第6話《地上》
僕は今師匠の家にいる。彼は寝ている、まるで僕がいないかのように。あの戦いは結局引き分けになったらしい。“らしい”というのは、僕が師匠から聞いただけだからだ。師匠は僕に結果を伝えてすぐに倒れたので、僕がここまで頑張って“運んで”きた。(本当は引きずったなんて、神に対して失礼すぎて口が裂けても言えない)
「どうして僕ばっかりが……」
愚痴を零しかけてハッとして、首を左右に勢いよく振った。師匠がいつ起きるかも分からないのに。
聞かれたら?
今はまだ、どうして聞かれたくないのか分からない。
何となく、寝台で寝ている師匠をみた。あの時と何も変わらず、依然として美しい。閉じられたまぶたは、細くて繊細なまつ毛で縁取られている。
「なんでそんなにも美しいのですか……」
と、愚痴を零してみる。相手は神だというのに。だって、しょうがないではないか。僕の心が見え隠れする。こんなの……知らない……。
「あっ! 」
修行に行かなきゃ。
僕は師匠が寝ているベットから離れて、窓から飛び上がろうとした。ふと思い立って、振り返り師匠の寝顔を見てみる。吹き込む気持ちの良い風、天気は良好だ。柔らかな寝顔に安堵し、今度こそ窓から飛び立っていった。柔らかな殺気が僕の背中を引き留めていた。
「「おはようございます!」」
いつもと同じ日課。いつもと同じ修行。飽きたとは思わないが、このまま終わるのかと思うと、なんとなく気分が暗くなってしまう。
(師匠はどうやって神になったんだろう……)
一つ断っておくが、あの頃の私が師匠の過去の努力に気付いていなかったわけでは無い。あまりにも現実味のなさすぎる地位に毒を吐きたくなっただけなのだ。
「クルゥ!こっちへ来い!」
僕は呼ばれた方に目線を動かした。力を使った訓練中で、正直中断したくなかったが、ここで講師の指示を聞かなかったら怒られてしまうので、しぶしぶと講師の元へ向かった。
講師の元へ着いたとき、講師はみたことの無いくらいに神妙な顔をしていた。怒られるのかな、と講師の顔を覗き込んでみるが、表情から怒りが読み取れなかった。僕は、怒られるのではなさそうだ、と少し安心した。
「クルゥ、お前に少し話しがある」
「なんでしょうか」
「地上に降りる許可が出た」
「地上?」
僕は、講師のあまりにも突拍子な言葉に、聞き返してしまった。
「そうだ、聞き返すな」
講師は不機嫌そうな顔をしただけで、説教が始まる様子もない。珍しい。
僕はしばらく呆けた状態で思考を回していたが、突然分からないことがある事に気づいた。
「地上に降りたとして、僕はどこに行けばいいのでしょうか?申し訳ありませんが、僕は地上のことについてはあまり多くの知識を持っていません」
講師は僕の顔を一瞥して、心配はない、と言った。
「どうしてでしょうか?」
「神様がお前の仕える先を決めてくださるのだ」
そう言って講師は僕の目を覗き込んだ。その瞬間、洪水のように僕の頭の中に映像が流れ込んできた。白い髪の、赤い目の少年。
「分かったか、出発の日も全て知らせた、伝える事は以上だ、私は持ち場に戻る」
そう言ってこちら側を見ることもなく足早に去っていった。
「そんなこといわれてもなぁ……」
相変わらず目を覚まさない師匠のそば、僕は今日講師に言われたことについてであーだこーだと思案を巡らせていた。修行がある程度進んだら地上に降りることができると、先輩の動物たちを見ていたので知っていた。でも、いくら見ていたって僕にとって地上での任務は初めてなのだ、うろたえてもしょうがないだろう。
まとまらなくなった思考の中に師匠の規則正しい寝息が入ってきた。(師匠がいることを半ば忘れていた)僕はおもむろに師匠の顔を覗き込んでみた。朝見たのと同じ端正な顔立ちがそこにあった。ふと、師匠も修業者の身だったのならば、地上に降りたことがあるのではないかと思い、目を覚まさない師匠を少し恨めしく思った。起きていたら地上の事を聞けただろうに。わざとらしく大きなため息を一つ吐き、わずかな希望をもって師匠の方を見る。しかし、依然としてそのまぶたは開かれない。
「僕、上手くやれるかなぁ……」
天を仰いでみるがここがすでに天なのだ。あほらしい。
一向に目を覚ます気配のない師匠。出発の日まで僕に残された時間は、無慈悲にも一カ月(僕たちの一生の長さを鑑みるとその短さがよくわかるだろう)しかなかった。途方に暮れ再び大きなため息をついて師匠を一瞥し横になった。