祝芽の儀
その日の夜、祝芽の儀が行われた。
と言っても俺は特にすることはない。
太陽が沈むと同時に、闇の精霊に世界樹の夜の安寧を願う儀式を行い、それが終わったら聖域の外の広場で酒を飲んで飯食って騒ぐだけ。
なんで、八十六年前に世界樹の芽が生えたお祝いで、
明確に何月何日って決まっているわけではなく、おおよそこの時期に行われるのだとか。
「儀式の後の祭りは聖域の外でするんだな」
「年に一度の盛大な祭りです。皆、お酒をいっぱい飲むので、万が一世界樹に粗相をするようなものが現れたら危険ですから」
サエリアが言う。
森の中で採れたというカモシカに似た動物が焼かれていた。味は牛肉に近く、なかなかうまかったが、結果的にシヴに野菜料理ばかりだと嘘を吐いてしまったことになったので、申し訳なく思った。
料理を切り分けていたダークエルフの女性に少し肉を持って帰ってもいいか尋ねたところ快く切り分けて譲ってくれた。
ダークエルフは肉はあまり食べず、こういう肉はこの町に住む他種族の人のために焼いているが、採れる獲物の方が多いので毎年結構な量が残るらしい。
そういう事情ならと遠慮なくカモシカ風肉を次元収納に入れて、シヴへのお土産にする。
「ご主人様、楽しんでいますか?」
野菜団子汁が入っていたであろう器に、木の実や菓子パンを入れてアイナが尋ねた。
「お前ほどじゃねぇが満喫しているよ」
「イクサは食べないのですか?」
「護衛中ですから」
なんでも、護衛中は食事をしてはいけないらしい。
食事をするとトイレに行きたくなって俺の傍を離れる恐れが出るので危険なのだとか。
普段なら気にせずに飯を食えと言っていたが、ダークエルフの目があるからな。
サエリアと交代で護衛をすることで今は我慢してもらうことにした。
イクサは好き嫌いはないと言っているが、野菜より肉の方が好きだというのは普段の付き合いで知っている。肉は十分残るだろう。
「しかし陛下。このように祭りをしていてもよろしいのでしょうか? いつ敵軍が攻めてくるかもわからないのですが」
「ダークエルフが王都に書状を送っている。増援は間もなく駆け付けるはずだ。それ以上は俺たちにできることはないだろ?」
むしろ、俺がここにいるときに敵が動いた方が対処しやすい。
俺はそう言ってワインを飲む。
美味しいけれど全然酔えない。
ノンアルコールワインってこんな感じの味なのだろうか?
サエリアと交代の時間になった。
イクサは真っすぐカモシカ風肉屋の屋台に向かう。やはり食べたかったんだな。
「サエリアは祭りを満喫できたか?」
護衛だから酒は禁止させてもらったが、それ以外は自由にしてもらった。
「はい。私は元々あまりお酒を嗜みませんし」
「そういえばみんなで飯を食べたときも、ワインを飲んだのは最初の一杯だけだったな」
付き合いとしては飲むけれど、好んで飲むわけではないのか。
「マルシア以外にサエリアの兄弟姉妹とは挨拶したのか?」
「兄は全員魔法兵ですから、東の結界の外の防衛砦で防備に当たっています。本来、祝賀の儀の時は誰かいるのですが、尋問の結果レスハイム王国の兵が攻めて来る可能性もあるので、残っていた兄も手勢を引き連れて東の防衛砦に」
「いまが有事になりかけてるからな……魔法兵なら猶更帰る事はできないか」
サエリアの兄ならば、きっと優秀な魔法兵なのだろう。
結界の中では魔法を使えない。
だったら、結界の中に入られる前に敵を倒す。
それがダークエルフの里の魔法兵の役割だ。
「シンファイ殿、一つ相談がある」
「いかがなさいました、英雄王陛下」
「明日、東の防衛砦に視察に行こうと思う。俺には次元収納があるから、必要な物資があれば持っていくこともできるがどうだろう?」
どのみち、転移魔法を使うには一度結界の外に出る必要がある。
ここは森の中心だから、俺たちがやってきた森の西から出るのも、防衛砦のある東から出るのも距離的には変わらない。
だったら一度視察に行こうと思う。
もしかしたら、敵の動きも何かわかるかもしれない。
「陛下自ら視察に行かれるのですか。とてもありがたい話です。実は私の方からも願い出ようと思っていたのです。ガーラク砦での陛下の武勇は遠いダークエルフの里にまで届いております。陛下が視察に行けば、きっと皆の士気も上がることでしょう」
シンファイは感謝の礼をし、案内を付けると言ってくれた。
そして夜は更ける。
さすがに戦時中ということもあり夜通しの飲み会なんてことにはならずに早々にお開きとなった。
そして夜。
『――――』
俺は何かの声を聴いた。
誰かに呼ばれた気がした。
アイナは隣のベッドで寝ている。
隣の部屋からイクサの気配はある。
部屋の外ではサエリアが警備をしている。
だが、誰も俺を呼んでいない。
誰が呼んだ?
『――――』
まただ。
一時間寝たから睡眠時間は十分だ。
それに、こう何度も呼ばれたら寝ていられない。
俺は着替えて部屋を出る。
「ジン様、どうなさいました?」
「ちょっと出る。悪いがついてきてくれ」
「かしこまりました」
俺とサエリアはサブクリスタルのある聖殿を出る。
『――――』
また声が聞こえる。
サエリアは何も聞こえていないようだ。
そしてその声は――
「やっぱりここか」
どうやら世界樹の聖域の中から聞こえているらしい。
深夜だというのに警備は厳重だ。
手荷物検査とか面倒だが、壁を乗り越えていく選択肢はないな。
とりあえず、正面入り口に向かう。
本来、深夜の訪問は禁止なのだが、一国の国王を追い払う勇気は彼らにはなかった。
手荷物を全て預け、警備を二名同行させることを条件に中に入った。
「陛下、どうしてここに?」
「世界樹の声が聞こえた気がしてな」
「それは本当ですかっ!?」
「多分な。そんな気がするんだ」
多分とかそんな気がするとか言ってみたが、
『――――っ! ――――っ!』
気がするなんてもんじゃない。
こいつは絶対に俺に何かを訴えかけている。
だが、いくら勇者の知識と翻訳チートがあっても、植物の声なんてわかるはずがない。
すると、世界樹が突然淡く光り輝いた。
声がまた大きくなる。
「これは!?」
「おい、誰か族長を呼んでこい!」
同行した警備がゴタゴタしている。
世界樹が何を言っているのかわからない。
ただ、わかることがある。
世界樹は何かを心配している。
「悪いな、何を言っているかわからないんだ。でも、安心しろ。俺がここにいる間はこの里もダークエルフのことも守るからさ。人同士のゴタゴタした戦争にお前を巻き込むつもりはねぇよ。世界樹は頑張って大きくなれ。それをみんな望んでる」
俺がそう言うと、世界樹から光が消え、声も聞こえなくなった。
これでよかったのだろうか?
アイナを連れてきたらもしかしたら翻訳してくれたかもしれないな、と思っていると、シンファイが駆け付けてきて、何があったのか説明することになった。
そして、宿に戻る途中、世界樹を見て言う。
「ここにいる間だけだからな。俺はただの勇者なんだから、あんまり期待するなよ」