ガーラク砦陥落の危機
ガーラク砦の兵は疲弊していた。
レスハイム王国軍の度重なる猛攻を何度か凌いではいるが、怪我をして動けない者は日々増えていき、魔法薬の在庫は段々と減っていく。
攻城兵器によって城門は随分とボロボロになり、破壊されていないのが不思議なくらいだ。
「――将軍」
「外の矢を集めるように伝えておけ。ご丁寧なことに毎度毎度大量の矢を射てくれるから、矢の在庫には困らないな」
トラコマイは何か言いたそうな部下にそう命令を出す。
部下の言いたいことはトラコマイにもわかっている。
彼はこの砦を放棄して撤退することを進言したかったのだろう。
だが、それは許されない。
広大な領地を誇るニブルヘイム英雄国にとって、この砦と周辺の土地を奪われたところで、失う土地の割合は全体の一パーセントにも満たない。
だが、現在、ダークエルフの裏切りという前代未聞の事件が起きている。
ここで難攻不落と言われたガーラク砦が落とされてしまったら英雄王陛下の権威が失墜し、下手をすれば他の部族の裏切りを誘発する恐れがある。
それを理解してるからこそのレスハイム王国の猛攻なのだろう。
「儂は存外、あの陛下のことを気に入っていたのかもしれんな」
トラコマイがジン・ニブルヘイム英雄王に会ったのはたったの一度だけ。
しかし、その一度で彼はジンのことを気に入ってしまった。
その強さではなく、在り方に。
「安心しろ、儂も長年この砦を守り続けてきた。引き時を間違えるようなヘマはしない。ほら、さっさと矢を集めるように指示を出せ。それと、矢の回収が終わったら酒蔵の上物のエール、一人三杯までは飲んでいいと伝えろ」
「よろしいのですか?」
「いい。儂が許す」
今夜は敵も来ない。
今日の敵の出方を見ると、明日、大規模攻勢を仕掛けてくるのは目に見えている。
トラコマイは最悪、十万の敵がこの砦を攻めてくると予想を立てていた。
その数が一斉に攻めてきたら、いくら堅城と呼ばれるこの砦も一たまりもない。
砦を放棄することになったら、どのみち酒を持って逃げる余裕などない。
だったらここで部下が飲んだ方が遥かにマシだ。
トラコマイはそう試算した。
「もしも敵の攻撃を耐えることができたら、その時は陛下に極上の酒をご馳走してもらうぞ」
トラコマイはそう言って、部下に見張りを任せ、明日の戦いに備えて寝所に向かった。
三度の飯よりも酒を望み、たとえ世界が滅ぶ前日でも酒を飲むと豪語していた彼が、その日だけは一滴も酒を飲むことはなかった。
そして、夜が明ける。
「おいおい、嘘だろ」
敵発見の鐘の音を聞きつけ、城壁に上がったトラコマイはその光景を見て思わずつぶやいた。
まだ遠方ではあるが、それでもわかる敵兵の数。
その数、目算でおよそ二十万が、朝日とともに進軍してきたのだ。
予想していた最悪の倍の敵兵に、トラコマイの頭には撤退の二文字が脳裏を過ぎった。
(陛下、これは防ぎきれそうにねぇぞ。こっちに来るなら早く来てくれよ)