14話:平和
12月中頃。
冬の商店街には色とりどりの飾りが並び、BGMはジングルベルへ切り替わっていた。街灯には赤と緑の紙飾りが揺れ、「Merry Christmas」の文字が連なる。
吐く息は白く、笑い声が冬空へ溶けていく――
だが、その賑わいの中にひそやかに“異物”が混ざっていた。
商店街「フラッグス」前。
通りを横切る人々の間に、黒いコートを身にまとった無言の影が紛れていた。
米軍式の無駄のない身のこなし。一見ただの客のようだが、視線の運びは獲物を追う猛禽のそれに近い。
腰に隠されたホルスターが、彼らの正体を雄弁に物語っていた。
ひとりは店の壁にもたれ、通行人を視線だけでふるいにかけるように観察し――もうひとりは端末を耳に当て、短く英語でやりとりを続けては空へ視線を戻す。
彼らは米軍――ハロルド・レイナー中将の護衛《影の盾/シャドウ・シールド》
顔の筋肉一つ動かない。
日本人離れした体格。その存在だけで、「ただ事ではない」空気が周囲へ波及していた。
カラン、と風が喫茶店の小さな看板を揺らした。
店内は深煎りコーヒーと焦がし砂糖の甘い匂いが満ち、
暖色のランプの光が木目のテーブルを柔らかく照らしている。
奥へ進むと、L字に並ぶ四人掛け席。
その中で一段高く設えられた窓際の角席に、四つの影が腰を下ろしていた。
ユキト。マリゲル。飛永。
そして――米軍合同・作戦司令官、ハロルド・レイナー中将。
白髪交じりの短髪に深い皺。だがその眼光は未だ鋭く、長い戦場経験を積んだ者だけが持つ“痛み”を奥底に湛えている。
彼の座る席は入り口がよく見える位置。
――退路と防御線を同時に確保できる、軍人ならではの配置だ。
店内の護衛2名は入口・カウンター脇へそれぞれ散り、死角を潰す構えを取る。
視線は絶えず窓の外へ。車のエンジン音すら聞き逃すまいと集中していた。
コートの内側にはSMG。この場が「ただの雑談」で済まないと告げている。
レイナーはカップの縁を軽く指で叩き、息を漏らす。
「ここはいい……軍議室より、ずっとな」
通訳が柔らかく日本語へ変換する。
マリゲルが胸に手を添え、礼儀正しく口を開いた。
「……我々も、堅苦しい場は苦手でな。お忙しい中お越しいただき、誠に感謝する」
「本来なら本部から動くことはまずない。だが―今回は特例だ」
レイナーはわずかに笑った。
「私は現場主義でね。地図より泥の上が好きなのだよ」
声音は穏やか。
しかし言葉の奥には、刃を忍ばせたような鋭さが潜む。
レイナーは視線を三人へ配した。
「――それで、君たちの“機体”の状況を聞かせてほしい」
軍人でありながら機体という言葉を口にするたびに、どこか異国の語彙を扱うような感覚がある。
それほど――おとぎ話にも似た存在なのだ。
ユキトがケーキを食べる手を止め、静かに口を開いた。
「ガルガンダは、腕の痛みがひどい。この前の戦闘で何度か彼方此方撃たれたけど――戦えるよ」
表情は変わらない。その淡々さが、逆に真実味を帯びた。
レイナーは軽く頷き、次にマリゲルへ。
「君のギルギガントは?」
マリゲルは優雅に答えた。
「完全とは言えない。ただ、戦闘行動は支障なく可能だ」
「ふむ……頼もしい」
レイナーは、続いて飛永へと視線を移した。
「――そして、アルゴスは?」
飛永は紅茶のカップを揺らしながら、肩をすくめる。
「無傷。遠距離が主だから、正面で殴り合うなんて性に合わないしね」
軽く笑って答えるが、その視線は鋭い。元・教師という印象はすでにない。
レイナーは低く唸り、テーブルを指で二度叩いた。
「遠方への展開には、我々の“羽”――輸送能力を貸し出することを許可している。しかし――世間への情報操作も限界が近い」
マリゲルが足を組み、真っ直ぐに問いかける。
「――事情は、未だ伏せたままなのだろう?」
「あぁ」
レイナーの声色がわずかに沈む。
「……いつまでも隠し続ける日本政府に、日本国民の不信感が高まるばかりだ」
レイナー中将が静かに言うと、店内の柔らかな灯りさえわずかに冷えて見えた。
「街は明るく飾られていても、空気はどこか張りつめている。
表向きはクリスマス。その裏で、皆が“何か”を感じている」
通訳が低く訳し、飛永が眉をひそめた。
「まあ、そりゃそうだよね。巨大なロボットが街中で戦うのは“演習”だなんて、いつまで言い張るつもりなんだか」
外では、ジングルベルのBGMが軽やかに流れる。だが、通りを歩く人々の足取りはどこか早い。
不安を隠すように笑い、視線を落として歩く。
「SNSじゃ“真実を見た”って投稿で溢れてるよ。全部デマだって片付けられてるけど、皆もう信用してない」
彼女は淡々と言葉を紡ぐ。
マリゲルは静かに頷き、レイナーへ視線を向けた。
「政府は国民に説明をしない。だが、無知は恐怖を育てる。その流れは――世界でも同じなのだろう?」
「……ああ。世界情勢も動いている」
レイナーはカップを置き、指を組んだ。
「日本は核より強大な力を得ようとしている。それは少なからず、他国の不安を煽る結果となる。故に日本政府は公式発表をしていないが、各国の軍は密かに編成を始めている」
ユキトが小さく目を見開く。
「戦争ってこと?」
「可能性は否定できない。だが、相手が『国家』とは限らない――そう判断されつつある」
彼の声は静かだが、確信を孕んでいた。
「ここ数か月で世界のあちこちで起きている紛争の激増。中国は南部沿岸に追加の艦隊を集結。ロシアも極東に部隊を再配置している。欧州連合は“観測特殊部隊”を派遣しはじめた。どの国も、事態の本質を掴み損ねたまま、『備え』だけが先行している」
「……まるで、暗闇のど真ん中で銃を構えてるみたいだな」
マリゲルが呟く。
レイナーは薄く笑った。
「正しくは、“何かがこちらを見ている暗闇へ、目を閉じたまま歩き続けている”だ」
静寂が落ちた。
店内の賑わいは続いている。しかしその音すら、遠くに聞こえた。
マリゲルは姿勢を正した。
「つまり我々は――世界が恐れている正体を知っている、数少ない当事者……というわけだな」
「その通りだ」
レイナーの視線は鋼のように硬い。
「だからこそ―君たちの存在は、これからの世界の“鍵”になる」
その言葉には、
覚悟と、わずかな期待が滲んでいた。
ユキトは黙ってケーキのフォークを置いた。
普段は感情を乗せないその瞳に、ほんのわずかだが影が差す。
「……鍵」
ユキトは低く呟き、レイナーは続ける。
「――だが、足りないものもある」
マリゲルが眉を寄せた。
「不足とは?」
「“敵”の情報が不十分だということだ。我々は、断片的に事象を拾い上げているに過ぎない」
レイナーはポケットから薄いファイルを取り出し、机の上に置いた。革表紙の綴じ具には、黒のインクで“CLASSIFIED”と刻まれている。
飛永が身体をわずかに乗り出す。
ファイルには、数枚の写真と地図を挟んでいた。
――焦土。黒く溶けた地面。巨大な影の残滓。
「これは……どこ?」
飛永が訪ねると、レイナーは短く答えた。
「トルコ東部――わずか三十分で、小さな町が一つ、地図から消滅した」
通訳の声は震え、席の空気は音を失った。
映るのは、焼け焦げた大地。その端には、まるで獣の爪でえぐられたような巨大な痕跡が残っている。
「報告では“地中から現れた何か”が街を破壊したとされている。しかし、生存者の一部は別の証言をしている――“黒い機械の巨人を見た”と」
「……ガルガンダやギルギガント、アルゴスと同類ってこと?」
ユキトが反応し、レイナーは渋く首を振る。
「外見上は似ていた。だが動きが異様だった。“殺す”という明確な意思を感じたそうで、そして消えたらしい」
淡々とした説明は、逆に圧を増していた。
「他にもメキシコ、ウクライナ、南アフリカ……規模の大小はあれど、同様の痕跡が確認されている」
飛永が低く息を吐く。
「これだけ派手なことが起きて説明はナシ…を貫いてるってこと?」
レイナーは小さく頷く。
「恐怖と混乱を避ける――という建前だが、実際は確かな事を掴めていないだけだ。国民にも、各国にも、“何が始まっているのか分からないまま”時だけが進んでいる。そして我々は、ある可能性を危惧している」
「危惧?」
マリゲルが問う。
レイナーは手を組み、顎を乗せた。
「――未来で起きた厄災が、この時代でも再現される可能性だ」
空気が僅かに震える。
「君たちの話では未来の世界はアナグラにより十年間、人類は壊滅の危機に瀕していたのだろう? アナグラの核が存在し、ジャッジメントエンドの機体にも同様のものが搭載されている……ならば、連中が再び世界を呑み込む可能性も否定できない」
クッキーを齧りながら、マリゲルが淡々と続けた。
「これまでの情報を組み合わせると、ジャッジメントエンドを率いている“髑髏”という人物がボスだとみてほぼ間違いない。ユキトが戦った敵は、主は遠い未来で戦い、この時代に来たと言っていたらしい」
「アナグラの王、って名乗ってた」
ユキトはプリンを口に運びながら、短く付け足した。
「……あの日現れた黒い化け物。あれがアナグラの王だと…」
過去の記憶を掘り起こしながらマリゲルが呟く。
「目撃証言から察するに――各地で起きている事件は、ジャッジメントエンドが動いていると考えるのが自然か」
マリゲルは静かにまとめつつ、続ける。
「しかし、こちらから打って出るのは困難だ。ボロボロの機体で耐えている状況……本当は動きたいが、どうにもならん」
「アマテラスがあれば、少しは変わるんだけどね」
プリンを一口食べるユキトが無造作に呟いた。
聞き慣れない単語にレイナーが反応する。
「アマテラス……?」
「俺達が乗ってた母艦。たぶんこっちの時代に飛んできてると思うんだけど、まだ見つからない」
「ギルギガントで通信範囲を広げて毎日探しているが、未だ反応なし。もしかすると、別の時代へ飛ばされた可能性もある」
「それだと詰んでない?」
「最悪になる前に叩くしかないな」
飛永は頬を引きつらせるが、マリゲルは冷静だった。
「えーっと…話を戻すけど――つまり連中は今、世界中で暴れ回ってるってこと?」
「恐らくそうだな。仮にこの時代で巨大兵器を運用している勢力がいるなら、ジャッジメントエンド以外に考えにくい。だが―」
話の進路を戻した飛永の問いに考えながら話すマリゲルの横で、ユキトが気づいたように言う。
「あいつら、最近――萌里を襲ってこない」
レイナーが目を細める。
「萌里……話に聞く護衛してい女子高生だったか。連中は“鍵”と呼んで狙っていたのだったな?」
「本人は何も知らないって言ってた」
ユキトの言葉に、レイナーは腕を組み、深く思考に沈む。
「女子高生を………連中は一体何を企んでいる」
その時――
ドス……ドス……ドス……。
床が軋むほどの重い足音が、ゆっくりとテーブルへ近づく。
会話が止まった。
ユキト、マリゲル、飛永――
三人の視線が同時に音の主へ向く。
一瞬で、空気が張りつめた。
レイナー中将も顎をわずかに上げ、視線を向ける。
そこに――
“そいつ”はいた。
巨大なメイド服の男。
「おまたせしましたァ~~! あなたのハートにメリークリスマスッ♡ リコリコでぇ~~す♡ご注文のクリスマスケーキ・スペシャルチョコレートデコレーション、お持ちしましたぁ♡」
声は地鳴りのように低い。しかし、語尾だけが甘く跳ねる。
((……なんだこの生物))
身長は二メートル超。
分厚いたらこ唇。戦場向けの胸板の上に、白黒フリルのメイド服。短スカートから突き出た太い脚に、白タイツが涙目で伸びている。
一同、硬直。
「……誰が、頼んだんだ?」
飛永が顔を引きつらせながら声を絞り出す。
「わたしではない」
マリゲルは冷静だが、返事が妙に早い。
「俺じゃない」
ユキトは真顔のまま淡々。
「じゃあ……」
全員の視線が、ひとりの男へ集中する。
レイナー中将。彼はわずかに目を伏せ――そして認めた。
「……わたしだな」
歴戦の軍人とは思えぬ、露骨な動揺。額に汗が滲んでいた。
「アーラ♡ダンディーなおじさまですことぉ! ご指名ありがとぉございますぅ♡当店はクリスマス期間につき、ご指名のお客様には――ほっぺにキッスのサービスがついておりますぅ♡」
リコリコは分厚い唇を前へつき出し、身をくねらせる。
レイナーの顔色が青ざめていく。
「わ、わたしは……“キャサリン”を指名したのだが……」
「本日キャサリンはお休みでしてぇ~代わりに当店の看板娘、リ☆コ☆リ☆コが参りましたぁ♡」
「却下を申請する」
「ではサービス失礼しま~す♡」
「話を聞けぇ!!」
リコリコがステップを踏んで迫る。
レイナーは椅子を引き、逃げようとする――が、追い詰められた。
「お、おい! 助けてくれ!」
壁際のSPへ視線を投げる。
だがSPはそっと顔をそむけ、肩を震わせている。
――笑いを堪えていた。
飛永が呆れ声で囁く。
「助ける気、ゼロじゃん……」
迫る巨影。
「ぶちゅぅぅぅぅぅ~~♡」
「や、やめ――あああああああああああああああああ!!」
店内に響き渡る、
米軍合同・作戦司令官――
ハロルド・レイナー中将の、悲痛な叫び。
クリスマスのジングルベルが、虚しく流れていた。
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「はぁ……はぁ……これが、“ジャパニーズ・メイド”か……な、なんという恐るべき存在だ……」
喫茶店〈フラッグス〉を後にした一行は、商店街の一角にある腰ほどの低い柵の前で立ち止まっていた。
レイナー中将は柵に片手をつき、肩で息をしながら瀕死の表情を浮かべている。
さきほど喫茶店で受けた――いや、“襲われた”と言っても差し支えない――リコリコと名乗る怪力メイドからの衝撃的な接吻は、米軍合同司令官の体力すら容赦なく奪い去った。
傍らに控えるSP二名は表情こそ取り繕っていたが、無骨な顔がわずかに震え、笑いを堪えているのがユキトたちにもわかった。
――米軍最高位の将官を前にしてすら素で笑いがこぼれそうになる。それは彼らが普段からレイナーを信頼し、また人柄を深く知っているからこそ生まれる空気だった。
「――あら、ユキトちゃん!」
朗らかな声が背後から飛ぶ。
振り向くと、オレンジ色のエプロンに三角帽子をかぶった、
ふくよかな女性が手を振って立っていた。
「おばちゃん」
「こんなところでなにしてるの?」
「知り合いのおっさんが、なんか大変そうだから見てた」
ユキトは、口元をひくつかせているレイナーを指差す。
“魔の接吻”の余韻はまだ、彼を戦場の兵士のように疲弊させていた。
「……あ、あぁ。わたしなら大丈夫だ……ご婦人、お見苦しい姿を見せて、すまない」
「まぁ、海外の方? あたしんとこの旦那よりイケてるじゃないの~!」
軽やかに笑うおばちゃんは、まるでレイナーの異様な様子など気にも留めない。
「てか、おばちゃん。なんでここに?」
「買い出しの帰りでね~。あっ、よかったら皆さん、うち寄っていかない?」
唐突な提案に、一同は顔を見合わせる。
SP二人もわずかに身構えたが、おばちゃんの佇まい、話し方、纏う空気から危険性は皆無と判断したのか、すぐに静かに頷いた。
そのまま一同は、おばちゃんのあとをついて歩き出す。
数分後――。
商店街に一角に、古びた木看板が見えた。
《母ちゃんのお弁当屋さん》
どこか懐かしい響きを持つ店は、小さな個人店舗に挟まれるように鎮座していた。塗装が剥がれた看板から、すでに十年以上は続いていることが伺える。
「ここは、なんですかな?」
レイナーは帽子のつばを指先で持ち上げながら看板を見上げる。
その声をSPが即座に翻訳しておばちゃんへと届ける。
レイナーはほとんど日本語を話せないため、会話は常に通訳を通して行われた。
「お弁当屋さんですよ。アツアツほかほかのお弁当を作ってるんだよ~」
そのとき、奥から荒っぽい声が飛んだ。
「おいかーちゃん! どこほっつき歩いてんだよ!またトメさんと喋ってたんじゃないだろうな?材料ちゃんと買ってきたんだろうな!」
カウンターから顔を出したのは、鉢巻を締めた中年男性。
太い眉毛がどこか威勢の良さを思わせる。奥の作業場には複数人が忙しなく立ち回っており、油と出汁の香りが外まで流れてきていた。
「とーちゃん、そうじゃないよ!帰りにユキトちゃんに会ったから、新作のコロッケ食べに来てもらったんだよ!お友達も一緒にね!」
「おっ、ユキトか! らっしゃ……い!? お、お友達……?」
振り向いた旦那さんは言葉を失った。
銀髪碧眼の長身紳士――マリゲル。
白いコートを纏うスタイル抜群の美女――飛永。
黒のコートにサングラスの屈強な護衛二名。
そして顔に深い皺を刻む鋭い眼光の老人――レイナー。
一般人からすれば明らかに只者ではない面子だ。旦那さんは一瞬、固まってしまう。
「おっちゃん、新しいコロッケある?」
ユキトが問いかけると、旦那さんはハッと我に返った。
「あ、あぁ! あるぞ! 食ってくれ!」
すぐに奥へ消え、ほどなくして三等分されたコロッケが乗る皿を二枚持って戻ってきた。
「ほほう、これは美味そうですな」
真っ先に身を乗り出したのはレイナーだった。
「こ、こちらのジェントルマンは何と……?」
旦那の耳元へ、SPが英語を翻訳して囁く。
「“これは美味しそうだ”と仰っています。 護衛として、まず我々が確かめてもよろしいでしょうか?」
「ご、護衛…?!お、おぉ! いいぜ! 食ってくれ!」
護衛二名が手袋を外し、コロッケを一つずつ手に取る。
一口で食べ、咀嚼――。
「……ん、これは」
低く通る声が漏れた。
旦那さんが緊張に肩を強張らせたその瞬間――。
「非常に……美味い。中の具がいい」
「うむ。衣もサクサクしている」
護衛二名は無表情を保ったまま淡々と評するが、どこか誇らしげな色があった。
「食に関心を持たない君たちがそこまで……では、わたしも頂いてよいか」
レイナーは残った一片を手に取り、口へ運ぶ。
数度噛みしめ――目を見開いた。
「……美味い!衣の歯触り、中の具材の旨味……絶妙だ。これはなんと?」
SPが翻訳して伝える。
「これはうちの新作、“家庭の味コロッケ”ってんでい!衣のつけ具合と揚げ時間を工夫してみたんよ。買った人が、また食べてぇなって思えるような……仕事で疲れた人が食いたくなるような、そんなコロッケを目指してんだ!」
「考えたのはあたしだけどね~!ほらほら、ユキトちゃんも友達も食べな!」
勧められ、ユキトらも一口ずつ味わう。
「……少し冷めているのに、旨味が残っている」
料理にも心得のあるマリゲルは、感心したように呟く。
「わ、サックサク! めちゃくちゃおいしい……」
飛永も目を丸くした。
「ユキトちゃん、どう?」
「美味しいよ。すごく」
「ま~! 良かった~!」
そんな和やかな雰囲気の中――
「おーい! なんだなんだ大所帯だな? ……お、ユキトじゃねぇか!」
横から声がかかる。振り返ると、魚柄の分厚いエプロンをした色黒の中年――魚屋のマサが立っていた。
「なんでい、魚屋のマサか」
「なんでいとはなんでい!それよりユキト! 海鮮丼の新作作ったんだが食いに来るか?」
「わかった」
ユキトは迷いなく、マサの後に付いていく形で向かいにある魚屋に吸い込まれていく。
「……乗りでついてっちゃったけどさ。アンタら、ユキトの“友達”なのかい?」
おばちゃんが苦笑まじりに問いかける。マリゲルと飛永は否定し切れず、かといって肯定もしづらい。
レイナーと護衛は完全に“仕事の関係”だ。
返答に困る面々を見回し――マリゲルが静かに口を開く。
「まぁ、そんなところだ」
「あの子ね、よく萌里ちゃんと買い物に来るのさ。意外と食通なとこがあって……最初はただの試食だったんだけど、ハッキリ何が足りないか言ってくれて。嫌味がないし、気づいたらみんな、あの子に味を見てもらうようになってたのよ~」
「意外だな。物事をはっきり言うところはあるが……それが料理に活きるとは」
マリゲルは素直に感心する。
「表情とか全然変わらないけどさ。美味しいもの食べてる時は、どこか……嬉しそうに見えるんだよ。わたしら、子どもを亡くしててね。生きてりゃ丁度ユキトくらいでさ……そんなんだから、つい気にかけちゃうのよね」
旦那が慌てて口を挟む。
「おいおい! 湿っぽくすんじゃねぇ!ったく歳食うとすぐこれだ! 歳は食いたくねぇな!」
だが、その表情はどこか照れくさく、優しかった。
「けどまぁ、嫌味のないハッキリした物言いは評判でよ。表情は変わらねぇし読めないとこもあるが……アイツこの商店街じゃ有名人さ」
「へぇ……」
飛永は思い返す。
買い物帰り、口元についた食べかすを萌里が見つけ尋ねるも、ユキトはきっぱり否定した――
あれはきっと、ここの“試食”だったのだ。
通訳を介しながら一連の話を聞いていたレイナーは、魚屋の店先で海鮮丼を啜るユキトを眺め、静かに慈しむような眼差しを向けていた。
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商店街を後にした一同は、近くの噴水がある公園のベンチでひと休みしていた。
冬の昼下がり。吐く息は白い。
休日の公園は家族連れの笑い声で満ち、子どもたちが無邪気に駆け回る。
少し離れた広場では凧揚げを楽しむ子どもと、写真を撮る父親の姿。その穏やかな光景は、ほんの数時間前に“機密”と“緊張”で押し潰されそうだった空気が嘘のようだ。
「……想定外の買い物をしてしまったな」
ベンチに腰掛けるレイナーは、肩をぐったり落とし、深く息を吐いた。
横にはコンビニ袋。中には弁当が三つ。
自身の分と、後方で控える護衛二名の分。
さきほど「家庭の味コロッケ」に感激した勢いで、思わず買い込んでしまったらしい。
「たまには良いかと」
SPのひとりが、真顔で律儀に返す。
「はは、そうだな……これから先は、気軽に老後を送れる世界になってほしいものだ。わたしは、そう願っている」
軍人らしからぬ柔らかな言葉。
その軽口に、周囲の緊張がようやくほどけた。
飛永は苦笑し、ダウンの襟を立てて座り直す。
「米軍のお偉い様が、メイドにキスされたり、商店街で揚げ物に感動してるなんて……日本の誰が信じるのよ」
「……すまない。あれはトラウマだ。あんな接吻を受けたのは生まれて初めてだ」
「――初めてであってほしいね」
少し引き気味の飛永の即答に、マリゲルが控えめに笑う。
ユキトは無表情のまま、噴水に止まったカラスを眺めていた。
「しかし……穏やかなものだな」
マリゲルが空を見上げる。
灰色を帯びた冬空は、どこか寂しげだが、それ以上に――この静けさが壊れてしまいそうで不安にさせた。
平和は続いてほしい。誰もがそう願っている。
だがその裏で――
政府は情報を隠し、海外では戦火がいくつも点りはじめている。
公園で楽しげに走り回る子どもたちは、そのことを何も知らない。
「……平和とは脆い。だからこそ、守らねばならない」
ぼそりと漏れたレイナーの呟き。
護衛たちも一瞬だけ表情を引き締めた。
「皆が均衡を保ち得られる、争いのない世界……」
レイナーは続ける。
「だがそれは、たった一人の意志で容易く崩れる。人が心を持つ限り、争いの連鎖は消えない」
その横顔は、軍人というより――
人間の痛みを知る者の表情だった。
「地球の歴史に刻まれた戦争も、結局は各々が“正義”を掲げて戦った結果だ。そして人は気づく――多くのものを失った後にな……」
「……皮肉だね」
飛永は小さな声で言い、寒さに肩をすくめながら、入口のアイス屋で買ったバニラをひと舐めした。
マリゲルが目を伏せる。
「戦場で流れた血は、人の心の涙――……そう語った者がいた。火種は小さくとも、負の連鎖は世界を呑み込む」
「意識が歴史を作る。理想を夢見るほどに、現実はそれを嘲笑う……」
レイナーの瞳が鋭くなる。
「――君たちは知っているか。“世界政府”を」
飛永が目を細めて呟いた。
「…世界保安機構政府。国境を超えて治安を守る――巨大組織」
「その表の顔はな。だが裏では――違法な“人体実験”を行っている」
レイリーの言葉に飛永が息を呑む。マリゲルはゆるく顎に手を添え、ユキトは静かに耳を傾けている。
「長く軍に身を置けば、様々な情報が回ってくる。噂の域を出ないものも多いが――これは、複数のルートから聞いた」
「……それは、どんな実験?」
飛永の声はひときわ小さかった。
「詳細は不明だが……“何か”をやろうとしている」
「“何か”とは?」
マリゲルが静かに問う。
「わからない。だが――ひとつだけ、妙な話がある」
レイナーは、人差し指を口もとへ。
「関係者が見たという。世界政府に属する者と――“髑髏の仮面”を被った男が会っていると」
その言葉に、飛永は目を見開き、マリゲルは微動だにせず、ユキトだけが、静かに視線を向けた。
「それは……つまり……」
飛永の声が震える。
「――世界政府は、ジャッジメントエンドと繋がっている」
確たる証拠のない告白。だがその言葉は、十分すぎるほどの重さを持って、三人の胸に落ちた。
公園を吹き抜ける冬風が、無情に木々を揺らす。
「この話……君たちはどう受け止める?」
試すような声音。沈黙が落ちた。
世界の均衡と平和を守る強大な組織、イコール世界を相手にすることにも繋がる。子供でも分かる方式で容易く返答できる内容ではない、世界という大きなものを相手にすることになるのだから当然無事では済まない。
誰もが言葉を選び沈黙するのは、当然のことといえる。
――しかし、静寂を破ったのは、
「関係ない。戦うだけだ」
ユキトだった。
力強く、迷いがない。その横顔を、レイナーは横目で見る。殺意の籠った眼差し。止まることを知らない瞳。
少年の奥に、何かを感じた。
「……ユキト」
「なに?」
レイナーは言葉を選び、低く、小さく――
「――死に急ぐなよ」
その声は、戦士ではなく、
ひとりの大人としての静かな忠告だったのかもしれない。
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12月25日。
暦の上ではクリスマスイヴ――雪が降る街は夜に向けて、さらに華やぎを増していく。店先には赤と金のリボンが踊り、どこかの家から甘いバターの匂いが漂ってくる。並木道に張り巡らされたライトは、冷たい空気の中で結晶のように瞬いていた。
「クリスマスかぁ……」
飛永がひとりごとのようにつぶやく。
その言葉にユキトは反応するでもなく、ただ淡々と空を仰ぎ見る。灰色に沈んだ冬の雲は、雪を孕んでいるのか、じっと黙っていた。
マリゲルがゆっくり言葉を継いだ。
「本来、クリスマスとは――キリストの生誕を祝う日だと聞いたことがある」
「宗教のお祭りでしょ?」
飛永が首をかしげる。
「厳密には…少し違う」
マリゲルは目を細める。
「キリストが生まれた日が本当に12月25日かと言えば、定かではない。だが古くから冬至の近くには『太陽の力が戻る日』として祝福される祭りがいくつも存在した。その文化が溶け合い――“闇から光へ”という象徴的な意味を持つようになり、今のクリスマスへ受け継がれたのだとか」
「闇から光へ……」
飛永は歩みを緩め、明かりが照らす道を見つめた。
「冬至は、夜が最も長い日。そこから少しずつ光――すなわち“昼”が戻り始める。人々はそれを希望の象徴と考えた」
マリゲルは空気を吐く。
白い息は、淡くかすんで消えた。
「だから祝い、祈ったのさ。『この世界にまた光が訪れますように』と」
「……平和そのものの願い、か」
飛永は噛みしめるようにつぶやく。
「クリスマスは宗教だけでなく、“願い”や“祈り”の象徴でもある」
マリゲルがうなずく。
飛永は少し笑った。
「なるほどね。だから恋人同士は愛を確かめ合って、家族は手を取り合って、子どもはサンタさんを信じるわけだ」
「人は――不確かな物にすがる。その不確かさが、時に救いになる」
マリゲルの声は優しかった。
そうこう語らううちに、三人は目的地へとたどり着いていた。
視界いっぱいに広がるのは、青南水産高等学校。
白い息が散る。夜に沈みかけた校舎は、しんしんと積もった雪に包まれ、まるで静寂を纏う古い聖堂のようだ。中庭にも校庭にも白が敷き詰められ、臨時駐車場となったその一帯は、来場者の車でぎっしり埋まっている。
「……始まってるみたいだね」
飛永が手袋を整え、ニット帽を深くかぶり、大きめのサングラスをそっとかける。
一瞬の所作だが、元教師とは思えぬ隠密性だった。
校門をくぐると、吐息に混じり柔らかな音がした。
――雪を踏みしめる音。
生徒玄関へ進むと、照明に照らされた床が淡く光っている。スリッパへと履き替えると、冬特有のひんやりした空気が指先を撫でた。
受付では、教員が来校者を出迎えている。
ユキトは、“ここは庭のようなもの”と言わんばかりに素通り。
マリゲルは、深々と一礼をしてから静かに通過し、受付の女性が思わず頬を赤らめる。
飛永は――下げたつばの影に表情を隠し、来校者名簿へそっとペンを走らせた。受付にいる音頭先生と目が合わぬよう、視線を逸らして。
トロフィーと賞状が並ぶホールには、歴代の青南水産の栄光が輝きを放っている。水産高校らしく、魚種研究会の盾や品評会の賞状が壁を彩り、鮮やかな青と白の意匠が目に焼きついた。
その先――体育館の扉を開けると。
「……うわ」
飛永の口から、思わず素の声が漏れた。
一面に広がるイルミネーション。なだらかに落ちる照明、屋台さながらに設けられたブース、香ばしいローストチキンやスパイスの効いたスープの匂いが冷たい空気をほんのり温めている。
青南水産高校では、毎年 12月25日 にクリスマスイベントを学校行事として開催していた。
規模こそ文化祭ほどではないが、熱量は負けず劣らず――むしろ冬休み前の盛り上がりが一層その熱を高めるらしい。
食品工業学科・家庭科の教員に加え、文化祭でも協力してくれた市の給食担当・栄養職員まで総動員。生徒にとっては、一年で最も“美味しい行事”として人気が高いのだとか。
開始は18時。
だがすでに会場は熱気に包まれている。体育館ステージでは軽音部がサウンドチェックを行い、ダンス部が袖でストレッチをしている。プレゼント交換会の受付には長い列ができ、親子連れや地域住民が楽しげに談笑していた。
スノーマンのコスチュームを着た生徒が、小さな鈴を鳴らしながら小さな子どもと写真を撮っている。
「……賑わっているな」
体育館に足を踏み入れた途端、マリゲルは静かに目を見開いた。
その横顔に照明が落ち、銀髪が淡くきらめく。
その瞬間、周囲――特に女子生徒や保護者の女性たちがざわりと沸き立った。
声を潜めても隠し切れない囁きがあちこちから飛んでくる。
「(ねぇ見て……あの人イケメンすぎない?)」
「(モデル?俳優? なんでここに……)」
ちらちらと向けられる視線は、まるで有名人がサプライズ登場したかのような熱。
しかし当の本人は気づいていないのか、それとも気づいたうえで受け流しているのか、ただ落ち着いた足取りで会場を見渡すだけだ。
「へぇ~、こうやってやってんのか」
初めて目にする景色に、飛永が感嘆の声を漏らす。
彼女の視線はステージ、飾り、テーブルを忙しなく泳ぎ続けていた。
「君は見たことないのか?」
マリゲルが問いかける。
「クリスマスの時期って、ほら……色々あってさ。ちゃんと参加できたの、今年が初めてなんだよ」
視線を泳がせながら、飛永が帽子を深く被り直す。その仕草はどこか照れ臭そうで――しかし、楽しげだ。
その時。
「あっ、ユキト!」
澄んだ声が会場の喧騒に溶けて響く。
振り返れば、ミニスカートに肩を大胆に出したクリスマス衣装――紅と白のコスチューム姿の萌里が駆けてくるところだった。
雪を思わせる白いファー、弾む足音。その笑顔は、まるでこのイベントが主役であるかのよう。
「マリゲルさんたちも来てくれたんですね!」
「――あぁ。お邪魔するよ」
マリゲルは柔らかな笑みを返し、軽く手を上げる。仕草ひとつにも、品の良さが滲んでいた。
その隣で――飛永は目をそらし、小さく片手を上げただけ。一見そっけないが、耳の先はほんのり赤い。
「そ、そういえば! リナも来てるんだろ!」
飛永は、どこか誤魔化すように話題をすり替えた。萌里はぱちりと瞬きをし、微笑みながら指を向ける。
「リナちゃんなら、あそこですよ」
視線の先――
体育館の隅で、トナカイ衣装を身にまとったリナが
B組の生徒たちに囲まれ、写真を撮ったりポーズを取ったりしている。
その光景を見た瞬間、飛永の口元がわずかに緩んだ。
島での事件以降。
幼い少女の表情には、いつも薄い影が差していた。年相応の笑顔は消え、どこか思いつめたまま。
隣で見ていた飛永には、それが痛いほど分かっている。
――けれど、今は違う。
仲間と笑い、無邪気に弾む姿。その小さな背中が、ほんの少しだけ、救われているように見えた。
「少しずつ、だな」
ぽつりと漏らす声は、優しく、どこか自分に言い聞かせるよう。
「……子供は笑うのが仕事だ。笑ってなきゃいけない……で、その笑顔を守るのが――アタシ達、大人の役目だ」
帽子の庇を指で押さえ、俯きながら言う飛永。その横顔を見たマリゲルは、ふっと小さく笑った。
――ふと、視線を落とす。先ほどまで隣にいたユキトの姿がない。
「ん?」
周囲を見渡すと、ほど近いテーブルで、骨付き肉に豪快にかぶりつくユキトの姿を発見する。無表情で黙々と咀嚼しているのに、どこか満足そうに見えるから不思議だ。
「アイツはアイツで、妙だよな」
半ば呆れ、半ば笑いながら飛永が言う。
「いいところでもある。……さて、我々も食事を頂くとしよう」
マリゲルが穏やかに歩き出した、その時――
飛永の視界に、体育館の反対側の扉へと出ていく男女の後ろ姿が偶然映る。
(……あれは、霧崎と宇佐美?)
胸がざわつく。飛永は、とっさにマリゲルの後へついていくのをやめ、二人が向かったのとは反対側の扉へ向かった。
雪を踏む音を殺し、暗殺術で身につけた“気配消し”の技術を使いながら、体育館裏を回り込む。
――中庭。噴水近く、二人の姿を見つける。
飛永は身を低くして物陰へ滑り込んだ。
(念のため……変なこと、してないか監視――)
「気になりますよねっ」
突然、横から声が飛び出し、飛永は心臓が飛び跳ねそうになる。危うく声を出しそうになったその口を、後ろから伸びてきた手がすっと塞いだ。
「ここで声を出すのは、場を乱す」
抑えた声。
手の主は、マリゲルだった。
さらに――その背後で、ユキトがフライドチキンをのんびり頬張ったまま、よく分からないままついてきて、しゃがんでいる。
「お、おい……!こんだけいたら、バレるだろ!」
飛永が小声で囁く。
「シッ!なんか話してます、あの二人!」
萌里が人差し指を口元に立て、真剣な顔で言った。その表情は、普段よりどこか必死に見える。
四人は息を潜め、闇に紛れるように静寂へ身を預け――二人の会話へ耳を澄ませた。
************
中庭の噴水は、凍りつきかけた水面が街灯を反射し、薄青い光をゆらりと揺らしていた。静かに舞い落ちる雪は音を吸い込み、世界からざわめきを奪っていく。
「……で、なんでわざわざ連れ出したんだよ」
霧崎はポケットに手を突っ込み、寒さと照れをごまかすように肩をすくめた。
「別に。ちょっと話したいだけ」
みるはそっぽを向いたまま、白い息を吐く。声は軽いが、その背筋はいつもより硬い。
霧崎は眉を寄せる。照明の届かないところに立つみるの横顔が、どこか泣きそうに見えた。
「……ケッ、ケンカでも売りに来たか?!わりぃけどオレ、今日クリスマス気分だから買わねぇぞ!」
「はぁ? アンタとデートするわけでもないのに気分なんてないでしょ」
みるは肩を小突く。いつもなら笑い飛ばす霧崎だが、今はその軽さにどこか棘を感じた。
噴水の縁に並んで立つ。
二人の間に、わずかな距離。
でも、その距離はやけに遠く感じられる。
沈黙。雪だけが降り続ける。
「……霧崎はさ」
みるがぽつりと呟く。霧崎は、思わず顔を向ける。
「昔っからそう…いつも無茶して、バカみたいに前だけ見てて……頼りになって、格好つけて……あたしの前を走ってく」
みるは足元を見つめたまま、唇を噛んだ。
「それが好きなんだよ」
雪が――ひときわ大きく舞い落ちる。霧崎の時間が、一瞬止まった。
「……は?」
思考が追いつかない声。
みるの顔は真っ赤だった。寒さのせいじゃない。
「だから……言ったじゃん。話したいこと、って」
霧崎は言葉を失う。
熱血で、いつも真っ直ぐな男が、今だけは動けない。
みるは、雪を踏んで一歩近づく。指先をぎゅっと握りしめて。
「アンタのことが――好き」
はっきり、届く声で。
逃げず、誤魔化さず。
その瞳は、まっすぐ霧崎を射抜いていた。
霧崎は唇を震わせた。
「……お前、今さら……何言って――」
「今さらで悪かったわね!」
みるは叫んだ。その声は震えていた。
「でも……言わなきゃ……後悔するから」
雪が二人の間に積もっていく。
霧崎は息を吐き、みるに向き直った。
「……そんなの……前から知ってたぜ」
「な……っ、なんで気づいてんのよ……!」
「分かるに決まってんだろ。長ぇ付き合いなんだからさ」
みるは俯く。
雪が髪に乗り、静かに溶けていく。
「じゃあなんで……言ってくれなかったの……」
その声に、霧崎は――照れくさそうに笑った。
「言えるかよ。なんつーかその…アレだ!オレだって……ずっと好きで、迷惑かけたくなくて……怖かったんだよ」
みるが顔を上げる。霧崎の瞳は、真っ直ぐだった。
「………オレも、お前が好きだ」
夜が、静かに息を止めた。
霧崎はそっと、みるの手を取る。雪で冷えきっていたその手は、驚くほど小さく、そして温かかった。
「お互い奥手だね」
「……はっ、ちげーねーな」
みるは顔を真っ赤にしつつ、霧崎の肩に額を軽く押し付けた。
冬の空に、二人の影が寄り添う。
ずっと近くにいたのに――やっと、同じ想いを口にできた。
そんな聖なる夜だった。
****************
「――オレも、お前が好きだ」
その瞬間、物陰に潜む萌里と飛永の心臓が、同時に跳ねた。
「っっっっきゃああぁ……!!」
萌里の悲鳴はギリギリ声帯の手前で止まった。
目はキラキラ、口元は震え、両手は口元を押さえているが、
嬉しさが全身の動きから漏れ出ている。
「な、なんなの……青春かよ……!」
飛永は顔を覆い、悶えるように膝を抱えこんだ。目尻は緩みきっている。
「ほぅ…」
マリゲルは至極冷静に微笑んだ。長い睫毛が薄い灯りを受けて影を作り、妙に画になる。
そして――
「……腹減った、飯」
ユキトがボソリと呟いた。興味がないわけではないが、空腹が勝ったらしい。
「ちょ、ちょっと待って、今いいところ!」
萌里がユキトの袖を掴み必死に止める。
(バレてはならない……!)
飛永はほぼ本能で、全員の頭を押さえて地面へと沈ませる。
「しっ……!」
気配を殺すその動きは、さすが狙撃手の面目躍如といったところ。
しかし――
「良かったね、二人とも……」
萌里がうっすら涙ぐみ、鼻をすする。
ガサッ。……やや大きめの音。
「っ!?」
噴水の前で立っていたみるが、ビクッと肩を震わせ、振り返ろうとする。
一同、凍りつく。
「……風?」
みるは首をかしげるが、そのまま霧崎胸に顔を寄せていた。
そっと、盗み聞きチームに冬の風が吹き抜ける。
「……あっぶな」
飛永が冷や汗を拭う。
「見つかったら場の雰囲気が崩れるな」
マリゲルが苦笑する。
「……飯」
ユキトは二度目の呟き。
しかし立ち上がろうとするとまた飛永に押さえられる。
「静かにしな!ここは最後まで見届けるのが大人の義務!」
「義務……?」
ユキトは小声で否定したが、マリゲルは穏やかに続けた。
「こういう光景は微笑ましいものだろう?」
萌里は大きく頷き、うっとりと呟いた。
「ね、ね……これ……絶対に誰にも言っちゃダメだよ……でも……絶対に二人、幸せになってほしい……!」
(本人たちより感情こもってるな……)
飛永とマリゲルは心の中で同じことを思っているのは、当然気づくはずもなく。
雪は静かに降り続け、二人の新しい関係を祝福するかのように夜を白く染めていく。
そして―ユキトを除く、その様子を見守った3人の心にも、ほんの少し温かさが灯ったのだった。




