10話:来訪
「うーん……」
それは、どこまでも続く地平線の上でこぼれた少女の声だった。
金色に染まる雲が、ゆっくりと流れていく。
空と大地の境目が曖昧になるほどの静寂――風すら息を潜めている。
この空の向こうには、何があるのだろう。
人は誰しも、一度はそんなことを考える。
見えないものに手を伸ばし、未来を夢に見る。
けれど――少女は違った。
「どうして人は……生きるのでしょうね」
皮肉を滲ませた呟きなのに、その口元は笑っていた。
口角を引き裂くように、無理やり笑いを貼りつけたような顔。
まるで、生を憎みながら笑う“死者”のように。
風が止み、沈黙が訪れる。
その背後に――“それ”はいた。
黒い巨体。
全身を覆う装甲の隙間から覗く半透明のフレームが、脈動している。
ゼリーのように弾力を持ち、内部で淡く青白い光が流れていた。
頭部には二本の触角のようなセンサー。
だが、顔は――のっぺらぼう。
感情の一切を排除した、人を模した“殻”のようだった。
周りには見渡す限り、無数の遺体が転がっている。血の色はもう黒ずみ、地面に溶けて広がっていた。
風に運ばれた焦げた匂いが鼻を刺す。どれも、つい数分前まで人だったもの。
少女――ヨヒコは、そんな地獄の只中で、
黒い軍服の裾をふわりと揺らした。
ツインテールの片方を覆う眼帯の奥が、わずかに光る。
「ねえ、“きみ”」
彼女は背後の黒い巨影に視線を向けた。
「きみ、どう思うの? 人は……生きる価値なんて、あると思う?」
巨体は答えない。
ただ、静かに頭部のセンサーが点滅し、低い駆動音が空気を震わせた。
ヨヒコは微笑んだ。
その笑みは、哀しみと、狂気の境界にあった。
「……そう。きみも、同じなのね」
次の瞬間、黒い巨影の右腕が動いた。
まるで呼吸をするような自然な動きで、地面を掴む。
そして――。
轟音。
大地が割れ、空気が震え、遺体の山が吹き飛んだ。
ヨヒコの髪が風に舞う。
その表情は、やはり笑っていた。
「やっぱり……生きるって面倒ですね」
少女と黒い巨体は、ゆっくりと歩き出した。
どこへ向かうのかは分からない。
けれど、確かに――影は動き始めている。
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水平線の向こうから、朝日がゆっくりと顔を出す。
暗闇を追い払うように、黄金色の光が海面を滑っていく。
波間を切り裂くように、巨大なタンカーが白い航跡を引きながら進む。
潮風が肌を撫で、エンジンの低い唸りが甲板を震わせていた。
船首下のバルコニーに、一人の女性の影。
「ふぁ~……ねみぃなぁ……」
飛永が、朝焼けの空に向かって思いっきり欠伸をする。
ウェーブがかったショートヘアが潮風に揺れ、
白いタンクトップの上に羽織る薄いジャケットがひらりとなびいた。
漂流の果てに手に入れた新しい服――彼女にとって、それは小さな再出発の証でもある。
「随分と遅くまでやっていたようだな」
背後から聞こえた声に、飛永が振り返る。
そこには、蛍光色のサングラスをかけ、上半身裸のままトレーニングパンツを履いた銀髪の男――マリゲルが立っていた。
朝日を反射して輝く肌に、無駄のない筋肉。まるで戦場で鍛えられた鋼鉄そのものだ。
「朝から筋トレ? 元気だねぇ」
「早くに目が覚めたのでな。軽く身体を動かしていた」
「よくやるねー。アタシには無理さ」
「……トレーニングルームのダンベルの配置が換わっていたのは、知っている」
「一応、最低限ね」
飛永はバツが悪そうに笑って肩をすくめる。
「で、調整は終わったのか?」
「まー、一応ね。あとは実戦で微調整ってとこかな」
「アーマーフレームは繊細な操作を要求する。慣れるまで時間がかかるだろう」
「アンタの乗ってるのは違うのかい?」
マリゲルは手にしたタオルで汗を拭い、バルコニー越しに甲板を見下ろす。
そこには、シートを被せられた二機の機体が並んでいた。
一つはマリゲルの愛機。もう一つは、飛永の《アルゴス》。
「わたしのはマーグ。アーマーフレームを基盤にした量産型だが、調整が特化されている。汎用パーツが多いので修理も早い」
「ふーん。同じように見えるけどね」
飛永は手すりに肘をつきながら、無造作に呟く。
マリゲルは視線を落とし、やや低い声で言った。
「中身はまるで違う。アーマーフレームには“サテライト・システム”が搭載されている。パイロットと機体を無線で接続し、脳と機体のOSを同期させて、繊細な操作を可能にするシステムだ」
「アルゴスには……それ、無いんだろ?」
「調べたところ搭載はされていた。だが――使えない」
短く、重い沈黙。
マリゲルは背を手すりに預け、朝の光を正面から受け止めた。
「そいつはどうやって使うんだい?」
飛永の問いに、マリゲルは小さく息を吐いた。
「……人間を、辞めることだ」
「……は?」
飛永の目がすっと細くなる。
冗談ではないことを悟った。
「アーマーフレームと完全に接続するには、パイロット側にも受信デバイスを埋め込む必要がある。それは、脳と神経に手を入れる――つまり、人体改造だ」
「……改造手術ってことか……」
朝日がふたりの横顔を照らす。
潮風の中に、鉄と油の匂いが混じっていた。
マリゲルは、どこか遠い目をして続けた。
「それを受け入れた者だけが、アーマーフレームの本来の力を引き出せる。だが――“ただの人間”には、戻れない」
飛永は何も言えず、ただ波音を聞いていた。
水平線の向こう、朝日はじわりと顔を出し、鋼鉄の甲板を黄金色に染めていく。
潮の匂いと油の匂いが混じり、静かな風がふたりの間を抜けた。
「戻れない、って……どういうことだ?」
マリゲルは視線を遠くへ向けたまま、低く答えた。
「脳の半分を機械化することで、機体との情報伝達を遅延なく行えるようになる。思考した瞬間に機体が反応し、感じた痛みも、衝撃も、そのまま還ってくる。――まるで、もうひとつの身体だ」
「……つまり、直結してるってことか」
「それだけじゃない」
マリゲルは腕を組み、淡々と続けた。
「脳だけでは処理が追いつかない。だから神経の各所にもナノデバイスを埋め込み、身体そのものを“操縦系統”に組み込む。結果、反応速度も筋力も人の限界を超える。常人では到底辿り着けない領域だ」
飛永はごくりと唾を飲んだ。
脳裏に、あの戦闘の記憶がよぎる。
――まるで生きているかのように動く、白い巨体。人の動きとは思えぬ、流れるような滑らかさ。
「確かに……あれは、常軌を逸していたな」
「だが、その代償は大きい」
マリゲルはサングラスの位置を指で直し、静かに言葉を落とした。
「脳をいじる結果、記憶と感情をつかさどる部分――扁桃体や海馬が機能不全を起こす。怒りも悲しみも、喜びさえも薄れていく。残るのは、戦うという本能だけだ」
「……感情を、失うのか」
「そうだ。戦うためだけに生きる“戦闘人間”。理性の皮をかぶった、兵器そのものだ」
沈黙が降りる。
波の音が、遠い鐘のように耳の奥で響いていた。
「じゃあ、やつも……その道を辿ったってことか?」
飛永の問いにマリゲルは短く息を吐き、言葉を選ぶように呟く。
「――ガルガンダ。ユキト。彼は多くを語らんが、いくつかの断片は聞いている」
「…あの目は、幾度も地獄を見てきたヤツのものだ。……とても、十七の子供の目じゃなかった」
記憶をたどる飛永は目を細める。
「戦ったとき、分かったんだ。あの強さは“訓練”なんかじゃない。底の見えない、何か――化け物じみた強さだった」
「怖かっただろう?」
「……あぁ」
飛永は苦く笑う。
「背筋が凍るほど、怖かった。人間を相手にしてる気がしなかった。あいつは……化け物さ」
海面が朝の光を弾き、白い閃光がふたりの影を伸ばす。
潮風の中、誰も言葉を続けられなかった。
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何もない。
暗闇の空間に、音は存在しなかった。
風も、匂いも、温度さえもない。
そこには“世界”という概念すら欠けている。
ただ、永遠の静寂だけが満ちていた。
――ここに生き物がいたとしても、正気ではいられないだろう。
そんな無機質で不気味な闇の中に、ただひとつだけ“影”があった。
「……まだ、再生には時間がかかるか」
低く、金属を擦るような声が響く。
闇の中心に立つのは、黒のスーツに身を包んだ人物。
顔には白い髑髏の仮面をつけ、その目孔の奥で、わずかに赤い光が灯る。
両手を背に組み、男は静かに虚空を見上げる。
まるで何か――“目覚めるもの”を待つかのように。
「……世界を構築するには、まず土台を焼き尽くさねばならん」
低く落ちる声が、闇の底へ吸い込まれていく。
まるで言葉そのものが、世界の外側に沈んでいくようだった。
「人は、与えられた形に安住し、考えることをやめる。痛みを忘れ、恐怖を笑い、無知を“幸福”と呼ぶ。そんな腐った世界の上に、新たな秩序を築けると思うか」
髑髏の仮面の奥、わずかに口角が動いた。
それは笑みだったのか、嘲りだったのか。判別はつかない。
「再生は進んでいる。遅々としてだが、確実に……。もう誰にも止められん」
男は静かに前に歩き出す。
足音だけが、この虚無の空間に現実を与える。
「“均衡”という名の惰眠は終わらせる。弱者を救うためではない。強者を選ぶためでもない。……ただ、“正しい進化”を促すためだ」
指先をわずかに動かすと、目の前の虚空に波紋が走る。
その向こうには、霞んだ映像――瓦礫の街、崩れた塔、逃げ惑う群衆――がちらついた。
男はそれを見ても、一切の感情を見せなかった。
「痛みを知らぬ者に、生を語る資格がない。失う恐怖を知らぬ者に、愛を語る資格がない。この星の人間どもは、“痛みを排除した代償”として、魂を失った」
しばらく沈黙が落ちる。
男は再び歩みを止め、ゆっくりと目を閉じた。
「だから、私はそれを取り戻させる。恐怖も、絶望も、抗うことすら赦されぬ運命も――すべて、“真の生”の一部だ。彼らにそれを思い出させねばならない」
微かな呼吸音だけが続く。
「この再生は、破壊のためではない。淘汰のためでもない。“再教育”だ。愚かなる種に、もう一度、“存在する意味”を思い出させるための」
その言葉には、冷酷さよりも――奇妙な“確信”が宿っていた。
まるで、彼自身がこの世界の創造主であるかのように。
「……焦ることはない。すべては計画通りに進んでいる。奴らが“気づく”頃には、すでに手遅れだ」
赤い光が、仮面の奥で淡く瞬く。
「さて、まずは——軽く挨拶だ」
静寂。
その言葉のあとには、何の音も存在しなかった。
ただ、どこか遠くで、時計の針が一度だけ――“カチリ”と鳴ったような気がした。
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9月29日。気温36度。
8月を過ぎても日本列島の熱は冷める気配を見せず、季節外れの夏が続いていた。
本来なら秋風が顔を出す頃だが、近年恒例となった異常気象の波は、どうやら今年も健在らしい。
そんな“熱中症アラート発令中”の午後。
県立青南水産高校・2年B組の教室は、汗と笑い声に包まれていた。
「そこ押さえてろよー!ずれんなよ!」
教室の後方で霧崎がトンカチを振るいながら、仲間に声を張る。
彼らが今組み立てているのは、文化祭出し物用の通路――つまり“お化け屋敷”の骨組み部分だ。
「ノリと養生テープと布、それに百均で釘も買ってきてくれ!あと近くの店で段ボールも出来るだけ確保を。くれぐれも迷惑かけないようにな!」
前方では織田がメガネを光らせ、買い出し組に指示を飛ばしていた。指示を受けた生徒たちは「了解!」と敬礼まじりに返事をし、生徒会経由で下りた予算の一部を受け取って軽い足取りで教室を飛び出していく。
現在、青南水産高校は一週間の文化祭準備期間の真っ只中。
授業も部活も休止され、申請すれば校内での“お泊まり作業”も許可されるという、令和の時代では珍しい大盤振る舞いだ。
嫌な授業なし。外出も自由。
そんな環境でテンションが上がらない高校生がいるはずもない。
「いたっ……たぁい!」
「大丈夫!?」
教室の隅、裁縫班の机から声が上がる。
針仕事をしていたるみが指先を押さえ、萌里が慌ててのぞき込んだ。
「うん、大丈夫。ちょっと刺さっただけ……裁縫、あんまりやったことなくて」
「最初は難しいけど、針を通す感覚はすぐ慣れるよ」
「うん、がんばるっ!」
「へー!オメーにできんのかよ!」
「うっさい!針千本刺すぞ!」
からかう霧崎に、るみがムッと顔をしかめて睨み返す。
その瞬間――。
「っっっいっっってぇぇぇ!!!」
霧崎が見事にトンカチを自分の指に命中させた。
教室中が一瞬静まり返る。るみは少しだけ口角を上げ、鼻でフンと笑った。
「これ、どう、かな?」
後ろの作業机でミシンを使っていた仁菜が、仕上げた衣装をふんっと掲げて見せた。
「えっ、すごい!縫い目めっちゃキレイ!」
萌里が目を輝かせて褒めると、仁菜は得意げに胸を張り、フンスッと鼻息を鳴らした。
「裁縫班、進捗どうだ?」
タイミングよく、織田が腕を組みながら様子を見にやってくる。
「昔使ってた衣装っぽいから、あちこちボロボロで……完全に直すのは無理そう。でも補修くらいなら何とかなると思う!」
「なるほど。だいぶ年季が入ってるからな」
「ていうかさ……これ、ちょっと臭くない?」
隣でるみが衣装を持ち上げ、眉をひそめながら鼻を近づける。
「……確かに。押し入れの匂い?」
「完全に治し終わったら、クリーニングに出すのもありだな」
織田が苦笑しつつ、眼鏡の奥で目を細める。
教室の片隅では扇風機がうなり、布の端がぱたぱたと揺れた。
汗と笑い声、そして少しだけ古い布の匂いが混じる――そんな、夏の終わりの午後だった。
「ん、そういえばユキトは?」
「さっき先生に呼ばれて体育館裏の倉庫行ってるよー!持ってほしいものがあるって言ってた!」
「そうなんだ、珍しい」
っていうか完全にうちのクラスメイトみたいな認識になってる?と萌里は密かに思う。
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「これでいいの?」
同時刻。
体育館裏の倉庫は、体育で使うマットやボールのほか、文化祭・体育祭で使われた大道具や装飾品を詰め込んだ、いわば校内の“裏倉庫”だ。
B組の担任・吉田に頼まれ、手が空いていたユキトはお化け屋敷用の黒い幕を取りに来ていた。
「えぇ?!これ、1個20キロくらいあるんだけど!」
後ろから駆け寄ってきた吉田が、半ば悲鳴のような声を上げる。
ユキトは振り返らず、無言で黒い幕を片腕に抱え上げた。
「軽いし、平気だよ」
淡々と答えるその横顔に、吉田はぽかんと口を開けたまま見とれていた。
倉庫の埃っぽい空気の中、ユキトの額に汗が一筋流れる。
それを手の甲でぬぐいながら、彼はもう一つの幕を軽々と肩に担いだ。
「……ユキト君ってさ」
吉田は、腕に抱えていた古びた木箱を下ろし、埃を払いながら口を開いた。倉庫の空気は重く、薄明かりがユキトの横顔を淡く照らしている。
「ほんとに、ただの“付き人”なの?」
ユキトは黒い幕を肩に担いだまま、少しだけ目を細める。
「……どういう意味?」
「いやね」
吉田は笑いながらも、視線を外さない。
「重い荷物を平気で持つし、何か頼んでも“わかった”の一言で全部片づける。まるで……現場慣れしたプロ、って感じ」
「そうかな」
短くそう言い、ユキトは幕をもう一つ掴み上げた。
その動作に無駄がなく、まるで機械のような正確さがある。
「こういうの、昔からやってたから」
「昔から、ねぇ……」
吉田は軽く眉を上げる。
「田辺さんは雑誌のモデルさんだからってのもあるけど高校生の付き人、ってだけでも珍しいのに、“昔から”って言葉が出るとは思わなかったな」
ユキトは答えず、静かに幕を束ね終えた。
埃の舞う倉庫の中で、ふたりの間に小さな沈黙が落ちる。
「ねえ、ユキト君」
吉田が少しだけ真面目な声になる。
「萌里さんのことを、ちゃんと支えてあげてね。あの子、意外と強がるタイプだから」
「……」
「でも、君も同じくらい無理してるように見えるわ」
吉田は、どこか見透かすような瞳で微笑んだ。
「責任感の強い人ほど、いつか壊れるから。……気をつけて」
しかし、ユキトの表情は変わらなかった。
その横顔に、感情は読み取れない。
「気が向いたら」
「そっか」
吉田は軽く息をつき、ふっと笑みを浮かべた。
「ま、頼りにしてるわよ。クラス全員、君のこと“影の救世主”って呼んでるんだから」
「なにそれ?」
「ふふ、照れた?」
「……?」
外から吹き込む風が、倉庫の埃を舞い上げる。
夏の名残を残した光の筋の中で、吉田は一歩引いて静かに言った。
「さ、戻ろっか。階段気をつけてね」
ユキトは無言でうなずき、黒幕を肩に担いだ。
その背中を見送りながら、吉田は心の奥で小さく呟いた。
――やっぱり、この子……“普通”じゃない。
その時だった。
2階へ上がり、生徒指導室の前を通りかかったユキトの耳に、テレビの音が漏れ聞こえた。
古びた扉の隙間から、低くざらついた声が響く。アナウンサーの声――だが、妙に焦っている。
『……りかえしお伝えします!――速報です! 先ほど午後2時35分ごろ、国立天文台の観測網が衛星軌道上からの大型隕石の落下を確認しました。隕石は現在、秒速およそ7キロで日本列島の南西方向から接近しており――』
その言葉に、ユキトは足を止めた。一瞬、聞き間違いかと思った。
だが、続く声はさらに緊迫していく。
『北陸地方の浜高市に着弾する可能性があるということです。政府はただちに関係省庁対策会議を設置し、北陸地方嶺南区域に避難勧告を発令しました――』
ブラウン管テレビの白い光が、半開きの扉から廊下にこぼれていた。
埃っぽい空気の中、焦げたようなノイズが混じる。
「……隕石?」
ユキトがつぶやくと、後ろにいた吉田が血相を変えて立ち尽くした。
「い、今なんて……?!」
『落下予想時刻はこのあとおよそ1時間後――午後3時45分前後とみられています! 繰り返します――現在、日本上空に隕石が落下中です。屋外には絶対に出ないでください!』
「浜高って、どこ?」
ユキトが振り返りざまに問うと、吉田は言葉を詰まらせた。
「え?! は、浜高って……ここからも見えるわよ! っていうかヤバいって! あそこには原発があるのよ!」
その瞬間――。
遠くから、けたたましいサイレンが鳴り響いた。
校舎の窓ガラスがわずかに震え、生ぬるい風が廊下を駆け抜ける。
「ユキト君、すぐ教室へ!」
吉田は踵を返し、走り出した。
ユキトも黒い幕を肩に担いだまま、彼女の背を追う。
階段を駆け下り、B組の教室に飛び込むと――そこには、さっきまでの明るい空気はもうなかった。
誰もがスマホの速報を食い入るように見つめ、ざわめきが教室を満たしている。
不安と緊張の渦の中、吉田が前に立ち、声を張り上げた。
「落ち着いて! 先生の指示を聞いて! これより避難経路を伝えます!」
その声を背に、ユキトは萌里のそばに歩み寄った。
「原発ってなに?」
「え、ユキト?! どこ行ってたの?」
「幕、取りに行ってた」
「……あ、そうだった。手伝いに行ってたんだ」
「うん。で、原発って?」
萌里は一瞬だけ言葉を探すように視線を泳がせ、それから真剣な表情になった。
「原発は原子力発電所のこと。原子の核反応で電気を作る施設なの…!」
「そうなんだ、さっきテレビで浜高に、隕石が落ちるって言ってた」
「……えっ?」
その一言で、萌里の顔から血の気が引いた。
教室のざわめきが遠のき、窓の外の青空が妙に白く霞んで見える。遠くで鳴り続ける警報が、まるで終わりの鐘のように鳴り響いていた――。
****************************************************
すぐさま避難が始まった。
各クラス担任の指示のもと、生徒たちは教室を順番に出て、階段を駆け降りる。
「落ち着いて!押さないで!」
――そう叫ぶ先生たちの声も、もう誰の耳にも届いていなかった。
廊下の空気は焦燥と足音の熱気で満たされ、誰もが顔をこわばらせ、ただ前へと逃げるように進む。
校舎を出ると、正門の外はすでに混沌と化していた。
道路は渋滞の列で埋め尽くされ、クラクションが狂ったように響き渡る。
スマホを片手に泣き叫ぶ人、子どもを抱えて丘へ走る母親。
――街全体が「終わり」を悟ったかのように、騒然とした空気に包まれていた。
「ちょ、ちょっと!田辺さんっ、ユキト君!どこに行くの?!」
避難を誘導していた吉田が、群れから抜けようとする二人を見つけて叫ぶ。
「用事」
ユキトは短くそう答え、萌里がすぐに続く。
「わ、私も!」
「よ、用事って……こんな時に大事な用事って何!?」
その言葉をかき消すように――風が爆ぜた。
――ゴウッ!!
突風が巻き起こり、空気そのものがねじれたように揺らぐ。
人々が一斉に空を見上げた。
住宅街の上空を、白い悪魔が滑空していく。
白銀の装甲が陽光を反射し、赤く塗られた胴体が夕陽のように光る。
背中には長大なコンボウ刀。両腕には赤布を巻き付け、悪魔の仮面のような頭部がぎらりと光った。
「……来たな」
ユキトの瞳が静かに細められる。
「ま、待って!何なのあ――きゃ!」
吉田の悲鳴を背に、ユキトは萌里の腰を抱き寄せる。
次の瞬間――アスファルトが爆ぜた。
彼の身体が跳ね上がり、重力を無視したように空を切り裂く。
風圧が周囲の避難民を揺らし、誰もが息をのむ。
そのまま塀を蹴って屋根に着地、疾風のように学校へと駆け戻っていった。
「学校に呼んだの?」
「その方が、見つけやすいと思ってね」
「……ナイス判断」
屋根の端に立ち、ユキトはわずかに息を整えると地面へ飛び降りた。
土煙が舞い上がり、二人は校門を越えて敷地内へ滑り込む。
混乱の中、かき分け避難の流れを逆走するユキトと萌里。
校庭の中央――そこに、白の巨人がいた。
陽光を受けて鈍く光る装甲。
膝をついた姿勢で、まるで主の命令を待つ忠犬のように静止している。
その巨体が発するわずかな振動が、地面を震わせていた。
「ガルガンダ」
ユキトは低くつぶやき、萌里を抱いたまま駆け出す。
跳躍。風圧。
彼の姿が空を切り裂き、ハッチの縁に吸い込まれるように飛び込んだ。
コックピットの扉が重々しく閉まり、金属の軋みが響く。
直後、メインモニターが点灯し、無数の光学ウィンドウが起動を開始する。
ユキトは冷静にメインディスプレイへ指を伸ばし、起動シークエンスを実行した。機体全体に振動が走り、人工音声が次々とステータスを読み上げる。
「原発に隕石が落ちたら、どうなるの?」
ユキトが淡々とした声で尋ねた。
「社会の授業で聞いたことある…。数十キロは吹き飛ぶって。
それに、放射線が広がったら十年以上は人が住めないって……」
「……ふーん。なら、落ちる前に落とした方がいいってことか」
「落とすって、ユキトどうやって!? 相手はアナグラじゃないんだよ!隕石に、ガルガンダで――」
ガコンッ!
萌里の言葉が途切れた。
外の映像がゆっくりと上昇していく。機体が持ち上げられている――。
『こちら、C-17 グローブマスターIII。ガルガンダのパイロット、応答を』
無線通信が割り込む。英語混じりの低い男の声。
コックピット上の画面には輸送機から伸びるいくつかの頑丈そうなケーブルで、ガルガンダが固定されているのが見えた。
「こちらガルガンダ、ユキト。受信完了」
『こちらグレイヴス・ワン。現在、浜高市上空へ直行中。ETA(到着予定時刻)二十五分。機体を安定モードに固定してくれ。空域が乱れている』
「了解」
ユキトがコンソールを操作すると、機体の駆動部がロックされ、わずかな揺れだけが残る。
『……日本の民間空域は大混乱だ。政府は避難勧告を出したが、交通は麻痺状態。隕石の直径は百メートル、落下コースは北陸浜高原発。あそこが吹き飛べば、この辺り一帯は人が住めない世界になる』
「なら、落とせばいいだけでしょ」
短くそう答えるユキトの声に、パイロットが一瞬だけ沈黙する。
通信の向こうで、低い笑いが返ってきた。
『了解だ、ソルジャー。空は任せろ。あんたの道開けてやる』
「わかった」
通信が切れると、輸送機の機体が低く唸りを上げながら上昇を始めた。
視界の端には、遠ざかっていく青南の街並み――
そして、その先に待つのは、地獄の光を孕んだ空だった。
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灰色の機体が低空を滑るように進む。
C-17《グローブマスターIII》。全長53メートル、翼幅50メートル超の巨体は、空を裂くような轟音を立てながら北東へ針路を取っていた。
胴体下部に固定された“白い巨影”――ガルガンダが、雲海を切り裂きながら吊り下げられている。
ケーブルを伝う風が悲鳴のように鳴った。
機内では、無骨な計器の明滅が狭いコクピットを照らしていた。
パイロットの米軍大尉が、ヘッドセット越しに声を飛ばす。
『こちらエアフォース・ゼロツー、ガルガンダ本体の固定良好。対流圏高度一万八千フィートを維持中。そっちは無事か?』
「問題ない。吊り上げの衝撃も想定内。機体外装に歪みはない」
『さすがだな。こいつをぶら下げてるせいで、機体がまるで亀みたいに鈍くなってる。早く下ろさせてくれ』
ユキトは短く息を吐き、周囲を見渡す。
360度に広がるモニターには、外の空と輸送機の腹部構造が映し出されている。
雲の裂け目から、かすかに青い地表がのぞいた。
「あとどれくらいで浜高上空?」
『およそ二十マイル。だが気流が荒れてる。気象レーダーによると、隕石の大気圏突入はTマイナス三十五分。想定より早い』
「……速いな」
『ああ。地上ではすでに避難限界ラインを超えてる。君らが間に合わなきゃ、都市部がまるごと焼けるぞ』
短い沈黙。
その間に、コックピット内の照明がわずかに赤く染まる。
警告表示がちらつき、萌里が息を呑む。
「ねぇ、隕石って……あんなの、どうやって止めるの?」
ユキトは視線を動かさず、静かに答えた。
「止めない。軌道を“ずらす”」
「ずらすって……!」
「大気圏突入直後の角度を変えられれば、衝突点は海側に逸れる。地上被害は最小で済む」
『理論上は、だがな』と、グレイヴスの声が重なる。
『一体どうするつもりだ?見たところ、機体に重火器のようなものは装備していないが…』
「直接殴って軌道を変える」
『ワッツ?』
「え?!ちょ、正気?!」
ユキトの突拍子ない案に、グレイヴスと萌里は驚きを隠せない。
「何回かやったことある。ガルガンダのブースターなら飛行することはできないけど、150mまで飛び上がることが出来る。滞空時間は約2分。殴る時はブースターとスラスターを全開にして吹き飛ばされないようにする」
『HAHAHAHA!おもしろいねぇ!』
「ちょっとーーーー!!失敗したら私達死ぬじゃん?!溶けちゃうよ?!一瞬で蒸発しちゃうって!ねぇ、ねぇってば!」
「大丈夫だよ。ガルガンダのフレームはマグマの熱でも溶けないから、ちょっとコックピットの中は熱いかもしれないけど」
『頭のネジが全部飛んでやがる発想だな!え、おい!……本当にやるのか?ユキト』
愉快に笑っていたグレイヴスが訪ね、ユキトの瞳がわずかに光る。
その光は、機体と同調するようにモニターへ反射した。
「やらなきゃ死ぬでしょ」
静かな声だった。
だがその響きは、まるで金属を叩くように硬く、確固たる決意を孕んでいた。
グレイヴスは苦笑し、操縦桿を強く握る。
『了解。なら俺は、てめぇらを地獄の入り口まで運ぶタクシー運転手ってわけだ。……全力で運転してやる』
「わかった」
輸送機が急降下を始める。
雲を突き抜け、視界の先に広がるのは――赤く燃える空。
大気圏の上層で、隕石の群れが尾を引きながら流れ込み始めていた。
無数の火線が夜明けの空を焼き、まるで天が割れるような光景。
萌里が思わず呟く。
「……星、みたい……」
「……」
ユキトはコンソールを叩く。
システムが起動音を鳴らし、ガルガンダのエネルギーラインが青く輝いた。
重低音が腹の底に響く。
『降下ポイント、あと一マイル。……準備しろ!』
「了解」
グレイヴスが無線越しに叫ぶ。
『頼むぜ、少年。検討の祈る!』
吊るしていたワイヤーが次々とパージされる。
轟音とともに、吊り下げられたガルガンダが、ロックを解除され、わずかに浮いた。
「――行くぞ、ガルガンダ」
ユキトの声とともに、白い巨体が空を裂くように落下していった。
大気を焼く摩擦が白炎となり、機体を包み込む。
青い空を、白い流星が逆流する。その先には、滅びを呼ぶ黒い隕石――。
戦いの幕が、静かに上がろうとしていた。
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ガルガンダは、もともと陸戦特化型の重機動機体だ。
以前、ユキトが何気なくそう話していた。
OSは地形適応アルゴリズムを中心に構築され、両脚の油圧シリンダーはわずかな地盤の傾斜すら読み取る。
荒野、廃都、雪原――どんな地でも立てる。
だが、その分だけ空は、苦手だった。
「そういえば……空、飛べないんだっけ?」
グローブマスターから降下した後、高度300m付近で滞空するガルガンダのコックピットのわずかな揺れの中で、萌里が不安げに口を開いた。
声は震えていた。
ユキトは正面のディスプレイを見つめたまま、淡々と答える。
「飛べない」
そして、短い沈黙ののちに付け加える。
「……昔は、飛べたらしい」
「昔?」
「四百年前の古戦場――“終戦域”の地下で、伏せたまま発見されたらしい。コックピットは外され、動力も完全に停止してた。けど、装甲もフレームも無傷だった」
誰かを、ずっと待っていたかのように――。
ユキトはぼそりとそう呟き、ちらりとモニター越しに空を見上げた。
空は鈍い灰色。
雲の向こう、何かがゆっくりと落ちてくる。
「他の機体は全部、焼け落ちて溶けてた。でもガルガンダだけは“在った”。だから回収されて、何年もかけて再構成された。昔は空戦用モジュールもあったらしいけど――もう再現できなかった」
「再現……できなかった?」
「構造が異常なんだ。当時の素材技術が、今の時代じゃ説明できない」
「……」
萌里は唇を噛む。
それ以上、何も言えなかった。
「いまは、これで十分だ」
ユキトの指がコンソールを軽く叩く。
その瞬間――
外装の継ぎ目から、青白い光が脈動のように走る。
低く唸る推進器の音が機体の奥から響き、床が震えた。
「《エンゲイジ・ブースター》と《セクトル・スラスター》。“飛ぶ”ってより、“跳ぶ”ための脚だ」
「……脚、ね」
萌里は小さく笑おうとしたが、声が震えていた。
呼吸が浅い。胸が痛い。
心臓の鼓動が、シートを通して自分でも聞こえる気がした。
「そろそろか」
ユキトの声が一段低くなる。
コックピット内の照明が一瞬で赤に変わり、甲高い警報音が空間を切り裂いた。
「――警戒。未確認飛行体、接近」
無機質なシステムボイスが響くと同時に、ディスプレイの中心に赤いターゲットマーカーが点滅する。
モニターの上部、蒼白い空の一点――
そこに、黒い影があった。
最初は小さな点。しかしそれは秒を追うごとに輪郭を増し、空気を焼き裂きながら落ちてくる。
「……あれが……隕石……」
萌里の喉が音を拒むように震えた。
息が浅くなり、指先が冷える。
コックピットの中の金属が軋み、シリンダーが唸る。全ての音が一つに溶け合い、鼓動のように響いた。
ユキトは無言のまま視線を上げる。
モニターの照準マーカーが、ゆっくりとその“黒点”を捉えた。
ガルガンダの動力路の回転数が上昇し、機体全体がわずかに震える。
「……来る」
その声は驚くほど静かだった。
ガルガンダは足を広げ、腰を落とし、コンボウ刀を両手で構える。
巨体の間接が鳴動し、油圧のうねる音が響く。
萌里の額に汗が滲み、震える指を胸の前で強く握りしめた。
――頼む、どうか……無事で。
そう祈らずにはいられなかった。
息が詰まるほどの静寂。
目の前に迫るのは、ただの隕石ではない“死”の塊。
もし失敗すれば、この機体ごと真下の原発に叩きつけられる。
後部座席でただ見守ることしかできない萌里は、恐怖に押し潰されそうだった。
それでもユキトは顔色ひとつ変えず、操縦桿に手を添えたまま、ただ待つ。
ターゲットまでの距離が縮むたび、警報音のテンポが上がる。
モニターに表示される数字が、急速にゼロへと近づいていく。
肉眼でもはっきりと見えた。
――巨大な影。
直径は優に百メートルを超えていた。
それは赤熱した表面を纏いながら、空気の壁を押し潰すように落ちてくる。
「こんなの……どうやって止めるの……」
萌里が漏らすように呟いた、その瞬間。
ユキトはペダルを一気に踏み込んだ。
ガルガンダが空を蹴り、前へ飛び出す。
全身を震わせる衝撃。シートがきしみ、萌里の体がわずかに浮く。
直後――
隕石の中心に、一筋の“線”が走った。
まるで何かが、内部から殻を破ろうとしているように。
「……嘘!?」
隕石が二つに裂ける。
その割れ目の奥から、黒い装甲片のようなものが蠢き――
次の瞬間、“顔”が現れた。
鋭い牙。裂けた顎。燃えるような赤い目。
それは、隕石などではなかった。
外殻を焼け落としながら、内部から姿を現したのは――
黒い鱗と装甲を持つ、トカゲ型の《アナグラ》。
咆哮と共に、アナグラがガルガンダの胴を噛み砕く勢いで衝突する。
衝撃波が地面を割り、視界が一瞬で白く染まる。
そのまま双方の軌道がずれ、原発のある方向から逸れた。
ユキトが操縦桿を強く引く。
「――ちぃぃ!!!」
地鳴りのような轟音。
黒と銀の巨体がもつれ合いながら、山の斜面へと墜落した。
爆風が吹き荒れ、木々がなぎ倒され、土煙が空を覆う。
そしてその煙の中――
モノアイが光るアナグラは、ゆっくりと立ち上がる。
かつて隕石だった外殻が剥がれ落ち、赤い核を埋め込んだ黒い装甲が太陽の光を反射して光った。
「……これって………」
萌里の声が震え、唇が青ざめていく。
ユキトは答えない。
ただ一点、敵を見据えながら――静かに、コンボウ刀を構え直した。
「……こういうパターンもあるのか」
ユキトの低い声が、振動するコックピットに響いた。
「まさか、隕石がアナグラだったなんて……!」
後部座席で萌里が息を呑む。
安堵と驚愕が入り混じる。しかし、まだ緊張の糸は解けない。
崩れ落ちた山肌の土煙の中――
黒い装甲の巨体が蠢く。
アナグラが地を這うように体を起こし、咆哮を上げた。
その声は空気を震わせ、まるで雷鳴のように山全体を揺らした。
「来る――!」
萌里の叫びと同時に、ユキトの指先が操縦桿を押し込む。
アナグラが巨体をひねる。
背中から伸びた長大な尾が、黒い鞭のようにしなり、
岩肌を粉砕しながらガルガンダへ襲いかかる。
風圧で木々が弾け飛ぶ。
ユキトは即座にフットペダルを踏み込み、機体を後退させた。
尾がかすめた瞬間、コックピットを激しい衝撃が叩く。
警告ランプが瞬き、計器がわずかにノイズを走らせた。
「厄介だな…」
ガルガンダの重い機体が一歩、地を蹴り返す。
巨体とは思えぬ俊敏な動きで、アナグラの懐へと飛び込む。
右腕のユニットがうなりを上げた。
ガルガンダの拳がアナグラの顎を直撃――
金属を叩き割るような衝撃音が大地を震わせる。
アナグラの頭部がのけぞり、黒い装甲の破片が火花を散らしながら飛び散った。
「ここで!」
ユキトの左腕が伸びる。
マニュピレーターがアナグラの下顎をがっちりと掴む。
至近距離――逃げ場なし。
「ゼロ距離――!」
――ゴスンッ!!
鈍くも重い破砕音。
パイルバンカーがアナグラの頭部を貫き、衝撃波が周囲の空気を震わせた。
黒い血のような液体が蒸気を上げ、装甲の隙間から噴き出す。
アナグラの全身が痙攣し、尾が地面を叩きつけながらのたうつ。
「効いてる!」
萌里が震える声で呟く。だがユキトは表情を変えない。
「まだ動く」
ガルガンダがアナグラの顎を放し、跳ねるように後退した。
背後でアナグラの巨体がのたうち、地面を砕きながらクレーターを穿つ。
粉塵が空を覆い、山全体が低く唸り声を上げる。
「……妙だ」
ユキトの声は低く、静かに何かを観察している。モニターの向こうのアナグラはまだ動いている。
――アナグラの体表が不気味に光りはじめていた。
黒い装甲の継ぎ目から、まるで血管のように赤い線が走る。それは脈打つように点滅し、徐々に全身を這い回っていく。
「なに、あれ……?」
萌里の声が震えた。
まるで“生き物が覚醒する”ような、不吉な波動が空気を震わせる。
次の瞬間――光が弾けた。
バチィィッ――!
ガルガンダのセンサーが一斉に警告を点灯。
アナグラのシルエットは、閃光の中で一瞬だけ見え――そして、消えた。
「っ……消え」
萌里と言葉は発せられる間もなく。
しかし、ユキトの表情は変わらない。
眉ひとつ動かさず、ただ――“感じていた”。
「左」
彼の声と同時に、ガルガンダの姿勢がぶれる。
フットペダルを踏み込み、油圧の悲鳴が上がるほど脚部シリンダーを圧縮――。
ゴオォォンッッ!!
コンマ一秒の差。
ガルガンダのいた空間を、アナグラの巨大な踵が通過した。
その一撃は岩盤を砕き、地層をひっくり返すほどの威力だった。
山肌が爆ぜ、石と土が空中に舞う。
「なんだ?」
ユキトが低く呟く。
粉塵を突き破って、アナグラが再び現れた。
さっきまでの動きとはまるで別物――
黒い装甲の合間から覗く赤い鱗のような地肌が、熱を帯びて輝き、
筋肉が金属の鎧を押し広げるほど膨張している。
「え、なに?急に速くなった…?」
萌里の声が裏返る。
モニターの補正が追いつかず、アナグラの動きは残像しか映らない。
「この速さ…」
ユキトの指先が走り、ガルガンダの脚部スラスターが青白く爆ぜる。重力が一瞬、斜めに傾く感覚。萌里の体がシートに押し付けられた。
それでもアナグラの動きは止まらない。
黒い影が縦横無尽に跳ね、金属がぶつかる衝撃音が何度もコックピットを叩く。
装甲警告が点滅し、右腕の駆動系統が赤く染まった。
「コイツ、こっちの脆い部分ばかりを狙ってくるな」
ユキトの声は、信じられないほど冷静だった。
「――でも」
その言葉の直後、ガルガンダの背面ブースターが唸りを上げる。
青い光が尾を引き、巨体が地を蹴る。背面ブースターの炎が山肌を焦がし、ガルガンダの巨体が一気に空を裂いた。
脚部の補助ノズルが次々と展開し、重力を無理やり振りほどくように跳躍――。
だが、追うアナグラの速度はその上をいった。
黒い閃光。
視界の右端に“何か”が走った瞬間、コックピットを衝撃が貫く。
「ぐっ――!」
シートベルトが萌里の胸を締め上げ、息が詰まる。
機体がバウンドしながら地面を転がり、警報音が嵐のように鳴り響いた。
「右腕装甲、損傷率四十三パーセント!内部駆動、焼損反応あり…」
モニターに出る損傷報告を読むユキトの指が次々とレバーを切り替える。プシュンっと冷却弁を強制開放。油圧を切り替え、損傷した右腕を即座に切り離した。
「腕を……!?」
萌里が叫ぶより早く、ユキトは操縦桿を引き倒した。
「いらない。“狙われる前に切り捨てる”それに、後で付け直せる」
言葉と同時に、ガルガンダが左腕を構える。
次の瞬間、視界の下――地面が盛り上がるように弾け、アナグラの影がそこから飛び出した。
「上ッ――!」
反応は一瞬遅れた。アナグラの両脚が空を切り裂き、ガルガンダの胸部へ一直線に落下。
ユキトは全スラスターを逆噴射。
衝突の寸前、機体を半回転させて衝撃を逃す。
アナグラの踵がガルガンダの腹をかすめ――鋼鉄が“生き物の肉”のように歪んだ。
轟音。
山の斜面が崩れ落ち、粉塵が爆風に舞い上がる。
「こいつ、知能が高いな……」
ユキトの額に汗がにじむ。
呼吸は荒い――それでも、その瞳だけは氷のように冷たく研ぎ澄まされていた。
アナグラの動きは、もはや本能ではない。
“戦い方”を学習し、適応してきている。
「……学んでる。さっきの回避、真似してきたな」
ユキトが低く呟き、左手でスイッチを叩く。
機体の膝部が沈み、油圧が悲鳴を上げた瞬間――
モニターが赤く点滅。背後から突風。
まるで空気そのものが弾け飛ぶような衝撃波が機体を包む。
「そこかッ」
ユキトが操縦桿をひねる。だが、もう遅い。
アナグラの両腕が背後からガルガンダの胴を掴み、地面へ叩きつけた。
「チィ……!」
山が唸り、土砂が弾け飛ぶ。
数百トンの質量同士が衝突し、大地そのものが悲鳴を上げた。
警報が連続で鳴り響き、慣性制御の数値が真紅に跳ねる。
「馬鹿力か」
ユキトが吐き捨て、歯を食いしばる。
「――まだだ!」
次の瞬間、左脚ブースターが炸裂。
轟音とともに地面を滑るように後方へ抜け出し、掴みかかる腕をねじ切る。
ガルガンダはその反動を利用し、半回転――反撃に転じた。
「隙には、抉り込む」
低く呟くと同時に、膝部の油圧ロックが外れる。
ガギンッ――!
一撃。
金属の脚が音速を超えて振り抜かれ、アナグラの腹部に突き刺さった。
ドンッ――!!
爆発のような衝撃が山肌をえぐり、アナグラの巨体が吹き飛ぶ。
「やったっ――!」萌里の声が弾む。
だが、安堵は一瞬。
粉塵の奥で、アナグラの体が震えた。
裂けた装甲の隙間から、赤黒い光が滲み出し――まるで血管のように全身を走る。
鼓動のような波動が空気を震わせ、光が脈動とともに強まっていく。
「変化してる……?」
「“再構築”だ」
ユキトの声が低く沈む。
アナグラの装甲が再び膨張し、音を立てて閉じていく。
再生――いや、“進化”。
受けた衝撃を吸収し、より黒く、より重い鎧へと変貌していく。
「ど、どうするの……?」
萌里の声が震える。
モニターには、アナグラのエネルギー反応が暴走のように上昇していた。
「右腕があったとしても長期戦は不利だな……」
ユキトが操縦桿を握り直す。その動作は、妙に静かで、覚悟の色があった。
「ガルガンダ……お前はどうだ?」
ふと、ユキトは瞼を閉じた。
静かに語りかけるその声音に、萌里は息を飲む。
いつもの彼らしくない――まるで機体が“相棒”であるかのような口調。
「……そうか」
ユキトが小さく頷いた直後、背部の冷却弁が一斉に噴き出す。
ゴオォォ――ッ!!
青い蒸気が立ち昇り、機体の外装が熱気に包まれる。
メインモニターの端で、警告が赤く点滅した。
【LIMIT PURGE 20% — AUTHORIZED】
「これだけなら……まだ」
ガギィィンッ!
ガルガンダの一部装甲が盛り上がり、光の筋が全身を走る。
鋼鉄が“息づく”――まるで機械が覚醒する瞬間のようだった。
萌里が息を呑む。
「な、なに……これ……?」
「リミッターを少し外した」
ユキトの声は冷静で、それが逆に不気味なほどだった。
粉塵の向こうで、アナグラが再び咆哮する。
空気が震え、山が軋む。
赤い閃光が谷を貫き、同時に青い光がそれを迎え撃つ。
二つの巨影が、抉れた山肌を滑るように――衝突の軌道へ。
その時、萌里は見た。
モニターの映像が――まるで世界そのものが流れているように、凄絶な速度で動いていた。
視界の端に映る木々も山肌も、残像の線となって引きちぎれる。
酔う、なんてものじゃない。
時間が裂け、現実が追いつかない。
だが、その渦中にいるユキトだけが――静かだった。
無言のまま、僅かに口元を結び、眼だけが異様な光を放っている。
冷たく研ぎ澄まされた視線。
まるで“人”ではないもののように、全てを見切っていた。
「――来る」
アナグラの体表から、肉のような装甲が裂ける。
そこから滲み出るのは、粘液に覆われた“有機ミサイル”。
脈動する血管のように震えながら、唸りを上げて一斉に射出される。
だがガルガンダは止まらない。
脚部スラスターを連続噴射――地面を滑るように低空を疾走し、
右へ、左へ。
鉄塊の巨体が、まるで猛禽の羽ばたきのように軽やかに躍動する。
「これなら」
彼の声は、凍りつくように静かだった。
ミサイル群の隙間を縫うようにガルガンダが回転。爆炎の中を突き抜け、そのままアナグラの懐に飛び込む。
「――ッッ!!」
機体が一瞬、獣のようにうなった。
畳んだ右脚が、唸りを上げてアナグラの顔面を撃ち抜く。
鉄と肉の混ざる衝撃音――ゴギンッ!
さらに追撃。
左手の平をアナグラの頭部に押し当て、パイルバンカーを零距離射出。
「避けられないだろ!」
轟音。
金属の潰れる鈍い音が山中に木霊し、アナグラの顔面が粉砕。
飛び散る黒い血液が、夜のような粒子を撒き散らす。
だが――萌里の背筋を凍らせたのは、その結果ではない。
ユキトの横顔だった。
そこには怒りも焦りもない。
ただ、戦うことそのものを楽しんでいるような、
“別の何か”が宿っていた――。
「…」
着地の衝撃が山肌を震わせ、粉塵がガルガンダの脚部を包む。
ユキトは操縦桿を握ったまま動かない。
モニターの中央――頭部を失い、黒煙を噴き上げながら倒れ込んだアナグラを、まるで処刑後の死体のように見据えていた。
「……」
呼吸がない。
音もない。
ただ、ガルガンダの外装を伝って流れる冷却剤の音が、心臓の鼓動のように響く。
その沈黙の中で、ユキトの頬を一筋の赤い線が伝った。
涙のように見えたそれは――血だった。
眼窩の奥が焼けるように痛む。
それでも彼は、目を閉じなかった。
「やった……の?」
萌里が震える声で尋ねる。
コックピットの後部から、恐る恐る前をのぞき込む。
だが、次の瞬間――。
アナグラの残骸が“揺れた”。
ぴくり、と。
そしてもう一度。
コマ送りのように不気味な動きで、切断面が蠢く。
内部で何かが脈打ち、再構成されていく。
「動くのか」
アナグラの背中が裂け、そこから噴き上がる青白い閃光。
ブースターが再点火。
爆発のような音とともに、無頭の巨体が弾丸めいて発進した。
「逃がすかよ」
ユキトが強く呟き、指がサブコンソールを叩く。
ガルガンダの腰部ユニットが展開、捕縛用ロッドワイヤーが射出された――。
音速で伸びた鋼線が空を裂き、アナグラの腰部に突き刺さる。
瞬間、ガンッ、と衝撃。
機体が軋みを上げ、ワイヤーごと引きずられる。
内臓が遅れて動くような重力のねじれがコックピットを襲い、
萌里が悲鳴を上げた。
「ぐっ!」
ユキトは歯を食いしばり、操縦桿を押し込む。
両脚部スラスター、全開点火。
轟音が鼓膜を突き破る。
爆炎を噴き出したガルガンダの巨体は、地表を削りながら滑走。
赤い火花が尾を引き、山肌を切り裂いていく。
無頭のアナグラが、まるで死を拒むように海岸へ向かって疾走していた。
背中で瞬時に生成されたブースターが青白く輝き、巨体を持ち上げ海面すれすれを滑る。
「凄い力だな…」
ユキトの声は震えていなかった。
むしろ、静かだった。
波しぶきがモニターを白く染める。
ガルガンダもワイヤーで引かれたまま、海へ――。
衝撃の瞬間、スラスターを再噴射。
巨体が海面を滑るように浮上し、轍のような白い筋を描く。
「ちょっと! コイツ、何処行くの!?」
「……ダメだ」
ユキトの瞳孔が異様に開いていた。
サブコンソールを操作しながら、しかし冷静な声で告げる。
「この先――学校がある」
「え……?」
萌里が息を呑む。
モニター越しに目視すると、海の向こうに見える街灯の群れ。その向こう建つ校舎、萌里たちの通う学校の影がある。
「……ど、どうしよう……ユキト、このままじゃ……!」
「文化祭」
「……え?」
ユキトの声が、不意に優しくなった。
血の涙を流しながら、それでも、いつものように何を考えているかわからない無表情な顔で。
「“みんなと成功させたい”って言ってたよね」
萌里の胸が締め付けられる。
覚えててくれた。それは初めて彼が付き人として学校に来た日、萌里が屋上でした何気ない会話。
「なんとかする」
その一言と同時にガルガンダの背部スラスターが一斉に展開、轟音が海を割き、白い水柱が爆ぜる。爆炎を伴った推進が青白い軌跡を描き、機体が水面すれすれを滑走する。
「――ッ!」
ユキトの視界がぶれる。
加速度に脳がついていかず、血管が破裂したように頬を伝う血。
だが、その手は止まらない。
ガルガンダはワイヤーを切断、一気にスラスターを吹かして追い抜かし、アナグラの進路に割り込んだ。
ガギィン――!
金属がぶつかり合う甲高い悲鳴が、湾内に反響する。
ガルガンダの右肩がアナグラの胴体へ体当たりし、両機は火花を散らしながら海面を滑る。
それでもアナグラは止まらない。
首を失ったその巨体は、背部ブースターを吹かし続け、まるで何かに導かれるように一直線に学校がある海岸線を目指す。
「海上じゃ……分が悪いか――ッ!」
ユキトは歯を食いしばり、左手でサブコンソールを叩きつけるように操作した。
右手は背中のホルダーへ伸び、コンボウ刀を抜き放つ。
一瞬の静止。
そして――渾身の力で、首を失ったアナグラの腹部へと突き立てた。
ゴッッ!
金属が軋み、刃の根元から赤黒い液体が噴き出す。
返り血がガルガンダの白い装甲を染め、赤い斑点が波に散った。
だが、止まらない。
アナグラの背から、異様な咆哮音とともに推進装置が展開される。
脚部に生えたブースターが、海面を灼きながら噴射。
まるで意思を失った巨獣が“死を恐れず突き進む”かのように――暴走していた。
「と、とまって……お願い、止まって!!」
萌里の声が震える。
コックピット後部で、彼女は両手を胸の前で組み、涙をにじませながら祈った。
前方――校舎が見えた。
白い壁。屋上に翻る校旗。
距離、900メートル。
「チィッ……!!」
ユキトはフットペダルを限界まで踏み込み、全スラスターを逆噴射。
だが慣性が殺し切れない。
視界の端が白く滲み、脳が焦げるような痛みが走る。
その時だった。
――閃光。
空を裂き、轟音が遅れて耳を貫く。
アナグラの左脚が根元から吹き飛んだ。
爆発の反動で水柱が立ち上がり、潮が雨のように降り注ぐ。
「ビ、ビーム!?」
萌里が叫ぶ。
ユキトは反射的にモニターを切り替え、閃光の発生源を探る。
視界の端に――見知らぬ灰色の巨影。
海岸線の端で、片膝をつき、巨大なライフルを構えている。
頭部に冷たい青い光を灯し、銃口の熱がまだ空気を歪ませていた。
二発目の閃光。
海を裂き、アナグラの右脚を貫通する。
肉のような外装が弾け、金属音と共に関節が砕け散った。
推進を失った巨体がバランスを崩し、轟音を上げながら海面へと倒れ込む。
「――今だッ!」
ユキトは操縦桿を強く引き、水飛沫を蹴り上げながら、真紅に染まったコンボウ刀を振りかぶった。
夕陽が、刃を赤く照らす。
返り血を浴びたガルガンダの姿は、まるで悪魔そのものだった。
「終わらせる……ッ!!」
左腕が振り下ろされ、先端が突き刺さる。
鋼鉄を砕く音。貫いたのは、アナグラの胸部中央――赤く輝く“核”。
パキィン――!
割れる音が、すべてを止めた。
赤い石が細かな光の粒となって砕け散り、海風に乗って消えていく。
アナグラの巨体は糸が切れたように崩れ、波間に沈んだ。
……静寂。
気がつけば、空は茜色に染まっていた。砕けた波が、ゆっくりと岸へ押し寄せる。
ユキトは深く息を吐く。萌里は震える手で胸を押さえ、涙を拭った。
学校は――無傷だった。
謎の閃光、そしてガルガンダの決死の行動により、被害はゼロ。
ただ、夕陽に照らされる海上には、
血と鉄の匂いだけが、いつまでも漂っていた。
****************************************************
ガルガンダのコックピットハッチが、プシュウと音を立てて開いた。
中から出てきたユキトは、息を整えながら額の汗を拭う。
視線の先――そこには、のしかかるように倒れ伏した無頭のアナグラがあった。
鉄と血のにおいが混じる風の中、巨体は微動だにせず、もはや屍そのものだった。
「や、った……よね?」
背後から恐る恐るかけられた声に、ユキトは小さく振り返る。
萌里が、ガルガンダの後部座席から降りてきていた。
怯えと安堵の入り混じった顔で、ユキトの背に隠れながら、戦いの跡を見つめている。
そのとき――
『――状況は収束したようだな』
聞こえてきたのは、通信越しではない。
機体の外、拡声器から響くような低い声だった。
潮風が吹き抜ける。
ユキトが顔を上げると、茜色に染まる空の中を、青い光が静かに降りてきた。
重力をねじ曲げるような着地。
鎧のような青い装甲、背に背負った突貫型ランス――その姿はまるで神話の騎士。
青の巨影が、ガルガンダの前にゆっくりと降り立った。
「えっ…今度は……何?」
萌里がユキトの背に身を隠しながら、顔だけひょこりと出す。
緊張と不安の混じった声に、ユキトは静かに答えた。
「――味方だよ」
「え?」
意外な言葉に萌里は瞬きをした。
『久しぶりだな、ユキト』
「…やっぱりアンタか」
プシュン――。
青い機体の腹部が開き、白いパイロットスーツを纏った男が姿を現した。
銀の髪に、澄んだ碧眼。
どこか貴族を思わせる物腰と、スーツ越しにも分かる厚い胸板。
モデルのような整った顔立ちに、萌里は思わず息を呑んだ。
「相変わらず、元気そうだな」
「まぁね」
『君はいつも、ボロボロだ』
「そうでもないよ」
淡々とした言葉の応酬。
萌里はユキトの背後から覗き込みながら、二人のやり取りを観察する。
――味方、とは言っていたけど。
その会話の温度からは、旧知のようでいて、どこか距離のある関係を感じ取れた。
ユキトは視線を逸らし、少し離れた海岸の端へと目を向けた。
夕陽を反射して銀色に輝く海面の向こう、灰色の巨体が静かに立っている。
まるで沈黙そのもののように、動かず、ただこちらを見つめていた。
「あれは…知り合い?」
『あぁ。彼女も――味方だ』
ズシン。
灰色の機体が歩き出す。
波を押し分けながら、ゆっくりと二機の前に立ち止まった。
プシュー、と蒸気があがり腹部のコックピットハッチが開く。
その中から――人影が現れた。
成人女性、そしてその隣に、幼い女の子。
「……え?」
萌里は声を失った。
現実感が、頭からスルリと抜け落ちる。
「う、え……なんで……そんな……うそでしょ……」
潮の香りも、風の音も、遠くに消えていく。
世界が、止まった。
女性は、そっと風に靡く髪を指先で押さえた。茜の光がその頬を照らす。
優しく、けれど確かに――懐かしいその横顔。
萌里の喉が震える。彼女はそれを知っていた。
何度も見た。教壇の前で、優しく笑っていたあの人の顔を。
「……と、飛永…先生……?」
波の音が、答えるように砂浜へと寄せては返す。
夕暮れの光に包まれながら――
三機の巨影が、沈む陽を背にただ、黙って並んでいた。




