……!』


ガルガンダは一歩、機体を揺らし確実に前に進み、獣のように踏み込み構え直す。

パイルバンカーを放った左腕は前に構えたまま。

右手のコンボウ刀は斜めに掲げられ、殺意そのものの角度を取る。


「アンタが何を考えてるかなんて関係ない。俺はアナグラを全滅させる。お前もアナグラなら―全力で叩き潰す」


ユキトの声は低く、重く、静かだった。

その声音が落ちるたびに、ガルガンダのフレーム全体がわずかに軋み、周囲の空気ごと沈み込むような圧があたりを支配する。


そして――


ガルガンダのモノアイが、ゆっくりと光を深めた。


それは単なるセンサーの発光ではない。

光が灯るのではなく、**闇の奥から“覗き返してくる”**ような、不気味な輝き。

生物の眼球よりも明確な“意思”がそこには宿っていた。


光は静かで、瞬きひとつしない。

しかし、ただ見られるだけで背骨をつかまれるような恐怖が走る。


ガルガンダの巨体は、夜の底で蠢いていた影が人型をとっただけの異形のように沈黙し、その黄色い一点だけが暗黒に浮かび上がる。


まるで、こう告げているかのように。

――逃げても無駄だ。

――次は、お前だ。


人型兵器のはずなのに、そこには合理性も機械らしい無機質さも存在しない。

見上げた者は誰もが、理解してしまう。


これは兵器ではない。

戦士でもない。

正義でも悪でもない。


**“獲物を狩るためだけに存在する、完全なる悪魔”**だ――と。


同時に、萌里はコックピット内の全天周モニター越しに気づいた。スカイタワー周辺の空――複数のテレビ局ドローンが旋回し、カメラを向けている。


この戦闘は、ガルガンダの姿も白い異形の巨人も、今まさに――日本中に、世界に生中継されている。


尚且つ今ユキトは、相手が通信で話しかけてくるのではなく、直接機体から音声が出ているため、こちらも機体の外に自身の声が聞こえる拡声器機能をつけており、会話も周りにいる一般人やドーロンにも丸聞こえだろう。


『いくら君が足掻こうと、世界の変革は止められない』

「何の話だ?」


ユキトが片目を顰める。




**********************************************




一方その頃。

同時刻――お台場海浜公園・展望デッキ付近。


「チィッ! なんなんだアイツは!!」


飛永は息を荒げ、操縦桿を握る手に力を込めた。

アルゴスの全天周モニターには、光の尾のようにチラつく“何か”が映る。

その残像を追っても、本体はすでに別の位置に跳んでいる。


速すぎる。

照準が追いつかないどころか――視認すらできない。


「遠距離メインのアルゴスに、こんな高速で飛び回る相手とか……とんだ外れクジだなオイ!!」


怒鳴りながらも、彼女の判断は的確だった。

アルゴスは本来、狙撃・射撃戦に特化した機体。そのスラスターは“持続噴射”ではなく“瞬間噴射”型。

一度吹かせば、次に吹かすまで数秒のリキャストが必要な癖を持つ。


つまり、高機動のドッグファイトを強いられれば――

アルゴスは確実に後手に回る。


「チョロチョロ動きやがって……ッ!」


視界の端を閃光がかすめる。

飛永が反射的にモニターを向けた瞬間、化け物の姿が映った。


――四角い箱。

――その中央に埋まる赤い核。

――上下の三角形の突起から放たれる、鋭いビーム。


腕も足もない。

なのに、空中を縦横無尽に駆け、弾丸のように加速する。


「これもアナグラだって…? 形状バラバラじゃねぇか!!」

彼女が叫んだ瞬間、小型アナグラが一気に加速した。


視界から消える。

同時に――アルゴスの装甲が激しく揺れた。


ガッ! ガンッ! ギャリッ!!


背面、側面、腹部。

まるで高速で跳ね回る弾丸のように、小型アナグラが機体に体当たりを繰り返す。


「ぐっ……! 馬鹿にしやがって…!!」


火花が散る。

警告灯が一気に赤に染まる。

計器類が震え、コックピット全体が悲鳴をあげて軋む。


再びモニターに赤い核が映る――次の瞬間にはもう別の角度に移動していた。


完全に弄ばれている。


「クソッ……! このままじゃ撃ち返す暇もねぇ!!」


飛永は奥歯を噛みしめ、必死に操縦桿を押し込む。

アルゴスは苦しそうに姿勢を変え、必死で逃げ場を探していた。


だが、小型アナグラの赤い核がぎらりと光り――

次の突撃に向けて、音もなく再加速していた。


ガゴン!


胸部に思い一撃が入り、アルゴスが衝撃に押され数歩後退する。


「チィ、オニューの機体がボロボロじゃねぇか…さーて。このクソ速いチビをどう料理するかだな…」


今の一撃で舌を切った飛永は、口角の端から流れ落ちる血を親指で拭い、全天周モニターに映る高速移動する小型アナグラを目で追いながら睨み、思考を巡らす。


(そういや、なんか前にアイツ等でこういう話してたな…)


策を練る中、飛永はとある日の会話が脳裏を過るのだった。




*************************************************




「えっ?!」

それは冬のとある日。萌里の祖父・哲郎の家付近にある骨組みだけを残した鉄骨の建物の中に隠された3機。

そのうち1機であるアルゴスのOSの設定をいじり終わった時にされた、マリゲルからの突然の質問だった。


「アルゴスは遠距離支援型の機体。だが、近距離に持ち込まれた場合の対処法は考えているか?」

「えーっと…それは…考えてなかったなー?」

「そうか。万が一に備え、対策を持っておいた方がいい」

「確かに、そうだけどよ…」

咄嗟に言われてた飛永は、考えもしなかった事柄に困った顔になる。実際アルゴスは前に髑髏から与えられた機体よりも高性能で、射撃制度も高く意のままに操れる。半面、機体の性能におんぶにだっこで、いざ不利な状況下になった時の事など、頭にはまるでなかったのが事実だ。


「ユキト、君ならどうする?」

マリゲルは、ガルガンダの前で焚火をし、串に刺さりアルミに包まれた状態で焼かれているイモを眺めるユキトに訪ねる。


「聞いてなかった」

「君がアルゴスのパイロットだとして、苦手な近距離先頭になった時。君ならどう対処する?」

「……」


問われてから、ユキトが返答するまでのスパンは短った。


「自分がやりやすい状況に持ち込む」

「ほう?その内容とは?」

興味津々な様子でマリゲルが尋ねる。


「この機体、射撃が得意なんでしょ?」

と、飛永に訪ねるユキト。


「そ、そうだな」

「なら、撃てばいいよ」

「……へ?」


ユキトの回答の意味が分からず、飛永は抜けた声が出た。


「な…え?そ、そりゃ撃つだろ!」

「違うよ」

串から抜き取ったイモのアルミを解きながら、ユキトは続ける。


「撃って、戦いやすい状況にするんだよ——」




**************************************************




「戦いやすい、状況……?」


呟いたその言葉の重さが、飛永の胸の奥で鈍く反響する。

再び目前の戦場。

鼓動の音と、外殻を叩く衝撃音がコックピットを震わせ、思考を削る中——

ユキトの声だけが、水底から響くように鮮明だった。


(撃って、“戦いやすい状況にする”……どういう意味だ?)


答えが舌の先まで出かけているのに、掴めない。

焦り、唸り、周囲を旋回する小型アナグラを見失うまいと視線を走らせる。


「……クソ、落ち着け!」


飛永は意図的に手元を動かし、ライフルのトリガーを軽く引いた。

一射。

当然、当たらない。

小型アナグラは残像を引くほどの速度で横滑りし、ビームは空を裂くだけに終わる。


——だが。


飛永の視界の端で、回避した小型アナグラの軌道に、妙な違和感を覚えた。


その瞬間、

全身の血液が逆流するような感覚が走り、飛永は息を呑んだ。


「……そうか」


眉が跳ね上がり、瞳孔が開く。


「そういうことか!!」


叫びは確信の裏返し。

撃つ——当てるためじゃない。


つまり——。


「こうだろッ!!」


コックピットに響き渡った飛永の声は、恐怖と興奮が渦巻く“咆哮”へと変わった。

操縦桿をひねり、フットペダルを小刻みに踏み込む。アルゴスが反動を殺しながら機体姿勢を制御し、長尺のライフルを高速で旋回させる。


包囲軌道を描きながら飛び回る小型アナグラに向け、次々とビームを撒き散らす。

鋼鉄の脚で地面を噛みしめながら、ブレを許さず、ひたすらに


「撃ち続ける」。


やがて敵が一周して位置関係が再び揃った瞬間——

飛永は舌で乾いた唇をゆっくり舐めた。


その顔は、美しくも獰猛。

“掴んだ”。

そんな確信が宿っていた。


「軌道予測、Cの10——」


アルゴスが放った一撃。

光の矢が唸りを上げ、夜気を裂く。

小型アナグラは反射的に回避し、ビームは空へ逸れる。


だが、その回避行動こそ——飛永の狙い。


「Vの56…ッ!!」


操縦桿を倒す。

アルゴスの胴体がほぼ同時に反転、銃口が“来るべき位置”へと向けられた。


放たれた二射目。


横スライドで高速移動してきた小型アナグラの“正面”に、ビームが突き刺さった。

衝撃に小型アナグラの姿勢が大きく乱れ、空中で弧を描きながらスパークを散らす。


しかし、なお立て直そうとする。

核石を中心に、再び異常な加速に移る気配。


だが、飛永はその一瞬すら許さない。


「二本目ぇ!!」


アルゴスのライフルが再び閃光を裂いた。

三射目のビームは小型アナグラの胴をかすめながら貫通し、今度は明確に挙動が歪む。

高速で飛び回っていた“脅威”のその速度に、ついに限界の色が滲んだ。


「確かに速い……けど」


飛永の声は、笑っているのか怒っているのか判別できないほど低く、荒い。


「弱点がある。—アルゴリズム、回避行動が“ひとつしかない”」


アルゴスが照準を追従させる。

ビームの残光を切り裂きながら、空中で失速気味になった小型アナグラが、いつものように左へスライド回避——しかし、その“癖”こそが罠だった。


「一発目で左に誘導して軌道を読む。あとは、スピードの“刻み”を感覚で掴んで……来る瞬間を狙い撃つ!」


引き金が絞られ、閃光が夜景を貫く。


直後——。


ズドッッ。


小型アナグラの核が命中弾で砕け、衝撃で機体が一瞬ひしゃげた。赤い光が内部から噴き出し、四角い本体が空中でブレを起こす。


「これでッ!」


飛永はペダルを踏み込み、アルゴスの銃口を撃ち落とすように下方向へ向ける。回避不能の角度から、真下へ向かって落下し始めた小型アナグラへ照準が吸い付く。


「——墜ちろッ!!」


最後の一射が解き放たれた。


ビームは一直線に小型アナグラの核を撃ち抜き、赤光が一気に弾け飛ぶ。空中でバラバラに砕け散った破片が、夜の湾岸へと流れ星のように消えていった。


飛永は荒い息を吐き、口角を吊り上げる。


「はっ、いっちょ上がり!」


アルゴスのライフル先端から立ちのぼる白煙だけが、勝敗を静かに証明していた。






***************************************************



同時刻。

「……ふむ。これはまた随分と“変質”したな」


東京ビッグタワー——その足元。

昭和の職人たちが命綱も無しに組み上げた高さ333mの巨塔。その真下で、今は別世界の闘争が呼吸を始めていた。


ギルギガントのコックピット。

淡く照らす複数モニターの中央に、左右へ散開する2つの敵影が映る。


黒装甲の機体。

のっぺらぼうの仮面。

胸に深紅の核——アナグラの心臓が脈動している。


「なるほど。“急造”を仕立てたか……」


マリゲルは指先でコマンドを滑らせ、ギルギガントの全センサーを最大出力にする。

情報が奔流のように流れ込む。生体反応、構成因子、動力の歪み、全てが本来のアナグラとは別のものだった。


「オチビトを寄せ集め、躯を捏ねたか。こちらの時代へ来て、随分と器用になったものだ」


驚くどころか、その声音には興味さえ滲んでいた。


…その瞬間。


左右の黒い2体が同時に“跳ぶ”。

まるで合図を待っていたかのような、殺意の同時解放。


「来るか」


マリゲルは操縦桿を一閃。

ギルギガントは背部マウントから巨大な突貫ランスを引き抜き、その柄を地面へ突き立てる。


そして——踏み込み。


「——ッ!」


青の機体が鋼塔の影を裂いて跳躍した。

直後、2体の黒い躯がランスを挟む形で互いに衝突。

鉄骨のような装甲同士がぶつかり、甲高い破砕音が夜に散った。


着地と同時。


「センサー精度は低いな」


ゴガァンッ——ッ!!


ギルギガントの拳が真上から振り下ろされ、片方の黒機体は頭部ごと胸まで陥没し粉砕。

その残骸をマリゲルは片腕で掴み上げ、ためらいなくもう一体へ投げつける。


重金属の塊同士が激突し、2体は束になって転倒。


「やはり、急造品か」


ギルギガントは突貫型ランスを掲げ、

ガゴン、っと両肩の装甲が展開。

背部・脚部スラスターが開き、胴体中央の“ブラストエンジン”のリミッターが外れる。


白熱の蒸気が爆発し、空気が歪む。


「——突貫」


世界が一瞬だけ静まり返った。

次の瞬間、東京の夜を稲妻が斬り割く。


轟。


ギルギガントは、地面を砕きながら弾丸のように駆け抜けた。

立ち上がりかけていた黒い2体の胴部へ——突貫ランスが一息に風穴を穿つ。


爆裂。

赤核の破片が夜の闇に散り、黒装甲が破片となって四散した。

衝撃波が芝公園に吹き荒れ、木々の枝葉がざわめき震える。


マリゲルは、槍を肩へ担ぎ直しながら振り返る。

銀青の巨体は夜景の光を反射し、静かに立つ——まるで“戦場の王”。


「……妙だな」


勝利を確信するよりも先に、鋭い違和感が胸を刺す。

差し向けられたにしては、弱すぎる。浅すぎる。軽すぎる。

“手応え”という言葉から最も遠い敵だった。


その時だった。


コックピットに、警告音が炸裂する。


「!」

マリゲルは反射的にフットペダルを蹴り込む。


ギルギガントが跳ぶ。

背部ブースターと脚部スラスターが同時点火され、青白い光の尾を引いて真上へと離脱。


直後——。


ズドォォォォンッ!!


ギルギガントがいた地面が、隕石でも落ちたかのように砕け散った。粉砕されたアスファルトが爆煙を巻き上げ、周囲の街路灯が衝撃で吹き飛ぶ。ビルの窓ガラスが一斉に割れ、鋭い破片が雨のように降り注いだ。


「……ほう?」

着地したギルギガントは、マリゲルはゆっくりと振り返る。


そこに——“そいつ”は立っていた。


アスファルトの亀裂から舞い上がる粉塵の中、巨影がゆっくりと頭をもたげた。

ビルの三階部分ほどの高さを持つ異様な角。

恐竜の頭蓋を思わせる装甲の顔面。胸部には脈動する赤核が、まるで心臓として息づいている。

奴の存在そのものが“重圧”となって空気を歪ませていた。


「やはり、こちらが本命か」

マリゲルの声は低く静か。

しかしその眼差しは研ぎ澄まされた鋼鉄の刃そのものだった。


次の瞬間、巨影が吠えた。

音ではない——目に見えない衝撃波だ。

空気を振動させる咆哮が周囲の窓ガラスを一斉に粉砕し、街の明かりが散乱する。


ドンッ!!


巨影が地面を蹴った。

わずか一歩で数十メートルを詰め、黒い腕部が振り上げられる。拳から生じる圧力だけで横のビルが揺れる。


「速い……しかし——」


ギルギガントは突貫ランスを半回転させ、巨影の拳を受け流すように横へ弾いた。

金属同士がぶつかる甲高い音と共に火花が散り、足元の舗装材がめくれる。


バギィィン!!


火花の幕の中、マリゲルは次の一手を重ねる。

ギルギガントの膝部スラスターが青白く閃光を放ち——


ズドォッ!!


巨影の懐へ踏み込み、突貫ランスが突き出される。

狙いは赤核。心臓部。

貫けば終わる——その一撃。


しかし。


巨影が肩を捻り、ランスを避けた。

巨大な角がギルギガントの左腕アーマーを掠め、鈍い衝撃が走る。

警告灯が一瞬点灯。


「これを、避けるか……!」


巨影は反撃に移る。

尾のような装甲パーツが、鞭の速度でギルギガントの側面を薙いだ。


ガアンッ!!!


ギルギガントの体が横に跳ね、街路樹をなぎ倒しながら地面に滑る。

摩擦熱がオレンジの線を描き、マリゲルのコックピットが一瞬揺れた。


だが——その顔に怯えはない。

「いい動きだ」


ギルギガントはわずかに膝を沈め、スラスターが再び咆哮。背部のブラストエンジンが脈動し、青い熱が空気を歪ませる。


巨影が跳びかかってくる。

地面を砕きながら、両腕を十字に振り下ろす。


「遅い!」


地面を蹴り、反転し巨体の死角へ潜り込むギルギガント。

突貫ランスが青い軌跡を描きながら——


ドンッ!!


巨影の脇腹に深々と突き刺さる。

赤核周辺の黒い装甲がヒビを広げ、光が噴き出す。


暴れる巨影。

その揺れは、台風の中心に取り残されたかの如く強風と衝撃。


「ここか……!」

マリゲルはさらに力を込める。操縦桿を倒し、ギルギガントのランスが赤核へ、もう一歩届きかけた


その瞬間——


巨影の胸部装甲が展開。

内部の赤核がむき出しになり、不規則にパルスを放つ。


ゴォォォォッ!!!!!


爆発にも似た衝撃が発生し、ギルギガントのボディを真横に吹き飛ばす。

ビルの壁面を削りながら数十メートルも滑り、ようやく停止した。


「……自爆防止の排熱か」

マリゲルは口元に笑みを浮かべる。

「面白い」


巨影が赤核の熱を吐き出し終え、再び構えを取る。

夜の東京に、二つの巨躯が対峙する。

ギルギガントは槍を構え、巨影は角を低く振りかぶる。互いの動力音が夜風を震わせ、満月がその空白を照らす。


次の瞬間——。

二体の巨影が同時に走った。

稲妻のごとき速度で、夜の街を切り裂きながら——


黒い巨影は、ビルの上層を軽々と砕く重量級の腕を振り抜く。

その軌道は巨大な隕石が水平に迫ってくるかのような破壊力のごとく——。


しかし。


ガギィン!!


ギルギガントは突貫ランスを水平に構え、その一撃を受け止めた。

衝撃で地面が円形に陥没し、周囲の車が一斉に吹き飛ぶ。

コックピット内のマリゲルの身体も横に振られ、警告灯が赤く点滅した。


「……力は、申し分ない」


巨影は咆哮とも振動ともつかぬ低周波を発し、地面を抉りながら再び腕を振り上げる。


飛び退くギルギガントは、ビルの外壁を蹴って一気に高度を上げる。その背後を、巨影の拳が空間ごと砕く勢いで通過し、建物が一瞬遅れて崩落を始めた。


「—遅い」


空中で体勢を整えたマリゲルは、槍を逆手に構えた。


着地と同時に。

ギルギガントが弾丸のように突進する。


巨影が迎撃しようと両腕を広げた瞬間、

急制動するギルギガントは、足元の地面を滑り込むように低姿勢で加速。


——狙うは、胸の赤核。


「突貫!」


突貫ランスが黒い巨影の胸を貫通し、背中側へ巨大な破裂孔を穿つ。

赤核がひび割れ、内部から赤黒い光が激しく漏れ出す。


巨影は凄まじい咆哮を上げ、

ギルギガントの槍を掴んで引きちぎろうと暴れ狂う。


しかしマリゲルは——一歩も引かない。


「お遊戯は終わりだ」


ランスを引き抜く瞬間、ギルギガントの肩・背部・脚部スラスターが一斉に火を噴いた。


蒼白い光が槍を包む。

ギルギガントは渾身の、全身全霊の一撃を叩き込んだ。


バシュウウウウウッ!!!!


槍が巨影の核心部を完全に粉砕。

次の瞬間、黒い装甲は内部から破裂しながら四散した。


遅れて広範囲に爆風が襲い、近くの街路樹がなぎ倒され残骸の赤色光が夜空に散る。


そして、爆風の中から現れる青い機体ギルギガント。

光るモノアイは強い意思を示すかのように光を帯び、絶対的な存在を示すかの如く力強い。槍先を軽く地面へ触れさせるように構え、その姿勢はまだ警戒を解いていない。

周囲には、巨影の残骸が粉となって漂うだけだった。


「さて、彼と彼女達はどうか」


マリゲルは呼吸を整えながら、しかし油断はしないまま、ゆっくりと周囲へ視線を巡らせる。






*****************************************************




一方その頃。

東京スカイタワー足元付近——。


『君たちは——東京に“おびき出された”のさ』


白い異形の巨人が両腕を広げた瞬間、甲高い金属音が響く。

腕部装甲が割れ、内部から巨大な有線ドリルがせり出す。

その後方のジェットノズルが蒼白い炎を轟音とともに噴き上げ、ドリルは砲弾のような速度でガルガンダへと突き刺さる軌道を描いた。


だがその瞬間——。


ガルガンダの右マニュピレーターが、

雷光にも似た速さで一つ目のドリルを掴み取り、

二つ目はコンボウ刀の一閃で弾丸のように跳ね上げられた。


金属音が夜空に散る。


掴んだ有線ドリルを、

ユキトは操縦桿とフットペダルを動かし迷いなく全力で引きずり寄せた。


白い異形の巨人の巨体が、まるで“餌を引き寄せる捕食者”のようにガルガンダへと一気に引き寄せられる。


『こうして戦っている“今”そのものが——”無駄”だよ』

「それで?」


次の瞬間、

ガルガンダは引き寄せた勢いのまま踏み込み、

左のマニュピレーターで白い巨人の顔面を鷲掴みにした。


金属が悲鳴を上げてひしゃげる。


「ごちゃごちゃ……うるさいんだよ」


モノアイが光を濃くし、

まるで怒気を具現化したかのように輝きを帯びる。


ユキトの声は、普段の無表情さの奥底に潜む感情が、ついに表に出てしまったかのように低く、鋭く、怒りに染まった。


「“そいつ”はどこにいる」


掴んだ巨人の頭部を、いまにも握り潰しそうな力で押し込みながら続ける。


「今すぐ言え。どこだ」

『焦ることはない、”アレ”を持って現れる…時期分かるさ。——その前に、ボクが君を殺すけどね』


その言葉と同時に、

白い巨人の全装甲が、まるで悲鳴を上げるような軋音を立てて開き始めた。


パキ…パキキキキ……ッ!


白い外殻が花弁のように四方へ裂け、

内部から黒い生体フレームがむき出しになる。

胸の赤い核が脈動し、赤い光が血管のように全身を走り——


まるで“生まれ変わる”怪物のように、

異形は一段階上の姿へと変貌しようとしていた。


『もうじき世界は、人類は…滅びのっ』


だが。


ゴスン。

ガルガンダの左腕内部で武装がセットされる低い装填音が響く。


 ——バゴシュンッ!


空気を裂く轟音とともに、ガルガンダの左掌から解き放たれたパイルバンカーが、変異途中だった白い巨人の頭部を容赦なく粉砕した。


装甲もフレームも赤核による強化処理も関係ない。

ただ、“杭”が脳天を貫き、裏へ吹き飛ばす。


頭部が砕ける“瞬間”には、白い巨人の体がびくりと跳ね、その後は糸の切れた人形のように沈黙した。


ユキトは反動を無視して操縦桿を押し込み、掴んでいた有線ドリルを乱暴に投げ捨てる。

空いた右のマニュピレーターが、そのまま巨人の胸部へ、迷いもなく突き刺さる。


ギギギギ……ッ!


アナグラの赤核が、巨人の胸腔から臓器を引きちぎるように摘出された。噴き出した黒い液体が血しぶきのようにガルガンダの顔と肩を濡らし、そのモノアイが、油膜越しに妖しく、悪魔のように光った。


「…………」


ユキトは無言だった。

その沈黙は怒号より重く、冷たい怒りが滲み出ていた。


操縦席で、関節制御ボタンをすべて押し込む。


ギチギチギチギチ……ッ!


ガルガンダの右手が握り締められ、

その掌にある赤核が悲鳴を上げるように光を乱す。


そして——


 ——バキィッ!!!


握力だけで、

アナグラの核を粉々に握り潰した。


核の破片は光を失い、

ただの黒いゴミとなってガルガンダの掌からこぼれ落ちる。


夜の東京の街に、

しばしの静寂。


ガルガンダは油と砕けた核の残滓を滴らせながら立ち尽くしていた。モノアイだけが、処刑を終えた“無慈悲な死神”のように、闇の中でぼうっと光を放つ。


「……」


コックピット後部。

萌里は気を失ったリナを抱えたまま、その一部始終を震える指先で見つめていた。

戦闘が終わった今でこそユキトの呼吸は整い、表情も普段の無表情へと戻りつつある。

だが——

ほんの数秒前まで、彼は“近寄ってはいけない何か”になっていた。

声をかけることすら、本能が拒むほどに。

それでも萌里は、喉を震わせ、勇気を振り絞って口を開く。


「さっきのヤツが言ってた……あれって、どういう意味なんだろ。おびき寄せたとか……世界が終わるとか……」

「肝心なことは何も話さなかった。もう少し生かして聞こうと思ったけど……うるさかったから潰した」

「……まぁ……うん。ちょっと、わかるかも……」


自分でも苦笑い交じりにそう答える。

ガルガンダの冷たいモノアイが消灯し、コックピットの中に静けさが戻った。


ユキトはふいに後ろへ目を向けた。


「まだ寝てる?」

「え?あ、うん。リナちゃん、今はぐっすり」

「そうか」


短い返事。

その声は、さっきまでの“殺意の怪物”とはまるで違う。


いつものユキトだった。

感情の読めない横顔なのに、どこか安心できる優しさがある。


萌里は胸の奥で、ほっと息をついた。

さっきまで自分を凍りつかせた“悪魔”が、ようやく遠のいていくのを感じながら。




その後、警察と自衛隊が迅速に現場へ駆けつけ、東京都内の広域が緊急封鎖された。

巨大機動兵器が3機同時に市街地で交戦するという前代未聞の事態に、都市は一瞬で騒然となり、街は混乱と恐怖に包まれた。


だが、信じられない事実が一つだけあった。


――巻き込まれによる死傷者は、ひとりも確認されていない。


市民のあいだで驚愕と困惑が入り混じった声が広がり、やがて専門家の分析もそれに追随する。

ガルガンダ、ギルギガント、アルゴスの3機は、まるで“そこだけ切り抜く”かのように建物と人を避けて戦っていたと指摘され、その精密さは軍事アナリストの間でも「人間の域を超えている」と評価された。


しかし、問題は別にあった。


崩落した主要道路、歪んだ商業施設、観光地の大規模破損。

人的被害ゼロとは裏腹に、物理的損害は甚大だった。

復旧には長い時間と莫大な費用が必要になることは明らかだった。


そして、事件は瞬く間に世界へ拡散する。

SNSには、一般人が撮影した3機の映像が次々と投稿され——

情報は混線し、真実と憶測が入り混じったまま炎上のように拡散し続けた。


翌日、政府は緊急会見を開かざるを得なかった。


しかし——

機体の正体は不明、敵性存在の詳細は調査中、住民への被害は確認されていないと。

政府の説明は曖昧で、核心には何一つ触れておらず。


それがかえって世論をざわつかせる。


混乱と恐怖と興奮が入り混じり、日本だけでなく世界中がこの“東京異変”を語り始める。


——そしてこの日、東京で起きた出来事は、紛れもなく世界史に刻まれる“始まり”となったのである。




***************************************************




「随分と、派手にやったそうだな」

東京での騒動から少し時間が経過した日の事。

白髪交じりの短髪に深い皺。鋭い眼光を持つ男性米軍合同・作戦司令官、ハロルド・レイナー中将は、ワインの入ったグラスを手に取り、一口。


「後始末で骨が折れた。だが、彼らでなければ…あの事態は対処できなかっただろう」

対面に座る男性、警視総監の近藤は缶ビールを片手に、疲れ切った様子の顔をしている。

今二人はプライベートで、夜の赤坂にある、会員制の古びたバーに腰を落ち着けていた。

店内は照明を落とし、ジャズのベースが低く続く。


「君に紹介をもらってよかったよ。レイナー」

「困っている親友を見過ごすのは、ポリシーに欠ける」


レイナーはグラスを指で回しながら、口角が緩んでいる。

近藤とプライベートで酒を交わすのは10年ぶり。連絡は取り合うが、こうして今互いにもつ役職を一旦置いての食事は、最後にいつだったかすら忘れるほどに時間が経過している。


「……にしてもだ」

近藤は缶ビールを置き、額に手を当てる。

「まさか、あの三機がここまで取り上げられるとはな…」


レイナーが鼻で笑う。

「ヒーローか…世界中のニュースでトップだぞ。『東京を救った三人の騎士』、『新時代のパラディン』。記者はこういうのにネーミングが凝りすぎる」


バーのスピーカーから、古いトランペットの音が細く流れる。

その揺らぎの中で、近藤はため息をついた。


「記者会見でも散々だった。“正体は? 配備計画は? 国の極秘兵器か?”と質問攻めだ。政府は“現在調査中であり、詳細は安全保障上の理由で明かせない”の一点張り。……まあ当然だ。説明しようがない」


レイナーがワイングラスを軽く揺らした。

「アメリカも似た反応だ。議会は『日本が独自に巨大兵器を量産している可能性』なんて報告を出す始末だ。軍事バランスがどうの、宇宙由来技術の可能性がどうの……好き勝手言っている」


「日本政府も、もう少し情報開示を検討しているよ。隠しすぎれば国民の不安を煽るし、開示しすぎれば国際問題だ」

近藤は苦々しい表情でグラスの水滴を指でなぞる。

「正直、綱渡りだ」


レイナーは眉を少し寄せ、真顔になる。

「—そして、当事者である彼らも、別の綱の上に立っている」


「……ああ」

近藤は頷いた。


「ガルガンダ、ギルギガント、アルゴス……世間は彼らを英雄視しているが、裏返せば“……一歩間違えれば全責任を押し付けられる”。巨大兵器が都市部で戦った。その事実だけで、政治家は逃げ道を探す。メディアは刺激的な絵を欲しがる。世論はすぐ掌を返す」


レイナーは静かにグラスを置く。氷が小さく鳴った。


「英雄という称号は、軍人にとって“最高の栄誉”に見えるが……実際は呪いでもある」

「……君も、か」

「そうだ。表彰も、喝采も、国民の期待も……結局は次の作戦で『失敗しないための重り』に過ぎん」


バーの扉が遠くで軋む音を立て、誰かが入ってきたが、二人は気にも留めない。


「君は彼らを守るつもりなのか、近藤?」

レイナーが、友人を見るような目で尋ねた。


「——ああ。できる限りはな」


近藤はまっすぐに答える。


「ただでさえ過酷な任務をこなし、命を懸けて街を守ってくれた若者たちだ。政治の道具にも、世論の玩具にもさせない。

組織のトップとしてではなく……彼らの“責任を背負わせた大人”として、そう思う」


レイナーはそれを聞き、少しだけ笑った。

「変わらんな、近藤。昔から」

「君こそ。状況を俯瞰して、必要なら即座に手を貸す。米軍の中将になっても、そこは変わらん」

「親友が困っていればな。軍服を着ていようが関係ない」


ふたりは、しばし黙って酒を口に運ぶ。

店内の薄い照明が、彼らの皺の刻まれた表情を柔らかく照らす。


そしてレイナーが、ふと呟くように言った。


「…ガルガンダが戦った敵は、妙なことをいっていた」

「……ああ。同じく、そこは気になっていた」


近藤の声は、少し掠れていた。


「東京での事件は、まだ“序章”なのか。背後には……我々の想像を超えた何かがあるというのか…」


レイナーはゆっくり頷き、低く言う。


「ならば次に備えよう。彼らほどの力はないが…君たちが守れない時、我々が動く。逆も然りだ。——そうだろう?」


「……ああ。頼むよ」

近藤は静かに返した。


缶ビールとグラスが、控えめに触れ合った。

ジャズのベースラインが響く薄暗いバーで、次なる嵐の気配を悟りながら。




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