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悪役令嬢には溺愛が約束されているらしい

作者: 玖珠ゆら




「エレナ・アゼリア! 貴様との婚約は、今この時をもって破棄する!!」



 それは貴族子女が通う学院の、卒業パーティーのはじまり。


 この晴れの日には王宮のダンスホール使用が許可され、それはそれは煌びやかで華やかな祝いの場である。

 卒業生とその保護者たちは皆、目一杯着飾っており、身につけた宝石類がシャンデリアの光を反射し、きらきらと輝きを放っている。


 音楽にダンスに、ドリンクや軽食類も楽しめるとあって、参加者は一様に高揚した面持ちだった。


 

 ────が、そこに水を差すような発言。

 声の主は、この国の第三王子であるエヴァン殿下だ。ホール内は一瞬にして静まり返った。


 

 名指しされた当事者である私は、呆然と立ち尽くす。

 やっぱりどんなに足掻いたところで、シナリオは変えられないということだ。最悪な気分だ。


 けれど事は一刻を争う。 

 とにかくこの場を素早く去りたいので、すぐに返事をした。


 

「はい、賜りました。それでは御前失礼致しますわ」

 

「はっ!? まっ……待て待て待て!!!」



 呼び止めるのはやめて欲しい。もたもたしていたら間に合わなくなってしまう。


 しかし公爵令嬢の私が王子に逆らうわけにもいかず、再びエヴァン殿下へと視線を戻せば、その隣には、リゼ・オルセン男爵令嬢がぴたりと寄り添っていた。

 婚約者である私のエスコートを放棄してこの状況となれば、もうお察しだ。



「貴様のそういう可愛げのないところは、前々から気に入らなかったんだ! 婚約破棄の理由くらいは聞いていけ!」 


「大丈夫です、承知しています。そちらのご令嬢との浮気……ということでよろしいですね?」 


「なっ……! 浮気だと!? 俺とリゼは、心から愛し合っているし、一応貴様という婚約者がいる手前、てっ……手もまだ、握っていない!! そんな不埒な言い様をするなど……」


「それ以上は結構です。お二人の関係を正当化するため、これから私を断罪しようという段取りでしょうが、それは冤罪です。証拠もありますわ」


「なっ、なぜそれを!」

「アダム!」


 声をかければ、人混みの中から侯爵家の令息であり、友人でもあるアダムが歩み出てきた。

 書類の束を掲げ、へらりと笑う。


「証拠はここに。エレナ・アゼリア公爵令嬢がリゼ・オルセン男爵令嬢を虐めたとか、怪我をさせたとか、そういうのは事実無根。自作自演ということがわかっていますよ」 

「そういうことですわ」


 

 エヴァン殿下はアダムから書類を奪うように乱暴に受け取り、紙をめくるたびに顔色を悪くしていった。その隣でリゼもまた、顔を引き攣らせている。


 ────よし、準備の甲斐があった。なんとかなりそうだ。


 

 傍らに立つ、エヴァン殿下のかわりにエスコートをしてくれていた双子の兄・ルイスを振り仰いで、微笑んだ。


「ルイス、賭けは私の勝ちね」

「…………。やらかした……」


 

 誰よりも失意の表情を浮かべるルイスを置いて、今度こそホールを後にしようと一歩踏み出した。

 ────その時だった。



 

「俺のエレナ。卒業おめでとう。そして、婚約破棄おめでとう」



 やたらいい声が響いた。 

 満面の笑みを浮かべる男が、行く手を阻む。


 漆黒の髪に、鮮やかな青緑の瞳。すらりとした高身長で、長い手足。ルイスやアダム、そしてエヴァン殿下は、整った容姿で女生徒たちに大人気だったが、彼らも霞むほどの別次元の美貌。ちょっとした仕草さえも上品で、目を奪われる。

 

 そんな男の登場に、誰もが息を飲んだ。場の空気は、彼の一挙一動に支配されていると言っても過言ではないほどの存在感なのだ。

 


 うっとりとこちらを見つめる男を前に、私は絶望で目の前が真っ暗になった。


 …………ああ…………間に合わなかった。


 

 ◇◇◇




 私には、前世の記憶がある。

 物心ついた時から自然とあったものだから、多分生まれつきだ。前世は日本人のアラサーOLで、通勤中のバス事故で死んだ。


 そこまでは前世でまぁまぁ聞いたことのある話だったし、急に記憶が蘇ったとかでもないのでパニックになることもなく、なんとなく受け入れた。 


 問題は私の双子の兄である。

 幼い頃からヤバい言動ばかりを繰り返すルイスを問い詰めたのは、もう十年以上前だったはず。


 結論、ルイスも転生者だった。

 ルイスもまた、私と同じバスに乗っていて事故に遭った。男子中学生だったそうだ。

 

 悲しいことに、彼は病を患っている。その名も、厨二病。

 

 異世界に転生したと気付いた幼少期のルイスは、本気で自分が物語の主人公だと信じ込んでいた。公爵家長男であるにも関わらず、いずれ冒険者になってハーレムをつくると宣ったのだ。

 そのテンションのまま剣術と魔術の特訓に励み、しかもその才能が開花してしまった。


 誰もが認める実力者となったルイスは、自らをチーターと名乗っている。もう目も当てられない。


 しかしルイスの惨状を知るのは家族のみ。

 彼の前世は陰キャのコミュ障だ。外では無口なのだ。無駄に容姿はいい上に、チート持ちという自信から黙っていれば堂々とした振る舞いなので、クールで格好いいと世の令嬢たちから盛大な勘違いをされ、大人気だ。


 

 そんなルイスの唯一の友人、それがアダム。

 なんとアダムも転生者であり、それがわかったことで二人は親しくなったようだ。そんな事情だから、私もすぐに仲良くなった。

 アダムもまたルイスと違ったタイプの、物腰柔らかなちょっとチャラいイケメンで、非常にモテる。


 ───というのも、アダムの前世は女子高生だったそうな。

 単に女子相手の方が話が合うというだけのことなのだが、軟派な男だという勘違いを招いている。


 ともかく、アダムはルイスに負けず劣らず言動におかしなところがあった。


 

 アダム曰く、この世界の元ネタは乙女ゲームだそうだ。

 ヒロインがリゼ・オルセン男爵令嬢。

 エヴァン殿下、ルイス、アダムは、攻略対象者というやつらしい。だから容姿もスペックも高いんだとか。

 

 そして私の役割は、悪役令嬢。


 私は婚約者のエヴァン殿下とリゼの仲を嫉妬し、リゼにきつく当たり、リゼは大袈裟にエヴァン殿下に泣きつく。

 エヴァン殿下はリゼの主張だけを聞いて、一方的に私を悪者と信じ込み、卒業パーティーで断罪する。

 しかしそんな時、乙女ゲームの展開と違うことが起こる。なぜか私を救う救世主が現れて────。


 

 …………という、小説。

『婚約破棄された悪役令嬢ですが、もっとハイスペックな王子様に溺愛されます』の主人公が私。


  

「ラノベの定番設定だよね。僕はこの小説の第二章読んでる最中にバス事故に巻き込まれたから、この先何が起こるか、よーく覚えているよ!」


と、アダムは言った。


 なんだかややこしいし、情報過多がすぎるので、それを聞いた当時は訳がわからなかった。

 それにルイスと同じ妄言の類かと思って、あんまり信用していなかったのだ。



 けれど、アダムの未来予測は次々と現実となった。


 エヴァン殿下はリゼと急接近し、私のことは放置するようになったし、ルイスやアダムをはじめとした攻略対象者たちは、皆リゼに夢中だと噂になった。

 私は徹底的にリゼを避けるようにしていたけれど、それでも権力を盾にリゼを虐めていると、周りから避けられるようになっていった。


 

 アダムの予言はあまりにも的確だった。

 彼の言うように、小説になぞらえたストーリーが現実に進行している……というのが真実だと思うまでに、それほど時間はかからなかった。

 

 だから私は準備をしたのだ。

 小説のストーリー通りにならないよう、細心の注意を払って行動した。リゼには一切関わらず、エヴァン殿下に執着することもせず。 

 それだけでなく、最悪の事態も想定し、エヴァン殿下の側近候補とされているアダムの協力を得て、リゼの訴えた被害の日時を聞き出してもらい、自分のアリバイを立証した。 

 万一断罪されてしまった時に、自らの手で、自身の身を守るために。


 …………なぜかって?



 小説のタイトルを聞けばおわかりだとは思うが、一方的に断罪され、傷ついた私の前にヒーローが現れるのだ。エヴァン殿下よりも遥かにハイスペックな隣国の王子様が。

 隣国は、我が国よりも遥かに高い国力を誇る。しかもヒーローは武術や魔術に長け、容姿も最上級。

 優しくて強くて私だけを溺愛する、誰もが憧れるヒーローに求婚されるのだ。ざまぁである。


 

 ただし。

 ヒーローはヤンデレであった。それも重度の。



 小説ならばそういうのもいいだろう。

 けれど現実となれば別だ。

 

 アダムから話を聞けば聞くほど、恐ろしくなってしまった。私への異常な執着心と、強烈な嫉妬心、極端な支配欲や独占欲が。


 正直、捕まる前に逃げたい。

 というわけで、ヒーロー登場前に断罪劇を終わらせて、さっさと逃げることにしたのだった。




 ────が、しかし。



 目の前には、小説のヒーローで同級生である、ラウルが立ちはだかっている。

 小説では、茶番のような無駄に長い断罪劇の末に登場する予定だと聞いていたのに……。

 秒で終わらせてこの場を去ろうとしたけれど、遅かったらしい。


 小説ではラウルは、何を言われても涙目で震えながら耐える私の健気さに心打たれたようなので、自分であっさりカタをつける作戦を実行したんだが。それも無駄だった?


 あと、『俺のエレナ』って何?

 私は同級生の地味眼鏡がヒーローの正体であるとアダムから知らされて以降、一切交流していない。いつおまえのものになった。

 

 

「きっ……貴様、誰だ!? エレナの浮気相手か!?」


 エヴァン殿下が吠える。

 ラウルの虚言のせいで、事実無根の罪がひとつ増えている。やめろ、エヴァン殿下と一緒にされたくない。


「同級生のラウルだけど? 三年も同じクラスで学んでいただろう」

 

「ラウル……。誰だ?」

 

「あっ! あの眼鏡のクソ陰キャ!? 長い前髪あげて眼鏡外したら、こんなにかっこよかったの!?」


 名乗りを聞いても尚きょとんとしているエヴァン殿下の横で、リゼが頬を染めて声をあげた。

 悪役令嬢を陥れた乙女ゲームのヒロインが、後から登場した真ヒーローに心変わりするというのも、あるあるらしい。アダム談。


  

「エレナ! 貴様、自分のことを棚に上げて、よくも俺とリゼの仲を浮気だと責められたものだな! 婚約破棄だ!!」


 エヴァン殿下は、何としてでも私を悪者にして婚約破棄したいようだ。

 反論しようと私が口を開くよりも先に、ラウルがふぅと物憂げに息を吐いた。

 

「…………酷い誤解だな。俺とエレナは、愛を囁きあったこともなければ、二人きりになったことすらない」

「は……?」


 エヴァン殿下が間抜けな顔で固まった。

 全くもってラウルの言う通りである。私たちは何の関係もない他人だ。正真正銘ただの同級生でしかない。

 

「貴様……『俺のエレナ』と言ったではないか」

 

「そう。きみの存在があったからこそ、心の中でどんなに焦がれていようと、それを表に出すことなく辛い三年を過ごした。でも、それも今日で終わりだ。これでようやく、エレナは俺のものになる」


 ラウルが情熱的な光を宿した青緑の瞳をこちらに向ける。


 心の底からやめて欲しい。なんで確実に自分のものになると思ってんの? 妄想が過ぎる。

 覚醒したヒーローは、想像以上にヤバい。


 そんな彼は、更に突飛な発言を重ねた。

 


「やっと言える。エレナ、愛しているよ」



 卒倒しそうになった。

 ただの知人からの愛しているは、最早ホラーである。


 

 しかしラウルは顔がとびきりいい。

 圧倒的なオーラを放ち、まっすぐに愛を語るその姿は、舞台俳優さながらに様になっている。他人事ならば、とても魅力的に見えたことだろう。


 ラウルの愛の告白に、令嬢たちは皆、私に羨望の眼差しを向けている。リゼに至っては、悔しそうにこちらを睨んでいる。


 そんな空気感が、エヴァン殿下は面白くなかったらしく、大声でわめき出した。


 

「待て待て貴様! 王子であるこの俺を差し置いて、勝手に話を進めるな!!」 


「だって、きみがエレナをようやく解放してくれたから。すぐにでもエレナは俺のものだと皆に知らしめたいし、エレナに贈りたくても飲み込んできた言葉がたくさんあるし」


「口答えするな!!」


「そんなつもりはないよ。これでも感謝しているんだよ? きみがエレナの魅力に全く気づかないほどに愚かで」

 

「なっ……無礼者めが!! いち貴族の分際で、なんと不敬な物言い! 王族に盾つけばどうなるか、思い知らせてやる。誰か、この者を捕らえよ!」 


 

 その時、静観していた保護者たちの中から、国王陛下の代理で出席していた王太子殿下が、慌てて飛び出してきた。

 

「愚弟がご無礼を申し訳ございません、ラウル殿下!」

 

「あ、兄上!? なぜこやつに謝罪など……!」

 

「馬鹿者! こちらは、エスティーナ王国の第二王子、ラウル殿下だ!!」

 

「はああああ!?」



 ここに来てやっとラウルの正体を理解したエヴァン殿下が、王太子殿下に無理矢理頭を下げさせられている。


「気にしていないよ。俺も自国では、微妙な立場にいるからね。正体を隠して留学し、今まで極力目立たぬようにしていたんだ」

 

「そ、そんな事情が……」

 

「けれどそれも今日で終わりだ。エレナを連れて、帰国する。愛するエレナが隣にいてくれるなら、どんな問題にも立ち向かえる気がするんだ。後継争いから逃げ回るのはやめて、この手でエレナを幸せにするよ」


 

 ふざけんな、自己満。私を争いの渦中に引きずり込む宣言をしておいて、何が幸せにする、だ。せめて全て片付いてから迎えに来い。


 ──と、言いたいところではあるが、淑女の仮面を被った私は、ラウルの言葉を聞かなかったことにして、ルイスを振り仰いだ。

 そしてこっそりと囁く。


「ルイス、約束通り頼むわよ」

「わかってるって。……はぁ」


 面倒そうにため息をつきながらも、ルイスは一歩前へ出た。

 ラウルから私を隠すようにして、きっぱりと宣言する。


「ラウル殿下。妹はエヴァン殿下との婚約がこんなことになって、酷く傷ついている。そう簡単に一緒に隣国へ、なんて言われても戸惑うばかりでしょう。しかも隣国で、大変な状況の中へ放り込まれると聞いては、兄として賛成できません」 


 その言葉に、ラウルよりもうちの両親の方がよっぽど慌てて叫ぶ。

  

「何を言う、ルイス! 願ってもない話だ! お受けするぞ!!」

「そうよ、ルイス! エレナにとっては、それが一番の幸せなのよ!」


 

 どんな形であれエヴァン殿下との婚約がなくなり、傷物になった私が、思わぬ大物と縁を結べそうとあらば、公爵家としては願ったり叶ったりだ。両親の言い分は当然だった。


 だけど私としてはまっぴら御免なのだ。

 これまで黙って大人しくしていたからこそ、今こそ私の言い分が観衆には効果的に耳に届けられるだろう。

 そんな思惑を胸に、全力で悲しげな表情をつくる。


「私……、隣国なんて知り合いもおらず、どんなところか詳しく存じ上げませんし……。不安で、恐ろしいです。お兄様以上に強い方が守ってくださらなければ、とてもご一緒には行けませんわ」


「エレナもこう言っている。どうしてもエレナを連れて行きたいと仰るなら、俺に勝ってからにしてください。相手が誰であろうと、それは譲れません」



 いい歳して、とんだブラコンとシスコンである。我ながら気持ち悪い。ルイスも同感だろう。

 だけどこれも私の作戦の内なのだ。



 そもそも、ルイスはアダムの話を全くちっとも信じていなかった。

 何しろ自分が主人公だと思っているのだから、私が主人公と聞いて、気を悪くして対抗してきたくらいなのだ。なんで俺じゃなくてお前が、的な。


 しかもルイスは、ハーレムつくるのが夢だったくせに、陰キャコミュ障の前世の影響もあり、女子に免疫がない。

 忠告を聞かず小説通り、リゼのあざとさにコロッとやられてしまったのだ。エレナのイジメから、俺がリゼを守るとか言ってた。

 アダムは小説まんまだ!とけらけら笑っていたが、こっちは身内にまで疑われ、泣きたくなったものだ。


 とはいえ、泣いていても仕方がない。

 私はルイスに賭けをもちかけた。


  

 リゼは「私にはあなただけよ」と迫り、初心なルイスを弄んでいる。


 だから──。

 

 もし本当にリゼがルイス一人しか味方のいない可哀想な子ならば、私はルイスのかわりに婿をもらい、公爵家の跡を継ぐ。ルイスは、夢を叶えればいい。

 逆にリゼが大嘘つきだったなら、ルイスは私の味方をする。


 小説のシナリオ通り、断罪からのヒーローとの婚約へと話が進みそうになった場合、ルイスには、ラウルを力でねじ伏せてもらうように頼んであったのだ。


 何しろルイスは、自称チートが使える男。

 剣の扱いは騎士にも劣らず、しかもその剣に魔術を纏わせる、魔剣なるものを開発した天才だ。

 もちろん学院の成績も、剣術と魔術でルイスに勝る者はいなかった。なんなら教師陣さえも相手にならなかったのである。


 いくらハイスペックと形容されるラウルといえど、ルイスには敵うまい。



 エヴァン殿下がリゼと愛し合っていると言い、リゼがそれを否定せず、私がリゼを虐めていたという話が冤罪だと証拠が出た時点で、ルイスは賭けに負けたのだ。

 複数の男に擦り寄る気の多い女なんて、自分のことを棚に上げがちだけどもある意味純情なルイスの、最も嫌いな人種だ。ようやく目も覚めただろう。

 


 内心ほくそ笑んでいると、ラウルは意外にも怯むことなく笑顔を保っていた。


「つまり俺が、ルイス・アゼリア公爵令息に勝てば、エレナをもらってもいいということだな?」

 

「……俺とやり合う気か? 本気で?」

 

「もちろん。エレナを手に入れるためなら、何だってする」

 


 卒業生たちから、大きなどよめきが起こった。


 ルイスに勝てる者などいない。無謀な戦いであることくらい、共に同じ学院で学んだ皆は知っているからだ。


 それでもラウルは堂々と声をあげた。


「それでは、今ここでパーティーの余興として、ルイスと勝負する許可をいただきたい」


 

 この場で最も身分が高く、権限を持つ王太子殿下は、苦い顔をしながらも承諾した。


 先程まで弟が、何の罪もない婚約者に対し、一方的に婚約破棄を言い渡し、その上強大な隣国の王子に無礼をはたらいたという経緯がある。断るのは得策ではないというお考えだろう。

 王族が恥を晒したことを有耶無耶にするのに、ちょうどいい申し出だったとも言える。



 ラウルとルイスがそれぞれ貸し出された剣を手に構えれば、わっと歓声があがった。

 私の人生がかかった一戦が、本当にパーティーの余興と化している。



 勝敗の行方はわかっている。

 ルイスの勝ちは確定事項で、どこまでラウルが耐えられるかの問題だと、誰もが予想していた。

 だからこそ、皆が勇敢なラウルを応援しているのだ。


 ──けれど。


 勝負のはじまりの合図と同時に、ルイスが踏み込む。

 油断も隙も手加減も一切ない、全力で本気の動きだった。

 

 けれどもルイスの強烈な一閃を、ラウルはすんでのところでかわした。

 剣を振り下ろした直後のルイスの隙をつくように、ラウルは的確に右脇腹を狙って剣をふるう。

 とても避けきれないような角度から、ルイスが素早く腕を回し、自らの握る剣で、ラウルの攻撃を防いだ。


 キン、と高い音がホールに響いた。


 

 二人はもう、既に構え直して再び向き合っている。どちらも驚くほど素早い動きで、ほんの数秒の出来事だった。



 ラウルが不敵に微笑んでいる。

 ルイスは苦々しい顔でそれを睨みつける。



 ぞくぞくするような緊張感で、手にじっとりと汗が滲んだ。私が戦っているわけでもないのに、心臓がどきどきと音を立てる。


 それほど緊迫した勝負なのだ。

 そう感じているのは私だけではないようで、お祭りのように盛り上がっていたはずのホール内は、しんと静まり返っていた。息を飲む気配ばかりに変わり、ぴりぴりとした空気が肌に刺さる。



「いやぁ、やっぱりかっこいいなー、ラウル様は。さすが! 最高だね!」


 二人に釘付けになっていた私は、隣から聞こえた呑気なアダムの声に、我に返った。


「あっ……アダム! どういうこと? ラウルがすごく強い!!」

 

「当たり前でしょ、ハイスペックヒーローなんだから。目立たないように隠してたんだよ。顔も、実力も」

 

「だからって……あのルイスと互角なんだけど!?」

 

「互角……ねぇ。どうかなぁ?」



 勝負は続いている。


 ルイスの絶え間ない攻撃を、ラウルは尽く避ける。

 ひらりひらりとかわす優雅な動きは、まるでダンスを踊っているかのよう。

 対するルイスは、捉えきれないラウルの動きに、苛立ちを募らせているように見える。


 ルイスは明らかに焦っていた。

 転生という境遇とこれまでの努力から、誰よりも自分の実力を過信しているルイス。初手の一振りで、勝負は決すると思っていたのだろう。


 次々と繰り出される攻撃に、ラウルは防御に徹している。だというのに、どこか余裕を感じさせる表情。



 走る緊張と、胸に湧き上がる嫌な予感に、息苦しくなってきた。



 苛立ちと、焦りと、疲労。

 原因はそんなところだろうが、ルイスの動きが、ほんの少しだけ雑になった。太刀筋がわずかに乱れる。


 私も含め、見守る者は誰も気づかないそんな小さな変化を、ラウルだけは見逃さなかった。


 ルイスが振り下ろした剣を、ラウルのそれが斜めから薙ぎ払った。


 キィン──! と、剣を弾く激しい音。


 

 その日一番大きな音が響き渡り、弾かれたルイスの剣が宙を舞った。 




 ────ラウルが、勝った。


 それは信じがたい光景で…………皆、目を丸くして呆然としていた。放物線を描くルイスの剣を、口を開けて見上げる人々。

 床に剣が落ちる音が耳に届けば、ようやく状況が飲み込め、割れんばかりの大歓声が起こる。


 ────はずだった。

 

 ルイスの剣は落下することなく、ふわりと浮かんだまま。

 そして止まった時を戻すようにくるくると舞い、ルイスの手中にすっぽりと収まった。


 

 ルイスの瞳は、屈辱と怒りに燃えている。

 そればかりか、剣も同じく物理的にごうごうと炎上をはじめた。


「ラウル…………俺を本気にさせたな? 魔剣の錆にしてやる……! 獄炎魔剣インフェルノブレイズ!!」



 こうなったルイスは、もう誰にも止められない。

 前世と合わせて三十年以上生きているはずの彼は、精神年齢がいつまでも中二なのだ。恥かいて逆ギレして、八つ当たりしたい気分なのだと、双子の片割れである私は理解した。


 病を患っているので名称はクソダサいが、ルイスの魔剣は反則級の威力を持つ。


 ……というか、既に勝負はついている。

 剣での勝負だったところに、魔術を絡めてくるというのは普通に反則だ。


 

 大人の背丈ほどもあろうかという大きさで燃え上がる、禍々しい炎を纏った武器を手に、ルイスはラウルと対峙している。あまりのビジュアルに、あちこちから悲鳴があがった。

 人を殺しそうな目をした双子の兄が、魔王にでも見えてきた……。


 

 迷わずくるりと踵を返すと、アダムに腕をつかまれた。


「こら、エレナ。どこ行く気? きみのために、二人の男が戦っているというオイシイ状況だよ?」


「逃げるに決まってるでしょう。あんなモン出したら、ひとたまりもないわ。ルイスは勝負に負けたのよ? この後、秒でラウルの剣を消し炭にしたところで、私の未来の自由が潰えたことに変わりはないわ。逃げるなら、今しかないのよ!」

 

「……まさか、本気?」


「ええ、プラン5へ移行するわ。落ち着いたら手紙を書くわね。今後の状況次第では、私は二度と公爵家には戻れないかもしれないけど……。それでも私は、小説のストーリーやラウルに縛られることのない、自由な人生を選ぶわ。さようなら、アダム。元気でね!」



 私の運命を予言し、それに抗うことに協力してくれた大切な友人に別れを告げ、ダンスホールを飛び出した。



 回廊を抜け、王宮の外を目指す。その途中で、立派な庭園が目に入った。

 宵の空には小さな月がのぼっているが、人気のない庭園は薄気味悪いほどに暗い。


 そこへこっそり足を踏み入れると、茂みの影で、私は屈強な騎士へと姿を変えた。



 運命に抗うため、私はこれまでいくつもの対策を講じてきた。

 そのひとつが、こうして姿を変えることだ。


 残念なことに、私には転生チートなどなかった。ルイスのように、戦闘に関する才能も情熱もなかった。

 そんな中で適性があると判断し、磨き抜いてきたのが、自分の姿を別のものに変える魔術だ。


 もとは人並みだった魔術も、そればかり極めていればなかなかのものになった。今や私の変身魔術は、ルイスをも凌ぐ。

 試しに茶会で不在の母に成り代わったことがあるが、使用人はもちろん、父もルイスも全く気がつかなかった。



 リゼと仲良くなるにつれ、エヴァン殿下が私を疎ましく思っていることははっきりしていた。

 断罪が起こるとして、もしもそのまま罪を被せられるようなことになった場合、この国の貴族社会では死んだも同然だ。


 そうなってまったら、プラン1。

 私は姿を変え、名前を変え、平民として生きる。普通の公爵令嬢ならば無理でも、前世の記憶がある私なら、苦労はあるだろうが、何とかなると思うのだ。

 修道院に入れられるよりは、よっぽど自由な人生を歩めるだろう。


 ちなみに現在は、プラン5。

 シナリオ通りラウルが現れ、私を隣国へ連れて行こうとした場合。

 なんとか隙をついて彼から逃げて、姿を変える。そしてほとぼりが冷めるまで、私は行方をくらますのだ。


 小説のストーリーから大きく外れたことにより、ラウルが私に対するクソデカ感情を失ってくれたら、それが一番いい。

 永久に私を追いかけようとしようものなら、別人としてどこか遠い場所で生きるしかない。

 

 それでもラウルの手により、鳥籠の中に囚われたような生き方を死ぬまで強いられるよりは、ずっとマシな気がする。

 

 

 宵闇の中佇んでいると、ひやりとする夜風が肌を撫で、思わず身震いする。

 いつまでも考え込んでいたって仕方がないと、茂みの影から身を乗り出した。


 

 その時、とんでもない爆音と共に、突然、闇に沈む静かな庭園が光に照らされた。

 音と光の方角へと視線を向け、目を疑う。


 

「ええええええ!!?」



 先程まで私もいた場所。

 ゆるやかな曲線を描くダンスホールの辺りの屋根部分に、巨大な穴が空いていた。

 ダンスホールの天井を突き破り、めらめらと燃え盛る炎と、弾ける雷の光が絡まり合い、うねりながら、一本の柱のように空高く伸びている。

 赤とオレンジと黒の混ざり合った、地獄の業火を連想させるような禍々しい炎には、ものすごく既視感がある。さっき見たばかり。犯人はルイスだ。

 

 いくら何でも余興の範囲を限界突破している。

 双子の兄の短絡さと愚かさに、息が止まった。両親はあの場で、気を失っているに違いない。


 ここまで激しい戦いになってしまったということは……。


 考えたくないが、考えずとも答えは明白だ。

 対抗しているあの雷を発生させたであろう人物など、一人しかいない。

 


 最早どう転んだって、取り返しがつかない。

 すぐにでも何食わぬ顔で王宮の門から出て、貴族街を抜ける。平民街まで辿り着いたら、町娘にでも姿を変えればいい。


 そんなことはわかり切っているはずなのに、私は自分を奮い立たせるように、大股の一歩を踏み出した。ダンスホールに向けて。


 

 私は悲しいほど小心者だ。

 言い出しっぺである以上、この惨事を前に一人、知らんぷりで逃げ出すことができないのだ。


 どうか誰一人、怪我などしていないように、と切に願う。



 ホール前のだだっ広い廊下まで戻ると、そこは逃げ惑う人々でごった返していた。

 見たところ皆元気そうだが、その顔は一様に青ざめている。

 遠くから見ても恐ろしいほどの魔術のぶつかり合いだった。間近でアレを見ていたならば、その恐怖たるや相当なものであっただろう。

 

 私も一応騎士の姿をしているので、周りの騎士に倣って、避難誘導を行う。

 

 人混みの中には、エヴァン殿下とリゼの姿もあった。

 愛し合っているはずの二人は、互いの体を押しのけるようにしながら、我先に逃げようとしている。なんか醜い。


 こういう時、どんな対応をしたらざまぁなんだろう。

 一応考えてみたものの、よくわからなかったので、無視して誘導を続けた。

 

 そうしてしばらくすると、避難はあらかた済み、人の数もまばらになってきた。

 怪我人が運ばれることもなく、無事に皆が逃げられたようで、少し気の緩んだ周囲の騎士たちと、目線だけで互いを労っていた、その時。

 


 ダンスホールから歩み出て来た一人の男に、一気に注目が集まった。


 今の今までダンスしていたかのように、軽やかで優雅な足取り。騒動など知らぬとしか思えないほど、乱れのない正装姿。ほろ酔いかと思わせる、わずかに上気した頬の上の青緑の美しい瞳は、上機嫌に甘くとろりと蕩けている。


 

 この状況に全く似つかわしくない様子で現れたラウルの姿に、鳥肌が立った。悪い意味で。



 心臓がばくばくと音を立てる。

 ラウルが化け物じみて見えて、今捕まったら終わる気がした。私の人生が。


 しかし今の私はガチムチ騎士の姿。ラウルが私に気づくはずがない。

 さっと顔を逸らし、早くどこかへ行ってと心から祈った。


 ラウルが歩みを進め、そのまま私の前を通り過ぎる。そうしたら、ルイスの無事を確認し、私は予定通りここから去り、もう戻らない。

 これからすべきことで頭をいっぱいにして、やり過ごすことにした。


 ────けれど。



「見つけた、エレナ」


 目の前には、百年ぶりの再会を果たした恋人に向けるような、ラウルの笑顔。



 なぜだ。私の正体がわかるはずがないのに。

 冷や汗が、背中をだらだらと流れ落ちる。

 


 脳内パニックに陥っているものの、見た目は筋骨隆々な騎士姿の私の頬に、ラウルがそっと触れた。

 その瞬間、渾身の魔術が呆気なく解け、ドレスを着た公爵令嬢である本来の姿へと戻ってしまった。

 


「ふふ。隠れんぼのつもり? 俺がエレナを見逃すはずがないのに」

 

「……っ!」

 

「お待たせ、全て片付いたよ。ルイスの剣は砕いたから、俺の勝ちだ」


 

 なんということだ……。

 ルイスが完敗するなんて、きっと剣以上に、彼のプライドが粉々になっている。後々フォローが必要である。


 思うところは色々あるが、何より真っ先に確認したいことがあり、恐る恐る口を開く。


「……け、怪我は……?」

 

「ルイスなら大丈夫だよ。義兄となる人に、怪我なんてさせない」

 

「………………。あなたは、怪我していない?」



 まぁこの様子では無事なのだろうが、念のために聞いておいただけだ。だけなのに……。


 ラウルは私の言葉に、目を見開いた。

 続いて幸福を噛みしめるように、ゆっくりとその瞳を細め、満面の笑みを湛えた。



「俺の身を案じてくれてありがとう。誰よりも心優しく美しいエレナと出逢えたことは、俺の人生の中で一番の幸運だ。女神のようなきみに、俺の全てを捧げたい」



 こうして面と向かって二人で話をするのははじめてのに、なんでいきなりアクセル全開なんだろう。スタート直後にマックススピードまで加速するジェットコースター並みに絶叫を誘う。


 

 ラウルは私の目の前で片膝をつき、懇願するように見上げてきた。王子様のくせに、まるで騎士が主に誓いをたてるように。


「エレナ。どうか、俺と結婚してください」 



 

 無理、という叫びを必死に飲み込んだ。


 落ち着け、私。

 ラウルとは種類が違うが、心の病を抱える身内がいるのだから、よーくわかっている。

 この手の輩は、頭ごなしに否定したところで、聞く耳を持たない。丁寧に説明し、一つずつ論破し、ゆっくりと理解させなければいけない。


 

 深呼吸をしてから、私は慎重に口を開いた。


「……私たちは、お互いのことをよく知りません。正直、困ります」


「俺はきみのことをよく知ってる。学院にいる時はずっと見ていたし、学院外のことも、きみが生まれてから今までのことも、全て調べたからね」


 

 私の記憶が正しければ、前世ではこういうの、ストーカーと呼ばれていた。通報案件である。


「みっ……見てただけで、知った気になられても……。実際の人となりなど、言葉を交わして時間をかけて、ようやくわかるものなのでは……?」


「交わした言葉はほとんどなくても、俺は時間をかけて、きみを理解してきたつもりだ。公爵令嬢であり、第三王子の婚約者なのに、それを鼻にかけたりしないところ。誰にでも親切で、優しいところ。努力を惜しまないところ。見た目も好きだよ。月の光みたいな美しい銀の髪も、ルビーよりも輝く瞳も、世界一愛らしく麗しい顔も」


「……いや、あの。まって」


 褒めそやされて、急に恥ずかしくなってきた。抜群に美しい顔の人に容姿を絶賛されるというのは、非常に照れる。 


  

「待てない。ずっと見てきて、ずっと伝えたかった。俺はきみを知ってる。婚約者に蔑ろにされながらも、決して手を抜かずに王子妃教育に勤しむ真面目さ。婚約者の不義理な行いを、両親や王家に正しく報告する冷静さ。婚約者の企みを予見し、自らが罪を被ることのないよう、備えて対処する聡明さ。双子の兄が天才だと持てはやされる影で、自身の能力や適性を見極めて魔術に励む健気さ。全て愛おしいし、尊敬している」



 ラウルが語った私は、紛れもなく私だった。

 一人で何もかも抱え込んで耐え忍ぶ小説の悪役令嬢なんかじゃない、運命に抗おうともがき続けた、私の姿。


「俺はきみを知るほど、自分の境遇や面倒な後継者争いから逃げてきたことを、恥ずかしく思うようになった。俺はきみの前で胸をはれるように生きていきたいし、他でもないきみに、隣で見ていてほしい」


  

 ラウルが盲目的に私を愛しているのは、小説のシナリオだからだと思っていた。

 でも、もしそうじゃないのなら……。

 私自身を見て、知って、気持ちを傾けてくれているのだとしたら……。


 私の心がぐらぐらと揺れる。

 

 ラウルの愛は重いようだが、問答無用に否定するのも違う気がする。

 まっすぐに誰かが私を想ってくれているという事実は、やっぱりうれしい。


  

「エレナが婚約破棄されて、嬉しすぎて焦っているのは、自分でもわかっている。でも、きみを誰にも渡したくない。絶対に大切にする。エレナが何をしたとしても、これから先何が起こったとしても、この気持ちは変わらないという自信がある」


「ほ……本当に? 私が……えっと、例えば浮気しても? 犯罪を犯して、ラウルや周りの人に迷惑をかけても?」


 あまりに誇らしげに言い張るものだから、意地悪な質問をしてみた。

 でも、ラウルは動じることなく笑顔のままだ。


「もちろん。浮気相手は何かの罪で処刑するだろうし、犯した犯罪は全力でもみ消すだろうけど、エレナのことを嫌いになったりは、決してしない」


「重いよ!! 私は間違った時、ちゃんと諌めてくれる人がいい!」


「わかった。努力する。きみのためなら、どんなことでも、仰せのままに」


 

 片手を胸に当て、にこりと微笑むラウルの姿は、惚れ惚れするほど美しい。

 溺愛の方向が病的だと聞いてなかったら、私は一瞬で恋に落ちていたかもしれない。

 私の要望に素直に寄り添おうとしてくれるところだって、普通に好ましい。

  


「俺の全てはきみのために。どんな願いも叶えてみせる。生涯をかけて、エレナに尽くす。だからどうか、俺の手をとって」

 


 ラウルが差し出した手は、微かに震えていた。


 眩いほどの完璧な笑みを浮かべながらも、その瞳は不安げに揺れている。

 そのアンバランスさが妙に魅惑的で、なんだか熱に浮かされたようになった。


 ラウルは顔が抜群にいい。

 透き通った静かな湖のような青緑の瞳が、私を覗き込んでいる。陶器のような肌も通った鼻筋も、絶妙な角度で上がった口角も、はっきり言って大好きだ。


 目を逸らそうとしていた事実であるが、ラウルの顔は、私の好みのど真ん中だった。 



 長い人生、いつかラウル以上に素敵だなぁと思う異性が現れない、なんて断言できない。でもラウルの私への気持ちは、きっと一生変わらない。

 重いしちょっとこわいけど、確かな愛があることだけは、なぜだか疑いようもなく信じられた。


 無条件に永遠に愛してもらえるという信頼感を、もしかしたら幸せと呼ぶのかもしれない。


 

 …………なんて。

  

 間近で見るラウルの顔面とその色気に、私はすっかりあてられてしまったのだろう。

 頬が熱を持ち、頭がくらくらする。

 強い酒でも煽ったように、自分の体がままならない。思考もいまいちまとまらないまま、気づいた時には、私はラウルの手をそっと握っていた。


 握り返してくる強い力に我に返る。

 しかしそこには、獲物を捉えた獰猛な獣のように、やたらぎらぎらした目を向けるラウルがいた。罠に落ちた小動物にでもなった気分。


  

「俺のエレナ、愛してる。俺を選んでくれてありがとう。もう絶対に離さない。すぐにでも結婚しよう」


「いや、あの、それは、ちょっと、難しいような……?」


「ふふ。俺に任せて。本当の意味できみを俺のものにするために、手段を選ばず手を尽くす。必ずきみの想いに報いるから、俺を信じて」



 うっかり流されて、ろくに考えもせずに迂闊にラウルの手をとってしまった。そんなこと、とても言える雰囲気でなく……。


 きらきら輝くようなラウルの笑顔に、私は頷くしかなかった。 

 

 

  

 ◇◇◇



 

 その後。

 私とエヴァン殿下の婚約は、当然のことながらエヴァン殿下有責で正式に破棄された。

 

 卒業後のエヴァン殿下は、王太子殿下の補佐をしていく予定だったが、田舎の特に何もない領地で、男爵になることが決まったそうだ。

 リゼはそれを知った途端に、エヴァン殿下と距離を置こうとしたらしいが、何しろ大勢の前で愛し合っている宣言をしてしまっている。これ以上恥の上塗りをしてくれるなとばかりに、王命で二人の結婚は決まった。


 公爵家に改めて謝罪と共にそんな事後報告があったので、アダムに教えてあげると、「ざまぁが弱い」と不服そうだった。

 


 王宮の修繕費は、ルイスとラウル、そして騒動のきっかけをつくったエヴァン殿下の個人資産から支払われることとなった。

 

 王子である二人はともかく、ルイスの個人資産なんて──と、両親と私は青ざめたが、意外なことにルイスはかなりの額を隠し持っていた。

 冒険者になると堂々と宣言しただけあって、こっそり身分を隠して魔獣を狩り、それで稼いでいたそうだ。

 当の本人は資産が目減りすることを渋ったが、どう考えても一番悪いのはルイスだ。反省しろ。



 

 そして今日は、卒業パーティーのやり直し。


 前回パーティーは台無しになってしまったので、急遽王宮内の別のホールを借り、再度、卒業生たちの門出をきちんと祝う場が設けられた。

 

 もちろん今回かかった費用は、前述の三名が全額負担している。

 ルイスやエヴァン殿下と違い、気前のいいラウルが出費を惜しまなかったため、料理や酒のランクは、前回よりもむしろグレードアップしている。

 その上怪我人が出なかったにも関わらず、見舞い金として参加者全員に金一封を包んだものだから、ラウルの評判は落ちるどころか上がり、豪華なパーティーは大いに盛り上がっていた。



 

「ラウル様は、財力も桁違いかー。小説とは少し変わったところもあるけど、結局は収まるところに収まったってことだね?」


 シャンパンのグラスを傾けながら、アダムが機嫌よく笑う。

 彼にはシナリオ脱却のため、散々足掻くところを見せつけてきた。その割に、最終的には小説通りの結末になってしまったなんて、情けない限りである。

 全て知られているだけに、少し気恥ずかしい。


 

「まぁ色々あったけど、ラウルは顔がいいし……。ちゃんと話をしてみたら、アダムが言うほど危ない気がしないっていうか……。それに、ラウルは顔がいいし」


「エレナって面食いだったんだね」


「確かにヤバさの片鱗はちょくちょく見えた気がするけど、ちゃんと手は打つわ。気持ちを伝え合って、私の意見ははっきり主張して、ラウルがおかしな方向に行ってしまわないよう、教育する! 案外素直だったし、時間はこれからたっぷりあるもの」

 


 視線の先には、貴族たちに囲まれて談笑するラウルの姿がある。

 

 アダムから聞いていたような、激重執着モンスターのラウルであれば、こうして私が異性と二人で言葉を交わそうものなら、嫉妬むき出しで邪魔しに来ていたはずだ。

 ──いや、そもそも私のそばを決して離れたりはしない。片時も。

 だからこそ、生涯軟禁生活を送るハメになると、私は本気で思い込んでいたのだ。


 でも、ここにいるラウルは違う。

 視界の端に私をとらえながらも、友人たちとの別れの時間を楽しんでいることを理解し、私の気持ちを尊重してくれている。


 

 私はパーティーの後、ラウルと共に隣国へ発つ。

 隣国王家と我が公爵家との間で、あっという間に話は進み、私たちの婚約は内定した。隣国へ到着したら、正式に婚約を結ぶ運びとなっている。


 これから住まう国、ラウルの家族である王族の方々、そしてラウル自身についても、先入観を捨て、この目で見て、知っていきたいと思うのだ。


 

「アダムの話を鵜呑みにしすぎてきたわ。変な占い師にのめり込んで身を滅ぼす人って、こういう手口でやられるのね、きっと」


「失礼だな。言っとくけど、さっきエレナが時間はたっぷりあるって言ったの、あれ絶対ないからね?」


「どうして? 物語はハッピーエンドを迎えたでしょう?」


「何言ってんの? 今まだ、小説の序章部分」

「序章」


 聞いていない。

 完全に終わりを迎えたつもりでいた。


「これから第一章がスタートするんだから。ラウル様と一緒に、エレナは隣国の後継者争いに巻き込まれるんだよ? まず、この後隣国に向かう途中に、ラウル様の弟の手の者に誘拐される」


「誘拐!?」


「なんとか助け出されて隣国に到着した後も、ラウル様に懸想する侯爵令嬢から壮絶な嫌がらせを受けるし、ラウル様自身も兄弟から命を狙われて、毒盛られてしばらく寝込むし。その隙に、ラウル様のお兄ちゃんに口説かれたりもするし、なんなら実力行使で襲われそうになるし」


 

 息つく暇もないハードスケジュールの上、物騒な出来事が多すぎる。

 小説のタイトルからして、ざまぁからの溺愛を楽しむだけの、ゆるーい恋愛モノだとばかり思っていたんだが……。



「そうやって何かが起こるたびに、ラウル様のエレナへの執着心や独占欲、支配欲がどんどん増していくっていうストーリー」


 

 その瞬間、私の希望的観測が、音を立ててガラガラと崩れ落ちた。


「ちょっ……ちょっとその話、詳しく」


「変な占い師の予言なんてアテにしたら、身を滅ぼすよ?」


「悪かったわアダム! 私が間違ってたごめんなさい!!」


 アダムの腕にすがりつこうとした私の手を、誰かがぱしりと掴んだ。

 ラウルである。

 おかしいな……。さっきまで結構離れたところにいたのに。瞬間移動でもした?


 

「酷いな、エレナ。俺以外の異性に触れようとするなんて、とても許せないよ」


「ラ……ラウル。いや、これはそういうんじゃなくて」


「エレナの友人だからと大目に見ていたけど、アダムにもちゃんとわからせておいた方がいいかな?」


「わぁー! ラウル様にわからせられるなんて、何それご褒美?」


「ちょっとややこしくなるからアダムは黙ってて!」

 

「俺の心を弄んで、エレナは本当に酷いことをする。俺がどれだけ我慢しているかわかる? 今日だって、婚約前だからとエスコートさせてくれなかっただろう。ルイスに平気で触れるきみを見て、俺は気が狂いそうだったのに」


「ルイスは正真正銘血の繋がった双子の兄だけど!?」


「生まれる前から一緒だった異性が存在するなんて、嫉妬でどうにかなりそうだ」


「こわいこわいこわい重い!!!」


 

 既に胃腸かぜの時のカツ丼くらい重い。

 これが更にエスカレートするというのだから、私の手に負える気がしない。胃が受けつけないし、返品を希望する。


 どう考えてもラウルの思考回路は危険だ。私の脳内に、けたたましい警告音が響き渡る。

 


 私の思いとは裏腹に、ラウルは握ったままだった私の手を両手で大切そうに包み込んだ。長いまつ毛に縁取られ、艶やかに潤んだ瞳を向けられれば、自然と頬に熱が集まってくる。

 

 途端に、鳴り響いていた警告音がぴたりと止んだ。

 やっぱり私は、ラウルの顔には弱い。



「もう限界だよ。きみの姿が他の男の目に映るだけで、胸が張り裂けそうだ。誰かが不埒な目できみを見ようものなら、その目を抉り取ってやりたい」



 その感情が暴走したら、軟禁一直線である。私の最も恐れる最悪の結末は、もう目前に迫っている。

 ……いや、なんで? まだ何も事件は起こっていないのに。


 助けを求め、アダムへ必死に目で訴えると、ちっとも役に立たない励ましの言葉が返ってきた。


  

「前世の僕のママが、女の子は愛されて結婚した方が幸せになるって言ってたよ。良かったね! エレナ」


「良くない……! なんか違う気がする!」


「ねぇ、何の話? 俺にわからない内容で、他の男と意思の疎通をしないで」


 

 拗ねたように、甘えるように、ラウルが私の頭に頬を寄せる。そういう仕草が、少しだけ子どもっぽい表情が、たまならく可愛く見えてしまうのだから、私も大概だ。

 たぶん私はもう、ラウルをかなり好きになっている。


 普通にシナリオ通りのハッピーエンドである。

 ヤンデレをコントロールできるのならば、何の問題もないのだ。


 …………が。


 

「おい、ラウル」


 誰もがラウルを隣国の王子様と認識した今、その彼に対してこの偉そうな物言い……。

 

 お恥ずかしながら、私の身内である。双子の兄・ルイスが、仁王立ちでこちらを睨みつけていた。


 

「おまえ絶対ラスボスだろ!? 俺がその辺のザコキャラに負けるなんて有り得ない。隣国へ行くと聞いたが、そこで闇の力を手にして力を強化し、最終的に魔王になって俺の前に立ちはだかるんだろ! そうなる前に、今すぐおまえを倒す!!」

「ルイスーーー!!!」



 厨二病が暴走しすぎだ。

 意味がわかっていないであろうラウルは、ルイスに笑顔を向ける。

 

「何の話? 義兄さん」

 

「誰が兄だ。俺のきょうだいは、エレナだけだ。気持ち悪い呼び方をするな」

 

「エレナ………………だけ。つまりルイスにとってエレナは、特別な存在だということか。駄目だ絶対許せない殺す」

 

「本性を表したな魔王! 望むところだ!」


 

 ルイスがどこからか例の魔剣を出現させた。ラウルもそれに応えるように、不敵な笑みを浮かべて歩み出ていく。その手元で、ばちばちと雷が弾けた。

 

 ホール内はたちまち阿鼻叫喚の大騒ぎとなる。

 数日前の悪夢再び。


 

「あははははルイス最高! なんでいっつもあんなに発想が面白いの」

 

「笑い事じゃない!! なんとかしてアダム!」

 

「しょうがないなぁ……。でも、なんとかできるのはエレナだけだよ。できる?」


 

 アダムが私の耳に口を寄せ、囁く。その内容に、私の顔は真っ赤になった。


 無理!と言いたいところだが、その様子を見たラウルの目の色が変わった。アダムに強烈な殺意を向けている。アダムは別に強くないので、このままだと普通に死ぬ。



 腹を括って、ラウルのもとへ駆けた。彼の首に両腕をまわし、ぶら下がるようにして顔を近づける。

 そしてその頬に、思い切り口付けた。


 

「ラウル……。よそ見しないで。私のことだけを見てて」


 見開かれたラウルの青緑の瞳に、顔を真っ赤にした私が映っている。


 

 衆人環視の中こんなことを仕出かし、恥ずかしくて死にそうな私の気持ちを汲み取って…………というわけではないだろうが、ラウルはすぐさま私の体を抱き上げた。呆気にとられるルイスには目もくれず、そのまま大股でホールを出て回廊を抜け、あっという間に馬車止めまで辿り着く。


 いつの間にか私は馬車に押し込まれていた。



「ごめんねエレナ、きみに寂しい思いをさせて。やっと二人きりになれたね。今すぐエスティーナ王国へ行こう。着いたらその日のうちに婚約して、次の日には結婚しよう。立場上、式には準備が必要だから、結婚式はしばらく後になるけどいいよね? こんなに焚き付けられてしまったら、書類の上でエレナが俺のものになっていないなんて、気が済まないよ」 


 ラウルの私を見る目には、欲望をむき出しにしたような、不穏な怪しさが覗いている。蛇に睨まれた蛙って、こんな感じだろうか。


 アダムに嵌められた気がする。

 ほんとにやった!と爆笑している友人が脳裏に浮かんだ。



「ねぇエレナ、俺以外の誰かのことを考えたりしていないよね? そんなのとても我慢できない。エレナが俺に、自分だけを見てと言ったのと同じように、俺もエレナには、俺だけのことを見て、俺だけのことを想っていてほしい。他のことなんて考えられないように、きみをどこかに永遠に閉じ込めて、本当に俺だけのものにしてもいい?」

 

「やだあぁぁぁやっぱり無理!!!」


 

 

 序章が終わる。

 私の気持ちなど、置いてけぼりにして。

 

 夜のはじめ、幾億も瞬く星空の下、一章に向けて私たちを乗せた馬車は、走り出してしまった。

  




 

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